〔参照文献〕
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ルカーチ「帝国主義―世界大戦と内乱」
『レーニン。その思想の脈絡についての一試論』〔1924年〕第4章
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■渡辺寛訳『レーニン論』、青木文庫、1965年刊
●全体目次--------------------------------
はしがき
1 革命の現実性
2 指導的階級としてのプロレタリアート
3 プロレタリアートの指導的政党
4 帝国主義―世界大戦と内乱
5 武器としての国家
6 革命的現実政策
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アンダラインは元文の傍点強調部分。
〔〕は特にことわりない限り訳者の割註もしくは補足。[*] は引用者の補註。
4 帝国主義―世界大戦と内乱
ところで、われわれは決定的な革命闘争の時期に入っているのであろうか? プロレタリアートが、おのれの没落という罰にせまられて、その世界を変革するという使命を遂行せざるをえなくなるという時点は、すでに到来しているのであろうか? なぜなら、闘争の機がこのように熟し、そのための決断がおこなわれるのが、決断を迫るところの世界の客観的、経済的−社会的状態の結果でないばあいには、プロレタリアートのイデオロギー的ないし組織的成熟ではこうした決断をひきおこせないことは疑いのないところだからである。そして、勝利か敗北か、いずれにせよ一つの事件が、この問題の決定を可能にすることはできない。いや、一般に勝利するか敗北するかが問題となるような情況は、けっして事件をはなればなれに観察することによっては、確定されない。社会的−歴史的発展の全体との関連づけがはじめて、世界史的規準で個々の事件を勝利あるいは敗北として規定するのである。
それゆえ、ロシア社会民主党(当時はメンシェヴィキもボルシェヴィキも包括していた)内で革命の敗北後に革命を昂揚させることをめぐって、まだ第一次ロシア革命中に出現した論争、革命を比較すれば一八四七年(決定的な革命のまえ)にあたるのか、それとも一八四八年(革命の敗北ののち)にあたるのかという問題をめぐる論争は、よりせまい意味でのロシア的問題を必然的に越えた論争である。この論争に決着がつけられるのは、現代の基本的性格に関する問題の決着がつけられたときだけである。一九〇五年の革命がブルジョア革命であったか、それともプロレタリア革命であったかという、そして労働者の――プロレタリア的−革命的――行動が正しかったか、それとも「誤り」であったかという、よりせまい、ロシア特有の問題にたいしてもまた、こうした関連のなかではじめて解答を与えることができる。もちろん、精力的な問題提起が、回答はどの方向に求められるべきかをすでに示している。なぜなら、労働運動における右翼と左翼とへの分裂は、ロシア以外においてもますます、時代の一般的性格にかんする論争という形態をとりはじめているからである。すなわち、一定の、ますます明確に認められる経済諸現象(資本の集中、大銀行の意義の増大、植民地化、等々)は資本主義の「正常な」発展の量的な増大にすぎないのか、それともそれらの諸現象に資本主義の新時代の到来を読み取ることができるのかということにかんする論争、相対的に平和な時期にもますますひんぱんになる戦争(ブーア戦争、米西戦争、日露戦争、等々)を「偶然的」もしくは「一時的」なものとみなすことができるかどうか、それともこれらの戦争のうちに、ますます烈しさを加える戦争の時代の最初の兆候を認めるべきかどうかという論争。そして最後に、資本主義の発展がこうした方法で新たな段階に入ったとすれば、この変化した条件のもとでプロレタリアートの階級的利益をつらぬくためには、プロレタリアートの従来の闘争方法で十分であろうか? それでも、ロシア革命のはじまるまえと、その最中とに出現したプロレタリア的階級闘争のあの新しい形態(大衆ストライキ、武装蜂起)は局所的特殊的意味しかもっていない事件ではないか、いやそれどころか「誤謬」と「逸脱」ではないのか、それともこの新しい形態のうちに、大衆が世界情勢にその行動を適合させるために正しい階級的本能でとった、最初の自発的な試みを認めるべきなのか?
これらの複雑に関連しあった諸問題にたいするレーニンの実践的解答はよく知られている。それはつぎのことにもっとも明快に表現されている。すなわち、彼は――ロシア革命が敗北に終わるか終わらないとき、ロシアの労働者は誤って「行きすぎ」たというメンシェヴィキの泣きごとがなかなか消え去らなかったときに――シュトゥットガルト大会で、目前に迫った帝国主義世界大戦の脅威にたいする第二インターナショナルの態度を明確にし鋭くするための論争をおこない、そしてこの戦争に反対してなにをなすべきかという方向でその態度に影響を与えるよう努力したのである。
レーニン−ルクセンブルクの〔大会決議案への〕追加提案はシュトゥットガルトで採択され、のちにコペンハーゲン大会とバーゼル大会とによって確認された。これは、迫り来る帝国主義世界戦争の危険と、それにたいするプロレタリアートの革命的反対闘争の必要とが第二インターナショナルによっておおやけに認められたということを、意味している。したがってここでは一見したところレーニンはけっして孤立していたのではない。資本主義の新しい段階としての帝国主義の経済的認識においても同じであった。第二インターナショナルの全左翼が、いやその中央派と右翼との一部分さえもが、帝国主義の基礎にある経済的事実を現存するものとして認知していた。ヒルファーディングはこれらの新しい現象に経済理論を与えようと試みたし、ローザ・ルクセンブルクは、帝国主義の経済的複合体全体を資本主義の再生産過程の必然的結果として叙述することにさえ成功した。すなわち、帝国主義を史的唯物論の歴史理論のなかに有機的に組み入れ、そしてそれによって「崩壊理論」に具体的−経済的基礎を与えることに成功したのである。そして、それにもかかわらず、一九一四の夏に――そしてその後もかなり長いあいだ――レーニンが世界大戦にたいする自己の立場をまったくひとりで堅持していたとき、この孤立はけっして偶然のものではなかったのである。だがこれは、帝国主義をかつては同じように「正しく」判断していた、およそ多くの他の人々が現在では「臆病」なために動揺するようになったというような、心理的なことによっても道徳的なことによっても説明されない。そうではないのだ。一九一四年の夏における個々の社会主義の諸潮流の態度は、それまでの理論的、戦術的等々の態度の直線的、即物的な帰結だったのである。
帝国主義のレーニン的把握は――一見したところ――逆説的であるが、一方では重要な理論的貢献であって、他方では同時に、純粋に経済理論としてみたばあいには、真に新しいものはあまりふくんでいない。それは、多くの点でヒルファーディングにもとづいて書かれており、純粋に経済学的にみた場合には、深さと規模の大きさとにおいてローザ・ルクセンブルクのなしとげたマルクスの再生産理論の驚くべき展開にくらべるべくもない。レーニンの優越性はつぎの点――そしてこれが無比の理論的偉業である――にある。すなわち、彼は、帝国主義の経済理論を完全に現代のあらゆる政治問題と具体的に結びつけることに成功し、新たな段階の経済学をまさに決定的な段階における具体的行動全体の規準とすることに成功したのである。だから彼はたとえば戦争中に、ポーランドの共産主義者のある――極左的――見解を「帝国主義的経済主義」として排斥するのでもあるし、だから彼の〔マルクス主義〕擁護は、カウツキーの「超帝国主義論」という見解に反対するとき、もっとも力を発揮するのである。カウツキーはこの理論で、世界大戦が「偶然的」な進路であってけっして「正常な」進路ではないところの、資本の平和的な世界トラスト化を期待する理論であり、カウツキーはこの理論で、帝国主義の経済をその政治から切り離しているのである。もちろん、ローザ・ルクセンブルクの(そしてパネケックやその他の左翼の人々の)帝国主義の理論は、より厳密な、固有の意味においては、決して経済主義的ではない。彼らはみな――なかでもローザ・ルクセンブルクは――必然的に政治問題に転化する、帝国主義の経済のあの諸契機(植民、軍需産業、等々)をこそ強調している。だがこの結び付けは具体的にはなっていない。すなわち、ローザ・ルクセンブルクは、卓絶した方法で、〔資本の〕蓄積過程が帝国主義へ移行したために、植民地の販売領域と原料領域とをめぐる、資本輸出等々をめぐる闘争の時代が不可避となったということ、この時代――資本主義の最後の段階――は世界大戦の時代にならざるをえないということを、示している。だが彼女がこれによって基礎づけているのは、時代全体の理論、この近代帝国主義の理論一般にすぎない。だが彼女もまた、この理論から現代の具体的な諸要求への移行を見出すことはできなかった。〔彼女の書いた〕『ユニウス・ブロシューレ』は、その具体的部分においては、『資本蓄積論』の必然的帰結ではない。時代全体の判断の理論的正しさは、彼女にあっては、あの具体的に運動している諸力――これを評価し革命的に利用するのがマルクス理論の実践的課題であるが――の明確な認識へと具体化されていない。
しかし、レーニンのこの点における優越性は、「政治的天才」「実践的洞察力」等々のスローガンではけっしてかたづけられない。それは、むしろ、全過程を判断するときの純粋に理論的な優越性である。なぜなら、彼の全生涯において、彼の理論的立場のまさに客観的で論理的な帰結でなかったような、実践的決断はただの一つもないからである。そして、具体的状況の具体的分析を要求するのがこうした立場の基本原則であるということが、弁証法的に考えない者にだけは、問題を「現実政治的」−実践的なものへとずらしているように見えるのである。マルクス主義者にとっては、具体的状態の具体的分析は「純」理論に対立するものではなく、その逆であって、正しい理論の極点、理論が真に実現されるところの、理論が――それゆえ――実践に転化するところの点である。
この理論的優越性は、レーニンが、マルクスの後継者たちすべてのなかで、その資本主義的環境の物神崇拝的カテゴリーでその眼をもっともくもらされていなかったことに、もとづいている。なぜなら、マルクス経済学がそれの先行者と後継者とのすべてにたいして決定的にすぐれているのは、つぎの点にもとづいているからである。すなわち、一見したところ純粋に経済的(したがって純粋に物神崇拝的)カテゴリーで検討されなければならないような、もっとも錯綜した問題において、こうした問題を次のように把握しているのである。つまり、「純経済的」カテゴリーの背後に、これらの経済的カテゴリーによってその社会的存在を表現されているところの、あの諸階級をその発展過程において明確にしているのである。(固定資本と流動資本とへの古典派的区分にたいする、不変資本と可変資本とへの〔マルクス的〕区分を想起せよ。この区分によってはじめて、ブルジョア社会の階級構造が現れる。すでに剰余価値問題のマルクス的把握が、ブルジョアジーとプロレタリアートとのあいだへの階級編成を暴露した[*]。不変資本の増大は、この関係を社会全体の発展過程のダイナミックな関連において示し、そして同時に、剰余価値の分配をめぐる、種々の資本集団の闘争を暴露している。)
[*]『資本論』第1巻第3篇第6章「不変資本と可変資本」
レーニンの帝国主義の理論は――ローザ・ルクセンブルクのような――帝国主義の経済的に必然的な成立とその経済的制限との理論であるよりは、むしろ、帝国主義によって解放され、帝国主義のうちに作用している具体的な階級諸力の理論、すなわち帝国主義によって出現した具体的な世界情勢の理論である。彼が独占資本主義の本質を研究するとき、第一に彼の興味をひきつけるのは、こうした具体的な世界情勢と、それによって生じた階級編成、たとえば大植民〔地所有〕諸列強による地球の分割とか、資本の集中運動によるブルジョアジーとプロレタリアートとの内部的な階級編成(純寄生的な金利生活者層、労働貴族等々)の変化とか、である。そして主として彼の興味をひきつけるのは、独占資本主義の内的運動がどのようにして、各国の不均等な発展のために、一時的に実現した「勢力範囲」の平和的分割と、その他の妥協とをふたたび崩壊させ、力によって、戦争によってしか解決されない衝突への駆りたてるかということである。
帝国主義の本質は独占資本主義として、そして帝国主義戦争は、さらに高度の集中への、絶対的独占へのその傾向の必然的発展と発現として規定されることによって、この戦争と関連した社会の編成が明確になる。帝国主義に直接には「利益のない」、いやそれによって「だまされて」いるブルジョア階級の一部すら帝国主義反対のために動員することができると――カウツキーのように――考えるのは、素朴な妄説であることがわかる。独占〔資本〕主義的発展はブルジョアジー全体を引きさらってゆく、いや小ブルジョア層――すでにもともとつねに動揺しているのだが――だけではなく、プロレタリアートの一部分にさえも、(もちろん一時的な)支持者を見出すのである。それにもかかわらず、このことは、小心者の考えるように、革命的プロレタリアートが、断乎として帝国主義を排斥することによって、社会のなかでその立場を孤立させることにならない。資本主義社会の発展は、つねに矛盾を含み、対立のなかで運動している。独占資本主義が歴史上はじめて、固有の意味での世界経済を創出する。その戦争、帝国主義戦争は、だから、言葉のもっとも厳密な意味において、最初の世界大戦である。このことは、なによりも、資本主義によって抑圧され搾取されている諸国が、歴史上はじめて、その抑圧国にたいする孤立した闘いにもはや置かれないだけではなく、これらの国がその全存在をくるめて世界大戦の渦巻きにひきずりこまれることを、意味する。
発展した資本主義的植民政策は、資本主義発展の初期におこなわれたような、略奪的方法で植民地人民を搾取するのではなく、同時にその社会構造を変革し、彼らを資本主義化する。こうしたことがおこなわれるのは言うまでもなく、搾取の強化(資本輸出等々)のためであるが、その結果は――もちろん帝国主義の欲する方法によってではなく――植民地諸国において自国のブルジョア的発展の発端がひらかれ、その必然的イデオロギー的帰結として民族独立闘争が始められる。これは、さらにつぎのことによって高められる。すなわち、帝国主義戦争は、帝国主義書諸国の利用できる人的予備をすべて動員し、植民地諸国民を闘争に積極的に引きずり込んだり、その産業のより急速な発展をはかったりして、こうしてこの過程を経済的にもイデオロギー的にも促進することによって、である。
しかし、植民地諸国民の状態は、独占資本主義の、その被搾取者にたいする関係の極端な場合にすぎない。一つの時代から他の時代への歴史的移行はけっして機械的におこなわれはしない。ある一生産様式が出現し、歴史的に活動できるのは、先行する、それによって克服される生産様式がすでにそれ独自の、社会を変革する使命を全面的に実現したときだけである、というように機械的にはおこなわれない。相互に克服しあう生産様式およびそれらに照応した社会諸形態と階級的編成は、むしろ社会のなかで相互に交錯し、相互に作用しあいながら現れる。そこで、抽象的に見ると、お互いに等しく見える発展(たとえば封建体制から資本主義への移行)が、その発展のおこなわれる環境が完全に変化することによって、社会的歴史的全体にたいしてまったくちがった関係を持ち、そしてそれに応じて――それだけで見ても――まったく新しい機能と意味とを持ちうるのである。
のびようとする資本主義は民族を形成する要因として現れる。小さな封建的諸支配の中世的混在から、資本主義は、ヨーロッパの資本主義的に発展した部分を――苦しい革命闘争の後に――大国民へと作り変えた。ドイツとイタリアとの統一闘争がこれらの――客観的に見ると――革命闘争の最後のものであった。だが、これらの諸国において資本主義が帝国主義的な独占資本主義に推転したときも、資本主義が個々の後進諸国(ロシア、日本)においてさえ、このような形態をとりはじめたときも、このことは、その民族形成の意義がこうした国々以外の全世界にたいしてなくなったことを、意味するものではない。その反対である。急速な資本主義的発展は、従来「歴史を持たない」ヨーロッパ諸国すべてにおいて民族運動をつくり出した。その「民族解放闘争」が、いまでは国内の封建体制や封建的絶対主義に反対する闘争としておこなわれる――したがって無条件に進歩的である――ばかりではなく、また世界列強の帝国主義的対抗の枠内にはまりこまざるをえないということがちがうのである。したがって、その歴史的意義、その評価は、この具体的全体のなかでいかなる具体的機能をそれが果すかにかかっている。
すでにマルクスはこの問題の意義をまったく明確に認識していた。もちろん彼の時代では、この問題というのは、圧倒的にイギリス問題、つまりアイルランドにたいするイギリスの関係の問題であった。そしてマルクスがもっとも鋭く強調しているのは、すべての国際上の正義を別としても、可能なばあいには、現在の強制統合――すなわちアイルランドの奴隷化――を、平等で自由な同盟へと改革し、――もしやむをえないばあいには、完全に分離するように改めることである。彼が明確に見てとったのは、くわしく言えばつぎのことであった。すなわち、一方ではアイルランドの搾取は、すでに当時、だが当時にあっては唯一の資本主義として、もう独占〔資本〕主義的性格をもっていたイギリス資本主義の重要な権力の足場であることを意味しており、そして他方では、この問題におけるイギリス労働者階級の不明確な態度は、その共通の搾取者にたいする統一した闘争をおこなわないで、被抑圧者の分裂を、被搾取者にたいする別の被搾取者の闘争をもたらしており、したがってアイルランドの民族解放闘争だけが、イギリスのブルジョアジーにたいするイギリスのプロレタリアートの闘争において真に有効な戦線を演じうる、ということであった。
マルクスのこの把握は、同時代のイギリスの労働運動において有効に作用しなかったばかりではなく、それは第二インターナショナルの理論と実践においても生きなかった。理論の新しい生命を、マルクスにおいてそうであったよりも、よりいきいきした、より具体的な生命をふきこむことは、ここにおいてもレーニンのためにのこされていた。なぜなら、それは、たんなる世界史的な現実性から現実問題になり、したがってそれは、レーニンにあっては、たんなる理論的な問題としてだけではなく、純粋に実践的な問題として現れたからである。なぜなら、これと関連して、われわれのまえにいま現れている巨大な問題全体――労働者ばかりではなく、すべての被抑圧者の真に世界的規模での反抗――は、レーニンが最初から、ナロードニキ、合法マルクス主義者、経済主義者、等々に反対して、ロシアの農業問題の核心としてたえず予言してきた問題と同じであるということが、すべての人々に明確にされなければならないからである。こうしたばあいに必ず問題になるのは、ローザ・ルクセンブルクが資本主義の「国外」市場と名付けたものであって、この名称で、政治的国境の内側にあるのであれ外側にあるのであれ、いずれにせよ非資本主義的市場が考えられている。拡張する資本主義は、一方では国外市場なしでは存続できず、他方ではこの市場にたいする資本主義の社会的機能は、その原始的な社会構造を崩壊させ、それを資本〔主義〕化し、それを――資本主義的――「国内」市場に転化することにある。だが、こうすることによって、それは自立的傾向、等々を獲得するのである。だからここにおいても、関係は弁証法的なものである。ローザ・ルクセンブルクは、この正しく、かつ壮大な歴史的見通しから、世界大戦という具体的問題の具体的解決のための道を見出さなかったことがその欠陥であった。彼女にあっては、それは時代全体の歴史的見通し、その正しく、かつ壮大な特徴づけにとどまっていた。まさに全体としての時代にすぎなかったのである。そして、理論から実践へ踏み出すことは、レーニンに残されていた。しかし、こうした歩みは――これはけっして忘れてはいけない――同時に理論的進歩である。なぜなら、それは抽象から具体への歩みだからである。
実際の歴史的現実の抽象的で正しい判断から、帝国主義時代全体の革命の本質一般の論証から具体へのこの移行が鋭く出てくるのは、この革命の特殊的性格にかんする問題においてである。ブルジョア革命とプロレタリア革命とを精確に区別したのは、マルクスの最大の理論的貢献の一つである。この区別は、ひとつには彼の同時代人の未熟な妄説にたいして、最高の実践的−戦術的意味を持ち、ひとつには当時の革命運動における真に新しく、真にプロレタリア的−革命的要因を明確に認識するための、唯一の方法的手がかりであった。だが俗流マルクス主義においては、この区別は固定化され、機械的に分離されている。この分離は、日和見主義者にあっては、実践的帰結として、新時代のほとんどすべての革命は、それがどれだけプロレタリア的行動、要求等々でおこなわれようとも、ブルジョア革命として始まるという経験的に正しい観察が図式的に一般化されることになる。日和見主義者によれば、革命はこのようなばあいにはまったくブルジョア的なものである。プロレタリアートの任務は、この革命を支持することである。ブルジョア革命とプロレタリア革命とのこの分離からは、プロレタリアートは自己の革命的階級目標を放棄すべきであるという結論がでてくる。
しかし、この理論の機械論的謬論を明確に洞察し、現代のプロレタリア的−革命的性格を知っている左翼急進主義者たちの見解も、上の見解の同じように危険なからくりの他の側面におちいっている。ブルジョアジーの世界史的革命的役割は帝国主義時代には終わってしまったという認識から、左翼急進主義者たちの見解は――同じようにブルジョア革命とプロレタリア革命との機械論的分離にもとづいて――われわれはいまや純粋のプロレタリア革命の時代に入ったという結論を導き出す。この立ち場の実践的帰結はつぎのように危険なものである。すなわち、帝国主義時代に必然的に発生する(農業問題、植民地問題、民族問題)ところの、そしてプロレタリア革命との関連において客観的に革命的になるところの、あの崩壊と騒擾との全運動を見すごす、いや軽蔑したり突き放したりさえすることになるのであり、また純粋プロレタリア革命のこの理論家たちは、プロレタリアートのもっとも有力で、もっとも重要な同盟者をすすんで棄てさり、また彼らはプロレタリア革命に具体的な見通しをひらくところの、あの革命的環境をなをざりにし、こうして真空のなかに「純粋の」プロレタリア革命を待望し、それの準備をしようと考えることになるのである。レーニンは言っている。「純粋の社会主義革命を待望するものは、けっしてそれまで生きていないであろうし、現実の革命を理解しない、口先だけの革命家である。」[*]
なぜなら、現実の革命とは、ブルジョア革命のプロレタリア革命への弁証法的転化だからである。過去の偉大なブルジョア革命の指導者あるいは享受者であった、かの階級がいまでは客観的に反革命的になったという争う余地のない歴史的事実は、それによってこれらの革命の中心となっていた、あの客観的な問題もまた社会的に解決され、この問題の意革命的解決にきわめて大きな利害を有している、社会のかの諸階層が満足してしまったということを、けっして意味していない。その反対である。ブルジョアジーの反革命的転向は、たんに彼らのプロレタリアートにたいする敵対を意味しているばかりではなく、同時に彼ら自身の革命的伝統からの離反をも意味している。彼らは、その革命的過去の遺産をプロレタリアートに譲り渡している。いまやプロレタリアートは、ブルジョア革命を徹底的に最後まで遂行する唯一の階級である。すなわち、一方では、まだ現実に残されているブルジョア革命の諸要求はプロレタリア革命の枠のなかでのみ貫徹されうるのであり、また他方では、ブルジョア革命のこれらの諸要求の徹底的貫徹はプロレタリア革命をもたらすのである。したがって今日では、プロレタリア革命は、同時にブルジョア革命の実現と揚棄とを意味している。
[*] ブハーリン『世界経済と帝国主義』序文
こうした事態の正しい認識は、プロレタリア革命のチャンスと可能性とにたいして巨大な見通しをひらく。だが同時に、それは革命的プロレタリアートとその指導政党とにたいして、巨大な要求を提起する。なぜなら、この弁証法的移行を見出すためには、プロレタリアートは、正しい関連を正しく認識しなければならないだけではなく、プロレタリアートのこうした関連への洞察をさまたげてきた、あの小ブルジョア的傾向、思考習慣、等々をおのれのうちで、実践的に克服しなければならないからである。(たとえば民族的偏見。)それによって、プロレタリアートには、自己を克服することによって、あらゆる抑圧者[*] の指導者におのれを高める必然性が生ずる。なかんずく、被抑圧民族の民族自決のための闘争は、抑圧民族のプロレタリアートにとっても、被抑圧民族のプロレタリアートにとっても同じく革命的自己教育の大業であって、抑圧民族のプロレタリアートは、この完全な民族自決の貫徹によって自分自身のナショナリズムを克服し、被抑圧民族のプロレタリアートは、それにたいして、連邦主義の、国際的プロレタリア的連帯のスローガンで応ずることによって、そのナショナリズムを超克する。なぜなら、レーニンの言うように、「プロレタリアートは、社会主義のために、そして自分自身の弱さにたいして闘う」からである。革命をめざす闘争、世界情勢の客観的なチャンスの利用および革命的階級意識の独自的成熟のための内部闘争は、同一の弁証法的過程の切り離しえない契機である。
[*] “「被」抑圧者”の誤記?
したがって、帝国主義戦争は、プロレタリアートがブルジョアジーにたいして革命的に闘っているときに、プロレタリアートのために一般的に同盟者をつくりだす。だが、プロレタリアートが自己の状態と自己の任務とを認識しないときには、帝国主義戦争は、プロレタリアートがブルジョアジーに従属し恐るべき自己分裂をとげることを余儀なくさせる。帝国主義戦争のつくりだす世界情勢のために、プロレタリアートは現実にすべての被抑圧者と被搾取者との指導者となり、その解放闘争は、資本主義によって奴隷化されたすべてのものを解放する合図となり道しるべとなることができる。だが同時に、それのつくりだす世界情勢のために、何百万というプロレタリアは、彼らを搾取するものの独占的地位を確保し拡大するために、もっとも手のこんだ残虐さでお互いに殺し合わなければならない。二つのうちのどちらの運命がプロレタリアートのものとなるかは、自己の歴史的状態への洞察に、自己の階級意識に依存している。なぜなら、「人間はその歴史をみずから作る。」しかしもちろん「自分で選択した環境のもとにおいてではなく、直接に目のまえにある、与えられた、伝来の環境のもとにおいてである。」[*] したがって、ここで問題なのは、プロレタリアートが闘うことを欲するか、欲しないかの選択ではなく、だれの利益のために、自分自身のために、それともブルジョアジーの利益のために、闘うべきであるかの選択にほかならない。歴史情勢がプロレタリアートに提起する問題は、戦争と平和とのあいだの選択ではなく、帝国主義戦争とこの戦争に対する戦争、すなわち内乱とのあいだの選択である。
[*] マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』第1章
帝国主義戦争に対するプロレタリアートの防衛としての内乱の必然性は、プロレタリアートのすべての闘争方法と同じく、資本主義的生産の、ブルジョア社会の発展がプロレタリアートに押しつけるところの闘争諸条件から発生する。党の活動、正しい理論的見通しの重要性は非常に大きく、それは、プロレタリアートが所与の状態における階級編成によって客観的に保持してはいるものの、理論的、組織的に未成熟なために所与の客観的可能性の水準までは発揮していない、あの抵抗力もしくは打撃力をプロレタリアートに与えるのである。そこで、帝国主義戦争のまだまえに、プロレタリアートの自発的反対行動としての大衆ストライキが資本主義の帝国主義段階で発生し、そしてこうした関連を、第二インターナショナルの右派と中央派とはあらゆる手段でかくそうと試みたが、それは次第に急進派の理論的共有財産になったのである。
だがここでもレーニンが、大衆ストライキが決定的闘争の武器として十分ではないことを、すでにひじょうに早く、すでに一九〇五年に認識していた唯一のひとであった。彼が、モスクヴァの蜂起が鎮圧されたあとで、「武器をとるべきではなかった」という見解を代表するプレハーノフにたいして、失敗した蜂起を重要な一道程として評価し、その具体的経験を確定しようと試みたとき、彼はこうすることによって、世界大戦におけるプロレタリアートの必要な戦術をすでに理論的に基礎づけていたのである。なぜなら、資本主義の帝国主義段階と、とくに世界大戦におけるその極限状態とは、資本主義がその存続か没落かを決定する状態に入ったことを示しているからである。支配することに慣れた階級は、その支配領域の拡大とともに、その支配機構の展開とともに、その支配の現実的社会的基礎が同時にせばめられることを、知っているのであるが、この階級はその正しい階級本能によって、この基礎を拡大し(中間層を従属せしめ、労働貴族層を買収する、等々)たり、その強敵が本当に抵抗に立ち上がるまえに、それを徹底的に打倒したりするために、もっとも精力的な試みをするのである。修正主義の全理論は、階級闘争の「平和的」闘争方法が、ひじょうに問題はあっても、一時的には機能していることに、基礎づけられていたのであるが、この「平和的」闘争方法を清算して「より精力的な」闘争手段を好むのは、したがって、一般にブルジョアジーである。(アメリカを想起せよ。)ブルジョアジーは、国家機構をしっかりと手中に収めることにますます成功し、それとひじょうに強力に同化することに成功するので、労働者階級の経済的なものとしか見えない要求でさえ、ますますひどくこの壁に突き当たり、労働者は、その経済状態の悪化を、いままでに獲得された拠点の喪失を防止しようとするだけでも、国家権力との闘争を(したがって、無意識的にではあれ国家権力獲得のための闘争を)おこなわざるをえなくなるのである。そこでこうした発展によって、大衆ストライキの戦術をプロレタリアートは考えざるをえなくなる。このばあい、日和見主義は、つねに、革命にたいする恐怖のために、情勢の革命的帰結をひきだすよりは、すでに獲得されたものをよろこんで放棄することを、心がけてきた。だが大衆ストライキは――その客観的本質においては――革命的手段である。大衆ストライキはすべての革命情勢をつくりだし、この情勢のなかでブルジョアジーは、できるるかぎり国家機構の助けをかりて、彼らにとって必然的な帰結をひきだす。だがこうした手段にたいしてプロレタリアートは無力である。プロレタリアートがブルジョアジーの武器にたいして同様に武器をとらないときには、大衆ストライキという武器も、ブルジョアジーにたいして役に立たなくならざるをえない。このことは、自分自身を武装し、まさに全体としては労働者と農民とから成り立っているブルジョアジーの軍隊を解体し、ブルジョアジーの武器をブルジョアジー自身に向けるよう、努力することを意味する。(一九〇五年の革命は、ひじょうに正しい一つの階級本能の、だがこの点についてはただ一つの本能の多くの実例を示している。)
ところで、帝国主義戦争はこの情勢の極度の尖鋭化を意味している。ブルジョアジーはプロレタリアートにたいして、ブルジョアジーの独占的利益のために他の諸国の同じ階級の仲間を殺し、この利益のために死ぬか、さもなければブルジョアジーの支配を武力で転覆するか、という決断をせまる。この極度の暴圧にたいしては他のすべての闘争手段は無力になる。なぜなら、それらは、帝国主義諸国の軍事機構によって例外なく打ち砕かれざるを得ない。従ってプロレタリアートが、この極度の暴圧を避けたいと思うならば、この軍事機構そのものにたいして闘争しなければならない。すなわち、この機構を内部から破壊し、帝国主義ブルジョアジーが全人民与えざるを得なかった武器をブルジョアジーに向け、帝国主義の没落のために利用しなければならない。
したがって、ここにおいてもまた、まったく未聞の――理論的には――ことはない。その反対である。情勢の核心は、ブルジョアジーとプロレタリアートとのあいだの階級関係にある。戦争は、クラウゼヴィッツの定義によれば、政治の継続であり、それも、あらゆる点においてそうなのである。すなわち、戦争は、たんに一つの国家の対外政策について、その国がそれまで「平時」に遂行してきた方針を、極端にそしてもっとも積極的に最後までおこなうことを意味するだけではなく、戦争は、一国の内部の階級編成についても、すでに「平時」に社会の内部で作用していた傾向をまったく最高に高め、ぎりぎりにまで尖鋭化させるのである。だから戦争は、一国にとっても、一国民内部の一階級にとっても、完全に新しい状態をつくりだすわけではけっしてない。戦争で新たに生ずることは、あらゆる問題が量的に未曾有に上昇して、質的に変化をきたし、それによって――だがそれによってのみ――新しい状況が生ずる、という点にだけある。
したがって、戦争は、社会的−経済的に見ると、資本主義の帝国主義的発展の一段階にすぎない。だから、戦争は、必然的に、同じように、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの階級闘争の一段階にすぎない。それゆえ、帝国主義のレーニン的理論の意義は、レーニンが――彼以外のだれもなしとげなかったのであるが――発展全体にたいする世界大戦のこうした関連を理論的に首尾一貫して設定し、戦争の具体的問題について明示したことにある。だが、史的唯物論はプロレタリア的階級闘争の理論なのであるから、もし帝国主義の理論が同時に帝国主義時代における労働運動の諸潮流にかんする理論でなかったとすれば、こうした関連の設定は不完全なものにとどまったことであろう。したがって、必要なのは、プロレタリアートが、戦争によってうみだされた新しい世界情勢のなかで、その階級的利害に則してどのように行動すべきかを、明確に知ることだけではなく、同時に、帝国主義とその戦争とにたいする他の「プロレタリア的」立場の理論的根拠はなんであり、プロレタリアートのなかでのどのような階層変化がこの理論への服従を生みだし、そうすることによってこの理論を政治的潮流へと高めているのかを、明らかにすることである。
なによりも必要なのは、これらの潮流が一般に潮流として現存していることを、明らかにすることである。戦争にたいする社会民主党の態度は――一時的な――錯誤、臆病などの結果ではなく、それまでの発展の必然的な結果であったことを明らかにすることである。したがって、こうした態度を労働運動の歴史から理解すべきだということ、この態度を社会民主党内のそれまでの「意見の相違」(修正主義、等々)との関連において論ずべきだということを、明らかにすることである。この観点は、マルクス主義的方法にとっては自明のことにちがいなかった(『共産党宣言』での当時の諸潮流の取り扱いを想起せよ)のであるが、労働運動の革命的な部分においてすら、なかなか広がらなかったのである。ローザ・ルクセンブルクとフランツ・メーリングとのグループである『国際(インテルナツィオナーレ)』派でさえも、この方法的視点を最後まで徹底的に考え、適用できなかった。だが明らかに、日和見主義と戦争についてのその態度とにたいする断罪が、日和見主義を労働運動のなかで歴史的に認識さるべき潮流として把握せず、また現在のその潮流を有機的に成長して結実したものとして過去のそれから導き出さないならば、こうした断罪は、マルクス主義的討論の真に原則的な高さに達することもできないし、こうした断罪から、具体的−実践的な、行動の契機において必要な、戦術的−組織的な結論をひきだすこともできないのである。
レーニンにとって、そしてまたしてもレーニンにとってだけ、シャイデマン−プレハーノフ−ヴァンデルヴェルデ等の世界大戦にたいする態度は当面の情勢にたいする修正主義の原理の一貫した適用にほかならないことが、世界大戦の勃発したときから明らかであった。
それでは――端的に言って――修正主義の本質はどこにあるのか? まず第一に、それは、もっぱらプロレタリアートの階級的立場から歴史的−社会的出来事の全現象を観察する史的唯物論の「一面性」を、修正主義が克服しようと試みるところにある。修正主義は、「全社会」の利害を立場に選ぶ。だがこのような全体の利害は――具体的に観察すると――まったく存在しないのだから、そのように見えても、それは、異なった階級諸力の闘いあう相互作用の一時的な合力以外のなにものでもないのだから、修正主義者は、歴史過程のたえず変転する結果を、いつでも不変の方法的出発点としている〔ことになるのである〕。修正主義者は、こうして事物を理論的にも歪曲する。その本質は、実践的には、すでにこうした理論的出発点のために、つねにかつ必然的に一つの妥協である。修正主義はつねに折衷的である。すなわち、それは――すでに理論的に――相互の階級対立を鈍らせ、調停し、その――歪曲されて、頭のなかにのみ存在している――統一を、出来事を判断する規準にしようと試みるのである。
こうした理由で、修正主義者は――第二に――弁証法を投げ棄てる。なぜなら、弁証法とは、つぎのことの概念的表現以外のなにものでもないからである。すなわち、社会の発展は現実においては対立のなかで運動しているということ、これらの対立(諸階級の対立、階級の経済的存在の敵対的本質、等々)はあらゆる出来事の基礎であり、核心であり、そして社会の「統一」は、社会が階級編成に依拠しているかぎりつねに抽象的な概念として、これらの対立の相互作用――いつも経過的な――一結果として存在しうるだけだということである。ところで、方法としての弁証法は、社会は対立のうちに、一つの対立から他の対立への変動のうちに、したがって革命的に前進するという、あの社会的事実の理論的定式化にほかならないのであるから、弁証法を理論的に放棄することは、必然的に、あらゆる革命的行動と原則的に絶縁することを意味する。
修正主義者はこうした仕方で――第三に――それだからこそつねに新しいものを生みだすところの、諸対立のなかで運動している弁証法の現存を、現実に存在しているものとして容認することを拒むために、歴史的なもの、具体的なもの、新しいものは、彼らの考えからは消え去る。彼らの体験する現実は、図式的−機械的に作用する「永遠の鉄則」に従っていて、この鉄則は、人間が自然法則にたいしてと同じように宿命論的に 従っているのと――本質的には――同じものをたえず産みだしている。したがって、プロレタリアートの運命がどのように展開するかを知るためには、これらの法則を一挙に体験すればよろしい。この法則ではつかめない、新しい状態や、あるいはそこでは解決がプロレタリアートの決断にかかっているというような状態が存在しうるという見解は、修正主義者たちには非科学的である。(偉大な個人、倫理などの過大評価はこうした把握の必然的な対極にすぎない。)
これらの法則は、ところで――第四に――資本主義的発展の法則であり、それらの超歴史的超時間的妥当性を強調することは、資本主義社会が、ブルジョアジーにとってと同じように修正主義者にとっても、本質的には変わりえない現実であることを意味している。修正主義者はもはやブルジョア社会を、歴史的に形成されたもの、したがって歴史的に没落の宣告を受けたものとはみなさず、また科学をこの没落時代を認識し、それを促進するために努力する手段とはみなさないで、――せいぜい――ブルジョア社会の内部におけるプロレタリアートの立場を改良するための手段とみなすだけである。ブルジョア社会の視野を実践的に乗り越えている思想はすべて、修正主義者にとっては、妄説であり、空想主義である。
それゆえ修正主義者は――第五に――「現実政策」の見地に立っている。修正主義は、個々の集団の日常的利害を主張するために、階級全体の新の利害をつねに犠牲にし、そしてこのりがいを一貫して主張することを、まさに空想主義と呼ぶのである。そして――この若干のスケッチ的な覚え書からでも明らかであるが――修正主義が労働運動のなかで現実的な潮流になりえたのは、資本主義の新たな発展のために、一定の労働者層がこの状態から――一時的に――経済的利益を得ることが可能になるためなのである。そしてまた、労働者政党の組織形態が、この層とその知的代表者とにたいして、プロレタリアートの――あいまいで、本能的なものにすぎなくとも――革命的な大衆たいしてよりも、より大きな影響を保証するためなのである。
彼らが事態をけっしてプロレタリアートの階級的立場から考察せず、したがって非歴史的、非弁証法的、折衷的「現実政策」におちいるという、すべての日和見主義的潮流の共通点が、彼らの戦争についての種々の見解を相互に結びつけ、そして同時に例外なくそれまでの日和見主義の必然的帰結としてそれらの見解を示すのである。〔社会民主党の〕右翼が「自分の」国の帝国主義的勢力にたいして果した無条件的服従は、――最初はまだ多くの留保をつけてではあったが――ブルジョアジーを歴史的発展の指導的階級と見なし、その「進歩的役割」を支持するようプロレタリアートに指示するという見解から有機的に生ずるのである。そしてカウツキーが、インターナショナルを戦争にたいしては役に立たないものとして、たんなる平和機関として特徴づけるとき、彼の言うことはいったいロシアのメンシェヴィキ、チェレヴァーニンと異なっているであろうか? チェレヴァーニンは、第一次ロシア革命のあとで、こう言って嘆いたのだ。「革命の火のなかで、革命の目的の実現がひじょうに近いように見えるが、理性あるメンシェヴィキの戦術にとって、道はただ容易にはひらかれていないのだ」、等々。
日和見主義は、ブルジョアジーの諸階層にしたがって分化し、それに頼ろうとし、それにプロレタリアートを従属させようと試みる。〔社会民主党の〕右翼のばあいのように、その層が、重工業と銀行資本となることもある。このばあいには、帝国主義は必然的なものとして無条件に容認される。プロレタリアートは、帝国主義戦争に、「自分の」国の偉大さに、その勝利に、自己の利益の実現を見出すべきである。あるいは、ブルジョアジーのつぎのような層によしみをもとめられることもできる。その層は、〔事態の〕進展にやむをえず従ってはいるが、舞台からしりぞけられていると感じており、そのために実践的には帝国主義に服従してはいる(そしてそうせざるをえない)が、こうした無理強いに不平を言い、事態の方向転換を「望み」、こうした理由で即時の講和、自由貿易、「正常な」状態の復活の実現を渇望している。だがもちろん、このばあい帝国主義にたいする積極的な敵として行動することは、けっしてできないのである。反対に、帝国主義の略奪品の分け前をえるために、――むなしい――闘争をするだけである。(完成品産業の一部、小ブルジョア層等々。)こうした見通しによれば、帝国主義は「偶然的」なもののように見え、平和的解決、対立の緩和のための努力が試みられる。そしてプロレタリアートは――彼らのうちで中央派が〔ブルジョアジーの〕この層へ服従することを望む――戦争に反対して積極的に闘うべきでもない。(しかし闘わないということは、実際には戦争に参加するということを意味する。)プロレタリアートは「公正な」講和の必要だけを告知すべきである、等々。
インターナショナルは、全世界のプロレタリアートの利益共同体お組織的表現である。労働者が、ブルジョアジーに奉仕して、労働者にたいして闘うということが、理論的に可能なものとして容認される、その瞬間に、インターナショナルは実際に存続することをやめた。そして、あい争う帝国主義列強に服従した労働者の労働者にたいするこの血腥い闘争が、インターナショナルの決定的な構成分子のそれまでの態度の必然的帰結であることを洞察せざるを得ない、そお瞬間に、インターナショナルの再建、その正しい進路への復帰、その修復は、もはや問題とはなりえなくなる。日和見主義を潮流として認識することは、日和見主義が、自分の陣営のなかにおけるプロレタリアートの階級敵であることを、意味している。したがって、労働運動からの日和見主義の除去が、ブルジョアジーにたいする闘争を成功のうちにおこなわせる、第一の不可欠の前提条件である。したがって、プロレタリア革命の準備に無条件に必要なのは、革命を破滅に導く、この影響から精神的にも組織的にも解放されることである。そして、この闘争はまさに世界ブルジョアジーにたいする階級全体の闘争であるから、潮流としての日和見主義にたいする闘争から生ずる必然的帰結は、新たなプロレタリア的−革命的インターナショナルの創設である。
日和見主義の泥沼への旧インターナショナルの埋没は、その革命的性格が表面には見えなかった時代の帰結である。その崩壊、新インターナショナルの必然性は、内乱の時代への推転がいまや不可避になったことの一つの兆候である。このことは、即刻そして毎日バリケードのうえで闘うべきだということを、けっして意味しはしない。だがそれは、そうしたことが、即刻、何時の日にでも必要になりうること、歴史が内乱を日程にのぼせていることを意味している。そして、プロレタリアートの党が、そしてインターナショナルさえも、存続してゆくことができるのは、この必要を明確に認識し、そしてプロレタリアートを、それとその結果とにたいして、精神的物質的に、理論的組織的に準備させる決意をしたときだけである。
これを準備するためには、時代の性格の認識をその出発点としなければならない。労働者階級が世界大戦を資本主義の帝国主義的発展の必然的帰結として認識することによって、帝国主義に奉仕して労働者階級が破滅するのを防ぐ彼らにとって唯一の可能な方策は内乱であることが彼らに明らかになることによって、はじめて、こうした防衛策の物質的、組織的な準備を始めることができるのである。そして、こうした防衛策が効果をあらわすことによって、はじめて、漠然とした興奮につつまれたすべての被抑圧者が自己解放をするプロレタリアートの同盟者になるのである。したがって、プロレタリアートは、それ固有の正しい階級意識に支えられて真の解放闘争の、真の世界革命の指導者になるためには、なによりもその階級意識をむき出しの目に見える形において念頭に置かなければならない。したがって、この闘争のなかから、この闘争のために成立するインターナショナルは、労働者階級の理論的に明確な、闘争力のある確固とした同盟であり、だが同時に全世界のすべての被抑圧者の解放闘争のための機関と中心とである。それはボルシェヴィキ党である。世界的規模におけるレーニンの党概念である。世界大戦自身が、巨大な世界破壊という大宇宙マクロコスモスのなかで、没落する資本主義のあの諸勢力とそれにたいする闘争のあの可能性とを示したように、レーニンは、こうしたことを、成立しつつあるロシア資本主義という小宇宙ミクロコスモスのうちに、ロシア革命の可能性のうちに、すでにまったく明確に認めていたのである。
/了
渡辺寛訳『レーニン論』(青木文庫、1965) p.48〜75
掲載にあたって、旧「読書コーナー」での書き込みを再掲しておきます。
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〔再掲〕「聖レーニン」像と『帝国主義論』・2
(初回投稿日:04年 1月 1日(木)11時54分13秒)
レーニン『帝国主義論』を広義の「政治」論――「支配」の構造認識として、端的に言えば国家論として読もうという問題意識は、かつて学生運動仲間やお師匠さんたちと折に触れて交換したものでしたが、このたびルカーチの『レーニン論』を読み直しましたら、ちゃんと書かれてあるのですね。
「レーニンの優越性は、〔純粋に経済理論の面にではなく――引用者〕つぎの点……にある。すなわち、彼は、*帝国主義の経済理論を完全に現代のあらゆる政治問題と具体的に結びつけること*に成功し、新たな段階の経済学をまさに決定的な状況における具体的行動全体に規準とすることに成功したのである。だから彼は戦争中に、ポーランドの共産主義者のある――極左的――見解を『帝国主義的経済主義』として排斥するのであるし[*]、だから彼の〔マルクス主義〕擁護は、カウツキーの『超帝国主義論』という見解に反対するとき、もっとも力を発揮するのである。……(大幅中略)……しかし、レーニンのこの点における優越性は、『政治的天才』『実践的洞察力』等々のスローガンではけっしてかたづけられない。それはむしろ、全過程を判断するときの*純粋に理論的な優越性*である」(渡辺訳、p.51-53、*―*は傍点強調)。
『帝国主義論』を経済理論の書のように扱うことは、その核をなす(広義の)政治論を視野の外へ排除するとともに、レーニンの理論的苦闘を「天才」のなせるものとして彼岸化し祀り上げる結果に導くこと、日本の新旧左翼が継承してきた「レーニン」観を(「宇野理論」の受容の仕方を含め)顧みて玩味すべき指摘かと思われます。
さりとて今、このルカーチの指摘をそのままおうむ返しするだけではすみません。この小冊子は、前年に出た主著『歴史と階級意識』と同じく、当時の状況を色濃く映したものであることもまた明らかですから。その背景状況は、約10年後にこう(回想ふうに)記されているとのこと。
「1922年、興奮した革命の焦燥にみちた気分。帝国主義者たちに対する赤色戦争の弾丸のひゅうひゅうという音が、まだ私の耳底に聞こえていた。ハンガリーにおける非合法運動の興奮が、まだ私のなかにふるえていた。最初の大きな革命の波が過ぎ去ってしまったとか、共産主義的前衛の決然たる革命的意志では資本主義を打倒しえないとかいうことを、私は毛筋ほども承認しようとしなかった。こうして主観的基礎は革命的焦燥、そしてその客観的成果は『歴史と階級意識』である」(「リアリズム論」、城塚・古田訳『歴史と階級意識』巻末「解説」より重引)。
その「革命の波が過ぎ去ってしまった」後の凍てつく状況のなかでレーニン神格化が進み、奇怪な「聖レーニン」像がその後の左翼思考を(賛否を含めて)ベットリと覆っていきました。街角に立てられた権威主義的な銅像は引き倒されましたが、精神を分厚く覆う「神」/「悪魔」の二重層を引き剥がすには、それなりの作業を要しましょう。この国の「革命的焦燥」から30年余、「革命」も「左翼」もさながら流砂に呑み込まれ白骨化しつつあるような世界風景のなか、その作業は夢見がちな心の対極に位置するほかないことでしょう。ここでのささやかな営みも、できればその片隅くらいにはありたいものと思います。
[*] 論文「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」(1916年執筆、発表は1924年ですから、ルカーチは出てほやほやを読んだのでしょう)。一般民主主義的要求である「民族自決」という要求は、帝国主義のもとでは実現不可能だからそのスローガンを掲げるのは反動的であり、帝国主義には社会主義革命を対置すべきだとするキエフスキー(=ピャタコフ)の主張への批判。ひとりピャタコフというより、ブハーリンを含む戦時期のボルシェビキ内「左翼共産主義者」に対する批判ですね。
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これを書いてから間もなく1年、わたしの認識もさして進歩しておりませんね(^^;
さて、わが国の「左翼共産主義者」さんたちはどうかしら?(笑)
〔04/11/29 Mon〕