安達論文「神様は、貴方に何を期待しておられるか」
第3章、21世紀における神様のお考え
第1節 政策論
1 総論

(3) 集団構成機能如何による
[生産力は集団構成機能如何による] 人種に優劣はない。しかし、現実問題として、河川文明の頃は、エジプト人が最も優秀に見え、紀元直前の頃はギリシア人が最も優秀に見え、中世には大唐帝国の中国人が最優秀に見え、そして、近代から現代に掛けては、アングロ・サクソンが最優秀に見える。一体それは何によってそうなっているのであろうか?……
 近代から現代に掛けて、アングロ・サクソンが最優秀民族に見えたのは、物的生産力の増大に成功し、世界最強の英国海軍を建設し、その力で七つの海を制覇したことによる。ところで、人類の集団の生産力は、集団の分業的協業の増幅力如何によってその高低が定まるものであり、分業的協業の増幅力の高低は、その集団の情報を絆(きずな)にした動態的様相(構造)のポテンシャルの高低によって定まるものである。なお、戦闘力も生産力の一つである。だから、戦闘力の強弱もまた、分業的協業の秩序如何で決まり、引いては、集団構成機能如何によって決まる分けである。
[宗教が最も強力な集団構成機能であった] そういうことで、人類史を通じて、常にその時点その時点で、最も優れた集団構成機能
によって構築されている国家集団が、最も高い生産力(強力な集団戦闘力)を獲得し、世界の覇者となってきたのである。なお、つい半世紀前までは、集団淘汰時代であり、その時代の集団構成機能の根幹は、宗教であった。だから、中世においては、その時点で、最も真理に近い神を戴(いただ)くイスラム教を集団構成機能としたイスラム教国が、最も栄えた国になった。だが、イスラム教は、唯一の預言者であるマホメット亡き後は、その教えの改善が行えず、その水準で留(とど)まっている内に、キリスト教に宗教改革の運動が起こり、イスラム教より更に真理に近い教を説く新カソリック(*)が出現してきた。そして、イスラム勢力は斜陽化し、その新カソリックを集団構成機能とするスペイン、ポルトガルにその席を譲ることになる。
(*) スペインのイエズス会は、通常は、ルターやカルバンの宗教改革から旧カソリックを守るための反宗教改革運動であったように
言われている。もちろん、それが、新教のプロテストからバチカンのカソリックを守るという運動であったことは間違いない。だがしかし、それは、カソリックの旧い教(おしえ)をそのまま守るというものではなかった。キリスト教は、イタリア半島で、ミトラ教の影響を受け、偶像礼拝などが行われ始めており、また、呪術を盛んに使う密教的な宗教に堕落していた。免罪符なども明らかにミトラ教起源のものである。そうしたカソリックが、プロテスタンティズムに刺激され、堕落を反省し、まず、その密教的側面を払拭して、自ら体質改善を行ったのである。そして、そこで改めて、南部ドイツ(オーストリア)やスペインで、再布教が行われたわけである。即ち、反動カソリックなどと呼ばれてはいても、その実それは、旧いものそのままではなく、全く新しい教(おしえ)に生まれ変わったところの、この時代に出現してきた幾つかの新しいキリスト教の一つであった分けである。そういうことで、私は、敢えてそれを、新カソリックと言うように新を付けて呼ぶことにしたのである。
 ルターやカルバンの新教は、旧権力に阻まれ、その普及は難渋した。ドイツでは、30年戦争のような内部騒乱状態まで引き起こし、
国中が満身創痍の姿になって、やっと新教国ドイツを生み出すことが出来た程である。ドイツが、ヨーロッパの後進国になったのも、その30年戦争のためによるのである。それに対して、ときの権力によって擁護されつつ行われた宗教改革(新カソリック)の方は、当然スムースにことが運ぶ。そのため、その改革の効果が極めて速(すみ)やかに国家集団にもたらされた。物的戦闘力優位の時代が訪れ、ヨーロッパの国々が興隆する時代になって、先ず先頭を切って飛び出したのがスペイン・ポルトガルの2国であったのは、そうしたことがあってのことなのである。
[イギリスの宗教改革] 宗教改革がスムースに行われた国がもう一つある。ヘンリー8世による上からの宗教改革が行われたイギリスである。これは、バチカンには抵抗的だったので、流血のメアリ
ーによる弾圧等が有ったりして、その普及は、スペインの新カソリックよりは幾分遅れた。しかし、教(おしえ)としては、それは新カソリックより更に真理に近く、その国家に与えた効果は、絶大であった。
 イギリスの新しいキリスト教は、バチカンを排し、カンタベリー聖堂を大本山とする、アングリカン・チャーチ(聖公会)である。それが、アングロ・サクソンの民族神的キリスト教であったこと、また、それが、イェス教ではなくパウロ教であったこと等については前述した。まだそれを読んでいない方は、ここをクリックしてその部分を開き、読んで頂きたい。
 ヘンリー8世のときに、破門を逆手にとって設立されたアングリカン・チャーチ(聖公会)は、スペイン等の反動カソリックと同様、ローマのカソリックの密教的な迷信呪術面を払拭し、ただ、純正なキリスト教に帰った程度の改革であった。一つだけ違う点を言えば、バチカンの王位認証権を否定して、パウロの書簡(ローマ人への手紙)に基づいて、王権神授説(王位は、教皇などの人間を介さず、神から直接頂くものだとする説)を採(と)るようになったことである。ところで、これも前述したことだが、アングリカン・チャーチ(聖公会)によってバチカンから解放されていたイギリスには、カルバン派のピューリタニズムの布教が一気に進展して行った。それは、アングリカン・チャーチ(聖公会)とピューリタニズムに、清純さという共通点があったことにもよる。そういうことで、イギリスの宗教改革は、上層階級はアングリカン・チャーチ(聖公会)、庶民はピューリタン(清教徒)になるという色分けで行われた。ときには、両者対立することもあったが、流血のメアリーの場合等、女王が、カソリック側に付いて、新教を弾圧したりしたときには、両者協力してそれと戦った。そうした状況下で、イギリスでは、そのピューリタン(清教徒)の力によって、近代市民革命が行われたわけである。そうした関係で、アングリカン・チャーチ(聖公会)は、後期には、極めてピューリタニズム化したキリスト教になっていた。なお、市民革命以降は、イギリスの宗教は、我が国の仏教のように、小会派に細分化して行ったことを、ここに付言しておく。
 18世紀にヴォルテールが「もしイギリスに宗旨が一つしかなかったならば、その専横は恐るべきものだったであろう。もしそれが二つしかなかったならば、お互いにその喉笛(のどぶえ)を切合ったであろう。しかし、そこには30もの宗旨があって、みんな仲良く安穏に暮らしている」と言っている。
[集団作りに成功した国の国民が功徳を受ける] それから以降の、イギリス経済の驚異的大発展が、その、ピューリタニズム的なイギ
リスの宗教のお陰であることを、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムと資本主義の精神』という著書で、科学的に証明している。その本の極く簡単な内容を前述してあるので、ここをクリックして、それを読んで頂きたい。
 いずれにしても、イギリスは、ピューリタニズム化した英国国教会(アングリカン・チヤーチ)を集団構成機能として、当時(物的戦闘力優位の時代)として、最も妥当な(ポテンシャルの高い動態的構造になった)国家集団を作り上げることに成功し、世界の覇者となったのである。そして、真の神様はそれを可とされて、イギリス一国に、世界の功徳(くどく)の過半をお与えになった。その結果、イギリス人全てがその功徳(くどく)の恩恵を受け、一時は、イギリス人は庶民でさえ東洋やアフリカの王侯を凌ぐような豊かな生活ができるという状況であった。
 この大英帝国の例は言うに及ばず、人類史のどの時点を見ても、集団造りに成功した集団の構成員が、功徳(くどく)の殆どを独占している。構成員(国民)の幸不幸は集団(国)の幸不幸に隷属する。それが、人類の罰(ばち)と功徳(くどく)の究極の論理なのである。


 5賢帝の頃のローマがそうした国の典型であった。海外の各従属国から入る税は、膨大なものであった。その殆どが、ローマに入ったのだから、ローマの富裕さは大変なものであった。また、イタリア半島を統一した頃のローマには、奴隷は少なかった。だが、海外の戦争での捕虜や、敗戦国の奴隷が、戦利品として多量にローマに送られてき、ローまでは、平民までが、仕事を全部奴隷に行なわせて、毎日遊んで暮らせる状態になっていた。カラカラ浴場で演劇を見ながら風呂に浸(つ)かり、コロシアムで行なわれる格闘技などを見……ローマ市民は、遊興の毎日であったらしい。市民の中には、奴隷も持てず、職もない貧民もいた(約30万人)。その貧民に、毎日パンの無料配給が行なわれていたという。ローマは、それ程豊かだったのである。