lenin_and_SPD
亀嶋庸一著 『ベルンシュタイン──亡命と世紀末の思想』
■2003年
補足:ローザとベルンシュタインの共通性 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日:12月28日(日)05時57分37秒
通常は左派と右派として正反対に描かれることの多い二人だが、こんなところにも二人の共通性はあるようだ。
『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版
亀嶋庸一著『ベルンシュタイン──亡命と世紀末の思想』評者:福田 富夫 より
“ここでは本書第II部の内容を簡単に見ておきたい。
第1章。世紀転換期,大衆社会化状況の展開が始まりつつあった時期,独においてこの時期の大衆社会化現象を示す最も典型的な例がドイツ社会民主党であった。大衆化と官僚制化の進展に対してカウツキー,ミヘルス,ベルンシュタインがどう対応しようとしたかがこの章の課題である。
カウツキーが労働者の組織はその特殊な性格のゆえに官僚制化の問題が深刻化しえないとしたのに対し,ミヘルスはまさにその特殊な性格のゆえに寡頭制の弊害を最もひどく被らざるをえないと見た。ベルンシュタインはカウツキーによって楽観的に描かれた社会発展の一般法則を批判し,同時にミヘルスの悲観的な社会像の克服を試みた。ベルンシュタインにとって社会主義とは,何の不満もない,管理された満足の支配する社会の実現ではなく,官僚主義化と大衆化に対峙する諸個人の主体的な活動によって支えられた,不断の批判的な運動でなければならなかった。
第2章。ウェーバーは社会民主党内の「修正主義」の運命を,党組織を「自己目的」とする「党受禄者層」の利害関心との関係から説明し,彼らの「保守的な利害関心」が党による古い世界観の放棄と新たな戦術の採用を困難にさせると見た。一方ベルンシュタインは,1905年の大衆ストライキ論争の際に,ルクセンブルクとは異なる視点からではあったが,普通選挙権防衛および獲得の手段としての大衆ストライキの可能性を党が真剣に検討すべきであると主張した。ウェーバーは「街頭デモンストレーション」に関するベルンシュタインの考察とその運命が社会民主党の先行きに持つ重大な意味を注視していた。ここにベルンシュタインとウェーバーの交錯を見ることができる。
第3章。大衆社会化状況における政党の組織化についてオストロゴルスキーとウェーバーの立場は全く逆である。前者が,政党官僚であれ,「カエサル的」指導者であれ,彼のいう「真の民主主義」の実現をもたらすものではないとするのに対し,後者は「普遍的官僚制化」の下で官僚的精神と異なる「指導の精神」をいかに確保するかという観点から,「人民投票的形態の台頭」に官僚主義の弊害と情緒的大衆民主主義の危険性とに抗しうる対抗要素が求められた。”
資本主義の変容に対してそれぞれの立場からアプローチをしたローザとベルンシュタインではあるが、共に官僚制のもたらす弊害についての認識や大衆ストライキへの評価には共通性を感じさせる。
すると、(レーニン、ローザ)対(カウツキー、ベルンシュタイン)という軸とともに(ローザ、ベルンシュタイン)対(カウツキー、レーニン)という軸も考えてもいいのかもしれない。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/shohyo/fukuda2.html
社会主義と官僚制>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月28日(日)12時07分9秒
基礎資料のご紹介、打込みだけでも大変でございましょう。特にアーベントロートの所論のご紹介、ありがとうございました。わたしこの本、前に手放してしまって、また買い直そうかと考えていた矢先でございました(とうに絶版でしょうか)。
「官僚制」といえばウェーバー、というのが社会科学のかけらなりと口にした者の脊髄反射みたいなものですけど(苦笑)、SPDの官僚化についてもウェーバーは鋭い目を向けていたと伝えられております。ベルンシュタインとも交流があり、一時期はSPDに入党することも本気で考えたウェーバーは、党大会を傍聴してその無気力ぶりと官僚化を直に感じ取ったらしいのですね。
ここで思い出すのは、先日名前を出されたカストリアディスの所論。ソ連社会主義と戦後資本制を共に「官僚制」で串刺しに特徴づけた初期の代表論文「社会主義か野蛮か」には、次のような重大な指摘がみえます。
「一連の国々における新しい官僚階級による伝統的ブルジョアジーとのこの交代は、その官僚階級の根源が大概の場合、労働運動それ自身であると見られるだけに、いっそう重要である。実際、〈労働者の〉諸組合や諸政党の指導者階級こそが、それらの国で第一次、第二次の帝国主義戦争のあとで権力を握り、技術者たち、行政官たち、活動家たち等々からなる新指導者階級を周りに結晶化させた、その中核をなしたのだった」(江口訳『社会主義か野蛮か』p.5)。
労働者階級は、ただ物質的「豊かさ」を享受したにとどまらず、「権力」の一角をもなす存在となったわけでしょう。いえ、むしろ逆に、権力配分に組み込まれたからこそ利益配分にも与れたのかもわかりません。
顧みますと、「冷戦」として特徴付けられた戦後の東西対立は、「国民国家」を超えたふたつの超官僚制に世界が分割されたシステムであったと申せましょうか。その世界システムが60年代からきしみを露わにし(ベトナム戦争と「プラハの春」と大衆反乱)、80年代にはともども絶望的な制度疲労に陥り90年前後に崩壊へ至った、と。崩壊は集権制と行政機構への依存度が高かった「東」側では劇的な体制瓦解となって現れましたが、80年代の「反ケインズ革命」から今日に至る新自由主義の「西」側でも、行政権力と市場経済との均衡が失われたという意味では似たような過程とみることも許されましょう。ここに露呈した「市場の暴走」は、人類の生存と再生産の基底にまで侵蝕を深めている点、「野蛮」でなくて何であろうか、「グローバリゼーション」とはこの「現代の野蛮」の地球的現象ではないのかと思うことしきりでございます。
怪物カストリアディスの所論に本気でお付き合いしてしまうと、マルクス主義離脱の道へ誘い込まれそうですけど、“精神の冒険”を避けても守らねばならぬようなもの、わたし特には持ち合わせてもいないのですね(苦笑)。彼(ら)の問題指摘は4半世紀、あるいは半世紀も時代に先駆けていたのかなとも思います。日本での紹介は遅かったようですがフランスでの反応はどうだったのでしょう?
「社会主義か野蛮か」――そういえばローザ・ルクセンブルクにも同名の論文だか演説だかございましたね、たしか。ローザというと昔に読んだ『選集』はそっくり人手に渡って、手許には『蓄積論』と『手紙』など文庫がいくつか残っているだけで……。
まとめてレス(1) 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日:12月28日(日)16時23分34秒
引用等大変長くなってすみません。
>鬼薔薇さま
>少し距離をとって世界認識のレベルで捉え直そうと考えますと、「修正主義論争」は「帝国主義論争」と密接不可分なのですね。「帝国主義論」から「修正主義論争」へと視線を向けたらどうなるのか、カウツキーやベルンシュタインなどの基本文献の入手がむつかしいのが難でございますけど、来年少し考えを進めてみたく思います。
いささか先走りしてしまいました。第八章とか第九章でやればよかったですね。
>ホブソンも幸徳もそうなのですが、非マルクス=レーニン系の帝国主義観はぜひ視野に置きたいですね。ホブソンの訳者・矢内原忠雄もそのひとりでしょうし、また、マルクス=レーニン系でもいわゆる「正統派」からはずれていた猪俣津南雄も。別に古本屋はじめようというのではなく、サイードやネグリなど現代の帝国主義批判の多様性を視野に置くのと同じ意味で、レーニン『帝国主義論』を歴史の中に相対化するうえでの心の構えとして、特に、精緻ではあるけれども狭い「経済学」の枠組みとレーニンにからみついてきた「党派性」の保守的心情から、「帝国主義」認識を解き放つ上で、ぜひとも必要と感じます。
幸徳のを読んでみて思ったのですが、ホブスンがかかる帝国主義への批判をコブデン風の自由貿易論やJ.S.ミルの自由主義からの視点で、つまりかの国の知的伝統の立場から展開しているのに対し、同じものを見ていても幸徳の場合にはそれから一直線に「社会主義」にいってしまうのですね。ここにその後の日本の知識人の辿る傾向を見ることもできますし、また、帝国主義の侵略にさらされた植民地・半植民地の知識人たちが帝国主義に対抗する上で雪崩を打って「社会主義」に傾斜していったこととも共通点があるのではないかと感じました。「レーニン『帝国主義論』は世界でどう受容されていったか」翻して言えば「なぜ人は社会主義に魅せられていったか」そんなことを意識しながら読んでいきたいと思います。
>歴史としての資本主義にとってはむしろ「自由競争〜産業資本主義」のほうが過渡的で「独占資本主義〜帝国主義」こそが常態であったと逆転して考えるべきかとさえ思います。「純粋資本主義」モデルが過渡期のモデルであり、それが「不純」になった状態こそ資本制の常態なのだとしたら「方法論」はどうあるべきか、などと、素人らしく身勝手で尊大な疑問が頭をよぎったりする年の瀬でございます。
私も「自由競争〜産業資本主義」期は過渡期でしかないのではないか、という感じを持ちました。というか個別イギリスの特殊段階と言い換えてもいいのかもしれません。とすると、それに依拠しているマルクス主義の段階発展論的革命理論は。。。。。。。(笑)
>TAMO2さま
>先に鬼薔薇さんは社会変革〜革命の書としての「帝国主義論」という提起をされていて、
小生もそれに同意しております。しかし同時にまた、レーニンは(世界)革命への志向の
余り、ベルンシュタイン修正主義批判を意識して、そしておそらく外部注入論のバイアス
によって、「日和見主義の物質的根拠」を否定しようとして、上のような文章を書いた気
がしてなりません。逆に、大衆はその辺の「左翼革命主義」のいかがわしさを感知し、今
や左翼は大衆に影響を持たないのだと思います。
レーニンの外部注入論−典型的には「なになす」−は、トカチョーフ主義との関連が(個別ロシア的な要素として)よく言われますけど、第二インター的社会主義の範疇だと労働者に対する知識人の優位性、つまりプロレタリアートの自然発生性に対し、党の目的意識性を対置することを唱えたのはカウツキーその人だったと思います。そういう面といい、マルクス主義の正統性を争う態度といい、どこかレーニンはカウツキーを引き写した面があって、それがレーニンにおいてもあまり意識されてないがゆえにレーニンのカウツキー批判はかなり感情的なレベルに終始しているのではないでしょうか。その原文を引っ張ってくることを含めて第九章あたりで再度展開してみます。
まとめてレス(2) 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日:12月28日(日)17時23分45秒
>鬼薔薇さま
>「一連の国々における新しい官僚階級による伝統的ブルジョアジーとのこの交代は、その官僚階級の根源が大概の場合、労働運動それ自身であると見られるだけに、いっそう重要である。実際、〈労働者の〉諸組合や諸政党の指導者階級こそが、それらの国で第一次、第二次の帝国主義戦争のあとで権力を握り、技術者たち、行政官たち、活動家たち等々からなる新指導者階級を周りに結晶化させた、その中核をなしたのだった」(江口訳『社会主義か野蛮か』p.5)。
>労働者階級は、ただ物質的「豊かさ」を享受したにとどまらず、「権力」の一角をもなす存在となったわけでしょう。いえ、むしろ逆に、権力配分に組み込まれたからこそ利益配分にも与れたのかもわかりません。
考えてみると日本も例外なくこの過程が進行していたのではないでしょうか。戦後の官僚主導型経済体制もその原型は戦時統制経済−革新官僚・無産政党・軍部革新派の合作でしたね。その延長線での「55年体制」はまさに二大官僚体制のミニチュア版であったということでしょうか。
>怪物カストリアディスの所論に本気でお付き合いしてしまうと、マルクス主義離脱の道へ誘い込まれそうですけど、“精神の冒険”を避けても守らねばならぬようなもの、わたし特には持ち合わせてもいないのですね(苦笑)。彼(ら)の問題指摘は4半世紀、あるいは半世紀も時代に先駆けていたのかなとも思います。日本での紹介は遅かったようですがフランスでの反応はどうだったのでしょう?
私も詳しくはわかりませんが、「パリ五月革命」にはかなりの影響を与えているはずです。特に「3月22日運動」などに。ダニエル・ゲランあたりを媒介としてフランス・アナキストの運動にも影響を及ぼしていたと思います。この辺はアナの人のほうが詳しいでしょう。
>「社会主義か野蛮か」――そういえばローザ・ルクセンブルクにも同名の論文だか演説だかございましたね、たしか。ローザというと昔に読んだ『選集』はそっくり人手に渡って、手許には『蓄積論』と『手紙』など文庫がいくつか残っているだけで……。
ローザで思い出しましたが、イタリア新左翼の一大セクトでアウトノミア運動をネグリ等の「ポテーレ・オペライオ」とともに担った「ロッタ・コンティヌア」はローザ主義の大衆の自発性と毛沢東主義の「党としての大衆路線」を結合させたユニークな路線をとってたみたいですね。確かにローザの絶筆となった(虐殺される前日の)『ローテ・ファーネ』の論説で「…指導部は失格した。しかし、指導部は大衆によって、大衆のなかから新しく創りだされうるし、創りだされなければならない。決定的なものは大衆である。大衆こそが、その上に革命の究極の勝利が築かれる岩盤なのだ。大衆はすでに先頭に立った。だからこそこの「敗北」も、インターナショナルな社会主義の誇りであり力である一連の歴史的な敗北の、ひとつに数えることができる。だからこの「敗北」からは、未来の勝利が花とひらくだろう…」(『ドキュメント現代史2 ドイツ革命』 平凡社 p.128)と書いてあるのを見ると、例の毛沢東の有名な言葉が想起されます。
異論というほどではないのですが>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月31日(水)21時06分42秒
>資本主義の変容に対してそれぞれの立場からアプローチをしたローザとベルンシュタインではあるが、共に官僚制のもたらす弊害についての認識や大衆ストライキへの評価には共通性を感じさせる。
すると、(レーニン、ローザ)対(カウツキー、ベルンシュタイン)という軸とともに(ローザ、ベルンシュタイン)対(カウツキー、レーニン)という軸も考えてもいいのかもしれない。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/shohyo/fukuda2.html
ここでレーニンがカウツキーと同列に置かれるのかしらと思っていたのですが、ご紹介の上記書評を読みましたところ、書評氏の考えは少し違うようですね。
第2点。著者も本書で述べているように(13頁),ベルンシュタインは思想家ではなく,レーニンやルクセンブルクがそうであったように職業革命家であった。従って彼の思索は全て実践的課題と密接に結びついていたと考えるべきではなかろうか。当時のドイツ社会民主党は,周知のように,マルクス主義的革命言辞と理念なきなし崩しの改良主義的実践の混合物であった。ベルンシュタインは後者を基礎づける新たな理論化を試み,左派のルクセンブルクらは反対に,革命原則に則って党の実践を鍛え直そうとした。またレーニンは『帝国主義論』によって資本主義の不均等発展を理論化する。新しい現実に直面して,彼らもベルンシュタインとは方向性こそ違え,従来のマルクス主義の見直しを行った点で共通していたのである。
--------------------------------
レーニン、ルクセンブルク、ベルンシュタイン、三者三様に「カウツキー的なるもの(制度化されたSPDマルクス主義)」に挑戦したという構図でございます。わたしにはこのほうがピッタリくるのですけど、でもこれ以上は、当の本に当たらないといけませんね。
評者紹介の目次を見ますと
第二章 ウェーバーとドイツ社会民主党
第三章 オストロゴルスキーとウェーバー
補論 「修正主義論争」とウェーバー
─『ブラウン・アルヒーフ』から『ウェーバー・アルヒーフ』ヘ
とあり、ウェーバーの比重がかなり大きいようで、問題を「官僚制」という軸で切ってみようとする関心からも、通りすぎるわけにはまいりません。他方ウェーバーはロシアの革命にもただならぬ関心を寄せ事態を注視していたとか。すると「ウェーバーとレーニン」というのもひとつの問題軸になりそうに思います。もちろん18年11月というときに「気の狂れたリープクネヒトの一味を直ちに鎮圧せよ」と叫んだ人ですし、何より独露国境に隔てられていたわけですから、このふたりの距離はルクセンブルクとベルンシュタインとの間隔よりはるかに大きかったわけですけど。
このあたり、ウェーバー研究のほうでどう扱われてきたかは不案内でございますが、またひとつ興味深い書物の存在を知りました。ご紹介にお礼申します。m(__)m
RE:異論というほどではないのですが>鬼薔薇さま 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日:12月31日(水)23時51分57秒
今日やっと今年最後の仕事が終わりました(笑)。
>レーニン、ルクセンブルク、ベルンシュタイン、三者三様に「カウツキー的なるもの(制度化されたSPDマルクス主義)」に挑戦したという構図でございます。わたしにはこのほうがピッタリくるのですけど、でもこれ以上は、当の本に当たらないといけませんね。
ああ、これはこの本の話ではなく私の見方です。混乱させるような書き方ですみません。で、普通の理解だとそうなりますが、私の中ではいわゆる西欧マルクス主義的な理解におけるカウツキーとレーニンの共通性という否定的な面だけではなく、「民族」についての理解とか、肯定的な面でもカウツキーとレーニンの共通性はあると思っているのです。(その場合も対抗軸はベルンシュタインとローザですね。)オットー・バウアーにしてもそうですが、今までは正統派的解釈の上でしかレーニンの論敵(ベルンシュタイン・カウツキー・バウアー)を判断せず、その著作も省みられることがなかったのですが、今はかかる「党派性」から解放されていろいろな研究がでるようになって初めてわれわれは第二インター期の論争の全体を、したがってその中のレーニンの立場性を理解できるようになったのではないでしょうか。私たちの進めているレーニン『帝国主義論』の読み直しも、またそこから新しい「レーニン」を生み出せるといいですね(笑)。
>他方ウェーバーはロシアの革命にもただならぬ関心を寄せ事態を注視していたとか。すると「ウェーバーとレーニン」というのもひとつの問題軸になりそうに思います。もちろん18年11月というときに「気の狂れたリープクネヒトの一味を直ちに鎮圧せよ」と叫んだ人ですし、何より独露国境に隔てられていたわけですから、このふたりの距離はルクセンブルクとベルンシュタインとの間隔よりはるかに大きかったわけですけど
私もウェーバーには注目しています。ここでもまた、政治的党派性から自らを解き放って新たにウェーバーを読み直す必要があるでしょうね。ただしウェーバーの場合にはその「西洋中心主義」を相対化する作業が必要となるわけですが。
では、今年もあとわずかになりましたが、皆さんよいお年を。
■2004年
ちょっと酔っておりますけど>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月 1日(木)11時55分28秒
大晦日までお仕事とは、ごくろうさまでした。お正月はぜひごゆっくりお酒など。
わたしもこれで三賀日はネットお休みといたします。
>普通の理解だとそうなりますが、私の中ではいわゆる西欧マルクス主義的な理解におけるカウツキーとレーニンの共通性という否定的な面だけではなく、「民族」についての理解とか、肯定的な面でもカウツキーとレーニンの共通性はあると思っているのです。
たいへんに挑戦的な問題提起ですね(^^)v。やはり「民族」は独自の問題領域として取り上げる必要に迫られてきた感じを深くいたします。
オットー・バウアーの大部な本は買ったはいいのですけど未読(^^;。いわゆる「オーストロ・マルクス主義」についてはほとんど無知。でもあの時期、オーストリア――というか、戦後「東西対立」で見えにくくなった「中欧」――という文化圏の存在を抜きに「ヨーロッパ」は語れませんね。ヒルファディグもヒトラーもオーストリア人ですし、ルカーチもハンガリーからドイツへ留学してウェーバーの周辺にいたり。
ひどく大ざっぱになりますけど、第一次大戦というのは、かつての「大帝国」が最終的に退場した転機だったかと思うのですね。ロシア、トルコ、そしてオーストリア・ハンガリー、少し早くに東方の清。トルコの場合はそれに先行してケマルの革命はありましたが中東でのその支配力は第一次大戦まで続きました。これら大帝国がほぼいっせいに崩れていくところから、「民族問題」が噴出し、そこから今日に至っているように考えられるのでございます。
かつては「民族」とくれば「独立(国家形成)」ですむように思われておりましたが、実はそんなふうには完結しえない深くて暗い淵が開いてしまった感がございます。なによりその深さと暗さを示すのがユダヤ・パレスチナ問題でございましょう。英仏露の中東分割秘密協定を帝国文書館から見つけ出して大公開してしまったのは、やはりロシア革命の世界史的な功績と思いますけど、でもレーニンのユダヤ人問題理解はおおきに問題と思います(「ユダヤ人ブント問題」)。他方、ウェーバーは周辺のユダヤ系知識人の問題ではずいぶん苦労して彼らを守っていたらしいのですね。
>ただしウェーバーの場合にはその「西洋中心主義」を相対化する作業が必要となるわけですが。
確信犯ですからねえ、あの人(笑)。「西洋万能主義」が崩れていることを敏く感じ取ったところに発する「西洋中心主義」は、半端ではございません。
さて、醒めかけてきたのでまた呑み直しましょう。
他の皆さん「新党結成」で上方を奔走されているとか。東京は静かそうでございます(笑)。
亀嶋庸一『ベルンシュタイン』 投稿者:ストリング 投稿日: 1月 2日(金)12時10分48秒
亀嶋庸一『ベルンシュタイン』本の、ちょっとした追加情報です。
亀嶋さんは、研究者としては、もともとウェーバーから出発されたようです。
ウェーバー『プロ倫』中、クエーカー教徒研究にかんして、何回かベルンシュタインへの言及があった。なぜ、ベルンシュタインは英国亡命中にクエーカー研究をしていたのか、というあたりが亀嶋さんにとってベルンシュタインへの入口だったようです。
ベルンシュタインは七八年にスイス移住。八八年にスイス追放、英国亡命。ドイツ帰還は〇一年。
「英国革命史研究」(当時の英国の歴史家たちに「学問的なトレーニングも受けていないドイツの社会主義者がイギリス革命史研究に新しい発見をもたらした」といわせた、「ディガーズ」の指導者ウィンスタンリーの「発掘」)までやった、ベルンシュタインにとっての世紀末英国体験とはなんだったのか。
亀嶋によれば「彼のイギリス体験には、イギリス革命史研究を通じて社会主義とエートス(精神構造)との関係を重視にいく側面と、大衆社会のダイナミズムに対する危機意識を強めていく側面との二つがあります」。この「高度資本主義における大衆社会のダイナミズムに着目」がベルンシュタインと亀嶋をつなぐ線のようで、亀嶋『20世紀政治思想の内部と外部』 (2003) では主要にシュミットとアレントをとりあげてました。
(以上、参考、亀嶋庸一「「修正主義」とは何であったのか? ‐ベルンシュタインと社会民主主義」「M&R研究会レヴュー」18号 (2001) 。電子化されてないようなので、当時購入した冊子を引っ張り出してみました)。
それでは。
RE:亀嶋庸一『ベルンシュタイン』>ストリングさま 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 1月 2日(金)17時36分23秒
資料の紹介、ありがとうございました。
「Marxism & Radicalism研究会」のHPを見てみたのですけど、なかなか面白そうですね。前回(12月20日)の公開講座は亀嶋庸一さんが講師だったようですし。
これからもよろしくお願いします。
RE:亀嶋庸一『ベルンシュタイン』>ストリングさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月 4日(日)21時01分17秒
>ウェーバー『プロ倫』中、クエーカー教徒研究にかんして、何回かベルンシュタインへの言及があった。なぜ、ベルンシュタインは英国亡命中にクエーカー研究をしていたのか、というあたりが亀嶋さんにとってベルンシュタインへの入口だったようです。
『プロ倫』でのクエーカーは、もっぱらアメリカ・プロテスタントの特異例という扱いだったかと記憶いたします。なぜあそこにベルンシュタインが顔をのぞかせるのか、ちょっと妙に思っただけで通りすぎてしまっておりました。まことに古典とは、いろいろな角度からの「読み」を招き寄せるものなのかなと、あらためて感じ入りました。
「硬直した革命的イデオロギーにしがみつきながら、じっさいにはそれとうらはらに革命的情熱を失い、物質上の生活利害に汲々とするゆがんだ姿――ウェーバーが批判したのは、そうした社会民主党のみにくい内情なのであった」(濱島明「社会主義をめぐるウェーバーの思想と行動」、講談社学術文庫版『社会主義』巻末〈解説〉)。
ありし日の「最大野党」とその末路が思い浮かびますね(苦笑)。わたしベルンシュタインは、かつて「諸前提」を一読したにすぎません。三賀日も終り、この際ぜひ表題書について勉強したく思います。
>この「高度資本主義における大衆社会のダイナミズムに着目」がベルンシュタインと亀嶋をつなぐ線のようで、亀嶋『20世紀政治思想の内部と外部』 (2003) では主要にシュミットとアレントをとりあげてました。
シュミット〜アレントと並べられると、ものごとの(20世紀的?)非合理性が浮き立ってきそうですね。「修正主義」というと、ものごとの合理的(=現実的)な側面のみに視野を切り縮める政治傾向をイメージしてきたかと思いますが、むしろカウツキーやレーニンのほうが伝統的な「合理主義」や「啓蒙主義」の思考様式を強く引いていたのかもわかりません。そのあたりも洗い直してみなければ、と考えさせられるご紹介をいただきました。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
ベルンシュタイン評価 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 6月 6日(日)01時22分33秒
ここでは先に亀嶋庸一著『ベルンシュタイン』(みすず書房)が取り上げられたところですけど、4トロ3次会で野次馬の視線さんが“ベルンシュタインを高く評価する、現役の日本共産党地方議員のサイト”として下記をご紹介です。
http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/1bu-kyou-018.htm#top
ご参考までに>ALL
●HP掲載時の補足 04/10/13
上に出てきたマックス・ウェーバーについて。
かつて日本では大塚久雄さんの影響からか「ウェーバーとマルクス」議論が大変盛んでしたが、同時代に生きたレーニンとのかかわりはさほど深く掘り下げられたとは思えません。その数少ない例のひとつに、雀部幸隆『レーニンのロシア革命像――マルクス、ウェーバーとの思想的交錯において』(1980年、未来社)という研究書がございました。
その著者雀部幸隆さんのインタビュー記事にたまたま出遭いましたのでご紹介しておきます。
「わたしとウェーバーとのかかわり」(『図書新聞』2002年4月27日(土)第2579号)
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Max%20Weber%20Debate%20Sasabe%20Interview%202001.htm
わたしなどには大変刺激に富む内容でございました。
日本のウェーバー研究者といえば誰を措いても折原浩さんですね。
東大闘争で造反教官となり、孤立の万年助教授の時代に研鑽を積み、あの電話帳みたいな草稿集 『経済と社会』 のジャングルに分け入り、徹底的なテキスト・クリティクを通じて従来の編纂方法を批判し、その対案を作り上げる知的腕力は、たぶんドイツ人もビックリではないかしら。その血のにじむような結晶の第一弾
『ヴェーバー「経済と社会」の再構成 : トルソの頭』を定年退官の96年、他のどこでもない東京大学出版会から出したのは、「東大造反教官」としての勝利宣言でもあったかもわかりません。
その折原さんが本業を中断してまで激越な論争を展開しておられる様子、下記で追うことができます。この論争には上の雀部さんもご参加ですね。
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Max%20Weber%20Dabate.htm
以上、いずれも洒落たつくりの橋本努さんのサイト。
オーストリア学派を中心テーマとする経済社会学者の橋本さん、なんと67年暮れのお生まれなのですね。「10.8」羽田の後に生まれた方がすでに立派な研究者。全共闘世代も定年を迎える時代ですから、それより前のわたしたちなどお迎えに備えるべき時期に入っているのでしょうか(苦笑)。
いえいえ、上の折原浩さんは70近くになってなおアカデミック・ゲバを敢然と遂行しておられます。
最近のお姿を知るに、『ウェーバー学のすすめ』(03年、未来社)をどうぞ。