1930年 13歳 その3



文子さん



文子さんって言う方は、せいの高い顔の円い人だった。ぱきぱきしていて、そして、やさしくて、私は大好きだった。
二人で、小さいお人形さんの着物を作っては、見せあって遊んだ。


文子さんのお人形は、金色の毛であった。文子さんはうまく手袋の古いのを、利用して小さいお人形さんの洋服をつくった。
そうそう、お人形さんを、病人にして、ろう紙をのりではりつけ、袋にして、その中に水をいれて、それを、氷枕にして、お人形さんをその上にのっけた。

私と文子さんは、看護婦さんで、熱を計ったり、氷枕をかえたりした。時には、水が出てびっくりしてしまった。
それから、二人で、お料理をした。私はいつも顔のついたコップを持っていった。そして、おかゆをたいた。

そのおかゆには、お茶も入ってた。人参もはいってた。とてもおいしかった。二人で、おしゃもじですくっては、小さいアルミニュームのコップに入れて食べた。
二人で、食べるのが競争だ。そのおかゆが、すむと、じゃがいもむいて、小さく切る。そして、お鍋の中に入れ、たっぶり水を入れてにるのだ。

何を食べてもおいしかった。弟さんが来て欲しそうにしていたっけ。これは文子さんの家でした事だ。
家で文子さんとした事でよく覚えてるのは、私がリンゴをにたんだっけ、そしたらそれがとてもうまくできた。
そしておとくいだった。その時文子さんは、何をやったっけ。
そうそう、キャベツをバタでいためた。

パンクズをどっかからさがして来て、それもバターでいためた。
文子さんは、「バターが多すぎるとまずいわよ。」と言っていた。
文子さんのつくったものは、大概、おいしかった。
けれども文子さんは、もうおとなりにいない。いつも垣根から、お隣りをのぞきながら、あーあ、あの時はこうした。あの時は、ああしたと思い出している。

 

文子さんは、とてもやさしく快活だった。私は文子さんが、大好きであった。毎日毎日、「文子さん」とよびにいったっけ、文子さんの声はひくいひくい声だった。

初夏の頃は、二人で、青梅を食べたっけ、文子さんの家のつき山に、弟さんや、妹さんやらとなわをつけて登った。
妹さんに、「そら、すみちゃん、しっかり、しっかり」なんてはげましていられたっけ。

秋に家にたくさん柿がなったっけ。
私は文子さんを連れて来て二人でニコニコしてたべたっけ、ハンケチで、くるくるっとふくと、とてもきれいになったっけ。
それを、ガリガリ皮まで食べたっけ。

文子さんは、妹さんにも弟さんにもやさしかった。文子さんの使う言葉は、「そう」、「ええ」だった。簡単すぎて物足りない様な気がしたけれども、好きだった。そして、私もその真似を始めた。
○ちゃんなどがあまりうるさくしゃべる時は、そう言ったっけ。

文子さんは、家の母様の前や友達の前でも、ちょっとも恥ずかしがらなかった。パキパキと何でも答えたっけ。
パキパキと答えているのを見て、文子さんは偉いなと思ったっけ。あーあ。

あんなに仲のよかった文子さんは、もうお隣りにはいない。
弟さんも妹さんも、お隣りにいらっしゃるのに、どうしてだろう。

私は文子さんに逢いたくてしょうがない。



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