その男は、自分はシニアやシルバーではなく、オールドマンだと言う。老いたのではなく、古いだけだと言いたいのだろう。これは、その男の老言妄話です。
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2012年5月10日更新 : ある日ある時に「五月の風」を掲載し、トップページの写真を変更しました。




初夏の散歩道
書類のイラスト ある日ある時
   ふと思ったことや思い出したこと、ひとりごと
   などのエッセイで、最新のものです。
   (毎月10日頃に新作に更新しています。)
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書類箱のイラスト 保管リスト
   以前の「ある日ある時」の保管リストです。
    このリストから古いものにリンクしています。
パレットのイラスト がらくた絵画
   遊びと嫌気の繰り返しの気まぐれな絵です。
   A〜D室に分けて展示してあります。
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のんき顔のイラスト プロフィル
   興味のある方はどうぞ。
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老言妄話由来

 甘言、諫言、苦言、至言、箴言、放言、名言、予言など「言」にはピンからキリまであるのだから、老言もあっても良かろう。また妄言、妄語、妄執、妄信、妄想、妄動など「妄」が付くものはいろいろとあるが、妄話がないのが不思議である。
 こんな訳で老言妄話となった。そうして、妄は耄碌の耄とも同じ音だが、あい通じるものがあるのであろうか。

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ある日ある時序文

 ある日ある時に、ふと思ったことや思い出したことを、また時には意味不明のひとりごとなどを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 兼好法師に言わせるとこのようになるのであろうか。しかし徒然草は到底そこはかとなく書かれたものとは思えず、満を持して計画的に書かれたものであろう。

 ところが、この「ある日ある時」は違う。全くの思い付きである。デタラメも多い。他人に読んで貰うには意味不明で、自己満足に過ぎない独善も多くある。
 そんなものを何故ホームページにしたのかと不思議がられるかも知れない。それが当人にもよく判らない。ある日ある時に何となく始めただけである。

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がらくた絵画序文

 上手に描こうとは思っていない。綺麗に描こうとも別に思っていない。よい絵を描きたいと思っている。言葉で説明しようとすると難しいが、よい絵には味があると言うか新鮮と言うか何かその絵特有の魅力と美がある。

 しかしこれは理想であり現実はこれには程遠い。上手下手はどうでも良いと思っているものの、熱中して描いている時には気付かないが、ふと我に返って眺めて見るとあまりにも下手なのに嫌気がさすことの連続である。
 月に何回かカルチャーセンターに通い、油絵の小品を描いている。続けているとこれも結構な量となり、家ではこんな「がらくた」は始末に困ると不評である。素人には到底この絵の価値が判るものではないと反論しているが、本当は自分でも「がらくた」だと思っている。

 よい絵は真面目に努力をすれば描けるものでもない。努力をしても駄目なものは駄目で、描く人の才能と感性が自然に出て来る世界である。ごまかしや見せ掛けは通用しない。だから無駄な努力をしても始まらず、気分に任せて気儘に描けば良いと都合のよい解釈をしている。
 そうして気が向いたら熱中して描きだすが、また自分の下手さ加減が嫌になり投げ出している。こんなことの繰り返しの全く気まぐれな遊びである。


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