
〜政治を志さうとする者は、先づ読書算盤に熟達すへし〜
(柴原聯山,SHIBAHARA,Renzan,Japan 1867-1939)
内閣不信任案攻防戦の巻
これまで見たように、与党は内閣を組織し、行政を行うために戦い続けます。では、野党は何のために戦うのか? それは、現与党の内閣を倒し、自分のチームを与党にするためです。ひとたび政治家を志して内閣総理大臣の座を狙わない政治家はいません。ここでは、その内閣を巡るバトルを紹介しましょう。
1.内閣総辞職
野党が内閣を追い込むための方法は二つあります。1つは、すでに述べたように総選挙で勝利し、衆議院リーグでの議席(選手数)を多く獲得して首班指名でも勝ち、与党になること。そしてもう一つは、内閣を「総辞職」に追い込むことです。
さて、ルールブックには内閣が総辞職する場合は2通りあると記載されています。
1つは、総選挙の前(→ルールブック5-70)。選挙の結果によっては新たに与党・野党が逆転する場合もあるので、あらかじめ総辞職して備えるということ。これは当然でしょう。結果として、前の内閣総理大臣がそのまま選挙後の特別国会シリーズで首班指名され、また内閣を組む場合もあります。この場合は、第二次内閣と呼ばれます(選挙を経るたびに第三次・第四次…)。
もう一つが、ルールブック5-69の場合。すなわち「内閣不信任案が成立したとき」です。この場合は、ルール通り10日以内に内閣を総辞職するか、衆議院を解散しなければなりません。
…ちょっと待てよ。衆院リーグの過半数を得たチームが内閣を組織して与党になっているはず。それなら内閣不信任案が成立する(過半数の賛成を得る)なんてことあり得ないじゃないか……と思った人は鋭い。今までのをちゃんと読んでいる証拠です。その通り。尋常であれば、内閣不信任案はすべて与党によって否決されます。現に、野党側は通常国会シリーズ・臨時国会シリーズで、毎回風物詩のように内閣不信任案が出されますが、そのたびに与党によって否決されています。
しかし、尋常でない場合には、内閣不信任案は通ってしまう場合もあるのです。
ア.与党側が最初からあきらめてしまった場合
イ.連立与党を組んでいたチーム(党)が連立を抜けて裏切ったとき
(閣外協力の連立の時はあり得ます。閣内協力の場合は大臣を出している=内閣を組織しているので、さすがに裏切れません。裏切ると、自分のチームの大臣も不信任となり矛盾してしまうので)
ウ.与党チームの内部から裏切り者が出た場合
(イと違うのは、チームごとではなく、チームの中の何人かが抜けてしまった場合、ということ。チームの中にはいくつかの派閥があるので、裏切りもあり得ます。)
実際、現行ルールとなってから現在までの間の約55年間に、内閣不信任案が成立したのは4回あります。いずれの場合も、内閣は総辞職ではなく、解散を選択しています。下で詳しく説明しましょう。
また、不信任案が通る前に総辞職してしまった例も1回あります。
2.首相の解散権
では、与党側にはこれに対抗する手は無いのか…? いや、あります。それが「伝家の宝刀」という別名もある「解散権」なのです。
「解散権」とは? …その名の通り衆議院リーグを解散して総選挙に持ち込むことができる権利です。衆院リーグを解散してしまえば、例え内閣不信任案が通っても、すべてチャラにできるというわけです。
従って、内閣不信任案が通った場合、与党側として首相がとり得る道は、総辞職か解散か2つに1つということになります。
しかし…実はルールブックには、内閣総理大臣に「解散権」があるとはどこにも書かれていないのです。それがなぜ認められているのか? その答えはルールブック第一章「天皇」の箇所にあります。「天皇は、内閣の助言と承認により国民のために衆議院を解散する」(→ルールブック1-7)。これが首相の解散権の根拠です。実際、こんな条文で解散権になるのかどうかは、初期には学者の間でも諸説ありましたが、現在では完全に認められています。内閣不信任案が可決されたときに解散することを「69条解散」というのに対し、こちらは「7条解散」と言います。
#ちなみに、どちらの場合も実際に衆議院を解散するのは天皇陛下なので、天皇陛下が外遊されていたりすると解散はされません。この辺も国会中継を見る上でポイントになったりします。
3.そして…一事不再議
野党側としては、この内閣不信任案が最も強力な武器ですので、何度も何度も出そうとするわけです。しかし、法案審議戦の所でも述べたように、「一事不再議」の原則により、その国会シリーズの中で一回否決された内閣不信任案は、そのシリーズ中にはもう出せないことになっています。ですから、野党側も、与党内の情勢を見て(裏切り者が出そうかどうか)内閣不信任案を出すタイミングを計ることになります。(たいていはタイミングを計り損ねて、そのままシリーズ終盤に出すことになりますが)
ここで、実際に不信任案が可決された場合の例を見てみましょう。
A.昭和23年第二次吉田内閣に対する不信任案
少数与党であった民主自由党の劣勢を挽回するために吉田茂首相は、解散して議席を増やそうとしていました。が、当時日本を支配していたGHQ(連合国総司令部)は、首相の解散権(7条解散。上記参照)を認めなかったため、解散できませんでした。そこで、民自党は、野党である日本社会党に内閣不信任案を出してもらい、それを可決させることで69条解散に持ち込みました。1.のアにあたります。
民自党も社会党も選挙に勝つと考えたため協力して不信任案を可決したので、このときの解散を「馴れ合い解散」と呼びます。
B.昭和28年第四次吉田内閣に対する不信任案
衆院予算委員会で吉田茂首相が社会党議員に対し「バカヤロー」と発言したことが問題となりました。しかし、当時の与党自由党は、多数であるため、このとき野党側は、「一事不再議」の原則ふまえて万全を期し、まずは懲罰動議(*)で、吉田茂個人の責任を問い、その後に内閣不信任案を提出しました。
自由党内部から鳩山一郎派が賛成に回ったため、可決され、吉田首相はすぐに衆院を解散しました。これを「バカヤロー解散」と呼びます。
(*)懲罰動議…問題発言など議員のモラルを問われる行為をしたときに、各リーグの懲罰委員会に懲罰を下すよう要請すること
C.昭和55年第二次大平内閣に対する不信任案
この前年、大平正芳首相が強引に行った解散をきっかけにして起きた「四十日戦争」と呼ばれる抗争以来、与党の自由民主党は、主流派と反主流派の真っ二つに分かれ、冷戦状態にありました。そして反主流の強硬派は、野党が提出した内閣不信任案に対して、本会議を欠席して可決させてしまったのでした。1.のウにあたります。
大平首相は即刻衆議院を解散、総選挙を強行しました。奇しくも参議院選挙も行われる予定だったため、史上初の衆参ダブル選挙となりました。参院選での協力を計画していた野党チームは、最初から通らないことを見込んで提出した不信任案が、ハプニングによって、まさか通ってしまったことで大混乱。さらに選挙戦のさなか、大平首相が急死するという大ハプニングも発生。弔い合戦ということで一転、団結した自民党は大勝利を得ました。「ハプニング解散」とも呼ばれます。
D.平成6年宮沢内閣に対する不信任案
与党・自由民主党の最大派閥である竹下派が分裂し、その片方である羽田・小沢派が反主流に回っていたところに、野党から内閣不信任案が提出されました。自民党の反主流派は脱党して賛成に回ったため、不信任案は可決。宮沢喜一首相は、苦渋の選択の末総選挙を選びました。1.のウにあたります。
この選挙の結果、自民党は結党以来最悪の議席数となり、初めて野党に転落しました。一方、自民党を脱党したグループは、いくつかの新党を作り、それまでの野党と組んで連立政権を作りました。が、この政権は1年も持ちませんでした。
E.平成7年羽田内閣に対する不信任案
前年に成立した連立政権は、内部に対立をはらんでいました。そこで、野党に甘んじた自由民主党はチャンスとばかりに内閣不信任案を提出する構えを見せます。
連立与党側は、羽田孜首相率いる新生党をはじめ、日本新党・日本社会党・民社党・公明党・新党さきがけ・社会民主連合を合わせた過半数を得ていたはずでしたが、連立内で疎外感を深め閣外協力に交代していた日本社会党が裏切り、不信任案可決が確実になったため、羽田首相は不信任案提出前に総辞職しました。
こんな所です。おわかりいただけましたか?
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Ookouti tajima(Nakamura,Akihiro)