少年と海
少年は海が見たかった。
少年の見たい海は一つしかない。
それは父親からもらった、古い絵葉書の風景だった。
それがどこの海だか、少年は知らない。
彼はただ、海が見たかった。
しかしそれは、儚い願いでしかなかった。
彼には海を見ることが出来なかった。
海どころか、山や森、普通の街並みですら彼は見ることができない。
彼が見られるのは、白い病院の一室と、そこから見える切り取られた空だけであった。
だから彼は海が見たかったのだ。
少年は自分が海を見ることが出来ないことに、薄々勘付いていた。
だが一方で無理とは知りながら、それでも見たいと思う願望は、日増しに強くなる一方だった。
読書が好きな少年はある日、本の中で面白い言葉を見付けた。
『血の海』と書かれていた。
少年の心は激しく踊った。
(これだ、これで海が見れる……)
やり方も書いてあった。
少年はその道具を求めて視線を巡らす。
ベッドの横にある、サイドテーブルの上でそれは見付かった。
母親が、少年のためにリンゴの皮を剥く時に使っていた果物ナイフだ。
少年は腕を伸ばし、それを手に取った。
『――男は相手の腹にナイフを突き刺す』
少年は自分の下腹部にナイフを突き刺す。
『――ナイフを横に走らせると、鮮血が男の顔を赤く照らす』
少年は痛みに耐えながら、一気に腹を横にかっさばく。
溢れ出す鮮血が、少年の顔に向かって飛び散る。
『――男は最後に心臓を貫く。夥しい量の血が溢れ返る』
少年は痛みで朦朧とする意識の中、最後の仕上げとして、自らの胸にナイフを突き刺した。
夥しい量の血が、ベッドの上の白いシーツを赤く濡らした。
『辺りは、血の海だ……』
少年はじっとりと絡みつく赤い血を指先に感じた。
(これか……)
(これが海か)
(血の、海なの……か)
――少年は薄れていく意識の中、微かに笑った。