つげ義春の旅を行く 4 「長八の宿」
とある個人的な理由があり、私は長らく伊豆には旅していなかった。
だが、今回の旅先を決めるにあたって、伊豆を選ばないわけにはいかなかった。
なぜなら、伊豆には私にとって特別な宿があったからだ。
その宿の名は
「山光荘」という。
この宿のある伊豆・松崎には、昔、
入江長八という鏝絵(こてえ)の天才がいた。
鏝絵とは、左官職人によって、鏝で民家や土蔵の壁に漆喰によって作られたレリーフのことだ。
今でも松崎には長八の作品が数多く残されている。
例えば「長八記念館」「長八美術館」。そして山光荘。
今回私が泊まった宿は、蔵を改造して宿に仕立てた、特徴のある宿で、その蔵だった建物には長八の作品が今も残されている。長八の鏝絵がそのまま保存された柱などで出来た部屋に、今も泊まれるという。
・・・・と、ここまで書いてきたら、分かる人にはピーンとくるものがあることだろう。
で、分かる人・・というのは、おそらく、つげ義春先生のファンであろう。
なぜなら、つげ先生の作品には「長八の宿」という漫画があるからだ。
で、
漫画「長八の宿」の舞台となったのが、今回私が泊まった山光荘なのである。
もっとも、漫画の中では、あえて「山光荘」の名は使わずに、「海風荘」と名を変えていたが(これは、実在する宿に対しての、つげ先生の配慮であろう)、宿の入り口といい、内部といい、明らかにこの宿が漫画の舞台である。
で、実際に宿に行ってみると、漫画「長八の宿」に出てくる宿の外観や内部が、漫画で描かれた姿と今も基本的には変わらない・・というのが、まず嬉しい。
まず入り口を見た時、
「おお、漫画のままだ!」と、いきなり嬉しくなった。
つげファンにとっては、宿の「つかみ」はOK!ってなもんだ。
漫画「長八の宿」に出てくる角度と同じアングルで、まずは門をパチリ。
で、意気揚々と中に入る。この宿の鏝絵は一般公開はしていないので、宿泊客しか、この宿にある鏝絵は見ることができない。
道に居る団体客の羨ましそうな表情を浴びるのが、少し心地よく感じる私は極めて俗物(笑)。
宿の中に入って、中に「すいませ〜ん」と声をかけると、品の良いお婆様が出てきた。おそらく、この方が大女将であろう。
予約のために電話をかけた時に応対したのが、この大女将だろう。
電話をかけた時に私は、自分がつげ義春先生の大ファンであることを伝えてあり、「つげ先生が泊まった部屋に泊まりたい」と注文しておいた。
で、大女将に案内されて、部屋に向かう。
廊下を歩いていると、左側に、壁に長方形の穴を開けたような入り口の前に着いた。
大女将は、この入り口をそそくさと入ってゆく。
と! ・・・・・まてよ!!? あ! この穴は!!
つげ先生の作品にも出てきたぞ。同じではないか。
つげ先生もこの入り口を入ったのだなあ。と、1人で感慨にふける私。
この入り口は、本来は蔵の入り口だったのだ。で、入り口を入ってゆくと、1階に居間(?)やトイレがある。それを目でチラッと確認した後、私は2階に案内された。急な階段だ。
足元を確認しながら、階段を登りきると、またしても、「おお!」と感嘆。
この角度、この階段。
ある。あるぞ。漫画の中にも。
漫画で描かれた階段と全く同じ。変わっていない。今も。
・・・よかった。なんだか、ますます嬉しくなってくる。ちょっとした期待感も膨らむ。
で、2階の客室に入ると、「・・・これだよ!」と、思わずニンマリ。
漫画で描かれた部屋と全く同じ部屋がそこに現れたではないか。
しかも、私は今日、この部屋に泊まるのだ!
壁に飾られた何枚もの掛け軸(?)も同じなら、間取りも全く同じ。
荷物を置くと、私はすぐに窓の方に行き、網戸をどかした。それは、窓の外にある柱をマジマジと見るためだ。
漫画では、窓の柱の外側には長八の見事な竜の鏝絵があったが、現実にはどうなのだろう・・という思いがあったからだ。
すると・・・・・あった!漫画と一緒だ。
ことごとく一緒。来てよかった。
すると大女将は、
「この部屋(「長八の間」)は、つげさんが泊まった当時のままなんです」と言う。
そうそう、そうこなくっちゃ。それで、いいのだ(笑)。
見れば、窓の左右にある柱には、虎(?)の鏝絵があり、上を見ると雨よけにも鏝絵が。
これでもか!ってぐらいだ。
この部屋は、さながら
「鏝絵に守られた」部屋だ。
話によると、この「長八の間」を指定して宿泊に来る客は、皆、つげファンなのだそうだ。
先生の「長八の宿」を読んで、ここに泊まりに来る客は、かなり居るそうだ。で、私も、その中の1人というわけだ。
なんでも、かなり若いつげファンも来るそうだ。例えば大学生とか。おそらく「漫画研究会」あたりの学生さんであろう。
大女将には、つげ先生にまつわるエピソードを色々聞いてみた。
すると、心持ち嬉しそうに答えてくれた。
先生がこの宿を舞台にした漫画を描いてくれたおかげで、つげファンが多数泊まりにきてくれるようになったことに対して、大女将は感謝の気持ちを伝えるために、わざわざ東京につげ先生を訪ねて行ったそうだ。
ところが、先生としては、勝手にこの宿を作品の舞台にしてしまったことを申し訳ないと思ってらっしゃったらしく、大女将の感謝の気持ちに大いに恐縮してしまったそうだ。
このへん、お2人のやりとりが、なにやら微笑ましい(笑)。
はるばる伊豆から訪ねて行った大女将は、その時、先生に色紙を頼んだそうな。
だが、先生は色紙は苦手らしく、
色紙の代わりに毎年手書きの年賀状を送ります・・・と約束してくれたそうだ。
で、それは今も続いている・・というわけだ。
つげ義春先生の謙虚で誠実なお人柄を垣間見る思いがして、ちょっと感動すると共に、なんとも心が暖まる「秘話」ではないか。
人間関係が殺伐として、希薄な今の世の中に、ひっそりと隠れるように、こんな素敵な交流があったのだ。世の中、まんざら捨てたもんじゃない・・・と思いたい。
と、話を神妙な面持ちで聞いてる私にむかって、大女将は、
先生から届いた年賀状を私に見せてくれるという!
なんてことだ。こんな嬉しいことはない。
つげ先生、見させていただきます。
しばらくして、大女将は一冊の本と、一枚のパンフレットと、数枚の年賀状を持ってきてくれた。
本は某・週刊誌で、この宿とつげ先生との交流について触れられていた。そのページには、先生からの年賀状の写真もあった。
パンフレットは、なんと!
先生の漫画「長八の宿」に出てきたパンフと全く同一のものではないか!本当に、あのパンフがあったとは・・。
そこには漫画に出てきた問題の(?)風呂の写真もあり、正直、私は感動してしまった。
もちろん、風呂には2人の女性が入っていて、そのポーズがまた漫画と同じ。
なんか、漫画がそのまま現実になってしまったような錯覚を覚えた。
ちなみに現在のパンフでは、その風呂の写真は別の写真に差し替えられている。
その漫画通りの古いパンフは、今となっちゃ貴重だ。漫画のネタの元になった写真が漫画通りにそこに載ってるわけだからね。
つげ義春記念館みたいな展示館があれば、ぜひ展示してもらいたくなる一品だ。
このパンフを見て、先生は作品「長八の宿」の構想がひらめいたのではないだろう。
言わば、漫画の重要なネタ元の一つとなった存在ではないだろうか。
で・・・。
ついにこの旅行記の目玉について触れる時がきた。
圧巻なのは、やはりなんと言っても先生から宿に送られてきた何枚もの年賀状だ!
これがもう、素晴らしいのなんの。
はっきり言って、予想以上の年賀状だった。正直、もっとラフな感じの年賀状かと思ったからね。
ところがどっこい、そこに現れたのは、丁寧な年賀状であった。
まず、丁寧に描かれたイラストに目が釘付けになった。
それぞれの年賀状には、「ねじ式」の「ねじ式小僧(?)」、先生の自画像(?)、着物を着た女性の後姿が描かれたシュールな絵、先生お得意の「黒ベタで塗られた人物」、温泉に浸かる人物、などなど。
そして、この宿が舞台になった「長八の宿」という作品に出てきた、愛すべき爺さん(作中での呼び名は「じっさん」)のイラストも!
この爺さんのイラストの年賀状は、まさにこの宿にピッタリの年賀状だろう。
つげファンとしてなんとも嬉しいのは、
先生の作品ですっかり御馴染みの多数のキャラが、そこには「新作イラスト」として蘇えっていることではないだろうか。
これを感動と言わずして、何と言おう。
私は、「すごい・・・」と一言発したまま見入って、そのまま黙り込んでしまった。
オーバーに言えば、つげファンにとっては国宝級のお宝にも思えた。
ただただ私は、それら何枚もの感動的な年賀状を食い入るように何度も見つめた。
つげ先生の直筆のイラストの入った年賀状なんて、、そうそうお目にかかれる代物ではない。
で、そこに描かれたイラストには手抜きがない・・というのがまた素晴らしい。
普通、色紙だと、そこに描かれるイラストは、走り描きの崩した感じで描かれがちなもんだが、つげ先生の年賀状のイラストは実に丁寧に描かれており、中には色鉛筆で彩色してあるのもあった。
塗り分けもなされていた。
年月がたつと、往年のタッチを失ってしまう漫画家もいるが、これらの年賀状に描かれたイラストは、往年の画風をそのまま保っていた。
そして!
各年賀状にはイラストのそばに
先生の直筆のコメントが書かれており、それがまた泣かせる。
その時その時の先生の心情、近況、大女将への感謝の気持ちなどが切々と書かれている。
中には、奥様を亡くされた時のことなどにもチラッと触れられているコメントもあり、先生の心情を察すると私はファンとして切ない思いでいっぱいになった。
思えば、新作が途切れ、中々マスコミに登場してこない先生は、ややもすれば伝説の漫画家みたいになってしまっている感もある。
その結果、隠遁生活を送ってらっしゃるようにも思えることがある。
だが、先生の熱狂的なファンは、今も先生の作品をことあるごとに取り上げては、映画化したり、本で紹介したりしている。
つまり、先生の漫画は、そして先生は、新作を描かなくなった今でもファンに愛され続けているのである
ある意味、後進に今も影響を与えているといえるだろう。
ファンの中では決して過去の人ではないのだ。例えば、私などはそう思っているし。
そんな先生の新作イラスト、そしてここ数年の心情が、この年賀状には込められているのだ。
最近の先生は、この年賀状の中にいた。
年賀状に書かれた先生のコメントは、謙虚で気取りがない。その文体は、昔のエッセイのままだ。
過去の実績を考えれば、もっと偉そうにしたり巨匠ぶることも十分可能なのに、それをせず、この人間味あふれる年賀状はどうだ。
これらを本にでもして出版すれば、「つげ義春の新作」として儲けることも可能であろうに、それをせず、御自分が世話になった宿への個人的な「作品」として送って・・・いや、「贈って」しまう、そんな先生の誠実なお人柄に私は胸をうたれた。
見る人に訴えかけてくるもののある、年賀状である。
この計算高く欲深い人が溢れるせちがらい世の中に、こんな方もいるのだ・・。
今の世の中、人間関係なんて、ちょっとしたことで崩れてしまう。
ちょっとしたことで去って行く人、、利用する時だけ近付いてくる人、人への配慮が足りない人、そんな人が溢れている。
そんな人間関係が希薄な時代に、何十年も前に泊まったことがきっかけで今も交流が続く漫画家と宿の大女将がいる。
こんな素敵な関係もあるのだ。
心暖まるような付き合いが、ここにはあった。
ともすれば世の流れに流され、疲れている自分の心が洗われるような気分になった。
つげ義春先生は偉大な漫画家(シャイな先生は、そう言われるのはイヤであろうが)ではあるが、同時に、謙虚で律儀で誠実な人でもあった。
そんな先生の作品をこれまで敬愛し続け、また、先生ゆかりの地を旅して周っている私は、そんな自分を少しだけ誇らしく思った。
私の目に狂いはなかった(笑)。
こんな先生を、自分は好きでい続けてきたのだ、と。
ひとしきり年賀状を見た後、私は風呂に向かった。
問題の(?)風呂だ。
漫画に出てきたパンフレットには、この宿で働く「とよちゃん」という女性が裸で(ただし、後ろ向き)風呂のフチに座ってる写真が載っていた。で、「とよちゃん」は、そのパンフを人に見られるのが恥ずかしくてしょうがなかった・・というくだりが、漫画「長八の宿」には、あった。
先ほど大女将が見せてくれた古いパンフは、つげ先生が作品の中で描いたパンフと全く同じものであった。
先生の作品を思い出しながらこのパンフを見ると、妙に微笑ましい。
さて、風呂に着いてみると、つげ作品に出てきた時代の風呂と多少微妙に違っているような、いないような感じだった。違っていたとしても、たいした違いではない。
湯に浸かりながら「とよちゃん」のことを思い出してみるのは楽しかった。
「とよちゃん」は、今どうしているのだろう・・などと考えながら。
夕食は私の泊まる部屋の真下にあった居間で食べた。その居間は、先生が宿泊された時にはまだ無かったそうだ。
「長八の宿」に実際に来て。
つげ先生の泊まった部屋と同じ部屋に泊まり。
漫画の中で描かれた間取りと同じ空間の中にいて。
先生と宿との今も続く暖かい交流を知って。
先生の描きおろしの年賀状から、先生のお人柄を垣間見て。
「とよちゃんのお風呂(笑)」に入り。
こうして、その晩の私の睡眠が、いかに心地よかったか、分かってもらえるだろうか。
さて、翌日。
宿を出る時、大女将と女将(?)が、出口まで私を見送ってくれた。
私はタクシーを呼んでいた。タクシーが来て乗り込み、ドアを閉めようとした時、おもむろに女将が、
「実は私、マリちゃんです」と言うではないか!
「え?!」
作品に出てきてた、あの可愛いマリちゃん?!
びっくりした。なんだ、そうならそうと、もっと早く言ってくれればよかったのに〜〜なんて思ってたら、非情にもタクシーは、そんな私におかまいなしに走りだした。
「長八の宿」という作品に出てくる、宿の女性は皆可愛いし、美人。
あれから40年の歳月が過ぎ去った。
当然、皆それぞれにお歳を召されていた。
大女将は作品には登場しなかったが、凛として上品なお婆様だった。
私は頭の中のタイムスイッチを押して、大女将やマリちゃんを40年前に戻して見た。
大女将はキリッとした美人だったろうし、マリちゃんは漫画通りに可愛かった。
昔はそうだったに違いない。
宿は遠くなっていった。
「山光荘」に行ってよかった。生きた「長八の宿」がそこにあった。
で、私は、ますますつげ義春先生のことが好きになった。
タクシーからバスに乗り換え、下田駅に向かう途中、「唐人お吉」が入水自殺した「お吉が淵」があった。
その日、予定していた電車が来るまでの間、下田駅の近くにある「お吉」の墓参りをしてから、私は家路についた。
つげ義春先生は、確かにあそこに、あの宿に、居た。
つげ義春の旅を行く 4 「長八の宿」 おわり
追記
「長八の宿・山光荘」だけでなく、宿の近くにも、入江長八の作品が残されている場所がある。
「長八記念館」と「長八美術館」がそうである。
入江長八は基本的には「天才・左官職人」だが、絵や彫刻にも才能を発揮し、絵や彫刻の技術を鏝絵(こてえ)に活かした。
その結果、彼の鏝絵は芸術品とまで言われるようになった。
もし山光荘に泊まる方は、すぐ近くにある(歩いて数分)「長八記念館」と「長八美術館」にも立ち寄るといいだろう。
きっと、その作品の凄さに感心することだろう。
ちなみに「長八記念館」は、長八の浄感寺の本堂が、そうである。この寺は、長八の菩提寺である。
「長八美術館」は、今風の、いかにも・・って感じのオシャレな外観の美術館なので、行けばすぐ分かるであろう。
なお、つげ先生の年賀状を公開するにあたって、宿を出る時に、宿の人の了承はとってあります。
ただし、先生のコメントは隠すという条件で。
それゆえ、ハガキに書かれた先生のコメントは隠しました。
大女将さん、本当にありがとうございます。約束は守ります。
また、世の中には「事情の変化」ということもあるかもしれません。
世の中、色々なことが起こりえるものですから。
もし、何らかの事情の変化があり、先生の年賀状の公開は控えてほしい・・ということになった場合は、連絡下されば、それに従う意思はあります。
個人的には、つげ先生の年賀状に描かれた新作イラストは、先生や宿の評判や評価を上げることはあっても、決して落とすような作品ではないと信じております。
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