日 時 : 毎年1月5日 10:00から 
場 所 : 神奈川県鎌倉市 鶴岡八幡宮 舞殿西側境内
歩射儀式: 蟇目の儀、大的式
正月の大的式は、弓始式、的始式として鎌倉幕府及び足利鎌倉御所(公方)等により継承された、小笠原流の最も厳格な射礼です。
鎌倉幕府の弓の行事としては、放生会(現在の例大祭)の流鏑馬と双璧をなす重要な儀式で、現在はどちらも鶴岡八幡宮の神事として小笠原流の門人がご奉仕しています。
鶴岡八幡宮の年表によると、昭和9年1月5日に「射初式」が行われたことが記されており、昭和16年に「射初式」から「弓始神事」に、昭和21年に「弓始神事」から現在の「除魔神事」に名称が変更されてきています。それ以前の様子については、資料が失われているためよくわからないようです。
大的式に先立って、蟇目の儀が執行されます。
吾妻鏡には「御弓始」「御的始」として記されており、正月だけではなく御殿などの新築に際して行ったようです。
吾妻鏡に最初に記されている「御弓始」は、治承4年(1180)年12月20日の新造御亭の酒宴におけるものです。
正月における「御弓始」「御的始」として、吾妻鏡に最初に記載されているものは、次のような内容です。
文治4年(1188)年正月6日には、上総介(足利)義兼が正月の挨拶に来て酒宴の最中に「御的始」を行ったとあります。射手は次の4名でした。
一番 榛谷四郎重朝 和田太郎義盛
二番 愛甲三郎季隆 橘次公成
翌文治5(1189)年正月3日、源頼朝が「御弓始」を行えと命じ、下河邊庄司行平が召されました。行平が弓矢を取って弓場に進み出て蹲踞し衣文を刷います。堪能者一人が立ち逢うべきとの仰せによって、香の水干を着た修理進季長が立ち上がって行平の後ろに蹲踞したところ、行平は立ち上がりません。その様子を見て頼朝が榛谷四郎重朝を召し、重朝は行平と季長の間に蹲踞します。すると行平は紐を解き、弓を取り直して進み出て立射を行いました。季長は自席に戻らず、そのまま逐電したとのことです。
数日後の正月9日、「若君御方弓始也。射手十人、於小御所南面、有此儀」との記載があります。射手は次の10名でした。
| 一番 |
下河邊庄司行平 |
曽我太郎祐信 |
| 二番 |
小山七郎朝光 |
和田三郎宗實 |
| 三番 |
藤澤次郎清近 |
橘次公成 |
| 四番 |
三浦十郎義連 |
海野小太郎幸氏 |
| 五番 |
榛谷四郎重朝 |
和田小太郎義盛 |
この文治5(1189)年正月に源頼朝が行った御弓始をもって、その後も鎌倉で続けられた正月の弓始式の起こりとしているようです。
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