ドレス&ダガー
著:岡部・MG・導彦
「――姫、夜風は障ります。どうかお部屋の方にお戻り下さい」
バルコニーへ出て風に吹かれていたヴァレリー王女は、執事の声に振り返った。
そのバルコニーから見えるのは、麓にある街の喧噪。街はいつになく活気めいていた。
遠い灯を見つめる王女の瞳には、どこか羨望のような色が滲んでいた。
「……村人が、羨ましい。好きなことをして、好きなように暮らし、好きな者と恋に落ちる。自由な村人に、私もなりたい……」
執事はそっと、王女を室内に引き寄せるとバルコニーへの扉を閉めた。
「――ですが、村人の誰もが、王城での暮らしに憧れております」
「そんなものは、いつでも譲って差し上げるわ。こんな退屈な城での暮らしになど、私は未練は無いんです」
「自由……。確かにその言葉には、上質なワインを思わせる甘美な薫りがいたします。ですがそれこそ、民衆が長い年月をかけて作り上げた秘蔵のワインなのです。その味は、決して統べる者の口には届きませぬ」
「私には、自由が無いと言うの?」
「そうではございませぬ。ですが、それはやはり民衆の言う『自由』とは違います。姫の持っていらっしゃる自由は、与えられたもの。民衆の持ち得た自由は、勝ち取ったものにございます」
「……良く、わからないわ。どちらも同じ自由ではなくて?」
「与えられた自由は、自由であって自由ではありませぬ。自由とは本来的に、自由ではならぬ状態でこそ発動する行為に他なりません。自由で無いが故に、自由を求める。今、姫が仰有ったように。姫とて、仮初めの自由から逸脱し、真の自由を求めようとしておられるのでしょう。王城での生活に不自由があるとは思えませぬ。それでも姫様が村人を羨むのは、それが本来的な自由では無いことを、どこかで感じ取っておられる証拠なのではないでしょうか」
「じゃ、おまえは自由がどういうものかわかるの?」
「姫様よりかは……」
「でも、あなたも私と同じで自由ではないのでしょう」
「それはその通りでございます。しかし私の自由は姫様の心一つでございます」
「どういう意味?」
「姫、それでは私に自由をお与え下さい。私は姫に仕える身。姫様が自由だと言われれば、私はどこへでも行けます」
「……つまり、あなたにとって私の存在こそ、逸脱すべき規範、と言うことなのね」
執事は畏まって一礼した。
「――もし、私が『あなたは自由よ』と言えば、おまえはどうするつもり?」
「こう、致します……」
後ろ手に隠し持っていた短刀を振り上げると、執事は王女の胸に突き刺した。真っ赤な鮮血が王女の豪奢なドレスを染め上げる。 本来的な自由を手に入れた姫は、その代償に生そのものを奪われた。そしてその血こそが、民衆の自由への贖いに他ならない。
執事は急いでバルコニーへと駆け出すと、街の仲間へ知らせるため、篝火を焚き付けた。
時は西暦1789年7月13日、パリ郊外での出来事だった。
1999/10/24