お題(2)
読書中

   〜木曜日〜

 桐島は図書室に備え付けのロッカーに鞄を入れながら小さく息をついた。昨日から落ち込んだままだ。
(なんだかなぁ……)
 昨日逃げ込んだバスの中で心配になり後部座席まで行ってバスの外を見た。高橋の武勇伝は知っていたが、多勢に無勢だ。足手まといでも自分は残ったほうが良かったろうか、そう思っていると高橋がこちらを見ていた。桐島と目が合うとニヤリと余裕の笑みを浮かべる。それに最初はほっとして、次の瞬間どうにもやり切れない気分になった。
 同じ男なのに、と思う。
 桐島だって高橋ほど大柄ではないにしろ、小柄と言う訳でもない。運動神経だって普通だ。だが喧嘩はしたことがない。ああいう場面で誰かを見殺しにしたことは一度だってないけれど、暴力沙汰になったこともない。駅であれば駅員が来るし、そうでなければ誰かが警官を呼ぶ。意識してやっている訳ではないが助けが来るまでの時間稼ぎをしている形になる訳で、そのことを少し情けなく思ってはいるけれど何もしないよりマシ、と居直っていた。しかし今回は助けに来たのが同学年の奴で、桐島自身も相手に助けられた形だ。そのことに少しめげていた所に、始めは怯えて言葉もなかった1年が「高橋さん、一人で大丈夫でしょうか」と言い始めた。高橋のことはその1年も知っていたらしい。
「喧嘩も強いって話だから大丈夫だと思うよ。」
 微妙な気分のまま、1年を落ち着かせる為に言ったが「でも……」と心配そうにバスの後方を見ていた。その様子が高橋を置いて一緒に逃げた自分を責めているように思えて、桐島は更に落ち込んだ。その落ち込んだ気分のまま家に帰り着けば、その日に限って下の弟達が大喧嘩をしている。上の弟が仲裁しようとして逆に喧嘩に加わってしまい、その仲裁をしているうちに作っていた夕食を焦がしてしまった。どうにもやり切れない気分のまま父の帰りを待って寝たのだが、今日提出の課題があったのを今朝起きてから思い出し、適当な朝食を作ってからぎりぎりまで課題をやって遅刻寸前に登校した。休み時間も全て費やして課題を終わらせたのに、肝心の教師が夏風邪で休みで期限は翌日に持ち越しになった。
 まさに踏んだり蹴ったりの一日と言う奴で、溜息を付きながら魂の休息を求めて図書室に向かおうをしたら今度は担任の阿部に呼び止められた。日本語を喋っているのにまるで英語を喋っているかの様な聞き取りにくい担任の言葉を翻訳すると、図書室に行くのなら明日の授業で使う予定の本を借りて来いとの事だった。桐島の図書室通いはクラスでは有名だし、担任は今日の小テストの採点で忙しいとかで断るに断れず、本日の読書時間の目減りも確定した。
(あーあ、もう………)
 心の中で何度も溜息を付きながら目録の棚まで行き頼まれた本がどの書棚にあるか調べようとした。しかしいくら探しても目的の書名が書かれたカードが見つからない。
(何で?まさか、ない本なんじゃ……)
 昨日からの不運続きを考えればありえない話じゃない。そう考えながら貸し出しカウンター越しに司書室を覗き込む。いつもならカウンターに待機している図書委員はおらず、司書の嶋田が背中を丸めて何やら段ボールに詰め込んでいた。
「……すみません。」
 その丸い背中に声をかけると満月のような顔の嶋田が桐島の方を振り返った。
「おう、返却か? 」
 そう言いながらどすどすとカウンターにやって来る。
「いえ、そうじゃなくて、この本、図書室にありますか? 」
 そう言いながら担任から預かったメモを見せる。
「この字は……阿部先生か……」
 メモを見て笑いながらパソコンの前まで行くとカタカタとキーボードを叩いた。
「なんでお前が阿部先生の本、探してるんだ? 」
 そう言いながらマウスをかちゃかちゃと動かしている。画面に顔を近づけて「あちゃ」と呟くのが聞こえた。
「なんか今日忙しいみたいで、明日使うから先生の代わりに持ってこいって言われたんですけど……ないですか? 」
「いや、ある。あるが……書庫だな……」
 桐島に返事をしながら引き出しを開けて書庫の鍵を取りだすとカウンターまでどすどすと戻ってきた。
「多分書庫のJの10の棚に入ってるから探して持ってっていいぞ。借り出し手続きはこっちでやっとく。」
 言いながら桐島の手に書庫の鍵を乗せる。あぁ、また面倒な展開になったと心の中で溜息をつきながらお礼を言おうとした桐島に嶋田はにこやかに言った。
「ついでにあの本、書庫に運んどいてくれるか?今日はまだ図書委員が来てなくてなぁ。」
 そう言って本の詰まっているらしい段ボールを指さした嶋田に向かって、桐島は今度こそ深い溜息交じりに頷いた。


 授業と案外長引いたHRを終えてから、高橋は図書室に顔を出した。いつもならさっさと寮に戻ってバイトに行く準備を始める所だが、昨日借りた本を読み終わってしまったし、この本を待っている人がいることは分かっていたから、普段なら次の週まで借りたままにしておく本を珍しくさっさと返却するつもりでいた。それで本を返す前に昨日本を譲ってくれた人物にそのことを伝えようと図書室をぐるっと見渡したが、どうもいないらしい。
(あちゃ、今日はいないのか……まぁ、いつもいるとは限らない訳だし……)
 考え込みながらカウンターに向かう。カウンターには図書委員はおらず、奥で司書の嶋田が丸い背中を更に丸めて何やら作業をしていた。
「しーまだセンセ。ちょっと聞きたいことあるンっすけど。」
 高橋が声をかけると、嶋田は丸い顔をカウンターの方に向ける。
「どうした?担任に頼まれ物でもしたか? 」
 そう言いながら高橋に向かって手招きをする。
「何、それ。」
 笑って言いながら高橋は司書室に入り、嶋田の横に座り込んだ。
「先生さ、こん位の背丈で、大人しそうな2年、知らね? 」
「そんなちっこい2年は知らん。小学生か? 」
 高橋の手の位置を見て真面目な顔で言う嶋田に思わず吹き出しながら高橋は立ち上がった。手の位置を自分の目よりちょっと下位の位置でひらひらさせる。
「センセ、ぼけてんの?こん位だよ、こん位。」
「該当の生徒はこの学園に何十人といるな。名前は?何で俺に聞く? 」
 立ち上がった高橋の手の位置を横目で見てから嶋田は作業に戻った。本の背を確認しながら箱に詰めてゆく。
「昨日、そいつが読もうとした本譲って貰ってさ。読み終わったから今度そいつに回そうと思ったんだけど、名前、知らなくてさ。センセ、図書室に来る奴なら顔と名前、覚えてっでしょ? 」
 高橋はもう一度嶋田の横にしゃがみ込んで箱の中を覗き込みながら聞いた。日焼けをして古ぼけてしまった本が丁寧に詰め込まれている。
「あほ、それだけで分かるか。もうちょっと特徴を言え。」
「2年で大人しそうで無謀そうな奴。」
 昨日の事を思い出し、思わずちょっと笑いながら言うと嶋田は顔を上げて思いっきり呆れた顔をした。
「あのなぁ……図書室に通うような奴はお前を除いてみんな大人しいし、第一、なんだその大人しそうで無謀そうとか言う謎の形容は。」
 色が白いとか、目が大きいとか、眉が太いとか具体的な事を言えと言われて肩を竦めた。
「通りすがりの初対面の顔まじまじと見るわけないじゃん。よく覚えてないんっすよ。顔見れば分かるとは思うけど……」
 嶋田は呆れた様に息をつくと書庫に通じる扉の方へ顎をしゃくった。
「図書室に来るので該当生徒は何人もいる。丁度一人書庫に行った所だから顔見てこい。ついでに……」
 これも持ってけ、と足下の段ボールを指さされて高橋は顔を顰めた。
「センセ……本、段ボールに詰めると、マジ重いんっすけど……台車とかないの? 」
「ない。ついでに図書委員がまだ来ないから俺はここを離れる訳にはいかん。」
 嶋田は胸と一緒にその丸い腹も張ってそう言うと高橋の背中をばしっと叩いた。
「何、すぐそこなんだから大丈夫だ。さっきお前より小さい奴が抱えてったし出来るよな? 」
 そう言って無責任に豪快に笑う嶋田に向かって、高橋は小さく溜息をついた。


 桐島は重たい段ボールを抱えて書庫に入ると、中をぐるっと見渡した。嶋田は書庫まで持って行けとしか言わず、どの辺に置いておけばいいか見当もつかない。取りあえず邪魔にならない所と隅まで運んでそっと床に下ろす。思わず腰に手を当てて伸びをしてから箱の中を覗き込んだ。
(あ、古くなった本か……)
 段ボールの中には古ぼけた本が丁寧に詰め込まれている。何気なく一番上に入れられている本を手に取りページを捲った。
(まだ充分読めるのになんで……)
 そう思いながら表紙に書かれた書名を見て納得する。最近になって新装版が出たファンタジーで、この学校でも新しく購入していた。今世間で評判の小説だから常に借り出し中、予約も一杯な状態で桐島はまだ読んだことはない。
(背表紙もまだちゃんとしてるし、これも図書室に置いといてくれれば、読める人増えるだろうに……)
 そんな事を考えながら何気なくページを捲る。座り込んで最初の数ページを読んだ所で桐島は文字の世界に入り込み、担任に頼まれた本を探すのも忘れてしまった。
 遠い世界の草原の風。陽気な祭りの音楽。想像の中でしか味わうことの出来ない食べ物のほのかな甘さ。
 そんな世界にうっとりと心を飛ばしていると、背後からバリトンのいい声が降ってきた。
「……あんた、そんなとこで何やってんの? 」
 その声に突然現実に引き戻され思わず本を取り落とす。振り返ると高橋が段ボールを抱えて立っていた。
「あ……いや、別に……」
 しどろもどろになりながら答えにならない言葉を呟き慌てて立ち上がる。担任に頼まれていた本の事を思い出して慌ててポケットをあさってメモを探した。高橋はその様子を見て小さく笑う。
「これ、そこに置きゃいいの? 」
 そう言いながら大股で近づいてきて桐島が置いた段ボールの横に自分が抱えていたものをどすんと置く。桐島が落とした本を拾い上げ「へぇ……」と小さく声を上げた。
「これ、こんな表紙のも出てるんだ……」
「……それ、最近映画化されて新装丁で出たから……」
 高橋の言葉に小さく答えながら桐島は目的の書架を探した。昨日からの落ち込みの原因と一緒にいると更に落ち込みそうだ。さっさと用事を済ませてここから出よう、そう考えながらきょろきょろと視線を動かした。
「ふーん?こんなの好きなのか? 」
 桐島の思いと裏腹に高橋は本を持ったまま桐島についてくる。肩越しに桐島の持っているメモを覗き込み怪訝そうな声を出した。
「きったねー字……誰の字だよ……」
 その言葉に桐島は苦笑した。阿部の悪筆は有名で小テストの問題なども以前は手書きで、まず最初に文字の解読をしなければならなかったと言う話だ。最近はパソコンのおかげでそういうこともなくなりテストは楽になったが、授業の際の黒板の文字は相変わらずだ。
「……阿部先生だよ……ちょっと頼まれて……」
 苦笑混じりに答えてから目的の書架を見つけ身体を滑り込ませる。本の背に指を走らせながら目的の本を探す。
「頼まれてた本って、これじゃない訳? 」
 さっき桐島が読んでいた本を持ったままついて来ていた高橋は同じように身体を書架の間に滑り込ませて聞いた。目が桐島の指の動きを追っている。
「……それは……読んでみたい本だったからつい……」
 思わず赤面しながら答えてから桐島は高橋の方に視線を向けた。高橋の男臭い顔が思いの外近くにあって思わず半歩後ずさる。
「高橋はここで何やってんだよ。」
 一緒にいたくなくて僅かに詰問するように言うと高橋は驚いたように桐島を見た。
「俺のこと、知ってんの? 」
「あんた、有名だろう? 」
 苦笑混じりにそう言うと高橋は変な顔をした。
「有名? 」
「自覚、ないのか……」
 苦笑を更に深くして桐島は書架に視線を戻す。
「今年の新入生歓迎会で薬玉に小麦粉仕込んで薬玉割った生徒会長真っ白にしたの、高橋だろ?あと蜘蛛嫌いの数学の井月がいつも寄り掛かる壁に蜘蛛型に切り抜いた紙貼っといて脅かしたとか、有名じゃん……」
「それは……確かにやったけど……子供の悪戯みたいなもんじゃないか……なんでそれくらいで有名に……」
 それにあの後俺はえらい説教喰らってとぶつぶつ言うのに桐島は吹き出した。
「当たり前だよ、あのときの井月の絶叫、反対端の俺のとこの教室まで聞こえてきて……」
 言いながらくつくつと笑う。そもそも数学教諭の井月はその嫌みな物言いと人を見下した態度で生徒達から嫌われている。その井月への悪戯は生徒達からは快哉を浴びたが、当の井月は面目丸潰れだったろう。やったことが高橋の言う通り子供の悪戯レベルだからヒステリックに叱り飛ばす以上の事は出来ず、真っ赤な顔で高橋に詰め寄ろうとするのを教頭に宥められている姿に生徒達は溜飲を下げた。もちろん桐島もその一人だ。
「高橋のこと知らない奴、殆どいないだろ。」
 言いながら腰を落とし書架の下の方を確認する。嶋田に言われた書架を全部確認しても目的の本が見つからない。思わず眉を寄せもう一度上から探そうと立ち上がると高橋が桐島の手からメモを取り上げた。眉を顰めてメモを睨みつける。
「何すんだよっ」
 桐島が小さく叫んでメモを取り返すのに構わずに、高橋は桐島に背を向けた。そのまま別の書架に身体を滑り込ませる。
「手伝うよ。」
「え? 」
 驚いた桐島が慌てて高橋がいる書架の方に移動すると、当の高橋は真剣な顔で書棚の一番上に視線を向けている。
「何で……いや、だいたい高橋はなんでここに……」
「人探し。」
 高橋は視線を桐島に向けて言った。
「お前昨日、本譲ってくれたろ?読み終わったから今日返す。次借りれば?ついでに……」
 言いながらまだ小脇に抱えていた段ボールに入っていた本をかざしてにやりと笑って見せる。
「これ、がめちゃえば?書庫に入れるってことは、もう誰も読まないだろう? 」
「……学校の備品だろう……第一、書庫の本はパソコンで管理してるよ、嶋田先生。」
「そうなのか? 」
 高橋は不思議そうに言って本の裏表紙を捲った。
「もう借りれねーの? 」
「……知らない……それに本は俺が探すからいいよ、俺が頼まれたんだし……高橋、帰れよ。昨日の本も嶋田先生に言っといて貰えれば取っといて貰えるから……」
 溜息混じりの桐島の言葉を無視して、高橋は視線を書架に戻す。
「ついでだから手伝うよ。それにお前に言っといた方が良いことがあって……」
 高橋がそこまで言った時、どんっと言うまるで何かが破裂するような大きな音が聞こえ、遮光カーテンの向こうで窓ガラスがびりびりと震えた。音に驚いて急に動いた二人が書架にぶつかり、ワンテンポ置いて書架の本が二人の上に落ちてくる。
「うわっ」
「あ、たたたたっ」
 思わぬ本の攻撃にしゃがみ込む。最後の本がこつんと二人の肩に当たって少ししてから二人は顔を見合わせた。
「今の音はいったい……」
「この本片づけるの、俺ら………? 」
 同時に言ってからまじまじと相手の顔を見る。一呼吸おいてから二人は同時に苦笑した。
「高橋、用あるなら帰っていいよ。俺、どうせ阿部先生の本探さなきゃいけないから、片づけとく。」
「いや、手伝うよ。メシ喰わなければ間に合うから。」
 言いながら高橋は手近な本に手を伸ばす。高橋の言葉に少し首を傾げながら桐島も手近な本を集めだした。
「メシ喰わないって? 」
「あぁ、俺、寮だから。食堂開いてすぐにメシ喰わないと食いそこなうんだよね、バイト行ってっから。」
 桐島は思わず手を止めて高橋を見た。
「……なら行けよ……って食堂、何時に開くの? 」
「んー?5時。」
「何時までやってんの? 」
「8時。」
「バイトは? 」
「6時から9時位迄。」
 その言葉に思わず時計を見ると4時半を回っている。
「………ここ、やっとくから行けよ、何やってんだよ……」
 思わず低い声で言いながら高橋が集めている本を奪い取る。
「いいよ、手伝うよ。ここ、片づけてから本探してたんじゃ大変だろううが。」
 重ねて言う桐島に高橋は流石に少しむっとした声を出した。それでも新しく別の本を拾い上げる。
「だからいいって……」
「お前さぁ……」
 高橋は更に言い募ろうとした桐島の言葉を遮るように相手を睨みつけた。
「どうもさっきから俺のこと、追い払おうとしてるような気がすんだけど、気のせい? 」
「いや、そんなつもりは……」
 鋭い高橋の視線に桐島は言葉を詰まらせる。実際、一緒にいるのが気詰まりで追い返そう追い返そうとはしている。高橋が純粋に好意で手伝うと言っていると分かっているのにだ。しかも気詰まりの理由が桐島が勝手に感じている劣等感なのだから始末が悪い。
「言えよ、俺、お前とは殆ど初対面だと思うけど、なんか気に障るような事、したか? 」
 更に鋭く言われて言葉に詰まる。なんでここで高橋に絡まれなければならないんだろう、やはり今日は厄日だ。そんな事を考えながらそれでも口を開こうとしたとき、扉が開く音がして、続いてどすどすと言う足音が聞こえた。慌ててそちらを振り向くと嶋田が丸い顔を覗かせた。
「………何やってんだ、お前ら………」
 本の散らばった惨状に怪訝そうな声を出す。
「あ、いえ……さっき大きな音がしてびっくりして棚にぶつかって……」
 桐島が慌てて立ち上がると足下に出来ていた本の小山ががさっと音を立てて崩れ落ちた。
「あぁ、なんか駐車場の方で何かあったらしいが……あぁ、そうだ。阿部先生が探してる本な……」
 カーテンの閉まった窓越しに駐車場の方に視線を向けていた嶋田が桐島に視線を戻した。
「良く調べたら、阿部先生が以前借りたままだった、だからここにはない………どうした? 」
 思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ桐島を嶋田と高橋が不思議そうに見ている。
「……いえ、なんでもないです……じゃ、ここ片づけますから……」
 気の抜けた声で言う桐島に嶋田は首を傾げている。
「いや、今日はもともと本の入れ替えと整理の予定だから図書委員達にやらせよう。お前らも本借りるならさっさと借りてこい。今日は5時までだから図書室はもうすぐ閉める………どうした? 」
 今日の桐島の不運ぶりを知らない嶋田ががっくりと肩と頭を落とした桐島の顔を覗き込む。言葉もない様子に高橋の方へ物問いた気な視線を向けたが、当の高橋も訳が分からず肩を竦めるだけだ。
「………なんでもないです……じゃ、阿部先生の所に本なかったって言いに行くんで……」
 ふらふらと生気のない様子で扉に向かう桐島の背中を一瞬見送ってから高橋がはっと気付いたように声をかけた。
「あ、おい!この本これから返却するからちょっと待てよ! 」
 足下に出来た本の小山をひょいっと飛び越えながら桐島の後を追う。その背中を嶋田が首を傾げながら見送っている。


 ゆらゆらとまるでゾンビの様な足取りで階段を降りかけていた桐島は途中で高橋に腕を掴まれ図書室のカウンターまで引きずられていった。
「これ、返却。そんで次にこいつが借りるから。」
 そう言って高橋がようやく来たらしい図書委員に本を渡すのをぼんやりと見ている。
「……お前、大丈夫?さっき、頭とか打ったか? 」
 反応の薄い桐島の顔の前でひらひらと手を振りながら言う高橋の声に桐島はようやく我に返った。苦笑をしながら自分の貸し出しカードを図書委員に渡す。
「いや、今日、朝からついてなくて………」
 そのまま言葉を濁す。別段、今日運がなかったのは高橋のせいではないが、昨日の落ち込みから脱却できずにいる桐島には、今日の不運も高橋が絡んでいるような気がしないでもない。これ以上言うと意味のない八つ当たりを含んだ愚痴になりそうだった。
 高橋は言葉を濁したまま小さな溜息をついた桐島の肩を軽く叩くと
「ま、そういう日もあるさ。いつまでも落ち込んでっと余計運が逃げるぞ。」
 そう少し茶化すように明るい声で言った。そのまま「じゃあな。」と軽く手を振って扉の方に向かう。その背中を何となく見送り、扉が閉まる音を聞いてから高橋が探していたのが自分で、それは昨日の本を次に自分が読めるようにするためだと気がついた。それに良く考えれば昨日はやばいところを助けて貰ったのに礼の一つも言っていない。
 桐島は図書委員にすぐ戻るからと伝え慌てて高橋を追った。扉を開けると階段を降りようとする高橋の大きな背中が見えた。
「高橋! 」
 大声で呼ぶと高橋は足を止め桐島の方に視線を向ける。
「本と……それから昨日はありがとう! 」
 大きな声で言う桐島に高橋の目が一瞬丸くなる。それからにやっと笑った。
「本の事で礼言うのは俺の方だよ、あれ、結構おもしろかったぜ。」
 そう言って階段を降りかけて何かを思い出したように足を止める。
「そうだ……思い出した、昨日の連中な……少しやばいって話……」
 そこまで言って高橋の言葉に少し青くなった桐島を見てまたにやりと笑う。
「まぁ、一番やばいの俺で、あんたやもう一人の1年は大丈夫だと思うけど、少し気にしといたほうが無難かもな。」
 それだけ言うと軽く手を振って階段を降りていった。桐島はそれを見送ってから軽く溜息をついて図書室に戻る。やはり今日は厄日だ。図書室も早仕舞いだし、それなら本屋にでも寄ってと考えていたが、高橋の話を聞いた後ではそんな気分も失せてしまう。
(あーあぁ……)
 桐島は今日何度目になるか、もう数える気にもならない溜息をついた。


 バイトを終えた高橋が寮に帰り着いたのは10時過ぎだった。結局夕食は食べそこなったから、バイト先のコンビニ弁当と菓子パンを幾つか買ってきてある。ただ飲み物はぬるくなってしまうからと寮の一階の自販機で買うつもりで買っていない。
 薄暗いロビーの自販機の前には水木がいてアイスココアを飲んでいた。高橋に気がつくと「よっ」と片手を上げる。
「またそれ飲んでるのか……お前も好きだなぁ……」
 言いながら自販機にコインを入れる。お茶とポカリとどちらを買おうか悩んでいると水木の指がアイスココアのボタンに伸びる。その手をばしっと払ってからお茶のボタンを押した。
「何するか! 」
「バイトしてんだからたまには奢れ、けち。」
「あほ、これは俺の稼ぎだ。」
 言いながらお茶を取りだす。そのまま部屋に向かって歩き出すと空になった缶を捨てた水木がついてきた。羽織っている薄手のパーカーのポケットからもう一本ココアを取りだす。
「お前、何本飲む気だよ……」
 高橋が思わず呆れた声を出すと水木は「へへっ」と笑った。
「俺、チョコとか甘いモン、大好き。それより高橋、聞いた? 」
「聞いてない。」
 ココアを飲みながらついて来る水木にお約束の答えをしておいてからコンビニの袋から菓子パンを一つ取りだす。ベルギーチョコ入りと書かれたデニッシュを水木の前でぷらぷらさせながら言った。
「おもしろい話ならこれやる。つまんなかったらお前の部屋にあるであろうカップ麺、一つ寄越せ。」
 水木は手を伸ばしてひょいっとパンを取った。そのままパーカーのポケットに押し込む。
「面白いと思うよ。井月の車、ぼこぼこになった話。」
「井月の車って御自慢のBM? 」
「そそ。」
 どうやらまた飲み干してしまったらしいココアの缶を玩びながら水木は笑った。
「井月の車の周りやらマフラーに爆竹仕込んだ奴、いたんだってさ。マフラー、ぼこぼこで修理に出すらしいよ。」
「……それ、ちょっと洒落にならなくね? 」
 高橋が眉を顰めて言うと水木は肩を竦めた。
「ちょっとね。まぁ、井月が知らないでエンジンかけたりするとかなりやばいかもだけど、仕込んですぐ火、つけたっぽいよ。……場合によっちゃそれでもやばいけど……」
「……その話のどこがおもしろいんだよ………」
「犯人探しで井月、大騒動。犯人見つかるまで井月の数 II、自習かも。」
 高橋が思わず足を止める。
「犯人って……うちの学校の奴? 」
「多分ね……警察沙汰にはしないっぽいけど、やばいっしょ?んで、生徒の方も大騒動。」
「……なんで……」
「井月、嫌われてっじゃん?犯人知ってても言うなって回文来てさ。俺、今日部活だったんだけど、途中からそれどころじゃなくなった。」
 あまりの事に高橋は沈黙した。実際、井月と言う教師は高橋も好きではないし、だからこそ悪戯も仕掛けたのだが、水木が今話している事件は既に悪戯の範疇を越えているような気がした。眉を寄せて考え込む高橋を横目で見ていた水木がふっと安堵の息を吐いた。高橋が視線を向けると曖昧な笑みを浮かべる。
「やっぱ、高橋がやったんじゃないわけね………」
「……なんだ、それ………」
 低い声で問う高橋に水木は肩を竦めて見せた。
「高橋がやったって噂が流れててさ。だからこそ回文も回った訳。お前がやるにしちゃ考え無しのやり方だなとは思ったけど、まぁこの学校の悪戯大王、高橋だし……」
「そんなタチの悪い事やるかよ、洒落になんねぇ……」
 間髪入れず不機嫌な声で言うと「そだね」と水木は頷いた。
「でも、井月は真に受けてるっぽいし、前の蜘蛛事件のことも恨んでるし、明日お前んとこ、来るんじゃない? 」
「冗談じゃねぇよ、なんで俺が……」
「ま、半分は自業自得。半分は有名税だね。諦めてアリバイ確保しとけば? 」
 水木が茶化す様に言って笑う。高橋はその顔を睨みつけパンを取り返そうと水木のパーカーのポケットに手を突っ込もうとしながらぼやいた。脳裏に書庫での会話が蘇っている。
「アリバイって犯罪者じゃあるまいし……第一有名税ってなんだよ、それは。」
「有名じゃん、お前。この学校……少なくとも寮生と2年でお前知らない奴、いないっしょ。」
 跳ねるように高橋から離れながら水木は笑った。しっかりとポケットを抑えガードしている。
「出る杭は打たれる。目立つやつは目をつけられる。多少本人が思ってもいない事、言われたり巻き込まれたりするのはしょうがないっしょ。」
「……俺って有名……? 」
 どこか呆然と言う高橋を水木は半ば呆れたように見た。肩を竦めそのまま自室へ続く階段へ足を向ける。
「自覚なかったみたいだけど、お前目立つよ。少し自覚しといたがいいよ。」
 水木は手をひらひらと振りながら言うと階段を駆け登って行く。それを見送るでもなく見送ってから高橋は自分も部屋に戻るべく階段を登り始めた。3階の自室に入ると炬燵を兼ねた小さなテーブルに夕食のコンビニ弁当を置く。買ったお茶を半分程飲んでから弁当に箸をつけた。冷えて固くなった白米を口に運びながら水木の言葉を考える。
(そういえばアイツも俺の事、知ってたなぁ……)
 今日の書庫での会話を思い出して苦笑する。暇に飽かしてしょっちゅう悪戯をしているのは認める。ただし、たいてい誰かとつるんでやる。今年の新入生歓迎会での悪戯にはそもそも水木も噛んでいたし、生徒会のメンバーの殆ども噛んでいた。知らなかったのは真っ白になった会長だけで、あとで締め上げられた。数学教諭の井月への悪戯は高橋の単独と言えば単独だが、反面クラス中が共犯とも言える。高橋が精巧に切り抜いた蜘蛛を壁に貼るとき両面テープを提供したのは勿論、何も気付かずに壁に寄り掛かった井月がその存在に気付いたのはクラス中の視線がそこに行っていたからだ。
(何で俺だけ……)
 半ばぼやくように考えて、やっぱり自分が一番目立つか、と考え直した。なにしろ言い出して率先してやっている。
(あの程度で有名になっちまうのか……)
 心の中で大きな溜息をつく。入学当初、不良っぽいのを何人かのしてしまい、そのせいでそっちの方面に顔と名前が売れてしまったのはしょうがないかなとも思うが、見るからに真面目そうな生徒にまで知られているのは少し意外だった。
(悪目立ちってやつかぁ……)
 そう考えてまた少し苦笑した。書庫で会った大人しそうな生徒の顔が浮かぶ。
(そら警戒するよなぁ……)
 先に本を譲ってくれたのを有り難いと思ったし、昨日のバス停での行動を好ましく思ったから何となく話してみたいと思った。薄暗い書庫の中でしゃがみ込んで高橋が入ってきたのにも気付かずに本を読んでいるのも、声を掛けられて驚いた様子もなんとなく面白かった。だから本を探すのを手伝う気になったのだが、高橋が悪目立ちしていたのなら、そしてそれを快く思っていなかったのなら、迷惑な事だったのかもしれない。
(大人しそうだったもんなぁ……真面目そうだし……俺の事知ってるってのは水木が言ったような事で知ってたんだろうしなぁ……)
 ふぅっと一つ溜息をつく。高橋の方は知らないのに、向こうは知っていて勝手に警戒したり、嫌ったりする。
(なんだかなぁ……つまんねーの……)
 考えている間に食欲も無くなって、結局弁当を半分程食べて箸を置いた。食べなかったパンをミニ冷蔵庫の上に置き、弁当はゴミ袋に入れる。そのままロフトに上がって着替えもせずにベッドに寝ころんだ。
(あー、マジで井月の奴、問い詰めに来るかな……)
 天井を見ながら考える。水木は具体的な事は言わなかったが、多分書庫で聞いたあの大きな音が車に仕掛けた爆竹が破裂した音だろうと見当をつける。
(なんだ、なら俺、アリバイあるじゃん……)
 そう考えて苦笑した。つまり本当に井月が高橋の所に来たとしたら、あの生徒はこの事件に巻き込まれる訳で、避けられるのもしょうがないと思った。
(なんだかなぁ……まぁ、来るとは限んないし、その時には奴には諦めて貰って……)
 そこまで考えてあることに気付き思わずベッドの上で身体を起こした。
「俺、あいつの名前もクラスも聞いてねぇ……」
 そのまま暫く呆然としていたが、そのうちおかしくなって一人でくつくつと笑いだした。
(まぁ、いざとなったら嶋田センセに聞きゃいいし、なんとかなるだろ。)
 今から巻き込む事考えることもないし、そう考えてもう一度ベッドに寝転がる。目を閉じるとわざわざ追いかけてきて昨日の礼を言った生真面目な顔が思い浮かんで高橋はまた小さく笑った。
 
続く