著書論文 通信制実践 定時制実践 情報教育実践

初任校での思い出と実践©

紅水母熊虫©
(べにくらげ くまむし)
(ベニクラゲ クマムシ)
(ペンネームの一つ)  

 「7(セブン)11(イレブン)、いい気分!」
というコマーシャルの一節がありました。初任校では、朝7時出勤、夜11時まで勤務というのが当たり前の生活でした。朝は部活動の朝練、夜は会議(生活指導にかかわる臨時職員会議がほぼ毎日のように開かれました)やその他諸々校務のため、長時間在校する必要があったのです。白熱する職員会議中の夜10時ころ、小学生女子から母親に電話があり、「会議中なのでまだ帰れないの・・・」と答えている場面もありました。昼も勿論休めませんでした。校門前の立ち番、各種生徒指導等であわただしく、昼食をとれなくても夜まで忘れていることもしばしばありました。困難な生徒指導のストレスから食欲もなく、昼食をとってなくても気がつかなかったのでした。
森のせせらぎ
 日曜日は殆ど、部活動等のため出勤(当時は土曜日も出勤日)、夏休みも部活動とその合宿、文化祭においてクラスで発表する演劇や合唱の練習などでほぼ毎日出勤していました。
 夏休み中1日も来ない教員が多い学校がたくさんあるという噂を聞いていた中で、当時としては、異例だったのではないでしょうか(休業中の生徒の転校に必要な書類等についても、生徒への事前指導は勿論、いつでもすぐに生徒指導や書類の準備ができる態勢をとっていました)。
 私達若い教員は、担任もやりながら各分掌も中心となってやるのでした(年長の「学年主任」は担任を持たず、各分掌「主任」は、分掌の仕事を持ちませんでした)。
 実際に忙しい学校だったと思います。例えば同窓会幹事の仕事で小学校の教頭先生と普段の日曜日や夏季休業中(いくつかの小学校で、夏季休業中に校長・教頭どちらにもなかなか連絡が取れませんでした)に打ち合わせをしようと思っても、当方側の公務事情でなかなか日程を合わせられないということもありました。
 中学校数校と生徒指導に関する情報交換会を企画した時は、当校側は、17時以降が都合がよいのに対し、中学校側は勤務時間等の関係で16時前でないと都合が悪く、時程調整に苦慮しました。
紅水母熊虫,べにくらげくまむし
紅水母熊虫
 年2回の遠足(それぞれ下見・補習を含む)や夏休み中の林間学校等の仕事で、毎年10回は山に登りました。急な雨や雷対策として、ポンチョも買いました。生徒全員にも買わせました。日帰り遠足でも、街灯もない真っ暗な山道を歩き学校に戻るのが夜7〜8時頃になるので、生徒達に頭につけるタイプの電灯又は懐中電灯を持たせました。
 家庭訪問へ行く場合も、懐中電灯を持ち、マイカー教員に同乗した上、さらに車が入れない道を何十分も歩いたりしました。自分のミニバイクで行く場合は、予備のガソリンを積んで出かけました(ガス欠になっても途中にガソリンスタンドがないため)。
 生徒の身の安全を確保してくれという保護者の要請に基づき、毎朝、生徒の自宅前から警護していくような仕事もしました。教員になってまさかSPのような仕事をするとは思ってもみませんでした。
 初任校での実践紹介例として、 会報「社会科歴史散歩について」、「歴史の研究授業に学ぶ」、研究紀要「文化祭への取り組み−クラス全員が参加する演劇及び合唱の活動記録」、「一年間をふりかえって(商業科を代表して)」などがあります。「社会科」として定期的に研修会も行いました。社会科の各教員から書籍を指定させ、指定した書籍を教科の全員が事前に読み、その書籍の内容について意見交換や討論をするのです。各学期に1度は行っていました。

 初任校では、「長屋」と呼ばれるブロックを塗り固めただけの長細い教職員住宅の一部に住んでいました。私が入居した時、バスタブは壊れていて、自費でバスタブや風呂焚きシステムを購入したのでした。夜沸かした風呂が朝凍っていることもありました。露天風呂ではありません! 室内の風呂が凍ってしまったのです! 水道が凍り、水のありがたみを知った長屋生活でもありました。水か飲めない、顔や手が洗えない、食事を作れない・・・等々です。朝、−5位だと「今日は暖かいですね」と挨拶を交わしたりもしました。
 キッチンで毎日がりがりする音が聞こえ、原因がわかりませんでした。キッチンの下の棚に入れて置いたお米やインスタントラーメンが無くなっていました。そして、キッチンの床に穴があいていました。「ゴキブリほいほい」よりも遙かに大きな粘着シートを敷いて置きました。すると鼠が往生(おうじょう)していました。厚い木の床を引きちぎり、食料を奪って行くのはすごい生命力だと思いました。
 林間学校の引率で、3日ほど「長屋」を留守にした時は、雑草が物干し竿に絡みつくまでに成長し、洗濯物が干せない状態になっていました。また、玄関に蜂が巣を作ってしまったこともありました。夜パジャマを着ると冷たくて気持ちのいい電流のようなものが走りました。百足(むかで)でした。靴を履こうとして、踏みつけそうになってしまったこともありました。百足は風呂に入っている時も出没しました。風呂場では、蟻も行列をつくり、天井に向かって行進していました。
 食料品を買いに行くには、片道徒歩30分、往復1時間の道程でした。意外と思うかも知れませんが、食料品でさえ、都市部よりだいぶ物価が高い状態でした。夕食のメニューが翌朝生徒達には筒抜けでした。飲み屋で生徒の話でもしようものなら、翌日には伝わっていました。「長屋」のすぐ前だからと酒気帯び状態でバイクに乗ってしまった教員が捕まり、書類送検されたこともすぐに生徒に筒抜けでした。
 「長屋」から火をだしてしまった教員もいました。定時制の教員が起こしたことでしたが、私たち全日制の「長屋」住人も一緒に謝りに近所周りをしました。
片栗
 地域へのボランティア活動(奉仕活動)として、幼児や小学生の休日における安全確保、地区会館の清掃、祭への協力なども行いました。
 新聞屋はこちらから頭を下げてお願いに行かないと新聞を入れてくれませんでした。NHKからも見放されて、アーバンライフとは全く異なる生活でした。
 「長屋」の玄関前には片栗の花が咲きました。遠くから「長屋」前にこの片栗を見に来る人達もいました。また、鮎の友釣り解禁時期には、「長屋」前が迷惑無断駐車で満ち溢れました。
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