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| 〜金曜日〜 前の日に水木から話を聞いていたから、昼休みに井月が凄い勢いで「職員室に来い」と言った時も高橋はたいして慌てなかった。水木に向かって小さく肩を竦め「ほんじゃちょっと行ってくる」と軽口を叩いた位だ。水木の方は苦笑を浮かべながら「あんまり揶う前に書庫にいたこと言えよー」と手を振って送りだした。 職員室に着き、井月の机の前に立つ。 「俺、まだ昼飯食ってないんっすけど、何ですか? 」 半ばとぼけるように言うと、扉を閉めるのも忘れて椅子に座った井月がばんっと机を叩いた。大きな音が職員室に響き渡る。 「ふざけるのも大概にしろ!昨日私の車に爆竹を仕掛けたのはお前だろう?! 」 ヒステリックな声が職員室に響き渡った。窓ガラスには連行される高橋を見て着いてきたやじ馬の姿が映っている。 「何のことですか? 」 「とぼけるなっ! 」 平然とした高橋の態度に更に甲走った井月の声が上がる。 「昨日私の車に爆竹を仕掛けて車に傷をつけただろうが!修理にいくらかかると思ってるっ! 」 「知りませんよ。俺じゃありません。」 心の中で舌打ちをしながら高橋は平然と答えた。水木の話では昨日事件の直後から高橋がやったと言う噂が流れていたらしいし、以前の蜘蛛事件で高橋に含むものがあった井月はロクに調べもせずにその噂を鵜呑みにしたのだろう。 (ちったぁ冷静になれよ、あんた、一応教師だろう……) 高橋には自分はやっていないと分かっているからこのときはまだ多少余裕があった。こんな風に決め付けて後で違うと分かれば更に井月が恥をかくだけだろうにと多少同情もしていた。 「しらばっくれるな!あの爆音の直前に私の車の側でお前を見たって生徒がいるんだっ! 」 何度も机を叩きながらヒステリックに言う井月に流石に眉を顰める。 「……見間違いじゃないっすか? 」 「三人も同時に見間違うなんて事があるか!だいたいお前は以前の時と言い、学舎をなんだと思っている!ここは子供の遊び場じゃないんだぞ! 」 「だから俺じゃねーって……」 思わずぞんざいな言葉使いになる。 「だいたいあの爆音がしたとき俺、別の場所にいたし……」 「ほぅ、どこに誰といたと言うんだ……いつもつるんでる水木は弦楽部室いたと言うのはわかっているぞ……」 まるで水木と示し合わせてアリバイをでっち上げていると言うような井月の口調に流石に少しかちんときた。 「なんで水木君の名前がでてくるんです?違いますよ。俺そのとき……」 言いかけた時に窓ガラスに映る影を見てぎくりとする。水曜日に追い散らした連中がにやにやしながら高橋を見ていた。 (まさか……) 嫌な予感が心の中に沸き上がる。 「そのときどうした、何処にいたと言うんだっ」 井月の甲高い声が耳に響く。 「そんときは書庫に……」 「ほぉ?書庫!またらしくない所じゃないか……嘘をつくのも大概にしろっ! 」 「嘘じゃねぇっ! 」 決め付けるような井月の言葉に思わず怒鳴り返す。心の中で歯ぎしりをしながらガラスに映った連中を睨みつけた。勝ち誇ったような醜い笑みが高橋を見ている。 (あいつら、はめやがった……) 「嘘じゃないと言うなら何でそんなとこに行ったか言ってみろ。証人はいるのか! 」 叩きつけるような井月の言葉に生真面目な大人しそうな顔が浮かぶ。一瞬口を開きかけてまた閉じた。 (名前聞いてなくて、正解だな、こりゃ……) こんな理不尽は納得できない。名前を知っていれば井月に向かって言っていただろう。そうすれば次の連中の標的はあの2年だった。 「ほら見ろ、言えないんだろう。」 「……俺じゃねぇ……」 怒りのあまり沸騰するような心の中で高橋は歯を食いしばった。 放課後、桐島はまた溜息をつきながら帰宅の準備をしていた。時間はまもなく5時。いつもならとうに図書室で本の世界に浸っている時間だ。 (あぁ、もう……昨日に続いて……) 恨めしげな顔で黒板に書かれた文字を見つめる。そこには来月予定されている体育祭の出場種目が幾つか書かれている。 (何でこんなモン決めるのに1時間以上もかかるんだよ……) 一部お祭り好きを除くと、学校行事などタルいの一言に尽きる。クラス中皆が楽な競技、楽な競技と取りあいをしてなかなか話し合いが終了しなかった。 (あぁ……俺の甘美な時間が……) 心の中で愚痴りながら鞄を閉めた。皆、桐島と同じような気分なのか放課後の教室には気だるい雰囲気が漂っている。 「そういやさぁ、聞いたか?井月の車の件……」 クラスメイトの誰かが言っているのが聞こえてきた。昨日、担任の阿部の所から誰にも会わず真っ直ぐ家に帰った桐島は、朝になって井月の車に仕掛けられた悪戯の事を知った。休み時間の度に幾つかのグループに分かれてひそひそと犯人の噂について話し合っていた。その中にたまに高橋の名前が聞こえ、その度に桐島は苦笑していた。 (高橋はそんなタチの悪いことはしないだろ……) 桐島自身、昨日、一昨日と初めて言葉を交わした位で高橋の事は良く知らない。でもその時の印象と過去の悪戯の感じから高橋は本当に誰かが傷つくような事はしないと確信していた。薬玉の小麦粉も被害者は生徒会長だけで、その会長も高橋の根回しでその日は制服ではなくジャージを着ていて、本人が粉まみれになった以外は大して被害もなかったし、むしろ歓迎会はそれを機におおいに盛り上がった。井月の蜘蛛事件も、一瞬とは言え本物の蜘蛛と見間違えるほど精巧な切り抜きを作るくらいなら、学校の裏の森にいって女郎蜘蛛でも捕まえてくる方が早いのだ。けれど本物を使えばやはり洒落ではすまない。高橋はその辺の所をよく計算してやっているように見える。 (だからこそ教師から見ればやっかいなんだろうけどね……) どきっとはするけれど、あくまでも他愛ない悪戯。だからこそ周りも笑って済ますことが出来る。そんな事を考えて声もなく笑っている桐島の耳に意外な言葉が飛び込んできた。 「あれ、やっぱり高橋だってさ……」 (え?! ) 振り返って言葉の主を見る。 「おい、今の……」 桐島が思わず聞くと、話していたクラスメイトは少し意外そうに桐島を見た。 「お前がこんな話に加わるって珍しいじゃん。」 「いや、ちょっと……井月の車、ぼこしたの高橋ってマジ? 」 「マジらしいよ。」 別のクラスメイトも話に加わった。 「昼休みに井月が高橋の事、職員室で締め上げたってさ。午後から高橋、寮で謹慎してるって。」 A組まで行って聞いてきたと、そのクラスメイトは言った。 「今回は下手したら停学じゃねぇ? 」 「ちょっとやり過ぎだよな……」 「今日の職員会議で処分、決まるんかな……」 そんな会話が飛び交っている。 「いや、でも……なんで高橋って分かったんだ? 」 混乱しながら桐島は聞いた。多分書庫にいるとき聞いたあの爆音が井月の車の爆竹が破裂した音だろう。それならば高橋ではあり得ない。それは時限装置とかの可能性もあるかもしれないが、そこまでやったとしたら本当に犯罪だ。 「見た奴いるって。」 「見た奴? 」 「4時半頃、高橋が井月の車んとこで何かやってたって。」 「………そんなバカな……」 小さな声で呟く桐島をクラスメイトが不思議そうに見ている。 「まぁ……俺も何か変かなとか思うけどなぁ……」 更に別のクラスメイトが言った。「変ってなんだよ」と声が上がる。 「や、だって高橋らしくないし。見たって奴、色々やばい奴等じゃん?何か水曜にバス停で高橋とやり合ったって話だし……」 「何それ。」 桐島が鋭く問いかける。普段穏やかな桐島の厳しい様子に皆が一瞬息を飲んだ。 「いや、なんか水曜にバス停で3対1でやり合ったらしいんだよね、高橋。まぁ、奴の圧勝だったらしいけど。高橋見たって奴、そんとき高橋とやり合ってた奴等で……」 最後まで聞かずに桐島は立ち上がった。目を丸くしているクラスメイトを尻目に「お先っ」とだけ言って教室を後にする。 「桐島って高橋と友達だっけ? 」 桐島の背中を唖然として見送ったクラスメイトの一人がぽつんと呟いた。 勢いに任せて職員室の前まで来た桐島は息を切らして扉を睨んでいた。扉には「職員会議中。生徒入室禁止」の札が掛けられている。桐島は呼吸を落ち着かせると同時に頭の中をフル回転させて言うべきことを纏めていた。 (……くそ、なんで俺と一緒だったって言わなかったんだよ……) 心の中で罵倒する。それは高橋と違って目立たない桐島の事を高橋が知っているとは思えないが、書庫に人といたと言えば司書の嶋田を通して調べるだろうし、そうすれば謹慎などあり得なかった筈だ。 (高橋、はめられたんだ……) 扉を睨みつけながら考える。ちょっとやばい連中だから気をつけろ。昨日高橋本人に聞いたばかりだ。 (やばいって分かってるんだから気をつけろよ、ぼけっ) 息を整えて姿勢を正し、扉をノックしようとする。けれど震える手がどうしても扉に当たる直前で止まった。 (くそっ、俺は高橋と違って職員室なんて縁がないんだよ! ) 半分泣きそうになりながら心の中で罵倒する。目立った校則違反をしたこともない。可もなく不可もない生徒だった桐島にとって「生徒入室禁止」の文字は越えることの出来ない結界のようだった。 (ちくしょう。何で一緒にいたって言わなかったんだよ。そうしたらこんな目に会わずにすんだのに。) 半泣きで扉を、そこに掛けられた札を睨みつける。 (ここで帰ったら男じゃないぞ、桐島誠司。半分は俺のせいなんだし、なにより借りを返すチャンスなんだからな。) 自分自身に言い聞かせると目を閉じて大きく深呼吸をする。意を決してもう一度扉を叩こうとした時に後ろから声がかかった。 「んなとこで何してるんだ?今は会議中だから入れんぞ? 」 驚いて振り返ると嶋田の丸い顔が桐島を見ている。 「もう5時過ぎてるし、早く行かんと図書室閉まっちまうぞ? 」 何処か暢気に言う嶋田を呆然と見ていた桐島はあることに気がついた。 「嶋田先生 !! 」 「お、おう? 」 突然の桐島の大声に嶋田は驚いたように半歩後ろに下がる。 「昨日!昨日の4時半頃、俺、書庫にいましたよね?高橋と一緒に阿部先生に頼まれた本、探してましたよね ?! 」 必死の形相の桐島に押されるように嶋田目を丸くしては頷いた。 「た、確かにいたが、それが一体……」 勢い込んだ桐島が何か言おうとしたとき職員室の扉が開いた。養護教諭の飯崎が顔を出す。 「なんか騒がしいと思ったら……もう会議始まりますよ。それから生徒は速やかに帰宅しなさい。」 嶋田と桐島に向かってのんびりとそう言って中に引っ込む。 「あ、あぁ、すみません。すぐ行きます。」 そう言うと桐島の方にすまなそうな顔を向けた。 「悪いが時間がないんでな、話は明日……は、休みだから月曜に聞く、じゃあな。」 「先生!待ってください! 」 思わず悲鳴の様な声を上げる桐島の目の前で嶋田は扉を閉めてしまった。桐島は閉じられた扉を睨みつけた。 「……ちくしょう……」 暫く扉を睨みつけていた桐島はそのまま廊下の壁に凭れて座り込んだ。瞳は相変わらず扉を睨みつけたままだ。 (……ちくしょう……言ってやる。職員室から一番最初に出てきたやつ取っ捉まえて言ってやる………) 桐島は歯を食いしばって扉を睨みつけた。 会議はもう始まっていたらしく、嶋田は大きな身体を出来るだけ小さく丸めて養護の飯崎教諭の隣の自分の机についた。来月の体育祭についての連絡事項を体育科の教諭が読み上げている。 「遅刻なんて珍しいですね……」 飯崎教諭が小声で話しかけてきた。 「いや、すっかり忘れてて……私が来るまでに何か特別な連絡、ありましたか? 」 小声で聞き返すと飯崎が視線を井月の方に向ける。体育教諭の太い声が職員室に響いている。内緒話をするように口に手を当てて嶋田の耳元に当てた飯崎は更に小さな声で言った。 「井月先生の車傷つけた奴、見つかったそうです。」 「ほう……そりゃまた……早かったですね……」 少々残念そうに言う嶋田に飯崎も小さく笑った。生徒に嫌われている井月は同様に一部教師にも嫌われている。この二人に関しては、私立とは言え教師の安月給で買った大事な国産車を井月に散々馬鹿にされたことがあり、井月に対抗して密かに「国産車愛好同盟」なるものを作っている。 「誰だか知らないが……停学でしょうねぇ……」 少し同情するように言った嶋田に飯崎も頷いた。 「えぇ、高橋も馬鹿やったもんですよ。前の蜘蛛事件のほとぼりが冷める前にまぁ……」 「……高橋? 」 「えぇ、2Aの高橋だそうです。なんでも4時半頃井月先生の車の所にいたの見た生徒がいるらしくて……」 (俺、4時半頃、高橋と一緒に書庫で阿部先生に頼まれた本、探してましたよね ?! ) 嶋田の耳に職員室前で会った桐島の切実な声が蘇る。 「そんな馬鹿な! 」 嶋田は思わず大声を出していた。体育教師が思わず黙り、職員室中の視線が嶋田に集中する。 しんとして皆が注目する中で嶋田は立ち上がって大声で言った。 「昨日の4時半頃なら高橋は2Eの桐島と一緒に阿部先生に頼まれた本を探してましたよ。私が保証します。」 一瞬の静寂の後、職員室には大きな騒めきが起こった。 〜月曜日〜 高橋は夕方になって漸く開放され、図書室に向かった。謹慎と言う事で寮の自室にいた高橋を担任が呼びに来たのは午後になってからで、そのまま校長室に連れていかれた高橋は「これはまずいかもしれない」と少々覚悟を決めた。 金曜日、放課後になってから高橋の部屋にすっ飛んできた水木は高橋の話を聞いて大きな溜息をついた。 「……人の心配してる場合かい……その2年、本当に名前、分からんの? 」 「顔は分かるが、名前もクラスも分からん。」 平然と言う高橋に水木は肩を落とした。 「あのねぇ……何を落ち着いてるかな。このままあいつらの思う壷でいる気かよ? 」 「そんなつもりはねーけど……ま、有名税なんだろ。」 「高橋、お前ね……」 呆れた顔になった水木に高橋は笑いかけた。 「あいつ巻き込まなくても、よく考えたら嶋田センセが証人になってくれるだろう………と、さっき気がついた。だからなんとかなる。」 高橋の言葉に水木がまたがっくりと肩を落とす。 「……あの暢気者で生徒が全員知ってるようなこともぽっかり忘れてるような教師になんの期待を……」 水木の言葉に若干ひやりとしたものを感じたものの、高橋はそれ以上水木が顔を突っ込むのを拒んだ。大分しつこく書庫で一緒だった生徒を探すと言っていたがこの上、水木まで巻き込む可能性があった。それでも食い下がった水木が部屋に帰るときの捨て台詞は「妙なとこで侠気発するのはやめろ」だった。それに高橋の前では折れただけで、土日の間、大分寮内で聞き込みをやっていたらしかった。月曜の朝、何人かそれっぽいのに当たりがついたから聞くだけ聞きに行くと報告してから登校した。 皆が登校した後のしんとした寮で一人でベッドに寝ころんでいる間に本当に眠ってしまったらしい高橋は、担任の煩いノックの音で目を覚まし、何の説明も受けないまま登校することになった。 校長室に入ったときは「停学とか言われたら嶋田先生の名前出すぞ」と腹を括っていたが、校長、教頭と並んでその場にいた井月に、高橋を見たと言う証言は嘘であったこと、嘘を言った生徒が本当の犯人であったことを告げられた。 屈辱に顔を朱に染め、嫌々頭を下げていると言うのがありありと分かる井月の後頭部を呆然と見ている高橋に、校長からも謝罪の言葉があり井月の事を許すように言われた。その言葉に曖昧に頷くと「ただし君の日頃の態度もよくない」と2時間に及ぶ長い説教が始まり、その日最後の授業の終了の鐘の後「君の潔白を証明してくれたのは司書の嶋田先生だから、お礼に行ってきなさい。」と言う言葉と共に校長室を送りだされたのだった。 図書室にはもう、何人か人がいてそれぞれ読書に勤しんでいる。カウンター越しに司書室の覗き込むと、図書委員の向こうで嶋田がなにやら作業をしていた。 「しーまだセンセ。入っていい? 」 カウンター越しに声をかけると、嶋田は顔を上げ高橋に向かって手招きをする。高橋が入っていくと嶋田は珍しく紅茶を入れて出してくれた。 「先生、生徒にお茶なんか出していいんっすか? 」 出されたお茶をすすりながら聞くと嶋田は豪快に笑った。 「まぁ、今回は災難だったからな。誤解が解けて良かった。」 そう言って高橋の背を叩く。思わず紅茶を吹きそうになるながら高橋は嶋田の方に顔を向けた。 「嶋田先生のおかげで停学にならずにすみました。ありがとうございます。」 カップを机の上に置いて頭を下げる。 「おう、校長先生に聞いたか。」 高橋が頷くと嶋田はパソコンのキーボードをカタカタと叩きながら言葉を続けた。 「確かに職員会議で最初に言ったのは俺なんだが、正直言えば忘れててな。会議室に入る前に桐島に会ってなかったら大変な事になるところだった。」 「桐島? 」 高橋が怪訝そうな声を出すと嶋田は驚いたように高橋の顔を見た。 「なんだ知らないのか?書庫で一緒に阿部先生に頼まれた本、探してたろう?てっきり仲がいいんだと思ってたが……」 「いや……知らなかったっす。そうか、あいつ桐島って言うのか……」 「あぁ、桐島にも礼、言っとけよ。」 パソコンに視線を戻しながら嶋田が言った。 「あいつ、会議が終わるまで職員室の前で待っててな、出てきた俺の襟首掴んでお前が無実だって捲し立てて……お前ら本当に友達じゃないのか? 」 不思議そうに言う嶋田に高橋は笑みを浮かべながら首を振る。なんだかとてもらしいな、と思った。 「センセ、桐島って何組? 」 「……E組だが……もう教室にはいないだろう。」 そう言ってから口の中でぶつぶつと「本当に知らなかったのか……」と呟いている。その様子に少し笑ってから高橋は寄り掛かっていた壁から離れた。 「んじゃ、先生。とにかくありがとうございました。」 もう一度頭を下げてから戸口に向かう。 「おう、帰るのか?」 高橋の背中に向かって嶋田が言うのにまた首を横に振った。 「バイト、休みの連絡入れたからちょっと本読んでく。」 そう言って司書室を後にすると、図書室のいつも座る席に向かう。しかし高橋が行ってみるとそこには先客がいて本を読んでいた。 (ちっ、取られたか……) 心の中で呟きながら、斜向かいの通路側の席に学ランを脱いで置く。その気配にいつもの高橋の席に座っている生徒が顔を上げた。高橋を見るとちょっと驚いたように目を丸くする。その目がすぐにすぅっと細められ、柔らかみ笑みのような表情がその顔に浮かんだ。そしてそのまま本の方に視線を戻す。 (……桐島……) 初めて顔をと名前を一致させた恩人を高橋はしばらくじっと見ていた。しかし桐島の方はそれっきり高橋の方に顔を向けることはなく、読書に集中している。 高橋は諦めたように小さく溜息をつくと、自分も読む本を探しに席を離れた。読書をするようになってから学んだことだ。本読みの読書は何があっても邪魔してはいけない。不機嫌になるだけだ。 (まぁ、いいさ。礼ならここが閉まった後でも言えるさ。) よしんば今日言い損なっても、同じ学校にいて、今は名前もクラスも分かっている。高橋は自分も本を手に取ると桐島の斜向かいの席に座った。本を開く前にもう一度桐島の方に視線を向ける。桐島は気付くでもなく本を読んでいる。窓から入る光を浴びて読書をする桐島の姿を、なんとなく頭に焼き付けてから高橋も本を開いた。 静かな時間が流れ始める。 Fin |
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| 〜あとがき〜 お題と言うか「テーマ」的な使い方をしていることに途中で気づいてみたり…… 予定外の人:絡まれてた1年生(本来桐島君の役目……) 予想外の人:嶋田先生と水木君。あんたら予定と性格が全然違う…… 想定外の出来事:この無駄な長さは一体…… |
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