旧暦の作り方〜まず、太陰暦を作る


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(1)まず太陰暦を作る

 太陰太陽暦の基本は太陰暦。それに太陽暦の要素を加味したものですから、まずは太陰暦を作ってみましょう。

 まず、太陰太陽暦では、月は太陰暦に従いますので、基本的に小の月は29日大の月は30日。それをほぼ交互に置くと説明しました。ただ、これは「1日」という、人間生活にとって最も重要な時間の区切りを重視したためであり、前項でも述べたとおり、実際の月の周期は29.53日なので厳密な区切りは一日の途中になります。月が完全に消えた状態から現れる瞬間を「(さく)」と言いますが、この「朔」は約29日半で一周、つまり朝に起きたり昼に起きたり、します。この「朔」の瞬間が含まれる日を「朔日(ついたち)」と定義します。


 余談ですが、昔の人は一日の始まりを夜明けと考えていました。ですから今で言う「未明」(午前3時頃とか)というのは前の日に含まれます。よく赤穂浪士の討ち入りは元禄十五年十二月十四日と言われますが、実際に討ち入りが行われたのは翌日の夜が明ける直前の午前四時頃。今の感覚で言えば十五日未明ということになります。
 しかし、暦の計算上では現在と同じく午前0時を一日の始まりとしていました。一日を十二等分して「子・丑・寅…午・未…戌・亥」と十二支の名をつけていたことはよく知られています。「正午」「午前」などの言い方で今も残っている「午の刻(正午の前後」は、だいたい太陽の南中時間(太陽が真南にくる瞬間)というので分かっていましたので、そこから一日のちょうど半分(12時間)ずれた時刻を「子の刻」とし、それが暦の上では一日の始まりとなります。ですから、ここで話している「朔」が含まれる日というのも現代の感覚で理解してもらって結構です。


 さて、ここで、暦を作るために「目盛り」を用意します。目盛りの単位は「日」です。これを直線上に並べます。

00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40

と、このような感じです。

 ちなみに実際の旧暦では数字は用いず干支(十干十二支)を使います。「十干十二支」とは支那で古来から数を数えるのに用いた漢字(十進法と十二進法に対応)で、十干は「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」。十二支は「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」。これを合わせると「甲子」から「癸亥」まで、10と12の最小公倍数で60となります。歴史の授業で習う「壬申の乱」「辛亥革命」という名称や「甲子園」の名などはこの十干十二支を年に使ったものです。支那を始め日本・朝鮮において60年以上用いられた年号は存在しない(唯一の例外は「昭和」)ので60もあれば十分で、例えば「明治壬午の年」なんていう言い方をしました。この十干十二支は年のみではなく、上記のように日にちにも用います。ただ、ここではわかりにくいので算用数字で説明しましょう。

先ほど計算した「朔」が含まれる日を、この目盛りに順々に印をつけていきます。ここで、計算により、03の日と33の日に「朔」が含まれたとしましょう。すると

00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
 

…となります。
 03朔から33朔の前の日(32)までの紫の部分が、ひと月(30日あるので大の月ですね)、この目盛りには書かれてませんが02までの灰色の部分が前の月、33から後の黄色い部分が次の月ということになります。朔が含まれる03と33の日がそれぞれの月の「朔日(ついたち)」ということになります。これで月が決定しました。ただし、これら灰色や紫の月が、何月になるのかはまだ決まりません。それを決めるのは二十四節気を導入しなければなりません。

 ここでは03から32までをB月、前の月をA月、33以降をC月ととりあえず呼んでおきましょう。


→次.旧暦の作り方〜二十四節気


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