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| U駅から市内巡回バスに乗り大きな川沿いの通りを経て住宅街に入る。双子の様に似通った建て売り住宅の並んだ街や、団地やマンションの中の道を抜け、大通りに出て二つ目のバス停「東堂学園寮前」でバスを降り、そこから続く緩やかな上り坂を7、8分程行くと、塚森山と言われる小さな山を背景に白い大きな建物が見える。 それが私立東堂学園である。 〜水曜日〜 「あ、わりぃ 」 白い背表紙の本を取ろうと伸ばした手に他の手が当たり、間髪入れずにバリトンのいい声が少し右上から降ってきた。すでに本の角に当たっていた桐島の指はそのまま手の中に目的の本を落とし込む。一呼吸置いて声の主の方に顔を向けた。 声の主は本の動きを追ったのか、桐島の手の中に視線を向けている。カラーを外した学ランの襟には同学年であることを示す濃い緑の組章が見えた。 「先、いいよ 」 桐島がそう言って本を渡すと、相手は驚いた顔をした。 「いいのか? 」 「いいよ。急いでないから 」 無表情にそう言って相手に背を向ける。そのまま別の本の物色を始めた桐島の背中に「わりぃな、サンキュ」と言う声が聞こえ、少しの間をおいて椅子を引く音がした。 桐島はその音を聞きながら (あれが読めるのは来週だな……) そう心の中で呟いた。あの相手とはクラスも違うし、友人でもなければ知人でもない。向こうは桐島の名前も知らないだろう。しかし桐島の方は相手の事を知っていた。 高橋勇輔。2年A組。成績は常に上から10蕃までに入るが、1番を取った事はないらしい。スポーツ万能でこの情報だけを見ると優等生タイプのようだが、教師が思わず声を大きくするような悪戯はだいたい高橋から始まる。男臭い顔立ちは端正と言うには少し遠いが恰好良い部類に入るらしく、男子高の筈なのに何故か他校の女子生徒で形成されたファンクラブがあるという話だ。 所謂、校内の有名人と言うやつだが、桐島が彼を知ってのは彼が目立つ生徒だからではない。高橋が図書室の常連、ただし水曜日のみ、だからだ。 桐島は本が好きだ。いや正確には文章を読むのが好きだ。状況が許せば車の中だろうと風呂場だろうと本を開く。ただ母親を早くに亡くし残業でいつも帰りが遅い父に代わって弟達の面倒を見るのは長男である桐島の役目で、家ではゆっくり本を読む時間はない。帰って食事の支度をし、風呂を入れる。父が帰宅するまでの間に翌日の予習などをし、父が帰り食事を終えると食器を洗って休む。休みの日には纏めて掃除と洗濯もしなくてはならず、最近は中学生になった上の弟が手伝ってくれるので大分楽ではあるが、それでも自分の為の時間など皆無に等しかった。仲の良い家族ではあるし、その暮らしに不満があるわけはないが、それでも時折やり切れなくなることがあり、苛々を溜めて大爆発するよりはと全校下校時間が来る17:30までの間、図書室で本を読むことを桐島は自分に許していた。 図書室と言う場所は会話の少ない場所だし、用事がないと利用しない人の方も多いのでここで友人が出来ることは少ない。それでも桐島のように毎日通っていれば常連の顔は覚える訳で、毎週水曜日にいつも桐島が座る窓際の席を陣取ってしまう高橋は嫌でも顔を覚えた。顔を覚えて少ししてからあれが有名な高橋だと知った。 個別に識別してしまえば、その相手の本を読むペースはだいたい予想がつくし、高橋の場合は借りた本を翌週別の本を借りるときに一緒に返すので、次に桐島があの本を手に取る事が出来るのは来週以降と言うことになる。 (まぁ、どうしても読みたかった訳でもなし……) 手を伸ばした本を読むことを諦めた悔しさを宥めるように心の中で呟いて別の本に手を伸ばす。そのまま最初の数ページを読んでからいつも座る席とは斜向かいの一番通路側の席に座った。文字の世界に耽溺してしまう前に高橋の方に視線を向けると、向こうも真剣な顔で活字を追っていた。桐島は小さく息をつくと視線を本にやり、そのまま文字の世界に沈み込んだ。 胸ポケットに入れた携帯が小さく振動して後5分で全校下校時間が来ることを告げた。本に栞を挟んで立ち上がる。桐島は読み終えることが出来なかった本を借り出すことでキープしている。手続きの為にカウンターに向かう前にさりげなく高橋の本の方を見た。高橋も本に栞を挟む所で、読み終わったであろうページ数をその紙の厚さからチェックして桐島はまた小さく溜息をついた。 (やっぱ、早くて来週……下手したらその次の週だな……) 流行り物だから読んでおこう程度の本だったが、なかなか読めないとなると惜しい気もしてくる。自分で譲ったとは言え何とも微妙な気分で歩いている桐島を高橋が大股で追い越していった。後ろから様子を見ていると、案の定本を返すついでに先ほどまで読んでいた本を借り出している。 (あーあ……) 桐島は心の中でもう一度溜息をついてから、カウンターに行き借り出し手続きを始めた。 教室に鞄を取りに寄った高橋が寮の門前のバス停に着いたのは下校時間から15分ほど過ぎた頃だった。下校時間まで残る生徒は少ないのか、バス停には数人しかいない。その待ち人達を見るともなしに見ながら寮の敷地に入ろうとした高橋は違和感を感じて足を止めた。 列の一番前には本を読んでいる生徒が一人いて、その生徒から少しはなれて3、4人の生徒が団子の様に固まっている。その固まっているのが少々性質の悪い、所謂不良と呼ばれる連中であることに気付き少し立ち位置を変えた。予想した通りその真ん中にいる小柄な生徒が涙目になってるのに見える。 (カツアゲ……馬鹿か、あいつら……) 人通りのある所でそんなことをする馬鹿はいないから、これから人気のないところに連れ込むつもりなのだろう。後ろの事に気付かず本を読んでいる生徒を警戒するようにじわじわと動き始めている。 高橋が心の中で舌打ちをして、そちらに向かおうとした時に本を読んでいた生徒がふいに顔を上げた。自分の背後で起こっていることに気付いたらしく、遠目にも眉を顰めているのがわかる。 (あ、馬鹿、よせ……) その生徒は本を閉じると、自分の後ろに立つ生徒達に近づいた。案の定、小柄な生徒を取り巻いていた一人に威嚇をされ躊躇うように足を止める。180cm近い長身の高橋から見れば少し小柄に見えるその生徒はそれでも小さくはないだろう。しかし見るからに温和な顔つきで、むしろ今囲まれている生徒同様、餌食になるタイプだ。見ていると案じた通り、腕を掴まれている。 (心意気は買うけど、無理……) 心の中でもう一つ舌打ちをしてから、高橋は自分の腕時計を見た。時間を確認し、そのまま大きなスライドで前方の集団に近づいていく。本を読んでいた生徒が近づいてきた高橋に気がついて驚いた顔になるのと、高橋が不良達に声をかけるのはほぼ同時だった。 「何やってんの? 」 少し離れた所から大きな声で言う。高橋に気がついた連中がぎょっとした顔を向けるのを見てニヤリと笑った。 「なんか楽しそうじゃん? 」 言いながら被害者の二人を確認する。囲まれている小柄な生徒は襟に深紅の組章を着けており1年生であることが知れた。本を読んでいたほうは高橋と同じ2年であることを示す緑の組章が見える。2年生の方は高橋の顔を少し心配そうな顔で見ていた。そちらに向かって目で時刻表を見るように合図をする。相手が訝しそうにな顔になるのに少し苛立ちながら不良達との会話を続けた。 「可愛い1年坊主とどっか行くのか? 」 言いながら一歩近づくと相手は一歩下がる。数では向こうが多いが、体格は高橋の方はずっと良く、運動神経の良さは知れ渡っている。更にこの手の連中を嫌っており、1年の時に一つ上の学年の先輩とタイマンを張って勝ったと言う話も知れ渡っているので、この手の連中は高橋を避ける傾向がある。その不良連中に押される形で後ろによろめいた2年の生徒は何かに気付いた顔になった。そのままじりっと歩道の端の方に寄っていく。 (よし、オッケー。後はこの1年坊主……) 心の中で呟きながら更に不良の方に近づいていく。 「そんな逃げることないじゃん、どこ行くの? 」 「いや、この近くに美味いクレープ屋があるからさ、部活で腹も減ってるだろうし奢ってやろうと思ってさ。」 獲物の内の一人が逃げ始めた事に気付いた不良の一人が舌打ち混じりに返事をする。その代わりに1年の方は逃がすまいと、仲間の方の一人が強く腕を掴んだのが見えた。 (まずいな……) そう思いながらじりっと1年を捕まえている奴の方に近づく。そのことに気付き他の連中が仲間を守るように動く。 「へぇ?どこ?モリタ屋?あそこ5時までだぜ。それに……奢らせるの間違いなんじゃねーの? 」 わざと挑発するように言うが今度は向こうが相手にしない。 (こりゃ殴り合いしかないか……) そう覚悟を決めたとき、バスのエンジン音が聞こえた。シュウッと言う音がして巡回バスが止まり、扉が開く。降車口から吐き出された人の幾人かが高橋達の方を見て眉を顰め避けるようにして足早にその場から去ってゆく。 (てめぇは早く乗れっ ) 高橋は歩道の端に移動していた2年に向かって心の中で叫ぶが、その生徒はどういうわけか動かない。バスの降車口の方と目の前の乗車口を見比べている。 (このアホぉっ、何やってんだよっ) 降りる乗客が全て降りてしまい、このままじゃバスが出ると焦った高橋が自棄になって相手のリーダー格ぽい奴の腕を掴もうとした瞬間にその2年が動いた。素早く本と鞄を小脇に抱え1年の腕を掴んでいる奴の膝裏を蹴っ飛ばす。そいつが思わずよろけて掴んでいた腕を放すと代わりにその腕を掴んだ。そのまま1年を引きずるようにバスに駆け込んでいく。 (おしっ、ナイス! ) 「あっ! 」 高橋が心の中で快哉を上げるのと不良達の声は同時だった。思わず後を追おうとした連中の腕と襟首を今度は高橋が掴む。 「美味いクレープ屋って何処だよ?教えてくんない? 」 言いながらバスから引き離すように引っ張る。 (早く閉まれっ) 高橋の心の声に応えるようにバスの扉がシュッと言う音と共に閉まった。そのままスムーズな流れで出発する。 「てめぇっ! 」 獲物に逃げられ激高して詰め寄る不良達を高橋は鼻で笑った。 「あー、なんか邪魔しちゃった?悪いね。 」 言いながらバスの方に視線を向けると、一番後ろに例の2年が立っていて少し心配そうに高橋の方を見ている。そちらに向かってにやっと笑って見せるとその心配そうな顔が少しホッとした顔になり、それから慌てたように顔を背けた。 (なんだぁ? ) その様子に少し疑問をもったが、高橋がバスの中に向けた笑みを自分達への嘲笑と取った連中が殴りかかって来て、やり返している間にその疑問も消えてしまった。 3対1の殴り合いに勝利して「覚えてろっ」と言う不良達の個性のない捨て台詞に手を振ってから寮の敷地に入る。一度部屋に戻ってからまた来るのも面倒とそのまま食堂に行くと、クラスメートの水木がこちらに向かって手を振った。 「相変わらずやるねぇ。」 からかい混じりに言葉に「見てたんなら手伝いに来い」と返しておいて、乱暴に鞄を置き、食事を取りに行く。大盛り飯の丼と生姜焼き定食をトレーに乗せ席に戻ると水木の前にどかっと座った。 「全く、なんであんなバカなことばっかやるんだか……」 言いながら大きな口を開けて飯を口に運ぶ。その様子に水木が苦笑した。 「そんなん、俺に分かるわけないっしょ。ついでにそれ言っちゃお終い。」 言いながら缶のココアを口に運ぶ。 「あれを恰好良いと思ってるか、じゃなきゃ自分でも分かってないんだよ、あーゆーのは……でも……またファンが増えるねぇ。」 言いながらにやにやと笑う。 「だぁほっ、野郎のファンなんぞ、嬉しくないわい。」 高橋は机の下で水木の足を蹴ってから溜息をついた。実際去年はの2月は何故か下駄箱に大量のチョコが入っていて閉口した。そのことを知っている水木は面白そうに笑っている。 「高橋は女のファンもいるけどね……でも……」 机の下で高橋の足を蹴り返しつつ水木が少し真面目な声で言った。 「あいつら、ちょっと面倒かも。根に持つし、ちょっと見境ないらしいから暫く大人しくしときな。」 「俺はいつでも大人しい……でも、それ絡まれてた連中にも言ったがいいかな? 」 少し眉を寄せて考え込む。 「さぁ?獲物の方には執着しないと思うけど……何、知ってる奴だったん? 」 「いや、知らん。知らんと思うが……片方見覚えがあるような……」 水木は眉を寄せて考え込む高橋を横目で見ながらココアを飲み干した。既に食事を終えていて空になったトレーを持って立ち上がる。 「ま、同じ学校の生徒だし、気になるなら見かけたとき言えば?ほんじゃ俺は行くから。」 そう言ってひらひらと手を振る。この友人なりに心配してこの事を言うために食堂に残っていたと気付いた高橋は「おう。」と片手を上げて応え、そのまま食事に没頭した。大人しくしておくと言っても周りから絡んできた場合どうするか、そんな事をつらつらと考えながら食事を終え部屋に戻った。 20年ほど前に立て替えられたと言う寮は全室個室になっている。簡易キッチンとユニットバスのあるロフト付きの四畳半で高校生の寮生活としてはかなり優雅な部類に入るだろう。高橋は鞄から今日図書室で借りた本を取りだすとロフト部分に登り、備え付けのベッドに寝転がった。 高橋が本を読むようになったのは高校に入ってからだ。普段はバイトをしていて、寮に戻るのは10時過ぎだし、部屋に戻るとすぐシャワーを浴びて寝てしまう。バイトの休みは日曜日と水曜日で、以前は日曜はともかく、バイトのない水曜の時間を持て余していた。しかし1年の終りに古文の課題の為に図書室に行き、目的の現代語訳の本と一緒に書名に魅かれてなんとなく借りた旅行のエッセイを読んでから嵌まった。急に本を読み出した高橋を水木などはあからさまにからかったりしたが、本を読むこと自体を邪魔することはなかった。 「好きな趣味が見つかってよかったんじゃないの? 」 といつだったかふっと言ったことがある。この1年の時からのクラスメートは、どこか高橋と似たところがあり、バイトをしていない時は苛立ったように寮の敷地内をうろうろしていた高橋を少し心配していたようだった。 「ちょーっと意外だけど、ケンカが趣味になりそうな顔してた以前よりマシだよね。」 その言葉にはいつも通りのふざけたパンチを返しておいたが、水木の危惧は間違いのないものだったと思う。食事の時は不良達の行動を「馬鹿」の一言で片づけたが、彼らと同じになる要因を高橋自身も持っている。だからこそ腹も立つのだ。 別段、本を読むようになれば他人に向きがちな攻撃性が抑えられるとは思っていない。ただ何処に向けていいのか分からなかった自分の中のもやもやした何かの行き先を高橋は見つける事が出来た。今は読書を言う形を取っているが、高橋は本当は旅をしているのだ。筆者が見た風景を自分の中に見つける。そうすることで旅に出る。多分学校を卒業し、自由に旅に出られるようになれば、高橋は今ほど本を読みたいとは思わないだろう。だから高橋が読む本は旅に関する物ばかりだ。今日借りた本も、この学園の卒業生が書いたと言うもので、今校内で流行している。 そのバイクでヨーロッパを横断したという旅行記を読みながら、高橋はバス亭での出来事を考えるでもなく考えていた。 人には出来ることと出来ないことがある。高橋などはケンカにも慣れているし、痴漢だの、ゲーセンで絡んできたやつの対処方なども良く分かっているが、多分今日絡まれていた二人はそういう物とは無縁の生活を送ってきたのだろう。1年の方は寮前なのだから大声を出せば誰かしら出てくるのに、為す術もなく引きずられそうになっていた。それは2年の方も同じで、馬鹿正直に一人で不良の方に行って絡まれている。1年を助けようと言う心意気は認めるが、一緒に絡まれていては意味がないだろう。そこまで考えて高橋はふっと笑った。 馬鹿で無謀な奴だとは思うが、そういう何処か一本気な無鉄砲さを高橋は決して嫌いではない。 (大人しそうな顔してたけど、意外といい蹴りしてたしな……) 必死な顔で1年の腕を引っ張ってバスに駆け込んだ2年の方の顔を思い出して、高橋は少し眉を顰めた。どうも見覚えがあるような気がする。同じ学校の生徒だから、多分校内のどこかで見かけたのだとは思うのだが、妙に気になる。どこで見た顔だっけ、そんなことをぼんやり考えながらページを繰っていたら不意にこの本を手に取った時の事を思い出した。 (あ……あいつ、この本譲ってくれた奴………) 高橋は思い出してスッキリすると同時に少しおかしくなった。 (お人好しで無鉄砲かよ……) 図書室にいたとき、何度か相手がこちらを見ていたことには気付いている。今人気の本だ、次は何時手に取れるかと考えていたのだろう。 (譲んなきゃいいのに……馬鹿な奴……) 本の内容とは関係なく、くつくつと笑いがら高橋は読書を続けた。 |
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続く
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