○ てふてふ闘病記 ○

 

HOME   


 

私は2001年9月23日〜10月15日の間、脳梗塞で倒れ入院しておりました。その間、ホームページの更新が途絶え皆様にご迷惑をお掛けしました。

脳梗塞(のうこうそく)とは脳内の血管に血栓等が詰り、意識障害や運動障害を起こす病気です。

『その時は突然訪れました。2001年9月22日(土)23時30分頃です。夜中、ふとした拍子で起き上がろうとしたのですが、どうにも体が動きません。布団の上でバタバタもがている感じでした。その内、物音に気が付いて妻、子供達が「どうしたの?」と話し掛けてくるのですが声が出ません。

目は見える、耳は聞こえますが、話す言葉はレロレロしているのが自分でも分ります。また、だんだんと妻、子ども達が動揺して行く様子が分るのです。しばらくして救急車のサイレンが聞こえてきました。』


脳梗塞からの回復の記録です。

【 入院中と退院してからリハビリを兼ねて時間がある時に作りました。 】

頭がボーッとしているので誤字脱字が多いと思いますがお許しを!


2001年9月22日(土):1日目

23時30分:<娘の手記>

日曜日に図書館に行く準備をしていたら、3階から大きな物音と話し掛ける声がする。様子がおかしいので見に行くと、お父さんは左手が自分の体の下へ入り、口からよだれを出し、うめき声を出していた。良く聞き取れない。左手が動かない様だ。ろれつも回らず、左手を体から出してあげて、お母さんへ救急車を呼ぶように言う。

10分後救急車が到着する。その間は大変長く感じられた。救急隊は階段の構造が悪いのとお父さんの様子を見るために15分近く3階にいる。私とお母さんは支度をし、妹がお父さんの傍に居てあげる。お父さんはしきりに「寒い寒い」と言っている。皆で手伝い担架で救急車へお父さんを運ぶ。

救急車の中でお父さんの手足をさすり温めてあげる。以前、入院した事のあるSI病院やMU病院に行く事をお願いしたが、急患が入り駄目で、最後に大きな病院であるSA病院に決まる。

23時30分:<私の手記>

頭が痛い訳ででも気持が悪い分けでもない。意識はボーッとしてはいるものの相手の言っている事は分るが、言いたい事がなかなか言えない、また左腕が動かないし左腕があるのか無いのかも分らない。妻、子供、救急隊の方の覗き込む顔が交錯する。


2001年9月23日(日):2日目

0時30分:<娘の手記>

家族全員で救急車に乗りSA病院に到着。すぐに脳のCTとMRI検査を実施。血栓の詰った場所が特定できたので脳に太股から管を入れて血栓を溶かすカテーテルを実施する事がきまり、お母さんが同意書にサインをする。

1時30分〜3時30分:<娘の手記>

カテーテルが無事終了。カテーテルの最中に、左腕が動くようになったとの事だ。ICUに移動。

4時00分:<娘の手記>

お父さんと面会。少し顔色も良くなったようだ。タクシーで家に帰り寝る。

0時30分〜3時30分:<私の手記>

SA病院に到着すると、問診、酸素吸入、ヘパリンの点滴、「岡本さん、尿道に管をいれますよ」と言うも間もなく突っ張るような痛み。

次はCT検査室、MRI検査と矢継ぎ早に続く。MRIは土管の中に上半身を入れられて、金槌でガンガンたたかれるような大きな音がして頭がおかしくなりそうだった。狭い所に一人で押し込められると不安で心臓が高鳴る。

カテーテル処置は右足の付け根の動脈から直径5.3mm程の管を入れてその管の中に更に細い管を挿入し血栓が詰っている脳の患部まで到達させる物だ。太股付け根部み麻酔をされているので、これといった痛みはないが「動かないでくださいよ」という合図の後に、右目の奥にオレンジ色の光が数秒間見えるのだ。まるで打ち上げ花火を見ているように。あとで先生から聞いたのだが花火が見える瞬間は、カテーテルの先端から造影剤が噴射されている時らしい。造影剤だけではなく血栓を溶かす薬も噴射してたとの事だ。

何回か花火模様を見ている内に、左手が動きだした。

12時00分:<娘の手記>

病院へ行く。倒れた時より話しは出来るが、まだ左頬と口の回りの筋肉が麻痺している。2階の集中治療室から3階の回復室に移る。ナースステーションの目の前の部屋だ。

昼食はベッドを斜めに起こしゼリーを少し食べる。

13時00分<娘の手記>

家に帰るが、皆、食欲が無い。ひげそりを買いに行くついでにマックで軽く御飯を買う。洗濯、片付けをし、妹と私は昼寝をする。

17時00分<娘の手記>

再び病院へ行く。尿は管を通してひとりでに袋に溜まるそうだ。500ml程溜まっていた。ベッドを斜めに起こしてあげると顔の左半分が下へさがり、よだれが出てきた。ちょっとレロレロしているし「い」という発音が出来ない。

18時20分<娘の手記>

口が乾いているので拭いてあげてリップクリーム塗ってあげる。夕飯は重湯、トロミドリンクをさじで運んで食べさせてあげる。全部食べてくれたので安心する。

19時00分<娘の手記>

両手の握る力が同じ位になってきた。心電図異常無し、体温平常。看護婦さんのチェックがはいる。8時までが面会時間だが、お父さんは「眠いと言い出した」ので帰る事にする。

20時00分<娘の手記>

家に戻り、お母さんは関係する人へ電話連絡をしていた。


2001年9月24日(月)秋分の日:3日目<24日以降全部私の手記>

10時00分:

会社の方が御見舞に来てくれる。「会社の事は心配しないで治療に専念してくれ」と言う。有り難いお言葉、感謝します。だけど、あまり多く休むと皆に迷惑がかかるので一日でも早く治すように努力しよう。

15時00分:

両親と弟が宇都宮から御見舞に来る。「親より先に死ぬのは最大の親不孝だからね。健康に気を付けなさい」と言われる。返す言葉が無い。

18時00分:

夕食時、初めて体を垂直に起こしてもらって食べさせてもらう。鏡で顔を見ると別人になっていた。左半分のまゆ毛、目、頬、唇、あごが全部垂れている。鼻は右方向に曲がっている。一夜にして人間の顔は斯くもこう変るものか! 流動食は、左口よりダラダラ出てくる。

19時00分:

私の脳のカテーテル治療を施してくれた主治医の回診があった。今まで、右太股にカテーテルの管が入ったままなので、右足はベッドに縛り付けられていた。これからその管を抜くと言う。抜いた管を見せてもらうと長さが数10cmもあったので驚いた。抜いた後、私の場合血がなかなか止らないので主治医は30分以上止血してくれる。患部を両手親指で強く押さえている疲れる作業だ。頭が上がらない。

私も明日の午前中まで体を動かせない。先生の事を思えば何て言う事は無い。


2001年9月25日(火):4日目

7時30分:

昨日は睡眠薬をもらったので良く眠れた。朝食:おかゆの汁、味噌汁の上澄み、洋梨おろし、トロミドリンク、ヨーグルト。

9時15分:

2日半大便が出ていない。そう思うと何となくお腹がゴロゴロしてくる。看護婦さんにトイレで出来ないかとお願いすると主治医に確認をとるとの事、「移動時に付き添いつきの手押しなら車椅子で良い」との許可がおりた。いざトイレに座るとたいして出なかった。フラフラで介在無しではとても一人では立てない。

9時45分:

看護婦さんが全身をタオルで拭いてくれた。何と気持ち良くてありがたいことか。看護婦さんは天使である。

10時00分:回診

主治医の回診、特に左手を入念にチェックしている。「左手だけでも良く動くようになって、良かったね」と言われた。

あの時目が覚めなかったら、あの時治療が遅ければ、あの時カテーテル治療が出来なかったら、あの時主治医が居なかったらと考えると恐ろしい。最悪、生きていなかったかもしれない。生きている事に喜びを感じる。顔の形なんてどうでも良い、うまく喋れなくてもどうでも良い。

12時00分:

食事が左口よりダラダラでてしまう。水を飲むと気管に入ってしまいむせてしまう。目には見えないが喉も麻痺しているようだ。

12時50分:

たまに家の前で犬の頭を私と一緒に撫で撫でしているおばさんが、ベッドの前に制服を着てキリリとした姿で立っている。知らなかったのだが、ISさんはこの病院の泣く子も黙る科長さん(婦長さん)をしているのだ。外来の救急の偉い方だったのだ。その方が御見舞に来てくれたのだ。まわりの看護婦さんもさぞ驚いたに違いない。「なぜ岡本さんを見回ったのだろうか?」と。いつものおばさんが輝いて見えた。

14時40分:血圧88〜138mmHG

16時00分:

観察室から367号室の部屋に移る。2ベットで1つ空いている。ナースステーションの向かい側だ。観察室からは富士山が見えたが今回は反対側なので見えなくなってしまった。妻に歯を磨いてもらう。

18時00分:

夕食:おかゆ、味噌汁の上澄み、クリーム、トロミ洋梨ドリンク

20時00分:

隣に患者が入ってくる。姿は見えないが家族をあごで使っているかなり威張ったおじいさんだ。

私は元々、威張っている人と感謝の気持ちが無い人は嫌いなので、やれやれである。

20時45分:

NHK首都圏ネットワークニュースを見ていたら、宇都宮の英会話クラブの紹介をしていた。瞬間、目に留まった人が居た。「ひょっとするとGさん?」と感じた。宇都宮大学教育学部国際学科で勉強していて、私の実家に生け花を習いに来ている人だ。Gさんはブルガリアの方で、5カ国語くらい喋れる。私が夏休み帰省した時にホームシックになってると聞いていたので家族でお会いして慰めてあげたのだ。間違いなくGさんだということが後で分った。


2001年9月26日(水):5日目

5時50分:血圧138〜190mmHG

血圧が高いので血圧を下げる薬を飲む。飲むと言うより小さな柔らかい粒を噛むと中から苦いものがでてくるのである。

7時30分:血圧90〜150mmHG

7時45分:

食事は全てキザミがはいっていてトロミ風になっている。おいしいので今まで残した事はない。

10時40分:血圧75〜132mmHG

14時35分:血圧90〜150mmHG

15時35分:

となりのおじいさんは別棟に移動し、別のおじいさんが入ってくる。今度のおじいさんは静かなのだが付き添いのおばあさんがとんでもなくうるさい。一人で大声で常にブツブツ言っている。「この部屋は狭いね。じいちゃん頭、痛いかい?」、おじいさんは「全然、痛くないよ」と言っているのにナースコールをする。それが1回2回なら良いが、多い時で10分間で5回も呼んでいる。付き添いだからと言って回りを考えた行動を取ってもらいたいものだ。患者がわがままを言うのは分るけど、付き添いは、患者の事、隣のベッドに寝ている人の事、看護婦さんの事、看護助手の方を良く考えてから行動をおこすべきだ。

15時35分:

点滴は一日中2本やっているが、毎日針を抜く必要が無い。プラスチック針なので3日で場所を変えている。変えないと、血管が炎症を起こすらしい。プラスチック針は射す場所によっては腕が自由に動かせるので人に優しい。

尿道に入っている管を抜いて欲しいと看護婦さんに相談するとまだだと言う。残念。

18時20分〜18時50分

CT検査、車椅子で1Fに移動、CTは痛くもかゆくも無いので安心である。

19時00分:Iさん(会社)の御見舞を受ける。

19時40分:血圧79〜125mmHG

19時30分:Sさん(会社)の御見舞を受ける。


2001年9月27日(木):6日目

7時10分:

看護婦さんの仕事ぶりは戦場にいる時のようである。特に朝は一斉にナスコールが鳴り続き、看護婦さんは走りっぱなしである。皆さんテキパキと仕事をこなし、その姿に脱帽。

10時10分:

体から一本一本管が抜けてくる事は嬉しい事だ。・太股にあったカテールの管 ・鼻に差し込んだ酸素の管 ・心電図のコード。私の心電図は24時間ナースステーションのモニターに常に表示されていたのだ。時々コードが外れた事があったがモニターの画像はどうだったのだろうか。

10時30分:

ここの病院は航空自衛隊基地のすぐ傍にある。同時多発テロ事件のせいだろうかジェット機の発着が頻繁である。私の居るナースステーションのそばの部屋は重症患者が多い。看護婦さんの大きな呼び掛ける声や患者のうめき声はジェット機が近づくと掻き消されてしまう。

12時30分:

主治医の回診、昨日のCTの結果は右脳のダメージの範囲が確認された事と、血液がちゃんと流れている事が分ったとのことだ。

15時00分:血圧80〜134mmHG

15時30分〜16時00分:リハビリ

リハビリが始まる。5階のリハビリセンターに車椅子で押していってもらう。好青年のN先生が優しく対応してくれる。立ったり座ったり、ゆっくり歩ったり全身の動きをくまなくチェックする。本人は雲の上を歩いているような気分である。結構疲れたが、隣で優しく微笑みかけてくれるA先生の助けを借りて何とかできた。極力、喋るように、笑うように、面白い表情を作るように、左顔面をマッサージするように言われた。


2001年9月28日(金):7日目

7時00分:

昨日は睡眠薬を飲まずに寝た。恐い夢を一杯見た。楽しい夢を見る部分が破壊されたのかなー?

7時40分:血圧90〜140mmHG

10時00分:

367号室から353号室へ部屋を移動する。2人部屋から6人部屋へ昇格だ。うるさいおばあさんとも別れやれやれである。ナースステーションからも離れた。なんと静かなのだろう。

11時43分:

待ちに待った尿道に入れた管を抜く瞬間、抜き去る時なんとも妙な気持ちがした。抜いた後はアルプスの草原に放たれた羊のような気分だ。メェー!?

13時30分〜14時30分:リハビリ

リハビリルームに一人のおじいさんが車椅子で押されて入ってきた。とその時、先生方が一斉に「ハッピーバスデー   トゥー   ユー」と歌い出した。リハビリ中の患者もみんな歌い出した、私もいつの間にか歌っていた。 おじいさんの70歳の誕生日なのだ。おじいさんは満面に笑みをたたえていた。

ゆっくりと片足バランス、直進、横歩きを毎回血圧を確認しながら行なう。休み休みやっているが結構疲れる。あせってはいけない。あまり先の事は考えないでゆっくりやろう。優しいN先生やA先生はおじいちゃんやおばあさんちゃん達からの人気者だ。

18時15分:ISさんの御見舞を受ける。

18時20分:WAさんの御見舞を受ける。

18時25分:KAさんの御見舞を受ける。

 


2001年9月29日(土):8日目

5時00分:

隣のベッドにいるおじいちゃんがスリッパに足を通す音がする。パタパタパタと歩きはじめた。ガラガラと点滴スタンドを押す音も聞こえる。その内、足音がもう1人増えた。なかなか戻ってこない。優しい看護婦さんが徘徊ぐせのあるおじいちゃんと一緒に歩いてあげているのだ。その内、2人の足音が戻ってきた。

6時20分:血圧72〜134mmHG

7時00分:

朝食の味噌汁の中に初めて具が入った。うれしい。献立も徐々に変化しているのだ。

9時15分:

綿棒で耳掃除をした時分ったのだが、左耳の穴の径が狭まったようだ。途中でつかえて奥まで入らなのと綿棒との接触部分がすごく痛い。また、左の頬の内側を食事の時などに血が出る程思いっきり噛んでしまうのだ。また、左目の視力も落ちたようだ。

10時00分:

窓際のベッドに看護婦さんの言う事を全然聞かない患者が入ってきた。「ベッドに起き上がってはいけません」と言われているのに、起き上がったり、歩いて窓まで行っているようだ。カーテン越しに何となくわかるのだ。先程、看護婦さんに見つかり怒られていた。当然である。

14時50分:TAさんの御見舞を受ける。

15時00分:HAさんの御見舞を受ける。

17時05分:

窓際の患者は食べてはいけない飴をなめたり、トイレに歩って行ったりして、相変わらず看護婦さんに怒られている。患者も患者だがその奥さんもどうしようもない。病院の中で携帯電話の使い方を患者(だんな)から教わっているのだ。ピポパと音がする。しかも「病院内では使ってはいけないんだよね〜」などとヒソヒソ話しがする。わかってやっているなんて最悪だ。

また、何か食べはじめた。「袋はごみ箱に捨てたらやばいね」などと言っている。

19時40分:血圧98〜144mmHG

23時00分:

静寂の中から変な音か聞こえてくる。「ピ・ポ・パ」、隣から携帯電話を操作する音だ。「もしもーし、おじさんですか?元気ですか?」と5分ほど喋って、次におばさんに電話している。その後何人かに電話をしている。その内ベッドから携帯電話を落としてガサガサ探しまわっている。とんでもない患者だ!

23時40分:

ナースコールをしナースステーションまで車椅子で運んでもらう。そこで、今、隣で何が起きているのか説明をする。看護婦さんは、すぐに「わかりました」と言って、私を別の部屋(356号室)の空いているベットに移してくれた。素早い的確な処置にまた脱帽。


2001年9月30日(日):9日目

6時30分:血圧110〜180mmHG

血圧降下薬を飲む。

8時30分:

例の患者の部屋に戻りたく無いので、看護婦さんにこの部屋に置かせて下さいとお願いすると「良いです」との事。ありがたい。荷物は後で移動してくれた。

13時30分:NIさんの御見舞を受ける。

14時50分:血圧90〜130mmHG

15時30分:妻の両親と兄弟の御見舞を受ける。

17時40分:

9月25日の正午に御見舞に来てくれた科長(婦長)さんが忙しい中、御見舞に来てくれた。この病院の看護婦さんや看護助手の方の動きが素晴らしい事を話す。何か教育や研修をやっているのですかと聞くと、特別にはしていないそうだ。日常の中で自然とシステム化されているのだろう。素晴らしい事だ。

18時00分:

高橋尚子さんがベルリンマラソンで女子で世界最高記録、金メダルのニュースが入る。元気が出てくる。


2001年10月01日(月):10日目

6時00分:

昨日は平穏な夜だったが、1時間毎に起きてしまう。ナースコールし看護婦さんに頼んでトイレにも何度か連れていってもらったので申し訳ない。と言うのは、目の前がトイレで車椅子に移動している間にトイレに行ける距離だからだ。主治医と相談してトイレは1人で行けるようにしよう。

7時00分:

車椅子なので、食事は看護助手の方が持ってきてくれる。いつも笑顔でお茶も入れてくれる。ICUから出たての時は体も拭いてくれた。リハビリの時はリハビリセンターまで車椅子を押していってくれる。そうでない時はワゴンを引っ張って部屋と部屋を行き来している。「頑張ってるね、いつもありがとう」と言うと清々しい顔で微笑んでいた。天使に見える。

9時00分〜10時00分:リハビリ

午前中の私のリハビリ担当の先生はMA先生である。絵に描いた見本を見て同じように立方体を積み重ねるのだ。MA先生は与えた課題がちゃんとできるかどうかストップウォッチを片手に鋭い視線を投げかける。ちょっと緊張したが素早くちゃんと出来たので安心した。

11時30分:

「1日中、頭がボーッとしている」と看護婦さんに言うと、薬剤師の方が薬と点滴の内容の説明に来てくれた。1本目の点滴は脳の代謝を良くするものだそうだ。2本目の物は栄養剤。頭がボーッとしているのは多分飲み薬のせいでしょうと言っていた。質問をすると必ず答えが返ってくるのも信頼ある病院である。

11時50分:

看護助手のKOさんは正看護婦の資格を取るために病院で働いているそうだ。昼間こんなに働いていたら疲れて勉強ができるのだろうか? 11月に試験があると言う。是非頑張って受かって欲しいものだ。

13時20分:血圧90〜130mmHG

13時30分〜14時30分:リハビリ

A先生が「あっ、ナッチャンの腕時計だ!」と叫んだ。と、私の周りにはリハビリセンターにいる先生方が集まってきた。「私、この時計が欲しいんだ! いいなー、うらやましい!」と特にA先生は興奮している。N先生も知っているようだ。入院してから娘に無理矢理付けさせられた時計なのだが人気の時計らしい。ようは懸賞品で欲しくてもなかなか当たらない時計らしい。リハビリセンターの雰囲気は明るくて楽しい。

16時50分:

α波で脳に刺激を与えようとベッドに横になり目をつぶり、エンヤの曲を聞いていた。するとどこからともなく甘い花の香りがしてきた。エンヤは香りまでも感じさせてくれるのだなぁー。とつくづくすごいと思った。

目を開けてみると、掃除のおばさんが芳香剤を撒いていた。

17時30分:血圧90〜168mmHG

18時00分:

妻と子供は毎日見舞いに来てくれる。妻は一日2回来てくれる。病気になってつくづく思う事は、私の体は私1人のものではないという事だ。日頃忘れかけていた事なのだが、『基本は家族なのだ』と言う事を思い知らされた。ありがとう。


2001年10月02日(火):11日目

7時40分:

向いの人も隣の人も食べた食事を「持っていってあげようか?」と声を掛けてくれる。徘徊しているおじいちゃんの後ろにも看護婦さんが居ない時は誰とは無しに歩ける患者が後ろから付いている。

人から物や様々な欲を1つ1つ取り去っていく。最後に残るのは心と心のつながり。押し付けではなく自然と形成されていく生命共同体。

9時00分〜10時00分:リハビリ

各面に異なる色と模様が書いてある小さな立方体が9個(3×3)ある。それを組合せると様々な色と模様が出来る。絵に描いた見本がありそれと同じ物を何分で作成できるかのテストをする。MA先生の鋭い視線を感じるが慌てないでやる。9個から16個(4×4)になった途端に、えらく時間が掛かってしまった。すべてやり遂げたが、時間がかかったので情けなくなってしまった。肩を落としているとMA先生から、途中で終わってしまう人もいるのだからと慰められる。MA先生は優しい先生なのだ。

9時50分〜10時20分:お風呂

看護助手の方の介添えの元にお風呂である。患者にとってお風呂は快方への転換期であり、大きな喜びある。一皮脱げて生き返ったような気持ちがする。私の体細胞の一つ一つが水を求めていたのだ。生命は海から発生してきたのだなぁーとつくづく思う。

5階の展望風呂からは、秋の澄み渡った空の向こうに富士山がくっきりと見える。赤トンボが1匹横切る。

13時30分:MRI検査

いたくもかゆくも無いのに、いやな検査だ。前回(9月23日)記載したがMRIは狭い土管の中に上半身を入れられて、金槌でガンガンたたかれるような大きな音するからだ。「音をどうにかならないのかね?」と検査技師の方に聞くと「水分子の磁気を反転させる時に物理的に音が出てしまうのです。検査の解像度と検査時間を考えると今はしょうがないのです」とのこと。若輩者の私ですら嫌な検査なのだからお年寄りはもっと嫌な検査に違いない。MRI開発している人にお願いですが音を消して下さい。お願いします。

16時00分:SEさんの御見舞を受ける。

16時20分:回診

主治医の回診がある。1人で歩いて良いとの許可が出る。嬉しい。

17時00分:血圧88〜144mmHG

20時00分:

病棟をゆっくり歩ってみると「3FN」という表示を良く目にする。何かのサークル活動の略語なのかなーと思って看護婦さんに聞いてみると3階北病棟の意味だった。思い込みは禁物である。


2001年10月03日(水):12日目

6時35分:血圧104〜152mmHG

7時00分:

私のベッドの向いの患者さんは歯医者さんです。歯を丈夫にするには食事をする時の姿勢と磨き方が大切であると言う。骨盤と背筋を伸ばして、88回良く噛んで食べなくてはいけないとの事。また、歯磨きは食事の前後に行い、磨くのではなくカスを落とす気持ちで優しく行なうのが良いとの事だ。

今日から歯医者さんの言う通りにやってみようと思うが、食事の前のカス取りは無理だなと思った。

9時00分〜10時00分:リハビリ

昨日で知能テストは終了したようだ。今日はMA先生の指導の下で輪投げをやった。何10年ぶりの輪投げであろうか。結構入らないものである。そばでお婆さんが車椅子に座り、輪投げの輪を右の棒から左の棒に移し替えをしている。何分経っても1つも移す事は出来ないで居るが先生方は決して無理をさせない。

11時30分:

点滴で気になる事があったので看護婦さんに聞いてみた。新しい薬に取り替えた時などにチューブに空気が入っていてその空気が徐々に針の方に移動してくる事がある。ようは、血管に空気が入るのではないかという心配だ。答えは針とチューブのつなぎ目から空気は抜けるとの事なので安全との事である。また1つ勉強になった。

13時00分:

向いのベッドの歯医者さんから追加の講義があった。歯磨きと言う言葉自体が日本人にとって良くなかった言葉だと言う。というのは元来「磨く」と言う言葉の印象がピカピカツルツルのイメージだからだと言う。歯は磨くのではなく午前中の講義のごとく「カスを取る方」が適切な表現だそうだ。とは言うものの、歯磨き以外の適切な短い言葉が思い浮かばない。

講義が終わって気付いたのだが、食事をする時の骨盤と背筋を伸ばして、88回良く噛んで食べるの件はもう既に忘れていた。半日坊主。

13時30分〜14時30分:リハビリ

19時50分:血圧90〜140mmHG


2001年10月04日(木):13日目

5時00分:

朝、早く目覚めてしまったのでロビーのソファーで夜が開けるのを待つ。薄暗い廊下を行ったり来たりする音がする。覗き込んでみるとお婆さんが手すりにつかまって1人黙々とリハビリをしている。

9時00分〜10時00分:リハビリ

13時30分〜14時30分:リハビリ

特に「イ行」の発音がうまく出来ない。唇を左に引っ張る筋肉が動かないからだ。しかし笑えば左に動くので、自分で顔面左の筋肉を動かそうとしても言う事を聞かないと言った方が正確な表現だ。思いがあっても動かない事は妙な感覚でありイライラする事でもある。

N先生は以前の感覚を取り戻せるように「イ」の発音をさせながら左唇をゆっくりと引っ張ってくれたり、先生自ら極端な「イ」の顔の表情を作ってくれる。その顔がメチャクチャ面白くて私は大笑いしてしまう。先生は私の顔を見て大笑いしてしまう。それを見ていたA先生も笑っている。

17時30分:

9月29日の部屋移動の件についてわざわざ3階北病棟(3FN)の科長(婦長)さんがお詫びにこられた。私の隣に来た患者が悪いのであって病院は全く悪くはないのだ。しかも、科長さんは「気が付いた点や改善点があったら何なりと言って下さい」とも言った。改めて素晴らしい病院だと思った。

科長さんに、ナースステーション前に「看護体制を部屋割制からプライマリー制(受け持ち看護制)に変更しました」と書いてあるが、どのような事か聞いてみた。

プライマリー制(受け持ち看護制)とは患者1人に同じ看護婦さんが退院まで看てくれるのである。入院してくる患者さんに「○○さんを担当する事になりました△△と申します。これからよろしくお願いします」と看護婦さんが礼儀正しく挨拶をしている。正確に言うと3交代制(24時間)なので1人の患者に3人の看護婦さんが付く事になる。

患者にとっては非常にありがたい体制である。というのは自分の病状の経過を把握していてくれるので安心感や信頼感が生まれる。これは看護婦さんに取ってもメリットだ。しかし長期入院患者はそれをいい事に時間と共にわがままになる可能性があるので要注意。

看護婦さんにとってのデメリットは自分担当の患者の部屋を飛び回る事になる。駆けずり回っているのはそのせいかもしれない。看護婦さんも最後は体力勝負だ。

また、話しの中で機動性を考慮してナースキャップは5年前にやめたとの事である。患者の目の高さで物事を考えている病院だなーとまたまた感じた。

18時00分:血圧72〜132mmHG


2001年10月05日(金):14日目

5時30分:

昨日と同じようにロビーのソファーで休んでいると、隣ベッドのOさんがコーヒーを片手に隣に座った。Oさんはもともと夜型人間なので。夜はほとんど眠れないとの事だ。病院生活はかなりきついと言う。

9時00分〜10時00分:リハビリ

13時00分:KAさんの御見舞を受ける。

KAさんは西表島の「あけぼの館」という民宿を通して知り合った方である。「あけぼの館」で知り合った人々は再会を約束する。現在、大阪、東京、福岡、名古屋と4地区に「あけぼの館の会」が出来ていて、年に2〜3回集まり再会を楽しむのだ。私は9月29日に行われた 「第10回 東京あけぼの館の会」を楽しみにしていたのだが、その時の写真をKAさんは持ってきてくれたのだ。36人一堂に会した写真には「岡本さん、早く元気になってください」と入っている。西表島のお土産も頂いた。感極まってしまう。

民宿 あけぼの館のHP  ←クリック願います。(KAさん作成)

KAさんお見舞い記・私の様子のHP   ←クリック願います。(KAさん作成)

13時45分〜14時45分:リハビリ

左顔面の麻痺のリハビリで自分の顔を鏡で毎日30分以上見ている。自分の顔をこれ程見ているのは初めてである。動かない左顔面は笑うと動く。意識すると出来ない事が無意識では出来るのだ。不思議でしょうがない。

14時45分:お風呂

15時10分:

娘が置いていった雑誌のアイドルの顔を見てみると、みんな明るくて良い表情をしている。この際だから共通点を拾ってみると、目は遠くをみつめ瞳孔が大き目だ。唇は軽く結んで横に開き左右の両端がちょっと上がっている。簡単に言えばみんな自然に微笑んでいるだけだ。そうだ、モナリザの微笑み。

20時00分:血圧90〜145mmHG

21時30分:

ここ一週間は熟睡出来ないで居る。一時間に一度は起きてしまうので看護婦さんから睡眠薬をもらい飲んで寝る。


2001年10月06日(土):15日目

6時30分:

久しぶりに良く眠れたのでうれしい。

11時10分:

今迄、一日として頭がすっきりした日はない。常にボーッとしている。頭が痛いとか気持ち悪いとかはないのだが、気分がすぐれないのである。

14時40分:血圧110〜170mmHG

21時10分:血圧94〜176mmHG


2001年10月07日(日):16日目

7時00分:血圧98〜154mmHG

8時30分:

本HPの闘病日記の更新やメールのやり取りはノートパソコンを家から持ってきてもらい、時間がある時に私が打ち込んでいる。それを家に持ち帰ってもらい娘にお願いしてメールの送受信とHPのアップデータをしてもらっている。高校3年の娘はパソコンをほとんど操作した事が無かったので、今回教え込んだ。娘は携帯のメールを特技としていたのでちょっと説明しただけでマスターしてしまった。親指族もまんざらではない。

9時40分:

看護婦さんに風邪をひいた時はどこの病院にいくのか聞いてみた。この病院に通い、家で点滴をする時もあると言う。

今から点滴が無くなるのでうれしい。プラスチック針を抜いた。

13時50分:血圧90〜132mmHG

14時00分:両親と弟が宇都宮から御見舞に来る。

14時30分:NIさんの御見舞を受ける。

16時00分〜17時00分:

たった1時間だけど熟睡してしまった。多分2時間ほど喋り続けたからであろう。

18時50分:血圧80〜152mmHG

19時00分:

今日は下の娘の誕生日、ベッドを取り囲んで誕生日のお祝いをする。小さな声で「ハピー バース デェー トゥー ユリカ」を歌う。


2001年10月08日(月):17日目(体育の日)

7時00分:血圧96〜156mmHG

11時00分:KIさんの御見舞を受ける。

11時30分:KAさんの御見舞を受ける。

13時00分:Iさんの御見舞を受ける。

13時30分:SEさんの御見舞を受ける。

15時00分:SEKさんの御見舞を受ける。

15時30分:YAさんの御見舞を受ける。

YAさんは西表島の「あけぼの館」という民宿を通して知り合った方である。静岡県の焼津からお見舞いに来てくれた。9月29日に行われた「第10回 東京あけぼの館の会」で再会を楽しみにしていたのだが叶わなかった。YAさんは病院まで再会に来てくれたのだ。YAさんは子供のような輝く目をしていて、いつも元気一杯でエネルギーがみなぎっている、私は元気を頂いた。2人で将来の夢を語りあい西表島での再会を約束する。

20時00分:血圧96〜148mmHG


2001年10月09日(火):18日目

6時30分:血圧86〜140mmHG

9時00分〜10時00分:リハビリ

10時00分〜10時30分:お風呂

13時00分〜13時30分:TAさんの御見舞を受ける。

TAさんは有給休暇を取って栃木県からお見舞いに来てくれた。TAさんとは子供が小さい頃によくアウトドアをした仲だ。私は子供が大きくなるにつれアウトドアをやらなくなってしまった。TAさんは那須高原に土地を購入したとのことだ。毎週、大型のキャンピングカーで那須高原に通い別荘を作る準備をしているそうだ。TAさんの目は輝いていた。夢のある話しを聞くと元気出てくる。

13時30分〜14時30分:リハビリ

N先生は右のまゆ毛だけを上げたり下げたり、左のまゆ毛だけを上げたり下げたりする事が出来る。それを私にもやりましょうと言う。鏡を見て一生懸命トライするが両方のまゆ毛が同時に上下してしまう。

先週からやっているのだが出来ないので、A先生に出来るかどうかやってもらったら出来なかった。I先生にもお願いしたら出来なかった。3人が出来ないのだから出来る方がおかしいのではないかと言う結論になった。改めてN先生の特技を見て、みんなで大笑いをした。

15時00分:

薬剤師の方が薬の説明に来てくれたので、頭がボーッとする薬は止められないか相談してみた。医者に確認してみるとの事だ。すぐに返事があったが駄目だと言う。

15時20分:血圧85〜142mmHG

15時30分:

近くのベッドに明日手術をする患者が移ってきた。看護婦さんは手術の段取りを詳しく説明した後「心配な事は何でも聞いて下さい」と言って相手の話しをじっくりと聞き、適切に答えている。

看護婦さんが去った後、患者さんは「今は何でも聞けば詳しく教えてくれるのだね」と言っていた。

20時20分:血圧70〜150mmHG


2001年10月10日(水):19日目

6時20分:血圧90〜140mmHG

8時00分:

患者がナースコールをすると、昼間は天井のスピーカーから「○○さん、どうしましたか?」と看護婦さんの問いがある。患者は点滴が終了した時もナースコールをして下さいと言われている。私の斜め前の患者さんなのだが、天井のスピーカーに向けて毎回「献血(ケンケツ)が終わりましたー」と大声で言っている。

9時00分〜10時00分:リハビリ

11時10分:血圧90〜148mmHG

11時30分:FUさんの御見舞を受ける。

13時30分〜14時30分:リハビリ


2001年10月11日(木):20日目

6時25分:血圧84〜128mmHG

9時00分〜10時00分:リハビリ

左顔面のマッサージや鏡に向かい「イ行」の練習をしていると退屈になる時がある。そんな時に限ってMA先生と目と目が合ってしまう。その時、私は両手を使い思いっきり面白い顔を作り先生を笑わそうとするが、MA先生はいつもツンとすましている。

今日は真剣に鏡に向かい「イ行」の練習をしていると、鏡に何か変な顔が映り込んだ。良く見るとMA先生が両手を使い思いっきり面白い顔を作って立っていたのだ。驚きと共に大笑いをしてしまった。MA先生にやられた。

10時00:シャワー

今日から1人でシャワーをしても良いとの事である。ちょっと恐いものがあるがうれしい。

13時30分〜14時30分:リハビリ

17時20:

主治医が来られたので退院の話しをする。退院しても家でリハビリしゆっくり休む事を条件に、来週の月曜日の午後に決まる。


2001年10月12日(金):21日目

6時30分:血圧80〜140mmHG

9時00分〜10時00分:リハビリ

向いの車椅子に座ったおばあちゃんと話しをする。脳梗塞で倒れ5日間昏睡状態が続いたそうだ。4年たった今も右半身は動かない。週に1度リハビリで通院していると言う。「あの時、おばあちゃんは死んだ方が良かったかね?」と子供に聞いたら、「生きてくれているだけでうれしい」と言われたそうだ。おばあちゃんの目からは涙が出ていた。

MA先生に来週月曜に退院なので今日が最後のリハビリになる話しをする。2週間ほど土日を除き毎日顔を会わせていたので寂しい思いがする。「それは良かったですね」と言ってくれたが先生も寂しいに違いない。

13時30分〜14時30分:リハビリ

N先生、A先生、 I先生に来週月曜に退院なので今日が最後のリハビリになる話しをする。「おめでとう。だけど岡本さんがいなくなるとつまらなくなってしまう」と言ってくれた。私も2週間ほど土日を除き毎日顔を会わせていたので寂しい思いがする。

18時30分:KOさんの御見舞を受ける。

19時40分:血圧96〜143mmHG


2001年10月13日(土):22日目

6時30分:血圧88〜140mmHG

10時00分〜11時20分:

屋上に行き歩く練習をする。亀のようにゆっくり歩かないと息切れしてしまう。5分歩いて10分休憩を繰り返す。5階なのにモンシロチョウが一匹飛んできた。

11時20分〜12時00分:

リハビリセンターのI先生が屋上に出てきて何やら始めた。植木鉢にスイセンの球根を植えているのだ。遠巻きに見ていたのだが、私も手伝う事にする。何年ぶりの土の感触であろうか、ひんやりとして気持ちが良い。その内N先生も加わったが小さな青虫を手の平に乗せて遊んでいた。

13時00分:TAさんの御見舞を受ける。

14時25分:血圧96〜140mmHG

15時30分:MAさんの御見舞を受ける。

MAさんとは9月中旬に知り合ったばかりの方なのだがお見舞いに来てくれた。かつては日本の文化と経済に多大に貢献した町の、町おこしという大きな夢を持たれている方である。「運・鈍・根」という言葉をいただいた。


2001年10月14日(日):23日目

6時20分:血圧104〜168mmHG

9時00分〜10時00分:屋上に行き歩く練習をする。

10時40分:隣の家のおばあちゃんの御見舞を受ける。

13時30分〜14時30分:屋上に行き歩く練習をする。

消防車のサイレンの音がけたたましく通り過ぎたのでその方向を見ると黒い煙がモクモクと出ている。良く見ると自分の家の方角ではないか。急いで公衆電話から家に連絡を入れると「何でもない」との事で安心したが、やはり近所の火事であった。

18時00分:娘の高校の双子の姉妹の御見舞を受ける。

「おじさん、廊下に出てきて下さい」と言われたので出てみると、双子の姉妹は大きく一回転しながら花一輪を差し出した。私はひざまずいてそれぞれの花を受け取った。入院した時にすぐに励ましのカードをくれた2人に、半日かけて作ったお礼のカードをあげた。2人はそのカードをその場で下敷きにはさみ大切にすると言ってくれた。ベッドの周りは妻、娘2人、双子姉妹が取り囲み大賑わいであった。双子の姉妹はとんでもなく明るいので学校でも有名なのだそうだ。


2001年10月15日(月):24日目(退院日)

6時20分:血圧88〜138mmHG

9時30分〜12時00分:

午前中、看護婦さんや看護助手さん、リハビリセンターの先生にお世話になった挨拶をする。

13時30分:主治医よりこれからの生活面でのアドバイスを頂く。

14時00分:退院

主治医の先生、看護婦さん、看護助手さん、リハビリセンターの先生方々、お見舞いに来てくれた方々、会社の方々、友人、メールを下さった方々、このHPを読んでくれた方々、両親、兄弟、親戚に感謝します。

特に献身的に尽してくれた妻、娘達には大々感謝します。


HOME

 

こちらにメールください。 okamotoc@nifty.com

Copyright(c)1998-2001 Akio Okamoto All rights reserved