阿久悠であった時代 |
2005/05/18
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ここに記事を書く際には、前もってウェブサイトを検索するんですよ。これから書こうとしているものと同じような内容のものがあったらアップするのを考えなきゃならないですから、MSNとかYahooとかGoogleでの上位200位くらいの記事をチェックするんですね。これまでは内容が重複して取りやめたということはなかったんですけど。 で、今回も“阿久悠”で検索したんですが、個人が書いた阿久さんに関する記事っていうのは少なかったですね。阿久悠という方は、歌謡曲史における最大の作詞家です。阿久悠・作詞の歌をひとつも聴いたことがないという日本人はいないんじゃないかと思われるほどの方ですよ。でも、阿久さんに関する記事は少ないんですね。 歌謡曲というものには“作者の存在”という認識が薄くて、「誰某の歌」という場合の“誰”とは確実に歌手のことで、作詞者や作曲者が気にかけられることはあまりないですよね。あくまで作家は裏方としての存在のようでしたが、阿久さんはテレビに顔を出しておられましたし、まったくの裏方というわけじゃなかったので、作詞家・阿久悠を知っている人は多かったはずです。『スター誕生』では、もうひとつの“番組の顔”だったのですからね。 歌謡曲の作詞家・作曲家・編曲家を知ろうとする人は多くはなかったでしょうけど、ピンクレディーの詞を書いていたのが阿久悠だというのを知っている人は多かったようです。それゃもう妙な詞でしたから、「誰が作ってんだ、これ?」っていう興味を持たれたからかもしれません。ピンクレディーっていうのは阿久悠・都倉俊一・(振付)土居甫の三巨頭が作り出した歌謡曲史上最初(にして最後?)の“超常現象”だったですよね。デビュー曲『ペッパー警部』の奇抜さはただの“ツカミ”だと思ってたら、次々連発される曲が度を過ぎた奇想天外で、なのにそれらのどれもがヒットしたんですから。でも、ピンクレディーの曲の作詞家として阿久悠が興味を持たれたとしても、それは作家性に対するものではなかったのでしょう。 歌謡曲の作者に対して作家性ということが取り上げられることは、何故か少ないんですね。歌謡曲っていうのは、実はとても身近な文芸であったり、ひいては芸術であったりするものなのですが、シンガーソングライターの曲のように作家性に注目されることが少ないようです。その原因は、歌謡曲の多くが詞・曲・編曲・歌を分業としていたので個々の作家の作風というのがはっきり認め辛いということがあるんでしょうけど、もっと大きいのは歌手に合わせて作られているということなのでしょう。いわばクライアントの発注による制作ですから、そこへ作家個人の方向性や趣向を強く押し出すわけにはいかないでしょうし、当然に際立った作家性というものが表れ難いということになって、注目されないということになってしまうんでしょうね。 それでも、人によってはその“柄”がにじみ出る場合があるようです。阿久悠に次ぐ巨大な作詞家は松本隆ですけど、松本さんの作品には、その背後にぼんやりとその作家・松本隆が窺えるものがあります。様々な趣の作品を作っておられるんですけど、そこには“微熱少年”松本隆が感じられる場合があるんですね。でも、阿久さんにはそれがない。阿久悠の作詞によって世に出た歌はこれまでに5000曲を越えるらしくて、それらはポップスが中心ではあるけれども、『津軽海峡・冬景色』や『北の宿から』のような演歌も多いし、中には『ピンポンパン体操』みたいなのまであるんですよね。(この『ピンポンパン体操』って幼児番組の中で使われた歌なのにヒットしましたよね。この歌は曲になってしまうと“そういう歌”としてまとまってしまうんですけど、詞だけ読むと笑えます。)その数々の詞はまさに千変万化ではあるんですけど、これだけ多くの詞を作っていたらどうしたって作家個人の柄が出てきそうなもんですが、それが捕らえられないんですよ。もしかして阿久悠というのは深田公之(阿久さんの本名)氏が主催するプロジェクトの名称なのではないかと疑ってしまうほどです。 歌謡曲というのは様々なタイプの曲種があって、ポップスであっても演歌であってもその曲種の中にまたいろんな風合いがあって、そして同じような曲種・風合いの歌でも歌手が違うと表現される雰囲気が大きく異なってくるものです。そんな歌謡曲の多種多様性というのは、その対象が年齢・性別を問わない不特定多数の人達であるということから来ているんでしょうけど、その多種多様を維持しようとすると玉石混交ということにもなってしまうんですよね。そんな中で、阿久悠・作詞による歌はいつも“玉”であり続けて、驚異的なヒット数を誇るものでした。作家性を全面に押し出すことが出来ない制作状態で、その上、阿久悠という作詞家の柄さえも感じさせない作品でありながら、何故これほどの業績を挙げられたのでしょうか。 私には[阿久悠]がミラーボールのように思われるのです。ミラーボールというのは球体の表面に小さな鏡片を貼り付けてあるものですよね。ミラーボールは表面に貼り付けられてある鏡が周りの景色やモノを映し、光を反射することによってその姿が成り立っているもので、その本体は見えてないんですよ。阿久さんの詞というのは、“時代”という景色がミラーボールの表面に貼ってあるいろんな角度の鏡によって映し出されたもののように思われるんです。それは、時代が持つ色、時代が発する光、時代が抱える翳り、時代が引きずる余韻、時代が告げる予兆などです。阿久さんはつぶさに時代を見て聴いて触れて、それを自らの鏡面に反射させて私達に届けてくれてたんですよ。巧みな構図と、絶妙の露出と、間・髪容れないタイミングと、そしてほんの少し加えられた阿久さんのコメントで仕上げられた作品として。その阿久悠の見事な文芸に、私達は聴き入り・見入り・頷き・思いを入れることが出来たのです。そして、だからこそ、それらの歌は空を飛び、紛うことなきヒットとなったのですよ。 私がミラーボールだと感じる部分は、これは阿久さんの作風というより、創作に挑むに際してとるべき態度だと考えておられた部分なのじゃないかと思うんですよ。歌謡曲は様々な人達の耳に届き、心に飛び込むことが出来るものでなくてはならないのですから、そうであるためには身軽さと鮮烈さを持つべきであって、それらには作家の柄を感じさせない方がよいのではないかという考え方をされていたんじゃないかと思うんですよ。 昨今のヒットチャートを賑わせている歌の数々を聴いていると、“阿久悠の時代”は終わってしまったのかもしれないという感慨を覚えます(じゃ今は誰の時代なのかと言えば、そこには“作詞家”がいないようですが)。もしもそうだとして、真に「もう阿久悠の時代じゃない」という言葉を聞きたいと思っているのは、実は阿久さん御本人なのではないかと思うんですよ。阿久さんは近年、多くの小説を書いておられますけど、それは作詞にある程度の見切りをつけられての転向ではないでしょう。阿久さんは歌謡曲の作詞家として次のステップに進もうと考えておられるんじゃないかと、私は感じるんですよ。しかしそうするためには、次代の本流を担う作詞家に登場してもらわなければならない。 阿久悠は、今も時代を見つめ、次なる段階に進む用意を整えながら、後を継ぐ者の登場を待っているんですよ、きっと。 ♪いい年齢(とし)だからと身を退いて 見つめているのも腹立たしい ♪俺はまだまだ 俺はまだまだ 激しく生きたい (『心が晴れたことがあるか』詞:阿久悠/曲・歌:円広志) |
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