安達論文「神様は、貴方に何を期待しておられるか」
第2章、価値論
第3節 美について
1 生存欲求本能関連の《快感》
(5) 優越的快感と劣等感
恋の下位の部分活動の中でも、特に《雄(おす)どうしの闘争》には、種々の重要な問題が内包されているので、ここで若干詳しいコメントを加えておこう。
なお、ここには種々の欲求本能が出てくるので、欲求本能の分類表をここにも再掲しておく。
1 生存欲求本能群
@栄養摂取関連本能 A防衛関連本能 B生殖関連本能
2 準生存欲求本能群(逸脱の危険性のある本能)
@優越感と劣等感 A近親利他 Bサービス欲求 C好奇本能 D学習の欲求 E熟練の欲求 F安楽の欲求 G清潔欲求 H達成欲求 I獲得本能 J嗅味触覚美 K笑いと泣き L物理的酔 M建造本能 Nポテンシャル欲求
3 錯誤的本能群
@渇仰本能 A視聴覚美 B化学的酔
[同種どうしの闘争] 1生態的時空に1種のみが棲息するという状況になると、競争相手は同種の動物しかいなくなる。そして、そうした段階になると、進化は同種どうしの争いによって、自らの種を改良するという方法で行なわれるようになる。だが、同種どうし殺し合うのは、同じ遺伝子のキャリアを失うことになり、遺伝子淘汰論的にも、やはりマイナスである。そこで、高等な動物達は、同種どうし闘いはするが、それが、死を招くようなものにならないよう、種々のノウハウをその身に付けるようになった。
動物が、同種どうし殺し合いをしないことを強調したのは、動物行動学者のK・ローレンツである。彼は1966年の著書『攻撃』の中で「鹿の角には、雄鹿どうしが闘った場合、角の先がお互いの身体に突き刺さらないように、幾つかの股に分れた枝角がある」というような例を幾つか上げて、動物には、同種どうし闘っても、それが殺し合いにならずに済むようにする種々の仕組みが備わっていることを指摘している。そこの所は正しいのだが、問題は、彼がそのあと悪乗りして、マックス・ウェーバーの価値自由の原則を犯して「同種どうし殺し合うのは人間だけだ」と飛躍的に即断し、戦争を反対する倫理教材作りの第一人者に変身して行ったことである。同じ動物行動学者であるR・ドーキンズは、ローレンツのその意見を「動物性善説的な先入観からの非科学的理論」として厳しく批判している。
[現在の学説] R・ドーキンズは、同種どうしの闘争について、次のように説明している。「アシカは雄(おす)どうしの闘争でハーレムを形成する。その場合、闘って劣勢になった雄(おす)は、意外に早々に闘いを諦(あきら)めて、あぶれ雄(おす)の溜り場の方に去って行く。そのあぶれ雄(おす)も、来年になると体力が付いて、ハーレムのオーナーになれる可能性があるからである」なお、動物の世界にはペニシリンなどない。だから、動物にとっては小さな切り傷でも屡々命に係わる。そういうことで、闘いを早めに切り上げる性質を内包した遺伝子の方が、とことん闘う遺伝子よりも後世に多く残る。強い者にも同じことが言える。相手が屈服しているのに、更に攻撃したりすれば、相手も窮鼠猫を噛むの諺(ことわざ)の通り、防衛のための反撃をして来る。そうすれば、その闘いに勝てても、自分も手傷を負う危険性が大である。傷だらけになってハーレムを入手しても、翌年は傷が化膿し、天に召されて、遺伝子の伝承はそれまでということになってしまう。そういうことで、同種どうしの闘争は、かなり早めに決着が付くのである。
[優越感と劣等感] 動物が、そうしたことを理性的に悟って、闘いを早めに切り上げている分けではない。実は、その同種どうしの
闘争を、早めに切り上げさせている本能こそが《優越感》と《劣等感》なのである。
フロイト以来、コンプレックスという語が人口に膾炙した語になった。本来これは《過去のある経験に関連して、無意識下に、抑圧
的に潜む観念群》を言ったもので、C・ユングの造語である。その後、フロイトが、乳幼児期に親との関係で出来るコンプレックスを《オイディプス(父を殺し、母親と夫婦になる羽目になったギリシアの王)・コンプレックス》と呼び、フロイトの弟子であったアドラーが、それを拡張して、全ての《劣等感》によって形成されるコンプレックスを《インフェリオリティー・コンプレックス(劣等複想)》と呼んだ。そのアドラーの《インフェリオリティー・コンプレックス》が元になって、今では、コンプレックスの語は本来の意味から逸脱して、《劣等感》のことを呼ぶ語になってしまった。なお、ニーチェのいう《ルサンチマン(怨念)》も、フロイト達の上げたコンプレックスの一種に属すると思う。
[劣等甘受の心と劣等的苦痛] 劣等感には《劣等状態に甘んずる心》と、逆にそれを苦痛に感じ《捲土重来を期する心》との一見対
立的に思える2つの心がある。これからは、前者を《劣等甘受の心》と呼び、後者を《劣等的苦痛》と呼ぶことにする。条件反射化した《劣等甘受の心》がアドラーの《インフェリオリティー・コンプレックス》であり、コンプレックス化した《劣等的苦痛》がニーチェの《ルサンチマン》である。《ルサンチマン》は、多くの学者がそれを《怨念》と訳している。
[闘争を中止させる心] アザラシの闘争で《あぶれ雄》が早めに闘争を切り上げるときに発動している心が《劣等甘受の心(インフ
ェリオリティー・コンプレックス)》であり、そして彼が《あぶれ雄》の溜り場に行ってから後に、それは《劣等的苦痛(ルサンチマン)》に転化する。
闘争の勝者に、殺し合いの手前で闘争を中止させる作用をする心は《優越的快感》である。闘争中に相手に《劣等甘受の心》が生じ、外見的に屈服の様子が現れる。すると、それに対応連動して、勝者の心の中に《優越的快感》が醸成して来る。優越感(シューペリオリティー・コンプレックス)も劣等感(インフェリオリティー・コンプレックス)も、どちらもそれが心に湧くと、筋肉が脱力状態になることが、動物行動学者によって、実験証明されている。なお、欲求充当の活動では、空腹,満腹の場合だけではなく、全ての場合に、その欲求が充当されると、欲求心が弱まり消えて行く性質を持っている。そして、この雄(おす)どうしの闘争の場合の《優越的快感》というのは、闘争心という欲求心が充当されたときに味わう《快感》なのである。即ち、勝者の場合は、その優越的快感(充当の快感)を味わうことにより、闘争心が弱まり消滅して、攻撃を中止するのである。そういうことで、この優越感(シューペリオリティー・コンプレックス),劣等感(インフェリオリティー・コンプレックス)という対になった情感は、止むを得ず行われる同種どうしの闘争が、死を招くようなものにならないようにするために、動物に備(そな)わったところの本能的情感(準生存欲求本能)なのである。
[一般の闘争でも同様] 同種どうしの闘争は、雄(おす)の伴侶獲得の争い……恋の鞘当て……だけではなく、雌(めす)同志の場合に
もある。ハーレムの新入りに対する古参者達のジェラシーの《いじめ》の闘争がそれである。その場合も、優越感・劣等感の心理効果により、傷付く手前で闘争は治(おさ)まる。群れの中での食料の奪い合いは、雌雄の区別なく行なわれるが、優越感・劣等感が対応的にコンプレックス化して順位制が確定しており、殆ど闘争のようなことにはならずに「劣位の者が、上位の者に睨(にら)まれて、無関心を装う」というようなことで解決されている。いずれにしても、群れの順位制も、この優越感・劣等感の対になったコンプレックスで、構築されているのである。