1931年 14歳 その3



無題

私、私このごろ、何だか時々馬鹿に自分が学校へ行けなくてつまらないと思う。
せっかく、明星に入って佐々木さんとお友達になって愉快に遊んでたのに、それに母様はこれからは、もう学校なんか行かせないという。学課もちっともしてないから、入るとしたら、また1年からだ。

こう思うと口惜しくて口惜しくてしかたがなくなる。ただし、あきらめねばならぬ。あきらめ、つらくてもあきらめて、母様に心配または悲しませてはならない。

私はこのことを考える時、何時も高子さん(追分でできた友達。十六歳で亡くなった。)を思い出す。

高子さんはあきらめてた。私もまたあきらめねばならぬ。
そして私は自分のいかに幸福かを思わねばならぬ。

          
          

来年からは

来年からは第一に日記をつけようと思う。でも続くかどうかは分からない。私はいつも病身の時ばかり日記をつけて、丈夫の時はつけてない。
病気の時の日記はつまらない。

私は六年の四月につけた日記、なくなったあの日記がおしくてならない。それには、濱野先生の嬉しい評が出てた。多分こうだった。

やえちゃんは長い間休んでいましたが、作文はちっとも休んでいません。これからももっと書いてくださいと。

それから、来年からは、もし出来ることなら、一,二月ころから英語の講義録で勉強する。
それから何をしたらよいだろう。私は何かしようと思う。やる。
三日も続かない。だから予定をたてるとどうせダメだから、これくらいしか、それもぐらぐらの予定しか出来ない。




私は人形

私は人形です。私の名はないのです。
私のご主人は気の変わりやすい人で人形なんぞ何とも思ってないのです。私はママー人形とよばれてます。

ある日のことでした。私のご主人は随分乱暴に洋服を着替えさせました。その時私の足はぼろりがたんと、とれてしまったのです。

私はみにくい片輪になってしまいました。
ご主人は、「あら、足が取れちゃった。古い人形だからしょうがないわね。いやだわ。」 と言いました。
別に気の毒とも思ってない様子です。

私の顔は随分よごれてしまいました。
人形は損です。        



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