辻元騒動で本当に責任を取るべきは誰か
社会民主党の辻元清美議員が自身の公設秘書給与詐取疑惑の責任を取って議員辞職した。
「わかりやすい」「歯に衣着せない」と評判の同党看板議員の辞職で、マスコミは大騒ぎであった。週刊誌の記事が出た直後の苦しい言い訳記者会見以来、嘘を繰り返し、発言も右往左往、果ては「自分だけではない」「鈴木(宗男)、加藤(紘一)を道連れにしなければ辞めない」などと子供じみた主張も繰り返した。注目すべきはこれらの発言が、記者会見という体裁を装ったテレビ視聴者への辻元氏の一方的な主張であったことである。
かつて、加藤紘一議員は、インターネットでの応援メールを民意と勘違いし、自民党執行部に反旗を翻した。が、蓋を開けてみれば誰もついてこず、単に騒ぎを起こしただけで加藤の乱は終結した。そして今回、辻元氏はテレビの向こうの視聴者の支持を信じて、党の警告を全く無視した形でテレビ出演し、自らの主張(とウソ)をまくし立てた。両者に共通するのは、インターネットやテレビといった媒体を「民意」だと勘違いした点である。実際に民主主義の基本である民意の吸収は、投票選挙によるもの以外にはありえない。一部の意見があたかも大勢の意見のように見えるインターネットやテレビメディアというのは、ワイドショー化した政治家にとって誘惑の多い媒体ではあるが、決して本当の「民意」を反映したものではないのである。「世論」も「支持率」もマスコミが少数のサンプルから自らの主張に合う結果を吸い出して見せるエセ民意にすぎない(※)。テレビもネットも、投票選挙という国民の支持を受けているわけではない。そこが分からないところに辻元氏らの悲劇がある。
そもそも辻元氏はテレビが生んだ道化政治家の一人である。つねにテレビ映りを気にし、テレビで取り上げられそうな毒舌発言を選び、辞任会見まで議員バッジをはずしてみせるという無意味なパフォーマンスでテレビ受けをねらった。テレビの報道側もその毒舌や「わかりやすさ」「庶民感覚」などを求めて、彼女のような”テレビ向け”政治家を好んで取り上げる。ここにマスコミと野党政治家との癒着構造がある。辻元氏が、意地悪な質問をされる可能性がある記者会見を避けて、仲の良い筑紫哲也キャスターが主宰するテレビ番組を選んで出演したのも、そこでなら自分の有利に主張できると踏んだからであり、辻元氏と筑紫氏(あるいはTBS)の癒着の故である。与党政治家と官僚・業界の癒着構造と何ら変わらない。癒着の要素は何もカネや利権ばかりではない。言論・主張面での癒着が確実に存在する。与党を攻撃したい野党政治家と、権力に立ち向かうことを自らの責務と誤解しているマスコミの利害関係は完全に一致する。むしろ国民に誤解を与えるという意味ではより悪質ですらある。
「ワークシェアリング」という最近テレビでよく耳にする流行語を用いて言い訳したのも、その文脈において理解できる。所詮彼女は中身のないワイドショー政治家であったのだ。辻元事務所における給与詐取は断じて「ワークシェアリング」などという美語で言い訳できるものではない。本来、労働者の味方として結成された政党・社民党の議員とは思えぬ不謹慎な発言である。
まして「他の人もやってるのに私だけ追求されて悔しい」などと小学生の言い訳のような恥ずかしい発言などは、逆に視聴者の感情に訴える点で「庶民的」と言われる所以なのであろう。この点、辻元氏と田中真紀子元外務大臣は同タイプのアマチュアリズム政治家である。そもそも辻元氏は学生時代からの市民運動家であり、田中氏は総理大臣ご令嬢である。どちらも主婦経験はない。主婦層が「我々の声を代弁」「庶民感覚・主婦感覚の政治を」などと期待するのは甚だしい誤解である。彼女らに共通するのは、じつは主婦感覚ではなく素人感覚である。が、政治家は庶民的であることにはメリットはない。むしろプロフェッショナル/エキスパートであるべきであり、素人的な感情論で国政を操られては納税者として迷惑千万である。
さて、今回の騒動の責を負って辻元氏は辞職を余儀なくされたが、実は真に責任を取るべき人物が未だ責任を取っていないことに注目すべきである。今回の事件の発端となった週刊新潮の記事が出た直後、この件を「自民党の悪質な嫌がらせ」と決めつけ、「党を挙げて辻元さんをバックアップする(擁護して調査などさせない)」ととても政治家とは思えぬ発言をした人物がいた。ほかならぬ社会民主党党首・土井たか子元衆議院議長である。その直前の鈴木・加藤問題では、彼らをかばう自民党を批判しておきながら、身内の議員となるとやはりかばう側に回るのかと失望した支持者も少なくないだろう。そのせいか、世論が辻元批判に傾くや、土井氏は舌の根も乾かぬうちに今度は「党で独自の調査を行う」と180度方針を転換し、挙げ句の果てには「辻元氏に辞職を求める」と厚顔にも要請したのである。そもそもこれ以前の鈴木氏・加藤氏問題で再三与党関係者が述べているように、議員の出処進退は他の議員が決めることではない(これもテレビ報道が歪曲して「責任回避」だなどと根拠のない感情論にすり替えているが)。そもそも議員の辞職を決められるのは、その議員本人か、その議員を選んだ有権者(次の選挙)か、司法か、その3者のみである。他の議員が辞職を求めるなど筋違いも甚だしい。司法の独立性をも無視し三権分立を冒す暴挙である。もともと憲法学者であるはずの土井たか子議員がこのような要求をすること自体がナンセンスである。
まして、疑惑はすでに土井党首・社民党自体にも及んでいる。自ら先頭に立って自民党議員の疑惑を追及し、普段からもそう豪語する社民党の党首が、今回の件で何も責任を取らないと言うのは、言行不一致これに過ぎるものはないであろう。すみやかに社会民主党党首を辞任すべきである。ただし、国会議員としての職を辞するかどうかは本人自身の意志の問題である。(2002.03.27)
(※)であるからこそ「支持率の低下」などという訳の分からぬ道理で森前首相が退陣したのは民主主義の危機であると私は主張したのである。