三国時代とは?


三国時代とは文字通り、支那大陸に三つの国が鼎立していた期間である。と、言いたいところだが、事情はそう簡単ではない。というのは呉の孫権が帝位を称し、三国が成立した西暦229年から魏によって蜀が滅ぼされ、三国のうち一つが缺けた西暦263年までのたったの34年間を三国時代と称するのは無理があるからである。なぜならこの時期には三国志で活躍する英雄のほとんどがすでに鬼籍に入っており、もっと前の時代を含めなければ意味がないからである。歴代王朝で時代区分する方法を採れば、漢の献帝が魏の曹丕に帝位を禅譲した西暦220年が一応の区切りとなるが、それでも三国志中最重要人物である曹操はすでに死んでしまっている。では、劉備が蜀に入り、形の上で三勢力が鼎立することになった西暦215年頃が区切りかというとそういうわけにもいかない。そもそも「三国時代」が「三国が鼎立していた時代」と定義したことの方に間違いがあるのである。

統一王朝の安定した時代は「漢代」「唐代」などと称することができるが、乱世の場合は時代名をつけるのも難渋する。「五胡十六国時代」「五代十国時代」は国の数からつけている。では「春秋時代」「戦国時代」はどのように名付けられたかと言えば、それぞれの時代の歴史を記した書物「春秋」および「戦国策」から時代名が名付けられているのである(なお、現在の歴史区分としての春秋時代及び戦国時代は必ずしも両書に基づいたものではないが)。その方式を当てはめれば「三国志」にかかれている時代こそが「三国時代」といえよう

三国志でもっとも重要度が高い「魏書・武帝紀(曹操)」のはじまりは、もちろん曹操が生まれた年から書かれているが、曹操が初めて直面した大事件として書いてあるのはやはり黄巾の乱(西暦184年)であろう。だいたいこのあたりから三国が統一され西晋が成立する西暦280年頃までの約一世紀を「三国時代」と呼ぶ、ということでよろしいのではないだろうか。


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