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フラットマンドリンって何?
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最初はやはり、アメリカンスタイルのマンドリン(フラットマンドリン)とはどういうものか――という話から始めるべきでしょう。ひとことで言っちゃうと、「平べったい形をしたマンドリン」ということになるんですが、このような姿のマンドリンが一般に広まっていくまでには、それなりのドラマがあったのです。そこで、これまでの歴史を振り返りながら、フラットマンドリンとはどういうものなのかを整理してみたいと思います。 |
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ボウルバックからフラットバックへ 我々がよく知っているボディの裏が丸くなったクラシック・スタイルのマンドリンは、17世紀のイタリア、ナポリで誕生したと言われています。その原型となったのは、中央アジア、アラブの弦楽器、ウードのようです。 このスタイルのマンドリンは、背中が丸くなっていることから、ボウルバック・マンドリンと呼ばれることもあります。これに対して、アメリカンスタイルのマンドリンは、裏板がほぼ平らになっているため、フラットバックマンドリン、略してフラットマンドリン(さらに日本風に省略するとフラマン)と呼ばれます。 最初にアメリカに渡ってきたマンドリンは、まだボウルバック・スタイルでした。ボウルバックからフラットバックへの変化は、どうやら19世紀末のアメリカで起こったようです。 なぜフラットマンドリンが作り出されたかについては、諸説あります。立って演奏するのに便利だから。通信販売をするときに梱包しやすいように。製造の手間を省くため。フラットマンドリンの発展に大きく貢献したと見られるオービル・ギブソンは、ボウルバックのマンドリンでは、理想的な音量や音質は望めないと考えていたようで、この問題を解決するためにフラットバックの楽器を設計したことが、残された特許の資料で確認できます。オービル・ギブソンが最初に製作した楽器は、バイオリンだったそうなので、バイオリンの構造をマンドリンに応用した結果として、あのデザインが生まれたのかもしれません。 ギブソン社の設立 オービル・H・ギブソンがマンドリン製作を始めたのは、1890年代のようです。フラットマンドリンの歴史は、ここから始まったと考えてもいいかもしれません。 ギブソンの作ったマンドリンは、市場で高く評価さました。こうしてギブソンの名前は広く知られるようになり、この名声に後押しされる形で、1902年には、ギブソン・マンドリン・ギター・マニュファクチュアリング・カンパニーが設立されます。これが現在のギブソン社の前身であるのは、言うまでもありません。 当時のギブソン製マンドリンは、オービル・ギブソン作のマンドリンをほぼ踏襲したもので、その後一般的になるデザインとはかなり異なっていました。デザイン上の最初の重要な改革が行なわれるのは1910年のことです。この時点で、Fスタイル、Aスタイルの仕様はほぼ固まりました。 そしてフラマンが主流に 面白いのは、当時のライバルメーカーであったウォッシュバーン(ライオン&ヒーリー)の動きです。ウォッシュバーンは、一貫してボウルバックのマンドリンでギブソンに対抗していたようなのですが、1912年のカタログで路線を変更して、初めてフラットマンドリンを掲載します。この時点で、アメリカにおけるフラットバックとボウルバックの主導権争いは、ほぼ決着がついたと見ていいのではないでしょうか。 また、かのマーチンも、1895年からボウルバックマンドリンの製作をはじめているのですが、フラットバックのモデルを発表したのは1914年と、これもウォッシュバーンの後を追った格好になっています。 19世紀末から20世紀初頭に起こった、アメリカのマンドリン・オーケストラ・ブームは、ギブソンの地位を決定的なものとしました。このブームが去ったあと、フラットマンドリンは、ストリングバンドやジャグバンド、ブルーグラスの花形楽器として生き延び、さらにはロックやジャズでも使われて、今日へと至ることになるのです。 |
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ロアはミュージシャンだった ギブソン・マンドリンの最高傑作と言われるF-5マスター・モデルが誕生したのは、1922年のことです。このモデルを開発したのは、一般にはロイド・ロアという人物だとされています。 1886年生まれのロイド・オーレイア・ロアがギブソンのスタッフに加わったのは、1919年のことです。それからの数年間で、ロアは数多くの改革をなしとげたことになっていますが、これはどうも怪しいような気がします。ギブソン以前のロアの経歴は、ミュージシャン、コンポーザーとしてのもので、けっして楽器職人でもエンジニアでもありませんでした。フレッツ誌のロジャー・シミノフ編集主幹は、同誌の1979年7月号で、F-5、L-5といったマスター・モデルの開発を実際に担当したのは、ジョージ・ローリアン、アンドリュー・リームズ・Jr、ルイス・ウィリアムスといった当時のギブソン社のスタッフだったと推測しています。 マスター・モデルの特徴 マスター・モデルに共通する主な変更点は、オーバルホール(楕円穴)からfホールへとサウンドホールの形状が変わったこと、ブリッジは二本足のアジャスタブル・タイプになったこと、ネックにアジャスタブル・ロッドが入ったこと、などが挙げられます。F-4(21年以前のマンドリンのトップモデル)からF-5への変更点は、これに加えて、ネックとボディのジョイントが12フレットから15フレットになったこと(ロングネック)。これによって、ハイポジションの演奏製は、かなり向上したと言えます。 こうしたマスター・モデルの楽器のラベルには、ロイド・ロアのサインが入れられました。ロアの音楽家としての名声を頼って、楽器に箔をつけようとしたのではないかと思います。1922年に投入されたマスター・モデルですが、皮肉なことに、この頃にはマンドリンの人気は下り坂に向かっていたようで、マンドリンの生産量は24年を境に激減します。ロアがギブソン社を去ったのもこの年です。そしてロアを切ったギブソン社は、新たにテナー・バンジョーに光明を見出すことになるのです。F-5が脚光を浴びるようになったのは、それから20年近く経ってから。ブルーグラスの父と呼ばれるビル・モンローが、この楽器を使い、グランド・オール・オープリーのスターになってからです。いまでは、ロイド・ロアのサインの入ったオリジナルF-5は、おそろしい値段で取り引きされています。 |