俺と道場破り

著:岡部・MG・導彦

登場人物


「背、高いよな。オマエ」

 前の席に座っていた奴が振り返って唐突に言った。

 銀縁の眼鏡の奥から覗く眼光は鋭い。だが睨み付けている訳ではなさそうで、それは訝しげに細められていた。別にヤンキー風と言う訳でもなく、顔は到って真面目そうである。だがそれだけに、険しく寄せられた眉が、何か一癖も二癖も有りそうな印象を与えた。

 クラス内は極めて静かだ。入学式を終えて、そのまま教室に案内されただけで、未だ担任すら姿を見せていない。教室内には異様な空気が流れていた。誰も彼もが知らぬ間柄同士。どうやらうちのクラスには、中学時代の同級生が奇跡的に一緒のクラスになった、と言うような事もないらしい。

 見ず知らずの十五才を放り込んだ教室は、当然の如く言葉も無かった。

 だから俺はこの目の前に座る奴の事なんか、まるで知らない。慣れ慣れしく声をかけて来る様子は、不遜と言っても良いのだろうが、さほどの不快感を感じさせない。ちょっと言葉に変なイントネーションがあるが、人当たりは良いのかも知れない。

「百八十はあるんじゃないか?」

「いや、そんなには無いよ」

 俺らの会話は他の生徒に筒抜けだった。何しろ教室内は、即席の葬式会場と化していたのだから。鼻を啜るのにも気を使うような静寂だった。そんな中で見知らぬ人間に声をかけられる、と言うのはなかなか度胸が良いのかも知れない。

「そうか? ありそうやけどな」

 どうやら目の前の男は関西人のようだ。先ほども感じたイントネーションの違いは、大阪弁を無理に抑えているため、のように聞こえる。

「中学で計った時は、まだ百七十五だった」

「そりゃ、去年の身体測定だろ。一年経ってるやん。もう百八十はあるよ」

 奇妙に関西弁と標準語を織り交ぜながら、そいつは言った。

「まあ、そうかもね」

 そいつの会話は、たぶん緊張する初日の顔合わせの空気に絶え切れなくて、どうでもいい話を身近な俺に向けただけの、つまらない内容でしかなかった。おそらく関西人のコイツとしては、こういう空気に絶え切れなかったんだろう。沈黙に絶え切れず、見ず知らずの人間に声をかけるなんて、まるでテレビで見る関西芸人そのままだ。

「――オマエ、歌はうまいか?」

「えっ? 歌?」

「そう。カラオケとか好きか? 得意な歌はなんだ?」

 矢継ぎ早にそいつは聞いて来る。

「そうだな……。ミスチルとか、結構好きかな。『シーソーゲーム』とか、良くカラオケで唄うよ」

 よくカラオケボックスに行くと、俺はミスチルの歌を唄った。『シーソーゲーム』は最初に唄って場を盛り上げるのに使っていたし、『Everything(It's you)』は女の子とかいると必ず唄った。この二曲には結構自信がある。

「シーソーゲーム? そらええな。あの歌はいいよな」

「うん。俺はミスチルの中では、あれが一番好きかな」

「――んじゃ、唄ってみて」

「……ハァ?」

「聞かせて、シーソーゲーム」

 ……コイツは、もしかして新手のイジメか?

 配属されたばかりの新しい教室で、誰一人として知り合いもいないこの教室で、いきなりこの目の前の男は、俺にジャイアンよろしく、リサイタルを開けと言っているのだ。或いは、すでにこのクラスは、この男を筆頭に団結力豊かなクラスとして出来上がっているのだろうか? 知らないのは俺一人で、皆はすでにオリエンテーションも済ませているのではないか? そうして何にも知らない俺を、クラスの笑い者、慰み者として向こう一年を過ごす計画なのではないだろうか?

「――アカペラじゃ唄い辛いか。んなら、俺が伴奏しよう。どんなんだったかな? シーソーゲーム」

 目の前の男は不適に笑った。

 コイツは……、いったい何者なんだろうか?

 俺を陥れようとするこの男はいったい……。

「んなら行くで。せ〜の!」

 机をやかましく叩くそいつの音と、唸るような音――どうやらそれは、ハミングのつもりらしい。『シーソーゲーム』でハミングって! ――が教室一杯に響き渡った。一応メロディらしきものはあり、それがシーソーゲームの出だしであることは確認出来た。しかし確認した頃には、前奏は終わりに近付いており、そいつの目が俺に歌うことを強要している。教室内からは、ついに失笑らしい呟きが囁かれ始めていた。そりゃそうだ。新しいクラスで、話題が無いから黙っていた連中に、コイツは格好の話題の種をバラ蒔いているのだから。視線が徐々に集まって来るとともに、ハミングらしきものが終わって、そいつは俺に手振りで唄い出しのタイミングを知らせて来た。

 俺は……

「愛想ぉ無しのぉ、君が笑った〜」

 ――つい、唄ってしまった……。

 教室内に爆笑が渦巻き、先ほどとは違うが、明らかに異様な雰囲気の教室へ、入学式で紹介されたうちのクラスの担任が姿を見せた。

 俺は救われた気がした。

 

 

「自己紹介がまだだったな。俺は原田勇二。笹川中学出身や」

 俺の前の席に座った奴は、HRが終わると振り返ってそう言った。

 高校生活初日から、信じられない恥をかかされた俺は、はっきり言って怒っていた。

 だから担任から配られたプリントやら教科書やらをバックに詰め込むと、早々と帰宅のために立ち上がった。ここ桂林高校には中学時代の知り合いがいないから、この恥ずかしい気持ちを慰めてくれる友人はいない。それよりも早く家に帰って、今後の高校生活をどう過ごすか、真剣に検討する必要がありそうだ。入学早々、俺に変なあだ名でも付けられたら、全てはこの男のせいなのだ。

「なに? もう帰るのか。早いなあ。ちょっと待てよ」

 そう声をかけられたが、俺は無視をして歩き出した。後ろで慌てて立ち上がったらしい音が聞こえて来たが、俺はそのまま教室を出て昇降口へと急いだ。

「なあ、待てや。そんなに急いでどうするんだよ。何か用事あるのか?」

 隣にまで追いついて来て、原田勇二は俺にそう訊ねた。

「別にないけど」

「ならもう少し落ち着こうや。で、オマエ、名前なんつーの?」

「……黒山隆史」

「くろやま、たかふみ、か。たかふみ、たかふみ、ねえ。タカでいいか」

「何がタカでいいんだよ」

「オマエのあだ名やないか。あった方が都合がいいだろ? ちなみに中学ん時のあだ名は何だったん?」

「……たかふー」

「『たかふー』? 何かシュール系だな、そのあだ名は。まあ、タカの方が無難でええやろ。ちなみに俺の中学時代のあだ名は『キョウダイ』。まあ、高校ではユージでいい。タカとユージ。こりゃ、往年の名コンビやないか」

 原田はニヤニヤと笑いながら言った。何が往年の名コンビなんだろうか? タカとユージ……。俺にはわからなかった。

「それより『キョウダイ』って変なあだ名だな。なに? 大家族なの、おまえんち」

「そうじゃないんだけどな。まあ、いいだろ。に、しても……」

 ユージは……。いや、原田は、そう言って俺の真ん前に進み出た。そのまま直進すれば俺はコイツと正面衝突しなければならない。仕方なく、俺は歩みを止めた。

「さっきのありゃ、なんだ?」

「さっきのあれ?」

「そうだよ。あの『シーソーゲーム』は何だよ。全然唄えてなかったじゃないか。アレがタカの十八番なの? ちょっとがっかりだなあ」

 原田はまるで迷惑を被ったのは自分の方だ、と言わんばかりの顔で俺に不平を漏らした。何という言い草だろうか。迷惑を被ったのは明らかに俺の方だ。コイツは失礼な程に我が儘な奴だ。そもそも、強引に歌を唄わせたのはコイツじゃないか。急に唄えと言われて、そう簡単に唄えるか。

「そっちが急に唄えって言うからだろ。しかもあんな人前で」

「もしかして、怒ってんの?」

「別に、怒っちゃいないけどさ……」

 そうやって先回りして聞かれると、なんか言い辛くなる。仕方なく俺は、怒りの矛先を収めた。

「そりゃ良かった。内心気にしてたんだ。なんかさっきからツンケンしてるし」

 当たり前だ。本当は怒っているんだから。

 再び歩き出した俺と原田は、昇降口で靴を履き替えると駅までの道を行く。

「……だいたい、何で唄え、なんて言うんだよ」

「そりゃ、タカの声が聞いてみたかったからだよ」

「気持ち悪いこと言うなよ。もしかして、変な気があるんじゃないだろうな」

「あら、わかった?」

 思わず後ずさった。コイツ、そっちの気があるのか……。

「ジョークだよ、ジョーク。いやさ、タカはタッパもあるし、なかなか男前でもあるからさ。ヴォーカルにはいいかな、と思ったんだよ」

「ヴォーカル?」

「そっ、うちのバンドのヴォーカルにいいかな、って」

「原田、バンドやってるの?」

「原田じゃない、ユージ」

「そんなのどっちでもいいだろ。それよかおまえ、本当にバンドやってんのかよ? 俺も高校になったらバンドやりたいと思ってたんだ。歌はイマイチだったかも知れないけど、子供の頃からピアノやってて、キーボードとかなら結構得意なんだけど。あっ、でも他のメンバーはもういるのか……。ヴォーカルしか空いてないんだな」

「んにゃ。空いてるよ。キーボードね。いいよ、それでも」

 あっさりと原田は俺の意見を承諾した。そのあまりの気軽さに、俺は首を傾げた。

「……原田のバンドってさ。他にどんなメンバーがいるの?」

「他に? 今のとこ、俺とタカの二人だけ」

「バンドじゃねーじゃねーかよ!」

「だから、これからバンドにして行くんだよ」

「つまり、まだバンドなんて無いってことだろっ!」

「まあ、そう言う言い方も出来るかな」

 呆れた奴だ。つまりは俺もコイツも、立場的には一緒じゃないか。高校に入ってバンドをしたがっている二人が、こうして出会ったってだけだ。

「んで、何か当てはあんのかよ」

「当て? 当てって?」

「だからメンバー集める当てだよ。中学の知り合いとかが、ここの高校来てるとか、そう言うんだよ」

「ないよ、そんなの。うちの中学からここ入れたの二人だけだ」

 そういやそうだ。ここ桂林高校は都内でも名の知れた進学高校だ。公立高校の中ではトップクラスと言ってもいい。そう簡単に入れる訳はない。もちろん俺の中学からも、ここに入れたのは俺くらいのものだ。まあ、運が良かったんだろうけど。

「そんなんでバンド組めるのか? ここ進学校だぜ。バンドしよう、なんて奴がたくさんいるとも思えないけど」

「でも、偶然後ろの席に座ってたタカが、こうしてバンドやりたい、って言ってるんだ。そんな捨てたもんでもないと思うぞ。ここの高校に生徒が何人いるか知らないけど、バンドしたい奴ぐらい、結構いるだろう?」

 そう言われてしまうと、そんなもんかと頷いてしまう。現金なものだ。物事は良いように考えるべきなのかも知れない。俺はこの高校でバンドを組みたいと思っていて、入学式の日にその相手を見つけることが出来た。原田と言うのが、かなり胡散臭い奴であるのは確かなのだが、逆に言えば目立つ存在になるかもしれない。そうした奴と一緒にバンドを組めば、わりと簡単にメンバーは見つかるんじゃないだろうか。

「――それで、原田はなに出来るんだ?」

「なに、って、なに?」

「楽器だよ。俺にヴォーカルさせようとしたくらいだから、ギターかなんか弾けるのか?」

「んにゃ。弾けない」

「じゃ、何? ベース? それともドラムか」

「いや、だから弾けないんだっって」

 またも、俺は騙された感じがした。つまりコイツは、俺をヴォーカルに誘おうとしていただけで、それ以外には何の打算も計画性も無しに、バンドを組もうとしていたのである。これではただ夢想していただけの俺と、何も変わらないんじゃないか。いや、キーボードが出来る分だけ、俺の方がよほどバンドを組む上で役に立つだろう。

 ……イヤ、それは違うのかも知れない。

 やはりただ夢想していただけの俺は、どんなに楽器の経験が有ったとしても、所詮それだけのことでしかない。俺に必要だったのは、原田のような行動力なんじゃないのか。入学初日に、もうバンドを組もうと動き出した原田。その行動力は、明らかに俺には無い。もしかしたら高校三年間、その行動力を持てなかったかも知れない。

「――んじゃ、何をやるつもりなんだ?」

 俺は質問を変えた。コイツを少しだけ認め始めていたのかもしれない。

「そうだな。キーボードがいるから、ギターかな。ドラムは高いから、買えないだろうし」

「同じクラスにいるかな。バンドやりたがる奴」

「そりゃ一人か二人、いるんじゃないか? 別に同じクラスじゃなくてもいい訳だし。でもただやりたいだけじゃダメだかんな。きちんと選別しなきゃ。そこらへんのスカウトは俺が担当する。だからタカはキーボードの練習でもしててくれ。なに、すぐに最強のメンバーを集めてみせるさ」

 偉そうにそう言うと、ユージはにやりと笑って見せた。

 何だかその笑いが、少し頼もしく思われた。

 

 

 怒濤の入学初日から一週間。

 クラスも徐々に活気を見せ始め、俺も周りの連中との会話に花が咲くことも多くなった。

 俺の読み通り、原田は教室内でも自己主張の強いところを見せ、早くもクラスの人気者に成りつつある。確かに言動は突飛で面白い奴なのだが、俺も他のクラスメート同様、未だ近寄りがたい存在として奴と接していたかった。だが原田と俺は、すでに無二の親友のように思われており、クラスのみんなは俺と奴が同じ中学出身だと思っていたほどだ。そして何かにつけて『シーソーゲーム』が話題に出され、案の定俺は「シーソー君」などと呼ばれてしまった。シーソーなどと呼ばれるくらいなら、原田の名付けたタカと言うあだ名の方がよほどマシだ。『シーソー君』などと言うあだ名が定着する前に、原田がもっと大きな声で俺のことを『タカ』と呼んでくれるのを切に願って、俺は日々を過ごしていた。

 その間、原田ははっきり言って忙しそうだった。

 本来、入学したての高校一年生に用事などあろう筈がないのだが、原田は休み時間になる度にクラスを抜け出し、チャイムの鳴るギリギリまで教室には戻って来なかった。クラスを盛り上げるのは、もっぱら授業中に限られ、俺は未だに奴と弁当を食べたこともなかった。何をしているのか、興味が無かった訳ではないが、奴は何を聞いても『任せておけ、言うたやろ』の一点張りで何の説明もしてくれなかった。だがどうやら、原田の行動の内容がバンドに関わる問題であるらしいことは、その言葉からも察せられたので、俺はそれ以上口を挟むような真似はせず、級友と親睦を深めることに勤しんでいた。

 しかし同じクラスの連中には、原田が声をかけたらしい生徒はいなかった。何も余所のクラスばかりから探さなくても、このクラスにだってバンドしたい奴はいそうなものだ。俺が少し探りを入れたところ、案の定、ギターをやっていると言うのが、二、三人いた。こいつらを放っておいても良いのだろうか?

「タカ! だいたいの目星は付いたぜ!」

 大きな声でそう言いながら教室のドアを開けたのは、もちろん原田だった。原田が入って来ると言うことは、そろそろ昼休みも終わりに近いのか、と思い時計を見るとまだ十分残り時間はある。珍しく早めの帰還である。

「早いな」

「ん? ああ、用事がなけりゃ早く戻ってくるよ、そりゃ」

 そう言いながら、原田は俺の前の椅子に腰掛けた。

「って、ことは?」

「そう。メンバー、決まりそうなんだ」

「すげーな。まだあれから一週間しか経ってねーのによ!」

「もう一週間、だよ。もっと早く決めたかったんだけどな。予想以上に難航した。特にヴォーカル、コイツが難点や。みんなわりとやりたがらないんだよ。ちょっとその問題は、未だに片付いていない、って感じでもある……」

「何だよ、煮え切らないな。ハッキリ言えよ」

「いやな。一応、ヴォーカルの娘には、めぼしいのを一人用意しているんだけどさ。なかなかOKが出ないんだよ。結局、当初の目標であるメンバー五人は確保したんだけど、その五人目の娘が、未だに首を縦に振らない」

「――ちょっと待てよ。五人目の娘? こ、って何だよ。まさかヴォーカルは女だとか言うんじゃないだろうな」

「女だよ。だってタカ、ヴォーカルいやなんだろ? しょうがないじゃないか」

「確かに俺は断ったけど、女のヴォーカルってのは俺はイヤだな。何かそのヴォーカルの女のかわいさ、みたいので勝負しているようで好きじゃないんだ」

「そんなの男のヴォーカルでも一緒やろ。カッコイイと売れる、ヴィジュアル系なんかその典型じゃないか。だいたい、タカはヴォーカルの件、断ってるんだから偉そうなこと言えないだろ? それにメンバー選びは俺に一任する、ってことで話はついているはずだ」

 確かに、俺は原田の行動力に期待して、メンバー選びに関しては全て一任する、と約束してしまっていた。それをこの場で覆すのは潔くは無いのだろうが、それでも俺は口を挟まずにはいられなかった。

「でもさ、女のヴォーカルには反対だよ! そうなって来ると、唄える歌も限られて来るだろうし。俺としては、行く行くはオリジナルもやりたいんだ」

「やったらいいじゃないか」

「俺のプログラムに、女性ヴォーカルで曲を作ることは、入って無いんだよ!」

「はあ〜。何とまあ、タカは時代錯誤な男だね。保守的差別主義者丸出しじゃないか。問題はさ、ヴォーカルの巧さだろ? 聞きもしないで文句を言うのは、女性自体を蔑視している、としか見られないぜ。このウーマンリブの世の中に、良くそんなセリフが吐けるもんだな。おお、恐い恐い!」

 わざとらしく、原田は大きな声で俺をなじった。

 うちの高校は共学だから、クラスの半分は女子が占めている。原田の思惑通り、今の発言は女生徒の反感を思いっ切り買ってしまったようだ。鋭い視線があちこちから突き刺して来る。

「別に、そう言う意味で言ったんじゃないよ。誤解を招くような発言はするなよな」

「ほう。んじゃどういう意味で『女性ヴォーカルは認めない』って言ったんだ? そいつをじっくりと聞かせて貰おうじゃないか。みんなも早くタカの釈明を聞きたがっているぜ」

 こういう時の原田には敵わない。これじゃ俺がどう頑張ったって、男尊女卑の頭の硬い差別主義者になってしまう。確かに原田の言うことはもっともなのだが、俺が言いたかったのはそう言うことじゃないんだ。それはたぶん、原田にも伝わっているはずだ。コイツはバカじゃないから、俺の言いたいことはきちんと理解しているんだ。理解していながらこういう態度をとると言うことは、原田がこの件に対して引く意志が無い、と見るのが正しいんだろう。俺は無駄な争いを仕掛け、あわやクラス中の女子を敵に回すような事態に陥ってしまった。

「……わかったよ。メンバー選びの件に口は挟まない。だから俺が男女差別をするようなこと言うのは止せよな」

「さすがタカはリベラルな思想の持ち主だ! タカのくせにリベラル! こりゃ傑作やで」

 原田の関西弁は、気分のいい時とか、激昂した時なんかに、思わず出てしまうようだ。

 まあ、そんなことはともかく、なんとかこれで俺への誤解も解けたことだろう。それにしても、この男のクラスへの影響力は早くもバカに出来ないくらいに高まっている。頭も切れそうだし、口もうまいし、行動力もある。下手に敵に回すとかなり厄介な相手になるに違いない。それだけは忘れない方が良さそうだ。

「取り敢えず、今日の放課後。メンバー同士の顔合わせ、ってことになってるから。放課後、予定無いよな?」

「ああ、別にないよ」

「オッケー、そいなら放課後に駅前のマックで顔合わせだ」

 

 

「こっちが二組の川勝雅也。んでこっちが六組の後藤健蔵。んで、コイツが俺と同じクラスの黒山隆史。通称タカだ」

 俺は放課後、原田に連れられ駅前のマックで二人の男に引き合わされた。

 川勝雅也は斜に構えた感じの、人当たりの悪そうな男だ。少し茶色がかった髪が不良っぽい感じもする。目つきは鋭く、紹介された時に俺のことを睨み付けるような視線を送って来た。一瞬、カチンと来たが何とか堪えた。初めからケンカする訳にはいかない。

 後藤健蔵は、肩口まで伸ばした髪の毛が流れるようなストレートで、女でも羨むような綺麗な髪の毛をしていた。顔もシャープな感じがして、なかなかカッコイイ。座っているからイマイチわかり辛いが、机の下からわざとらしく廊下側に伸ばしている足はかなり長い。身長は百八十くらいありそうだった。

 二人とも原田のお眼鏡に適っただけあって、かなりの男前ぶりである。このままナンパに街へでも繰り出したら、かなりの数の女をゲット出来るのではないだろうか。だが原田がいる分、少し割り引いて考えなければならないが。

「よろしく。二人はどんな楽器をするの?」

 問題はその点である。何しろ行動力と人選はいいが、まったく楽器を弾けない原田がいるのだ。すでにこのバンドはマイナス要因を抱えているのである。この二人がどの程度の実力の持ち主かで、バンドの行く末が決まると言っても過言では無い。

「俺はギター。中一の頃から弾いてる」

 川勝雅也は挑戦的な視線でこちらを見ながら答えた。いちいち感に障る奴である。でもまあ中学の頃からギターを弾いているのなら、即戦力として考えてもいいだろう。

 俺は視線を後藤の方へと向けた。

「ボクはドラム。と言っても最近始めたばっかりだけどね」

 後藤は人当たりがいい。と言うか少しなよっとしている。こんなんで本当にドラムを叩けるのか、少し不安に思わないでもないが、ドラムはなり手が少ないのだから、あまり文句も言えないだろう。ギターとドラムがいれば、最低限のメロディラインは確保出来るのだ。それに俺のキーボードが入れば、たいていの音を表現することが可能だろう。

「ちなみにドラムは持ってるの?」

「いや、持ってはいないんだ。中学の時に音楽室に有ったのを使って練習していて。最近は近所のスタジオのを借りて叩いている。まだ練習中さ」

「――んで、オマエは何すんだよ」

 いきなりオマエ呼ばわりである。カチンと来ること夥しいが、ここは再び堪える。

「俺はキーボード。六才の頃からピアノを習っていてね。譜面を見れば、たいていの曲は弾けると思うよ」

 ふ〜ん、と川勝は不快そうに言ってマックシェイクを啜った。オマエが中一なら、俺は六才だ。少なくてもレパートリーじゃオマエらには負けないよ。

「それで、ユージは何をするの?」

 後藤は少し気恥ずかしげに原田のことをユージと呼んだ。きっと原田に強要されて呼んでいるに違いない。小心そうな後藤だけに、俺は少し同情してしまった。

「いや、それがまだ決まってないんだ」

「まだ決めてないのかよ。残ってるのはベースかヴォーカルだろ? さっさと決めろよ」

 川勝の檄が飛ぶ。なかなかの迫力だ。だが原田はそれくらいのことで動じている様子もない。さすが原田、こんなはったり野郎に負けるな。

「それがそう簡単にはいかないんだよ。ヴォーカルの件は、まだ未定だし」

「そういや、今日、そのヴォーカルの女は来ないのか?」

 俺的には別に来なくてもいいのだが、メンバーの顔合わせに来ないとなると、原田一人の選別にこだわってはいられなくもなる。メンバーが集まった以上、少しでも早い始動が望まれる。ヴォーカルが決まらなければ、原田のパートも決まらないのだろう。何にも出来ない原田には、逆に言えば選択の自由は無い。余っているパートを優先順に埋めていかなければならない。この場合、もしその女がバンドに入らないのなら原田は自動的にヴォーカル担当になるだろう。

「一応、場所は知らせておいたんだけどな……」

 いつに無く自信無さそうに原田が呟いた。ここに来て口数が少なく、さっきから頻繁に周囲に視線を巡らせていたのはそのせいだったのか。来るはずのヴォーカルが来ないとなれば、俺たちのバンドのヴォーカルはやはり再選考の必要があるだろう。そうすれば、男性ヴォーカルを立てたい、と言う俺の意見も尊重されるはずだ。原田は何と言うか知らないが、俺にはうれしい誤算だった。

「でもまあ、来ないんだから仕方がない。もう少し待ってみよう。その間に、みんなのあだ名を付けようじゃないか。まずは俺。俺は名前の勇二から『ユージ』で通したい。同じように隆史はタカ。川勝は? なんか希望とかある?」

「――そうだな。……GAYAってのはどうだ? 雅也の雅を『が』と読んでGAYA。結構カッコイイんじゃねーか」

 なにがGAYAだ。一人だけアルファベット表記は面倒なんだよ!

「ん〜。悪くないね。じゃ、後藤は?」

「ボクは昔からゴトケンって呼ばれていたから。それでいいよ」

 名前に『ケン』と付く奴は、たいてい略されてそう言うあだ名で呼ばれるもんだ。俺の友達にも『ヤマケン』とか『アラケン』だとかいろいろいたしな。

「よし決まった。それじゃみんな、以後はその呼び方でメンバーを呼ぶようにしてくれ。おっと、言い忘れたけどリーダーはもちろん俺。みんな、異存はないだろ?」

「リーダーってのは、雑用係って意味だろ? もちろん異存はないね」

 川勝はそう言って皮肉っぽく笑った。なかなかうまいことを言いやがる。

「そりゃいい。確かに雑用係兼リーダーってのなら、原田に文句ないぜ」

「ボクはユージでいいと思うよ。メンバー集めたのだってユージなんだし」

 とゴトケン。小心者と言うことは裏を返せば、このバンドの緩衝材となってくれると言うことだ。特に原田や川勝、と言った我の強そうな二人がいるのだから、ゴトケンの存在はかなり重要になるだろう。なるほど、原田も伊達に選別、選別と喚いていた訳ではなさそうだ。きちんと見るべきところは見ている、と言うことか。

 その時、俺の隣に座っていた原田が、急に勢い良く立ち上がると、こっちだ、こっち、と大きな声で叫び激しい身振りで入り口の方へ向かって手を招いた。俺はその原田の視線の先へと目をやる。そこにはうちの高校の制服を着た女が、辺りをキョロキョロ見ながら立ち尽くしていた。原田の大きな声に気付くと、あからさまにイヤそうな表情を浮かべて、こちらのテーブルの方へと歩いて来た。

「――なかなか、かわいいじゃんか」

 GAYAが、いや川勝がそう言った。確かに、その女はかわいかった。それもかなりトップレベルのかわいさだ。今は険悪に目がつり上がって、恐い顔になっているが、それは原田の人目も憚らない胴間声に対する嫌悪が浮かんでいるのであって、笑顔で接すれば相当数の男がそれだけで参ってしまいそうな、そんな美少女だった。同じ高校にこんな美人がいるとは知らなかった。原田のスカウト能力は正当に評価できる代物だ、と我ながら現金ではあるが、近付いてくる彼女を見ながら、俺は改めてそう思ったほどだ。

「まったく、勝手に約束取り決めた気でこんな場所で待ってるんだから。アンタ相変わらず、我が儘全開ね。呆れて物も言えないわ」

 俺達の前に着くなり、その美少女はそう言って原田を睨み付けた。

 間近で見てもそのかわいさに遜色はなかった。かわいい、と表現するよりは、美人と言った方がいいかもしれない。言動は辛辣なものであったが、顔は楚々とした少女らしさを残しつつも、それでいて大人の雰囲気も併せ持ってると言う魅力的なものだった。それは時代に迎合しようとする、今時の女子高生とは一線を画したものであると言っていい。もちろん、そうしたファッションですら彼女は確実に自分のものにしてしまうであろうが、今の彼女にはそう言う意志は無さそうに思える。

 まあ、そう言いなや、と原田は懐柔するかのようにそう言うと、隣のテーブルから椅子を一脚持って来て彼女に座るように促した。

「――別にいいわ。私、すぐに帰るから」

「まっ、そう言わないで。いいじゃん、座るだけ座れば。何か飲む? 俺、買って来るよ。何がいい。コーヒー、紅茶? シェイクがいいか?」

「いらない。原田、バンドの件だけど……」

「まっまっ、そう焦らんで。まずはこいつらの自己紹介をしようじゃないか。俺の隣に座っているのが黒山隆史。通称タカや。コイツは俺と同じクラスで、入学初日に意気投合。即バンド結成っちゅー運びになった訳やな。タカは子供の頃からピアノ習ってて、キーボードの腕前はちょっとしたもんなんやで。

 んで、こっちが川勝雅也。通称GAYAや。コイツはちょっと感じの悪い面構えをしてるけど――そこらへんは野田と一緒やな。おっと、冗談やで。恐い顔すんなや――コイツはギターが弾ける。中学の頃から弾いてるらしいから、即戦力として期待してるんや。

 その隣にいるのが、後藤健蔵。通称ゴトケン。こんなナヨっとしたなりをしとるけども、これでもドラムの経験があるんや。まだ始めて日が浅いらしいんやけど、真面目な奴やからすぐに二人に追いつくやろ。

 以上が、俺らのバンドのメンバー紹介や。どや、なかなかのメンツやろ?」

 大阪弁になっている原田は、いつも以上に饒舌だった。よほど彼女が来たことが嬉しいのだろう。確かにこれで、バンドは原田の画策通りにメンバーを集めることに成功したのだ。奴が饒舌になるのも頷ける。しかし、この目の前の美少女は未だ警戒したような、例の鋭い視線を解いてはいない。いや、それどころか原田が話している間、その不信感がさらに募って来たかのように、その眼光もさらに鋭さを増して来ていた。

「――それで、こっちは?」

 俺は話を促そうと口を開いた。

「そうそう。彼女はな、一組の野田聡子や。ほら、例のヴォーカル担当の娘や」

 一組と言えば、特進クラスではないか。入試の時の成績で決まったらしいけど、進学校で名高いうちの高校の成績優秀者だから、それはかなりのレベルであるはずだ。そんなクラスの生徒が、果たしてバンドを組むのだろうか? ……にしても美人で頭脳明晰とは、まさしく才色兼備と言うやつだ。

「誰もアンタの提案を受けるなんて、言ってないわよ。アンタが勝手に約束をして逃げるから、私は正式に原田の提案を辞退するためにここに寄ったの。アンタたちもこんなのと一緒にバンドなんかやっても、失敗するだけよ。なんせこいつは中学の時からオンチで有名だったからね。音感なんてゼロよ、ゼロ。そんなんがバンド内にいたら、お荷物どころか、産業廃棄物みたいなものよ。放って置いても害になるし、かといって処理をしようとすれば面倒な手続きがいるし、おまけにお金がかかる。手に負えないってのはコイツのことね」

「……野田さんは、ユージとは知り合いなの?」

 ゴトケンが、彼女の会話が止まるのを待って、おずおずと聞いた。確かに、それは俺も気になっていた。俺達同様、高校に入ってから知り合っただけの関係だとすると、彼女の舌鋒は見境無く辺りに撒き散らかされる、と言うことになる。それでは同じバンドのメンバーとしても気掛かりだし、たとえバンドをやらないのだとしても、その顔とのギャップに戸惑わずにはいられない。小心そうなゴトケンだったが、重要なポイントはきっちりと突っ込むタイプらしかった。

「望む、望まずに関わらず、中学時代には学区の指定って言うのがあるから。私がどんなに原田を厭うて見ても、コイツが同じ学校に通うことを止めさせる訳にはいかなかったのよ。……まさか高校まで同じになるとは思わなかったけど」

 なるほど。どうやら原田とは同じ中学の出身になるらしい。……しかし、原田は関西の出身なのではないのだろうか? 中学時代にはこっちに来ていたのか? にしては、未だに関西弁が抜けていない。

「んじゃ、野田さんも関西出身なの?」

 俺は勇気を出して聞いてみた。

 だがその勇気は仇となって俺の身に襲いかかった。キッと鋭い視線で振り返った野田さんは、あからさまな侮蔑の表情を浮かべて俺のことを一瞥する。

「コイツが関西弁使ってるのは、ただのポーズよ。コイツは、生まれも育ちも千葉県」

「あ、そうなの……」

「最近はかなり直って来てるだろ。あの頃に比べたら」

 原田は標準語でそう言ったが、野田はその言葉に反応すらしなかった。中学時代の二人の関係はまるでわからないが、少なくてもそれが良好なものでなかったことだけは確かなようだ。普通、同じ中学の出身者であれば、もう少し親しみなりを示したところでおかしくはない。にも関わらず、この野田の剣幕は相当なものだ。今回のバンドの件が不愉快だ、と言うこと以上のことが、二人の間には流れているのかも知れない。もっとも、原田の方はそう思っていないらしいが……。

「とにかく、バンドの件はお断り。他の人に頼むなり、早々とバンドを解散させるなりした方が賢明よ。あなたたちも、こんなのと一緒にいるとろくなことにならないんだから。早く見限って、ホントにバンドをやる気があるんなら、もっといいメンバーを探すことね」

 野田はそう言って、そのまま俺達に文句一つ挟む余裕を与えずに立ち上がると、早々に店を後にした。何とも言えぬ迫力に押され、俺達は彼女を引き留めることすら出来なかった。一見気の強そうに見えた川勝など、入って来た彼女を『かわいい』と評価したきり、一言も口を挟めなかった。以外と頼りにならない奴である。

「……何なんだよ、彼女は」

 ようやく口を吐いて出てきたのは、川勝の呆れた感じの呟きだった。

 結局、原田の計画は志半ばで頓挫する格好となった。メインのボーカルを飾る野田と言う美少女が欠けてしまえば、バンド結成が成功したとは言い難い。特にその野田を見た今となっては、彼女の存在は確かに惜しいと思える。歌を聴いた訳ではないのだから、そんな太鼓判を押してしまうのはどうかとも思うのだが、それ以上に、彼女が他人を惹き付ける魅力を兼ね備えた娘であったと言うのは、揺るがせない事実だ。

「どうするんだよ、ヴォーカル。やっぱ原田がやんのか?」

 俺は先ほどの野田の話を聞き逃してはいない。彼女の話が真実だとすれば、原田にはとうていヴォーカルなどと言う大役を任せる訳にはいかないのだ。新たな候補を探すとするなら、バンドの始動はさらに遅れてしまう。

「いや、それは止めておく。こう言っちゃなんだけど、彼女はヴォーカル候補の一人でしかないんだ。他の娘にもいいのはいる。彼女には断られたけど、まだ諦める必要はないね。ちょっと待って。今から呼んでみるから」

 そう言って原田は、カバンの中から携帯電話を取り出すと、店を出て行った。

 残された俺を含めた三人は、一様に渋い顔をしている。あからさまなのは川勝。苦笑いを浮かべているのがゴトケン。たぶん俺も、川勝同様に仏頂面を浮かべていることだろう。

「なんかなー。イマイチ信用がおけなくなって来たぜ。ユージは」

「でも、まだ当てはあるみたいだし。それにやっぱり、僕らを一週間で引き合わせたのは、ユージの実力だと思うよ。GAYAだって、ボクにしたって全然知らないユージに声をかけられて、こうして出会ったんだ。もう少しユージを信用してもいいんじゃない?」

 否定的な発言をするGAYAに対して、それをたしなめるようにゴトケンが言った。確かにゴトケンは、このバンドの良心として確実に機能しそうな存在だった。

「ゴトケンは人がいいな。あんまし信用しない方がいいぜ、原田のことは。こういっちゃなんだけど、同じクラスの俺なんかかなり被害を受けてるんだ。それにアイツどこで鍛えたのか知らないけど、口が達者だろ? 俺達も良いようにアイツに動かされないよう、気を付けた方がいいぜ」

「そりゃ言えてる。クラス中の笑い者にはなりたくねーからよ。なっ『シーソー君』」

「なっ! なんで知ってるんだよ!」

 いやらしい笑いを口元に浮かべて、GAYAは俺の方を見ている。うちのクラスで知らぬ者はいないとは言え、余所のクラスにまでそんな噂が飛び火しているとも思えない。

「……そうか、原田だな!」

「そう、アイツが面白可笑しく解説してくれたよ」

「あの野郎! 帰って来たらただじゃすまさねえ!」

「まあまあ、でもそれもユージの歌唱チェックだった訳でしょう? バンド結成に熱心だったと思えば、腹も立たないじゃない」

「そりゃゴトケンが、直接の被害者じゃないから言えるんだ。あんな恥をかかされたのは、生まれて初めてだ。しかもわざわざ吹聴して回るなんて!」

「別に吹聴はしてないと思うよ。ボクらくらいしか知らないと思うし」

「そんなにイヤなら、なんで唄ったんだよ。普通は唄わねえだろ」

 GAYAは笑いながらそう聞いて来る。きっとその時の俺の間抜けな様を想像しながら、話をしているに違いない。

「……場の雰囲気って言うか、そう言うのに飲まれたんだよ」

 俺が苦しい言い訳をしているその時、電話を終えたらしい原田が店内へと戻って来た。奴は小走りにこちらへと戻って来ると、新しいマックシェイクを持って自分の席へと腰を下ろした。どうやらついでに下の階で新たに注文を取って来たらしい。

「まだ駅前にいたらしくて、連絡入れたらすぐ来るって」

 マックシェイクのストローを口に入れながら、原田は手短にそう説明した。

「今度のはどんなんだ?」GAYAがハンバーガーから出して、所在なさげに放り出しておいたピクルスをつつきながら聞いた。「さっきみたいにキツイのは、ちょっと勘弁だぜ。もうちっとおしとやかな方が、俺の好みだし」

「別に合コンのメンバー集めてるんと違うだ。GAYAの好みを優先させる訳にはいかないよ。でもまあ、野田よりは落ち着いてるとは思うぜ。もっとも、みんながどう感じるかは別モンだけどさ」

 いや、原田が野田より落ち着いていると思っているのなら、、それは万人に共通する感覚なのだろう。何しろあの野田の剣幕に物怖じしなかった原田の意見だ。俺から見たら、原田はまるで野田が不機嫌なのに気が付いていないのか、と言うような素振りで接していたのだ。あれがわざと取っていた態度と言うのなら、原田は彼女の扱いにやはり慣れているのだろう。あーいう態度で臨まれては、他にどう対処の仕方もなさそうに思える。結局、原田の取った厚かましい態度で臨むのが、ベストなのかも知れない。

「んじゃ、期待してみようじゃないか」

「そうだね。ボクはユージの人選を信じてるし」

「ええこと言うな、ゴトケンは。さすが俺が見込んだドラマーだけのことわあるで」

 あからさまな原田のお弁チャらにも、案外気を良くしている様子のゴトケン。根が素直な奴なのだ、きっと。

「それよりさ、バンドのメンバー募集するのは構わないけど、このバンドがどう言った方向性で展開していくか、とかそう言うことは決めなくてもいいのか? そりゃヴォーカルを決めるのは重要な事だとは思うけど、そっちも早めに決めた方がいいと思うぜ」

 俺はさっきから気になっていたことを提言してみた。なにより、方向性の問題と言うのはバンドを組む上でとても重要なことだと思う。どんなに優れたバンドでも、最終的にバンドを解散させる理由は『方向性の相違』と言うことになる。それならば、これから新たにバンドを組もうとしている俺達が、そのことに関して話し合いをしないと言うのはいただけない。ここはじっくりとバンドの音楽性、方向性を見出すべきなんじゃないか。

「それよりも、バンド名を決める方が先じゃねーのか」

 とGAYA。

「いや、それこそ方向性を決めた後の方がいいだろ? 方向性によって、それらを踏まえた名前を付けた方がいいじゃないか」

 確かに、と言ってGAYAは引き下がった。

「そんなら、そう言うタカはどんな音楽をやりたいんだ?」

 雑用係兼リーダーの原田が、シェイクを啜りながら聞いて来た。

「そうだな。俺自身がキーボードと言うこともあって、打ち込み系とかに惹かれる部分はある。けれどそれだけにこだわる気は無い。シンセを使えばかなり幅の広い音楽をバンドとして扱えるはずだ。ギターやドラムがメインとして活躍できる曲も、厭う気は無い。個人的に好きな歌手はミスチルとかになるけど」

「つまりはどんな音楽でも合わせる自信はある、っつーことか。んじゃGAYAは?」

「そうだな。やっぱ俺はギターだから、ソロが出来るような曲がいい。とくにガシャガシャとヴァンヘイレンみたく、激しく弾くようなのがやりたい」

「――ああ、ヴァンヘイレンね。ありゃ最高だよ」

 イマイチわかっていなさそうな原田の言葉に、GAYAは薄ら笑いを浮かべて答えた。事実、俺の見たところ原田は、ヴァンヘイレンが原宿に新しく出来たオープンカフェだと言われても信用しそうな顔ぶりである。本当にバンドをやりたいのか、改めて原田に対する疑問すら浮かんでしまった。

 ゴトケンは原田の促すような顔に頷いてから口を開いた。

「ホントはボク、ドラムでヴォーカルもしてみたいな、とか考えていたんだよね。『ルーマニア・モンテビデオ』みたく。でもきちんとヴォーカルはヴォーカルで立てるなら、ボクはそんなに音楽性とかにこだわりはないよ。良く聞くのは『B's』かな、やっぱし」

「なるほどな。まあ、こう言うのはきちんと聞いておくにこしたことはないからな。そう言うことを踏まえて、曲なんかは選んで行こう。もちろん、初めからオリジナルなんて出来やしないだろうから、コピーから始める。選曲はもうしばらく待って欲しい。みんなの好みを統合するのは難しいし、何よりヴォーカルの確定がまだだからさ」

「わかった。でもその選曲についても、原田が決めるのか?」

 俺は少々心許なくなってそう聞いた。原田は人選や行動力について言えば、確かにそれ相応の能力はあるのだろう。だがことバンドそのものについては、甚だ頼りが無い。なにしろ、楽器は弾けない、歌は下手。おまけに音感がゼロとの野田の言葉もある。雑用係兼リーダーなのは認めたとしても、音楽に関して言えば俺の方がこうした作業には向いているのではないだろうか。

 見るとGAYAも俺と同じような不審な視線を原田へと送っている。ゴトケンだけは、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべているが、コイツの意見はこの際無視しても構わないだろう。

「んー。そうだな。それに関しては、みんなの意見を尊重するよ。俺一人では決められそうもないからね」

 どうやらこの件に関しては、原田自身も自分の意見を通すつもりはないようだ。そもそも原田はどういう音楽をやりたいのだろうか? バンドをやりたいと言う気持ちはこの中でも一番強い風に感じられはするが、いったいどう言った方向性を持ちたいのか、この際だから聞いておくべきだろう。

「で、原田はどうなんだよ。どんな音楽をやりたいんだ?」

「えっ、俺? 俺はまあ、いいよ。みんなの意見をまとめる立場だからな。あんまし我を通す訳にもいかんやろ」

 良く言えたもんだ。どの口がそんなセリフを吐かせるのだろうか? 今でも十分に我を通しているじゃないか。

「聞いておくこと事態は悪いことじゃないだろう。それを反映させるか否かはともかく。楽器は出来ないんだろ。んじゃ、普段はどんなの聞いてるんだ?」

「そ、そうやな。『B's』とか……」

「『B's』とか?」

「『チェキっ娘』とか……」

「はあ? なに? 聞こえないよ」

「いっ、いや、せやからな。まっ、ええやろ。だいたいみんなと一緒や。そう言う感じの音楽やないかっ。せやからワシの意見は放っておいてやなあ……」

 何やら答えに窮した様子の原田は、語尾を曖昧に濁すと、急にガバッと立ち上がって、こっちだこっち! とまたぞろ大きな声を張り上げた。

 見ると原田の視線の先には、またもうちの高校の制服に身を包んだ少女が立っていた。原田の胴間声に気付くと、あっ、そっちいたんだ〜、と少し空気の漏れたような声を出しながら俺達の席に小走りに近付いて来た。そしてその身体が、何にもない店内のフロアで急に浮かび上がり、あっと思った時には大きな音を立ててひっくり返っていた。原田が慌てて駆け寄ると、大丈夫か、と言って手を取って立ち上がらせた。

 ……どうやら、何もない通路で、自分の足に躓いて転んだらしい。

 こういう恥ずかしい体質を巷では『ラブコメ体質』と呼ぶ。なぜかは知らない。

 立ち上がった少女は、これまた先ほどの野田とは打って変わったタイプである。先ほどの野田が、革新派のウーマンリブ的なインテリ女性なのに対して、こっちの娘はあからさまな古典的ラブコメ少女である。小さくてかわいらしいと言える感じの目の前の少女は、いわゆる『守ってあげたくなる』度が異常に高い。男の父性本能的な要素を十二分に刺激して来るタイプである。野田が、明らかに一人でも生きて行けそうな力強い現代女性なのに対して、この少女は誰かの庇護の元でなければ、生きていけないのではないか、とそんな感慨を抱かせる娘であった。う〜ん、タイプこそ違えど原田の人選にはハズレが無い。一度、原田がピックアップしたヴォーカル候補生を全部見てみたいものだ。

「こっち座って。何か飲む?」

「うん。んじゃ、シェイクのバニラとアップルパイ」

 原田に示された椅子に座りながら、少女はそう答えた。原田が下のカウンターに買いに行こうとしたところで、ゴトケンがいいよ、ボクが行って来る、と言って立ち上がった。ゴトケン、なんて良い奴なんだろう。

 それにしても、と俺は少し用心深くその少女を視線で探って見る。

 誰もおごるなどと言ってもいない席上で、しかも先払いシステムのマクドナルドで、自分が食いたいものの金を払う素振りを微塵も見せないとは、かなりの女である。おごられることに慣れ親しんでいるんだろう。気を引き締めて相手をしないと、スッカラカンになる可能性大だ。

「彼女は四組の吉川未緒ちゃん」

 みおでぇ〜す、と鼻にかかったような声を出して、吉川未緒は挨拶をした。何だか新人声優と紹介されても違和感の無いような、不思議な声をしている。こんなんで本当にヴォーカルを務めることが出来るのか?

「こいつがタカ。俺と同じクラスでキーボード。んで、こっちが二組のGAYA。ギター担当。さっき気を使って買いに行ったのが、我がバンドの良心。六組のゴトケン。ドラム担当のナイスガイだ」

 あんましゴトケンはナイスガイって感じじゃないけど、確かに良心と言う意味では当たっている。

 そんなバンドメンバーの説明が終わると、早くもゴトケンがトレイを持って戻って来た。トレイにはアップルパイとシェイクが並んでいる。確か原田は何か飲む? と聞いただけで、食い物のことまでは聞かなかったはずだ。この女、やはり注意しなければなるまい。

「ありがと〜」

 吉川はゴトケンにお金を払うつもりはやはり無いらしい。トレイをそのまま受け取ると、何の躊躇いも感じさせずに吉川未緒はアップルパイにパクついた。そんな様の吉川を原田はゴトケンに紹介する。

「んで、彼女は四組の吉川未緒ちゃん」

「後藤健蔵です。ゴトケンってことで、よろしく」

 一通り紹介も済んだところで、俺は用件を切り出した。

「それで吉川さん、ヴォーカルの件はどうなの? やる気はあるの?」

 シェイクを飲む肺活量も無いのか、吉川は顔を真っ赤にしながらストローからシェイクを吸い込もうと格闘している。俺の言葉が届いている様子は無い。どうやら吉川と言うのは、自分のことにしか感心が無いと言う、極めて自己中心的な性格のようだ。まあ、会って十分も経っていないのに、その性格を断言してしまうのも独断過ぎるかもしれないけれど、そう言われても仕方が無いような態度を吉川は取っているのだ。

「吉川さーん!」

「えっ? 何か言った?」

「だからヴォーカル、やる気はあんの!」

「へっ? ヴォーカルって?」

 ……コイツは、どんな目的があって、この場に座っているんだ。

「まあまあ、タカ。そう焦らないでもいいだろ」

「――ユージ。オマエ、彼女にちゃんとバンドのこと話しているのか?」

 GAYAが、不意に爆弾発言を投げかけた。なに? それはどういう意味だ? 彼女はヴォーカルがしたいんだろ。俺達とバンドを組みたいんじゃないのか。

 原田の顔は惚けた表情を浮かべたままで、GAYAの呆れたような視線を受け止めている。なんてこった、原田は本当にただ女を呼んだだけなのか? まあ、それはそれで良い能力だとは思うが、こういう真面目な話をしている時に、適当な人間を連れて来られても困る。

「おい、原田。そりゃあないぜ。俺達だって今日メンバーが集まるって聞いてるから、こうして揃ったんだ。何の関係も無い女を連れて来られても話にならないじゃないか」

「待て待て。俺がいつ、彼女に何の話もしなかった、言うたんや。話は最後まで聞くもんやで。ちゃ〜んと、バンドの話は説明済みや。なっ」

「なに? バンドの話って」

 アップルパイを頬張りながら、吉川はキョトンとした表情で原田に訊ねている。さすがの原田の顔も固まっている。これでは言い逃れ出来まい。俺達の原田を見つめる視線も、先ほどまでは辛うじて零度を保っていられたのだが、ついには氷点下にまで冷え切ってしまった。

ふざけんなや! 昨日あんだけ説明したやろっ! 電話でもちゃんと話したんやからな。忘れたとは言わせへんでぇ! オノレの回転数の低い脳味噌に、何度も何度も反復して記憶させてやったやろっ! しかも、さっきの電話でほんのチョイ前に話したばっかしやないか! あんまし舐めたことばっかし言うとると、指の関節、一本ずつ外したるかんな!

 一気に沸点を迎えた原田は、大阪弁丸出しで怒鳴り散らした。そのあまりの剣幕ぶりに、俺もGAYAも目を剥いてその様を見つめていた。怒鳴られた当の本人は、初めは何のことだかわからずに、やはりキョトンとした顔をしていたのだが、次第に原田の剣幕に押され、ついには泣き出してしまった。

「ちょっと、ユージ。言い過ぎだよ」

 ゴトケンが、ポケットから『たれぱんだ』のイラストが入ったハンカチを取り出すと、吉川に手渡し軽く肩に手をかけて慰めている。

「――何も、怒鳴ることはねーだろ。見ての通りのアッパッパー女なんだろ? 人の話なんて聞いちゃいねえんだよ」

 GAYAが、拳を握り締めて立ち上がっている原田に向かってそう言った。激昂している原田を落ち着かせようと言うのだろうが、GAYAの言う『アッパッパー女』は案の定、GAYAのその言葉も耳に届いていないようだ。それどころか、いつの間にかゴトケンにしがみつくようにして、原田の凶悪な視線から逃れようとしている。もしこの女が本当にバンドに一員になったとしても、これじゃ先行きが危うい。

「……せやな。ワシとしたことが、我を忘れてしもうた」

 一人称にワシを使う高校生を見るのは、俺も初めてだった。何とオヤジ臭い男なのだろうか。しかも本当は千葉県民なのである。偽関西人、と言う奴だ。

 場には、一種張り詰めたような、独特な気まずい雰囲気が流れていた。いや、それは何もこのテーブルに限った話ではなかった。さほど混んでいなかった店内には、当然の如く全ての会話は筒抜けで、それどころか原田の激昂を息を潜めて見守っていた他の客達も、事の成り行きにどういう決着が着くのかと、固唾を飲んで見守っているのだった。

 まずい、何とかしなければならない。しかし原田は未だ震える拳を握り締め、怒りを押さえ込むのに精一杯のようだったし、一方の吉川はと言えばゴトケンにしがみついて一向に離れる気配は無い。ゴトケンも、吉川を守ろうとするかのように、原田の視線を覆い隠そうとして、そっちに気を取られて店内のこの雰囲気には気付いていないみたいだ。頼みの綱のGAYAはと言えば、終始視線をあちらこちらに泳がせている。どう考えても、この場を何とか出来るような男では無い。

 よし、こうなったら俺が……。

「――まあ、原田が説明したなら、それはそれでいい。それを吉川さんが覚えていなかったのも仕方がない。それじゃ、改めて言うけど。俺達はこれからバンドを組もうとしている四人組だ。だがヴォーカルが足りなくて困っている。そこで原田が見つけて来たのが、吉川さん、君なんだ。もし君さえ良ければ、うちのバンドのヴォーカルになってもらいたい、とまあこういう訳なんだけど」

 ……俺は何を言っているんだ。そもそも俺は、女性ヴォーカルには反対だったはずだ。にもかかわらず、話の妙な流れを修正するために口を開いたら、自分の意図とは違うことを口走ってしまった。ゴトケンは吉川に捕まえられて、何やら頬を赤く染めていて使い物にならないし、GAYAは場の雰囲気に飲まれ、物も言えないと言う様子。先ほど激昂したばかりの原田にも、もちろん場をまとめる力はない。仕方なく俺がこうしているのだが、これはいわゆるチャンスだったんじゃないのか? 原田に場を仕切られていれば、こっちの都合の良いように話を進めることなんて出来なかったはずだ。そこへひょんなことから、場の主導権が転がり込んで来たのだ。その好機を掴まない手はないじゃないか。にもかかわらず、俺は原田の練っていた計画そのままに、奴の言葉を代弁したに過ぎない。無意味じゃないか。そうだ。吉川、君が断ればいいんだ。君さえ断れば、この話は白紙に戻せる。そうすればヴォーカル選びに関して、再び原田が全権を握る恐れは無いんだ。俺一人の反対に物怖じする原田では無いだろうが、こうなった以上、俺だけじゃない。GAYAもゴトケンも、二人とも原田一人に任せておく気にはならないだろう。ゴトケンは少し頼りない気もするが、GAYAは結構硬派に見える。奴も女のヴォーカルには反対してくれそうだ。そう、君が断ってくれさえすれば、全ては丸く収まるんだ。さあ、さっきの野田のように、正面切ってバシッと『バンドなんてやらない!』そう言うんだ。こんな扱いをする原田となんて、一緒にバンドを出来る訳がないよな? そう、出来るはずがない。そんなことしたら、うちのバンドは三日と保たずに解散しなきゃならない。しかも『音楽性の違い』とか言う、意味のある言葉ではなく『アイツが嫌い』とか言う、小学生のケンカの理由みたいなので、解散する羽目になってしまう。そりゃ不味い。確かにまだ入学早々のことで、いくらだってやり直しは利くだろう。だがこうもトントン拍子に話が進んでいたのに、こんなバカみたいなことで解散になったら、なんかこう、次のステップにも繋がりにくいではないか。俺は、まだ会ったばかりのこのメンバーだが、こいつらとバンドをやってみたい、ってそんな気持ちになって来ているんだ。だから頼む! 吉川よ。オマエが断ってくれれば、全ては丸く収まるんだ。ここは一つ、俺の顔を立てると思って、潔く身を引いてくれ。もし俺達がビックになって武道館ライブを開く暁には、せめてスタンド席のチケットくらいは、三割引きくらいで手配できるようにはするから。なっ! 頼む。頼むよ!

「いいよ〜」

「……何が?」

 俺は信じられないような気持ちで、そう訊ねた。

「バンド。私やってもいいよ、ヴォーカル 」

「いいの? 本当に? うちのバンドには、原田もいるんだよ?」

「うん。でもゴトケンもいるんでしょ?」

「そりゃあ、まあそうだけど……」

「なら、いいよぉ〜」

 俺は慌てて原田の方を振り返って助けを求めた。もうこれでは為す術はない。俺に出来ることは全て終わった。後は原田の口から解散の宣言を聞くのみだ。まだ名前もなかったバンドだったけど、出会ってまだ二時間も経ってないけど、楽しかったよ。みんな、ありがとう。忘れないよ……。

「よっしゃ! ようやく五人メンバーが集まったわけやな。これで今からでも、本格的にバンドを始動することが出来るでぇ!」

 原田が、怒っていない?

 さっきまで確かに憤怒の表情を浮かべていたはずの原田が、いつの間にか会心の笑みまで浮かべている。ゴトケンは相変わらずの人なつこい笑顔を浮かべ、吉川の加入を喜んでいる様子だった。GAYAは、何とか事が大事に到らずにホッと胸を撫で下ろしている様子だ。だが俺と視線が合うと、慌てて仏頂面を浮かべて見せた。問題の吉川は、さっきまで泣き声をあげていたのを、もうすでに忘れたようで、食べかけのアップルパイに噛み付いている。

「ならまずは、新メンバーである未緒にあだ名を付けることから始めよう。おい、何か希望するあだ名とかはあるんか?」

「んーとね。未緒は、中学の時に『ヘレン』って呼ばれてたの」

「ヘレン? どういう意味や、それは」

 俺の気持ちを置き去りにしたまま、既成事実は形作られて行く。

「未緒といるとね。苛つく、ムカツク、凍り付く、の三重苦なんだって。だからヘレン」

 なんじゃそら、とGAYAの低い呟きが聞こえた。俺だってそう思う。この女の言うことは、ハッキリ言って良くわからん。だが原田はそれを認めてしまっているみたいだし、ゴトケンに到っては、明らかに未緒派と言った顔ぶりだ。

「じゃ、吉川未緒改め、新メンバー『ヘレン』の登場や。みんな拍手!」

 原田とゴトケンの拍手に、俺とGAYAのやる気の無い手拍子が混ざった。

「さて、メンバーが勢揃いしたところで、今日のメインイベントに行くぞ」

「何だよ。まだ何かあんのか?」

 GAYAの呻くような声が聞こえる。その気持ちは良くわかる。俺も、もう帰りたい。

「当たり前や。まだバンドの名前を決めてないだろ。これを決めるのが、今日の目標だったんだからな」

 だがGAYAはこの言葉を聞くと、柄にもなく勢い込んで発言した。

「それなら俺に考えがある。『6vs9』ってのはどうだ?」

「シックス・ブイエス・ナイン?」

「そう。字で書くとこうだ」そう言ってGAYAは、手元にあったナフキンにボールペンを走らせた。聞いただけでは感じが掴めなかったが、確かに字にするとなかなか格好良い。

 これにはゴトケンやヘレン――この呼び名にはまだ抵抗があるが――も感心している様子だった。だが俺も実はバンド名を考えて来ていたんだ。

「俺の案も聞いてくれ。『クレイ・モアー』って言うんだ。これはゲール語で『大いなる剣』って意味を持ってる」

「クレイ・モアーね、悪くないな」そう言いながら原田は、紙ナフキンにバンドの候補名を書き連ねて行く。「しかし、そのゲール語ってのはどこの言葉だ?」

 えっ、と呟いた切り、俺は返答に窮してしまった。原田のその言葉に、俺も改めて思い返すが、辞書にはゲール語で、と書いてあったが、ではそのゲール語とは何か、と問われると答えが見つからない。こいつは思わぬマイナス要因となってしまった。

「わかんないならいいよ、タカ。さて、他に何か案はあるか?」

「んじゃ、ヘレンも。んーとね、『ヘレンズ・ダイナイマイツ』ってのは?」

 ふざけんな、と俺は心の中で呟いておいた。他の皆の顔も、それぞれ心の中で毒突いていた様子だ。唯一、ゴトケンだけが、カッコイイねー、とバカに付き合っていた。だがよくよく考えてみると、この女もうちの高校に入れたと言うことは、それなりに偏差値は高かったはずだ。懸命に勉強したのに、コイツに負けて落ちた奴もいただろう。こんな奴が入学していた事実を、せめてそう言う人間には秘密にしておきたいもんだ。

「ゴトケンは、何か立案しなくてもいいのか?」

「ボクは特に無いよ。みんなの中から決めよう」

「そうか。わかった。……に、してもみんなやっぱしセンスないなー。どうにもこうにも、センスが感じられへん。やっぱし名前っちゅーのは、一番センスの問われるもんやからなあ。日頃の感性の差ってのが、如実に現れるもんやなー。悪いけど、今回こそはワシの名前を採用してもらうで!」

 原田はそう言って、一同をぐるりと見渡した。どうやらコイツも、何かバンド名を考えていた様子だ。しかしここまで自信たっぷりに言うところを見ると、却って怪しく映る。少なくてもGAYAの名前は、かなりセンスがいいと思える。このGAYAの名前を覆せるような案が、原田にはあるのだろうか? だいたい、今回こそは、ってのは何だ? 前回にも名前を決めるようなことがあったのだろうか。

「――じゃ、ユージはどんな名前を考えて来たんだ」

 余裕の表情で、GAYAがそう訊ねた。

「ふふふ、聞いて驚け、見て腰抜かせ。俺の考えて来た名前はこれや!」

 大きな声で叫ぶと、原田はブレザーの懐から一枚の紙切れを取り出して広げて見せた。それはどうやら習字に使う半紙のようで、そこに真っ黒の墨で太い字が描かれていた。半紙の中央にデーンと書き出されていたその名前は……、『道場破り』。

「『道場破り』……?」 一同の戸惑いを代表したのは、GAYAの呟きだった。

「せや、これからワシらは音楽業界と言う名の道場に、殴り込みをかけるんや。ええか、その心意気をや、いつまでも忘れんために、この名前をバンド名としてワシらの心に刻み込むんや」

「……マジ?」

 俺とGAYAは顔を見合わせてそう呟いた。

「もちろんマジや。オマエらのチンチクリンな名前に比べたら、神々しい輝きすら放ってる名前やないか。どや、見てみ、この名前。ええやろ、匂い嗅いでもええで」

 そう言われて臭いを嗅いでいるのがヘレンとゴトケン。ヘレンに到っては牛の臭いがする! と訳のわからぬことを叫んでいる始末だ。きっと墨汁から牧場でもイメージしたのだろう。人間の持っている想像力とは、なんと素晴らしいのだろう。

「これは甲乙付けがたいね。ボクとしては『道場破り』か『6vs9』か……。う〜ん、どちらにするか、迷うなあー」

 ゴトケン! オマエは間違っている。早くこっちに戻って来い!

「よっしゃ、なら決を採ろう。今から紙を配るからな、それに今出て来た名前の中で、どれがバンド名に相応しいか。相応しいと思うものを書き込んでくれ。民主主義国家の国民らしく多数決と行こうじゃないか。ええか、この紙に書き込むんやで。ペンはあるか? 無いなら貸すで」

 原田が、紙ナフキンを五枚にちぎり、それを皆に配る。それぞれにペンを持って神妙な顔付きで紙を睨み付けている。俺は……、ゆっくりとGAYAの顔を見た。GAYAはGAYAで、俺の方をじっと見ている。もしかするとこれは、怖れていることが起こってしまうかも知れない。ここは意地を張って自分の名前を書くよりは、GAYAの名前に乗っかる方がいい。少なくても『道場破り』なんて名前のバンド、恥ずかしくてスタジオも借りることが出来ないじゃないか!

「よっしゃ、みんな書いたな。集めるで。いいか、恨みっこ無し、一回切りの大勝負だぞ。誰の名前が採用されても、それに従うこと。それじゃいくで。まず一枚目……。おお、GAYAの『6vs9』や」

 俺はホッとして、GAYAの顔を見た。GAYAも俺の顔を見て頷いている。どうやら俺達は互いに意志の疎通が出来ているようだ。これでGAYAの名前に二票入ることが確実になる。あのアッパッパー女は、どうせ自分の名前を書くことだろう。これでもし、ゴトケンがあっち側へ行ってしまったとしても、最悪ドローで終えることが出来るはずだ。後は時間を稼いで、ゴトケンの目を覚まさせてやればいい。

「二枚目は、おっ、これもGAYAのや。なかなかの人気やな。……さて、三枚目は、ようやく本命の登場! ワシの『道場破り』や。これで二対一。勝負はまだまだわからんでぇ。んじゃ次、四枚目は……。おお、これも『道場破り』やっ! ついに同点やな!」

 怖れていたことが、今現実となって俺の前に立ちはだかろうとしている! 何が何でも『道場破り』なんて名前のバンド名にはさせる訳にはいかない。俺は中学の頃から、高校に入ったらバンドをやる、と周囲にも公言していたんだ。もし中学の奴らに、でバンド名は? なんて聞かれたらどうする! 答えられないじゃないかっ。してないと言えば、口ばっかしのハッタリ野郎になるし、言えば大爆笑されて地元の笑いモンになってしまう。どちらに転んでも最悪の結果だ。『道場破り』だって? もし俺らがビックになったら、みんなになんて呼ばれるんだ? ドウヤブとかって略されるのか? 略しにくいだろ、それは! そんな変梃な名前で紅白出場を決めても、ちっとも嬉しくなんかない。だいたい、そんな名前じゃみんなにコミックバンドだと思われてしまう。紅白出場なのか、白組応援団なのか、見分けが付かないじゃないかっ!

「五枚目は……、これだ!」

 原田がその紙切れを皆の眼前に突きつける。四人が身を乗り出してその紙切れへ視線を送る。収束する皆の視線の先に描かれた文字は、無情にもこう書かれていた。

 

『道場破り』って牛の臭いがするから好き!

 

 なんじゃそら……。


 1999/10/24

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