ちくちくの記

2007年: 6月


2007年6月27日

帽子用の毛糸を物色しようと半端毛糸を引っ張り出した。半端毛糸の大半はラベルもないから、太さは
多分このくらいと見当をつけて分けてしまってあるのだけれど、並太かなと思った毛糸に極太の毛糸が
混じっている気配。それも一個や二個ではない。
仕方がないので並太と思しき半端毛糸を入れてあるを引き出しの中身を全部ひっくり返して整理してみ
たら、極太の毛糸が結構出てきてしまった。どれもこれも一玉あるか無きかで、帽子にでもするしかな
いかなあと思う。手始めにどれを使うかなと籠一杯の極太毛糸を弄っていたら、同色の毛糸が四個出て
きた。これ全部帽子にするのも途中で飽きてしまいそうだなと思う。
その毛糸を脇へよけて他の毛糸を見ているうちに、無性にセーターを編みたくなってしまう。それも極
太毛糸でざくざくと編みたい気分。材料は足りるであろうかと、四個ある毛糸に合いそうな色目の毛糸
を物色して集めてみたらセーター一枚分くらいはありそうである。足りなかったら細い糸を拠りあわせ
て使えばいいんだし、折角その気になったのだからと、早速編み始めてしまった。
久々に使う太い針と太い糸で最初は少々違和感があったけれど、慣れて来ると編むのが楽で編み進むの
も早い早い。配色は例のごとく思いつくまま気の向くままで、相性の良さそうな色を好きな様に配して
のやたら縞。時々ものさしでサイズを測ってみるものの、最初からきっちり計算しているわけではない
から、こんな感じかなとかなり大雑把。そのせいもあって、すいすいと編み進む。編み始めて二時間、
気がつけば身頃を半分編み終わっていた。
この調子で、編み物熱が高まっているうちに、さっさと仕上たいなと思っているのだけれど、どうなる
かなあ。実を言うと、出だしの勢いが良かったときは、大抵中だるみになってしまうのがこれまでの常。
これも同じ道を歩むのであろうか。


2007年6月15日

もう6月も半ば。あっと言う間に時間が経ってしまう。先月も同じような感想を抱いたような。
それだけ齢を重ねてしまったと言うことなのかな。
まあそんなことはさておき、暑さに向かおうというのに編み物気分高揚中。それも夏糸ではなく毛糸編
み。確か先月、しばらく毛糸はお休みと、完全に編む気が失せたものを潔くほどき、出してあった毛糸
も物入れの毛糸も整理して片付けたはず。尤も、結構な量の毛糸を頂いてしまったので半端毛糸が入り
きらず、一部はみ出しているのだけれど。
それなのに今、会社の休憩時間には帽子や靴下を編み、家ではごそごそと編みかけを引っ張り出してい
る。一応、編みかけを仕上るのと、靴下や帽子を編んで、はみ出してる毛糸を半分くらいにするのが目
標。確か去年も同じ頃せっせと編み物していたような気がする。そこで手仕事記録をたどってみたらや
はり同じ時期に同じようなものを編んでいる。
何でこの時期になると編み物をしたくなるのかねえ。たまたま偶然同じ時期に編み物がしたくなっただ
けなのだろうか。それとも何か編み物をしたくなるきっかけがあるのだろうか。


2007年6月13日

このところ毎日、鳥の声が喧しい。去年まではこんなこと無かったのに、と思いながら声がするのはど
こだろうと眺めてみると、どうやら桜の樹の様子。熟し始めた実をついばみながら鳥たちのおしゃべり
が続いている。中には虫でもいるのか樹の幹をせっせとついばんでいるものもいる。
何羽くらいいるのかと数え始めてみたものの、鳥がひとつとこにじっとしている訳も無く、数えること
は出来なかった。ちらりと見た感じでは十数羽はいる感じである。
桜の樹に実がつくのは毎年のことだし、鳥たちがその実をついばみに来るのも毎年のこと。でもこんな
に沢山の鳥が集まったことはこれまで一度も無い。桜の実が豊作とも思えないし、今年は特に味が良い
わけでも無さそうである。なのに今年は何故こんなに鳥が集まるのであろうか。
集まってくる鳥もすべて同じではない。少なくとも数種の鳥を目撃している。桜の樹に群れるだけでは
なく、地面を歩きながらなにやらちょんちょんと突っついて食べているのもいる。雨の後には水溜りで
水を飲んでいる風な鳥も見かける。
何故かねえと、つれあいと二人で首を傾げている。
こうやって書いていて思い出したことがひとつ。ここしばらく、近くの電柱で群れていた数羽のカラス
の姿を見ていない。ががっががっ、かーかーと鳴いてこれまた結構煩かったのだけど、考えたらその鳴
き声を耳にしていない。そして、我が家の庭で昼寝をするのが好きらしい結構太目のぶちの野良猫も姿
を見かけない。
今年桜の樹に群れている鳥はどれもからすより小さい鳥たちばかり。ひょっとしたら、以前は寄り付き
たくても怖いお兄さんたちが一杯で寄り付くことが出来なかったのであろうか。昼寝好きの野良様は確
かにふてぶてしい顔だったし、からすのお兄い様たちも結構大きくて強面だったもんなあ。


2007年6月7日

あちこちで目にするフェルト用の原毛。色がきれいでちょっと試してみたい気がしないでもないけど、
結構なお値段。さてどうしたものかと思っていたら、旅先で手頃なお値段のものを発見。思わずひとつ
買って帰ってきた。
買ってはきたものの放ったままだったこの原毛をようやく引っ張り出して、針山用のまん丸フェルトを
作ってみた。思っていたより簡単で、短時間に丸く固まる。これならまずまずかと水気を切って乾燥と
なったのだが、その辺に転がしておけば簡単に乾くであろうと思ったのは甘かった。芯まで乾いたと思
えるまでに実に一週間も要してしまった。
出来上がったものに針を刺してみたら、針どおりが良くて何だかとてもいい感じ。このままでは転がっ
てしまうので目論見どおり糸立て付きの針山に細工をしてみた。細工と言っても板切れに細い丸棒を立
て、まん丸の針山を取り付けただけの簡単なもの。使いかけの糸を糸立てに嵌めて使ってみたら、そこ
そこの使い心地で、何だかうれしくなってしまった。
気を良くしてただいま三個のまん丸針山作成中。フェルトにするときや出来上がったときの状態を比べ
てみたくて、材料の原毛は全て出自が異なっている。最初に使ったのは北海道の牧場で育った羊の毛。
ただいま実験中なのは、タスマニアの羊の毛と、京都の糸メーカー直売店で見つけた原毛と、詰め物用
に買った大袋に入っていた原毛。
同じような感じの原毛でも、フェルトにするのに要した時間は様々。フェルトにするのに結構手間だっ
たのはタスマニアの羊の毛。カービングもしてなくてもこもこしてるので一番面倒そうに思えた詰め物
用の原毛は、思ったより簡単にフェルトになった。京都で見つけたものは北海道で買ったものと大差な
し。やっぱりなんでもやってみないと判らないものだ。
さてこの針山、実験してみたは良いけれど、出来上がったらどうしようかな。沢山あっても一人では使
い切れない。これもまた誰かに無理やり貰ってもらうことになるのかな。


2007年6月4日

久々に会った人達と話をしていてメールの話題になった。私の中でメールと言えばパソコンメールなの
だけれど、彼女たちの中ではメールと言えば携帯メール。前はパソコンメールが主だったけど今は携帯
メールのみになっちゃったと言う人も居る。
その場に居た8人の中で携帯を持っていないのは私一人なのだから、こうした状況も当たり前と言えば
当たり前なのだけれど、改めて携帯普及率の高さを思い知る。そして、そろそろ携帯を持つべき時期な
のかなあと思わなくも無い。でもねえ、別に無くても事足りてるし、持つ必要性も余り感じていない。
尤も、自分自身は必要性を感じていないけど、周囲の人間はそうではないらしい。特につれあいは私に
携帯を持たせたくて仕方が無いらしい。連絡が楽だからと言うけれど、私はそれにも疑問を感じている。
現に携帯を持っているから連絡してと番号を知らされているのに、一度たりと繋がったためしの無い人
が居るのだから。聞けば、電源を切っていたとか、携帯ならぬ不携帯だったとか、それなりに理由を挙
げるのだけれど、連絡したいときに繋がらなかったら持ってる意味が無い。高い使用料金払って、通話
料だって安くは無いのに、無駄としか言いようが無い。
それに、お行儀の悪さが目に付いて仕方が無い。歩きながら携帯、自転車に乗りながら携帯、電車の中
で大声で携帯、等々。本人はいいだろうけどとっても傍迷惑。よそ見しながら歩いてたり自転車に乗っ
てたりするわけだから、危ないことこの上なし。危ないなと思ってよけることが大半だけど、場所によ
ってはよけようが無くてぶつかってこられたりすると腹が立つ。おまけに、自分がよそ見してぶつかっ
てきたのに、危ないなあ気をつけろ、と怒鳴る阿呆も居る。ぶつかられたほうはいい迷惑。
自分がそうならないと言う保証は何処にも無い。そんなことを考えはじめると、携帯持つのも考え物だ
なあと思ってしまう。とはいえ、公衆電話も段々減ってるし、そのうち否が応でも携帯を持たなければ
ならなくなるのであろうか?便利さを認めないわけではないけど、何だかなあとため息が出るのも事実。


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