一九一四年八月四日、ドイツ社会民主党は政治的に破産し、同時に社会主義インターナショナルは崩壊した。この事実を認めまいとする、あるいはおおいかくそうとするあらゆる試みは、それがどのような動機からうまれたものであろうと、客観的にはすべて同罪であって、社会主義政党の宿命的な自己欺瞞と、崩壊をうながした運動の内部的な弱さを永久に保存し、これをかえって分別ある正常な状態だと持ち上げ、ついには社会主義インターナショナルを、一片のフィクションか偽善に変えてしまおうとするものだ。 インターナショナルの崩壊それじたいがすでに、いかなる時代の歴史にも例のないことである。社会主義か帝国主義か――過去十年間にわたる労働者党の政治路線はことごとく、この二者択一によって方向づけられていた。とくにドイツでは、無数の綱領問題にかんする演説、人民集会、パンフレット、機関紙の論説等をつうじて、この定式が、あるいは党のスローガンとして、あるいは現在の歴史的局面、およびその特徴的な傾向についての党の見解として、くりかえし述べられてきた。II
世界大戦の勃発とともに、言葉は肉体となり、歴史的な傾向を示すだけだったこの定式がたちまち政治状況そのものとなった。いちはやくこの二者択一を認識し、すすんでそれを人民の意識にもたらした社会民主党は、みずからこの政治状況の場に立たされると、さっさと矛を収め、一戦も交えないで、帝国主義に陣地をあけわたしてしまったのである。階級闘争の歴史はじまっていらい、およそ政党というものがうまれてからこのかた、このようなためしがあっただろうか? 五〇年間のたえまない成長のすえ、第一級の政治権力の座を占め、何百万もの人びとを自己のまわりに結集したあげく、わずか二四時間のうちに、政治権力のすべてを雲散霧消させてしまうなどということは、ドイツ社会民主党いがいのいかなる党も、かつて経験したことがない。しかもドイツ社会民主党は、インターナショナルのなかでも、もっとも組織のがっちりした、規律のゆきとどいた先進部隊だったのだから、この一事は、今日の社会主義の壊滅を、完膚なきまでに暴露したものといえるだろう。
いわゆる「マルクス主義の中道」を標榜するカウツキー――あるいは、政治的に呼べば、泥沼派の理論家カウツキー――は、すでに何年も前から、マルクス主義を、「党指導機関」公認の実践活動に仕える忠実な侍女の地位におとしめ、そのことによって、今日の党の壊滅にすくなからず貢献したが、いままた新たな理論を考案して、しきりにこの壊滅を美化し、正当化しようとしている。それによれば、社会民主党はほんらい平和の器であって、みだりに戦争反対の手段に用いるべきではない、ということだ。さらに、カウツキーの忠実な弟子たちは、オーストリアで発行している「カンプ」誌上で、ドイツ社会民主党の今日の混迷を、ため息まじりに慨嘆してみせ、戦時における社会主義にふさわしい唯一の政策は「沈黙」であり、平和の鐘が鳴りわたる暁には、社会主義もまた活動を再開するだろう、などと言っている(注)。この、みずから宦官の役を買ってでる理論、社会主義の良心をまもるためには、世界史の決定的な瞬間に、社会主義そのものを手放さねばならないと信じている理論、これは、一から十まで見当はずれの政治的インポテンツをさらけだした理論であって、俗に言う「亭主のいない間に勘定をすます」のたぐいだ。
注 昨年一一月二七日の「ノイエ・ツァイト」紙上のカウツキーの論説を参照せよ。
戦争に賛成か反対かの二者択一をせまられた社会民主党は、「反対」をあきらめた瞬間、きびしい歴史の必然性が命じるままに、天秤のもう一方の皿、つまり賛成の側へ、まるごと乗りうつってしまった。八月三日の、あの記念すべき国会議員団会議において、戦時公債賛成派を弁護したカウツキーにしろ、今日なお「カンプ」誌上で、社会民主党議員団が戦時公債に賛成投票したのを当然のことのように扱っている自称「オーストロ・マルクシスト」が、いまさららしく目をしょぼしょぼさせ、社会民主党の党機関はまるで右翼の手合いとおんなじだとか、かれらは理論的な学習ができていない、とくに「ナショナリティー」その他の「概念」に微妙なくいちがいがあり、ああした混乱がうまれたのもそのせいだとか、泣言をならべるしまつだ。だが、いくら人間どもが論理を毛嫌いしても、事物にはそれじしんの論理がある。社会民主党が、国会へ送りだしたかれらの選良とともに、戦争支持へ踏みきるやいなや、他のいっさいの事柄が、もはやとりかえしのつかない歴史の流れにのってうごきだした。
八月四日の国会で、ドイツ社会民主党は、「沈黙」をはるかにとびこえて、きわめて重大な歴史的役割を演じた。それは、こんどの戦争における帝国主義のタイコモチという役割である。ナポレオンはかつてこう言った。――戦闘の帰趨を決するものに、二つ要素がある。一つは「地上の」要素、すなわち、地形、武器の質、天候の影響、等々であり、もう一つは「神的な」要素、すなわち、軍隊の道徳的資質、戦意、必勝の信念である、と。こんどの戦争において、ドイツの側で「地上の」要素を引きうけたのが、主としてエッセンのクルップ商会だったとすれば、「神的な」要素は、まずもって社会民主党によってお膳立てされた。八月四日いらい、社会民主党が戦争遂行のためにつくした、そしていまも日々はたしている働きは、測りしれないほど大きい。労働組合は、開戦と同時に一切の賃金闘争を棚あげし、社会不安防止のために軍当局がはじめた保安上の措置を、「社会主義」だとほめそやしている。社会民主党の婦人党員たちは、これまでのアジテーション活動にすっかり見切りをつけ、ブルジョア愛国婦人と手をつないで、もっぱら、生活に困っている出征軍人の家族の援助に走りまわっている。つぎに社会民主党の出版物を見ると、二、三の例外はべつとして、他のあらゆる新聞、週刊紙、月刊誌が、戦争は国民ぜんたいの問題だとか、プロレタリアートにとっても利益になるとか宣伝し、さらに戦局がおかしくなれば、ロシア禍やら、ツァーリズムの恐怖やらを吹聴し、「信用できない老英国」をエサにして民族的偏見をかきたてたり、他国の植民地でおこった叛乱や革命を歓呼して迎えたり、トルコは戦争が終わったらふたたび強大になるだろうと予言してみたり、ポーランド人、ルテニア人[*1]、その他もろもろの民族に自由を与えようと約束してみたり、プロレタリアの青年に軍人精神や戦争意欲を吹き込んだり――要するに、人民大衆と世論を、ことごとく戦争イデオロギー一色に塗りつぶそうと精出している。最後に、社会民主党の国会議員や幹部連は、戦争遂行のための戦時公債に賛成投票しただけでなく、人民のなかからわきおこった疑惑や批判のあらゆる不穏な動きを、「撹乱工作」の名のもとに徹底的に抑圧し、そのくせかれらじしんは、パンフレット、演説、論説などの個人的なルートを通じて、正真正銘のドイツ愛国精神をひろめ、かげから政府を応援している――いったい世界史のうえで、これに似たあらわれ方をした戦争が、これまでただの一度でもあっただろうか?
これほどスムーズに、憲法に保障された諸権利を根こそぎ召しあげられたためしがあっただろうか? これほどきびしい出版物の検閲を、ドイツ社会民主党の機関紙に見られるような、反体制の側からの賛歌で飾りたてたためしが、これまでただの一度でもあっただろうか? これほど多くのピンダールたちをうんだ戦争はかつてなく、これほどの従順さに迎えられた軍部独裁も例がない。また、戦争に反対して最後の血の一滴までも闘うのだと、全世界に向かって千べんも誓ったその政党が、突然熱にうかれて、これまでの成果をことごとく、かつての敵である戦争の祭壇に捧げてしまうといったことも、これが初めてだ。このドンデン返しのなかで、国民自由党は悠々と落ち着き払い、ローマの監督官さながらに目を光らせ、まさに「鋼の岩」だった。四百万の強大な組織が、ひと〔に〕ぎりの国会議員の命令で、わずか二四時間のうちにくるりと廻れ右して、嵐のまっただなかへ突っ走ろうとしている馬車の轅〔ながえ〕に、やすやすと繋がれてしまった。これは、ドイツ社会民主党の名だたる規律と組織の強さを、何よりもよく証明したものといえるかもしれない。五〇年にわたる党の準備活動は、こんどの戦争で、まさにその真価を発揮した。ドイツの戦力や銃後の支えは、主として、これまでプロレタリアの組織のなかで大衆が積みあげてきた「学習」のたまものであると、労働組合や党の幹部が、とくとくとふれまわっている。マルクス、エンゲルス、およびラサールから、リープクネヒト、ベーベルおよびジンガーから、ドイツのプロレタリアートがまなんだのは、けっきょく、それをそっくりヒンデンブルグの御用に供するためだった。学習、組織、名だたる規律、労働組合や労働者新聞の普及度等、あらゆる点において、ドイツがフランスよりもすすんでいたぶんだけ、それだけドイツ社会民主党の戦争への寄与も、フランスの党に比べて、いっそう大きいわけだ。フランスの社会主義者たちも、かれらの大臣を押したてて、ナショナリズムとか戦争とかの不馴れな手仕事にとりかかったが、彼らのやり口を、ドイツ社会民主党とドイツの労働組合が祖国の帝国主義のためにつくしている働きぶりに比べると、まるで子供だましみたいなものである。
党指導機関のお家の事情におうじて、マルクス主義を勝手気儘にねじまげ、その日その日の取引の帳尻をあわせることに汲々とする、公認の理論は、機関紙「ノイエ・ツァイト」をつうじて、労働者党の今日の行動と昨日の言葉とのあいだの小さな不一致を、つぎのように弁明する。すなわち、社会主義インターナショナルは、戦争勃発を阻止する問題についてはずいぶん論じてきたが、いったん戦争がはじまってしまったあとでどうするかの問題は、すこしも検討しなかったというのだ(注1)。売春婦さながら[*2]のこの理論は、社会主義政党はいずれも、インターナショナルとの関係について、とやかく言われる筋合いはない、とみんなに説得してまわる。ところがそれと同時に、この変転自在の理論は、インターナショナルな社会民主主義の今日の立場と過去のそれとが、もはやどんな近視眼の目もごまかせないほどくいちがってきたのを知っており、それを取繕うためのくわしい註釈を、ちゃんとポケットのなかに持っているのだ。インターナショナルは、もっぱら戦争防止の問題だけを論じてきた。ところがいまは、文字どおり「戦争が目のまえにある」 このことから、例の理論は、だから戦争勃発後には、社会主義の行動指針も、戦前のそれとは待ったくべつのものにならざるをえない、という結論をひきだしてくる。戦争がはじまったからには、あらゆる国々のプロレタリアートにとって、問題はもはや、「勝利か敗北か」だけだという。あるいは、もうひとりの「オーストロ・マルクシスト」F・アードラーが、いっそう科学的、哲学的に述べている言葉を用いれば、「国民は、あらゆる他の有機体と同様、まず第一に自己の生存を主張する」 これをさらにわかりやすく言えば、プロレタリアートは、科学的社会主義が従来述べてきたような、唯一の生活信条ではなく、二つの生活信条を持っている、というわけだ。ひとつは平和用のそれであり、もうひとつは戦争用のそれである。平時には、国内の階級闘争と、外にむけてはインターナショナルな団結、戦時には、国内の階級協調と、外にむけては各国労働者間の闘争、が適用される。共産党宣言の世界史的アピールは、いまやカウツキーによって本質的な点を補足され、つぎのように訂正された――万国のプロレタリアートよ、平和な時代には団結せよ! だが戦時には、たがいに相手の喉ぶえにくらいつけ! そこで、今日は「ロシアへ必中の弾、フランスへ必殺の剣」、講和条約が締結されると、明日は「幾百万の同胞よ、抱きあおう、世界はひとつのくちづけのなかに」だ。インターナショナルは、「その本質において平和の器」であり、「戦時において有効な働きをはたすことはできない」のである(注2)。III
注1 昨年一〇月二日の「ノイエ・ツァイト」紙上のカウツキーの論説を参照せよ。
注2 「カンプ」一月号にのったF・アードラーの論説を参照せよ。
こうしてこの愛想のよい理論は、中央等のジェスイット主義と回転フラクションのロクロ技術を組みあわせ、これを社会主義インターナショナルの根本教義に祭りあげ、社会民主党の実践活動のために魅惑的な展望をきりひらいただけでなく、さらに一歩すすめて、まったく新しい史的唯物論の「修正」までもやってのけた。これに比べれば、昨日までのあらゆるベルンシュタインたちの試みなど、いずれも無邪気な子供のいたずらに見えてくる[*3]。戦争勃発以前のプロレタリアの戦術と、戦争勃発以後のそれとは、まったくべつの、それどころか正反対の方角を志向すべきだ、というのだ。この説は、とうぜん、われわれの戦術の基礎となる社会的諸条件も、平時と戦時とでは根本的に異なる、ということを前提にしているはずだ。マルクスによって基礎づけられた史的唯物論は、今日までの、文書にしるされたあらゆる歴史は、階級闘争の歴史である、と述べているが、カウツキーによって修正された唯物論では、このうえさらに、「但し戦時を除く」とつけ加えねばならないだろう。この新説によれば、社会の発展過程は――数千年来、それは、周期的におこる戦争によってしばしば中断されてきたのだから――およそつぎのような様相を呈することになる。すなわち、階級闘争の時期、つぎには中休み(そこでは階級協調と国家間の戦争がおこなわれる)、ふたたび階級闘争の時期、つぎはふたたび中休みと階級協調……といったぐあいに典雅な歩みをつづける。平時における社会生活全般は、開戦と同時にトンボ返りし、戦時におけるそれは、講和条約締結の瞬間にトンボ返りする。ごらんのとうり、これはもはや、かつてカウツキーが他の「扇動家たち」と組んで論陣を張ったさいの「破局における」社会発展の理論とは、すこしも似ていない。これは――「起き上がり小法師における」社会発展の理論である。この理論によれば、われわれの社会は、春先の河にうかんだ氷塊のようなものだ。氷塊は、しばらくして底の部分がまわりのあたたかい河水にとけてくるとひっくりかえり、このかわいらしい遊戯をつぎつぎにくりかえしながら河をくだってゆく。
ところで、今日までの歴史上の事実は、この修正された唯物史観をまっこうから否定する。歴史は、戦争と階級闘争との対立というこの斬新な着想に背をむけ、戦争から階級闘争へ、階級闘争から戦争への、不断の弁証法的発展と、両者の本質的な一致を、いきいきとえがいてみせる。中世自由都市の歴史にあらわれた戦争、宗教改革時の戦争、オランダ解放戦争、フランス大革命の際の戦争、アメリカの南北戦争、パリ・コンミューンの蜂起、さらに一九〇五年の偉大なロシア革命、すべてそうである。抽象的、純理論的に考えてみても、カウツキーの史的唯物論がマルクス主義とは縁もゆかりもないものであることは、かんたんに検証できる。マルクスが考えたように、階級闘争や戦争は天から降ってくるのではなく、奥底で進行する経済的、社会的原因からうまれるとすれば、階級闘争にしろ、戦争にしろ、この原因が雲か霞のように消えうせでもしないかぎり、急になくなったりするわけがない。プロレタリアの階級闘争は、雇用関係とブルジョアジーの政治的支配によって、必然的にうみだされる現象である。では、戦時には雇用関係がなくなるか? それどころか、軍需産業の淫蕩な沃土のうえに栄える投機熱と企業熱のために、また軍部独裁の戦時統制によって、労働者をしめつける雇用関係の軛は、かえって暴力的に加重されるのだ。ブルジョアジーの政治的支配にしても、戦争によっていささかも弱められはしない。それどころか、憲法の停止によって、かえってそれはむきだしのブルジョア独裁にまで強化される。戦時においては、階級闘争の経済的、政治的給水源が、この社会のなかで十倍も激しく噴出するのに、その必然の結果である階級闘争が止まってしまうなどということが、ありうるだろうか? 逆に、今日の歴史的段階における戦争こそ、資本家グループどうしの競合と、資本じたいの膨張欲によって、ひきおこされるのだ。これら二本の発条は、砲声のとどろくなかでだけ作用するのではない。平時においてもたえず作用しつずけ、ほかならぬこの平時の活動が、戦争の勃発を準備し、戦争を不可避にするのだ。まさしく戦争は――カウツキーが好んで引用するクラウゼヴィッツの言葉どうり、――「べつの手段による政治の継続」にすぎない。しかも、いまや帝国主義の局面をあらわにした資本の支配は、軍拡競争をつうじて、ミリタリズム独裁にほかならない戦争を無期限に継続させ、平和をたんなる一片のイリュージョンにかえてしまった。
ここで、修正された史的唯物論は、ひとつの「あれかこれか」のまえに立たされる。階級闘争は、戦時においてもプロレタリアートにとって究極の存在原理であって、それを階級調和にすりかえる党指導機関の声明は、プロレタリアの生活権を侵害するものなのか、それとも、階級闘争は、平時においても「国民的利益」と「祖国の安全」に対する攻撃なのか。戦時平時の別なく、社会生活全般の基本的関係は、階級闘争か、階級調和か。実践上の問題にうつして考えれば、この二者択一はいっそう明瞭なかたちをとる。すなわち、社会民主党は、われわれの戦列からうまれた昨日の乳くさい放蕩息子や今日の信心深い老女のように、「父よ、わが罪をゆるしたまえ」の懺悔の言葉とともに、祖国のブルジョアジーのまえに身を投げ、平時においても、党の戦術をことごとく、その基本原則にいたるまで、根本的に修正して、それらを今日の党の社会帝国主義的立場に適合させねばならないか、それとも、社会民主党は、インターナショナルなプロレタリアートのまえに己れの非を告白し、戦時における行動をも、平時の原則に適合させねばならないか。ドイツの労働運動にかんして言えることは、もちろんフランスのそれについてもあてはまる。
戦争がすぎ去ったのち、インターナショナルはついに一塊の瓦礫の山となって残骸をさらすか、それとも、唯一の生命の源である階級闘争の台地のうえに、インターナショナル再建の息吹がかよいはじめるか。戦後ふたたび、まるでなにごともなかったかのように、埃をかぶった手廻しオルガンをとりだし、「さあ、胸を張って、元気いっぱいに」のかけ声もろとも、かつて八月四日以前に世界の人びとを魅了した昔なつかしいメロディーを奏ではじめようと、そんなことでインターナショナルが生きかえるわけはない。八月4日以後の道徳的破産をもたらした「己れじしんの弱さと不徹底を、容赦なく、根本的に侮蔑しつくす」ことによってのみ、すなわち、八月四日以後の戦術のすべてを清算しつくすことによってのみ、はじめてインターナショナル再建の端緒をつかむことができる。この方向への第一歩は、速やかな戦争の終熄、および、インターナショナルなプロレタリアート共通の利益にのっとった平和の樹立をめざす行動である。
平和の問題にかんしては、今日までのところ、党の戦列で、二通りの動きが前面にあらわれている。ひとつは、党幹部会メンバーのシャイデマンはじめ、かなりの数の国会議員や党の機関紙によって代表されるもので、政府の声を口うつしにして、「やり抜く」の標語をひろめ、平和獲得の運動を、祖国にとって軍事的にマイナスだとか、時宜を得ないとかの理由で、攻撃する。またかれらは、戦争継続に賛成し、つまり客観的には、支配階級の思惑どうり、「勝利か、支払った犠牲を償うまで」あるいは「保障された平和」が得られるまで、戦争をつづけることに骨折っている。べつな言葉でいえば、これらの「やり抜く」の支持者は、この戦争の客観的な性格が、可能なかぎり帝国主義的侵略――「ポスト」誌、あるいはロールバハ、ディクリス、その他、ドイツ帝国の世界制覇を夢見る予言者たちが、これこそ戦争の目的であると公言しているところのもの――に接近するよう骨を折っているのだ。これらの美しい夢のことごとくが実現しなくても、帝国主義の若木たちが亭々たる大木に成長しなくても、それはけっして「ポスト」誌の論客や、社会民主党内にいるその同調者の責任ではない。戦争の動向に影響を与えているのは、明らかに、「いかなる侵略行為にも反対する」議会でのいさましい「声明」ではなく、「やり抜く」の支持である。シャイデマンその他の連中が継続させようとしている戦争は、それじしんの論理に従って動いてゆく。戦争という暴れ馬を乗りまわす花形騎手は、長年ドイツ帝国を尻の下に敷いてきた、おなじみの資本家・地主グループであって、社会民主党国会議員とか編集局員とかのおしとやかな連中ではない。この連中は、騎手のために鐙をおさえているだけだ。かれらの意見は、党の社会帝国主義的傾向を、もっとも露骨にうちだしたものである。邦訳『インターナツィオナーレ』(発行=出版会「四季」、発売=晶文社、発行期日不明)p.2-14
フランスでも、党指導部は――もちろん、ドイツとはまったくちがった軍事的状況のもとで――「勝利の日までやりぬこう」の標語にしがみついているが、あらゆる国々において、即時停戦を要求する運動がしだいに勢いを得てきた。これらの平和思想や平和祈願のすべてに特徴的な点は、終戦と同時に、綿密に計画された平和の保証を要求しようとすることである。共通の要求事項である領土不拡大のほかに、無数の要求が掲げられている。全面軍縮、それをやや控えめにした、軍拡競争の計画的制限、秘密外交の廃止、植民地におけるあらゆる国々の自由貿易、その他これに類する結構ずくめのプランが、ぎっしりならんでいる。未来の人類の幸福や、未来の戦争の防止をうたったこれらの条項にみられる不死身のオプティミズム――現在の戦争がうみだした惨憺たる廃墟の中から、かすり傷ひとつ受けずに匍い出てきて、前世紀の希望を葬った墓地にせっせと新しい決議を植える、この底抜けのオプティミズムには、まったく驚くほかない。八月四日の壊滅によって証明されたことは、なによりもまず、有効な平和の保証、戦争を阻止する真の防波堤は、けっして、支配階級めあての信心深い祈願や、巧妙に立案された処方や、ユートピアまがいの要求などではなく、もっぱら、プロレタリアートの行動的意志、その階級政策、帝国主義のいかなる攻撃に遇ってもびくともしないインターナショナルなプロレタリアートの団結だという、世界史的な教訓である。主要な国々の社会主義政党、とくにドイツのそれに、これまで欠けていたのは、けっして要求や公式ではない。これらの要求を背後から支えるもの、つまり、階級闘争とインターナショナリズムの精神にみたされた意志と行動が、欠けているのだ。今日、あの苦い経験をなめたあとで、われわれが、平和獲得の運動を、戦争反対のための最良の処方をつくることだけに局限して考えるならば、それは、インターナショナルな社会主義にとって最大の危険を温存することになろう。その危険とは、いかに悲惨な教訓を与えられても、そこから何一つ学ばず、何一つ改めようとしないことである。
この第二の動きにかんしても、ドイツにその典型的な例が見られる。国会議員のホッホは、「ノイエ・ツァイト」の最近号にひとつの平和プログラムを発表したが、これは――党機関の証言によれば――かれが心血を注いで起草したものだという。このプログラムには、何から何まで揃っている。将来の戦争をてっとりばやく、しかも確実に防止してくれるはずの、ナンバーを打った「要求」のリストにしろ、即時停戦は可能であり、不可避であり、何よりも願わしいことであるという、説得的な論述にしろ、まったく申しぶんない。ただひとつ欠けているのは、「願望」ではなく行動によって、平和を獲得するのだという宣言、またいかに行動するかの説明である! プログラム起草者は議員団多数派のそうそうたる人物であるが、この多数派は、二度にわたって戦時公債に賛成投票したばかりか、そのつど自己の行為を弁護して、これは政治的にも、祖国防衛のうえからも、また社会主義のためにも、必要不可欠のものであると述べ、さらには、この新しい役柄にすっかり打込んで、今夜においても同様に平然と、戦争継続のための戦時公債に賛成する構えを見せている。戦争継続のための物質的手段を承認し、その舌の根が乾かぬうちに、あらゆる祝福の言葉とともに即時停戦の悲願をうったえる――「一方の手で政府に剣を手渡しながら、もう一方の手で、平和の棕櫚の葉を、インターナショナルの頭上にかざす」――これこそ、「ノイエ・ツァイト」の同じ号にその理論的な宣伝文を掲載している泥沼派の、現実的政策とやらの傑作である。
中立諸国の社会主義者、あるいはコペンハーゲン会議[*4]が、紙の上で平和の要求や平和の処方を作文することをもって、これこそ即時停戦をめざす行動であると、おおまじめに信じこんだとしても、これはまだかなり無邪気な誤算といえるだろう。あらゆる国々の社会主義政党の共有財産となりうるもの、またそうしなければならないものは、インターナショナルの現状を打破するための突破口、およびインターナショナルの崩壊の原因を、認識することだ。平和とともにインターナショナルの再建をめざす決定的な行動は、交戦国の社会主義政党からしかうまれない。平和とインターナショナル再建のための第一歩は、いまただちに、社会帝国主義路線を逆転させることである。もしもこのうえさらに、社会民主党の国会議員が、戦争継続のための戦時公債に賛成投票するならば、かれらの平和要求も、平和処方も、「いかなる侵略行為にも反対する」いさましい声明も、ことごとく、カウツキーの「インターナショナル」――それを構成する各国の社会主義政党は、「とやかくいわれる筋」がなく、たがいどうし、仲良く腕をくんだり、相手の喉ぶえにくらいついたり、交互にそれをくりかえす仕組みのインターナショナル――の同類であって、これは偽善――というよりむしろ――狂気の沙汰である。ここでもやはり、物事はそれじしんの論理を貫徹した。戦時公債に賛成投票することによって、ホッホの一派は、敵に手綱を引渡し、平和のちょうど逆、つまり「やりぬく」を実行した。これはまさに、シャイデマンの一派が、「やりぬく」を支持することによって、事実上「ポスト」誌の論客に手綱を引渡し、、「いかなる侵略行為にも」反対するいさましい声明のちょうど逆、つまり帝国主義の本能を解放し、血を血で洗う惨状を現出させたのと好一対だ。このばあいもまた、問題はひとつの「あれかこれか」に帰する。すなわち、ベートマン・ホルヴェークか、リープクネヒトか。帝国主義か、社会主義――マルクスが考えた意味での――か。
マルクスじしんのなかで、鋭利な歴史分析家と大胆な革命家が、思想家と行動の人が、かたく結びついて同居し、相互に援けあい、補いあっていたように、マルクス主義は、近代の労働運動史上はじめて、理論的認識とプロレタリアートの革命的行動力とを組みあわせ、この二つの要素がたがいに他の一方によって照明をあてられ、豊かにされるようにした、境主義の科学である。この二つの要素は、ともにマルクス主義のもっとも深い本質に根ざしたものであって、一方を他方から切りはなしてしまえば、それはもはやマルクス主義ではなく、マルクス主義のみじめな戯画にすぎない。ドイツ社会民主党は、半世紀のあいだに、マルクス主義の理論的認識という点で豊かな果実の収穫をあげ、その果汁を栄養分にして頑強な肉体を育てあげたが、もっとも重大な歴史的試練――党はそれを、自然科学者の透徹した眼差しで予見し、そのあらゆる本質的な特徴を予言さえしたのだが――のまえに立たされたとき、自己の欠陥を暴露した。それは、労働運動の第二の要素、すなわち、歴史をただ認識するだけでなく、みずからそれをつくってゆく行動的意志の、完全な欠如である。ドイツ社会民主党は、模範とされた理論的認識と強大な組織をかかえたまま、滔々と流れる歴史の渦に巻きこまれ、たちまち、舵を失った難破船さながら、錐もみ状態になり、帝国主義の突風にまき込まれた。この突風に逆らって船を操り、向うの島に、社会主義の前進基地を築くはずだったのに。インターナショナル全軍の敗北は、もっとも訓練のゆきとどいた、強大な精鋭であるこの「先進部隊」の遭難によって、他の一切の失敗がなかったとしても、もはや動かしがたいものとなった。
これは、帝国主義からの人類の解放を困難にし、遅延させることにもなった、第一級の世界史的壊滅である。事は起こるべくして起こったにしても、マルクス主義そのものに罪を着せることはできない。泡のように浮かんでは消える、衰弱しきった今日の社会主義の実践に、Mルクス主義を適合させようとする、あるいは、マルクス主義を、社会帝国主義の犯行をくらますための弁護人に仕立てあげようとする、あらゆる試みは、党の戦列でおおっぴらにナショナリズムを宣伝することよりも、さらにいっそう危険なことである。それは、インターナショナル没落の真の原因をおおいかくすだけでなく、将来インターナショナルがこの没落から蘇生するために必要な泉までも塞いでしまうからだ。インターナショナルも、プロレタリアートの利害にもとずく平和も、ともにプロレタリアートの自己批判と、自己の権力に対する自覚からしかうまれない。 その権力は、八月四日、嵐に打たれて、柔軟な葦のように折れ伏したが、ひとたび真の偉大さにたちかえれば、千年をけみした社会的不正の樫の大木を倒し、山をも動かすことのできる、歴史的使命を帯びた権力なのだ。権力への道――紙上の決議ではなく――は、同時に平和への道であり、インターナショナル再建への道である。
* * *
ルクセンブルク同志のこの論文は、二月の初めにすでに脱稿していた。その後かの女は逮捕されたため、これに加筆することができないので、二、三の事実にかんすることがらを、わたしから補足しておきたい。まず、カウツキーは、その後、戦時公債を弁護したという非難に対して、反駁した。ある論争のなかで、かれは当時の自己の立場をつぎのように説明している。「わたしは、当時の困難な状況をきりぬける最上の方法は、棄権することだと信じていた。しかし、多数派も少数派もこの案に賛成しなかったので、票決によって決めるのも、すくなくとも一考に価する方法だと思った」 その編集者の一人、あるいは二人までもが、国会議員団に属している「ハンブルガー・エヒョー」誌は、カウツキーの発言に、つぎのような註釈を加えている。「カウツキーが、かれの出席した公開の場で、真剣に棄権をうったえたという事実はない。そうしたことがあったとしても、それは無責任な茶飲み話のついでに、口をすべらしたぐらいのことだろう」 これに対する回答はなかった。くわしくは、本年2月二八日発行の「ハンブルガー・エヒョー」誌第五〇号を見よ。
さいごにもうひとつ。ホッホ同志は、三月二〇日、国会議員団少数派にまわり、国会での票決にさいして、議席から退場した。それはかれが、予算案にも一〇〇億マルクの戦時公債にも反対で、戦時公債を五〇億マルクにする案に賛成だったからだ。 F・M[*5]
[*1] ルテニア人:ポーランド南東部からウクライナ西部にわたるガリツィア(ルテニア)地方に住むスラヴ系住民のドイツ語名。自称は「ルシン人」(山川『世界史小辞典』)。
[*2] 「売春婦さながら」:『選集』では「愛嬌たっぷりの浮気娘よろしく」と訳出されており、原語〔Maedchen fuer Alle〕の解釈に差違がみられる。
[*3] 「右派」や「修正派」よりも「中央派」のほうがより悪質だとして批判と弾劾をカウツキーに向ける論理構成は、レーニンと共通している。レーニンは、このローザ論文を高く評価し、後日の「ユニウス・ブロシューレ」はこれにくらべて「あきらかに一歩後退」と評した(「ユニウスの小冊子について」、川内唯彦訳『帝国主義と民族・植民地問題』〔国民文庫〕p.33)。
[*4] コペンハーゲン会議:1915年1月17-18日にひらかれ、スウェーデン、デンマーク、オランダの社会主義者が出席した。会議は、中立諸国の社会党の議会代表を通じて、自国の政府に、交戦列強間の仲裁者として行動し、戦争停止をかちとるように提議することを決議した(吉田弘訳『第二インタナショナルの崩壊』〔国民文庫〕の事項訳註76)。
[*5] F.M.:フランツ・メーリングのイニシアル。当論文執筆後にローザが逮捕されたため、雑誌編集・発行の実務はこの老革命家がほとんど独りで担った。
〔1〕
フランツ・メーリングとローザ・ルクセンブルクを編者として戦時下のドイツで発行されたこの雑誌は、戦時検閲体制による発禁処分のためただ1号だけで終わったとはいえ、ドイツの革命的左翼の最初のが独立した存在表現たるその意義は、「マルクス主義の実践と理論のための月刊誌」という自己規定にふさわしいものがございました。
この雑誌第1号を、表紙のデザインもそのままに復刻・全訳した邦訳版は、発行期日を明記しておりませんが、70年代の初期であったと記憶いたします。巻頭に位置するローザ論文「インターナショナルの再建」は、この復刻全訳版をまつまでもなく、1960年代はじめに現代思潮社から出た『ローザ・ルクセンブルク選集』第3巻に収録されておりました。ここでは、新左翼運動復興の展望を模索しつつ、深刻の度つのる退潮期にあえて復刻全訳版を送りだした Res novare グループの志の一端なりと記憶にとどめたく、『選集』ではなく上記邦訳に拠ってご紹介する次第です(訳者あるいは同じ方かもわかりませんが)。
この復刻全訳版によれば、収録論文・記事とそれぞれの執筆者は次のとおりでございます。
はじめに
インターナショナルの再建 ローザ・ルクセンブルク
戦費を支払うのは誰か? ヨハネス・ケンブファー
「何処を見ても社会主義!」 パウル・ランゲ
女子党員と愛国婦人奉仕会 ケーテ・ドゥンカー
平和のために クララ・ツェトキン
議会報告
1 プロセイン州議会議員団のなかの割れ目 ハインリヒ・シュトレーベル
2 国会議員団の分解
秘教と神話 A・タールハイマー
旧師たちと上層部の政策 フランツ・メーリング
新刊展望
冒頭の「はじめに」は、発刊の意図と決意を次のように伝えております(全文)。
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この月刊誌がうまれたのは、ルクセンブルク同志のおかげである。かの女は、名声高い場内平和の犠牲となる以前に、すでに、インターナショナルの再建を扱った本誌の巻頭論文を書きあげ、何人かの協力者をあつめていた。こうしてかの女は、一ヵ月間、公的な活動から引き離されることになった。しかし、この名誉ある処遇は、かの女の同志である友人たちを鼓舞し、かの女の参加を妨げている桎梏が解かれるまで、かの女によって始められた事業を継続させようと決心させたのである。
われわれの課題は、カール・マルクスによって刊行された最初のインターナショナルな月刊誌のそれと同じく、時代の闘争を闡明することである。世界大戦の旋風が、インターナショナルな労働界に、なかんずくドイツ労働界にひきおこした不幸な混乱のために、その闡明がぜひとも必要になった。人びとを結集させ、力づけ、統一へ向かわせる力、プロレタリア解放闘争の運命の岐路において、いつもマルクシズムが保持してきたその力が、いまあらたに、検証されようとしているのだ。
本誌のプログラムは、マルクシズムの実践と理論によせるわれわれの信頼のうちにつくされている。
-------------------------------------------------------------------------
〔2〕
この復刻全訳版には、「『インターナツィオナーレ』誌の成立前後――スパルタクス・ブントの歴史のために――」と題された Res novare 名の小冊子が添付され、この“1号雑誌”の背景事情がかいつまんで紹介されております。
その中から、まず「仮名・匿名の筆者と、わが国ではあまり知られていない筆者について」の説明を転記しておきます。
《ヨハネス・ケンプファーは、ユリアン・マルヒレフスキー(1866-1925)の変名である。かれはローザと同じくポーランドの革命家で、1896年にドイツへ亡命し、SPDの左派に加わって活動した。「ライプチガー・フォルクスツァイトゥング」がローザとメーリングの寄稿によって名声をえていたころ、同じくその新聞に活発に寄稿している。ただしドイツ国籍を取得しなかったので、ドイツでは変名を用いざるを得なかった。ケンプファーはそのひとつだが、カルスキーという筆名がもっとも知られている。1919年にロシアに帰り、ボルシェヴィキに加わった。パウル・ランゲは、1906年以降、労働組合の幹部として活動した。のちにKPD(ドイツ共産党)創立大会では、経済情勢の報告者であり、中央委員に選ばれている。20年代か30年代かに、反主流派として除名されているようである。ケーテ・ドゥンカーも、のちにKPD第一期の中央委員に選ばれた。1908年ごろからSPDの婦人運動に活躍していた。ハインリヒ・シュトレーベル(1869-1945)は、この雑誌の刊行直後にカウツキー=ハーゼ派に舞い戻った(と、レーニンの「第二インターの崩壊」に書かれている)。1916年まで「フォアヴェルツ」編集部員でもあった。17年の分裂ではUSPD(独立社会民主党)に加わっている。アウグスト・タールハイマー(1884-1948)は、わが国でも名前だけは比較的に知られていよう。1909年ごろにSPDに加わり、左派だった。のちに1919年から24年まで、KPD中央委員をつとめるが、ブランドラーらとともに指導部からはずされ、28年にいたって除名される。以後KPO(ドイツ共産党反対派)で活動した。「新刊展望」の筆者名はいずれも仮名で、モーティマーとはローザ・ルクセンブルクであり、――ングとはフランツ・メーリングである。唯一の匿名原稿である国会報告は、カール・リープクネヒトによるものではないとわざわざことわってあるが、リープクネヒトが書いたらしい。》
付録小冊子は、その記述を次のように結んでおります。
《大戦において露呈された、当時の(そしていまにいたる)ヨーロッパ労働運動の危機は深い。「資本蓄積論」の著者と志向を同じくするブントには、むろん世界革命のあざやかな展望があったけれども、その展望もいまや、帝国主義によって積み上げられる廃墟のなかに、埋められてしまいかねないとも見える。なぜなら、廃墟への歩みを歩んでいる資本主義社会に、労働者組織までが公然と歩調を合わせているのが、現状ではないか。
スパルタクス・ブントに特徴的なのは、この危機意識の鮮烈さである。これを背景にすれば、ボルシェヴィズムが拒否した「平和」のスローガンをもブンドが用いたからといって、それが曖昧さの表現だとはいえまい。支配者にむかって「平和」を訴えることなどは、もとより問題ではなかった。支配者による「平和」は戦争の継続・固定にすぎず、後者と同様、「インターナショナルなプロレタリアートが革命的に介入しないかぎり」荒廃をしかもたらさない。「インターナショナルなプロレタリアートにとっては、反戦闘争は同時に、国内の政治権力をめぐっての闘争、社会主義と資本主義の決定的な対決である」。だからスパルタクス・ブントにとっては、平和とは社会主義の勝利でしかありえない。問題は、階級意識をもつ主体的な行動者としての、労働者大衆の再生だった。ブントの平和のスローガンが、つねに大衆行動のスローガンだったのは、そのためである。》
この末尾には次の註がつけられております。
《ボルシェヴィキと、(レーニンのいわゆる)「過程としての組織」だったブントとのあいだに、まま認められるニュアンスの差(組織やスローガンの問題でのみならず、ここでは触れなかったが、たとえばナショナリズムとインターナショナリズムの問題でも)は、のちのドイツ共産党員にとってはウシロメタサの種となり、学者先生にはやすやすとブントの「誤謬」を発見させる手がかりともなったが、しかしいまの状況のなかのぼくらは、スパルタクス・ブントの運動の意味を、もういちど捉え直してみてもいいだろう。》
こうした書きぶりも、70年代初期という時代性の記録として読めようかと思います。
〔3〕
雑誌『インターナツィオナーレ』発行から、独立左翼党派「スパルタクス・ブント」の組織的活動への移行と発展は、必ずしも直線的な過程ではなかったこと、戦時下の非合法機関紙「スパルタクス書簡」を収録した書籍(1920年刊)の序文はその経緯を、次のように記しております。
《1914年8月4日の戦時公債承認にその最初の表現をみたような社会民主党の姿勢に対する反対派は、ただちに8月上旬、旧党の左翼の戦列内からたちあらわれた。戦士たちの最初の小グループは、カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク、フランツ・メーリング、クララ・ツェトキンを中心に結集したが、戒厳状態が施かれたことによって、彼らにはあらゆる合法的宣伝が――自己の見解を表明する機関誌すらもが――たちまち全然不可能にされた。この圧力が、すべてのニュアンスの「反対派」をしてまず組織的結合に協働させた根拠のひとつであり、この協働は、1915年7月の党指導部あての活動家たちの有名な抗議書簡のうちに、公然たるかたちをとることになった。だが、反対派の見かけ上の一致は、長くはたもたれなかった。最初のツィンメルヴァルド会議(1915年9月)でドイツ代表団の内部に異なった政治的見解が明瞭にしめされ、党全国協議会代議員のとるべき態度についての大ベルリン反対派の内部諸集会での論争は、「労働協働体〔アルバイツゲマインシャフト〕」(レーデブーアを中心とする)の支持者と、「インテルナツィオナーレ・グループ」(リープクネヒトを中心とする)のそれとの組織的分離に、急速にみちびいた。1915年秋には、いわゆる「反対派」は『情報資料〔インフォルマツィオンスマテリアル〕』(もとの『ニーダーバルニム情報資料』)を発刊していた。そこで、「インターナツィオナーレ・グループ」が1916年の年頭に同志カール・リープクネヒト宅で初の自立的な全国協議会を開き、この会議で、同志ローザ・ルクセンブルクの起草した指針(『ユニウス小冊子〔ブロシューレ〕』の付録として印刷[*])がグループの活動拡大の基軸として採択されたとき、独自の宣伝物の刊行が必至となった。正式の決議は、とくにカール・リープクネヒトとフランツ・メーリングが参加した指導部の会議で、1916年1月のある日曜日の午前におこなわれた。リープクネヒトが最初の論稿を書くことをひきうけた。当然にも非合法で刊行される宣伝物の表向きの名称のために、署名者として「スパルタクス」のペンネームが提案された。第一号はただちに大衆のあいだにセンセーションをまきおこし、そのとき以来、「インターナツィオナーレ・グループ」に代わって「スパルタクス・グループ」の呼称が市民権を得ることになった。》(中村・山崎・船戸訳『スパルタクス書簡』〔1971年、鹿砦社刊〕p.7-8)
[*] 後段の「附」に全文引用
上の「労働協働体」(または「労働者共同団)Arbeitsgemeinschaft グループとは、「のち1917年4月に独立社会民主党(USPD)を結成した社民党内反対派=中央派左派の総称。彼らは『インターナツィオナーレ・グループ』に牽引されて、1915年12月に戦時公債反対投票にふみきり、1916年3月には、緊急予算の承認をめぐって社民党国会議員団は58対33に分裂した。少数派は『社会民主主義的労働共同体』を形成した。それは労働組合左派=革命的オプロイテ(職場指導者)の支持を得た」(邦訳『スパルタクス書簡』訳注)存在で、『スパルタクス書簡』は、シャイデマンら党主流に対してだけでなく、このグループに対する批判も鮮明にしております。
大戦勃発後まもなく、1915年2月のローザ逮捕をはじめ中心メンバーのほとんどが逮捕・投獄され、あるいは予防拘禁されるなかで、この非合法出版物を守り発展させ組織の網を広げていく仕事は、ローザの最大の同志であり恋人でもあったレオ・ヨギヘスによって担われました。
《同志レオ・ヨギーヘスは、1918年春に逮捕されるまで、編集上、技術上の統括者であった。すなわち、第1号から第8号までとロシア革命についての記録を付した特別号の統括者であった。寄稿の多くは同志ルクセンブルクの筆になり、監獄の壁といえども彼女の熱心な協力を妨げることはできなかった。その他の論文や報道は、フランツ・メーリング、カール・リープクネヒト、パウル・レヴィ、J.カルスキー、エルンスト・マイヤーなどの手になっている。11月革命のあと、『スパルタクス』の継続は、『ローテ・ファーネ』および『インターナツィオナーレ』の発行によって無用となった。
『スパルタクス』の内容は、こんにちドイツ共産党であるスパルタクス団〔ブント〕が、戦争から唯一の血路としてドイツ革命をはじめた目的意識的に追求し、その到来につとめてきたことのひとつの証明である。》(同、p.9)
戦時下のドイツ急進左派の自己形成に重要な役割を果したもうひとつの文書に、獄中のローザが「ユニウス」の筆名で執筆した「社会民主党の危機」(『選集』第3巻所収)がございます。ひそかに獄外に持ち出され非合法に出版されたこの小冊子を読んだレーニンは、筆者をローザと知らぬまま同志的連帯をこめて書いた批判的コメント「ユニウスの小冊子について」(16年7月執筆、国民文庫『帝国主義と民族・植民地問題』所収)で、「ユニウスの小冊子のうちには孤独者がいるような感じがする。すなわち、彼には、革命的スローガンを終局まで考えぬき、これらのスローガンの精神で大衆を系統的に教育することに慣れた非合法組織の同志がついていない」と評しております。この評言は、虜囚の身にある執筆者の条件を言い当てたというより、彼女らドイツ左翼の組織的脆弱性を的確に読み抜いたことにおいて、鍛えられた「組織の人」ならではのものでございましょう。敗戦後のスパルタクス・ブントの「蜂起」は、組織の中心的指導者を守ることもできずに終わりました。
戦後ドイツ革命が、この揺籃期の共産主義グループに対する血の殺戮とその後のドイツ共産党の「左翼小児病」的偏向のうちに没し去った過程は、今日なお汲み取られるべき多くの教訓を残しているのではないでしょうか。
カール、ローザ虐殺の直後、革命ロシアではトロツキーが感動的な追悼演説を行なってふたりの傑出した革命家の死を悼みました。
http://www.marxists.org/nihon/trotsky/1910-3/l-l.htm
また、同時代のドイツ人の追悼文は、国民文庫の一冊で読むことができます。
http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=1011
同電子版は下記に。
http://money.2ch.net/kyousan/kako/1020/10207/1020778012.htm
闘いに斃れた戦士たちは美しく語られるのが常ですが、死者の美化は生き残った者の自己肯定や保身の言説となることもしばしば。わたしたちが今必要としているのは、美化や聖化ではなく歴史化ではないかと存じます。そこでは、わたしたち自身が死者から問われ、試されることとなりましょう――「己れじしんの弱さと不徹底を、容赦なく、根本的に侮蔑しつくす」(ローザ)べく。
〔05.1.15〕虐殺86年目の日に/鬼薔薇
ドイツのあらゆる部分から集まった多数の同志は、次の諸方針を採択した。これらは、国際社会民主党の現在の諸問題に対する、エルフルト綱領の適用を表現するものである。
1.世界戦争は、一箇の政治的勢力としての革命的労働者階級の意義と社会主義の道徳的威信を崩壊させ、プロレタリア・インターナショナルを壊滅させ、その各セクションをして互いに同胞殺戮を遂行させ、資本主義発展のもっとも重要な諸国における人民大衆の願望と期待を帝国主義なる船に緊縛し、かくて、世界戦争は、ヨーロッパ社会主義の四〇年にわたる活動の諸成果を破壊した。
2.ドイツ、フランス、イギリス(独立労働党は別として)の社会主義諸政党の公式の指導者は、戦時公債に対する同意ならびに城内平和の宣言によって、帝国主義の背後を強化し、人民大衆に戦争の悲惨と恐怖を忍従することを余儀なくさせ、かくて帝国主義の狂乱のほしいままの跳梁、殺戮の持続延引、その犠牲の増大に寄与し、戦争ならびにその諸結果に対する責任を共にした。
3.交戦諸国、わけても、これまでインターナショナルの主導国であったドイツにおける党の公式機関のこの戦術は、国際社会主義のもっとも基本的な諸原則に対する、労働者階級の死活の利害に対する、諸国民のあらゆる民主的利益に対する裏切りを意味する。これによって、党指導部がその義務に忠実であった諸国、ロシア、セルビア、イタリア、および、――一部の例外はあるが――ブルガリアにおいてまでも、社会主義的政策は無力と判断されるに至った。
4.交戦諸国の公式の社会民主党は、戦争中階級闘争を放棄し、戦争後の時期までそれを延期し、かくて、すべての国の支配階級が、プロレタリアの犠牲において、経済的、政治的、道徳的にその地位をはなはだしく強化する猶予を、彼らに与えた。
5.世界戦争は、民族的防衛、またいずれかの国民大衆の経済的もしくは政治的利益に寄与するものではない。それはまったく、世界支配をめぐっての、またいまなお資本によって支配されていない諸地域の搾取と抑圧の独占をめぐっての、異なった諸国の資本主義的階級のあいだにある諸敵対の一所産にすぎない。この跳梁する帝国主義の時代にあっては、もはや民族戦争なるものはまったく存在しない。民族的利害とは、労働する人民大衆をその不倶戴天の敵、帝国主義に隷属させるための欺瞞の手段として役立つにすぎない。
6.帝国主義国家の政策からは、また、帝国主義戦争からは、いかなる被抑圧民族にとっても、自由と独立は生まれない。その支配諸階級が大国における彼らの階級的仲間の走狗となり共犯者となっているところの諸弱小民族は、諸列強の帝国主義的競技における一つの駒となっているにすぎず、また、その労働者大衆は、戦争後、資本主義的利益の犠牲に供されるために、戦争期間中道具として悪用されているにすぎない。
7.このような諸事情のもとにあって、現在の世界戦争は、いずれが勝利、また敗北するかを問わず、社会主義と民主主義の敗北を意味する。世界戦争は、いかなる帰結――国際プロレタリアートの革命的干渉を除いては――を見るにせよ、軍国主義の、国際的諸対立の、世界経済的諸対立の強化を促す。世界戦争は、資本主義的搾取と国内政治の反動を促進させ、公共による規制〔コントロール〕を弱め、議会を軍国主義のますます従順な道具に下落させる。現在の世界戦争は、まさに同時に新たな諸戦争のあらゆる前提を発展させるのである。
8.世界平和は、ユートピア的、あるいはその根本において反動的な諸計画によっては、すなわち、資本主義的外交の国際仲裁裁判所、「軍備撤廃」の外交的取り決め、「公海の自由」、海上掠奪権の廃棄、「ヨーロッパ国家連合」、「中部ヨーロッパ関税同盟」、民族的緩衝国家、等々のたぐいのものによっては、保証されない。資本主義的諸階級が攻撃を受けることなくその階級支配を行なっている限りは、帝国主義、軍国主義、戦争は除去されえず抑止されえない。これらに効果的に抵抗を遂行しうる唯一の手段、また世界平和の唯一の保証は、天秤の皿に自らの勢力を投げかける国際プロレタリアートの政治的行動能力と革命的意志である。
9.資本の政治的世界支配の最後の生存段階としての、またその最高の発展としての帝国主義は、万国のプロレタリアートの共同の敵である。しかし帝国主義は、資本主義のこれ以前の段階と同様、自らを発展させると同じだけ、自らの不倶戴天の敵の諸力をも強化するという運命を担っている。帝国主義は、資本の集中、中産階級の無力化、プロレタリアートの増大を促進し、大衆の抵抗を目覚め成長させ、かくて階級対立のはげしい尖鋭化をもたらす。プロレタリアの階級闘争は、戦時においても平時におけると同様、帝国主義反対に集中されねばならない。帝国主義に対する闘争は、国際プロレタリアートにとっては、同時に国家における政治的権力をめぐる闘争であり、社会主義と資本主義の決定的対立である。社会主義の究極目標は、国際プロレタリアートが帝国主義に対し全戦線にわたって攻撃を展開し、彼らがあらゆる力と極度の犠牲的勇気を傾けて、「戦争に対する戦争」というスローガンを自らの実践的政策の規準にまで高める時にのみ、国際プロレタリアートによって現実化される。
10.今日、この目的のための社会民主党の主たる任務は、あらゆる国のプロレタリアートを活力ある革命的勢力に結束させ、その利害と課題について統一的な見解と統一的な戦術と政治的行動能力をもつ一箇の強力な国際的組織によって、これを平時と戦時とを問わず、歴史からその使命を享けた政治的生活の決定的な原動力たらしめることにある。
11.第二インターナショナルは、戦争によって壊滅させられた。その欠陥は、戦争に際しての民族的な分裂を防止するに有効な堤防を築き、あらゆる国のプロレタリアートの共同の戦術と行動を貫徹させることに関しての無能力によって明らかにされた。
12.労働者階級の目的と利益に対する交戦諸国の社会主義政党の公的代表者たちの裏切に直面し、プロレタリア・インターナショナルの基盤からブルジョア的・帝国主義的政策の基盤への彼ら指導者たちの転向に直面して、あらゆる国での帝国主義に反対する革命階級闘争の指導と結果の任に当たるべき一箇の新たな労働者インターナショナルを創設することは、社会主義にとって死活にかかわる緊急の問題である。
この労働者インターナショナルは、その歴史的任務を解決するために、次の原則に基づかねばならない。
I.ブルジョア国家内における支配諸階級に対する階級闘争、ならびにあらゆる国のプロレタリアの国際的連帯は、労働者階級の世界史的な解放闘争における彼らの二つの不可分の生存法則である。プロレタリアートの国際的連帯をよそにしてはいかなる社会主義も存在せず、階級闘争をよそにしてはいかなる社会主義も存在しない。社会主義プロレタリアートは戦時と平時とを問わず、自殺を遂げるのでもないかぎり、階級闘争と国際的連帯を放棄しえない。
II.万国のプロレタリア階級の行動は、平時にも戦時にも等しくその主要目標として、帝国主義に対する攻撃、ならびに戦争の阻止に向けられねばならない。労働者運動の全活動と同様、議会活動、労働組合活動は、おのおのの国におけるプロレタリアートを民族的ブルジョアジーにもっとも尖鋭に対立させ、両者の間にある政治的、精神的対立を一歩一歩あらわにし、同時に万国のプロレタリアの国際的相互依存性を前面に押し出し、明らかにするという目的に従属させられねばならない。
III.インターナショナルにおいては、プロレタリアートの階級組織にその重点がおかれる。インターナショナルは平時には、軍国主義、植民地政策、貿易政策、メーデーの問題に関し、各民族セクションの戦術を決定し、さらに全体的な、戦争に際して厳守さるべき戦術を決定する。
IV.インターナショナルの諸決議の実行に対する義務は、他のあらゆる組織の義務に優先する。それら諸決議に違反する民族セクションは、インターナショナルの外に立つものである。
V.帝国主義と戦争に反対する諸闘争において、決定的な力はただ、あらゆる国のプロレタリアートの結束した大衆からのみ成立しうる。それに伴って、諸民族セクションの戦術の目標は、広範な大衆を政治的行動能力と断乎たるイニシアティーヴをもつように教育すること、政治的諸組織ならびに労働組合諸組織の媒介によって、いかなる時にもすべてのセクションの迅速かつ実行力ある共同行動が保証され、インターナショナルの意見がすなわちあらゆる国のもっとも広範な労働者大衆の行為となるように、そのように政治的諸組織ならびに労働組合諸組織を組み上げることに向けられねばならない。
VI.社会主義の直接の課題は、民族主義的イデオロギーの影響の中にあらわれているところのブルジョアジーの見地から、プロレタリアートを精神的に解放することである。諸民族セクションは、議会ならびに機関紙におけるその扇動を、民族主義という伝来の言い方がブルジョア的な支配の道具であることを曝露することに向けねばならない。プロレタリアの祖国、すなわち、他のすべてがそれの防衛のために従属させられねばならないところのプロレタリアの祖国は、社会主義インターナショナルである。
――――――――――『ローザ・ルクセンブルク選集』〔現代思潮社〕第3巻 p.281-286
※引用に際していくつかの文字表記を修正:「同よう」→「同様」、「たいする」→「対する」、他
[*] ローザ・ルクセンブルクが起草したこの指針は、1916年1月1日、カール・リープクネヒトの家で行なわれた会議の席で、「インターナショナル」グループ(「スパルタクス団」)によって採択された。ローザ・ルクセンブルク自身は、監獄にあったため、この会議には参加しなかった。(『選集』訳註)