私のプロフィール(波乱万丈の体験記

1) 
私はそもそも技術屋で医学や美容法など縁のない素人です。
  でも、何事にもトコトン究明しなければすまされない性格であります。 
  しかも、私の発明考案はほとんどが時代の流れより3−4年早すぎて、開発当時は、誰も耳を貸し   てくれず、社会も企業も受け入れてくれませんでした。
   しかし、3−4年後のある日、かって私が説明した時は、「そんなもの」、「そんなこと」と笑った企  業が、構造も機能も、まして、ネーミングまでもそのままの製品が世の中を闊歩していることがよく  ありました。 
   多くの友人の言葉を借りれば、「博士の考えはちょっと先取りしすぎるので発表を遅らしナハレ」  と忠告。
   しかし、完成すればじっとしておれず、「できたー」と、忠告も忘れて喜びを発表し、後悔の連続で  した。

2) それかといって、とうてい私の手におえない大きなテーマもありました。
   基本特許出願を終わり周辺特許の開発を手がけ、解決できずあきらめたり、時代遅れとなッたも  のも 沢山あります。
 イ・・ その1つに、40年前は道路を走っている車もまばらで、ガソリンは1リットル40円、そして排気ガ    ス公害などの言葉もなかった。
    これほど便利な自動車なので、いずれは車で道路がいっぱいになる。
    従って、ガソリンは1リットル100円になると予測、代替エネルギーの必要を感じました。
 
 ロ・・ 少年時代、理科の実験で水を電気分解して水素ガスを発生させたことを思いだしました。
    発生した水素ガスをガソリンに添加し、熱効率を高めることを思いつきました。
    更に、天然の石油には限りがあります。 そこで、科学的に生産できるるアルコーが脳裏をか    すめました。
    しかし、どの企業も相手にしてもらえませんでした。

    ただ1社、積水科学株式会社の故小幡謙三社長だけは、研究開発のために自社の研究室の   使用を認めてくれました。
     電気分解による水素ガス発生装置つきエンジンのテストについであります。
    アルコールをガソリンに添加して低公害化するテストを開始しました。
    化学に無知な私は、アルコールが燃焼してホルマリンが生成するなど知りませんでした。 
    時間の経過とともに室内がホルマリンで充満し、目は涙で開けておれず、鼻からは鼻水が出て   止まらず、 たまらず室外へ飛び出しました。 やがて全研究所に流れ騒然となりました。
    どの研究員も咳をしながら戸外へ飛び出して何が起きたのかと大声で叫んでいます。
    私自身、犯人だという自覚がないので岡崎室長に「何とかしてくださいよ」と食い下がった。
    さすがは、科学者ぞろいの研究所。
    やがて、涙や咳や鼻水の原因がホルマリンとわかり、会社本来の研究で継続分担している課   題で、ホルマリンが発生することがないらしく、「岡之上さん、燃料に何を添加したか?」と尋ねら   れたので、アルコールと答えた。 ただちに、原因が判明した。即ち、私は犯人だったのです。
     以上のように笑えない、とんでもない失態をやらかしたことを今も忘れることができない。

 しかし私は、この失敗でアルコールの燃焼で生成するホルマリン除去装置の開発を完成することができました。
 当時の研究室の職員は、「岡之上さんは、転んでもただでは起きない人やね」と失敗を笑いで返してくれた。

 また、川崎製鉄株式会社の故藤本一郎社長は、研究開発費の支援をしてくれました。
 その上、私が開発した低公害車の性能テストを、昭和51年1月21日、東京の日本車両検車協会で実施できるよう計らってくれました。
 その結果は、素晴らしい結果でした。

 そのことを知った日本経済新聞社が、昭和51年7月30日朝刊、科学技術欄に写真入で、「低公害自動車を開発、大阪の岡之上氏が試作」の見出しで大きく取り上げてくれました。

 それから3年後に、日本の工業技術院で「アルコールをガソリンに添加すれば低公害・・・」目下研究中と発表されました。
  このことは1例に過ぎません。
 
 自動車については、各家庭に1台など思いもしませんでしたが、商売人も企業の必需品。 すると狭い日本、駐車場が必要となること必定と感じました。 地下の利用は当然ですが、立体駐車場が必要となると予測し2−3の企業に相談しましたが、「何十年先のことでしょうね」と・・・・
 でも5年も経たないうち・・・

 さて、「衣食足りて礼節を知る」と言われていますが、現代は、衣・食・住は満ち足りており、次なる欲望は美と健康である。
 健康と言えば、国民皆保健が理想であります。その為には国民皆保険(健保や国民保険)でなければなりません。 ところが組合保険は黒字の時代はありましたが、国保(健康保健)は赤字でした。 赤字の原因は、医は仁術なりの理念が、医は算術なりとモラルが低下していることにあいまって、医師も国民も医学の発展と科学の進歩に依存して、医薬万能を過信し、先人が開発した生活の知恵を放棄し、自然の法則を無視して、不健康生活を享受している結果であります。
 その上に国民の、オカミ(行政)に対する甘えによるたかりを助長した結果が、乱れた日本の現状があると私は思っています。
 私は、なんとしても健保の赤字解消を図る手伝いをしたいと願い、自然な健康法を求めて研究を開始しました。

 話は少しそれますが、かって私が開発した染色方法が認められ、通産省の認定機械に選ばれました。
 外国にも技術指導に出かけ、据付現場で鉄の塊を足の上に落とし負傷。
 
 日本人の常識では傷口をオキシフルなりアルコールで消毒し、赤チンやヨーちんを塗る手当てをし包帯します。
 ところが現地の方は、傷口の消毒に貯め置きの水をかけ、血や汚れを拭き取った後、冷暗所に保存してある大きなカメの中のオリーブバージンオイルを傷口に滴下し、油紙で押さえて終わりでした。
 私は不安でなりませんでした。 数日後に包帯を取ってみて驚きました。傷跡がありませんでした。
 その事実にオリーブバージンオイルの魔力のトリコになりました。

 オリーブバージンオイルの健康法の普及で健保赤字解消の切り札にしたいと、神戸労災病院の藤田登院長に相談しました。
 当時、日本の医師会は東に武見太郎、西に藤田登と、国内を2分した形で医学会と政治家をリードしていました。 
 私は、更に研究し、オリーブオイルによる美容法を開発しました。 そして、「美はへそにあり」の小冊子を編集、添え書きをお願いいしたところ、サンケイ印刷株式会社を紹介頂き発行することができました。

  数年後に、PCBに汚染された高砂沖の海で獲れた奇形魚が社会問題となりました。
  藤田先生は人体の生命力は、体内に浸透し蓄積した重金属その他の汚染物質も、人体アースすれば体外へ排出する。 と信念を持っておられたので、わが身を検体にして実証されました。 
 即ち、PCBに汚染された奇形魚を毎日食されました。1ヶ月ほど経過した時点で、履いていたサンダルや、履物が足から抜けて裸足になっていても気づかない、つま先の麻痺症状がおこりました。 

 そこで、先生は奇形魚を食べるのをやめ、今度は、毎日30分庭園に裸足で降り、人体アースを実践されました。
 その結果、3月目から、つま先の感覚も戻り、正常に歩行できるようになったと発表されました。
 でも、医学的に立証する時間がなく先生は他界されました。

 藤田先生が人体アースを提唱サレた起因は、昔は、食通の方が危険を冒してふぐを食べ、ふぐ毒にあたらないため地中に穴を掘り、首だけ出して埋め体外へふぐ毒を出していたらしい。と言う食道楽者の生活の知恵の活用でありましょう。

 先生は常に、何事にもバランスが必要と教えていただきました。 
 人が荷物を持つ時は、片手で荷物を下げるのではなく、両手に下げ、荷物の重さは右左同じにし、常に均衡を保つこと。そうすると自然に姿勢がよくなる。 その為にはいつも2つの袋を用意する指導しておられました。

 今1つは、人体は常に自然を求めており、さらに地表は地磁気が放物線を描いて循環しており、体内に蓄積された汚染物質は重金属であれ、電磁波であれ、誘導されて体外に排泄される。 医学的に立証されていないが、継承して立証し人類への福音としたいと願っていたところ、京都大学工学部の放射線学科の権威、萩野晃也博士に出会い、電磁波の怖さを知らされました。
 どちらも、人体アースで体外排出することで健康をとりもどせると確信しています。

 私の人生航路も最終段階へきていますので、故藤田先生の切実な願いの達成が、私の生きざまとなればと幸いと願っています。
 あまり長くなりますので、後半は次回に譲ります。

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