安達論文「神様は、貴方に何を期待しておられるか」

第1章、科学的真理の中に神様のお振る舞いを探す
第2節 生命の誕生と神様
1 生命の進化

(3) 生物の進化システム(2)……有性生殖
[進化の加速度] 哺乳類も爬虫類も、最初は極めて小さな動物だった。そして、どちらも、大型化という定向進化を遂げている。ところで、爬虫類は、小さなトカゲから体長30メートルのプロントザウルスに進化するまでに、2億年を超える年月を費(ついや)している。それに対して哺乳類は、小さな食虫類から体長30メートルを超える長須鯨に進化するまでに、わずか4千万年足らずしか要していない。そのように、爬虫類より哺乳類の方が、進化速度が5倍も速かったのである。これは一例で、あらゆる進化において、進化は、後期になるほどスピード・アップしているのである。即ち、生物の進化は、これまで加速度的に行われて来ているのである。
[別の進化システムがあるはず] 数学的に言うと、進化システムは進化の方程式の変数に該当する。数学では、変数が1次の場合は加速度は生じない。加速度は、変数が2次以上であり、その導関数が変数を持つ方程式になっていないと生じてこない。そういうことで、若し、進化が、遺伝と変異のシステム唯(ただ)一つだけで行われているとすると、進化の方程式の変数は1次でしかなく、進化には加速度など生じてはこない理屈になる。だが、前述したように、実際には生物の進化は加速度的に行われてきた。即ち、生物の進化には、もう一つ別の進化システム(変数)が働いているに違いないのである。
[新しい変化のシステム=有性生殖] 遺伝というのは大層精度の高い機能である。それに対して突然変異は、細胞分裂を10万回行って1回くらいしか起らないというように、それは酷(ひど)く能率の悪い機能である。即ち、遺伝と変異の進化システムは、弁証法的構造になっているとは言っても、維持の機能(正)に比べて変化の機能(反)の方が極めて弱体であり、それは、かなりアンバランスなシステムなのである。そこで神様は、能率の悪い変化の機能を強化すべく《有性生殖》というもう一つ別の変化の機能を作り足されたのである。《有性生殖》の変化の機能は、一つは《減数分裂》であり、もう一つは《交配》である。減数分裂と交配が、どのようにして変化の機能になるのかを、簡単に説明しておこう。
[減数分裂] 人間は2倍体の生物である。2倍体の生物というのは、生体を再構築するのに必要な遺伝情報を、夫々二揃いづつ持っている生物のことである。なお。その内の一揃いは父からのものであり、もう一揃いは、母からのものである。
 2倍体の生物でも、生殖細胞(卵子,精子)は遺伝情報を一揃いしか持っていない。二揃いの遺伝情報を持っている普通の細胞1個が、一揃いの情報しか持っていない生殖細胞2個に分裂する分けで、そうした仕方の分裂だから、それを《減数分裂》と呼ぶのである。なお、生殖細胞の持っているその一揃いの遺伝情報は、1個の細胞の二揃の情報の中から、ランダムに、このゲノムは祖父からのもの、これは祖母からのものというようにゲノムを一つずつ選んできて、一揃いの情報を作り上げる。その様な分裂の仕方をするので、そこに出来上がる一揃いの遺伝情報は、祖父からのものと祖母からのものが入り交じって、種々の組み合せになったものが出来上がってくる。それが、進化のための変化の機能になるのである。同じ両親から生まれてきながら、兄弟姉妹がかなり違って生まれてくるのは、この減数分裂の変化の機能によるのである。
[交 配] 卵子が受精すると、精子の遺伝情報を加えて、二揃いの遺伝情報を持つ2倍体の普通の細胞(受精卵)になる。そうなってから分裂を開始して生体発生をする分けだが、その場合、遺伝情報が二揃あるので、鼻は父からのもの、眼は母からのものというように、ランダムにそのどちらかを選んで使いながら、生態構築作業を進めて行く。そのようにして、遺伝子の混(ま)ぜ合せが行なわれる分けである。それがまた、進化のための変化の機能になる。即ち、有性生殖には、《減数分裂》による組み合わせ変化と《交配》による混ぜ合わせ変化の二つの変化機能が備わっているのである。
[第2システムの弁証法構造] ところで《有性生殖》は、変化の機能としては、若干その効能が強力であり過ぎた。有性生殖を全生物で自由に行わせると、それこそゴリラとクジラのハーフの《ゴジラ》や、馬と蚤(のみ)のハーフの《騒》などという途轍(とてつ)も無い動物が現れてくることになる。冗談はさておき、この宇宙では、変化の機能が強度に働き過ぎると、反(かえ)って変化を少なくしてしまうという《偏差逓減の法則》が働いている。世間では、イヌを自由に交配させると、特徴のあるイヌはいなくなり、全部が同じような格好をした野良犬ばかりになってしまう、というようなことが経験的によく知られている。それこそが偏差逓減の法則の好例である。偏差逓減の法則は、1910年代にG・H・ハーディーとW・ワインバーガーによって発見された。いずれにせよそうしたことで、神様は、その激(はげ)し過ぎる変化の機能である有性生殖に、制限の枠を填(は)められたのである。即ち《種の確立》てある。神様は、交配は同種間で行った場合にのみ有効で、異種間の交配では、一代雑種が出来るとか、或は発生不能になるとかして、子孫は残せないという掟(おきて)を定められたのである。通常はそれを《不稔の境界》と呼んでいる。さて、そういう具合で、そこに《有性生殖=変化》と《種の確立=維持》というもう一つの2対立の弁証法的構造(仕組)になった進化システムが出来上がった。その結果、進化の方程式の変数が2次以上になり、進化が加速度的に進展して行くことになったのである。
[有性生殖の威力] 生物は、30数億年程前にその姿をこの地球上に現した。ところが、それから20数億年の間は、余り目立った進化は行なわれなかったらしい。その頃の地層からは、精々単細胞の珪藻類に近い生物の化石しか見付からない。ところが、今から6億年ほど前のカンブリア紀になると、突如、いわゆる生物の爆発的分科が起こって、いきなり現在棲息している《門》段階の生物の殆どが勢揃いしてその姿を現すのである。このカンブリア紀に行われた生物の爆発的分科こそは、神様が有性生殖という進化システムを作り足されたことによって起ったものであることは間違いあるまい。
[優性選択の仕組] 神様は、有性生殖で、変化の機能の補完だけではなく、選択の機能の補完も行われた。
飛翔する女王の後を数千匹の雄(おす)が追う蟻の結婚飛行
哺乳類等の作る1雄多雌のハーレム
交尾型生殖を行う高等動物の性器内で行なわれている精子競泳
生殖年齢前に劣った遺伝子のキャリアーを淘汰する生殖年齢前淘汰 等々のいわゆる《優性選択》の仕組みがそれである。
 淘汰という言葉を聞いた場合に、一般の方々は、多分、異種間の淘汰のことを念頭に浮かべられるに違いない。だが、それは誤解である。生物界は、生態学が指摘しているように、異種間の関係は、生存競争的関係にあるものよりも、寧ろ、相互扶助的関係にあるものの方が多いのである。ダーウィンも著書『種の起源』の第3章で「闘争は殆どいつも、同種の個体間で最も厳しい。種を同じくする変種の場合でも、闘争は、一般に殆ど同様に厳しい。同族の種間の闘争は、属を異にした種間の闘争よりも厳しい」と述べている。同じような環境で同じものを食糧にしているものどうしが、即ち、同じ《生態的時空》の中で棲息しているものどうしが、シビアーな競争相手になって当然である。
 ところで、同種どうし争い、淘汰し合っていては、自己の種のポピュレーションが減じて、種の繁栄にはマイナスになる。そこで神様は、この有性生殖のシステムを土台にして、ポピュレーションを減ずることなく、しかも《優性選択》の実の方は充分に上がるという巧妙なシステムを、各種お作りになった。前掲の《蟻の結婚飛行》《ハーレム》《精子競泳》がそれである。それ等の《優性選択》のシステムのどれもが、雄(おす)の方だけが淘汰選択の対象になっており、雌(めす)には、淘汰が及ばないように出来ていることに気付かれたい。雌(めす)の数を減らしてしまうと、生産力が減退する。だが、雄(おす)は、複数の雌(めす)を妊娠させることができるので、雄(おす)に対してなら、いくら厳しい淘汰選択を行なっても、ポピュレーションの減少は起こらないで済むのである。なお《生殖年齢前淘汰》では、全ての動物で、幼少の頃の死亡率は、雌(めす)よりも雄(おす)の方が遥かに高いそうである。
 この幼少時の死亡率が、雄(おす)の方が雌(めす)よりも遥かに高いということは、生体の発生成長の仕組みの中からは、そうなる必然性のようなものは全く見出せない。だから、どうもこれは、神様が、実効ある優性選択を実現するために、故意にそのようになさった、或は、故意に雄(おす)をひ弱にお作りになったと考えるより他にないのである。そうした論理から、幼少時の死亡率が男性の方が高いという優性選択の仕組みは、神様が意識的に作り出された《淘汰原理》の一つであることはほぼ確実である。そして、こうした、神様が意識的に作り出されたと思われる進化のための選択の機能が存在するということは、この世に、神様がおわします厳然たる証拠(現証)でもある。
[雌雄の差異の根本] ここで、雌雄の差異の根本は何かの説明を簡単にしておこう。発生には、蛋白質の製造工場が必要である。また、発生直後の暫くの栄養も備えている必要がある。なお、受精して初めて発生を開始するのだから、そうした工場設備等は、生殖細胞の両方ともがそれを持つている必要はない。何れか一方がそれを整備していさえすればそれで充分である。そういうことで、生殖細胞は、蛋白質の製造工場等を整備しているものと、それを整備せず、ただDNAのテープとその運搬手段だけしか持っていないものとの2種に別れた。そして我々は、蛋白質製造工場等を整備している方を《雌(めす)》と呼び、DNAのテープだけしか持っていない方を《雄(おす)》と呼んでいる理(わけ)である。この辺りに、神様の木目の細かい経済性、合理性が伺える。
[選択の主客] そのような具合になっている関係で、優性選択に際して、淘汰選択の対象になるのは、当然《雄(おす)》の側ということになる。精子競泳では、卵子内突入に成功する1尾を残して、他の数億というような膨大な数の精子が、未使用廃棄処分にされている。そうした精子に、蛋白質製造工場等を持たせたりしていては、とても経済的にやっては行けなくなる。神様は、そういうことで、《雌(めす)》を選択の主体にし《雄(おす)》を選択の客体としてお作りになったのである。両者の性格等の違いも、そうした関係性を基盤にしてお決めになったようである。ところで、そうした性格の違いから、人間の場合には、両性の間に、損得が生じてくる。そのことに関しては、また別の機会に詳述することになると思う。
[最高級の進化システム] 既成の宗教の殆どは、性(セックス)を不倫な行いとして忌み嫌う。しかし、宇宙の歴史を科学的に観察すると、性(セックス)=有性生殖は、神様がお作りになった最も高度で、最も巧妙な進化システムなのである。若し有性生殖というシステムが無かったら、この地球には、人間はおろか、ナマコやクラゲでさえ、その姿を見せなかったであろう。また、若し他の天体に高等な生物がいるとすれば、その天体の生物も、やはり雌雄に別れて有性生殖を行っているに違いないのである。いずれにせよ、性(セックス)の問題を頭から蔑視否定するような宗教は、その一点だけからでも、間違った教えを説く宗教と言わざるを得ない。なお、何故既成宗教の殆どが、性(セックス)をタブー視するようなものになったかの理由は、第2章,第2節の《善》の価値論のところで詳述する。

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