なんとな〜く、猫目石
(ふにゃふにゃバージョン)
三束で八十円のニラを手に取って見る。色、つや共に申し分がない。葉は肉厚で先端は僅かに丸みを帯びている。『どっちの料理ショー』で三宅が言っていた通りの代物だ。この茨城産のニラであれば、おいしい餃子を作ることが出来そうだ。
手にしたニラをレジにまで運ぶと、店主の目もどこか輝きを増したように見えた。このニラの良さが、おまえにわかるのか? 暗にそう問いかけて来ているようで、私はそこに敢然と挑むような鋭い視線を返して見た。不意に、店主の顔が和む。その一瞬のやり取りの中で、私は店主との間に信頼関係を築くことが出来たように思う。何よりも、同等のものを称えようとする、共通意識が芽生えていた。店主は何も言わずに、そのニラを新聞紙にくるむと、レジに五十円と打ち込んだ。私は消費税分を含む、五十二円を支払うと、早々に店を後にした。
夕飯の買い出しに出ていた私は、そこでふと足を止め振り返った。
背後から照り付けていた、御来光のような夕日は、猛然と私の視野に飛び込んで来る。それは避けようもなく双眸を直撃して、私は僅かに顔を顰めた。立ち止まったついでに、私は妻から渡されていたメモを取り出し、確認のために上から読み返す。豚コマ二百グラム、餃子の皮二袋、タマネギ、牛乳、エビ、ニラ。白い紙の上に書かれたものは、遍く買い物かごの中に収められており、私は心残りがないことを悟りながら、メモを懐にしまい込んだ。
こうして誰彼時に、買い物かごをぶら下げて歩く中年男と言うのはいかがなものであろうか、と大真面目に自問自答しながら帰路へと足を向ける。答えなど出るはずもなく、近所の奥様連とすれ違い、軽い会釈などをしていると、きっと私の去った後に軽い囁きが交わされることだろう、などと自意識過剰とも取れる想いを抱いて、私は足を早めた。誰がどういう話をしようと、そう気になるものでもない。自分が近所の連中にどう思われているか、などと言う低次元の評価になど元から興味は無いのだし、たとえあったとしても現状がそう容易く豹変することもないだろう。しばらく私は私のままであろうし、私自身もこの生活を変えようなどと言うことは、あまり考えてはいない。
しかし妻が私のことをどう考えているのか、その点については多少なりとも考えが及ぶ範疇の問題でもあった。ここまで見事に甲斐性がないと、いったい妻の立場としてはどういう思考に及ぶのか? 妻となったことの無い自身には、およそ想像にも及ばない事実であったので、私はそれ以上考えることを止めてしまった。
道端で花を売る男がいる。一鉢いくらもしないような花を商うその男は、だが雑多な冷やかし客にもめげずに、生き生きと花を売っている。果たしてこの花が幾つ売れれば、この男の一日の生活費となるのか、しばし足を止めて観察していた。花は一向に売れそうもない。それでも男は道行く人々に声をかけ、花の美しさを説いていた。だが男の言葉は商いに向いていないのか、その説明を聞いても一向に花を欲しいとは思わなかった。そして足を止めて眺めている私には、男は一切声をかけずに、足早に通り過ぎて行こうとする通行人に対してのみ、声高に叫んでいた。
面白かった。非常に面白かった。何が面白いのか、私にもわからなかったが、それを面白いと捕らえる私の感性に、おかしな点は見つからなかった。つまりそれは面白かったのであろう。客観的な視野に立って考えてみたとしても、そこには十分な面白みが含まれていそうだった。滑稽さが笑いに繋がる、と言う事実がその場で証明されているようにも思えた。忙しく動き回るその男は、確かに滑稽ではあった。そこにはバスター・キートンのようなちょっとシュールとも言える笑いが含まれているようだ。
だが周りの人々がそれに対して笑いを浮かべている様子もないことから、この私に沸き起こる笑いの観点は、どうやら主観的なものに過ぎずに、共通認識として機能する様子はなかった。私一人がそれを面白いと感じ、周囲の人間はそれに気付いていないか、或いは面白いと感じてはいなかったのだ。
よくよく聞いていると、男の言葉は説教臭い。やれ現代人は無機質だとか、やれ植物はある種の意志を持っているのだ、とか。そんな説明をされたところで、買う気になるとも思えず、事実客が寄り付かないところを見ると、彼の客引きが見当違いなものであることは一目瞭然であった。
私はそこで一つの仮説を立ててみた。この男は花を売る気がないのではないか? しかし男は依然として花を売るための努力を続けている。そんなはずは無いのだが、私はその仮説に心を奪われた。売る必要すらない花を、懸命に売ろうとしている男。だがそれは明らかな演技でしかないのだ。もし本気で花を売る気ならば、もう少し言いようがあると言うものだ。確かに男は、花に対する知識も保有している様子であった。だがそれらの説明は全て高慢に聞こえ、どこか人に嫌悪感を与える。インテリの蘊蓄のようなものであった。
「――売る気は無いのですか?」
気が付くと私は、そんな言葉を口に出していた。
男に売る気があろうと無かろうと、私には関係のない話であった。それなのに、私はこんな失礼な質問を投げかけている。或いは男は、まだ花屋になって日が浅く、客商売に向いていないだけなのかも知れない。そんな素性も知らないのに、私は不躾にもそう声をかけてしまったのだった。
「わかりますか?」
だが、私の中に渦巻いた自問自答を嘲るように、花売りは少し口元を緩ませてそう答えた。どこかしら確信めいたその答えは、私のこの質問をどこかで待ち望んでいたようにも聞こえる。
「どうして――」
「これは、全て私の育てた花なのです」
私の言葉を遮った男は、通りに向けていた視線を振り返り、道端に並べられた商品である花の鉢植えを眺めて言った。夕日を斜めに受け入れる彼の瞳は、恐いくらいに純真な色で輝いていた。
「咲き誇っている花を、皆に見て欲しい。そう思って路上に店を構えたのですが、私の苦労と情熱を理解できない人間に買われるのは、どこか耐え難く思えてしまった。だから客寄せをしているつもりが、いつの間にか嫌味な長広舌になってしまって……。結局、売るのが惜しくなってしまいました」
その男の奇異な行動も、そうして見ると納得できる。
男はそこまで言うと、急に恥ずかしげな表情を浮かべると苦笑した。
私も、そんな彼を見ると思わず笑みがこぼれた。
並んでいる植木鉢は、どれも見事な花を咲かせている。夕日の茜色が注がれて、花は一際輝いているようにも見える。この全ての花は、この男が手塩に掛けて育てた花なのだ。人に見せびらかしたくなるのもわからないではない。私のその中の一鉢、赤いガーベラの鉢を手に取った。
「――それはガーベラです。妻の好きな花でした」
過去形にした男の言葉の意味を察して、私はただ頷きを返しただけだった。
「私も、それが一番好きなんです」
私は、その鉢を手に取った。
深紅のガーベラはそれだけで美しかった。
……それが追憶に彩られているのなら尚更だろう。
だが、私は誘惑に駆られ口を開いた。
「――これ、ください」
1999/12/13
・「なんとなくクリスタル」のパクリと言ってもらって構わない(笑)。
ただ、こんなのもいいのかなぁ〜と思って書いてみた。
・作品中のリンクは注釈です。本文との関連性はあまりありません。