lenin_and_SPD ドイツ社会民主党党内論争とレーニン
    =蘇丹・加里耶夫 (2003年12月28日)
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思えば、レーニンは19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ社会民主党や第二インターナショナルで行われた修正主義論争−大衆ストライキ論争をどう見ていたのだろうか?ベルンシュタインを代表する(*1)党内修正主義派とそれに対立するローザ・ルクセンブルクを代表する党内左派はいずれも19世紀末以来の資本主義の変容に対し、それぞれ左右の立場からそれを踏まえた形で論争を展開していった。それに対し、党内中央派、特にそのイデオローグたるカウツキーは「エンゲルス以来の正統派」としてマルクス・エンゲルスの原典を引き合いに出す形で両派を批判していく。しかしその方法は左右両派が提起している問題の基礎にあった「現実の変容」に対し、どれだけ積極的な意義をもちえたのであろうか?そして彼は党内を蝕みつつあった官僚制(*2)の問題に無関心であったのではないだろうか?資本主義、なかんずくその最新のあらわれである帝国主義に包摂された「革命」党と労働組合が生み出す官僚制−ホブスンの「金融寡頭制」という表現を思い出させる−これこそがドイツ社会民主党の「裏切り」の物質的根源であったのだが。
「マルクス主義者であったころのカウツキー」に依拠していたレーニンもまた、「日和見主義」の発生の原因を「買収」「裏切り」という「主観」の問題に切り縮めてしまい、その発生の根拠について官僚制との関連で分析してはいない。プロレタリアートの組織にはそのようなものは無縁だと考えていたのであろうか。しかし彼も遅かれ早かれ気づくことになる−「資本主義が一部復活した」ネップにおけるロシア共産党のスターリンを代表とする官僚機構の肥大という現実に。そして党内・労働組織内官僚制と闘ってきたローザ・ルクセンブルク(*3)はドイツ革命の渦の中で多数派社会民主党によって虐殺され、そのローザも創設者であったところのドイツ共産党も「ボリシェヴィキ化」の過程で「ルクセンブルク主義者」狩りを行うであろう。詳しくは第九章の報告で展開してみたい。


*1 ベルンシュタイン『社会主義の諸前提と社会民主党の任務』================
ベルンシュタイン『社会主義の諸前提と社会民主党の任務』初版序文より

「……私の論文の実践的帰結は政治的、経済的に組織されたプロレタリアートによる政治権力獲得の断念である、と主張する声がある方面からでている。

 これは全く恣意的な推論であって、私はその正当性について断固として反論する。

 私は次のような見解には反対である。すなわち、われわれがきたるべきブルジョア社会崩壊の前夜にあり、社会民主党は自己の戦術を当面するかかる社会的大破局への展望によって決定すべきである、あるいはそれに依存すべきであるという見解である。この点で私はけっして譲るつもりはない。

 このような破局論の支持者は主に、あの『共産党宣言』の論述を自己のよりどころにしている。しかし、これはいかなる点でも正しくない。現代社会の発展に関する『共産党宣言』の予言は、その発展の一般的傾向を特徴づける限りでは正しかった。しかしそれは種々の個別的な結論においては誤っていた。とりわけ、発展に要する時間の評価が誤っていたのである。この点は『共産党宣言』の共同執筆者フリードリヒ・エンゲルスが『フランスにおける階級闘争』の序文において正直に認めている。しかし次のことも明らかである。すなわち、予想された以上に非常に長い時間が経済の発展に必要だったのだから、その発展は、『共産党宣言』が予見しなかった、あるいは予見しえなかった様式をとってかたちづくられたという事実である。

 社会関係の尖鋭化は『宣言』が描いたようには進みはしなかった。この点に目をつぶるのは無益なことであるばかりでなく、愚かなことである。持てる者の数は減少せず、増大した。社会的富の巨大な増大に大資本家の数の減少が伴なわず、あらゆる階層の資本家の数の増大が生じた。中間層はその性格を変えたが、社会の階梯から消えはしなかった。

 生産の集中は、今日なお一様な強さと速さでは産業に貫徹していない。生産の集中は多くの生産部門で社会主義理論家の予言を裏付けたとはいえ、他の部門では今日まだ予言より遅れている。しかも農業における集中の進行は一層ゆるやかである。経営統計は著しい経営規模の分化を示しており、どの規模の層にも統計から消えそうな徴候はない。企業の内部構造の重要な変化とその現在の相互関係もこの事実を欺くことはできない。

 あらゆる先進国で資本主義ブルジョアジーの政治上の特権が一歩々々民主主義的制度に譲歩してきたことをわれわれは知っている。その影響ならびにますます強力に勃興しつつある労働運動の力によって、資本の搾取傾向に対する社会的反動が生じている。その進行は今日までひかえめで手さぐりのものではあるが、確かに存在し、ますます経済生活のより広い領域に影響を与えている。工場法制定、地方行政の民主化とその施政分野の拡張、労働組合や同職組合のあらゆる法的規制からの解放、あらゆる公共団体の活動の場における労働者組織に対する便宜、これらは発展の現段階を特徴づけている。ドイツにおいていまだ労働組合の規制が問題になりうるのは、その政治的発達の高度な段階を示すものではなく、後進性を示すものである。

 近代国家の政治制度が民主化されればされるほど、政治的な大破局の必然性、可能性は減少する。破局論に固執する者は、右に述べた発展にできる限り反対し、それを妨害しようとしなければならない。破局論の首尾一貫した信奉者はそうしてきたのである。しかし、プロレタリアートの政権獲得は政治的破局による政権獲得だけを意味するのであろうか。またそれは、非プロレタリアート世界全体に対してプロレタリアートが国家権力を排他的に占有し利用することを意味するのであろうか。

 これを肯定する者は、次の二点を思い出すべきである。一八七二年にマルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の新版の序文において、パリ・コミューンはつぎのことを根本的に証明したと述べた。すなわち「労働者階級は既存の国家機構をそのまま掌握することはできないし、それを自己の目的のために機能させることはできない」という証明である。一方、一八九五年にフリードリヒ・エンゲルスは『階級闘争』の序文で次のように述べている。政治的な奇襲すなわち「一握りの意識的な少数者が無自覚な大衆の先頭に立って行なう革命」の時代は今日すでに過去のものである。軍隊との大規模な衝突は社会民主党の着実な成長を妨げるものであり、一時的な後退さえもたらすものである。結局、社会民主党は「非合法の手段や革命によるよりも、合法的手段による方がずっと」繁栄すると。それ故彼は、「党の得票数の増大を不断に持続すること」すなわち「議会活動を気長に宣伝すること」が党の当面の任務であるとした。

 もっともエンゲルスは多くの例に示されるように、発展の速度をまだいくぶん過大評価していた。しかし、彼が、合法的宣伝によって保証された社会民主党の不断の成長が政治的危機によって妨げられるとこを回避しようとしたからといって、労働者階級による政治権力獲得を放棄したと陰口をいえるだろうか。

 そういえないとすれば、すなわち彼の意見に賛成するとすれば、次のように述べても腹を立てることはないだろう。社会民主党が今後ずっとなさねばならないことは破局に賭けることではなく「労働者階級を政治的に組織し、民主主義の訓練をすること、労働者階級を向上させ、国家制度を民主主義内容で変革するあらゆる政治的改革を求めて闘うこと」であると。

 これこそ私が問題の論文で述べたことであり、今なおその意義を強く主張し続けていることなのである。当面の問題に関して、私の主張はエンゲルスの命題と同一の方向をめざしている。なぜなら民主主義は常に、労働者階級が自己の知的成熟と経済発展の程度に応じてそれを利用できるようになるにつれて、労働者階級による支配を意味するようになるからである。エンゲルスは前出の個所で、かつて『共産党宣言』が「民主主義の獲得は戦闘的労働者の第一の最重要課題の一つであると宣言した」ことを引き合いにして自己の主張をはっきりと裏付けている。

 結局エンゲルスは、破局に向けた戦術が時代遅れなことを確信していたが故に、このような戦術にドイツよりも一層適した伝統をもつラテン系諸国についても、その戦術の修正に賛成したのである。「国際戦争の条件が変化すれば、階級闘争の条件も少なからず変化する」と彼は記している。人々はこれをすでに忘れてしまったのだろうか。

 労働者階級にとって民主主義の獲得が必要であることを疑うものはいない。論争になっているのは、崩壊説であり、また現在のドイツの経済的発展と都市および農村の労働者階級の成熟度において、突然の破局が社会民主党の手におえるかという問題である。私はこの問いに否定的に答えてきたし、今もそう答える。なぜなら私は、不断の前進による持続的成果は破局がもたらす可能性よりも大きいと考えるからである。

 そして私は、諸民族の発展において重要な時代を飛び越すことはできないと強く確信するが故に、社会民主党の当面の任務、すなわち労働者階級の政治的権利を要求する闘争や、都市と農村の労働者の自己の階級の利益をめざす政治活動、そして労働者の経済的組織化の事業にも最大の価値を認めるのである。このような意味で私はかつて、私にとっては運動がすべてであり、社会主義の窮極目標と一般にいわれているものは無であると書き記したのであり、この意味で今も書いているのである。その命題が限定的に理解されるべきであることを「一般に」という言葉が明示しなかったとしても、その命題が社会主義の究極目標の遂行についての無関心を表現していたはずはなく、ただ事の最終的成就が「どんな風に」という点について無関心であること、多分より正確にいえば、懸念無用であることを表現していたのは明らかであった。私は未来に対して一般的原則以上の関心を持ったことは一度もないし、どんな未来物語も終りまで読み通せたことはなかった。私の思考と意志は現在および近い将来の課題に向けられているのであって、それより先の見通しが、この点について最も目的に適した行動の指針を私に与える限りで、その先の見通しに心を傾けるのである。

 労働者階級による政治権力の奪取や資本家の収奪はそれ自身終局目標ではなく、一定の目的や努力目標を遂行する手段にすぎない。社会民主党綱領はそれらをこのようなものとして要求しているのであって、だれもこれに異論はない。それらが実行される場合の周囲の事情についてはあらかじめ何もふれられておらず、綱領は、その実現をめざして闘うことのみを許しているのである。しかし政治権力の奪取には政治的権利がふくまれている。したがってドイツ社会民主党が現在解くべき最も重要な戦術課題は、ドイツ労働者の政治的、経済的権利拡張の最良の道を求める問題だと私は思う。この問題に対する納得のいく解答がみつからなければ、他の問題をいくら強調しても結局それは単なる宣言に終わるだろう……」(『マルクス主義革命論史2 第二インターの革命論争』 紀伊国屋書店 p47−50)


*2 ドイツ社会民主党内の官僚制===================================
アーベントロート『ドイツ社会民主党小史』(1969 ミネルヴァ書房)より

 9.党官僚制の問題

「党員数の増大と平行して――不可避的に――SPD(引用註:ドイツ社会民主党)の専従的機構も肥大した。一八九九年末のプロイセンにおける政治結社に対する団体禁止令の解除によって、党が組織上の問題でも法的制限から解放された後に、党は一九〇五年の規約によって、合理的に考えぬかれた党法規をもち広く民主主義的に構築された大衆構成員政党のドイツにおける最初の理念的事例を創出した。党の政治路線(一八九〇年以来、党国会議員団はそれに服従していると自分で感じていたのだが)を決定するものは、地方組織から選出された代議員たちの構成する党大会であった。組織の肥大とその管理業務の増大化のために、そして一九〇六年以来議員日当制の採用以後、職業的政治家にかわりはじめた議席所有者のポストの増加によって(この議席所有者たちは議会での多忙さにかまけて議会外の社会的現実を忘れる傾向があまりにも強かったのだが)、さらにそして巨大な編集陣を持つ地方的日刊紙の厖大な組織へ党新聞が成長したことにより、職業的政治家と党専従者の広汎な階層が成立せざるを得なかった。それによって官僚制的機構硬直化とその諸結果の全問題性が、前面に表われた。すなわち党民主主義に対する寡頭制的諸傾向、実質社会学的には分析されていないにせよ、はじめてロバート・ミヘルスによって叙述された寡頭制的諸傾向が常に強化された。今や統合のイデオロギーの現実的な担い手が生まれた。それは党の官僚制(党の議会代表者を含めた)と労働者団体(なかんずく労働組合や協同組合)の官僚制から発生した新しい社会階層である。かれらは、現代におけるかれら自身の状況を越えて思考を広めようとせず又出来ずに、所与の生活様式の中で党の管理業務の遂行にのみ関心をもち、この課題の枠内で保守的に思考するのであった。これらの階層にとって、機構がそれが本来的にもつ意味よりも重要であり、またそうならねばならぬ(それは決して主観的には利己的な動機からではなくてむしろ責任意識からそうなるのだが)ということ、そして他方でこの階層が組織内の民主主義的討論の範囲を規定する権限を入手しはじめたことは、当然のことであった。

 もちろんこの状態の影響は、中央集権化されぬ政治的にバラバラの党の無数の日刊紙の存在によって長い間弱められていた。これらの新聞はつねに地域的な、それ故党員に身近な議論を仲介してきたのであった。とりわけ、一九一三年のアウグスト・ベーベルの死去に至るまでは党の頂点にはほかの状況の中から出現した偉大な権威をもつ護民官がたっており、党官僚はまだ党の頂点を占めていなかったから、それによって危険はまだしも限定されていた。しかし、労働者官僚と専従の労働者代議士という新しい広い社会階層の抬頭を基礎としてのみ、従来指導部にあって名誉職的活動家の広い層の中で生きつづけてきた、(来るべき)革命的状況――その精神的準備のために党が奉仕すべきところの――における行動への意思が、事態の発展を受動的に待機するという、》主意主義《の放棄に転化してしまったのであった。しかもこの事態の推移を待つという態度は、そうでなくても合法性という口実から党の公式発言でつねに主張されえたものであった。

 このような過程は、様々な局面で、そしてその上労働運動のいくつかの平行した組織体において様々な仕方とテンポで進行していった。自由労働組合運動においては、その端緒の時期は十九世紀の九〇年の半ば以降の景気上昇によって規定された。自由労働組合においては、優勢な》中央主義者《と》地方主義者《との間の議論が、党内におけるベーベルに指導される多数派と》青年派《との論争に平行して行われた。》中央主義者《は帝国内においては組織された職業的組合が望ましいと考え、その組合では労働争議に対する決定権が、その時々の中央幹部会におかるべしとされたのであった。》地方主義者《は、決定権をそれぞれの地域グループにまかせようとし、このことは社会主義鎮圧法時代の、常に禁止の脅威を受けていた労働組合集団にとっては(それが不可避なのだけれども)ふつうのことであった。カール・レギーンの総務委員会に結集した、中央集権化された職業別労働組合(部門別労働組合連合に近い組織原則にすでにたっしている組合はほとんどなかったのだが)が確立された。職業的労働組合は、次の好況期(新世紀の最初の一〇年代の初めに再び恐慌によって悪化するが)の間に、かなりな成果を闘い取り、その組合員数とその組織性を強め、社会保険を補うための共済金庫という豊かな制度に加わった。こうして、専従活動家の組織上の責任が増大した。しかし、組合自身に対するかれらの権力も、そして党への対抗力も又増大した。その際、かれらは理論的関心をわずかしか持たず(特殊な組合活動による彼らの労働負担を考えれば自明のことだが)、組合の合法性を危険にさらす冒険を避けようとする気持が大きくなったことは、何ら驚くにあたらない。こうして奇妙な(外見的な)矛盾があらわとなった。すなわち一九〇五年の鉱山労働者の再度の(一八八九年来)自発的に発生した大衆ストライキにおいて、労働組合はためらいがちにいやいや労働者に従い、ストライキを早急に終らせようと努めた。他方ではSPDはそれとは全く別に、その革命理論のおかげで状態を正しく分析した。この闘争におけるかなりの成果にもかかわらず、同年(一九〇五年)の労働組合会議は、大衆ストライキを基本的に幻想として取りあつかうという様な奇妙な状態であった。こうして又同じ理由でカール・レギーンと総務委員会は、一九一四年八月一日および二日の幹部会議の決議によって、最初の帝国主義的世界戦争と》城内平和《政策への旋回という、帝国議会議員団の豹変の先鞭をつけた。」(同書、p69-74)


*3 ローザ・ルクセンブルク 「ケルンの論争」 (1905年)=====================
(『マルクス主義革命論史2 第二インターの革命論争』 紀伊国屋書店 p347−350)

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 ケルンの労働組合大会は、種々の側面で熟考を要する材料を、というよりもむしろ疑念を抱かせる材料を豊富に提供している。ケルンの論争は確かに実践的なまた、現実的な意味以上のある徴候的な意味をもっており、この観点からして、それはわが労働者階級に広くゆきわたっている一般的傾向の表現としてとらえられねばならない。この点でゼネラル・ストライキ論争はわが労働組合指導者層の精神、その水準、またその傾向をまさに典型的に示すものである。

 要点を先にいえば、政治的大衆ストライキを否認し、この闘争手段の「宣伝」を禁じる決議にたいして、ゼネラル・ストライキの理念の熱心な擁護者たちがひどく冷静でいられたということである。われわれはこの理念の「宣伝」によってけっして多くのものを得なかった。とりわけ、従来の専門的「宣伝家」たる同志フリーデベルクとベルンシュタインによる弁護は、この理念を広めるよりも、むしろ愚弄するものであった。しかも、この二人の名手とそのあとに続く不器用な楽隊による宣伝そのものが、ケルン決議をもたらすのに何らかの貢献をなしたと言ってよいだろう。政治的大衆ストライキは、客観的条件が欠けているところで、その理念を抽象的な形態で退屈な押し売りをして歩いても惹き起こしうるものでないのと同様に、階級闘争の一定の段階においては、大会決議がそれを否認したとしても阻止しうるものではない。政治的闘争手段としての大衆ストライキは、まさに階級闘争の歴史的産物なのであり、それは革命が号令によって「遂行」されたり、「拒絶」されたりしないのと同じである。意識的な階級闘争の党、すなわち社会民主党と、そしてまた労働組合が――現代の階級闘争の地平にとどまるかぎり――「自発的に」なしうる唯一のことは、階級闘争のそのような形態を必然的にもたらすべき歴史的、社会的、政治的条件をまえもって明らかにすべく努力することである。それは、階級闘争の発展に意識的に参加し、歴史的に必然であると認識された方向にむかって先頭を切って前進するためである。

 革命やゼネラル・ストライキのような歴史的大衆現象が、純粋に悪意の扇動によって「創造」され、また同じく「認識」の深化によって矛盾なく「否認」されうるという甘い幻想にふけることは、これまでブルジョア的反動の好むところでしかなかった。このように偏狭で、その核心においてまったく反動的な見解が、すなわち現代の科学的社会主義の根本原理と真向から対立する見解が、周知のようにベルンシュタイン一派によって社会民主党の内部に導入された。彼らは、素朴にも、突然次のように宣言することができると考えている。すなわち、革命の理念は、社会民主主義の野蛮時代の余計な残滓であり、今や文明化された合法的な闘争方法に席を譲ることができる、と。

そして、まさにこれと同様な発想が、ベーメルブルクによって提出されたゼネラル・ストライキにかんする見解と、またそこから生じたこの理念の「宣伝」に対する厳しい拒絶にも貫かれていた。ついでながら、ベーメルブルクの決議は、注意すべきことに、ゼネラル・ストライキの行使そのものはもちろんのこと、その宣伝、この問題に関する論究、そして意見交換をも否定している。特徴的なことは、この注目すべき決議が、今度は、社会民主党内部における「自由な意思表明」の抑圧や「科学的研究の自由」の抑圧についてこの上なく嘆き悲しんでいる人々と極めて近い見解と傾向から発せられたということである。空想上の、自分かってにでっちあげられた党の思想的テロルは、日和見主義のサークルに激しい憤激の嵐を巻き起こしてきた。さて、ある特定の意見表明を公式に禁じた大会決議の事実上の最初の例、すなわちわれわれの労働運動が知るかぎりでの最初の例は、わずらわしい「文士」に苦情をいったり、“シュトルム・ウント・ドランク”派をからかうのと同じ論法に論法によって貫かれている。社会民主主義の戦列内における「思想の自由が抑圧された」とさわぐ旗持ち連、すなわちハイネやダーフィト等の同志たちが、彼らの被保護者が現実に迫害された戦場に、今回はたして出陣するかどうか、われわれは注目したい。

 そしてまた、ベルンシュタインの「自由なる研究」は当時実際に不愉快で不毛な蒸し返しにすぎず、その張本人は、「あたかもけだものをぐるぐる引き回すように」、党を彼の疑念という全く「不毛な理論の荒野」にくりかえしひきつれていった。ところが、政治的大衆ストライキの問題は、全く新しい実り豊かな社会的認識と歴史的認識、労働者階級にとって理論的にも歴史的にも非常な重要性をもって初めてひらかれるにちがいない領域を提供することだろう。そして、大衆ストライキ問題をめぐって何か科学的な議論が切実に要求されるとすれば、またケルン大会の禁止決議に何かまぎれもない矛盾が生じるとすれば、それはこのような決議の報告者および代弁者の議論をおいてはほかにない。決議自身は、大衆ストライキの実行やその討論に対していかなる実践的意味ももっていない。ところが、その議論展開ならびにその議論の水準にこそ、この問題をめぐるケルン表明のまさに中心点が存在する。この議論こそは、メーデーをめぐる討議とともに、明白なる「時代の象徴」である。

                   U

   国際社会民主主義が大衆ストライキ問題に関与して以来、議論の第一の基礎、まさにあらゆる討論の出発点は、一方では労働組合的ゼネラル・ストライキと政治的ゼネラル・ストライキとの区別であり、他方では政治的ゼネラル・ストライキに関するアナーキスト的見解と社会民主主義的見解との区別である。このような大衆ストライキの基本的なタイプの区別は、理論的に不可欠であるのみならず、歴史的にも根拠のあることなのである。その間にも、国際労働者運動はすでにそれぞれの種類の試みを――種々異なった結果を伴ったが――なしとげているのである。これらを混同することは、理論的にも実践的にも、例えば労働組合に関してブルジョア教授が労働者同盟と企業家連合とを「利益代表」として同一の範疇に一括するのとほとんど同様である。労働組合的ゼネラル・ストライキと政治的ゼネラル・ストライキ、またはアナーキスト的なものと社会民主主義的なものとを区別しえない者、ある特定の賃金闘争を支援する労働組合的連帯ストライキの考えと共通の政治的権利を獲得すべき労働者階級の全般的な政治的大衆決起の間にいかなる区別も認めない者、普通平等選挙権の獲得をめざした一八九三年のベルギーのゼネラル・ストライキや現下のロシアにおけるゼネラル・ストライキと、バクーニン=ニューウェンホイス型の狂気の考え、すなわちピストルから発射されたゼネラル・ストライキが社会主義体制をもたらすという考えとを区別しえない者、すなわち全事実から初歩的なことさえも理解しない者――このような連中とは議論の余地もない。彼らにたいしては「まず最初に学びたまえ」とせいぜい忠告することができるだけである。だが、ケルン労働組合大会でわれわれは何を聞いただろうか。報告者であるベーメルブルクは、労働組合的連帯ストライキが公安を害するおそれがあるということについて長々と駄弁を弄し、次には全く唐突に最近の不運な製瓶労働者のストライキから「社会的ゼネラル・ストライキ」に雄弁を駆使した。ここで彼は典型的なアナーキストの馬鹿者どもに対して機智の勝利を座興にわく公衆の前に披露したのである。そして最後にまたも唐突に政治的防衛ストライキの批判にまで言及し、これを俗悪きわまりないデマゴギーでもって即座に冥土の世界に投げすてたのである。すると大会は、『フォーアヴェルツ』の報ずるところによれば、「ほぼ演説者の一節ごとにその最後の一句にいたるまで喝采をもって応えた」のだ!より注目すべきは第二のゼネラル・ストライキ反対者、ライムペーターの議論である。彼は率直かつ大胆にも「アナーキスト的ゼネラル・ストライキと政治的大衆ストライキの区別など私は認めることができない」とのべている。そして彼はこの議論から、そこでこの問題のより一層の討議が必要であり、いかなる議決も時間尚早であるという唯一の正当な結論を導くのではなく、逆に無知と判断力の欠如からあらゆる種類のゼネラル・ストライキを否認すると結んだ。

 しかも彼は、何度も粉砕されたところのかの惨めなアナーキスト的ゼネラル・ストライキという藁人形に二、三の冗談をとばして、「爆笑」をもって報いられた。この労働組合大会で公然と発せられたこの賑やかな笑い声は、ブルジョアの上流家庭で社会主義的「未来国家」を論じるさいにみられる爆笑の渦を思い出させた。

 三頭政治を補うべくロベルト・シュミットは、「経験の教えるところによれば、この種の大闘争から労働者階級にとって何か持続的な利益がもたらされたことはない。むしろ逆に反動が強化されたのである」と言明した。「経験」は――政治的大衆ストライキの領域においてこれまで理実になされた唯一の経験である一八九三年のベルギーのゼネラル・ストライキと最近のロシアにおけるゼネラル・ストライキは、まさに輝かしい成果を証明している!(一九〇二年四月のベルギーにおける最近のゼネラル・ストライキの敗北は、明らかにここでは考慮に入らない。これはせいぜいのところ、いかにして政治的ゼネラル・ストライキが挫折しうるかという経験を提供するものであって、いかにストライキを遂行すべきかということについては何も教えない。)

 最も有力な労働組合指導者たるロベルト・シュミット、ベーメルブルク、ライムペーターのような同志がこれらの事実について無知であるとはとても信じられない。彼らの見解と著しく矛盾する事実を彼らだってよく知っている。だが、彼らおよびケルンで彼らの演説に賛同した大部分の労働組合活動家に欠如しているのは、外国におけるゼネラル・ストライキの教訓にたいするより深い理解であり、真執で偏見にとらわれない洞察である。ドイツの労働組合実践家は、ベルギーを半ロマン系民族で「軽薄」な国であると見下し、明らかにその実験は深い研究に値するものではないと見ている。そしてロシア、さてロシアは「野蛮な国」である。そこではキツネが夜のあいさつをする。また、そこでは一杯に満たされた労働組合金庫や労働組合中央委員会、あるいは専従の労働組合幹部連の痕跡さえ全く見られない。ここからゼネラル・ストライキに関してかりそめにも何か判断を下すことは「ナンセンスの極み」である、と謹厳にして「老練」なるドイツ労働組合家は考えるに至る。しかし、まさにロシアにおいてこの闘争方法はかつてない壮大な実践をみいだしたのであり、これは全世界の労働者にとって、教訓かつ模範となるだろう!
 ゼネラル・ストライキの反対者はすべてかならず実践的な「経験」に言及した。「経験」が討論の基調となり、これが「理論」や「文筆家」そして外国に対して反駁する標語となった。そして、これらすべては、政治的ゼネラル・ストライキをいまだかつて経験したことのない国の「経験」という高みからなされたのであった!
 実際のところ、ゼネラル・ストライキの全討論にみられた基調は「経験」ではなくて、偏狭さであった。ドイツの労働組合大会のうち、たしかにケルン大会ほど偏狭さに満ちたものはかつてなかった。うぬぼれとおめでたと自己過信にみちた偏狭さ、自己陶酔のうちに大いなる喜びをみいだす偏狭さ、自分にまったく理解できない国際的労働者運動のすべての経験にたいして超然としている偏狭さ、歴史的産物にたいして判決を下しうると思いこむことができる偏狭さ、大会決議などは真面目に考えることがない偏狭さ。このような偏狭さは、メーデーの理念を潔く捨てさることとほとんど変らない。そしてこの同じ偏狭さは、結局、われわれにたいして「まあ心配することはない!反動はわれわれに何もできやしない!反動が選挙権も、団結権も、すべての権利をわれわれからやすやすと奪っても、われわれはまだ強力であるのだ!」と約束する。これを、重大な大政治決戦に際して労働者を無責任な態度に沈静させるものであるといわずして、何をデマゴギーといい、何を労働者にたいする誤った指導ということができるだろうか。

 たしかにわれわれは現に強大であり、将来勝利するだろう!われわれは反動のあらゆる陰謀にも勝利するだろう。だがそのことは、すべての権利をやすやすと奪わしめ、軽薄にもメーデーのような闘争手段を放棄することによってではない。


●関連発言ログ
2003年
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補足:ローザとベルンシュタインの共通性 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日:12月28日(日)05時57分37秒

通常は左派と右派として正反対に描かれることの多い二人だが、こんなところにも二人の共通性はあるようだ。

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版
亀嶋庸一著『ベルンシュタイン──亡命と世紀末の思想』評者:福田 富夫 より

“ここでは本書第II部の内容を簡単に見ておきたい。
第1章。世紀転換期,大衆社会化状況の展開が始まりつつあった時期,独においてこの時期の大衆社会化現象を示す最も典型的な例がドイツ社会民主党であった。大衆化と官僚制化の進展に対してカウツキー,ミヘルス,ベルンシュタインがどう対応しようとしたかがこの章の課題である。
 カウツキーが労働者の組織はその特殊な性格のゆえに官僚制化の問題が深刻化しえないとしたのに対し,ミヘルスはまさにその特殊な性格のゆえに寡頭制の弊害を最もひどく被らざるをえないと見た。ベルンシュタインはカウツキーによって楽観的に描かれた社会発展の一般法則を批判し,同時にミヘルスの悲観的な社会像の克服を試みた。ベルンシュタインにとって社会主義とは,何の不満もない,管理された満足の支配する社会の実現ではなく,官僚主義化と大衆化に対峙する諸個人の主体的な活動によって支えられた,不断の批判的な運動でなければならなかった。
 第2章。ウェーバーは社会民主党内の「修正主義」の運命を,党組織を「自己目的」とする「党受禄者層」の利害関心との関係から説明し,彼らの「保守的な利害関心」が党による古い世界観の放棄と新たな戦術の採用を困難にさせると見た。一方ベルンシュタインは,1905年の大衆ストライキ論争の際に,ルクセンブルクとは異なる視点からではあったが,普通選挙権防衛および獲得の手段としての大衆ストライキの可能性を党が真剣に検討すべきであると主張した。ウェーバーは「街頭デモンストレーション」に関するベルンシュタインの考察とその運命が社会民主党の先行きに持つ重大な意味を注視していた。ここにベルンシュタインとウェーバーの交錯を見ることができる。
 第3章。大衆社会化状況における政党の組織化についてオストロゴルスキーとウェーバーの立場は全く逆である。前者が,政党官僚であれ,「カエサル的」指導者であれ,彼のいう「真の民主主義」の実現をもたらすものではないとするのに対し,後者は「普遍的官僚制化」の下で官僚的精神と異なる「指導の精神」をいかに確保するかという観点から,「人民投票的形態の台頭」に官僚主義の弊害と情緒的大衆民主主義の危険性とに抗しうる対抗要素が求められた。”

資本主義の変容に対してそれぞれの立場からアプローチをしたローザとベルンシュタインではあるが、共に官僚制のもたらす弊害についての認識や大衆ストライキへの評価には共通性を感じさせる。
すると、(レーニン、ローザ)対(カウツキー、ベルンシュタイン)という軸とともに(ローザ、ベルンシュタイン)対(カウツキー、レーニン)という軸も考えてもいいのかもしれない。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/shohyo/fukuda2.html


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社会主義と官僚制>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日:12月28日(日)12時07分9秒

基礎資料のご紹介、打込みだけでも大変でございましょう。特にアーベントロートの所論のご紹介、ありがとうございました。わたしこの本、前に手放してしまって、また買い直そうかと考えていた矢先でございました(とうに絶版でしょうか)。

「官僚制」といえばウェーバー、というのが社会科学のかけらなりと口にした者の脊髄反射みたいなものですけど(苦笑)、SPDの官僚化についてもウェーバーは鋭い目を向けていたと伝えられております。ベルンシュタインとも交流があり、一時期はSPDに入党することも本気で考えたウェーバーは、党大会を傍聴してその無気力ぶりと官僚化を直に感じ取ったらしいのですね。

ここで思い出すのは、先日名前を出されたカストリアディスの所論。ソ連社会主義と戦後資本制を共に「官僚制」で串刺しに特徴づけた初期の代表論文「社会主義か野蛮か」には、次のような重大な指摘がみえます。

「一連の国々における新しい官僚階級による伝統的ブルジョアジーとのこの交代は、その官僚階級の根源が大概の場合、労働運動それ自身であると見られるだけに、いっそう重要である。実際、〈労働者の〉諸組合や諸政党の指導者階級こそが、それらの国で第一次、第二次の帝国主義戦争のあとで権力を握り、技術者たち、行政官たち、活動家たち等々からなる新指導者階級を周りに結晶化させた、その中核をなしたのだった」(江口訳『社会主義か野蛮か』p.5)。

労働者階級は、ただ物質的「豊かさ」を享受したにとどまらず、「権力」の一角をもなす存在となったわけでしょう。いえ、むしろ逆に、権力配分に組み込まれたからこそ利益配分にも与れたのかもわかりません。

顧みますと、「冷戦」として特徴付けられた戦後の東西対立は、「国民国家」を超えたふたつの超官僚制に世界が分割されたシステムであったと申せましょうか。その世界システムが60年代からきしみを露わにし(ベトナム戦争と「プラハの春」と大衆反乱)、80年代にはともども絶望的な制度疲労に陥り90年前後に崩壊へ至った、と。崩壊は集権制と行政機構への依存度が高かった「東」側では劇的な体制瓦解となって現れましたが、80年代の「反ケインズ革命」から今日に至る新自由主義の「西」側でも、行政権力と市場経済との均衡が失われたという意味では似たような過程とみることも許されましょう。ここに露呈した「市場の暴走」は、人類の生存と再生産の基底にまで侵蝕を深めている点、「野蛮」でなくて何であろうか、「グローバリゼーション」とはこの「現代の野蛮」の地球的現象ではないのかと思うことしきりでございます。

怪物カストリアディスの所論に本気でお付き合いしてしまうと、マルクス主義離脱の道へ誘い込まれそうですけど、“精神の冒険”を避けても守らねばならぬようなもの、わたし特には持ち合わせてもいないのですね(苦笑)。彼(ら)の問題指摘は4半世紀、あるいは半世紀も時代に先駆けていたのかなとも思います。日本での紹介は遅かったようですがフランスでの反応はどうだったのでしょう?

「社会主義か野蛮か」――そういえばローザ・ルクセンブルクにも同名の論文だか演説だかございましたね、たしか。ローザというと昔に読んだ『選集』はそっくり人手に渡って、手許には『蓄積論』と『手紙』など文庫がいくつか残っているだけで……。


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まとめてレス(1) 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日:12月28日(日)16時23分34秒

引用等大変長くなってすみません。

>鬼薔薇さま
>少し距離をとって世界認識のレベルで捉え直そうと考えますと、「修正主義論争」は「帝国主義論争」と密接不可分なのですね。「帝国主義論」から「修正主義論争」へと視線を向けたらどうなるのか、カウツキーやベルンシュタインなどの基本文献の入手がむつかしいのが難でございますけど、来年少し考えを進めてみたく思います。

いささか先走りしてしまいました。第八章とか第九章でやればよかったですね。

>ホブソンも幸徳もそうなのですが、非マルクス=レーニン系の帝国主義観はぜひ視野に置きたいですね。ホブソンの訳者・矢内原忠雄もそのひとりでしょうし、また、マルクス=レーニン系でもいわゆる「正統派」からはずれていた猪俣津南雄も。別に古本屋はじめようというのではなく、サイードやネグリなど現代の帝国主義批判の多様性を視野に置くのと同じ意味で、レーニン『帝国主義論』を歴史の中に相対化するうえでの心の構えとして、特に、精緻ではあるけれども狭い「経済学」の枠組みとレーニンにからみついてきた「党派性」の保守的心情から、「帝国主義」認識を解き放つ上で、ぜひとも必要と感じます。

幸徳のを読んでみて思ったのですが、ホブスンがかかる帝国主義への批判をコブデン風の自由貿易論やJ.S.ミルの自由主義からの視点で、つまりかの国の知的伝統の立場から展開しているのに対し、同じものを見ていても幸徳の場合にはそれから一直線に「社会主義」にいってしまうのですね。ここにその後の日本の知識人の辿る傾向を見ることもできますし、また、帝国主義の侵略にさらされた植民地・半植民地の知識人たちが帝国主義に対抗する上で雪崩を打って「社会主義」に傾斜していったこととも共通点があるのではないかと感じました。「レーニン『帝国主義論』は世界でどう受容されていったか」翻して言えば「なぜ人は社会主義に魅せられていったか」そんなことを意識しながら読んでいきたいと思います。

>歴史としての資本主義にとってはむしろ「自由競争〜産業資本主義」のほうが過渡的で「独占資本主義〜帝国主義」こそが常態であったと逆転して考えるべきかとさえ思います。「純粋資本主義」モデルが過渡期のモデルであり、それが「不純」になった状態こそ資本制の常態なのだとしたら「方法論」はどうあるべきか、などと、素人らしく身勝手で尊大な疑問が頭をよぎったりする年の瀬でございます。

私も「自由競争〜産業資本主義」期は過渡期でしかないのではないか、という感じを持ちました。というか個別イギリスの特殊段階と言い換えてもいいのかもしれません。とすると、それに依拠しているマルクス主義の段階発展論的革命理論は。。。。。。。(笑)

>TAMO2さま

>先に鬼薔薇さんは社会変革〜革命の書としての「帝国主義論」という提起をされていて、 小生もそれに同意しております。しかし同時にまた、レーニンは(世界)革命への志向の 余り、ベルンシュタイン修正主義批判を意識して、そしておそらく外部注入論のバイアス によって、「日和見主義の物質的根拠」を否定しようとして、上のような文章を書いた気 がしてなりません。逆に、大衆はその辺の「左翼革命主義」のいかがわしさを感知し、今 や左翼は大衆に影響を持たないのだと思います。

レーニンの外部注入論−典型的には「なになす」−は、トカチョーフ主義との関連が(個別ロシア的な要素として)よく言われますけど、第二インター的社会主義の範疇だと労働者に対する知識人の優位性、つまりプロレタリアートの自然発生性に対し、党の目的意識性を対置することを唱えたのはカウツキーその人だったと思います。そういう面といい、マルクス主義の正統性を争う態度といい、どこかレーニンはカウツキーを引き写した面があって、それがレーニンにおいてもあまり意識されてないがゆえにレーニンのカウツキー批判はかなり感情的なレベルに終始しているのではないでしょうか。その原文を引っ張ってくることを含めて第九章あたりで再度展開してみます。


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まとめてレス(2) 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日:12月28日(日)17時23分45秒

>鬼薔薇さま

>「一連の国々における新しい官僚階級による伝統的ブルジョアジーとのこの交代は、その官僚階級の根源が大概の場合、労働運動それ自身であると見られるだけに、いっそう重要である。実際、〈労働者の〉諸組合や諸政党の指導者階級こそが、それらの国で第一次、第二次の帝国主義戦争のあとで権力を握り、技術者たち、行政官たち、活動家たち等々からなる新指導者階級を周りに結晶化させた、その中核をなしたのだった」(江口訳『社会主義か野蛮か』p.5)。

>労働者階級は、ただ物質的「豊かさ」を享受したにとどまらず、「権力」の一角をもなす存在となったわけでしょう。いえ、むしろ逆に、権力配分に組み込まれたからこそ利益配分にも与れたのかもわかりません。

考えてみると日本も例外なくこの過程が進行していたのではないでしょうか。戦後の官僚主導型経済体制もその原型は戦時統制経済−革新官僚・無産政党・軍部革新派の合作でしたね。その延長線での「55年体制」はまさに二大官僚体制のミニチュア版であったということでしょうか。

>怪物カストリアディスの所論に本気でお付き合いしてしまうと、マルクス主義離脱の道へ誘い込まれそうですけど、“精神の冒険”を避けても守らねばならぬようなもの、わたし特には持ち合わせてもいないのですね(苦笑)。彼(ら)の問題指摘は4半世紀、あるいは半世紀も時代に先駆けていたのかなとも思います。日本での紹介は遅かったようですがフランスでの反応はどうだったのでしょう?

私も詳しくはわかりませんが、「パリ五月革命」にはかなりの影響を与えているはずです。特に「3月22日運動」などに。ダニエル・ゲランあたりを媒介としてフランス・アナキストの運動にも影響を及ぼしていたと思います。この辺はアナの人のほうが詳しいでしょう。

>「社会主義か野蛮か」――そういえばローザ・ルクセンブルクにも同名の論文だか演説だかございましたね、たしか。ローザというと昔に読んだ『選集』はそっくり人手に渡って、手許には『蓄積論』と『手紙』など文庫がいくつか残っているだけで……。

ローザで思い出しましたが、イタリア新左翼の一大セクトでアウトノミア運動をネグリ等の「ポテーレ・オペライオ」とともに担った「ロッタ・コンティヌア」はローザ主義の大衆の自発性と毛沢東主義の「党としての大衆路線」を結合させたユニークな路線をとってたみたいですね。確かにローザの絶筆となった(虐殺される前日の)『ローテ・ファーネ』の論説で「…指導部は失格した。しかし、指導部は大衆によって、大衆のなかから新しく創りだされうるし、創りだされなければならない。決定的なものは大衆である。大衆こそが、その上に革命の究極の勝利が築かれる岩盤なのだ。大衆はすでに先頭に立った。だからこそこの「敗北」も、インターナショナルな社会主義の誇りであり力である一連の歴史的な敗北の、ひとつに数えることができる。だからこの「敗北」からは、未来の勝利が花とひらくだろう…」(『ドキュメント現代史2 ドイツ革命』 平凡社 p.128)と書いてあるのを見ると、例の毛沢東の有名な言葉が想起されます。


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異論というほどではないのですが>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日:12月31日(水)21時06分42秒

>資本主義の変容に対してそれぞれの立場からアプローチをしたローザとベルンシュタインではあるが、共に官僚制のもたらす弊害についての認識や大衆ストライキへの評価には共通性を感じさせる。
すると、(レーニン、ローザ)対(カウツキー、ベルンシュタイン)という軸とともに(ローザ、ベルンシュタイン)対(カウツキー、レーニン)という軸も考えてもいいのかもしれない。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/shohyo/fukuda2.html

ここでレーニンがカウツキーと同列に置かれるのかしらと思っていたのですが、ご紹介の上記書評を読みましたところ、書評氏の考えは少し違うようですね。

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 第2点。著者も本書で述べているように(13頁),ベルンシュタインは思想家ではなく,レーニンやルクセンブルクがそうであったように職業革命家であった。従って彼の思索は全て実践的課題と密接に結びついていたと考えるべきではなかろうか。当時のドイツ社会民主党は,周知のように,マルクス主義的革命言辞と理念なきなし崩しの改良主義的実践の混合物であった。ベルンシュタインは後者を基礎づける新たな理論化を試み,左派のルクセンブルクらは反対に,革命原則に則って党の実践を鍛え直そうとした。またレーニンは『帝国主義論』によって資本主義の不均等発展を理論化する。新しい現実に直面して,彼らもベルンシュタインとは方向性こそ違え,従来のマルクス主義の見直しを行った点で共通していたのである。
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レーニン、ルクセンブルク、ベルンシュタイン、三者三様に「カウツキー的なるもの(制度化されたSPDマルクス主義)」に挑戦したという構図でございます。わたしにはこのほうがピッタリくるのですけど、でもこれ以上は、当の本に当たらないといけませんね。

評者紹介の目次を見ますと

 第二章 ウェーバーとドイツ社会民主党
 第三章 オストロゴルスキーとウェーバー
 補論  「修正主義論争」とウェーバー
     ─『ブラウン・アルヒーフ』から『ウェーバー・アルヒーフ』ヘ

とあり、ウェーバーの比重がかなり大きいようで、問題を「官僚制」という軸で切ってみようとする関心からも、通りすぎるわけにはまいりません。他方ウェーバーはロシアの革命にもただならぬ関心を寄せ事態を注視していたとか。すると「ウェーバーとレーニン」というのもひとつの問題軸になりそうに思います。もちろん18年11月というときに「気の狂れたリープクネヒトの一味を直ちに鎮圧せよ」と叫んだ人ですし、何より独露国境に隔てられていたわけですから、このふたりの距離はルクセンブルクとベルンシュタインとの間隔よりはるかに大きかったわけですけど。

このあたり、ウェーバー研究のほうでどう扱われてきたかは不案内でございますが、またひとつ興味深い書物の存在を知りました。ご紹介にお礼申します。m(__)m


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RE:異論というほどではないのですが>鬼薔薇さま 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日:12月31日(水)23時51分57秒

今日やっと今年最後の仕事が終わりました(笑)。

>レーニン、ルクセンブルク、ベルンシュタイン、三者三様に「カウツキー的なるもの(制度化されたSPDマルクス主義)」に挑戦したという構図でございます。わたしにはこのほうがピッタリくるのですけど、でもこれ以上は、当の本に当たらないといけませんね。

ああ、これはこの本の話ではなく私の見方です。混乱させるような書き方ですみません。で、普通の理解だとそうなりますが、私の中ではいわゆる西欧マルクス主義的な理解におけるカウツキーとレーニンの共通性という否定的な面だけではなく、「民族」についての理解とか、肯定的な面でもカウツキーとレーニンの共通性はあると思っているのです。(その場合も対抗軸はベルンシュタインとローザですね。)オットー・バウアーにしてもそうですが、今までは正統派的解釈の上でしかレーニンの論敵(ベルンシュタイン・カウツキー・バウアー)を判断せず、その著作も省みられることがなかったのですが、今はかかる「党派性」から解放されていろいろな研究がでるようになって初めてわれわれは第二インター期の論争の全体を、したがってその中のレーニンの立場性を理解できるようになったのではないでしょうか。私たちの進めているレーニン『帝国主義論』の読み直しも、またそこから新しい「レーニン」を生み出せるといいですね(笑)。

>他方ウェーバーはロシアの革命にもただならぬ関心を寄せ事態を注視していたとか。すると「ウェーバーとレーニン」というのもひとつの問題軸になりそうに思います。もちろん18年11月というときに「気の狂れたリープクネヒトの一味を直ちに鎮圧せよ」と叫んだ人ですし、何より独露国境に隔てられていたわけですから、このふたりの距離はルクセンブルクとベルンシュタインとの間隔よりはるかに大きかったわけですけど

私もウェーバーには注目しています。ここでもまた、政治的党派性から自らを解き放って新たにウェーバーを読み直す必要があるでしょうね。ただしウェーバーの場合にはその「西洋中心主義」を相対化する作業が必要となるわけですが。

では、今年もあとわずかになりましたが、皆さんよいお年を。


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ちょっと酔っておりますけど>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 1日(木)11時55分28秒

大晦日までお仕事とは、ごくろうさまでした。お正月はぜひごゆっくりお酒など。 わたしもこれで三賀日はネットお休みといたします。

>普通の理解だとそうなりますが、私の中ではいわゆる西欧マルクス主義的な理解におけるカウツキーとレーニンの共通性という否定的な面だけではなく、「民族」についての理解とか、肯定的な面でもカウツキーとレーニンの共通性はあると思っているのです。

たいへんに挑戦的な問題提起ですね(^^)v。やはり「民族」は独自の問題領域として取り上げる必要に迫られてきた感じを深くいたします。

オットー・バウアーの大部な本は買ったはいいのですけど未読(^^;。いわゆる「オーストロ・マルクス主義」についてはほとんど無知。でもあの時期、オーストリア――というか、戦後「東西対立」で見えにくくなった「中欧」――という文化圏の存在を抜きに「ヨーロッパ」は語れませんね。ヒルファディグもヒトラーもオーストリア人ですし、ルカーチもハンガリーからドイツへ留学してウェーバーの周辺にいたり。

ひどく大ざっぱになりますけど、第一次大戦というのは、かつての「大帝国」が最終的に退場した転機だったかと思うのですね。ロシア、トルコ、そしてオーストリア・ハンガリー、少し早くに東方の清。トルコの場合はそれに先行してケマルの革命はありましたが中東でのその支配力は第一次大戦まで続きました。これら大帝国がほぼいっせいに崩れていくところから、「民族問題」が噴出し、そこから今日に至っているように考えられるのでございます。

かつては「民族」とくれば「独立(国家形成)」ですむように思われておりましたが、実はそんなふうには完結しえない深くて暗い淵が開いてしまった感がございます。なによりその深さと暗さを示すのがユダヤ・パレスチナ問題でございましょう。英仏露の中東分割秘密協定を帝国文書館から見つけ出して大公開してしまったのは、やはりロシア革命の世界史的な功績と思いますけど、でもレーニンのユダヤ人問題理解はおおきに問題と思います(「ユダヤ人ブント問題」)。他方、ウェーバーは周辺のユダヤ系知識人の問題ではずいぶん苦労して彼らを守っていたらしいのですね。

>ただしウェーバーの場合にはその「西洋中心主義」を相対化する作業が必要となるわけですが。

確信犯ですからねえ、あの人(笑)。「西洋万能主義」が崩れていることを敏く感じ取ったところに発する「西洋中心主義」は、半端ではございません。

さて、醒めかけてきたのでまた呑み直しましょう。
他の皆さん「新党結成」で上方を奔走されているとか。東京は静かそうでございます(笑)。

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亀嶋庸一『ベルンシュタイン』 投稿者:ストリング  投稿日: 1月 2日(金)12時10分48秒

亀嶋庸一『ベルンシュタイン』本の、ちょっとした追加情報です。

亀嶋さんは、研究者としては、もともとウェーバーから出発されたようです。
ウェーバー『プロ倫』中、クエーカー教徒研究にかんして、何回かベルンシュタインへの言及があった。なぜ、ベルンシュタインは英国亡命中にクエーカー研究をしていたのか、というあたりが亀嶋さんにとってベルンシュタインへの入口だったようです。

ベルンシュタインは七八年にスイス移住。八八年にスイス追放、英国亡命。ドイツ帰還は〇一年。
「英国革命史研究」(当時の英国の歴史家たちに「学問的なトレーニングも受けていないドイツの社会主義者がイギリス革命史研究に新しい発見をもたらした」といわせた、「ディガーズ」の指導者ウィンスタンリーの「発掘」)までやった、ベルンシュタインにとっての世紀末英国体験とはなんだったのか。
亀嶋によれば「彼のイギリス体験には、イギリス革命史研究を通じて社会主義とエートス(精神構造)との関係を重視にいく側面と、大衆社会のダイナミズムに対する危機意識を強めていく側面との二つがあります」。この「高度資本主義における大衆社会のダイナミズムに着目」がベルンシュタインと亀嶋をつなぐ線のようで、亀嶋『20世紀政治思想の内部と外部』 (2003) では主要にシュミットとアレントをとりあげてました。

(以上、参考、亀嶋庸一「「修正主義」とは何であったのか? ‐ベルンシュタインと社会民主主義」「M&R研究会レヴュー」18号 (2001) 。電子化されてないようなので、当時購入した冊子を引っ張り出してみました)。

それでは。


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RE:亀嶋庸一『ベルンシュタイン』>ストリングさま 投稿者:蘇丹・加里耶夫  投稿日: 1月 2日(金)17時36分23秒

資料の紹介、ありがとうございました。

「Marxism & Radicalism研究会」のHPを見てみたのですけど、なかなか面白そうですね。前回(12月20日)の公開講座は亀嶋庸一さんが講師だったようですし。

これからもよろしくお願いします。


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RE:亀嶋庸一『ベルンシュタイン』>ストリングさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 4日(日)21時01分17秒

>ウェーバー『プロ倫』中、クエーカー教徒研究にかんして、何回かベルンシュタインへの言及があった。なぜ、ベルンシュタインは英国亡命中にクエーカー研究をしていたのか、というあたりが亀嶋さんにとってベルンシュタインへの入口だったようです。

『プロ倫』でのクエーカーは、もっぱらアメリカ・プロテスタントの特異例という扱いだったかと記憶いたします。なぜあそこにベルンシュタインが顔をのぞかせるのか、ちょっと妙に思っただけで通りすぎてしまっておりました。まことに古典とは、いろいろな角度からの「読み」を招き寄せるものなのかなと、あらためて感じ入りました。

「硬直した革命的イデオロギーにしがみつきながら、じっさいにはそれとうらはらに革命的情熱を失い、物質上の生活利害に汲々とするゆがんだ姿――ウェーバーが批判したのは、そうした社会民主党のみにくい内情なのであった」(濱島明「社会主義をめぐるウェーバーの思想と行動」、講談社学術文庫版『社会主義』巻末〈解説〉)。

ありし日の「最大野党」とその末路が思い浮かびますね(苦笑)。わたしベルンシュタインは、かつて「諸前提」を一読したにすぎません。三賀日も終り、この際ぜひ表題書について勉強したく思います。

>この「高度資本主義における大衆社会のダイナミズムに着目」がベルンシュタインと亀嶋をつなぐ線のようで、亀嶋『20世紀政治思想の内部と外部』 (2003) では主要にシュミットとアレントをとりあげてました。

シュミット〜アレントと並べられると、ものごとの(20世紀的?)非合理性が浮き立ってきそうですね。「修正主義」というと、ものごとの合理的(=現実的)な側面のみに視野を切り縮める政治傾向をイメージしてきたかと思いますが、むしろカウツキーやレーニンのほうが伝統的な「合理主義」や「啓蒙主義」の思考様式を強く引いていたのかもわかりません。そのあたりも洗い直してみなければ、と考えさせられるご紹介をいただきました。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m

2004年
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ベルンシュタイン評価 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月 6日(日)01時22分33秒

ここでは先に亀嶋庸一著『ベルンシュタイン』(みすず書房)が取り上げられたところですけど、4トロ3次会で野次馬の視線さんが“ベルンシュタインを高く評価する、現役の日本共産党地方議員のサイト”として下記をご紹介です。

http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/1bu-kyou-018.htm#top

ご参考までに>ALL