ともこの部屋>雑記帳
どうでも良い事なんだけど(2012.5.17)
生活費をおろしに銀行へ行った。
いつもながらATMを信用して数えずにそのまま帰宅。
鞄から取り出し… 何か違う!?
札束(?)が少なく感じた。
いつもと同じ額なのになぁ。。。
すぐに理由が判明。
全て連番のピン札だった。
たまぁに3、4枚連番の新品は経験したけど、こんなに大量(?)は初めて!
折り皺が無いのでピッタリくっついて、束が薄く感じたんだ(・o・)
ホッとした後、何だか幸運に巡り合えたような嬉しい気分に。
同じ額で価値は一緒なのにね。
ま、喜んだところで、ど〜せそのうち手許から去っていくんだが… (-.-)
母の日(2012.5.14)
その起源は、亡き母を偲び、母が勤めていた日曜学校の教会で記念会を開いた娘が白いカーネーションを贈った…
生きているうちに、子供たちに意識して貰えるなんて、なんて嬉しい日なんだろ (^o^)
遠く離れた息子からのデコメールが始まりだった。
今までは、「お母さんありがとう」だけなのに、「これからも頑張るよ!」の一言が嬉しい。
ダンナ様は、しゃがむことが出来なくなった私の代わりに家の廻りの草刈りをしてくれた。
娘は…車で出掛けたっきり… どこへ行ったのやら… 。
日も暮れて帰ってきて、いつもと変わらずの会話をし、家事を一段落した後に自分の机を見るとピンクの包みが!
開いてみてびっくり!涙が出そうだった。
いつだったか、娘と買い物に出かけた際、アルミの折りたたみステッキを見かけた。
今はこんなにお洒落なモノがあるんだねぇ〜、いいなぁ、これ。 と、それで終わっていた。
最近、名古屋まで出掛ける機会も増え、片道30分電車に揺られるのはつらかった。
来週も行く用事がある。
「これ、持っていれば優先席に気兼ねなく座れるでしょ?」
胸が一杯になったのは、それだけの理由ではない。
私の「いいなぁ、これ」を覚えていてくれて、その店に買いに行ったら売り切れ(他の柄はあったという)。
調べて貰い、他店にあると聞き、そちらに行くが、それだけが無かった。
さらに同系列の安城店まで車を走らせ、なんと最後の一つをゲットしたのだという。
私に似て極度の方向音痴の娘が、ナビ頼りに安城まで買いに行ってくれたとは!
帰りの遅い娘を叱らなくて良かった… (゚_゚)
もう、皆に助けられる歳になったんだなぁ。。。
今日は、早速ステッキの携帯用ケースを作った。
大事に、大事に使わせて貰うよ。
誕生日よりも何よりも、一番温かく篤い母の日が、こんなに有難く感じた日はない。
ホントはまだまだ杖はつきたくはない。まだ若いと思っているしね。
けど、今日も医者に言われた… 動くのもほどほどにしないと骨がもたんよ。
痛みが激しくなってきたのは筋力の衰えも一因あると言う。
ならば、筋トレをしよっかと提案したら、骨が傷みかねんからとあっさりと大量の痛み止めが出た。 (゚_゚)
う〜〜む、“将来的には” 「いいなぁ、これ」 だったのに、
やっぱり使えってことか… (゜_゜;)
貝から筍(2012.5.3)
息子が帰省し、全員揃ったところで潮干狩りに出掛けた。
十数年ぶりか、潮干狩りなんて。
時折、薄日が射す程度の曇り空で、暑くも寒くもない絶好の日和だった。
GW真っ只中とあって、すごい人出のせいか、貝の収穫はイマイチだったが、まあまあ楽しめた。
5人で掻き集めてバケツにようやく半分程度しかなかった。
それでも、我が家には潮干狩りは好きなくせに、貝が食べられない変なヤツ(旦那様)がいるので、充分だった。
私が幼少の頃は、よく母に連れられて潮干狩りに来たものだった。
母は浜辺の出身で、海岸沿いの在所に親戚中で集まり遊んだ記憶がある。
その母も、今は食事は一人分。
父は殆ど食事をしなく、医者から処方される栄養剤で凌いでいる状態。
「一緒に食べてくれる人がいないと、やっぱりこっちも食べる気が失せるなぁ。」
最近は質素な食事しかとっていないようだった。
そんな母にと、僅かではあったがお裾分けに持っていった。
案の定、もう数年は浅蜊は食べていないと言う。
昔ながらの味を楽しんで貰えたら良いな。そして父にもネ (^_^)
玄関先で母と話していたら、隣家の方がとりたての筍を分けてくれた。
新婚当時は主人の実家の隣の竹藪から、よく義母が筍を分けてくれたっけ。
世間知らずの私のために(?)あく抜きまでしてくれ、いつもすぐ調理できる状態で頂いていた。
今日、頂いたのは艶のある産毛(?)のような皮に包まれた、まさに取り立ての筍。
早速、邪魔な外側の皮だけ剥いで、あく抜きにとりかかって…
捨てようと思った皮を、つい見とれて写真に納めた。

筍ってこんなきれいだったんだぁ (゚o゚)
薄紫から茶色に向かってグラデーションがかかり、何とも言えない配色。
美しい!!
そして今夜は貝料理。
そうそう、旦那様には特別食をご用意致しましたっと。
自然の恵みを満喫した一日だった。 (^O^)
どっちが小さい(2012.5.1)
風薫る五月。
この季節は一番好きだなぁ〜。
我が家のハムスター君の寝方も変化が!
仰向けに寝るなんて!
… そ、そういえば…
今は亡き犬も仰向け寝が定番だったなぁ。特に夏場は…
これって自然界では有り得ない事? お腹を見せるなんてね。 (゚_゚)
この小動物の、堂々とした、デカイ態度には圧倒される。
かたや、私ときたら…
今なおくすぶり続ける合唱団団員の我が儘、不満に振り回され…
それをグチグチ言う団員に腹を立て…その心を修めようと必死で。
よう考えてみたら、こんなちっぽけの事であたふたしてる私って、
どれだけ小さいんだ!? (゚_゚;)
このハムスターのように堂々と構えていられないものだろうか…
遅い?(2012.4.18)
実家にてアルバムの整理をしていた。
長男が生まれた頃を綴ったアルバムがあった。
父に抱かれた満面の笑顔の息子。
そこに…
写真の隣にメモ書きが。
−−−−−
○○との命名は論語に由来す
論語(第十巻) 第一九 子張篇 六
子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣
その説く処は、学問するには博く何事をも学ぶように心がけ、得たる道は大事に心におさめて、これを行いにうつすようにしなさい。切実なる問題をただしたづねることに努め、何事も我が身近なる事と考えてゆくようにする、そこにおのずから仁徳が生れてくる
−−−−−
私の両親にとっての初孫であった長男だけ、父に命名して貰ったっけ。
今、初めて由来を知ったのだった。
まぁ、私がバカなせいである。
きっと、父はこいつに言ってもわからんだろう、と敢えて言わなかっただろうし、私も聞かなかった。
いや、私はあまりに自分とレベルの違うこの父を避けていたのだった。
自分のアホさを実感するのが嫌で。
私には三人の子供達がいる。
一番、立派な、素敵な名前はこの長男だったのだ。
その名付け親は、更に介護認定が上がり、今日はショートステイで看て貰っている。
今更…悔いた。
悔いてもしょうがないけど…。
でも、初めてかもしれない、こんな熱い思い。
「お父さん、ありがとう!!! その孫は今春、大学四年生になったよ。」
もう、通じないけど、でも通じなくてもいい、今度会ったら言ってみようっと。
そのメモ書きを母に頼み込んで譲り受け、持ち帰った。
そして傷まないようにラミネートして長男にあげよう。
…素敵なおじいちゃんの直筆のプレゼントを!
あれ?ひょっとして、長男の名前バレバレ? (゚_゚;)
桜(2012.4.7)
今年も桜の季節がやってきた。
まだ我が家の近所ではチラホラしか咲いていなかったが、乙川の桜は満開だった。
きれいだぁ〜〜〜 (゚o゚)
桜ってなんでこうも美しいんだろ。
ほんの僅かな日数しか見られず、
潔く散っていって、
そうそう、子供たちとの思い出(入学・卒業)も重なるんだなぁ。
一輪毎も美しいけど、木全体、はたまた辺り一帯の景色までが美しい。
丁度、桜まつりが開催されている時で、人混みの公園には近寄らず、少し離れた河川敷を散策してきた。
一人でじっくり桜を見るのも良いもんだ。
20分程楽しんだ後で友人と合流し、食事をしに行った。
結局、花より団子かよ… (^^ゞ
電話(2012.4.1)
このところ慌ただしい日々が続いた。
父も栄養補給(?)が功を成して(?)退院できた。
家に戻ると、以前の穏やかな顔に戻った。
何よりも嬉しかったのは、病院では嫌がっていたご飯を食べてくれたこと。
今までごめんね。もう大丈夫だよね。
久しぶりに休日をのぉんびり過ごしていたら…
息子から一本の電話。
「あ…、お母さん… 僕、やっぱり無理だった…。
大学、辞めようと思う… 。」
へ!?
一難去って、また一難かぁ。
取り敢えず、どう対応しようかと…
「どうした? 何かあったんか?」
少し間を置いて戻ってきた返事が、
「お母さん、April fool だよ(笑)」
・・・ !!!
してやられた。
こんなに見事に嵌ってしまったとは、情けない。 (-.-)
でも、お陰で今まで以上に陽気になれた。
そうだ、心の余裕まで失っていたんだなぁ。
ゆとりって大事だね。
何だか、一番有難い April fool だった。
当然、息子へは…
「このぉ〜〜〜! バカ息子ぉ!! くっそぉ!」
何か書かずにいられなくて(2012.3.28)
重たい話が続くが、許してね。
検査の結果、父は病気ではない事がわかった。
脱水症状がとにかく酷いだけ。
これにはホッとした。
そりゃ、飲食を断っているので当然だよなぁ。
普段の生活では、老齢の為、満足に動けず体力も使わないのでお腹も空かないのだろう。
もう数年前から食事は驚くほど少量しか食べていなかったし。
だからって…点滴で縛り付けるのは何の意味があるのだろう?
父に余計な苦痛を与えているだけに見えてしまう。
ふと、「自然死」という言葉が浮かぶ。
そしたら、母も同じような事を考えていたようで、
好きにさせ、好きに生きられるだけさせてあげたいんだけど…
食べたくないなら無理に押しつけず…
食べたい時に、飲みたい時に…
もう、高齢なんだから…
そしたら、その間隔が恐ろしく開いてしまって今の状態になっちゃった。
でも、これって人の道に反するのかねぇ?
医療行為を受けさせないと保護責任を問われて罰せられちゃうんだろか?
かかりつけの医者の紹介によって、即刻入院となってしまったけど、
そりゃ、医者の立場ではそうするでしょう。
でも、 … 父の立場は?
入院してから笑い顔が消えた父。
これで良いの?
生きる(2012.3.24)
健康ってありがたいと思っているのに…
この2週間は頻繁に実家に戻っていた。
父は飲食を受け付けなくなってしまった。
食べられない訳ではない。
食べないのだ。
体力は落ち、脱水症状になってまでも、水分もとろうとしない。
ついに昨日、入院となってしまった。
生きようとさえ思ってくれないのか?
点滴をしても、自分で取ってしまう。
テレビは見ない
本も読まない
音楽も聞かない
ただぼぉっと過ごす日々。
案の定、起きる力もなくなり入院となったのだが、強制的に点滴をしたら少しは体力も回復した。
…ら、 元の痴呆特有の症状が出る。
危ない足どりで病院内を徘徊する。
でも、食事は一切受けつけようとはしない。
一晩、様子を見て貰った結果、要付き添いとなってしまった。
母一人に任せては大変なので、日中は看護師さんにお願いし、目が行き届かない夜勤の時間を母と半々で受け持つことにした。
入院の際に、先生から母をはずして延命措置について訪ねられた。
高齢なので、今は元気に見えても何が起きるかわからない事、応急措置と延命措置の違いを説明された。
後で母にもそっと訪ねて欲しいと。
父の様子を見ていると、延命は可哀相にも思えた。
それ以上に母に楽になって貰いたい気持ちもあり、ほぼ私の気持ちは決まったが、母の気持ちを最優先したいと思いながら、母に聞いてみた。
母は即答で、延命はしないで欲しいと。
これは痴呆になる前からの父の願いであったことも話してくれた。
なんだか、とても寂しい時間だった。
こんな状態でも、いつまでも父は生きていてくれると思っていた私はドーンと胸を突かれた気持ちだった。
あらためて父を見ると、やはりもう生きることに疲れてしまったのだろうか。
今日も経口の食事は受けつけない。
無理にでも摂らせようとしてくれる看護師さんに、
「何の権利があってこんな事をするんだ!」
と怒る父。
母に、「あんたもそろそろ覚悟はしておきなさいよ。」と言われ、介護をバトンタッチしてきた。
・・・
健康一番(2012.3.6)
あの悪夢から半年。
ようやく事態は収拾に向かっているようだ。
昨夏、主人が倒れた。
検査してるうちに、動脈瘤、更には脳梗塞まで発見された。
それまでは6歳年上の主人にいつも頼り切っていて、子供や自分の体調の事ばかり考えていたのに、状況が一変した。
この数年で親、親族を次々に亡くしてからのダメ出しに気弱になってしまった主人。
この時から、自分がしっかりしなくっちゃ!と思わされた。
発見が早く、大事に至らなかったのは幸いだった。
それからというもの、主人の健康管理には気を使った。
いや、健康管理よりも気力を高めるのが大変だった。
何をするにも怖がるようになっていった。
そして昨日の検査。
徐々に良くなっているとはいつも言われていた。
これに加え、もう少ししたら近くの開業医に診て貰うようにもなれそうだと。
その言葉は快方に向かっている実感に繋がったようだ。
もはや、今は健康は当たり前の事ではない。
お互いにそんな歳になってしまったんだなぁ。
自分の事でも、本当はビクビクして過ごしていたのが、それどころではなかった半年間だった。
とにかく嬉しかった。
やっぱり家族皆が健康が一番! (^o^)
目途はついたけど(2012.3.1)
何とか逃げ切れた。良かった良かった \(^o^)/
いつもお姉さんのように慕っている方が引き受けてくれた。
と喜びたいところなんだけど、受けた傷は大きいかも。
そもそも逃げた理由が、私は人間が小さく、人格的にも問題があり、寛容な心もない。
団員の我が儘にキレてしまう。
意見を集約し運営してくなんて出来るはずもない。
皆が逃げる理由として、仕事の大変さもあると思えたので、まず仕事を役員で分担し負担を減らすことを提案していた。
言った以上は、少しでもそうなるように働きかけてみた。
今まで「やりなさいよ。全力で助けるから。」「大丈夫!」「相談にのってあげるから。」と優しい声をかけてくれた方たち。
同じ役員なのだからその大変さも分かって貰えてると思い込んでいた。
結果は即答!「ダメです!」
要するに… 皆さん文句はあれこれ言うけど、自分では何もしたくない。
自分に関係ないことだから、人を簡単に祭り上げてしまうってことなんだな。
信頼していたはずの人が、急に遠くなった。
これで意志は決定的になった。
受けなくて良かった!
今後、話がきても絶対受けない。(これは宣言します!)
苦労するのは目に見えているもの。
それでも、身代わり(?)に受けてくれた方を、出来る限り支えようと思う。
せめてもの恩返しに…
ここで疑問。役員の人数が1/3を超えてるってどういうこと?仕事の割に人数多すぎない?
ってここだけの個人的な愚痴。もう上役の方に愚痴るのは辞めた。
ただでさえ大変な思いをしているのに、これ以上難題を被せる気持ちは消えた。
どうせ皆動いてくれない事がわかったから。
やっぱりこの合唱団は好きにはなれない…
何とまぁ(2012.2.24)
面接試験じゃないけど…
とにかく逃げたい一心で、自分のダメなところをアピールしまくってた数日間。
そしたら出てくるわ出て来るわ。
そうだよなぁ、私ってこんなに嫌なヤツなんだ…と改めて気付く。
そしたら、勝手にドツボにはまり、落ち込んでいく…
余計に自分はダメなヤツという確信が出来て、ますます必死の逃亡計画を練る(?)。
ちょっと疲れてきて、間をおいて客観的に振り返ってみると…
私って何て面倒くさい人間なんだ!
と、笑えてきた。
って事は、もう既に他の方もそれを気付いてくれているだろうな…
最後はそこに期待しよう!
自分で自分が嫌になるって今週ほど思った事は無いかも (._.)
ありがとう(2012.2.24)
言いたい放題な私だが…
合唱団の皆さんには感謝している。
期待が大きい分、挫折感が大きくなってるんだろなぁ。
お一人お一人を見れば良い方ばかりで、随分助けられている。
こと練習になると私はその気持ちが吹っ飛んでしまうんだろな。
もっとこうあって欲しいという要求が強すぎるのかな。
実際、大曲をやれる処といったらここ位しかない。
だから余計に素晴らしい演奏を奏でられるようになって欲しい。
文句や愚痴は下っ端だから言える。
そうやって私はいつも不満をぶつけて上の方を悩ませてきた。
どうせ聞いては貰えない…と半ばあきらめながら。
それが一種の自分の精神の均衡をはかる手段だったのかも。
ところが、、、
聞いてくれた! 声は届いていた。一部改善してくれた。
あらためて団長、副団長にお礼の気持ちで一杯だ。
と、喜んでいたら…
何か、仕返しがきそうな予感。。。 (゚_゚;)
読みが甘かった。
意見を言う時は、代案を立てて…それで良いと思っていた。
モノ言う時は、もっとも〜〜〜っと先を読めってことだった。
要するに、人間が出来ていないヤツは偉そうにモノを言ってはいかんという事だ。
迷路にはまったような、出口を探し続け彷徨っている状態。
あらためて自分の小ささを実感する。
それでも、言った内容には後悔はしていない。
だから今、ありがとう!と上役の方に感謝の意を告げたい。
だから… 許してっ (((((((・・;)サササッ
ごめんなさい、殆どの方は何の事かわかりませんよね。自分の気持ちを表現したかっただけっす。
演奏会を終えて(2012.2.20)
毎度の事ながら、「やったぁ!」という達成感はなく、「終わった…」という不完全燃焼の気持ちを抱く。
いつもは他の団員さんに自分の割当分のチケットを全て回していたのに、今年は少し配ってみた。
それは、こんな状態で聴きにきて貰いたくない、という思いが抜けないにしても、それでも率直な感想を聞きたいと思ったから。
帰宅後、お礼と共に感想を探ってみた。
戻ってくるのはお褒めの言葉ばかり。
でもね…正直、嬉しくなかった。
何故って、、、 自分が納得できていないから。
頭の上を霞んでいく感想。
これで良いのだ、と思えない。
練習は最後の最後まで不満だった。
昨年には、一部の団員のあまりの身勝手さにキレた経緯もある。そのしこりは消えていない。
明日は反省会。
…とは名ばかりの、お友達の感想発表会。
結局、歯の浮くような言葉に踊らされ、皆、満足するんだろうな。
なんか…
ヤダ
仕事から離れ(2012.2.12)
廃業して2年経つ。
いや、廃業届を出して2年。実質はモニタが壊れるまで内職みたいな事をしていたので、1年3ヵ月位かな。
今は名実共に専業主婦となっている。
もう、仕事とは無縁の生活にも慣れた。
先週、珍しい電話が入った。
聞いたことある社名、お名前 …えっとぉ … 思い出すのにちょっとの間を要した。
それは十数年も昔のお客様だった。
いきなり仕事の話。
「もう廃業しましたので、すみませんが、他を当たって下さい。」と即答して逃げた。
初期の頃はサイトを立ち上げてのネット上のお客様が殆どで、地元に目を向け始めた頃のお客様だった。
地元といっても名古屋。
ネットは便利だけど、やはり対面できる方がよかった。
じきに市内での固定客がつくようになり、疎遠となった。
だからすぐには思い出せなかった。
即答で断れたのは疎遠だったせいもあるが、自分の中でも仕事は断ち切れたんだと思う。
廃業後、ダラダラと情が移って仕事をし続けていた頃とは違う。
中途半端な状態でできるモノではない事は理解している。
自分の気持ちの中でも、「仕事をしたい」という気力が失せていることに気付いた。
そういえば当時は仕事最優先だったよなぁ。子育て、家事よりも。(なんて親σ(・_・)だ)
仕事自体が楽しかった。勿論辛いことも多かったけど、でも仕事が好きだった。
そんな回想を、電話を切ってから暫くしていた。
それでも… 私の事を覚えていて貰えた事は、正直、嬉しかったなぁ。。。 (^_^)
あれ? いや、今の状態は専業主婦であっているのかな? …ま、そういう事にしておこっと。
一応は、せっせとこづかい稼ぎをしている身でもあったりして…
いつかそのうち(2012.2.4)
衝動買いで、「いつかそのうち使う時が来るだろう…」なぁんて思いながら、つい購入してしまう事がある。
昨年のバザーで目にしたのが圧力鍋。
市販品では数千円〜一万円以上はするだろう。
そこがバザーの魅力・仕入れタダ(寄贈品)の良いところで、千円もしないで買えるとしたら…
購入したのは良いが、ずーっと台所の片隅で眠っていた。
まず、その訳が、使い方が分からなかったこと。
パッケージしてあり、開封できなくて中味を確認できなかったので取説の有無なんて想像もしていなかった。
値段につられ、必要なモノでなく、いつかきっと!の部類だった。
しかもMade in Italy。
どこを見てもシールにしろ日本語は見当たらない。
多分、取説が付属していたところで、私には読めない(理解できない)だろう。
年齢を重ねると、冒険心も薄れ、挑戦することすら億劫になる。
まあ丈夫な鍋としてはそのうち大活躍してくれるだろう…と。
それが、台所の整理をしていて再び目に止まったのだった。
どうみても未使用品。ピッカピカ。こりゃ使わなくちゃもったいない。
このところのエコブーム、ようやく試してやろうじゃないの、という気持ちに。
ネットで圧力鍋を検索し調べてみると、メーカにより使い方(時間)が違うようだ。
とりあえず一番短い時間を目途に、徐々に時間を増やしていこうと挑戦してみた。
結果は、圧力をかけるのはその最短時間(5分)で充分だった。
短時間で、煮くずれることもなく、いつもの自分の煮物の仕上げよりは上手くできた。
いつも数十分かかっていた料理が、なんてあっけないこと。
なぁんだ、こんなことならもっと早く使えば良かった。
数百円の買い物だとしても、使わなかったら高い。
これからは、どんどん働いて貰おう>鍋さん。
う〜む、我が家にはこのパターンで日の目を見ないモノがゴロゴロありそうな予感… (゚_゚;)
母の色に(2012.1.27)
このところ実家に行く度に服が増える。
父の介護でもう着ないだろうと、動きにくい服や辞めてしまった趣味用の衣裳等を、母がくれるのだ。
私と母は背丈も体型もよく似ており、着回しが効くようだ。
最初は戸惑ったのだが、これが意外!思ったより若々しい服を持っていたのだ。
そうだよなぁ、父の介護が要るようになるまでは盆と正月しか帰らなかったので、普段何を着ているかなんて知りもしなかった。
それは私がいつも着ていたモノとは、かなり趣が違っていた。
親子の年令差だしねぇ(当然かぁ(^_^;) )
子育てが始まって以来、私は洗濯機でジャバジャバ洗える服しか着なかった。
Tシャツにトレーナー、ジーンズのスカートが定番だった。
まぁ元が元なんでお洒落には縁遠かったしねぇ。
ところが、ここで新発見。意外と良いかも!?
ブラウスやワンピース…これが暖かい。
となると、これに合わせて自然にいつものジーンズから、違うスカートに変更。
娘からも「最近イメチェンした?」なんて突っ込みが入った。
暖かいだけでなく、母の着ていたモノであるという何だか心がホッとするような感触もあるんだなぁ。
私の実態をご存知の方は、気付きました?
私は母色に染まりつつあるのかも。
しっかし… 同時に貰ったステージ用のド派手な衣裳だけは…
どうすりゃ良いんだ? … (゜_゜;)
何とか(2012.1.17)
演奏会を終えた。
やばかったぁ〜。
演目で親の死をめぐる子の心の葛藤を描いた曲があるのだが、親と先日亡くなった犬が重なって歌えなくなってしまった。
なんてレベルの低い私(゚_゚;)
一番のクライマックスで声が出なくなってしまう。
「無理さ、無理だよ… 泣くなと言っても… ダメだ、そんなの 絶対ダメだよ…
だって…だって… ママは死んだんだ」
子供の気持ちが胸に突き刺さってきて、自分とリンクしてしまう。
このヤバさは当日のリハーサルでも。
演奏会に対しての不安は常に付きものだったが、それは観客を不快にさせないだろうか、とか、きちんと仕上げることが出来るだろうかとか、少し客観視している不安が多かった。
それはそうだ、いつも直前の練習で「これで他人に聴かせられるの?」という思いを引きずっていたから。
でも、今回は質が違う。自分が周りに迷惑をかけている。
焦れば焦るほど、どうしようもない自分が情けなかった。
ここで皆に迷惑をかける訳にもいかないし…
気持ちを込めて、のはずが、とにかくサラッと私はアンドロイドになりきろうと試みた。
ホントはいけないんだけど、何も考えるな!と自分に言い聞かせた。
ここはp、ここははっきりと、はいここで徐々にcrescendo、ここは…
ってなふうに、曲想を捨て、頭の中でそれだけを考えるようにして歌ってみた。
そして臨んだステージ。何とか声は出せた。
全く感情を込めない歌ってどうなんだろね。
先生、ごめんなさい!!(m_m)
一番いけないことを率先してやった自分。
この日ほど、フォローしてくれる皆がありがたいと思ったことはない。
合唱は良いネ (o^^o)
さあ、来月は合唱団の演奏会。 う〜ん、こっちもやばいぞ。
年明け早々(2012.1.3)
昨秋から我が家の老齢犬は調子が悪かった。
12月も半ばに入る頃には目も見えず、立つことも出来なくなっていた。
それでも食欲は旺盛で、声だけは元気だったのに、さすがに年末にはその元気すら薄れていた。
夜通し、か細い声で呼んでいた。
傍にいると安心するのか、おとなしく寝てくれる。
大晦日は一番つらそうだった。
何とか年を越させてやりたい。
頑張れ!
そうして元旦を迎えた。
…一緒に迎えられたが、苦しそうだった。
元旦は、外出する予定があった。
でも、
もう、頑張らなくて良いよ…
と、後ろ髪をひかれる思いで別れた。
帰宅した時、とても安らかな顔をして寝て(?)いた。
4年前のラブちゃん(ラブラドールレトリバー)が亡くなった時は、とても悲しくて「おい、起きろー!」と何度思ったことか。
だけど、今回は不思議な程、安堵の思いがあった。
やっと楽になったんだね。
今までよく頑張ったね。
ひとつ悔しかったのは最期の時に一緒にいてあげられなかった事。
だけど… あの安らかな顔で再会できた事で救われた気がした。
子供たちを幼少の頃からお守りをしてくれた犬。
冬期休暇で家族全員が揃った時に、旅立てたのは良かったのかな?
そう思うことにしよう。
家族全員で「ありがとう」をこめて、今日、ラブちゃんの隣に連れて行った。
今頃、かつてのように2匹で走り回ってるんだろうか…
明日からは家族もそれぞれの生活が始まる。
新たな一年の始まり。
それにしても1月1日が命日なんて、なんて大胆なことをしてくれたのだろう。
絶対に忘れられないよ…
謹賀新年(2012.1.3)
昨年は何だかんだ色々な出来事がありすぎて…
衝撃的な年だった。
東日本大震災、タイ洪水…いずれも家族の仕事には大きな影響が出た。
あまりに大きな事が起こると、何気ない日常のささやかな幸せを感じる事ができた。
あたりまえに思っていた事が、そうでない事に気付かされる。
そんな思いで新年を迎えられたのは、ある意味良い事なのだろう。
このサイトも数年前から思いっきりローカルな限られた内容になっているが、気楽に続けられるまで書こう。
無理と思う、その時まで。
本年もどうぞ宜しくお願いします。 m(__)m

