「国民文庫」 の歴史と終り
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『帝国主義論』関連のレーニンの著作リストを作ったとき、大月書店の国民文庫に意識的にこだわりました。ひとつには国民文庫版の各巻がそれなりに工夫されて編纂され、かなりの包括度をもっていたこと、ふたつには、かつてはこれだけのものが廉価な文庫本で読めたという歴史事実を確認しておきたかったためでございます。

その折、「読書コーナー」掲示板に次のように書きました。

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〔文献リスト補遺〕『プロレタリア革命と背教者カウツキー』 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 1日(日)00時10分51秒

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 手許の『背教者カウツキ―』は古いもので、青い紙の帯には次のように記されております。

「本文庫は、大月書店・社会書房・三一書房の三社の協力によってつくられたものであります。第一期計画の60点は、マルクス=エンゲルス選集(大月書店版)・レーニンニ巻選集(社会書房版)・スターリン全集(大月書店版)・毛沢東選集(三一書房版)を基礎として編集したものであります」。

 朝鮮戦争の直後、日本共産党が「大分派闘争」の深い傷を負った状態のなかで立ち上げられた企画だったことがうかがわれます。
 社会書房はその後間もなく倒産、三一書房はまだ京都にあった頃と思います。東京へ移って五味川純平『戦争と人間』の大ヒットで経営基盤を確立した三一書房の新書は、左翼大衆運動に大きな影響を与えましたが、少し前に事実上営業停止、大月書店はマルクス・レーニン関係をあらかた刊行停止、国民文庫と双璧をなした青木文庫の青木書店も“脱左翼”を完了して、日本共産党主導のもとに展開された戦後の左翼出版は、その歴史を閉じたことになります。ロシア革命から90年、国民文庫出発から50年、大いなる「終り」から21世紀は始まっていることを実感いたしますね。このたびの「リスト」づくりも、かくて幕を降ろした「歴史」のささやかな確認作業なのかもわかりません。  こうした時代、鎮魂に心を向けること、懐古にひたること、観念の中で止まった時間に生きること、過去など無価値とひたすら「今」を走ること、さまざまな心のありようが透けて見えるような気もいたします。歴史が大きく旋回する時とは、そうした分解が苛酷に露出する時代でもございましょう。レーニンの著作もまた、そうした一時代を生き抜いた精神の記録として歴史に埋めこまれており、そのようなものとして「読む」ことを求めているように思います。
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上に書きました「歴史の終わり」が決して個人の主観に属するものではなく、書店の在庫リストが客観的に示すところ、次のURLで「書名」欄に「国民文庫」と打ち込んでみれば明らかでございましょう。

http://www.otsukishoten.co.jp/search/index.htm

総数370点中の古典作品が『資本論』その他いくつかを残してほとんど「品切れ」「重版未定」「絶版」となっている――言い換えれば、かつてはそれだけのものがなんとか採算ベースに乗る程度に売れていた――という事実をどうみればよいのでしょうか。
人によっては、日本共産党の 「脱マルクス主義」 を象徴するものというかもわかりません。あるいはまた、大月書店が本来の使命を打ち捨てて商業主義に走ったためと思われるかもわかりません。あながちそれを否定はいたしませんが、それも含めてここには、運動としての社会主義・マルクス主義の無残な敗北と解体・終焉が刻まれているのではないでしょうか。この品切れ・絶版リストは、戦後日本左翼運動の墓碑のようにわたしの目には映ります。今という「時代」をある意味でこれ以上に冷厳に示すものはないといってよいほど。この現実を現実として見据え、そこから目をそらすことなく考え行動する以外にないことを、このリストは問わず語りに語りかけているように思えます。

このリストさえいつ姿を消すかもわからぬことを考えれば、すこぶる貴重な歴史記録として保存しておくに価いすると存じます。実際、かつて長谷部文雄訳『資本論』をはじめ国民文庫と双璧をなす古典のラインナップを擁した青木文庫の版元・青木書店はかなりまえに文庫を廃棄しただけでなく、一切の公表記録をも消し去っており、かつて存在した姿を推し量ることさえできません。

なお、絶版(事実上のものを含む)で入手不可能なものについては、志ある方の手でテキストの電子化が進められております。具体的な取組みに当たっておられる皆さまのご努力に敬意を表しつつ、今後の発展に期待して下記をご紹介しておきたく思います。

●デジタル・ボランティア・プロジェクト(DVP) http://www.prudentia.net/dvp/
●個人作業ライブラリ http://www.geocities.jp/meltext001/index.html

こうした作業には 「版権」・「著作権」 という問題が不可避につきまとってまいります。商品経済にあっては避けがたい問題とも思われますが、情報技術の現在は新しい可能性を開きつつあるのかもわかりません。それについては、 「読書室」 で断続的に書きました 「レーニン 素人の読み方」 の〔8〕で少し触れてみました。

〔04.10.26 加筆修正〕


補足●「国民文庫社」と「国民文庫」

上の『プロレタリア革命と背教者カウツキー』(1953年初刷)は、版元が大月書店ではなく「国民文庫社」となっておりますが、この会社については何の説明もございません。その点疑問に思っていたところ、故・石堂清倫氏の自伝『わが異端の昭和史』に明快な回答が見つかりました。古い文庫本のオビに記された事情説明のあいまいさを正す、当事者による歴史証言として貴重なものと思いますので、「国民文庫社」という小見出しの部分を全文引用しておきます。

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国民文庫社
 一九五二年秋に創立された国民文庫社は、形式的には大月書店と三一書房と岩崎書店と理論社と左翼の四社が一万円ずつ出資してできたものである。その責任者になるように誰から言われたのかはっきりした記憶はないが、共産党の出版関係のLC(フラクション指導委員会)のキャップであった三一書房の竹村一社長から後日きいたところによると、私を推したのは竹村であったそうである。この人とはいろいろな点で意見はちがいながら、それでいて相許すことが多かった。最初に、「共産党宣言」百周年記念のソヴィエトの研究を、党本部の調査部やML〔日本共産党付属の「マルクス・レーニン主義研究所」の略――引用者〕関係者が訳した原稿を三一書房に持ちこんだのがつきあいの始まりであった。この本はよく売れた。ただしその中心になるプロレタリアート独裁思想のところを訳者の前野がいつまでも提出しないので、独裁の項目のない訳本であったが、なくてもマルクス思想を理解するのに一向に差支えがないのである。読者の誰からもそのことについての苦情が出なかったから、これは前野の怪我の功名であった。三一は神保町の裏通りに借家ずまいしていた。床に穴があいていて剣呑なので、どうして修理しないのかときくと、なに税務署対策だよと言っていた。

「血のメーデー」の前日に三一へ顔を出すと、マッチの頭を缶に詰めて、点火させて、これだって武器の一つだと深刻な顔をしていた。明日はそんなことかと気がついた。LCのずっと頂上に朝野がすわっていたはずである。私は「軍事方針」の反対のことは彼がよく知っていたのに、一度も批判がましいことを言わず、つねに寛大であり、竹村が私を推せばそれを認めたのであろう。私の居住地区を指導する都北部地区の軍事委員と称する人がときどき志村寮へきたが、口にすることは勇ましく、すでに軍が形成されていることを誇っていたが、マルクス主義理論となるとまったく無知で、どうしてこんな人が、党に紛れこんだか怪しまれるのであった。実際に、盲目的な行動ラディカリズムに染まった人が組織内でふえていたのである。それが度を過ぎて、しまいには指導部自体が持てあますようになっただろうと思われる。知識人党員で極左主義に辟易して組織から遠ざかる人もふえてきた。党は情勢に押しながされ、どこへ漂流するかわからないたんなる冒険主義集団になりかけていた。知識の貧困が痛感されて、党員の行動を一つの目的に結びつける新しい教育運動が必要になってきたと聞いた。あわてて党員の学習必読文献を指定しても読む力のない人がふえている。そこでたとえば『共産党宣言』とか『空想から科学へ』とか三点か四点の必読文献の代わりに、フランスのレジスタンス文学、中国の抗日文学の小説やルポルタージュ等を読めば、必読文献何点かを読んだに等しいと認定するという俄かづくりの制度も生まれてきた。これは妄動主義を助長するだけではなかったか。「国民文庫」計画は、そのような党活動上の欠陥にたいする一つの対策として、出版LCの仕事として構想されたことが想像される。
国民文庫社を四社の共同出資で創立する点では異議はなかったようだが、その編集室を大月書店に置くことには問題があったようだ。一言で言えば小林直樹に取られる恐れがあるうえに、各社の企画と競合するものを出してはならないというきびしい制約があった。編集室を大月書店内に置いたのは独立の社屋をもつ財政上の能力がないから止むをえないにしても、結局は小林の私物になりはしないかと恐れられ、実際そうなってしまった。小林が共同出資者に一度も営業報告をしなかったこと、配当をする気がなかったこと、その他について私はしばしば苦情をきかされた。

 最初に『共産党宣言』、レーニンの『マルクス・エンゲルス−マルクス主義』、『帝国主義論』、『国家と革命』、スターリンの『レーニン主義の基礎について』、同じく『レーニン主義の諸問題によせて』、毛沢東『実践論・矛盾論』を刊行した。『宣言』はマルクス・レーニン主義研究所訳としてある。このようにMLはちゃんと通用したのである。文庫の印刷所は岩波文庫と同じ精興社であるが、これはプロレタリアートの岩波文庫をひそかに期したからである。「国民」としたのは党の意向によるもので、私はあまり賛成でなかった。
 各巻には編集委員会の名で解説を書いた。『宣言』の解説は私が書いた。私のデスクと並んで、松本と山辺が毎日のように「出勤」してきて、この二人もたくさん解説を書き、巻によっては訳者の書いたものもある。
 『宣言』や『実践論・矛盾論』は何万部も売れた。昼休みに神保町のウニタに出かけ、売り上げ部数をきくのが楽しみなくらいであった。しかし次々と刊行されるものが、どれもベストセラーになるわけではないのに、小林は人の顔さえ見ればもっとよく売れるものを出すように催促した。その点ではどこの商人とも少しも変わらなかった。
 この頃はレジスタンス文学のものがよく売れたが、その種のものを出すことには、予期したように出資者たちが反対である。コーンフォースの文献解題のように増刷したものはそれほど多くなく、十数点のコンスタントに売れるものだけで経営をつづけることは困難で、小林は文庫を独占することに成功したものの、それを維持することをしだいに重荷にしはじめた。それでも続刊したのは、彼の功績である。私が手がけたのは百点近くになるかと思われる。私たちが選んだ古典以外のものは、全体としては平和共存問題など、これまでのスターリン主義の理解の外にある発展や、戦後の状況についての解釈を可能にするようなものもある。東ドイツの党の指導者のエルスナーのものなど、もっと紹介したいものもあったが、突然のエルスナーの失脚で不可能になった。

日本のマルクス主義者の著作もとり入れたかったが、野呂栄太郎のものは三一書房が反対するであろうし、さりとて党指導部のものとなると市川正一の公判陳述くらいしか採用できなかった。その市川にしても、陳述は実は一九三一年テーゼ草案の思想によるもので、そのことを解説に入れることは憚られ、解説はあたらずさわらずに山辺が書いた。そのほかの党指導者のものはほとんど採録に堪えないと判断された。片山潜の時論集くらいが――理論的には何もないので――まず無難であり、日本の共産主義運動には自生した理論家が乏しいのに驚かされた。もう少し何かありそうに思っていたのであった。
私たちの書いた解説についてはどこからも異議がでなかった。誰も読まなかったためかもしれないが(あのなかで私たちは、スターリン主義の範囲内で多少とも新説を述べたところがある)。読んでくれた人があったとすれば、そのことを感じたかもしれない。今となると解説の筆者の判明しないものも多く、私自身はっきり自分が書いたと記憶しているものはいくらもない。のちに私が党から排除されると、私の名義は消されてしまった。私の名義を残しておくと、本そのものが出せなくなるため、誰にも知らせずに、つまり党にも気づかれずに、印税を黙って私に払うための、せめてもの小林のはからいであったと思っている。

------------------石堂清倫『わが異端の昭和史・下』平凡社ライブラリー、p.63-67

先にわたしが書いた推測もずいぶんと見当はずれなものだったことがわかりますが、そのときの理解の程度を示したものとして保存しておくといたしましょう(苦笑)。
〔04.11.13〕