人魚姫
岡部・MG・導彦
ここ数日、男は何度となく海岸へと足を運んでいた。
この寂しい海岸沿いで、人魚を見たと言う伝説があるのだ。
男はどうしても人魚に会いたかった。
いや、会わなければならなかった。
岸辺に腰掛け、今日も男は鈍色の海原を見つめた。
いつか、その水面から現れる、美しき人魚を夢見ながら……。
その青年の姿を、人魚は水面下からこっそりと覗いていた。
青年の姿は日に日に窶れ、何かを待ち望んでいるような瞳だけがギラギラと輝いて見えた。
(――きっと、私を見たいんだわ……)
そう思うと、人魚の心は千々に乱れた。
この青年の前に姿を現したい、だがそれは一族の禁忌に触れる行為だった。
『人間と接触してはならない。もしその禁を破れば、一族に不幸が訪れるだろう』
昔から語られる、一族の最も重要な掟だった。
だが朝から晩まで、じっと海を見つめる青年に、人魚はいつしか恋心を抱いていた。
(一度で良いから、会って話をしたい)
その想いが、重い禁忌の扉を押し開けた……。
水面に、細波が立った。
ハッと、男が身構え、手を腰にやる。
ゆっくりと、金髪の頭部が現れ、美しく整った顔が水面から上がった。
「――君は?」
「私は人魚よ。あなた、私に会いたかったのよね?」
人魚は確信を込めて、そう言った。
男は驚愕の表情を浮かべて、黙って頷いた。
人魚は岸辺に手をかけると、男の隣に腰掛けた。
海から上がった人魚は、上半身は美しい女だが、下半身は魚と言う伝説通りの姿であった。
男の身体は震えていた。
微かな希望でしかなかったことが、今、現実として目の前に横たわっている。
その男の動揺を見て取って、人魚は穏やかに微笑んだ。
――その刹那。
男は腰に帯びていた短刀を抜き放つと、人魚の露わなままの胸へと突き刺した。
人魚の顔が、驚愕で歪む。
男は、何度も何度も、その胸を、腹を刺した。
人魚が完全に動かなくなるまで。
そして男は――。
その肉を喰らった。
美しかった胸部へ短刀を突き刺し、まだ濡れててらてらと光っている肉片を、貪るように口へと運ぶ。
肉はまだ暖かく、切り刻む間にも湯気を立ち上らせる。
それを味わうように咀嚼し続ける男の顔に、満ち足りた安堵の表情が浮かんだ。
「――これで、死ななくてすむ。病も癒える……」
口元をべっとりとした深紅で彩ると、男はにんまりと笑った。
2000/03/14