フリーマントル



スワンリバー沿いに下っていくと、港町フリーマントルに辿り着く。交通手段は船、車、電車、バスとなんでもあり。昨日遊覧船で河を下ってきたので、今日は電車で行くことにした。
マーティン宅のあるSUBIACO(スビアコ)駅はパース駅から3つ目。フリーマントルはスビアコからさらに15分ほど先の終着駅。パースが札幌ならフリーマントルは小樽といったかんじだ。


←車内に書かれている注意書き。
「子供と学生は大人のために立っているか、もしくは大人料金を払いなさい」
日本の大人も子供のご機嫌取りはやめて、これくらい毅然とした方がいいんじゃないか?




  
雰囲気のある港町

白い地面に青い空

インド洋


フリーマントルは、1829年にイギリス海軍のフリーマントル船長が最初にここに降り立ち、西オーストラリアを領土と定めたところからその名が付けられた。



ラウンド・ハウス
1830年にWA州で最初に建てられた刑務所。
新しい移民の中から出た犯罪者が幽閉されていた。
新しい刑務所が出来ると重犯罪者はそちらに移されて、
軽犯罪者だけがここに入れられていた。



フリーマントル刑務所
オーストラリアが本格的に流刑地として使われるようになったのは1850年から。イギリスから大勢送られてくる囚人を収容するために1855年に建てられて、1991年まで136年間使われていた。オーストラリア最後の流刑囚刑務所。
映画「ショーシャンクの空に」のロケ地だそうだ。

囚人達の生活は過酷で、最初のうちはベッドではなく、キャンバス地で作られたハンモックに寝かされていた。
朝になると、トイレ代わりのバケツを各自持たされて運動場に出され、そこで食事をし、仕事に取りかかる。雨の日も風の日も凍える冬も、毎日夕方4時半まで運動場に出されっぱなしだった。



刑務所が閉鎖される2年前(1年前?うろ覚え・・・)、
囚人が看守を運動場に閉じこめて所内に火を放った。
ベッドから机から、燃える物はすべて燃やした。
看守は食料と引き替えに解放されたが
屋根が全焼して、州は修理に大金を払った。

 アボリジニの囚人が描いた絵

文書偽造で投獄された囚人が描いた宗教画




マリタイム・ミュージアム
海の歴史が詰まった博物館。
アボリジニが使っていた筏や、
海底から引き上げられた財宝が展示されている。
写真は、植民が始まったばかりの頃に起きた暴動の犠牲者。




他にも、地図に書かれていた「クロコダイル・ファーム」へ一目ワニに会おうと出かけてみたが、3年前に閉鎖されて、今はブルワリーになるため改装中だった。残念。
途中、「中納言」というジャパニース・ステーキ&シーフード(なんだそれ)を出す店を発見。でもお金がもったいなくて入らず。

公園で一休みしていたら、餌をくれそうな人の周りにカモメが群がっていた。まるっきり鳩と一緒。カモメのプライドはどこいった!


帰りの電車は高校生がいっぱい。床に座るヤツがここにも!





◇ その他フリーマントル観光

ホエール・ウォッチング 南極観測船「しらせ」 釣り


         








前へ戻る           トップページへ