臨時掲示板
海 峡
―2004年7月19日〜9月30日―
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【追記】
その後チョン・ウォルソンさんは「海峡を越えた歌姫」を執筆され、第13回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞、『海峡のアリア』として小学館から刊行されました。(2006.12.16)
【参考】
対談〔田月仙+坂中英徳〕「脱北帰国者は我々の行動を待っている」(『中央公論』06年11月号)
さようなら…。 投稿者:月姫ファン 投稿日:10月 1日(金)00時00分36秒
ウオルソンさん、リサイタル行きます!
ありがとうございました 投稿者:ふむふむ 投稿日: 9月30日(木)09時21分17秒
席亭の鬼薔薇さん、参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
投稿者としてはあまり参加できなかったのですが、ロムだけはしっかりさせて頂いておりました。
今後もウォルソンさんへの暖かいご支援、「在日」問題へのご理解、そして、21世紀の新しいアジアの創出のための共同・ご助力、よろしくお願い申し上げます。
皆さんのご健勝を願って。
どちらさまもごきげんよう(^^)/~ 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月30日(木)09時02分24秒
この臨時掲示板にお寄せいただいたご厚情に尽きぬ感謝の心を込めて、今夜零時で閉じさせていただきます。ウォルソンさんのあさってのリサイタルには、ここにおいでいただいた皆さまの想いもきっと届くことでしょう。
鍋山さま、セクトNo7さま、「海峡」を愛する者さま、 なおじょんさま、そしてチョン・ウォルソンさま、それぞれ想いのこもったメッセージをありがとうございました。また、メールをくださった皆さま、ありがとうございました。m(..)m
当掲示板の支柱となりましたテレビ・ドキュメンタリー「海峡を越えた歌姫」のコンテは、下記に掲示していただいております。ありがとう!>社会主義者さま
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/kaikyou.htm
またネット空間のどこかでお会いできることを念じつつ、この場はこれにてお別れいたします。
鬼薔薇
またお会いできる日まで。 投稿者:チョン・ウォルソンです。 投稿日: 9月29日(水)18時56分12秒
リサイタル直前ですので思いのたけを落ち着いて書き記す事は出来ませんが、一言御礼を申したくて書かせて頂いています。本当に言葉では言い尽くせない熱い思いをもって、心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。私にとってまた一つ宝物が増えました。そして新たな学びとなりました。
いつの日か巡り会えると願い、信じて、感謝の言葉とさせて頂きます。 わが心の鬼薔薇さまへ。 田月仙
鬼薔薇さま 投稿者:なおじょんです 投稿日: 9月28日(火)21時51分17秒
お久しぶりです。
この海峡を閉店すると聞き、最後ですがご挨拶と思って書き込みさせて頂きます。
内容の濃さについていけなく残念でしたが、お会いできて嬉しかったです。
今後どこかですれ違っているかも知れませんが、お体には気を付けて頑張ってくださいね!
私も頑張ります!
ではお元気で・・・。
「海峡」掲示板への惜別の念 投稿者:「海峡」を愛する者 投稿日: 9月23日(木)15時08分23秒
「海峡」掲示板を愛する者ですが。本当に残念です。ROMばかりでしたけど最後に書き込みます。
田月仙さんの歌は本当に魂の響きだと思います。2004年の現在から彼女が今後何度リサイタルをやられるかわかりませんが、そんなに回数が多くないので、私にとって生で聞くことは、まさに一期一会の思いです。そこにはテレビで伝わらないものがあります。
僕らが現在マリアカラスや金永吉の歌を生で聴きたいと思っても、崔承喜の踊りを生で見ることもできません。田月仙さんの歌もいつかはそうなります。だから10月2日のリサイタルも行きます。掲示板を見ている方で生で見ていない方は見るべきだと思います。
この掲示板もその気持ちが背景にあり見ていました。
最後に管理人さんへのお願いです。今までの過去ログを送ってください。メールアドレスを書いてますので、そこに送ってください。
ありがとうございました 投稿者:セクトNo7@味噌っかす派 投稿日: 9月21日(火)23時50分6秒
鬼薔薇の姉さん
短い間でしたが掲示板開設ありがとうございました。めぐり合わせといいますか、来年から某所で音楽論みたいなの書く羽目になりました。この掲示板でホップの第一歩が出せたのかなと?今は感謝しています。
またの機会にお目にかかることもあると思いますが、今後ともよろしくお願いします。どこかの板でお会いすると思いますが。(姉さんの勉強会は、私の学ではついていけません。 大汗)
掲示板の最初の有料サイトからの引用部分(消えてしまったところ)をほしいんですが、メールで連絡しますんでお願いします。
閉店「在庫一掃セール」 その1. 投稿者:鍋山 投稿日: 9月21日(火)20時32分28秒
誰か、その2.やってね!
★社会主義者さんの「アフガン・イラク・北朝鮮と日本掲示板」
http://8330.teacup.com/netkikaku2/bbs
この間、議論されてきた「北朝鮮帰還事業」についての資料が、HPにアップされました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/nk01.htm
《掲示板の論点7》 帰還事業 参考資料
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/ronten7.htm
・読売も産経も「提灯記事」を書いていた。
・多くの地方自治体が「推進決議」をあげていた。
・民団の一部が反対しただけで、右から左まで全ての政治勢力推進した。
したがって、「総連・社共・左翼マスコミが騙した」のは一面的で、
事実は「日本全体の合意の中で行われた。」ということです。
・ネットで読めるものでは、金英達さん(元RENK代表・故人)のこの論考が、
もっとも的確でまとまっていると思います。
『北朝鮮への帰国事業について』 金英達(キム ヨンダル)
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/renk_archive/renk03yd1.htm
★「在日の星」ホンチャンス徳山昌守 再起に向けて始動!
http://www.chang-su.com/
この7年、もっとも在日の声援を受けつづけてきた徳山昌守くんが、
ノックアウト負けから半年、充分な休養をとって始動した。
いつのタイトルマッチでも、国歌ではなく「我らの願いは統一」を歌い、朝鮮半島を青く描いた「統一旗」を掲げた。
「板門店でのタイトルマッチ」を夢見たが、「9.17」後の薄汚い中傷の中で掲示板は閉鎖に。
しかし、その完璧なボクシングと、ニュースステーション出演などで見せた爽やかな好青年ぶりに、多くの日本人ファンからも声援をおくられている。
掲示板
http://6804.teacup.com/sakurasystem/bbs
★北朝鮮に肉薄し、最も優れた取材をしてきた石丸次郎さんの講演会です。
第10回 北朝鮮はどうなっているのか? 民衆の苦難を考える
講師 石丸次郎さん
著書『北朝鮮難民』(講談社新書)
「アジアプレス・インターナショナル」
http://www.asiapress.org/
とき '04年10月17日(日)1:00〜5:00
ところ 【ラポール日教済】ご案内図
東京都新宿区山吹町10-1 TEL(03)5228-2675(直通)
資料代 \500(高校生以下無料)
主催・拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い
http://tsudoi0720.at.infoseek.co.jp/index.html
閉店にあたって 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月20日(月)19時32分11秒
7月下旬に開きました当掲示板、おかげさまで多くの方々のご来訪・ご発言を得て、とても雰囲気よく中身の濃い場に育てていただきました。わたしにとっても学ぶところまことに多く、主宰者として悦びこれにすぎるものはございません。お書き込みいただいた皆さま、そしてROMの皆さまに、あらためて厚くお礼申し上げます。m(..)m
8月末に「そろそろ閉店準備」と書きましたところ、何人かの方から継続のご希望が寄せられました。それぞれに暖かいお言葉も嬉しく、以来いろいろ考えましたが、テレビ・ドキュメンタリー「海峡を越えた歌姫」を素材に感想・意見を交換するという目的は一応果たせたと思いますし、その目的に即して設けた場は、やはりこのあたりで閉じるのが順当であろうと思います。
開設にあたって、わたし次のように書きました。
《在日歌手チョン・ウォルさんの海境を超え歴史を貫く音楽活動を凝縮したこの番組は、日本と韓国・朝鮮関係、朝鮮半島の分断の歴史的意味を、水底から響くように問いかけていると存じます。「戦後世界」とは何だったか、いったいこの「日本」とはいかなる国か、さらには、人間にとって「国」とはそもそも何なのか、そんなことも。》
この問いかけに心を開き・耳を傾け・答を探していくのは終わりなき旅のごときもの、その意味で「継続」のご要望には十分な理由があろうかと存じます。けれどもそれは、今のかたちのままで果たせる課題とも思えません。この場は、チョン・ウォルソンさんの活動により密着した方向とするか、それともウォルソンさんから「自立」して“日本と韓国・朝鮮関係、朝鮮半島の分断の歴史的意味”そのものに直裁に向き合うか、ひとつの分岐点にきたように思うのですね。先月末あたりからご発言が目だって減っているのも、そんな「賞味期限切れ」を端的に物語っているのではないでしょうか。
わたし自身は、この場でいただきましたご厚情・ご教示を踏まえてまた別なかたちで歩みを進めたく、特に、たとえ入門程度なりとコリア語を学ぶこと、個人的に大きな課題と思っております。もとより若くはない身とてさしたる期待は持てぬにせよ、せめてあのユニークな文字ハングルを読めたらと――隣国の言葉や文字を知らぬままあの世行きというのも心残りに感じますし(鬼笑)。
「海峡」というネーミングはほんの思いつき、登録商標でも何でもございません。志ある方の手で第二、第三の「海峡」掲示板が開設されるなら望外の喜び、その節はわたしもひとりの参加者として発言させていただきたく、よろしくお願いいたします。m(..)m
チョン・ウォルソンさんは来月のリサイタルに向けて鋭意準備を進めておられるところでしょう。ご盛会を信じつつ、ひきつづきのご活躍をお祈り申し上げます。今度のリサイタルには「高麗山河・わが愛」の作者・廬光郁さんもいらっしゃるとのこと、ご関心の向きはウォルソンさんの公式サイトをご覧いただきますよう。
http://www.wolson.com/
また、「海峡を越えた歌姫」再々放送に向けたふむふむさんのご努力がめでたく実を結びますよう、心より祈念しております。
わたし、まとまった発言はこれを最後にいたしますが、当掲示板は今月いっぱい開けておきます。あと10日ほどですが、どうぞご自由にお書き込みくださいませ>ALL
では皆さま、短い間でしたけど、ほんとにありがとうございました。m(..)m
どちらさまもごきげんよう。また機会を得てお目にかかりましょうね(^^)/~。
(無題) 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月19日(日)21時49分43秒
>むしろ機会があればぜひ見ていただきたいのは『南部軍』と『ホワイト・バッジ』です。
はい、機会あればぜひ。
>今のエンターテイメントが主流の韓国映画からするとかなり野暮ったいリアリズム的な映画ですが、当時は当然のこと、今見ても衝撃度は高いです。
むしろわたしなどには向きかと。
観たら感想などどこかで書かせていただきます。
みたび「鳳仙花」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月19日(日)11時12分30秒
社会主義者さんからご紹介のあった漫画「天上の弦」の原作『海を渡るバイオリン』、一気に読み通してしまいました。感想は語り尽くせぬほどございますが、末尾近くに、チョン・ウォルソンさんも歌った「鳳仙花」のことが出てまいりますので、その部分を抜書きして感想をしたためたく思います。
《「鳳仙花」は、日本の滝廉太郎のような存在である故洪蘭坡が作曲した韓国の愛唱歌だ。わたしが「鳳仙花」という曲にここでこだわったのは、母が好きな曲だったからというだけではなく、異国の地で活躍するほかなかった、韓国人移民の悲しさと望郷の念がこの曲にはつまっているからだ。そういう境涯に生きた人間にとっては、この曲は第二の国家といってよいだろう。……/「鳳仙花」という歌は、我々在外韓国人にとって、変な言い方だが、単なる歌以上の存在なのだ。それは、バイオリンで言えば、表の胴板と裏板を共鳴させる、なかに埋め込まれた魂柱のようなものである。魂柱はいわばバイオリンの魂だ。表の胴板が在住の外国、裏板が祖国とすれば、我々のアイデンティティを表す魂柱が「鳳仙花」なのだ》(p.324-5)。
故国の地で亡くなったお母さんの墓前で「鳳仙花」をバイオリンで奏でる、それもまた紆余曲折を経てようやく実現した鎮魂の営みでした。けれどもこの曲の歴史は、それ以上に著者の生涯に深く食い込んでいたのですね。
《この洪蘭坡という人は、語り尽くせないほどの恩を私にくださった篠崎弘嗣先生とは、国立音大のバイオリン科の第一期生として同級生だった。また、篠崎先生は、あのリヒャルト・ワーグナーの愛弟子で、韓国の国家の作曲者であり、日本でも度々指揮活動をなされた故安益泰先生にも紹介してくださった。安先生はチェロの専攻だったが、洪蘭坡と、篠崎先生の三人は、国立音大三羽烏といわれるほどの仲良しだった》(同)。
著者とこの高名な音楽家との出遭いについては、わたしここで貧相なご紹介をする気持ちになれません。ご関心の向きはぜひ本書についてお読み取りいただきたく思います。大事なことは、こうした信頼の糸とその網目のような広がりが人を生かし、生かされた人の語りの中に正史には出てこないだろう歴史がふわりと浮かぶように姿を現すということではないでしょうか。
そうした人と人とのつながりのなかでなんといってももっとも強い絆は、やはり親子の間のものかと、この本を読んであらためて思わされます。表紙を開けると扉の前にお母様の写真がド〜ンとあって驚くのですけど、このお母様の存在が著者・陳さんにとってどれほどのものだったか、巻頭の少年期からおしまい近くの墓前の演奏に至る間に確たるものとして語りだされてまいります。そういえば、カン・サンジュンさんの自伝でもお母様の存在感は無限の優しさと強さ、いえ勁さをたたえて動かしがたくございました。そしてチョン・ウォルソンさんのドキュメンタリーでも、テープに言葉を遺したお母様が。
この老練な楽器製作者の自分語りは、在日の方々の口の端に上る「祖国」「民族」という言葉に包み込まれているその本当の中身に思いを致さねば、これらの言葉を安易に使うことはできぬこと、そして日本人にとっての「祖国」「民族」とは何か、それは在日の人びとのそれとどこでどのように釣り合うのかを、染み入るように問いかけているものと思います。「天上の弦」――その音の響きは、わたしたちの呼吸するこの空間に聴き取るべきものなのでございましょう。
RE:感想>韓国映画から見た「在日」>鬼薔薇さま 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 9月16日(木)00時52分6秒
>“韓国は今まで在日韓国・朝鮮人の経済的成功に対するやっかみや日本人化に対する反発からか、在日に対して冷淡というか関心が薄かった”と指摘される事情は、あらためて朝鮮半島と「日本」との距離を問いかけているように読みました。
はい。多分ある時期までの韓国人の在日に対する見方というのは、ひとつには在日と「日本」を重ね合わせて見ていたのではないか、という面があるような気がします。以前は日本に行く韓国人も少なく、日本からもそう多くの人が来ていたわけでもなかったので(たとえば「キーセン観光」などというものも普通の韓国人と接する機会はほとんどなかったのではなかったかと)、韓国人からすると目に見えて「日本」の雰囲気を漂わせているものは韓国へと来た在日韓国人だけだったからかもしれません。そして在日韓国人が「故郷に錦を飾る」つもりで行う「大盤振る舞い」が韓国人からは「成金」の所業に見えたでしょうし、また日本円と韓国ウォンの差を利用してのいささか強引な商売は同じように「成金」を連想させたに違いないでしょう。
もうひとつの側面は在日の置かれた状況が韓国人からみるとそれ以前の植民地時代の「皇民化」を連想させていたのだと思います。「通名」を使い、韓国語を話せないことが、“われわれは立派な「独立の民」になったのに、在日僑胞はまるで日帝時代のように暮らしている”、“韓国にも戻らず、われわれの苦難の日々に日本人の足下でぬくぬくと暮らしている”等々。その辺が「冷淡」・「関心が薄かった」につながっていたのでしょう。
>「在日」の人びともまたこの落差から自由ではないところで考え・行動することを迫られておりましょう。
はい。上記に関連して言えば在日も無自覚に「日本」の状況を引きずっているという面があり、もちろん全部の在日韓国人が、というわけではないのですが、以前は韓国を「遅れた」社会として優越感を持つ人が結構いましたし、韓国に留学した若い子の中で韓国人のことを「原住民」呼ばわりしている人もいましたから。日本も韓国も《単一民族》という意味で(もちろん現実には違うのですが)、他者的存在にある種の統一性を要求する社会であり、この二つの社会の狭間で在日の若い子はもがき苦しみ、物事を斜に構えて見ることしかできなかった、そういう人も多かったのです。
>この20年間の韓国社会がどれほどの変化をとげてきたかをSF仕立てで描いた作品とのこと、機会あればぜひ観たく思いました。その紹介文を読んで痛く感じたのは、わが日本社会のほうのこの20年との落差でございます。
まあ、あの映画は基本的にはどうってことない、青春恋愛映画のわけでして(笑)、この20年での若者の風俗の移り変わりや、人間関係の変化を楽しく見てもらえばいいのですが、時折「ハッ」と胸を打つシーンはありますね。いい映画だとは思います。
むしろ機会があればぜひ見ていただきたいのは『南部軍』と『ホワイト・バッジ』です。今のエンターテイメントが主流の韓国映画からするとかなり野暮ったいリアリズム的な映画ですが、当時は当然のこと、今見ても衝撃度は高いです。今は逆にああいう緊張感漂う映画は作れないだろうな。。(苦笑)
お騒ぎなさいますな(苦笑)>セクトさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月12日(日)20時13分13秒
最初にお断りしてますでしょ、ログ保存機能はないので、必要なら各自お手許でと。
とはいえ録画失敗やらドジな方が少なくないのは先刻承知、管理人としては最初の分から保存しております。必要部分ご指定のうえメールでお申し越しいただければ、閉店特別サービスで折り返しお送りいたしますのでご遠慮なくどうぞ。プレーン・テキストになりますけど。
鬼にメアドを知られたくない向きはお諦めくださいませ(笑)。
姉さん!えらいこっちゃ! 投稿者:セクトNo7@味噌っかす派 投稿日: 9月12日(日)15時32分18秒
この掲示板150しか保存できんみたいですが、一番初めの投稿のところは既になくなっていますよ。姉さんのプロローグのとことオイラや鍋さんの登場のところ消えてました。オイラもフォークルのイムジン川のところコピーするの忘れていました。(泣き
一応どっかに保存してましたか?もししてないんだったら、一度書き込みを停止して、保存方法検討してから再開してはどうでしょう。どっちにしても、再放送のところが消えてしまっては、この掲示板の意味も深まらないような気がします。
さっき慌てて4ページほどはファイルに保存しておきましたが、どなたかROMしている方で過去ログ編集していただける方いませんか?書きっぱなしじゃもったいないですよ。
姉さん、どうしましょう?
感想>韓国映画から見た「在日」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月12日(日)14時54分40秒
蘇丹・加里耶夫さんご紹介の鄭 銀淑(チョン・ウンスク)さんのエッセイ、興味深い内容ですね。力道山と大山倍達、“日本の戦後と昭和の2大ヒーローが同胞であることは朝鮮半島でもよく知られてい”るとのこと、他方、“日本では力道山と大山倍達の出自に関する話はどちらかというと裏話的に語られることが多い”ことも指摘のとおりでしょう。「裏話的に語られる」のは別にこの二人に限られたことではなく、著名人・芸能人の多くについても同じでした。
鄭さんは、このふたりのヒーローの伝記映画が日本で公開されれば、“日本人にとって初めて2人の民族的側面を理解する機会となるのではないでしょうか ”と述べておられますが、わたしたち日本人が「理解」を迫られるのは、むしろ「日本」の側の「民族的側面」、「在日」という存在を「裏話」の領域に閉じ込めてきた構造のほうではないでしょうか。異民族・少数民族に国内での公的な地位を保証してこなかった日本の「国家−市民社会」の性格が炙り出されるところと存じます。
“韓国は今まで在日韓国・朝鮮人の経済的成功に対するやっかみや日本人化に対する反発からか、在日に対して冷淡というか関心が薄かった”と指摘される事情は、あらためて朝鮮半島と「日本」との距離を問いかけているように読みました。「韓流」が話題の今日、日韓併合以来とか「戦後半世紀」とかの歴史的時間での問題もさることながら、もっと現在に引き付けたところからこの距離を考えねばと思います。
別板でやはり蘇丹・加里耶夫さんがご紹介の韓国映画に『リメンバー・ミー』(原題:同感、2000年)がございました。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=1682
この20年間の韓国社会がどれほどの変化をとげてきたかをSF仕立てで描いた作品とのこと、機会あればぜひ観たく思いました。その紹介文を読んで痛く感じたのは、わが日本社会のほうのこの20年との落差でございます。
“失われた十年”とか、相変わらず自虐的・被害者的な「歴史」感覚が一般的なようですけど、わたしなどの実感で申すなら“停滞の十年”“自閉の十年”そして“風化の十年”であり、自ら何も変えようとせずにきた十年、二十年ではなかったのか、何かと言えば「外圧」でしか変わろうとしないこの社会、「グローバル・スタンダード」と言えば唯々諾々と追従するだけの「精神なき精神」――独裁に抗し民主化を求めて闘ってきた隣国社会との「落差」の感覚が痛いほど襲ってくる源もそこにあるのではないかと思わずにおれません。「在日」の人びともまたこの落差から自由ではないところで考え・行動することを迫られておりましょう。それをふまえて、今日の「日本」とその背負ってきた歴史に目を向けてまいりたく思います。
韓国映画から見た「在日」:資料のみ 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 9月 9日(木)23時01分30秒
asahi.com【スパイシー!ソウル】“ 次の韓流キーワードは「在日」か” 鄭 銀淑
http://www.asahi.com/international/seoul/TKY200406220156.html
Re:>日韓文化交流と「韓流」>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 9日(木)21時28分33秒
>もしかすると一番この「韓流」の影響を受けてるのは案外朝鮮籍の人たちかもしれませんね。今まで日本のお茶の間で韓国映画や韓国ドラマが見れるということはなかったわけですから。また、金賛汀氏の本にも出ていますが、東京第一朝鮮初中級学校のように韓国とのサッカー交流を機に中央に“造反”しているようなところもありますから、文化交流は在日朝鮮人社会にも地殻変動を起こしつつあるといえるのかも知れません。
そうした地殻変動というもの、南北の分断状況を越えていく力になればよろしいですね。金石範さん、新井英一さん、そしてウォルソンさん、それぞれに語られる「北でもない南でもないひとつの祖国」という存在が、ひとつの幻想として固有の力を持つ上で、実在するふたつの「祖国」から距離を置くこの「日本」の意味がいささかでもあるとすれば、と思います。
尹東柱にふれて・2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 9日(木)21時27分3秒
茨木のり子『ハングルへの旅』「尹東柱」章から------------------------
詩人には夭逝の特権ともいうべきものがあって、若さや純潔をそのまま凍結してしまったような清らかさは、後世の読者をも惹きつけずにはおかないし、ひらけば常に水仙のようないい匂いが香り立つ。
夭逝と書いたが、尹東柱は事故や病気で逝ったのではない。
1945年、敗戦の日をさかのぼること僅か半年前に、満27歳の若さで福岡刑務所で獄死させられた人である。
最初は立教大学英文科に留学、やがて同志社大学英文科に移り、独立運動の嫌疑により下鴨警察に掴まり、福岡へ送られる。
そこで得体のしれない注射を連日打たれ、亡くなるまぎわ、母国語で何事かを大きく叫んで息絶えたという。
その言葉が何であったか、日本の看守にはわからなかった。だが、
「東柱さんは、何の意味かわからぬが、大声で叫び絶命しました」
という証言は残った。
いわば日本検察の手によって殺されたようなものである。痛恨の思いなくしてこの詩人に触れることはできない。
---------------------------------------------------朝日文庫版 p.242-3
金賛汀『在日、激動の百年』に「不可解な獄中死」と短く書かれていたのは、上のような事情なのですね。「いずれは日本人の手によって、その全貌が明らかにされなければならない」(茨木)との指摘、日本の戦争責任・戦後責任に属することと存じます。この茨木さんの一文を高校の国語教科書のひとつが採用したことが、ひとつの端緒ともなればよろしいのですけど。
尹東柱の弟さん、一柱さんと会った茨木さんはその言葉を伝え書いております。
-----------------------------------------------------------------
一柱さんは淡々と言われた。
「このごろ、父のことをよく思うのですよ、どんな思いで兄の骨を抱いて、福岡から釜山、それから汽車にゆられて北間島プクカンド(旧満州)の家まで戻っていったのかと……」
朝鮮半島の端から端までの長い道のり、当時はいったいどれくらい時間がかかったものだったろう。遺骨を抱いて、憤懣やるかたない父君(死亡)の、当時の心情をおもいやる息子の言葉は、どんな激しい弾劾よりも、ぐさりとこちらの胸を刺した。
尋常ではない息子の死は、親にとってははっきり虐殺と受けとめられていた筈である。
なんでもない世間ばなしのように言われた一柱さんの言葉が、こんなにも強くまっすぐにこちらの心に届くとは……。
--------------------------------------------------------前同 p.252
玄界灘を越え、戦時中の朝鮮半島を縦断し、今は中朝国境となっている豆満江をわたって故郷・北間島の龍井リョンジョンに無言で帰った詩人、今そこに、臨夏さん、蘇丹・加里耶夫さんご言及のお墓があるのですね。お骨を持ち帰ったご父君のお気持ちいかばかりであったか、どこかウォルソンさんのお父様の思いにも重なりましょう。
この龍井に日本は、日露戦争直後の1907年「統監府臨時間島派出所」を置きました。詩人・尹東柱の来日と獄死と無言の帰郷とは、満蒙をうかがう近代日本の膨張と侵略とそして戦争の歴史を突き通しているかのように感じられます。
追:訂正>望月さま
ご指摘のミスタイプ、とりあえず訂正しておきました。
>日韓文化交流と「韓流」 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 9月 9日(木)01時04分10秒
横レスかつ遅レスですが。
>わたしもそのように思い、いわゆる「ヨンさま」現象を恥ずべきものとするご意見には少々異論を呈しました(8月11日)。その折、在日韓国人社会の見解のひとつを『民団新聞』からご紹介いたしましたが、韓国現地の論調も否定的なものではなく、むしろ新しい可能性を見出しているように思われます。
先日朝鮮籍の人と話してたのですけど、朝鮮学校出身者の人(特に女性)も韓国ドラマ、よく見てるみたいですよ。朝鮮学校出身の人たちは朝鮮語がわかりますから、ダイレクトに入ってくるようです。朝青の若い子達も韓国映画を見て感動したりしているみたいですし、もしかすると一番この「韓流」の影響を受けてるのは案外朝鮮籍の人たちかもしれませんね。今まで日本のお茶の間で韓国映画や韓国ドラマが見れるということはなかったわけですから。また、金賛汀氏の本にも出ていますが、東京第一朝鮮初中級学校のように韓国とのサッカー交流を機に中央に“造反”しているようなところもありますから、文化交流は在日朝鮮人社会にも地殻変動を起こしつつあるといえるのかも知れません。
申し訳ありません>鬼薔薇様 投稿者:望月 投稿日: 9月 8日(水)22時22分1秒
誤字がありました。今、ハッとしました。
>一転 → 一点 です。
一転の恥とは?これでは、詩全体が死んでしまいますね、申し訳ありませんでした。
(無題) 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 8日(水)20時25分40秒
>あちらは労働歌ですけど。民謡や演歌も取り上げてほしいけどねー。
あと重要なのは軍歌ですね。敗戦直後誰でも知っていて皆で歌えるのがまず軍歌で、労働歌も軍歌の替え歌が少なくなかったと存じます。ここらは民衆の歌の精神史としてぜひ解明をまちたく思うところでございます。
尹東柱にふれて・1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 8日(水)20時03分6秒
アテネ五輪に塗りつぶされた今夏のメディアでは、「終戦記念」番組も影薄いものございましたが、わたしにとっては、若くして命を奪われたこの詩人との出遭いがなによりの「終戦記念」になりました。詩文を紹介してくださった望月さん、セクトさん、詩人の故郷・現延辺朝鮮族自治州についてご紹介くださった臨夏さんと蘇丹・加里耶夫さん、皆さまに心よりお礼申し上げます。m(..)m
望月さんご紹介>序詞
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥なきことを
葉あいにそよぐ風にさえ
私は心を痛めた
星をうたうこころで
すべて死にいくものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩み行かねば
今夜も星が風にさらされる
セクトNo.7さんご紹介>別訳
逝く日まで空を見上げ
一点も恥じないことを、
葉裏に起る風にも
私は苦しんでいた。
星を歌う心で
すべての去り逝くものを 慈しまねば
そして 私に示された道を 歩んでゆこう
今夜も星が 風に吹かれている
>少し雰囲気が違う訳に感じません?(セクトさん)
詩人・茨木のり子さんの『ハングルへの旅』には、また別の訳が。
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒される。(伊吹郷訳)
言葉の響きに依るところ多いであろう詩の訳業、そのむづかしさはわたしなどの理解を絶するものですけど、雰囲気のちがいはたしかに感じられますね。原詩を知らぬ者にそのは是非はわかりかねますが、特に、「死にいくもの/去り逝くもの」と「生きとし生けるもの」とでは小さくないちがいが感じられますね。
東京っ子 投稿者:睡蓮 投稿日: 9月 8日(水)02時11分50秒
私と同じですねー。父は福島ですから。母は目黒ですが、そだった頃は野菜畑や牛舎もあったとか、昭和の始め頃です。この母も祖父は新潟ですから。地方の方と話して困るのは、お台場やら恵比寿、青山、六本木、代官山の話題です。知らないんですよ私。上野・浅草・御茶ノ水なんかが好きですし。寶纐は〜おいらの〜心の駅よ〜宸ニか歌いつつ洗濯や掃除してます。まっぺんさんの三次会、海峡板の影響か、歌の話題で盛り上がってました。あちらは労働歌ですけど。民謡や演歌も取り上げてほしいけどねー。くだらないカキコですいません。
Re:ということは…>睡蓮さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 8日(水)00時08分2秒
ええ。親は地方出身ですから「江戸っ子」とは呼ばれませんけどね。
天皇陛下には安んじてご本家・京の都へお帰りいただき、「東の京都」などというお仕着せの名前は返上したいと思っております。「大江戸線」なんてヘンな名前の地下鉄が赤字を垂れ流しながら走り回っているのは不快ですけど(苦笑)。
臨夏さん、よろしくどうぞ。m(..)m
ということは… 投稿者:睡蓮 投稿日: 9月 7日(火)23時59分10秒
鬼薔薇さんもお江戸系ですか?
またお久しです。 投稿者:臨夏 投稿日: 9月 7日(火)15時48分49秒
まえ、「金賛汀あかん言うてる人いてましたで」言いましたね、わたし。
ほしたら、鬼薔薇さんが、「どんなもんか聞かせて」みたいに言わはって、
わたしは「音信なくなったんでわかりません」言いました。
でも、さっき、連絡付けてメールしました。
いろいろ言うときましたから、もしかしたら、レスあるかもしれません。
あったらまたお伝え致します。
用件まで。
恐れ入谷の>鍋山さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 5日(日)21時20分14秒
鬼子母神、とくると、鍋山さんもお江戸系でいらっしゃる?
ほおずき市なんか素敵ですよね(^^)v。
多方面でご活躍のうえ町内会の役員さんも。ご苦労さまです。
地域・職域にかかわらず、市民社会は大事にいたしましょう。
>【シビレました 凄みがあった】
壮絶、という言葉に近いほどの思いの強さが、ね。
でもわたし、新井英一さんの歌声にも「シビレた」のですよ(^^)。
『清河へ』も、近々入手の予定でございます。
>ひとに紹介された物を聴いてみる、そして、この掲示板の運営、「すっごく素直で誠実な人」なんですね〜〜
いいえ、乗せられやすいだけでございまして(^^)ヾ
(ただのおバカともいうかしら(苦笑)。)
それがときたまトチ狂って妙にこだわったりするからいけないのでしょう。
まっぺんさんにも失礼いたしました。よろしくお伝えくださいませ。
>でも・・・ やっぱり・・・ 鬼というよりは、妖怪かな〜・・・
“キモイ”と定評の方から「鬼薔薇、キモーイ!」のお言葉を投げつけられたときはのけぞりかけました(苦笑)。ま、“評価は他人がするもの”と申しますし、どこで生きてもいつかは散る身、風に吹かれて彷徨い行くのほかございませんね。
※“風に吹かれて”などと言っておれる程度ならよろしいのですけど、台風は大変。
今度のはまたこの前のと同じコースですね。それに今日はまた地震も重なって……
皆さまお住まいのところ、大事ないことをお祈りいたします。
「凄み」があった 投稿者:鍋山 投稿日: 9月 5日(日)17時25分23秒
ご無沙汰、申し訳ありません。
無駄飯食って、50過ぎまで生き残ると、町内会の役員とかやらされちゃって(大汗)、
その町内会が紛糾しちゃって、このクソ暑い夏いろいろ駆けずり回らなければならなくって・・・
職場の倒産〜争議の時も、暑い夏だったな〜〜と、遠い目〜
【「海峡を越えた歌姫」の感想】・・・い・ま・ご・ろ・・・
もとより、クラシックのわからない(地声が良いと思ってる・・・汗)私には、
「ソウル公演で不許可になった『夜明けのうた』の楽譜の逆からのヴォカリーズ(でしたか?)」には、
【シビレました 凄みがあった】
フォークルの『イムジン河』発売中止ー「『イムジン河』の楽譜を逆さまにしての
『悲しくてやりきれない』」を連想する。
>〔修正・再掲〕「オールドファッション・ラヴソング」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月22日(日)20時46分19秒
>このアルバム、チョン・ウォルソンさんの『夜明けのうた イムジン河』に続いて、貴重な出遭いの1枚となりました。
いやいや、「畏れ入谷の鬼子母神」
鬼薔薇さんは、私の同窓生まっぺんくんへの執拗な批判など、「コワイ人」かと思っていましたが、
ひとに紹介された物を聴いてみる、そして、この掲示板の運営、「すっごく素直で誠実な人」なんですね〜〜
でも・・・ やっぱり・・・ 鬼というよりは、妖怪かな〜・・・
内容ないので、コピーで誤魔化す。
最近のキムジハ 『最近の読書緑』より
http://www.linelabo.com/bk/2004/bk0408a.htm#0811
8月11日 朴鉄民編『在日を生きる思想 『セヌリ』対談集』より
金芝河「「弘益人間」と「新人間主義」の文化精神運動が南北を救う」
私には、キムジハの言葉は、難しくてよくわからんのですが・・・
朴鉄民おじさんはよく知ってます。
「結婚情報からはじまる在日運動」とはスゴイよね!
http://www.asc-net.or.jp/saenulee/
Re:感動ふたたび>月姫ファンさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 5日(日)11時59分20秒
「解説」というかただの「内容紹介」でしたけど、過分なお言葉いただきました。
でも「責任感あふれる」と言っていただいてちょっと戸惑いました。「責任感」という意識はなくて、むしろ「愛」かと(笑)。ただ、それが「偏愛」にはならぬよう、なるべく主観を排してコンテふうにしてみたところでございます。「解説」ならぬ「内容紹介」と申すゆえんでございます。それでもやはり「主観」はにじみだしていることと思いますけど(^^)ヾ。
「思い切って」などとおっしゃらず、どうぞ気軽にお書き込みくださいませ。
お待ちしております。
「ビッグ・コミック」>社会主義者さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 5日(日)11時57分17秒
よいお話、ありがとうございました。m(..)m
『ビッグ・コミック』、以前わたし愛読しておりまして、近所の喫茶店にあって毎号読んでおりました。「ゴルゴ」はちょっとねぇ、ですけど、「釣りバカ日記」も「総務課六平太」も大好きでした(^^)。でも他の常連客の人気度でしょうか、かなり前に別のH系漫画週刊誌にとってかわられてしまって(^^; それで、ご案内の「天上の弦」は存じませんでした。でも、その在日のバイオリン製作者の方のことは、別なメディアで読んだか聞いたかしております。
実は楽器製作者と演奏者双方のインタビューを集めた本があったのですね。1950〜60年代に何かの雑誌に長期連載されたものを単行本にまとめたものがかつての勤務先の書棚にあって、休み時間に愛読しておりました。フルートの穴の引き抜き加工など勤務先でも似たような作業がされておりましたし、「ピアノ線」という名の鋼鉄の針金が工場にあったのですが、ピアノの弦に使われるのはそれとは別物とか、チェンバロの構造とかはその本で初めて知りました。手作りバイオリンももちろんそのなかにあって、近世イタリアいらいの歴史、鍵を握るニスの秘伝、ガットに銀線を巻いた弦のこと、独特な弓のこと、それにストラディバリウス、ガルネリウスなどの名工とその作品の歴史など、雑知識と好奇心を得ておりましたので、その在日バイオリン製作者のことも頭の隅に残っていたのだと思います。
『海を渡るバイオリン』はおととしに出た本ですね。陳さんは第二次大戦中に中学生で日本にこられたとか、ウォルソンさんのお父様のご年代でしょうか。ご案内のサイトにある書評には、また別の関心を誘われます。さっそく近くの本屋さんに頼みましょう。楽しみでございます(^^)。
# 『ビッグ・コミック』は「週刊」ではなく月2回刊では?
わたし、どちらかというと渋めの「オリジナル」が好みでした(^^)。
若い人たちには「スペリオール」のほうが向きでしょうか。
感動ふたたび。 投稿者:月姫ファン 投稿日: 9月 4日(土)21時08分10秒
オリンピックと夏のうだるような暑さで
すっかり忘れていましたが今日久しぶりに
立ち寄らせて頂いてまた燃える思いが甦り思い切って書き込みます。
何にもまして鬼薔薇様の番組解説には本当に脱帽します。
なんて素晴らしい責任感あふれる文章でしょう。
正直嬉しくなってしまいました。
それにしても私は「海峡を越えた歌姫」の大ファンです。
10月2日のウォルソンさんのリサイタルにはとにかく行くつもりです。
じかにあの歌を聴いてみたいですしね。
とにかくこの素敵なコーナーはぜひ続けてください。
【参考情報】 「天上の弦」「海峡を渡るバイオリン」 投稿者:社会主義者 投稿日: 9月 3日(金)09時38分24秒
鬼薔薇さん、皆さん、こんにちわ。
唐突ですが、鬼薔薇さんは、週刊ビッグコミックに連載中の「天上の弦」(山本おさむ・作)という漫画をご存知ですか?「海峡を渡るバイオリン」という本を基にしたコミックで、希代のバイオリン製作者・陳昌鉉(ちんちゃんひょん)氏の半生を描いた感動のヒューマンドラマらしいです。私は先日、歯医者の待合室でたまたま読んで初めて知ったのですが、なかなか良かったですよ。原作の名前はモロ「海峡を渡るバイオリン」、何か、この掲示板のテーマとも完全に相通じるものを感じたので、一応紹介させてもらいます。
・天上の弦(小学館ビッグコミック公式サイトより)
http://bigcomic.jp/public/html/rensai/index.html
・−くっちゃんのおすすめ− 『天上の弦』紹介
http://www.searchnavi.com/~hp/mindanmie/news/030524.htm
半分の地図 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 9月 1日(水)00時00分16秒
ウォルソンさんは、ピョンヤンからの招待状を受け取ったとき「複雑な気持ちだった」と番組で語っておられました。朝鮮半島全体が祖国、その半分だけをイメージしたことがなかったから、ということでしたね。でもそれを聴いたとき、ウォルソンさんの「複雑な気持ち」は感覚としてよくわかりませんでした。
でも、言われてみると、わたしたちにしても半分だけの半島像というのは思い浮かべたことがないのですね。そういう地図を見たことがないためでしょう。ところが今日突然、その「半分」だけの地図に出会いました。『週刊ダイヤモンド』今週号(9月4日号)「金正日の経済」特集のなかの「《超保存版》北朝鮮主要生産インフラマップ」という見開きの地図、これがモロ「北」半分だけなのです。一見してひどく不安定な感覚を覚えました。えっ、どこの地図?!っていう感じ(苦笑)。
この地図には「北朝鮮の工業設備は日本企業が基礎をつくった」というタイトルの記事が添えられており、要するに“植民地統治はよい面もあった”“現地の日系企業は終戦で投資したものを失った”といいたいらしゅうございます。最大の投資者は日本窒素肥料(現チッソ)で、他に日本紡績(現ユニチカ)、小野田セメント、三井金属、日本鉱業その他の企業名が見えます。地下資源が豊富な半島北部に群がりよった企業群が植民地統治権力を背景に露骨な収奪をした歴史を地図は物語っております。
それら企業の現地工場で、あるいは鉱山で、かの地の労働者がどんな過酷な条件にあったのか――伝えられる現北朝鮮の強制収容所その他を非難するには、同時にそこに思いを致すことが問われようかと存じます。
歌のいのち 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月30日(月)21時48分34秒
アテネ五輪、終わりましたね。感動の場面いくつもございました。スポーツはスポーツとして独自のいのちをもつものとあらためて思いました。このアテネ大会のために作られた歌、「ゾルバ」。アンソニー・クインの名演技で知られた映画のあのゾルバ。その作曲者テオドラキスに次の言葉があるとか。
《武器で人は殺せるが、武器で歌は殺せない》
67年のクーデタに始まる独裁政権下、テオドラキスの名は、自由と抵抗のシンボルでございました。民主化なってECに加盟し、大臣(EC委員)も送りましたね。たしか女性だったかと。トルコとの間にキプロスをめぐる対立を抱え、経済や環境問題もいろいろ大変なようですけど、歌のいのちは健在と思いました。
自伝が好評の東大教授・姜尚中さんがドイツ留学時代の友人をギリシャに訪ねるところをいつでしたかテレビ・ドキュメンタリーで視ました。今はお医者さんになっているその方のご家族、実はドイツのビール工場へ出稼ぎに来ておられたのですね。どこか在日の方々に共通したところもあるのかなと思いました。
お金持ちのリゾート地でも古代史の華でもない現代のギリシャ、そこに暮らす人びとにとっての歌に思いを致す機会を、今度のオリンピックは与えてくれました。
この板のいのち?(笑)
皆さまのご意見をうかがいながら、しばらく考えてみたく思います。
であるならば 投稿者:セクトNo7 投稿日: 8月30日(月)16時28分12秒
過去ログ保存したほうがいいと思います。
掲示板続けるにしろ、過去ログの保存を強く望みます。姉さんが、する必要はないと思いますので、誰かその知識が在る方いませんか?いないんだったら、、まっぺんさんに頼んだら?(いつもながら安直な発想)
確かに気持ちの良い掲示板であります。二次会、三次会の常連のほかいろんな人が見えられて、新鮮な感じがします。もっとも、気兼ねしてHN変えて来ている人もいたりして?どうでもいいことですが。
姉さんが負担じゃなければ、大向こうを張った政治談義でも理論談義でもない掲示板として、意味ある板になると思うものです。おそらく小西さんのフォーラム議論版はそんなつもりだったとは思うのですが、いつのまにか変なのが居着いてしまって?(私らも書き込まずに悪かったのですが)
ROM専の方々、常連の方々、ご意見のほどを
続けよう海峡掲示板> 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月30日(月)13時25分51秒
ご無沙汰しています。この掲示板、月仙さんが音楽家ということで、他の議論板とは違ういい雰囲気があります。議論が昂じて挙げ足の取り合いや罵倒の応酬もなく、読んでいて嫌な気分になりませんでした。管理人さんの手腕によるところ大だと思います。今後は人と人の海峡を越える交流の場として継続・発展されることを望みます。閉店の件、考え直していただけませんでしょうか?よろしくお願いします。
閉店関係 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月29日(日)20時29分2秒
いらっしゃいませ>月仙さんのファンさま
臨時掲示板ですけど期限をいつと決めたわけではなし、急いで閉じる考えはございません。わたしもまだいくつか書きたいこと残しておりますし、潜行中のオルグふむふむさんには、彗星のように現れ去った歌手・李成愛イ・ソンエのこともお書きいただきたいし。
お書き込みのほう、ぜひよろしくどうぞ。お待ちしております。m(..)m
記録保存>セクトNo.7さま
「資料的価値」と言われてちょっと驚きましたけど、皆さまのご発言の集積がいつしかそれだけの意味をたたえているのですね。開設者としてはもって瞑すべきことと存じます。わたし、技術的なことにはまるで暗いのですが、何かよい方法があればお教えくださいませ。
日韓文化交流と「韓流」>セクトNo.7さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月29日(日)20時27分49秒
>ここ20年の間に朝鮮の文化は、確実に日本の市民権を得てきたようです。料理で言えばキムチ・冷麺・焼肉料理は、日常的になりました。そして日韓の歌手の交流は、いまやマーケットとして共通の土俵に上がっているようです。どんな思惑があったとしても日本と韓国の若者が、わだかまりなく交流できることは悪いことじゃないと思います。
わたしもそのように思い、いわゆる「ヨンさま」現象を恥ずべきものとするご意見には少々異論を呈しました(8月11日)。その折、在日韓国人社会の見解のひとつを『民団新聞』からご紹介いたしましたが、韓国現地の論調も否定的なものではなく、むしろ新しい可能性を見出しているように思われます。
「韓国記者が見た日本の韓流ブーム」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/01/20040801000034.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/02/20040802000068.html
「韓流」は別に日本だけの現象ではなく、中国では少し前に、天安門広場で韓国ファッションショーが開かれ大好評だったとか、新聞が報じておりました。
けれども他方こんな現実も。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/27/20040827000035.html
政治と文化のねじれのようなものについては、注意してまいりたく思いますけど。
「ハミング」はやはり間違い(^^;>野次馬の視線さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月29日(日)20時26分45秒
>ヴォカリーズ[vocalise(仏)]
母音唱法。歌詞や階名を用いず、母音で発音して歌う事。
そう、まさしくこれなのです!
口を閉じての鼻音ではなく、大きく口を開けて朗々と歌われておりました。
ちょっと検索してみましたらこんな説明も。
>ヴォカリーズ
vocalise 演奏中、歌詞を忘れたときに誤魔化すテクニック。母音系。
嘘音楽事典
http://www.infostage.net/~fumetsu/usomusica-u.html#vocalise
これ式ですと、「禁止歌を歌詞抜きで歌って規制をすり抜ける抵抗テクニック」なんていう解説も可能かもわかりませんね。ま、権力は鬼よりはるかに狡猾ではございましょうけど(苦笑)。
唄は海峡を越えて 投稿者:セクトNo7 投稿日: 8月29日(日)15時54分6秒
姉さん、どうも長らくのご無沙汰でした。
番組はお盆明けにDVDに落としたものを、やっと?見ました。以前酒を飲みながら見た記憶とほとんど同じでしたが、今回も飲みながら見たので当たり前なのかも?
うーん、先祖への畏敬の念は日本人とはえらい違いでしたね、以前から知ってはいても映像を見るとき腰が落ち着かなくなります。でも、墓参りにミニスカートは、映像的にはおかしかったです。ひざまずく訳にも行かずいかず、困ったでしょうね。この辺は蛇足です。
ここ20年の間に朝鮮の文化は、確実に日本の市民権を得てきたようです。料理で言えばキムチ・冷麺・焼肉料理は、日常的になりました。そして日韓の歌手の交流は、いまやマーケットとして共通の土俵に上がっているようです。どんな思惑があったとしても日本と韓国の若者が、わだかまりなく交流できることは悪いことじゃないと思います。歴史的負の遺産は、交流するな過程で勉強することもあるでしょうから。ま、歴史問題の認識は、隣同士の国ですから「折り合い」をつけるしかないのですから、日韓の共通した歴史観は煮詰める必要が出てくると思います。(ホントカナ?)
石原の東京都の反動教育とオリンピックの日の丸を振る無邪気な若者に、かなりの危惧を抱きながら身近な交流が続くことを願ってやみません。
さて、唄は国境を越えると言われます。事実、ビートルズの「ヘイ・ジュード」が、東欧の国で抵抗の唄として唄われたように。日韓の交流が進む中、南と北の交流も少しずつではありますが、進んでいるように聞いています。こうした流れは為政者がどう思惑があろうと、地下水脈のようにとどめることはできないと信じます。
朝鮮半島の分断は南と北の分断であるとともに、在日の分断、日本人と朝鮮人の分断でもあると思います。唄が海峡を越えるように、私たちも海峡を越えることを信じたいと思います。
取り留めのない投稿です。もうすぐお開きになるのでしょうか?この掲示板は資料として有効と思いますので、どこかに残しておいたほうがいいと思うのですが?いかがでしょうか?
掲示板はもっと続けましょうよ 投稿者:月仙さんのファン 投稿日: 8月29日(日)15時28分23秒
鬼薔薇様
掲示板の閉店なんて寂しいです。
僕も書き込みますのでもう少し続けましょう。
今日もウォルソンさんのDVDを見ましたけど
すごくいいと思います。
「太陽の旗」なんかの日本の歌もいい。
歌詞は海ゆかばを皮肉ったようなものです。
ぜひ一度お聞きください。
よく知らないのにレスします。 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 8月29日(日)13時53分38秒
ハミングと近くて異なる語義をもつ言葉には、
スキャットとヴォカリーズがあるようです。
ハミングが鼻声のンンンンといったやつで、
スキャットがジャズ出自のダバダバ、シュビドゥヴァというやつ
ということはわかったのですが、
クラシック出自のヴォカリーズがいまいちよくわかりません。
おそらくこれではないかと思います。
歌詞のない歌について、次のサイトがQ&Aをしていました。ご参考までに。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=400171&rev=1
複数の、音楽用語集より、最小限の転載・加工。
ハミング[humming(英)]
口を閉じ、鼻音によって歌う事。
スキャット [scat<英>]
ジャズ歌手が歌詞の代わりに意味のない言葉を即興的に歌うこと
ヴォカリーズ[vocalise(仏)]
母音唱法。歌詞や階名を用いず、母音で発音して歌う事。
どうぞご自由にお使いください>社会主義者さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月29日(日)11時11分1秒
こうした作業は初めての経験で、番組ご覧になった方には、ここはちがう、そこはおかしい、あれが抜けている……いろいろご批判・ご叱責もあろうかと存じます。不許可を顧みず歌った「夜明けのうた」のメロディだけの唱法を「ハミング」と書いたのも正しくは別の用語があったはず。韓国の方のお名前のカタカナ表記にも自信ございません。ほんとならもう一度ビデオと照合して必要な訂正を加えるべきところですが、けっこうな作業量にいささか疲れまして(苦笑)、メモを元に書いたものを仕上げもせずそのままUPしてしまいました。誤字・脱字もいくつかございました。そんな粗い仕事で、ウォルソンさんや番組関係各位には失礼だったかもわかりませんが、その責はわたしの負うべきもの。こんなものでもお役に立つなら嬉しく存じます。
こんな作業や感想・発言の集積が再々放送実現に何か力になればよろしいのですけど。志ある方々はぜひリクエストをNHKへどうぞ。――って働きかけるはずの「秘密工作員」ふむふむさん、あのまま潜行状態ですね(苦笑)。
さて、再放送からまもなく一月。暑い夏もすぎ、この臨時掲示板もほぼ役割は終えたようで、そろそろ閉店準備にかかるときかもわかりません。
ご希望・ご感想などございましたらぜひどうぞ>ALL
鬼薔薇さん、有難うございます。 投稿者:社会主義者 投稿日: 8月28日(土)23時13分51秒
鬼薔薇さん、「海峡を越えた歌姫」の解説、拝読しました。
どうもありがとうございます!
このままログとして流れてしまうには、あまりにも勿体無い内容だと思います。
私も何回か読み直したいし、他の方にも読了を勧めたい内容なので、貴投稿「内容紹介について」とT〜Vの全文を、私のHP「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」に転載させてもらいたいのですが、よろしいでしょうか?いきなり不躾なお願いで、申し訳ありませんが…。
・アフガン・イラク・北朝鮮と日本
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/
「海峡を越えた歌姫」III−2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月28日(土)22時34分5秒
3 よみがえる歌
〔写真:趙鳴岩、妻と幼児と〕(解放後の1948年、妻子を残して北朝鮮に渡った)
〔ビデオ:山道を登る車。地方でひっそり暮らす趙鳴岩の遺児を訪ねる〕
〔ビデオ:迎えられた室内で遺児と夫と。写真を見せてもらい話を聞く〕
(チョウ・ヘリョンさんは、「親日派」の娘、「越北者」の娘、という二重の負い目を背負って戦後韓国社会を生きてきた。)
【チョン・ヘリョンさんの語り】私にとって父はずっと、誰かに知られてはいけない心の傷のような存在でした。写真ももっとあったのですが破ったり燃したりしてしまい、残っているのはこれ(2枚)だけ。それくらい父親は恨めしい存在でした。
―お父さんの作った歌でお好きなものは?
―「落花流水」という歌です。(夫婦で静かに歌う*「落花流水」)
♪この山河は落花流水、流れる春に 真っ青な芝生で結んだ誓い
歳月をのせ、心をのせ、花の人生 峠を越えて行こう(テロップの訳詩)
―じっくり読んでみるとこの歌詞にはとても深い意味が込められていると思うのです。「花が落ちる、水が流れる」というのは、あなた方には申し訳ないけど、いつかは日帝占領時代は終わる(落花)、時代の流れは妨げられない(流水)、そういうことを暗示している歌詞ではないかと思います。
―1940年に作られた歌が現実になって、先生の歌もよみがえりましたね。
〔ビデオ:(ピアノ伴奏が重なって)2枚の写真から山間の風景へ〕
4 心を歌い継ぐ
〔ビデオ:関釜フェリーが切る波〕(2004年、韓国政府は日本の大衆歌謡の全面解禁に踏み切った。だが日朝国交正常化は暗礁に乗り上げたまま)
〔ビデオ:フェリーの甲板で風に吹かれて〕
【本人の語り】私の出遭った歌たちは、母の歌であり父の歌でありまた兄たちの歌であり、この海峡を挟んで生きたいろんな人たちの思いが込められた歌なんだと実感しました。私を育ててくれた日本と愛する祖国朝鮮半島が海によって引き離されるのではなく、この海がつないでいるものだと思って、いつかもっと自由に往来できる道になってくれるようにと願いながら歌い続けていくことができればなと、そう思っています。
〔ビデオ:20周年記念リサイタル 04年2月28日〕
【舞台から(マイクを取って)】皆さま、最後の一曲となりました。新曲「二人の海」をお届けいたします。これは3年前大久保駅で線路に落ちた人を助けようとして日韓の若者が犠牲になった事件をきっかけに作られた歌です。日本と朝鮮半島の間で犠牲になった数多くの魂、韓国の人・北の人・日本の拉致被害者、数々の犠牲になってきた魂に捧げる歌としてこの「二人の海」を歌っていきたいと思います。
歌*「二人の海」
/END
「海峡を越えた歌姫」III−1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月28日(土)22時33分15秒
1 韓国民主化・日韓新時代の架け橋と壁
〔ビデオ:金大中、韓国大統領に就任〕(日本文化の段階的解禁を決定)
(東京・ソウル姉妹都市提携20年記念で両国で公演を行なう親善大使に任ぜられる)
〔ビデオ:記者会見〕
【本人の語り(記者団に)】祖国が韓国・朝鮮半島でありながら日本で育てられたわけですから、新しい時代、日韓文化交流の夜明けに歌を通じて何かできたらと、そういう気持ちを持っております。
〔ビデオ:韓国へ出発〕(親善大使としてはじめて韓国で日本語の歌を歌う)
〔ビデオ:飛行機の窓の外の風景〕(歌*「夜明けのうた」)
〔ビデオ:韓国着、98年10月〕(到着して知る予想外のニュース)
〔ビデオ:韓国のテレビニュース画面〕(ソウル公演で歌う予定だった「夜明けのうた」が日本の大衆歌謡だとして不許可になった)
〔ビデオ:ホテルから車に乗り込む〕
【本人の語り:車中で】自分が選んだ歌、一番歌いたい歌が歌えないというのは今までなかったこと。まあいい経験にもなりましたけど、自分の気持ちを伝えるにふさわしい歌だと思って準備もしてきたことなので、最後までその気持ちで、なんらかの形で歌いたいと思っています。
〔ビデオ:昼間の屋外ステージ〕(不許可の曲を楽譜を逆から演奏しハミングで歌う)
〔ビデオ:ステージを降りてマスコミに囲まれる〕(叱責を受けてか、涙ながらに何度もうなづく。韓国社会が日本の大衆歌謡に抱く警戒心の深さを思い知らされた)
2 埋もれた歌をたずねて
〔ビデオ:海の夕焼け。汽笛。波を切る船の舳先に立つ。2001年〕
〔ビデオ:列車の最後尾デッキ〕(98年の出来事いらい、地方を回り、日本統治下の朝鮮半島で歴史に埋もれた歌、人々の記憶に残るメロディを探し続けている)
〔ビデオ:列車の中で乗客に話を聞く〕
【老人との会話】
―どのような歌か、メロディだけでも教えていただけませんか。
―歌は覚えているけど、歌詞は忘れたな。(手で拍子をとりながら)
♪タンタタ、タンタタ、タンタタタタ……(そのメロディは「鉄道唱歌」)
(1900年日本人作詞作曲の「鉄道唱歌」アジアで大流行、朝鮮では「学徒歌」となる)
〔ビデオ:列車の最後尾から走り去るレール〜車内の乗客たち〕
歌*日本語のオリジナル「鉄道唱歌」(児童合唱)
歌*朝鮮語版「学徒歌」(男声合唱)
〔ビデオ:ソウル市内。韓国で封印されてきた古いレコードを保存する会社を訪問〕
〔ビデオ:取出されるSP盤〕@「涙の豆満江」、A「息子の血書」
〔写真:「息子の血書」作詞家・趙鳴岩チョウ・ミョウアム(1913-1993)〕
(1942年、朝鮮半島にも徴兵制導入を閣議決定。当時を代表する歌)
〔写真:日本軍将校と朝鮮半島出身志願兵〕
〔ビデオ:ゼンマイ式蓄音機で再生される歌に耳を傾ける。歌*「息子の血書」〕
♪母上様にこの手紙を書いています 皇軍兵士になれたのも母上様の恩恵です
お国に捧げたこの命 故郷に帰るその時は
降りしきる砲弾の中で 立派に死んで帰ります(テロップの訳詩)
【本人の語り】戦争で死ぬことが美とされた歌を韓国・朝鮮の人が歌った、歌わされたというのはショック。歌は生き物だと思う。何十年も前の歌が戦争を知らない私のような人間の心に入ってきて、またずっと残っていくのかなと。歌い手として、人間の生きて積み重なってきたものが残っていくような歌を歌えるようになればと思います。
「海峡を越えた歌姫」II−2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月27日(金)22時45分37秒
3 「高麗山河わが愛」:知られざる作者との出会い
〔ビデオ:新宿風景〜練習室。ピアノを弾きながら。歌*「高麗山河わが愛」〕
(ソウルの街角で買ったカセットに入っていた曲。作者は誰に聞いてもわからない)
【本人の語り】歌詞がほんとにストレートに心に入ってきたんですね。で、ああ、この歌は私が歌わなければ、歌いたい、って。
〔ビデオ:戸棚から大型封筒取出す。アメリカ在住の作者からのもの〕(1966年、アメリカで共演することになった在米の指揮者が作者を識っていた)
【本人の語り】この歌、韓国でも誰も知らないくらいで、歌詞に惹かれてメロディーもきれいで、日本に帰って歌い続けていたんですが、いったいどこで誰がこんな祖国への思いを込めて作ったんだろうといつも思っていました。直接作者の先生から手紙と楽譜が届いたときは、本当に嬉しくて。
〔ビデオ:ワシントンDCへ向かう機内。1996年〕
〔ビデオ:車を降り作者盧光郁ノ・カンウクさん宅、あいさつを交わし抱き合う〕
〔ビデオ:階下の部屋で作者夫妻と〕
【作者との会話】
―「どこに住もうと皆兄弟ではないか」―この歌があまり素晴らしくて、在日同胞の前で歌ってきました。
―まるで月から仙女が降りてきたみたいな。月仙ウォルソンとは素晴らしい名前です。
〔フィルム:朝鮮戦争。空爆、北朝鮮軍占領のソウル〕(北鮮軍支配下で「反動分子」のレッテルを貼られれば政治犯として投獄された。ノさんはアメリカに逃れる。31歳)
〔ビデオ:二階へ。サイドボードに作者の若い写真〕
【作者との会話】
―(日本語で)米国へ来る前に写したの。1952年。若かったね。
―(韓国語で)あの歌は、南北の一般の人々の心情を歌詞で伝えたかったのです。詩にはほどとおい素朴な言葉です。歌詞をなるべく単純にして一晩で書き上げたのです。
〔ビデオ:ウォルソンの弾くピアノで二人で歌う〕
〔ビデオ:1996年12月、ソウル再訪。オーケストラをバックに「高麗山河わが愛」を熱唱〕(以来、日韓両国のコンサートでこの歌を歌い続ける)
4 日朝首脳会談とその風圧
〔ビデオ:2003年9月、ピョンヤン空港に降り立つ小泉首相。首脳会談〕
(大切にしてきた歌を歌えなくなる出来事。北朝鮮が拉致を公式に認めた)
〔ビデオ:曇天の海岸、強い風に吹かれながら一人浜を歩く〕
【本人の語り】拉致問題が発覚したりいろんなことが起きて、私を育ててくれた日本の皆の前で統一への思い、南北平和を求める気持ちを変わりなく歌い続けていけるのか、自分に問うようになったんですね。
(しかし母ガプソンさんは、北朝鮮にわたって非業の死を遂げた息子たちのためにもこの歌を歌い続けてほしいと強く願った)
【本人の語り】めぐみさんのご両親の姿と、やはり何の罪もないのに犠牲になった子を思う母の姿が重なって、どうしていつまでも罪のない人が犠牲にならなきゃいけないのかって(涙)……母が倒れて話ができなくなってからいっそうその思いを引き継いでいかなければという気持ちになりました。
〔ビデオ:20周年記念リサイタル。歌*「高麗山河わが愛」〕
「海峡を越えた歌姫」II−1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月27日(金)22時44分34秒
1 「カルメン」ソウル公演と国籍問題
〔ビデオ:東京・新宿 ウォルソン発声練習シーン〕
(ピョンヤン訪問から8年後の1993年、韓国からオペラの主役での出演依頼が。しかしソウル公演には「国籍」の問題)
〔ビデオ:「再入国許可証」と「韓国のパスポート」〕(93年「韓国籍」取得)
【本人の語り】「朝鮮」籍というのは「北朝鮮籍」ではない。「北朝鮮」の国籍だったらもっと複雑な思いがあったと思うけど、朝鮮半島がひとつになっていれば悩みもなかった。どうしても「朝鮮」籍と「韓国」籍に分かれていて、それが国が分断されていることによって何もかも引き裂かれているので、なぜ分断されて二つのものを選択しなければいけないのかという気持ちが強かった。両親のふるさとは南だから訪れたいし、ふるさとで歌いたい気持ちも強かったですね。
〔ビデオ:韓国行き。バスの中〜空港着 1994年9月8日〕
(この年金日成死去、食糧危機で脱北者急増。韓国で対北警戒感強まる)
〔ビデオ:記者会見〕(報道陣の質問は「国籍変更」に集中。本人イライラの様子)
〔写真:「転向歌手」として大きく取り上げる新聞記事〕
〔ビデオ:放送スタジオでのインタビュー。やはり「国籍」が中心〕
〔ビデオ:ソウルの交通渋滞〕(高度成長の韓国で予想以上の北朝鮮敵視にイラつく)
【車中での語り:疲労の色】
―統一したらたいへんでしょ、落差があるから。ちょっと想像を絶するね。早く統一はしてほしいけど、どうなっちゃうのか心配になっちゃう。
〔ビデオ:オペラハウスの全景から内部へ。客席、舞台、公演の準備中〕
〔ビデオ:全員で練習風景。大きなバラの花を持つ「カルメン」役のウォルソン〕
〔ビデオ:オペラハウスの外で歌いながらダンス・ステップを踏む〕(公演に備えて1年以上前からフラメンコ教室に通って役づくりに取り組んできた)
〔ビデオ:ソウル市内〕(人々の暮らしに触れようと練習の合間に町に出る。長年暮らした日本での習慣や考え方、朝鮮学校で習った言葉、現地の人との微妙なずれを感じる)
〔ビデオ:練習所?で食事中、少しリラックスの表情〕
【本人の語り】
われわれは韓国人だけどつまりは「在日」ってことね。ものすごく特殊な。本国の人とまたちがうし、向こうもそう思っているし。北も行ったし南にも行く、どっちも自分の国だと思っているけど、日本で生まれて日本から来て、複雑な気持ち。なんだか日本に帰りたいような気持ちもするし(笑)。
〔ビデオ:公演初日の車の中。スコアを膝に広げ緊張の表情〕
〔ビデオ:楽屋。衣装を着けて身振り。メイクを直しポットの飲物少し含んで舞台へ〕
〔ビデオ:ウォルソン・カルメン、階段から駆下り舞台中央で踊り歌う〕
〔ビデオ:終わって舞台から出演者一同客席にあいさつ〕
(「自国の歌手にない情熱的な演技」とマスコミ評。「転向歌手」の肩書すでになし)
〔ビデオ:幕が降りた舞台。他の出演者とごくろうさんを交わして袖へ〕
2 両親のふるさとへ、そして釜山へ
〔ビデオ:夜汽車のシートで眠る〕(両親のふるさと慶尚南道晋州チョンジュへ)
〔ビデオ:車から降りる〕(小雨の中、出迎えてくれた叔父と先祖の墓参り)
〔ビデオ:坂道を歩いて斜面にある墓地へ。墓の前で叔父と共にひざまづく〕
〔ビデオ:かもめ飛ぶ釜山港。「帰って来い、釜山港へ」をくちづさみながら〕
【本人の語り】これが玄界灘かなあっていう感じ。こんなに近くなのに故郷の地を踏まずに死んだ人もいっぱいいる。ほんとに私たちの民族だけが味わう悲劇だよね。
「海峡を越えた歌姫」I−2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月27日(金)00時30分53秒
5 ピョンヤンからの招待
〔写真・ビデオ:北朝鮮政府からの招待状〕(芸術祭参加を求められる。)
【本人の語り】複雑な心境でした。頭の中に描くのはいつも朝鮮半島の全体で、北半分だけ南半分だけが浮かぶことはまずなかった、ひとつの国だと思っていたから。自分の祖国だから行ってみたい、それと兄たちの境遇を確かめたいという気持ちでした。
〔写真:ピョンヤン空港に降り立つ。85年4月〕(兄たちに会えるよう手配を頼んで)
〔写真:金日成主席を囲む大勢の写真のなかの一人ウォルソン〕
〔写真:金日成主席の誕生日に歌う。歌*抗日パルチザンを讃えるアリア/革命歌劇「血の海」より〕(音声は持ち帰ったテープ)
(翌日ホテルで3人の兄たちと25年ぶりの再会)
〔写真:ホテルの部屋で兄と〕(盗聴を恐れて小声で話す)
【本人の語り】兄の眼が何かを訴えるように異様に光っていた。あれほど強く何かを物語ろうとする目は見たことがない。
(帰国したウォルソンさんから話を聞いて、母は次男の墓を建てに北朝鮮訪問)
〔写真:墓前にしゃがむ母キム・カプソンさんと息子〕
(今も音信があるのは四男だけ。90年に長男、2001年に三男死亡の知らせ)
〔ビデオ:海岸の父娘〕
【父娘の語り】
―死んだといわれてもそうは思えないわけ。一生懸命働いて生活を豊かにしているだろうとか、死んだと知ってもそういう夢物語を考えるわけだよ。夢物語。
―海の彼方には結局まぼろし、祖国って結局まぼろしだったと思うときがある。
―まったくそのとおりだね。
〔ビデオ:母の病室〕(三ヵ月前から寝たきりの母をいたわる)
〔ビデオ:倒れる前に母が語り残した録音テープ〕
【テープの母の声】子どもがこんな所に行っているとは夢にも思わなかった。初めて手紙が来てからずっと荷物を送り、4人でいると思って背広も靴もみんな4つ揃えて。…悲しくて悔しくてそのまま帰れない。もし生まれ変わるならこんな寒いところじゃなく…可哀想に。悲劇の元は朝鮮が分断されたこと。責任は日本にもある。本当に可哀想に……
〔ビデオ:舞台 歌*コリア歌曲「恨五百年」〕
「海峡を越えた歌姫」I−1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月27日(金)00時28分6秒
《イントロ》
〔ビデオ:歌手生活20周年記念リサイタルの舞台(04年2月)歌*「アリラン」〕
【本人語り】争いによって国土も人々も歌さえも引き裂かれていく現実をみて、がむしゃらに歌を通して自分の生きる証を確認してきた、そんな20年だったと思います。
《番組タイトル》「海峡を越えた歌姫」
1〔ビデオ:夜の新宿コリアン街・本人の案内と回想〕
2 生い立ち
〔幼時の写真・両親と姉と4人〕
〔写真:集団舞踊の練習風景、朝鮮学校時代〕
(音楽大学受験のとき朝鮮高校卒は「資格なし」と、どこも門前払い。ようやく桐朋学園が受け入れる)
〔写真:桐朋学園時代。舞台衣装?〕
3 歌手デビュー
(実力が評価され、卒業と同時に二期会に所属)
〔ビデオ:1983年の舞台、独唱 *オペラのアリア〕
〔写真:雑誌・新聞の賞賛記事〕(コリア歌曲もクラシック界で好評)
〔ビデオ:舞台で独唱、歌*「故郷の春」〕
4 家族のこと
〔ビデオ:静岡の実家へ向かう電車〜改札口に父ソクマンさん〕
〔写真:白線入り学生帽姿の若い父〕(15歳のとき軍命の勤労動員で内地へ)
〔フィルム:勤労動員の飛行機工場〕
〔ビデオ:小雨の海岸で父と海をながめながら〕
【父娘の会話】
―海を見ると育った韓国を思い出す。わたしのオモニがたくさん歌を知ってて聞かせてくれたが、大声で歌うと朝鮮語だとチクリされる、そういう虚しい悲しい時があったね。
―アボジに教わった歌は、ふるさとに帰ってみたいという歌だったね。それを聴いて育って、漠然と夢の中に「ふるさと」が描かれるような感じだった。
―それより私は子どもたちを食べさせるのでたいへんだったよ。
〔写真:水上のバラック〕(敗戦後の在日コリアンの困窮した暮らしぶり)
〔フィルム:廃品回収業の仕事現場〕(父は廃品回収業で一家6人を支えた)
〔フィルム:新潟港、帰還船と共和国旗〕(1959年帰還事業始まる)
〔写真:4人の兄〕(上は15歳、下は10歳の4人で渡航)
【父の語り】「楽園」だというし自分の国でもあるから、同じ苦労するなら向こうでと。親としてもそれが正しいと思うわけ。当時としては。
〔フィルム:北朝鮮到着。人波と旗と汽車と〕
(大志を抱いて祖国に帰った兄弟からの音信は帰還8年目で途絶える。やがて4人は強制収容所に入れられ、そこで次男が死に、残る3人は収容所を出てから遠隔地で暮らしていると人伝てに知らされる)
〔ビデオ:海岸に立つ父娘〕
「海峡を越えた歌姫」の内容紹介について 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月27日(金)00時26分56秒
再放送を全部または一部見損なった方、何人かおられました。後半しかご覧になれなかった社会主義者さんのご希望もございましたので、遅ればせながら番組の内容を粗々ご紹介してみます。
番組全体を、放映時間にしておよそ30分づつ、3つに大別してみました。
I 生い立ち・歌手デビュー・家族のこと・ピョンヤンからの招待
II 「カルメン」ソウル公演と国籍問題・「高麗山河わが愛」:作者との出会い
III 韓国民主化と日本文化・歌が残す植民地支配の爪痕・歌の架け橋
ナレーションや登場人物の語りは貴重なものですけど、再現するとかなりの量になりますので、コンテふうに画像の場面紹介とし、ナレーションに準拠した最小限の説明と、ご本人ほか一部の方の語りのサワリだけ添えました。それでもけっこうの長さになりますが、ご了解くださいませ。粗密も間違いもあろうかと思います。お気づきの点、ご指摘・補足をいただけたら幸いに存じます。画像の種別と内容は〔〕、説明は()で括り、語りは【】で、また挿入歌は*印、歌詞は♪印で示しました。番号付けと小見出しは便宜的なもので、番組そのものにはもちろんございません。
韓国留学記>望月さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月26日(木)22時22分29秒
この筆者、韓国語の先生としてずいぶん前から名高い方ですよね。
もっとずっとご年配かと思っておりました。
「陰陽論」は、中・朝(韓)・日共通の伝統のひとつかと。
でも、宗教に対する観念はどうしてこんなにちがうのでしょうね>三国
なんか、日本だけノホホンしてるというか(苦笑)。
お久しぶりです 投稿者:望月 投稿日: 8月25日(水)20時09分50秒
目先を変えて、ちょっと気になる韓国留学記をどうぞ・・
http://www.geocities.jp/kyokotsm/korea6.html
ありがとうございました>野次馬の視線さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月24日(火)23時57分4秒
ご案内の9.1集会で中心のピアニスト、チェ・ソンエさんも、大変な体験をされた方のようですね。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0092250.html
リンクを貼っておきます。 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 8月24日(火)18時41分37秒
昨年は大久保の高麗博物館で
特別展示 2003年8月20日(水)〜10月14日(火).
関東大震災80年ミニパネル展示「描かれた朝鮮人虐殺」.
が開かれましたが、今年は次の集会が9月1日にあるようです。
http://www.freeml.com/message/chance-forum@freeml.com/0019457;jsessionid=x0zzpa1a62
CHANCE Forum!への投稿です。うまくリンクできなかったので、上のアドレスをコピー&ペーストでお願いします。
〔修正・再掲〕「オールドファッション・ラヴソング」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月22日(日)20時46分19秒
再放送の前に鍋山さんからご紹介があり、“今度ぜひ聴いてみましょう”とご返事したままになっていた新井英一の標記CD、大手ショップに出向いて入手いたしました。
>新井英一は、ソングライターというよりは(大変失礼!汗)、歌い手で、長い間クラブなどで弾き語りなどを続けてきたので、うまくはないけど(大汗)その声には説得力がある。そんな彼が、何十年も歌いつづけてきた曲を集めたアルバム。
(投稿者:鍋山 投稿日: 7月28日(水)22時02分29秒 )
う〜ん、これはほんとに男性の歌ですねぇ。気張って声張り上げてというのでなく、マッチョを演じるでもなく、内面にたまったものがふうっと息を吐くように押し出されてそのまま声になりメロディを生む、とでも申しましょうか。昔の記憶をたどれば、東映任侠路線当時の高倉健の歌い方がいくらかこれと重なります。日本の演歌調歌謡曲には、女性の立場の唄を男性歌手が歌って独特の効果を上げる、ある種の性倒錯の様式が大きな潮流としてあったのですが、それとはさっぱり無縁に男性が男性の唄を歌って、自然に、まっすぐに、そしてとても新鮮に感じられます。オン・マイクで録ったらしいギターの音も飾り気なく、力強く。
男性の立場の唄を女性歌手が歌う逆の例も少数ながらございました。このアルバム収録ナンバーでは淺川マキの持ち歌だった「かもめ」がそうですね。港町のしがない不良がひそかに恋焦がれる浮気女、その部屋にバラの花を抱えた伊達男が入っていくのを目撃し、逆上してジャックナイフでその女の胸に悲しい血のバラの贈り物、というストーリー歌詞、♪かもめ、かもめ、さよなら、あばよ〜 という最後の一句は、駆けつけた刑事に引き立てられながら振り返ってのものでしょうか。淺川マキの魔女的な歌声が耳に残っておりますけど、新井英一で聴くと、あっ、こっちがほんとの曲だったんじゃない?! そんな気分にさせられます。
《人間の命にとって一曲の歌よりも一個のにぎりめしのほうが大事である。その事は百も承知の上で唄を歌っている。しかし心の中は食いものよりも歌やメロディーでうるおせる時がある。ここに収めた曲は病んだ今の時代に忘れさられてしまったものを、きっと思い出させてくれる名曲と信じている。》(ライナーノート)
収録曲いずれも昔に流行ったものですけど、決して「ナツメロ」とは感じません。時空を超えて古びぬものがここに取り出され歌われているからでしょう。気がつけば「在日」歌手といったことをほとんど意識せずに聴き終わっておりました。でも、「日本人」男性歌手の誰がこれらの歌を「今」の心根をもって歌えるのかなとも思います。“病んだ今の時代に忘れさられてしまったもの”、それは本来の「男らしさ」なのかもわかりませんね。
この“時代の病い”が自閉的な世の中の澱んだ空気によるものなら、それを拭い去る力は、自閉の壁に孔を開け風を吹き込むところから生まれるのでしょう――海峡・峠・国境。新井誠一の唄に表現をみる「男らしさ」の源泉をたずねるべく、次にはやはりご紹介ありました『清河へ』を聴いてみるつもりでおります。
このアルバム、チョン・ウォルソンさんの『夜明けのうた イムジン河』に続いて、貴重な出遭いの1枚となりました。
刺激にみちたご紹介とお薦めにお礼申し上げます。m(..)m>鍋山さん、睡蓮さん
大麻を商っておりました 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月21日(土)02時04分33秒
と言ってもヘンプなんですが、鞄やベルト、ジャケットなどの物品です。ネパールの産です。他にタイや越南の竹製品なども。音楽など芸術の他にもこういう物を見た時に、あーいーなーとか、〜に使いたいと感じる人はわりと居乍らにして心は国境を気にしてないのではとも思います。市の感覚が好きですね。あとは食物も割りと国境を越える。地域そのものでありながら、やすやすと伝播してゆく。キムチ韓国の若い方はあまり食べなくなって、日本向けの輸出が年々増えているとか。いつもながら毒にも薬にもならない話で済みません。
Re:中韓高句麗論争から遠く離れて>睡蓮さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月19日(木)23時19分12秒
>なんとなんとなんとまあ、中国も古い時代のことを持ち出してきたものですね。
ほんとの意図するところは、実はひどく現在的なのではないでしょうか。
>色白く、頭が長細く、釣り上がった一重目蓋、薄い唇の人と小麦色どんぐり眼の二重目蓋、唇厚くずんぐり体型の人とが何処でどう知り合ったか国境なき古代の恋愛を想う方が楽しいですね。
ああ、国境なき古代!
玄界灘を走るフェリーの甲板でウォルソンさんが、隔てる海ではなくつなぐ海になって、もっと自由に行き来できるようになれば、と語っておられたのが強く印象的でした。人類は「国家」などという厄介なものをこしらえてしまって、それに根強くとらわれております。でも、最初からあったわけではなし、いつかなくなる時代をさしのぞむこともできましょう。
歌も詩も舞踏も、そうした幻想を孕む度合いに応じて、「プロパガンダ」の域を踏み越えた独自の力を持てるのではないか、そんな気がしております。
Re:「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」 投稿者:社会主義者 投稿日: 8月16日(月)08時27分35秒
鬼薔薇さん、こんにちは。私のHP、見ていただいたのですね、有難うございます。
まあ、私のHPは、日本の一市民として『アフガン・イラク戦争の帰趨から北朝鮮問題全般と日本の現状・将来について見ていこう』という立場なんですが、ある時は反戦・反グロ資本主義の掲示板、またある時は拉致問題掲示板と化してしまうサイトで、それだけならまだ良いのですが、そこに日々の話題や歴史認識の議論が加わり、一体どこまでがHP・掲示板の守備範囲か自分でもわからなくなる時がある、そういうHPです。常連にRENK会員の方が居たり、「救う会」支持者の方が来られたりして、左右の「潮目」に位置する掲示板だと言われた事もあります(笑)。こんなサイトですが、これからも宜しくお願いします。
鬼薔薇さんの掲示板の方は最近拝見し始めたのですけれど、非常に濃密と言うか、レベルの高い話題が交わされており、いろいろ参考になります。韓国の詩人にしても、私は金芝河ぐらいしか知らないもので…。(汗)。あと、羨ましい事は、(拝見した限りでは)フレーミング(罵倒に堕したような論争)の類いが殆ど無い事ですね。落ち着いて真摯な議論が交わされている感じがします。私の所では、常連同士の揉め事・内ゲバがしょっちゅう起こります…(汗)。
これからも時々拝見させてもらいます。「番組前半部分」の紹介、楽しみにしています。ではまた。
「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月15日(日)23時43分39秒
再放送直後におみえの社会主義者さんが主催されている標記のサイト、遅ればせながら拝見してまいりました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/
この掲示板にもリンク張って下さっているのですね。「チョンウォルソン・ファンの交流掲示板」というご案内文、特に「ファンクラブ」というつもりはないのですけど(苦笑)。
社会主義者さん、番組の前半部分を見逃してしまわれたとのことで、“もし宜しければ、どういう内容だったのか、どなたか教えていただけませんでしょうか?”とのリクエストいただきながらそのままになっております。他にも録画しそこなった方おられましたし、コンテふうに内容のご紹介をしましょうか。ちょっと時間をいただきますけど。
なお、上記サイトのリンクから、中国人民解放軍が中朝国境で大規模な渡河訓練を行っているとの写真つきレポートに行き着きました。「歴史」問題が一挙に今日の現実として突きつけられた思いに緊迫いたします。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/040807.htm
「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)」との署名、いつぞやテレビで視た日本人の活動、と前発言で書きましたのは、このグループのことみたいですね。まあなんとも世間知らずのわたし(^^;
「海峡」の彼方、「峠」の彼方 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月15日(日)23時41分30秒
再放送の前に望月さん、セクトNo.7さんが、戦時中治安維持法で逮捕・投獄され獄中死した留学生詩人・尹東柱(ユン・ドンチュ)の詩を紹介され、それに触れて臨夏さんがこう書かれました。
>わたし、中国の延辺朝鮮族自治州には縁があって、そこにユンのお墓か石碑があるはずで、韓国人たちは、大挙見にいってました。
そこは(臨夏さんが注釈されたとおり)かつての「満州」、大日本帝国が権益を求めて侵略し支配した地域、そして朝鮮独立をめざす抗日パルチザンが闘った場所ですね。今は北朝鮮との国境を越えて飢餓難民が逃げ込んで来るところ。中国当局に捕まれば北朝鮮に強制送還されるその人たちの救助に尽力する日本人の活動を、いつでしたかテレビが伝えておりました。
里洞さんご紹介の下記書籍リストは、カレイドスコープを覗くようにさまざまな問題を浮き上がらせていると感じます。
>延辺・朝鮮族・中国東北関係書籍の紹介
http://members.jcom.home.ne.jp/yanbian/date01/date01.htm
現地に定住している「在中コリアン(朝鮮族)」、観光やビジネスで訪れる韓国人、そして北朝鮮から越境してくる飢餓難民と、3つのグループのコリアンがここで不幸な形で出遭っている現実を伝えるリポートの所在を、蘇丹・加里耶夫さんから教わりました。
「朝鮮族のトライアングル」
http://forum.searchina.ne.jp/2002/0117/column_0117_001.shtml
このリポートの直接のきっかけは、今、韓国と中国との間で起きている(一見学術的な)「国境論争」ですが、さかのぼれば清朝、帝政ロシア、李氏朝鮮、そして大日本帝国が絡む国境と権益問題に行き着き、「満蒙権益」を射程にした日本の朝鮮支配が影を落としております。
この掲示板を「海峡」と名づけたとき念頭に強くあったのは、チョン・ウォルソンさんがドキュメンタリーの最後にフェリーの甲板で語っていた玄界灘、かつての「関釜連絡船」が象徴した、海を隔てた日本と朝鮮半島との関係だったのですが、上のリポートを読み長い書籍リストをながめておりますと、日露戦争以来の朝鮮半島の北側へ回った日本の手をリアルに感じてしまいます。中国東北部の歴史と現在を日本との関係だけから視ようとするのは、問題接近の姿勢として「裏返しのナショナリズム」になってしまうのかもわかりませんが、
>海峡と同様に隔てるものであり、越えて繋がる為の表象に峠があります。
という睡蓮さんのご指摘が含む意味、あらためて噛み締めざるをえません。「峠」の彼方に展開した間島パルチザンの歌、韓国テレビ局の槙村浩探訪取材に触れて里洞さんがご紹介でした。皆さまのご発言が重ねられていくなかに、歴史の輪郭が浮かび上がってくるのを感じます。
ありがとう<里洞さま 投稿者:望月 投稿日: 8月14日(土)13時06分7秒
みなさまコンニチハ
有難うございました、里洞さま。’98年に来日されていたのですね、ぜんぜん知りませんでした。(汗)
それから80年後半からまったく金芝河さんのお名前を聞かなくなったのは、そういう事情があったのですね。
>1984年、赦免復権。この頃から東学教主らの思想を独自に解釈して展開する「生命運動」を始め、「生への畏敬」などを訴える。1991年には、反政府学生運動家たちによる「焼身決起」を批判、これを契機に「反動的」の烙印を押され、政治的発言から遠ざかる。今、韓国の社会運動の世界において、またキリスト教界において、文学界において、金芝河はほとんど注目されていない。もちろん今後金芝河が再び脚光を浴びる時代が来ないとは限らない。しかし、その後の金芝河の思想や行動に対する評価がどうであれ、韓国のキリスト教を語る上で忘れることのできない人物であり、民衆神学を語る上で必ず言及されるべき思想家、活動家である金芝河人々の記憶にとどまるに違いない。カトリック・ラディカル、民主化運動の闘士、民衆詩人金芝河は激動の70年代にその使命を十二分に果たしたといえるのかも知れない。(金芝河と金冠のイエス)より
運動から遠ざかったとはいえ、簡単に切り捨てられない存在だと思います。
’74年に所謂「民青学連事件」の首謀者として死刑の判決をうける。彼は開口一番「光栄です」と言ったそうな。後から、その時受けた心境を「宗教的な天上の予感」であるとも
「芸術的な感動の極地」であるとも「すべての人間的価値とすべての高尚なものが統一された輝かしい極地」とも表現しました。
自分の思想のために民衆と革命の永遠の実現のために殉ずること、そう思った時「わが魂にめぐりあうときまで、わが肉体は戦うであろう。よしんばそのために鞭打たれ、千々に
裂け、あの風に吹かれて散り去ろうとも」(苦行より)と言えたのだと思います。
そう、彼の基本的立場はカトリック・ラジカルでありました。
二 投稿者:すいれん 投稿日: 8月14日(土)01時16分18秒
むしろ日本向けの輸出の方が多いとか。補身湯(ポシンタン)の看板も何時の間にか消えました。今日都バスの浅草寿町発池袋東口行に乗ったら、おばちゃん同士で例の日本語+ハングルの会話をしていて妙に懐かしかった。
三河島 投稿者:すいれん 投稿日: 8月14日(土)01時06分51秒
東京のコリアンタウンとしては現在、大久保が有名ですが、ふたむかし前は三河島もコリアンの街でした。私の住んでいたアパートの裏手は朝鮮語で子供を叱る声、夫婦喧嘩の声…。興奮すると罵声が日本語に変わったり。凄い迫力でドンガラピシャンと物を投げ合ったり。「でてけーっ馬鹿やろ、働きもしないで酒ばっかり愉ァ」となり、その後表へ出てみると、旦那が一人で淋しそうに煙草を吸ってたりして、てれくさそうに笑いかけて来たり。おばさんが時々「うるさくして…」とキムチをくれたり。そういえば、キムチ最近の若い方はあまり食べないとか。
こんな詩も…。 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月14日(土)00時20分22秒
子供の頃のお祭りだった彼らを見たのは
白い着物に松葉杖、アコーディオンの音 ある者は手をうばわれ足を取られて ある者は両目失って生きる標もない 傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営 私も初めてあの悲しいアコーディオンの音と傷痍軍人を見た時の衝撃は忘れられません。 今の若い人はもっと軽やかに、しなやかに生きて、自然に交流しているのかもしれませんが。
峠 投稿者:すいれん 投稿日: 8月14日(土)00時01分45秒
そんな切ない心情が切々と歌われていて…。新井さんの歌はブルースを感じました。朴保さんの歌はレゲエをベースにぱんそりやら農楽を取り入れています。新井さんとは一世代下かなぁ。東京のライブハウスにいたかと思えばサンフランシスコのヒロシマ・デイで有名になったり。ネイティブ・アメリカンと交流したり。ただ峠を聴いた時に新井さんの清河への道がだぶりました。清河への道に挿入されていた、宸ーりらんありらん、あーらりよ、あーりらん峠を越えゆくぅ〜ハイ!宸ニいう部分がとくに。
清河への道 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月13日(金)23時44分49秒
大好きですぅ普B新井英一さんのソウルフルな歌声も。
寥コ海灘を船で越え、釜山の港を前にしてぇえ。夜が明けるのをまぁていた〜宦@ それから腹がへってハングル文字の食堂でメニューが読めなくて、寳lがうまそに食べていたぁー、あれと同じをくうださいとぉー宸「ったり、バスを幾つか乗り継いだりして、親父さんが来た道を逆に辿る。寤齔lで歩く〜清河へのみちぃ〜宸ォっと宿の予約なんかしない。疲れたて止まった所が今日の宿。そんな旅、ルーツを求めて、だけど自分はハングルも話せないチェイル・ギョツポ、故郷は迎えてくれるだろう?
Re:海峡>睡蓮さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月13日(金)22時38分47秒
>海峡と同様に隔てるものであり、越えて繋がる為の表象に峠があります。新井英一さんの歌にも出てきますが。朴保さんの詩を紹介します。
朴保さんの詩は、旅を続けながら自己確立の道を探るひたむきな若者の言葉みたいですけど、吟遊詩人のような雰囲気を感じます。
あまりにも有名な「アリラン」も峠でしたっけ。シドニー五輪で南北選手団が統一旗をもって一緒に後進したとき「アリラン」が流れていたのを思い出します。新井英一さんもアリランをもとにした歌を作られたとか。安準模さんの本にご紹介がありました。
================================================
今もさまざまな形態でアリランは作り出されている。在日2世である新井英一はアリランをもとに「清河〔チョンハ〕」という歌を発表し、1995年日本レコード大賞〈アルバム賞〉を受賞した。
この歌は、自分の父の故郷である慶尚南道・浦項〔ポハン〕の近郊の“清河”という町を訪ねて行くという内容で、6部48編の大作である。彼は日本全国ばかりでなく、ヨーロッパとアメリカでもこの歌を歌った。日本のテレビ局は、彼の演奏旅行を特集し放映した。
特に印象深いのは、彼が演奏旅行のたびに「I am Korean.」と言い、自分が韓国系の日本人であることをはっきり言う場面である。在日同胞が日本に帰化すると、自分が韓国系であることを隠す人が多いが、彼は帰化した後も隠そうとせず、堂々と韓国系であることを明らかにしている。
=============================『韓国 歌の旅』p.3〜4
Re:五賊>里洞さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月13日(金)22時37分47秒
> 詩が発表された時、田さんは小学校高学年だった。高校卒業後、音楽の道に進んでから、じっくり読んだ。「ウリマル(祖国の言葉)にこれほどの風刺力があるとは」と驚き、83年の初リサイタルには金芝河さん作詞の曲を選んだ。
新しい知見でございました。
>パンソリは物語に節を付けて歌う朝鮮の民俗芸能。87年に「五賊」が解禁になり、何回かパンソリで上演されたが、最近は韓国でもほとんど上演されることはないという。今回は当時の歌い手が出演する。
ご紹介の日本公演、98年12月というと6年近くも前のことですか。知らぬまま過ぎていた不明を恥じます。また上演される機会があるとよろしいのですけど。
韓国TV局の槙村浩探訪取材の記事ご紹介もありがとうございます。
>李さんは「槙村は韓国でも『自分たちと同じ、帝国主義に抵抗した人』と受け入れられるだろう。槙村を研究し、影響を受けた人々も心から平和を願っている。日本人も韓国人と同じ平和の思いがあることを伝えたい」と話している。
戦前治安維持法で投獄され拷問がもとで若くして亡くなった、壮絶な闘いあればこその伝承ですね。
「ヨン様」現象雑感・追補>マサキさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月13日(金)22時36分53秒
ご登場にごあいさつもせぬまま批判めいたことを書いてしまい、たいへん失礼いたしました。m(..)m
チョン・ウォルソンさんのオペラ・声楽の世界とポップス・歌謡曲の世界とには、小さくないギャップがあり、多くの発言者は後者に属しますことから、そのギャップをも越えるべき「海峡」のひとつ、ウォルソンさんご自身はいろいろなかたちでそれを越える試みをされているのに対してわが大衆歌謡の側では? と意識していたところから、あのようなコメントとなった次第でございます。
またぜひご意見お書き込みくださいますよう。m(..)m
槙村浩>海峡を越えた詩人 投稿者:里洞 投稿日: 8月12日(木)16時34分58秒
おお3月1日! 民族の血潮が胸をうつおれたちのどのひとりが 無限の憎悪を一瞬にたたきつけたおれたちのどのひとりが 1919年3月1日を忘れようぞ! その日 「大韓独立万才!」の声は全土をゆるがし 踏み躙(にじ)られた日章旗に代えて 母国の旗は家々の戸ごとに翻った…(間島パルチザンの歌より)
2004年07月21日(高知新聞ニュース)
[韓国TV来高 槙村浩を取材 反戦詩人の足跡たどる] 本県出身の反戦詩人、槙村浩(本名・吉田豊道、1912―38年)の生涯をドキュメンタリー番組にまとめようと、韓国のテレビ局がこのほど来高。高知市内のゆかりの地や研究者を訪ねるなど、精力的に取材を続けている。県内での取材は22日までの予定で、1時間番組「平和主義者の肖像」(仮題)として韓国の「解放記念日」の8月15日に放送。アジアの人々が被害者、加害者に分かれる戦争ではなく、平和を願う人間の姿―「アジア共生」の思いを伝える。 槙村は高知市廿代町生まれ。31年にプロレタリア作家同盟高知支部を結成。代表作は「生ける銃架」「間島パルチザンの歌」など。反戦運動も展開し、32年に治安維持法違反で逮捕。出獄の3年後、獄中での拷問がもとで亡くなっている。 来高したのは、韓国首都圏で番組を放映している京仁(キョンイン)放送プロデューサーの李志薫(イ・ジフン)さん(34)ら4人。 日本の大学留学中に槙村研究者に学んだ同局の構成作家と、2年ほど前から企画。「韓国では反戦詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)が有名だが、同時期に同じ思想、境遇だった日本人が今、どう扱われているか知りたかった」(李さん)との思いもあった。 19日に高知市入り。升形の平和資料館「草の家」の研究生、金英丸(キム・ヨンファン)さんらの案内で20日から取材スタート。投獄された高知刑務所跡の城西公園や公園内にある詩碑、平和町の墓などを巡った。 槙村の足跡を前に、李さんがしみじみと語る。「拷問を受けても転向せず、精神の独立を貫いた人なんだなあ」 槙村を30年以上研究している「草の家」の西森茂夫館長にもインタビュー。「槙村をもっと紹介、解説してほしい。まだ知らない人がいますから」との訴えを聞いた。 4人は他県の研究者らにインタビューし、今月末に帰国する。 李さんは「槙村は韓国でも『自分たちと同じ、帝国主義に抵抗した人』と受け入れられるだろう。槙村を研究し、影響を受けた人々も心から平和を願っている。日本人も韓国人と同じ平和の思いがあることを伝えたい」と話している。
高知新聞ニュース
http://www.kochinews.co.jp/0407/040721evening03.htm
延辺・朝鮮族・中国東北関係書籍の紹介
http://members.jcom.home.ne.jp/yanbian/date01/date01.htm
峠 朴保 投稿者:すいれん 投稿日: 8月12日(木)03時09分17秒
深い森の中、木のにおい流れる道 一人歩いた自分を見付けるため
時には人が恋しくて山鳥と唄い 時には立ち止まりなさいと守り神が励ましてくれる
なげたらあかんと三筋山目指せば 杉の木がまっすぐ空をさす
左へさがれば田舎へつづく道
右へ上がればまた旅へ出る
古里をあとにしてもう15年が経った 父母もこの世を去りやまびこにこだまする 人は峠を前に行き先風を読む 誰も教えちゃくれない自分で決めるんだ お前の行く道を自分で越えるんだ
海峡 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月12日(木)02時58分40秒
こんなにも近いのに、越えられそうで越えられない。海峡。気が付けば、人と人の間に様々な海峡が見える。時化ているのか凪いでるか、風よ教えちゃくれまいか。 海峡と同様に隔てるものであり、越えて繋がる為の表象に峠があります。新井英一さんの歌にも出てきますが。朴保さんの詩を紹介します。
「ヨン様」現象雑感 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月11日(水)23時03分54秒
ウォルソンさんのドキュメンタリーに触れて、次のようなご発言がありました。
>NHKがアジアや韓国の番組を題材に放送を行うのはいいことである。しかしヨン様をもてはやす日本人の姿は韓国の人々からどう見られているかと考えたことがあるのだろうか。
(NHKにしてはいい番組だ 投稿者:マサキ 投稿日: 8月 1日(日))
他のサイトにも似たような言説がございました。
>ヨン様に群がる日本人をみて、実は朝鮮の人たちは心の中で苦々しく軽蔑しているのではないでしょうか。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/eiga.htm
どうして「ヨン様」現象をそんなに恥ずかしいことと感じるのか、『冬ソナ』ファンとしては合点がいかぬまま知人と電話で話していたところ、また新聞のコピーが送られてまいりました。在日エリート女性と日本人の貧乏学生の恋物語を描く新TVドラマ『東京湾景』の予告記事、次のように書き出されてございます。
=====================================================
韓国映画「シュリ」のヒットで火がつき、テレビドラマ「冬のソナタ」で頂点に達した観のある還流は、今や日本の社会現象と言っても過言ではない。「冬ソナ」の主役、ペ・ヨンジュンの来日時には、空港到着から滞在先まで女性ファンが押しかけ、新聞、雑誌、テレビの取材攻勢がその熱狂振りに拍車をかけた。時の人となったペ・ヨンジュンは、日本で写真集を発刊し、CMにまで進出した。
「隔世の感あり」というのが、在日1,2世の心情だろう。1945年の解放以降の歴史を見ても、韓国の政治、経済、社会分野ではなく、文化関連のソフトな分野にこれほどまで日本人が関心を寄せたことはなかったからである。
===============================================『民団新聞』6月30日付
韓国現地ではどうかわかりませんが、少なくとも在日社会では「ヨン様」現象そのものは肯定的に受け止められているように思えます。
では、上のような日本人側での見方や推測はどこからきているのかと考えますと、どうやらご当人たち自身が「苦々しく軽蔑している」、その気持ちを「韓国の人々」「朝鮮の人たち」に事寄せて語っているのではないか、そんな気がするのですね。なぜ自分の気持ちなら自分の気持ちとして率直に語らないのだろう、そして、日本人としてこの「ヨン様」現象をそんなに恥ずかしいことと感じるのはなぜなのだろう、疑問は尽きません。上のふたつのご意見には、いわゆる「ミーハー」を見下す「知識人」的な苦々しさや軽蔑の匂いが感じられてなりません。音楽的(?)に申せば、「ミーハー族」より一段高い「ソーラー族」の感じ方でしょうか(苦笑)。
ドラマ『冬ソナ』、わたし好きでございます。外車・ケータイ・茶髪にマンション、いかにも現代風の服装やメイクといった道具立てですが、主人公たちはそれぞれ真剣に生き、愛し合い、まじめに議論し、親たちの無理解に悩み、……その精神のひたむきさというもの、日本の60年代末の若者文化を思わせるものを濃厚に漂わせているではありませんか。「ヨン様」追っかけの女性たちの多くが中高年層だということも示唆的に思います。彼女たちはあのドラマの若者たちの在りように、過ぎ去った青春期の何かを重ねているのではないでしょうか。それに対して知識階級の男性たちはそうしたものを忘れてしまっているのでは?
ここにもまたひとつ、「海峡」が横たわっているのかもわかりませんね。
五賊 投稿者:里洞 投稿日: 8月11日(水)10時43分47秒
金芝河さんと田月仙さんとの接点がありました。
1998年の毎日新聞ニュースから転載します。これ観た方いらっしゃいますか、また公演してほしいですね!
詩人・金芝河さんの代表作「五賊」、日本で初上演へ−−東京で来月6日
◇「五賊」…財閥・国会議員・高級公務員・将軍・長官次官
◇民主化闘争、象徴的存在−−金芝河さんの詩を原作に
軍事独裁時代の韓国で、金大中(キムデジュン)・現大統領とともに民主化闘争の象徴的存在だった詩人、金芝河(キムジハ)さん(57)の代表作「五賊」を、朝鮮の民俗芸能「パンソリ」で日本で初上演する計画が在日韓国人のオペラ歌手、田月仙さんらの手で進んでいる。12月に初来日の予定の金芝河さんを歓迎する気持ちを込め、「抑圧の時代に自由を求めた詩人の心を日本人に知ってもらいたい」という。
<ソウルは都のど真ん中。5人の泥棒、住んでおったとさ>
<姿かたちはけだものながら、まこと豪華けんらんたるけだものなり>
「五賊」とは、財閥、国会議員、高級公務員、将軍、長官次官という名のけものの姿をした5人の盗賊のこと。朴正煕政権下の1970年、金芝河さんは特権階級を痛烈に批判したこの長編詩を発表した。その後、7年近い投獄生活を送り、死刑宣告まで受けた。
詩が発表された時、田さんは小学校高学年だった。高校卒業後、音楽の道に進んでから、じっくり読んだ。「ウリマル(祖国の言葉)にこれほどの風刺力があるとは」と驚き、83年の初リサイタルには金芝河さん作詞の曲を選んだ。
一方、田さんと共に上演を企画した劇団「新宿梁山泊」座長、金守珍さんは16歳でこの詩に出合い「日本は仮の国、日本人に負けるものかと凝り固まっていた心が解けた。求めるのは精神の自由であり自分自身の探究」と話す。
パンソリは物語に節を付けて歌う朝鮮の民俗芸能。87年に「五賊」が解禁になり、何回かパンソリで上演されたが、最近は韓国でもほとんど上演されることはないという。今回は当時の歌い手が出演する。
金芝河さんは90年代に入り、過激な学生運動を批判して学生の反発を受けた。「方向転換」と言う人もいた。田さんは今年3回、ソウルの家を訪ね、「詩人の目は澄んでいる」と感じた。「権力に抵抗したエネルギーを私たちが受け継いでいきたい。だからこそ、この作品を上演したい」
金芝河さんは、12月4日、川崎市内で開かれる世界人権宣言50周年のイベントで講演する。「五賊」上演は6日、東京都千代田区のイイノホールで。本人の舞台あいさつも予定されている。
「総聯再生」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月10日(火)20時46分15秒
ご紹介があった舞踏家・白香珠さんの活動をチョン・ウォルソンさんの音楽活動と重ね合わせ、「分断を超えた統一を先取りする独自の意味を『在日』というあり方が積極的に生み出している」感想を記しました後、朝鮮総連の中からも、新しい動きが生まれていることを知りました。
●洪敬義「良心宣言」=======================================
北の同胞や南の同胞は自身の歴史的体験から統一を心から願い行動しています。
しかし彼らの目の前には世界で最も強固な38度線という壁が現実的に立ちはだかっており、いまだ民衆レベルで自由に行き来するのはもちろん出会うことすら許されぬ状況なのです。
それに比べ私たち在日朝鮮人はどれだけ有利な状況に置かれていることでしょう?
南北を行き来し、南北の同胞たちと出会うことができる私たち在日同胞は統一のための運動でそれ相応の役割と貢献が求められているのです。
その役割を果たしてこそ私たちは民族の悲劇に終止符を打ち、民族の平和のために貢献したと胸を張ることができるでしょう。
===========================================================
「分断と戦争の危機を憂い民族教育の危機に胸を痛めるすべての同胞が日々行っている統一と和合のための出会いを著しく歪曲しねじまげ、当然の権利としての南北の出会い自体に恐怖と戦慄を覚えさせるような暗黒政治をふりかざす」総聯主流に対して敢然と声を上げた方々のサイト「総聯の再生を願うネットフォーラム21(略称:総聯再生フォーラム)」、本年2月開設とのことでございます。上の「良心宣言」は、その開設宣言ともいうべきものでございましょう。
http://www13.plala.or.jp/forum/
金賛汀さんが近著『朝鮮総連』(新潮新書)を「今、在日朝鮮人総聯合会は軋みを上げながら壊れようとしている」と結ばれた、まさにその地点から出発したこの活動、並大抵のご苦労ではないご事情拝察しつつ、心からご健闘をお祈り申し上げます。
とりあえずわたし、上記サイトに掲載の「21世紀、朝鮮総聯の改革と再生のための提言」を熟読させていただくことといたします。
>蘇丹・加里耶夫さま
>民戦解散時の《先覚派》と《後覚派》の論争でも、汎民族組織の建設ということがひとつのテーマになっていますから、在日の運動の底流には常に本国の分断を乗り越えようとする「意思」が働いていたのではないだろうか、と。もちろん当時の分断の固定化という状況の中ではこういう試みは成功しなかったわけですが。
それから半世紀を経た現在、時代状況も国際関係も世代も替わって新しい条件が生まれていることと存じます。そこで問われるのは〈日本〉の側でしょう。上の「総聯再生フォーラム」では「民族教育」があらためて取り上げなおされておりますが、「第三国人」発言の知事を戴く東京都では、「在日」世界に新たな圧迫がかかってきております(熊谷伸一郎「江東区枝川――都に立ち退きを迫られる朝鮮人学校」『世界』9月号)。
唄の話ではなく、歴史の話ですが。。 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 8月10日(火)20時06分29秒
>分断を超えた統一を先取りする独自の意味を「在日」というあり方が積極的に生み出している、そんな感じが強くいたします。
私もそうだと思います。で、歴史を振り返ってみると在日朝鮮・韓国人の民族運動の節目にもそれは現れているだろうと判断します。たとえば、朝連解散後の「民戦」、今日では多くの人が否定的評価を下しているのですが、この組織はもともと民団を離脱した統一同志会を含んでの汎民族組織として立ち上げられたわけでして、議長も統一同志会の李康勲だったはずです。彼ら統一同志会の人々は南朝鮮における金九の立場を支持していましたから、いわば48年の南北連席会議の状況を日本で再現した形になっていたわけです。でも、すぐに民戦主流派(日共民対部)に批判されて彼らは離脱してしまうんではなかったかな?民戦解散時の《先覚派》と《後覚派》の論争でも、汎民族組織の建設ということがひとつのテーマになっていますから、在日の運動の底流には常に本国の分断を乗り越えようとする「意思」が働いていたのではないだろうか、と。もちろん当時の分断の固定化という状況の中ではこういう試みは成功しなかったわけですが。
逆に、最近友人たちと話していて話題になるのは、在外同胞が本国に与えた影響ということですね。たとえば、解放直後に日本にいた朝鮮人の半分以上、「満洲」にいた朝鮮人の半分が本国に帰国するわけですが、解放後の数年間の激動のなかでこの人たちはどういう時間を過ごしていたのだろうか、と。いうまでもなく金日成も満州パルチザン派ですし、以前話題になっていた朴正熙も満州国軍将校でしたから、もちろん本国に与えた影響は計り知れないものがあるわけですが、ビッグネームだけでなく、普通の庶民のレベルでどうだったのか、気になっているところです。在日の民族運動と絡めてでは朝連ソウル支部のその後の行方とかですね。。
(亡くなられた李康勲先生には大昔一度ちらっとご拝見してご挨拶だけ申し上げたことがあります。そのときもずいぶんご高齢でしたが、かくしゃくとしたご様子でした。)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/11/12/20031112000075.html
Re:実は。>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月10日(火)06時58分40秒
>私も録画に失敗しまして。。(泣)先日こっちに戻ってきてから気づいたのですが
なぜかこういうドジな方が多くいらっしゃるのですね、ここって(笑)[*]。
それにしても、ビールから芸能情報、人物動向まで広範なフォローにはほとほと感嘆。
特に崔承喜関係のサイトのご紹介ありがとうございました。
>あらゆるイデオロギーの中で闇の中に葬られた「半島の舞姫」崔承喜をまずみることで、20世紀という朝鮮半島の激動の一世紀を読み取るきっかけにしたいと考えています。あらゆる資料を収集していますが、順に専用のページを設けて整理していく計画です。
とのこと、主宰者の意欲の今後に期待したく思います。同サイトの記述には、
>崔承喜女史の娘、安聖姫女史は生きておられるならば70歳近く。残念ながら消息はわかっていません。しかし、2003年2月の名誉復活が一回のみで終わらないと期待する中に、いずれ安聖姫女史の消息もわかるはずだと思い続けています。
とありますが、金賛汀さんは崔承喜評伝『炎は闇の彼方に』の終章末尾で、「2001年の夏、あるパーティーの席で在日朝鮮人の舞踊家から、つい最近、安聖姫が病死したとの話を聞かされた。天才的な舞姫の訃報に接し、色鮮やかにして鮮烈な踊りの舞台の幕が闇の彼方で静かに降りるのを感じた」と記しておられます。
けれども、同じくご紹介の『東亜日報』記事が“「崔承喜 舞」継承した”と伝える現代の白香珠さんの活躍を知ると、闇の権力が断ち切ろうとして断ち切り尽くせぬ強靭な精神の流れというものが感じられ、「たましい」という言葉のリアリティを覚えます。
>この場合は「踊り」による「海峡」の横断というところでしょうか。
ええ。歌曲におけるウォルソンさんとほとんど重なるイメージで考えますと、分断を超えた統一を先取りする独自の意味を「在日」というあり方が積極的に生み出している、そんな感じが強くいたします。
[*] 当掲示板を「新左翼が中心」と決め付けた方が
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15 名前: キムニンキ 投稿日: 2004/08/09(月) 10:18
新左翼というのは訂正しますが、共産趣味者というのも違い、正確にはファシストです。
あ、三者は同義語か。
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と錯乱的に書いておられたけど、これでは全部ハズレですね(笑)。
実は。。 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 8月10日(火)00時57分5秒
私も録画に失敗しまして。。(泣)先日こっちに戻ってきてから気づいたのですが、後の祭り。今知り合いに録画した人がいないかどうか、聞いているところです。というわけで今のところ自分すら見ていないありさまですから、申し訳ありません。>臨夏さま
以下、番組とは何の関係もない、余談ですが
>わはは、BCびーる、なつかしいでつなあ!(^^)
その氷川、という漢字はほとんど記憶にないです〜。
瓶に書いてました?
そうそう、昔はBCビールでした。今はこういうパッケージになっていますね
http://www5.big.or.jp/~tera/China/Yanji2/YJ9907.html
>リュギョンホテルて、平壌で作りかけで上まで水いけへんやつですよね?うはは。
「北レス」てなんでおます、北朝鮮レストラン?
「柳京」は確か平壌の古名ではなかったですかね。。柳京ホテルは臨夏さんのおっしゃるとおり、廃墟のあれですね(笑)。「北レス」は北の各部門が外貨獲得のため最近世界のあちこちに作ってるレストランで、中国にはあちらこちらにあります。
http://homepage3.nifty.com/dprk/restauranttop.htm
http://chinese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/02/19/20040219000025.html
>京都創成大学、、いうのも、そんなんあったかなあ???(笑
前身は京都短期大学みたいですね。
>大韓民国内でも、パクの評価は高いと聞くのですが。
韓国人に理由を聞くと、ひとつは臨夏さんのおっしゃるとおり韓国の今の経済発展の基礎を作ったということと、あともうひとつは現代韓国の社会の「乱れ」に対する、一種のノスタルジーみたいなものも感じますね。これはどちらかというとある年齢層以上の人が多いようですが。
>鬼薔薇さま
>崔承喜
崔承喜については、近年北でも名誉回復されたそうですが、在日同胞のある女性が北にいる彼女の直弟子から踊りを学んでまして、確か彼女は中国にも行って学んでいたはすですが(崔承喜は一時期中国でも教えていた)、数年前に韓国で崔承喜の踊りを復活させた、という触れ込みで公演を行って好評を博したはずです。この場合は「踊り」による「海峡」の横断というところでしょうか。
http://www.iemoto.com/chaesunhe.html
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?bicode=130000&biid=2001041820408
>〔おまけ〕「在日」という呼称
これについては、在日朝鮮・韓国人に関して言えば日本の側の問題もあると同時に、やはり本国からの規定性も大きいのではないでしょうか。(「在日僑胞」「在日同胞」)
>「帰って来い釜山港へ」
この曲は今でも韓国ではもっとも人々から愛される曲のようですし、私も好きですが(日本語の歌詞は論外)、それでも本国から見る在日同胞へのまなざしと在日同胞が本国を見るときのまなざしの「ズレ」が現れているようで、すこし複雑なものがあります。
http://www.koreanavi.com/entertainment/news/19991220-3.html
>金芝河さんのこと、どなたかご存知の方のご報告をお待ちいたしましょう。
金芝河は80年代以降「生命運動」(だったかな?)を始めて、抗議焼身自殺した学生たちのことを手ひどく批判したものですから、運動圏からは総スカンを食っていましたが、彼は近年は「檀君神話」かなんかに凝って、すっかり「別の世界」へ行ってしまった印象です。
Re:夏休み明けのレスなど>セクトNo7@フォーク武闘派さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月10日(火)00時19分50秒
夏休みとはうらやましい。サラリーマンでいらっしゃる?
――個人情報開示を迫っているのではありませんけど(苦笑)。
>フォークの集まりの最後には「インターナショナル」が、唄われた時代もあったという側面もあるのですよ。(たぶんに気分的なものもあったと思いますが)
だから、「バラが咲いた」と一緒にしないで下さいよ。(;_;)
はいはい、一緒になどいたしませんよ(笑)。
あれはわたしの「薔薇」とのコントラストを示そうと持ち出しただけですので。
「インター」はまあ当時の雰囲気モンだったでしょうからどうでもいいのだけど、ヴィオレータ・パラのココロがあったかどうかですね。
>新井英一さんは日本に帰化しましたね。また、韓国・朝鮮籍の方々もいます。そんなあり方自体が「在日」ということなんじゃないでしょうか?その時代・生活・社会的存在ETCで様々のあり方があると思います。
そう。金石範さんお書きのものを読み、わたしなどでもその〈深み〉が少しは感得できるような気がいたします。世代が重なるにつれていよいよ「様々」さが重なって、「在日」などとひと括りにするのはとても浅薄に思われますし、その「様々」をただ「引き裂かれた」といった受動の相だけに押し込めるのも身勝手に思われます。人はそれぞれ意思を持ち生身の身体を引きずって生きているのですから。
その意思や身体の拠って立つアイデンティティ(どうもすわりの悪い言葉ですけど)の次元において、〈深み〉は〈闇〉を孕んでいるのではないでしょうか。それに比べて「日本人」には、〈深み〉も〈闇〉も稀薄・曖昧でへんに‘のっぺり’しているのですね。
追:
>キムニンキ氏ですか?
フォーラムの有名人物ですよ。たしか?(爆w
あらま、そうなの?! わたしもできればご遠慮したかったけど(苦笑)。
夏休み明けのレスなど 投稿者:セクトNo7@フォーク武闘派 投稿日: 8月 9日(月)22時20分22秒
鬼薔薇の姉さん
>わたしのスローガン=《汝、花を武器とせよ!》
># 亡くなったゲバリスタ竹中労さんの遺言なのね。
懐かしいですね。竹中さん10週勝ち抜きの選手権での毒舌、子供時代の私にとって新鮮でした。確かに「全ての武器を楽器へ?」より「華」のある名言と思います。
>だけど集団文化としてのフォークはやはり平和主義でしょうに。それがダメとか言ってるんじゃ>なくて、そのように実態があったことを率直にみればいいことと思いますけど?
実態としては確かにそうした面があるのは認めますよ。ただし、フォークの集まりの最後には「インターナショナル」が、唄われた時代もあったという側面もあるのですよ。(たぶんに気分的なものもあったと思いますが)
だから、「バラが咲いた」と一緒にしないで下さいよ。(;_;)
キムニンキ氏ですか?
フォーラムの有名人物ですよ。たしか?(爆w
階段がない二階建てを建てるのが好きなようだと思ってましたが、勘違いかな?私は遠慮しときます。(苦笑い
唄はプロパガンダではないと思いますが、プロパガンダの意味を持つこともあると思います。それが文化とか芸術というもんじゃないでしょうか?どうなんでしょうか、天邪鬼さん
在日のことなんですが
新井英一さんは日本に帰化しましたね。また、韓国・朝鮮籍の方々もいます。そんなあり方自体が「在日」ということなんじゃないでしょうか?その時代・生活・社会的存在ETCで様々のあり方があると思います。
金芝河は数年前はエコロジーみたいなことをしていると聞いたことあります。たしか、来日もしていたと思いましたが。
「帰って来い釜山港へ」・2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 9日(月)00時40分6秒
日本のカラオケ定番となった「釜山港へ帰れ」と、元歌「帰って来い釜山港へ」とは、歌詞からして別の歌だという安準模さんのお説、要点次のとおりでございます。
=======================================================================
……韓国人は〈帰って来い釜山港へ 恋しい私の兄弟よ〉の「兄弟」は、植民地時代日本に強制連行され50余年間も祖国に帰ることができない在日同胞を意味している、と思って歌ってきた。単なる流行歌ではなく、歌詞の根っこに民族の歴史的意味が深くかかわっているからこそ、いい歌だと思ってきた。
しかし日本語バージョンでは、そういったイメージが完全に払拭されている。日本で歌われている歌詞は、ありふれた男女の愛と離別の歌であるにすぎない。韓国の娼婦が、キーセン観光で因縁を結んだ日本人男性を待ち焦がれている歌にすぎない。歌詞を深く吟味してみれば、韓国人の自尊心を傷つける歌だともいえよう。しかし日本人たちは、そのような事情をどれだけ知っているだろうか。おそらくまったく知らないまま、無神経に陶酔し、哀愁にみちたメロディーにおぼれているだけではないだろうか。つまり「釜山港へ帰れ」はすでに韓国の歌ではなく、韓国のメロディーを借りた日本の大衆歌謡にすぎないのである。
さらに「釜山港へ帰れ」は、1970年代にはやった日本人男性のキーセン旅行の記憶を懐かしがっている破廉恥ささえ感じさせる。これは過去日本に強制連行された同胞を、異邦人として管理するために指紋押捺させた日本政府のずうずうしい情緒と相通じるかもしれない。
==================================================『韓国 歌の旅』p.114
まことに痛烈、かつ哀しみをたたえた批判として読まねばならぬように思います。ここにはあきらかに「文化」のフィルターがかかっていること、もっと直裁に言うならある種の断絶が横たわっていること、そしてその断絶に対する感性において、彼我のあいだにおそろしいまでの落差があることが示されているというべきでございましょう。
一般に、外国の歌が訳詩で歌われるとき、その訳詩には多かれ少なかれ意味の変換(変形)が伴うのが常であろうと思います。特に大衆歌謡・ポピュラーソングの場合、輸入国の大衆文化への適応という面から、この意味変換(変形)の度合いがクラシックなどより大きいかもわかりません。戦後日本にアメリカの流行歌が「輸入」されたときもそうだったでしょうし(50年代の江利チエミや雪村いづみなどの歌)、日本の場合だけでなく、ラテンアメリカの歌がアメリカに英語で移植された場合にも同様のことがあったはずでございます(「エル・チョクロ〔とうもろこし〕」が「キス・オブ・ファイア〔火の接吻〕」になっていたり)。
そうした意味変換(変形)に表れる文化のギャップというものに対して感性を研ぎ澄ますこと、とてもむつかしいことと思いますけど、相手の国や民族への理解もさることながら、自国・自民族の文化の在りように対する理解の問題が、いっそうむつかしいのかもわかりませんね。「歌は国境を越える」というとき、その「越え」方の孕む問題は、そう簡単なことではないと銘記しておきたく思います。
ウォルソンさんが日本の歌を韓国で歌うときも、このむづかしさにあえて挑戦しているのかなと思ったりいたします。番組でお父様と雨の海辺で語り合うシーン、お父様は子どもの頃に馴染んだ故国の歌を歌うこともはばかられた日々の記憶をひっそりと語っておられましたね。
ご報告 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 8日(日)22時17分49秒
キムニンキさんのご発言に端を発しました「論争」、社会批評社フォーラム・議論板で行っております。党派(特定の政治勢力)相手の政治議論などまことに気の進まぬ仕儀ながら、当掲示板のあり方に関わることとて管理責任の立場から必要最低限お付き合いすることとした次第でございます。
ご関心の向きは、下記の「北朝鮮問題の政治利用を批判するフォーラム」スレッドをどうぞ。ただ、新しい論点や問題開拓といった生産的な結果などご期待いただきませんよう、老婆心ながら(苦笑)。
http://jbbs.shitaraba.com/news/1619/
大爆笑+>望月さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 8日(日)22時16分59秒
スタンバイ状態で寝込んでしまわれたとのこと、爆笑させていただきました(^0^)。
それにしても目が覚めたのが9時とは、健康でいらっしゃる(笑)。
>したがって、それ以降参加する資格がございません。
いいえ、そんな。視てない人は発言資格なしなどと排他的的な規定、当掲示板は設けておりません。半分しか視られなかった方もちらほら。撮ったまま未だ再生していない方もちらほら。暮らしのなかの深夜テレビって、存外そんなものではございませんか。
むしろご覧になれなかったことをバネに、「総合再々放送」路線貫徹を図るふむふむさんにお力をお貸しくださいませ。期待している方も少なくないと存じます。....それにしてもやっぱり可笑しい(笑)。
# だけどふむふむさん、またもや鉄砲玉ですねえ(苦笑)。
また「暗躍」なさっているのかしら。
>光州蜂起を含めた過酷な民主化闘争の歴史は当時、「韓国からの通信」ほかパンフレットぐらいでしか情報がありませんでした。私たちが戦後高度成長とやらを満喫している時にかの国では辛い闘争がえんえんと続いていたのです。
まことに。
日本の敗戦・朝鮮の「解放」に引き続いた済州島での「4.3武装蜂起」を一貫してテーマとして書き綴ってきた金石範さんの『新編「在日」の思想』を読み始めたところですけど、戦後日本の「平和」も「民主主義」も、韓国・台湾・沖縄の軍事独裁や軍事支配の抑圧と暴虐にいわば“守られて”のものであったこと、あらためて銘記せざるを得ません。その狭間こそ、地理上の問題を超えた「海峡」ではなかったか、そんなふうに感じるのでございます。そこを超えることなしに「共同闘争」などありえぬ、いえ、超えようとする相互の関係こそが「共同闘争」か、とも。
わたしたち「日本人」についていえば、この自閉的な文化統体としての「日本」に穴を開けることが課題でしょうか。花と唄とを武器に。――赤いバラを手にしたウォルソンさんのカルメン、番組ではちょっとだけでしたけど、でも素敵でしたね(^^)。
# 金石範さん初期の作品『鴉の死』はずいぶん前に読んだのですが、
超大作『火山島』にはまだ手が着きかねております。
金芝河さんのこと、どなたかご存知の方のご報告をお待ちいたしましょう。
引き続きご発言をよろしくどうぞ。
想い出ぼろぼろ・日韓闘争>睡蓮さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 8日(日)22時14分40秒
望月さんのご発言関係、了解いたしました。
>最後の最後でどうしてあのような単純化した言葉が出たのか
わたしなどもしばしば単純化をいたしますけど、ま、心意気ということで(苦笑)。
>鬼薔薇さんは日韓闘争で機動隊に殴られた経験がおありとか。
まだ無帽・無棒のスクラムデモの時代、せいぜいが散発的な投石戦。ワァ〜ッと機動隊が襲ってきて前の隊列が崩されると後続にいたはずが先頭に押し出され、ヒッと思う間もなく獰猛な顔つきのが警棒を振り下ろしてくる、こちらはスクラムがっちりで避けることもかなわず頭ボカッ!、目から火花が散りました(^^;。こけつまろびつ逃げた先で気がつけば頭から血がボタボタ、髪の毛ぬら〜り。公園の噴水で洗い落とし汚いタオルで頭を巻いて深夜の大学に戻り、「総括会議」のあとは痛む頭をかかえて翌朝撒くビラを作ったり、昼間の勤めはあきらめて学生運動に精魂傾けた、今は遥かな青春の日々でございます。
でも、振り返ってみますと「韓国・朝鮮」問題も「在日」の存在もさして深くは知らぬまま。サルトル『植民地問題』など片手に「日本帝国主義の海外侵略実力阻止!」とか粋がってみたところで、街頭ではいつも機動隊に押し潰されてばかり。同じ時はるかに困難な状況下で闘っていた韓国の「学友諸君」や国内の「在日」の方々の目に果たしてどんなふうに映っていたのやら、顧みて恥ずかしいかぎりでございます。でも金日成だけはどうしても好きになれませんでしたね。毛沢東やホーチミンはなんとなく好き、カストロは大好きでしたけど――「パチャンガに乗った革命」(アニア・フランコ『キューバの祭り』)。
その数年後の反乱の季節を経て、内藤泰子が「想い出ぼろぼろ」でアナーキーに登場いたしました。場末の町工場街に身を沈めパチンコ屋から流れるのを聴いていて....と、なんとか歌の世界に戻ったかしら(笑)。
申し訳ありません<鬼薔薇さま 投稿者:望月 投稿日: 8月 8日(日)16時23分45秒
みなさまコンニチワ
実は大恥を忍んで書きますが、あの日スタンバイを済ませてテレビの前で開始を待っていたのでありましたが、不覚にも寝てしまいました。起きたら朝の9時、見る心算でおりましたので録画の用意もせず全て無に帰してしまいました。(穴が有ったら入りたい)
したがって、それ以降参加する資格がございません。
が、私の名が出てきましたので言い訳がましく一言だけ書かせて下さいませ。
>歌詞が思想であり、曲は組織者、そして歌う者はアジテイター
と申し上げたのは、私のある体験を基にした実に矮小な決め付けであったのかもしれません。とても舌足らずでありました。(大汗)
直前にイムジン河の歌詞についてのご議論があり、どなたかがフォクルのイムジン河こそ
僕達のイムジン河だ、と言うご発言に私も激しく同意致しました。
たしかその曲を聴いたのは高校生のころだった。「わが祖国南の地、思いは・・」エッ!
朝鮮が南北に分断されていることも知らなかったパーな私にこの曲は契機を与えてくれたのです。
>そのようにしか音楽を捉えられない精神は貧しいですね
「哲学の貧困」と「貧困の哲学」のような関係でしょうか、どちらも読んだ事がありませんが(笑)
光州蜂起を含めた過酷な民主化闘争の歴史は当時、「韓国からの通信」ほかパンフレットぐらいでしか情報がありませんでした。私たちが戦後高度成長とやらを満喫している時に、かの国では辛い闘争がえんえんと続いていたのです。
>海峡
もし地理的にこれがなければ、想像を逞しくすれば、私達民族も「汎朝鮮」としてどんな運命を許容していたのでしょうか。「共同闘争」、30年まえに金芝河が提起した問題は今も生きていると思います。
ところで、今、金芝河さんは何をしておられますか?知っておられる方がいたら教えてください。
デモの思い出 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月 8日(日)14時42分48秒
連続ですみません。鬼薔薇さんは日韓闘争で機動隊に殴られた経験がおありとか。私も光州事件に抗議したデモに参加して機動隊の指揮棒が眼の上にあったったことがありました。妊娠中の女性が機動隊に押されたことを抗議しに列を離れて戻った時に偶然あたってしまったのです。その時の指揮官の「しまった!」と言う表情と、直後に出た裏腹な「通行の妨害をするな!」という怒鳴り声に虚偽意識(イデオロギー)を感じて可笑しくなりました。それはそうと月仙さん、坂本龍一さんとコラボレーションするといい作品が産まれるような気もします。
鬼薔薇さん 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月 8日(日)14時19分49秒
遡って読んでみました。改めて政治と音楽(笑)論争をするつもりもございませんが、鬼薔薇さんの望月さんへのご批判と同様なことを言いたかったわけです。望月さんの文章を読んでいて、最後の最後でどうしてあのような単純化した言葉が出たのか心に引っ掛かりがあったものですから。キムニンキさんの発言と並列のような格好になってしまい申し訳ないですね。
Re:場違いですよ。>睡蓮さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 8日(日)10時39分5秒
>確かに時に政治権力に利用されたりもしますけど政治や国境を越えて訴えてくるものを大切にしたくはないですか?
「唄」が(より広くは芸術・芸能が)もつ独特の力ですね。大事な点を簡明にご提起いただきました。
>歌は思想であり、アーチストはアジテーターだとの発言にも同意できません。
再放送前の望月さんのご発言でしたね。わたしも直後に批判的なコメントを差し上げました。ただ、望月さんがおっしゃった「思想」というのは、狭い政治イデオロギーではなかったと思うのですけど? 少なくともキムニンキさんのごとき党派的発言と並べるのはいかがかと。
望月さんは、戦時下不当逮捕のあげく獄中死をとげた青年詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の貴重な遺作をご紹介くださいました。詩集も評伝もいくつか日本語で出ているとのこと、詩心には縁遠い身ではございますが、遅ればせながら読みたく思っております。言葉の響きがいのちの詩を味わうに、翻訳では限界があるとは思いますし、それにわたし絵に描いたような「政治主義者」(笑)ですので、詩人の命を奪った権力への憎しみという「政治的」動機が先に立っておりますが(苦笑)。
「クラシックには縁がない」とのこと、わたしもド演歌派ですけど、大衆歌謡とクラシックやオペラとのあいだの溝もまた、超えるべき「海峡」のひとつではないでしょうか。ウォルソンさんはオペラ歌手としてそこを渡り超えようと創造的な試みをされていると思いますし、睡蓮さんもそこにご注目でしたね。わたしたちの側からそこを超える逆方向の試み、どのように可能なのか、ご一緒に考えてまいりたく思います。
>「歌い続けていきます」ではなく「「歌い続けていけたらいいなと思います」なんです。彼女の真意がどこにあるかはともかく、私はその言い様に接し、我々が単なる聴衆に留まるならば、いつか彼女が歌い続けられなくなる日が来てしまうのではないか?という不気味な想念に襲われた次第です。
どん底さんのこのご指摘、重いものを感じます。
現役シンガー朴保さんの歌のご紹介もありがとうございます。せっかくの詩ですので、しかるべく改行をいれていただいたら読みやすいかなと思いました。
ご本人様のライブ、高円寺でしたか。東京・中央線方面の方、機会あればお出かけくださいませ。わたし? 住まいが方向ちがいの場末ですので....(^^;
場違いですよ。 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月 8日(日)02時53分40秒
キムニンキさん。あまりに政治的、党派的発言は不愉快です。歌は政治以前の民衆の想いが込められていたりします。確かに時に政治権力に利用されたりもしますけど政治や国境を越えて訴えてくるものを大切にしたくはないですか?以前どなたかが書き込まれた、歌は思想であり、アーチストはアジテーターだとの発言にも同意できません。そのようにしか音楽を捉えられない精神は貧しいですねァ
Re:付けたし>キムニンキさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 8日(日)02時31分13秒
ご指定に従い、社会批評社フォーラムに「抗議と反論」を書かせていただきました。
Re:変ですよ>キムニンキさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 8日(日)01時17分53秒
>まあ、旧社会党はたいへん北朝鮮と仲良しだったけれど、ここに集う人たちは新左翼が中心なので、旧社会党支持者が多いのではないですか。
おっしゃる趣旨がわかりませんね。
ここはチョン・ウォルソンさんのドキュメントに関心がある人たちの集まる場であって、政治傾向を問いません。そのことは開設にあたって明示してあるとおりでございます。「右派勢力」であろうと「創価学会」であろうと、一切差別はいたしません。
>これは事実とかなり違います。
というお言葉、そのままお返ししたく存じます。
それに、新左翼が旧社会党支持だなどとおっしゃるご認識もいかがかと思いますけど?
「社共に代わる闘う前衛を!」というのが新左翼の共通了解。ま、その新左翼も今では「旧」をつけねばなりませんけど(苦笑)。
いろいろな方が集まることを求めている当掲示板に、狭い「政治」規定を押し付けるようなご発言には、主宰者としてはっきり抗議を表明しておきたく存じます。これは仰る「反論」ではございません。為念。
もし川が話せたら 朴保 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月 7日(土)23時56分29秒
遠く空をあおぐこころにぐるりと輪を書く 風は静かに北へ流れて春の雪解けを待つ 季節はめぐる歩みつづける そして生まれ変わる 愛をさがして一人咲く一筋の光の中 もし川が話せたらきっとこう言うさ 幾年の思い岩を砕いて道を開いてく 石は転がり土と流れて海へたどりつく 全ての魂、海へたどりつけ 全ての魂、海へたどりつけ
付け足し 投稿者:キムニンキ 投稿日: 8月 7日(土)23時55分28秒
この版の投稿を読んで気になったから指摘したのですが、この話題になると版の趣旨から逸れてしまうので、反論があったら「社会批評社フォーラム」か、その「議論版」でお願いします。
変ですよ 投稿者:キムニンキ 投稿日: 8月 7日(土)23時40分28秒
>かって北朝鮮は楽園だと言って帰国運動に熱を上げた当時の”革新”勢力”(社会党・共産党・いわゆる進歩的文化人)
これは事実とかなり違います。
これは、最近の北朝鮮を利用した右派勢力および創価学会の宣伝そのものです。
まあ、旧社会党はたいへん北朝鮮と仲良しだったけれど、ここに集う人たちは新左翼が中心なので、旧社会党支持者が多いのではないですか。
「帰って来い釜山港へ」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 7日(土)23時19分52秒
「現在、日本のカラオケ曲目に収録されている韓国の歌は、1500曲にものぼる(日本の歌1万5000曲中)。しかし、1988年のソウルオリンピック以前には、韓国の歌はわずか10曲余にすぎなかった。その10曲の中の1曲がまさにこの曲である」――安準模『韓国 歌の旅』の最後に収録された趙容弼「帰って来い釜山港へ」は、「釜山港へ帰れ」として「カラオケに行ったことのある日本人なら知らない人はいないというほど、韓国より日本で有名になった」(同)らしい――らしい、というのはわたしカラオケ無縁ですので実態を知らないためなのですけど、「すでに日本の歌謡界の市民権を得た」この日本語で歌われる「釜山港へ帰れ」は、原曲「帰って来い釜山港へ」ではない、別の歌だと安準模さんは厳しく申します。
〔日本語版〕
椿咲く春なのに あなたは帰らない
たたずむ釜山港に 涙の雨が降る
あついその胸に 顔うずめて
もいちど幸せかみしめたいのよ
トラワヨ プサンハンヘ
逢いたい あなた
(改作・三佳令二)
〔原詩〕
花咲く冬柏島〔トンパクソム〕に 春が来たのに
兄弟が出て行った釜山港には カモメだけが悲しく鳴く
五六島〔オリュクト〕に帰ってくる連絡船ごとに
声を限りに呼んでみても 答のない 私の兄弟よ
帰って来い 釜山港へ 恋しい私の兄弟よ
(前田真彦訳)〔〕内はふりがな
さて、このふたつの歌詞、ここにもまた「海峡」は黒く開いているのかもわかりません。比較して皆さま何をお感じでしょうか。
ウォルソンさんが韓国で「夜明けのうた」を歌えなかった、大衆歌謡・大衆文化解禁をめぐる日韓の軋轢もまた、この「海峡」と無縁ではなかったはずでございます。
「海峡」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 7日(土)21時53分5秒
ご発言読みながらコメントの言葉に詰まったままのこと、ふたつほど記しておきます。
〔1〕
>日朝海峡と称すべきか日韓海峡と称すべきかと問われて答えに窮する重層的な海峡、それがあの海の実態なのだと認識を新たにした次第です。
(番組感想 投稿者:どん底 投稿日: 8月 2日(月))
ここには番組でウォルソンさんもちょっと触れていた、「在日」の方々のアイデンティティという問題があること、鍋山さんが歌手・新井英一さんの言葉を引いてご指摘でした。
>★新井英一は、
「俺の親戚は、北にも南にもいる。この二番の歌詞では、俺には歌えない。『誰が分けた』なんて言えるか〜、北か、南か、日本か〜」と
(『イムジン河』について 1. 投稿者:鍋山 投稿日: 7月27日(火))
日本と朝鮮半島を分ける海というと、まっさきに玄界灘が思い浮かびますね。戦前植民地時代ほとんど唯一といっていい航路でございました。金賛汀『関釜連絡船:海峡を渡った朝鮮人』、〔小説〕金達寿『玄界灘』など、多くの文献・作品もございますし、チョー・ヨンピル「釜山港へ帰れ」はカラオケの定番にもなっております。ウォルソンさんは番組の中で、釜山港の岸壁に立って「こんなに近いのに……」と語り、また最後にフェリーの甲板で、「この海がふたつの民族を分ける海じゃなくつなぐ海になったら」という趣旨の希望を語っておられました。
けれども戦争は、朝鮮半島の人々を内地日本以外にも連れ出しました。典型がサハリン(樺太)、徴用その他で移住を余儀なくされた朝鮮半島出身の人々を、敗戦日本はおきざりにして半世紀近くをすごしました。置き去りにされた方たちの「海峡」を、わたしたちはどのように感知することができるでしょうか。類似の問題は、「満州」に、沖縄に、そして東南アジア各地に、要するに「大東亜戦争」の全領域にあったのではないでしょうか。
〔2〕
削除されたたみ象さんのご発言。
お知り合いの在日の方からのメールで、「自己PRの上手なソプラノおばさん」といったチョン・ウォルソンさんへの醒めた視線をご紹介でした。それを読まれて番組を見る熱がさめてしまったとのことでしたね。
ふたつ問題があるように感じたのですね。ひとつはそのメールでさめてしまったと仰るたみ象さんご自身の「熱」というもの。もうひとつは、そのメールを書かれた方の視線が含むもの。そして後者には、現代日本社会における「在日」の方々のアイデンティティという、上に触れた問題が孕まれていることでございましょう。少なくともわたしたち、「在日」という言葉で多くの人々をひとからげにするような思考様式を脱ぎ捨てねばと思います。
どなたからもコメントがないのを「場違い」と感じられ削除なさったのかもわかりませんが、わたし決して無視していたわけではございませんし、場違いどころか大事な問題提起を含んでいたと存じます。ご発言再掲していただけたら嬉しいのですけど>たみ象さん
〔おまけ〕「在日」という呼称
「在日○○人」にはいろいろな民族や国籍の人がいるはずなのに、なぜ韓国・朝鮮系の人々だけが「在日」で通ってしまうのか、これは単に省略の問題ではないような気がしてしかたありません。80年代に大きな話題を呼んだ「指紋押捺」問題でも、最初に声をあげたのはたしか京都在住の「在日イギリス人」の方だったように記憶いたします。「国籍」と「民族」と「居住地」と、そして個々の「人格」とを、それぞれ切り分けて関係を取り結ぶ思考様式が、わたしたちの文化のなかではひどく貧しいのではないでしょうか。「日本語」の問題ではなく文化的統体としての「日本」の問題がここにあると感じるのでございます。
ポップスの日韓 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 7日(土)12時03分15秒
韓国では和製ポップス(Jポップス)が前から人気で海賊版CDも出回っていると聞いておりましたが、大衆歌謡の全面解禁でこうした芸能空間での交流も活発になることでしょう。そんな折、わたしがこの掲示板を開いていると知った知人から、新聞記事のコピーが先ほど届きました。短いものですので全文ご紹介いたします。
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福田奈々さん●韓国で本格的にデビューする日本人歌手
日本ではなく、韓国の音楽界から歌手デビューすることになった。/といっても、昨今の韓流や韓国での日本文化開放に便乗してのものではない。/韓国とは子どもの時分から関わりがある。14歳のときに父親の影響で民団の韓国語講座に通い始め、高校3年時には韓国への3か月の留学も体験した。
98年、在日韓国青年会が韓日W杯を記念して作った韓日両国の応援ソング『フレンドシップ・友情のゴール』を歌ったのをきっかけに「人前で歌うのが楽しくなり、プロになりたくなった」。/それからは、韓国音楽のライブイベントで活動をしたり、韓国でのオーディションに韓国語で挑んだりした。
「単に韓国でデビューしたいのではない。14歳のときから私の心の中に韓国があったので、熱い想いがある」。/彼女の情熱が韓国のプロデューサーの目にとまり、この秋のデビューが決まった。ジャンルはポップロック。歌詞はもちろん韓国語だ。
夢は「韓国人に愛される歌手になること」。
彼女の韓国への熱い想いが、その夢を叶える日も、そう遠くはないだろう。
〔1982年生、東京都生まれ。歌手。現在、韓国でデビューに向けて準備中。尊敬する歌手は美空ひばり〕
※写真付
============================================『民団新聞』7月21日付
記事からは、中学生の娘を民団の韓国語講座に通わせたお父さんがどういう方かわかりませんが、尊敬する歌手は美空ひばりというのがよいですね(^^)。
頑張ってね!>奈々ちゃん
追:崔承喜の映画が作られていたとは存じませんでした>野次馬さま
どこかで再上映されたらいいですね。
行き損ねてしまった。 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 8月 7日(土)11時09分26秒
数年前にかなり話題になっていましたね。職場はすぐ近くだったのですが、見損ねてしまいました。
☆2000年8月、神保町の岩波ホールで『伝説の舞姫 崔承喜 金梅子が追う民族の心』(製作=崔承喜の映画をつくる会・日本映画新社 配給=岩波ホール)というドキュメンタリー映画が公開された。
伝説の舞姫・崔承喜>天邪鬼さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 6日(金)23時01分3秒
>ぼく達にとって北朝鮮は理想の国でした。珠ちゃんが帰っていくのが非常にうらやましかったのです。
そのときに見た映画を思い出します。サイ・ショウキ(漢字で書けません サイは催のつくり キは姫)の舞踊「沙道城物語」
浪花節とか講談の原点のような歌。美しい踊り。
小さなことは忘れたのですが感動だけが残っています。
石井漠の指導を受け、戦前にヨーロッパでも舞台を踏んで世界的な舞踏家として名声を博した崔承喜。戦時中は日本軍国主義に戦争協力を強いられ、戦後北朝鮮へわたって一時期「民族の華」のように称揚されたものの、その後粛清されたそうですね。他方韓国では敵側の人物として扱われてきたそうですが、最近再評価の動きがあるとか、何かの雑誌で読んだのですが典拠がわからず残念でございます。
『在日、激動の百年』の著者・金賛汀さんが評伝をものされているとのこと、同書の註で知りました。
『闇は炎の彼方に:伝説の舞姫・崔承喜』(NHK出版、2002年刊)
ぜひ読みたく思っております。
在日のアーチスト 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月 6日(金)03時13分46秒
在日のロック歌手、朴保(Pak Pou)さんはお薦めです。自主制作のCD「GOOD NIHGT BABY」,「WHO CAN SAVE THE WORD」が出てます。高円寺パル商店街の居酒屋タイフーンでは時々アットホームなライブをやります。よろしく!
「海峡を越えた歌姫」 投稿者:睡蓮 投稿日: 8月 6日(金)03時00分40秒
観ましたよ。ただ、てっきり総合だと思ってたもので、前半は観てないんです。この番組を観なかったら田さんのことは知らなかったですね。あまりクラッシックには縁がないので。彼女の歌に感動したというより、行動に感動しました。列車の中で大衆歌謡を拾い、その作者の娘さんを山村に訪ねて作者の本当の願いと出会う。禁止された「夜明けの歌」を逆から歌う。表現者としての止むにやまれない行動なのでしょう。そうした表現を続けることで、彼女自身の在日も表現される。「二人の海」とても良かった。今度は総合でもう一度観たいです。
告白>ふむふむさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 6日(金)00時29分6秒
お勧めにしたがい、夜更かしして視てしまいました。
>70年の段階でこんな映画がつくられていたなんて、ヨーロッパのスターリニズム批判は進んでいたんですね。
そうですね。イヴ・モンタンの「苦悩」の演技もなかなかに思いました。
>私は、「在日」問題も21世紀の地球市民形成問題だと思うんですが・・・・
このあたり、わたし感覚的にちがうのですけど、いかがでしょう?>皆さま
Re:ごめんなさい>セクトNo7さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 6日(金)00時23分29秒
>先の放送はDVDに落としてましたが、まだ見てませんので発言は後ほど
なんだかこういう方が多いようねぇ(苦笑)。
>フォークはもともと武闘派です。岡林はボクシング部で気に入らない客を殴ってましたし、拓郎は新人の頃テレビのリハーサルにチャチャを入れた大物Fをぼこぼこに殴っていたといいます。
「単ゲバ」ってわけですか(笑)。
だけど集団文化としてのフォークはやはり平和主義でしょうに。それがダメとか言ってるんじゃなくて、そのように実態があったことを率直にみればいいことと思いますけど?
わたしのスローガン=《汝、花を武器とせよ!》
# 亡くなったゲバリスタ竹中労さんの遺言なのね。
花は花でもわたしのバラには大きなトゲがございまして、「バラが咲いた、バラが咲いた」なんていう甘っトロいのとはちがいますけど(笑)。
ごめんなさい 投稿者:セクトNo7@フォーク武闘派 投稿日: 8月 4日(水)21時17分38秒
>天邪鬼さん、お久しぶりです。お元気なご様子ですね。
こちらの板も、あちらの板より熱い板ですよ。これ保障します。
>あねさん
すみませんね。「前夜祭だけ盛り上げておいて!」なんですが、鍋山のとちゃんからメール着て、「ああたらこおたら」やってました。で、今忙しいのです。「なにに?」は聞かなさんな(武士の情け)
先の放送はDVDに落としてましたが、まだ見てませんので発言は後ほど
>あねさん
フォークはもともと武闘派です。岡林はボクシング部で気に入らない客を殴ってましたし、拓郎は新人の頃テレビのリハーサルにチャチャを入れた大物Fをぼこぼこに殴っていたといいます。
みなの衆、みなの衆、嬉しかったら、腹から笑え
それが唄の原点ではあります。後は、そのうち。ごめんなさい。
話がそれますが 投稿者:ふむふむ 投稿日: 8月 3日(火)08時34分49秒
今晩0:00より、NHK衛星2chでイブ・モンタンの「告白」が放映されますよ。
70年の段階でこんな映画がつくられていたなんて、ヨーロッパのスターリニズム批判は進んでいたんですね。
それに引き換えアジアでは、「北」の現体制の存続にしろ、日本における「在日」問題の放置にしろ、20世紀の総括が遅れていますね。
私は、「在日」問題も21世紀の地球市民形成問題だと思うんですが・・・・
はじめまして 投稿者:天邪鬼 投稿日: 8月 3日(火)08時25分5秒
ぼくは天邪鬼画廊の主でございます。数日前金さんが海峡を越えた歌姫を見てくださいとホームページの掲示板「コーヒータイム」にお誘いがありました。しかし深夜2時の番組で広間のお仕事で疲れている妻がぐっすり寝ている部屋にたった1台のテレビがあるので、目を覚まさせては悪く見ることが出来なかったのでした。ごめんなさい。
もう何十年前になるでしょうか。北朝鮮へ金日成主席の呼びかけで沢山の在日朝鮮人が舞鶴から北朝鮮に帰っていった頃。ぼくは大阪の厚生年金ホールであった帰国朝鮮人の歓送会に参加したことがあります。ぼくの親しかった珠ちゃんと言う看護婦が北朝鮮に帰るのでした。彼女はどうしているだろうかとふと思うことがあります。
赤いチョゴリで働く乙女,
呼び合う仲間の明るい笑顔
それ打ち鍛えよ
平和の鋼
豊かな朝鮮
自由な朝鮮
ぼく達にとって北朝鮮は理想の国でした。珠ちゃんが帰っていくのが非常にうらやましかったのです。
そのときに見た映画を思い出します。サイ・ショウキ(漢字で書けません サイは催のつくり キは姫)の舞踊「沙道城物語」
浪花節とか講談の原点のような歌。美しい踊り。
小さなことは忘れたのですが感動だけが残っています。
今後ともよろしく
http://nozigiku78.hp.infoseek.co.jp
カムイ伝 投稿者:通りすがりのマルクス 投稿日: 8月 2日(月)22時48分35秒
昨日カムイ伝第一部全巻を15年ぶりぐらいに読みました。あれを見ると階級闘争という言葉を思い出します。しかしいま読むと徳川幕府そのものが北朝鮮の金政権と重なって見えて仕方がありませんでした。私だけでしょうか。ところでチョンさんのドキュメンタリーは北朝鮮、日帝、韓国、それぞれの国に対する批判やメッセージが極力少なく、事実のみが述べられ、それが逆に深みを与え、考えさせる番組になった思います。萩原遼氏もこの番組を絶賛していましたが、決して北への批判ということではないと思います。しかしその重いテーマを包み込むのがやはりチョンさんの歌なので、彼女は希有な存在だと思います。生で聞きたいですね。
>皆さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 2日(月)20時21分40秒
いろいろな視点からのご感想、ありがとうございます。それぞれ興味深く読ませていただきました。引き続き他の方のお書き込みもお待ちしております。
# それにしても、なぜか再放送前と後とで発言者がごっそり入れ替わってしまったのが可笑しい(笑)。
>前半部分は北朝鮮との関わりの部分だったのですね。もし宜しければ、どういう内容だったのか、どなたか教えていただけませんでしょうか?(社会主義者さん)
撮ったビデオを再生してコンテふうにご紹介すべきところ、手抜きで申し訳ないのですが、とりあえず下記感想文がご参考になるかと存じます。
荒木国臣 [ETV特集「海峡を越えた歌姫・在日コリアン声楽家の20年」]
http://www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/eiga.htm
事実関係は放送とちがうところもあるようですが(北朝鮮で再会しヒソヒソ声で話したお相手は、叔父様ではなくお兄様だったと思います)、そのあたり、またあらためまして。
追:久しぶりにお目にかかれて嬉しく存じます(^^)>どん底さま
わたし去年から、超スローペースで『帝国主義論』など読んでおります。
http://6213.teacup.com/onibara/bbs
番組感想 投稿者:どん底 投稿日: 8月 2日(月)19時08分10秒
みなさん、こんにちは。
海峡を越えた歌姫−在日コリアン声楽家の二十年−拝見しました。
冒頭から襟を正しての視聴です。というのも、1957年生まれのチョン・ウォルソンさんと私はほぼ同世代なんです。いやが上にも私の歩んできた日本人としての半生と彼女の在日としてのそれを対照せざるを得ません。もっとも、高度成長を経てそこそこの生活に恵まれ、学力相応の大学に入り、可も無く不可もない半生を送ってきた「自分語り」をするつもりはありません。彼女の「ドラマ」には私自身の半生に突き刺さるものがあったとだけ述べておきましょう。これは、「半生」という言葉の重さに沈み込む自分と、いや、まだ残りの「半生」があると息巻くもう1人の自分の統一見解であります(苦笑?)
海峡…象徴的な言葉です。そう、日本列島と朝鮮半島の間にあるあの海はまさしく海峡なんです。日本人は「日本海」だと主張し、韓国の人々は「いや、東海だ」と主張しております。呼称を巡るこの絶対的対立の存在そのものもまた、そこが「海峡」であることを示すものであります。しかも、日朝海峡と称すべきか日韓海峡と称すべきかと問われて答えに窮する重層的な海峡、それがあの海の実態なのだと認識を新たにした次第です。
その幾重にも深く広い「海峡」に一人船をこぎ出した歌姫のドラマ、いや、むしろ彼女の船旅がそこにある「海峡」を我々に映し出したと言うべきでしょうか。政治として語られる「海峡」はこれまでも確かにありました。しかし、彼女のドラマは政治を越えて生身の人間が格闘すべき対象としての「海峡」をそこに映し出しています。それは政治が語る海峡よりもずっと深く広い。にも関わらず、政治が語る際に付着している諦念を払拭できそうな希望をも添えています。それは、政治が示そうとしない「海峡を越えることへの強い熱意」を彼女がその力強い歌唱によって我々と彼の国の人々に示しているからかもしれません。
もちろん、素朴に楽観する時代ではありません。番組の終わりで彼女は「これからも歌い続けていけたらいいなと思います」と語りました。「歌い続けていきます」ではなく「「歌い続けていけたらいいなと思います」なんです。彼女の真意がどこにあるかはともかく、私はその言い様に接し、我々が単なる聴衆に留まるならば、いつか彼女が歌い続けられなくなる日が来てしまうのではないか?という不気味な想念に襲われた次第です。
個々にはいろいろ拾い上げたいこともありますが、とりあえず全体の感想を書かせて頂きました(なお、言い回し等は記憶によっていますので、正確さは保障の限りではありません)。
はじめまして 投稿者:社会主義者 投稿日: 8月 2日(月)00時22分40秒
はじめまして。「社会主義者」というHNの者です。
「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」というHP及び掲示板を主宰しています。
私の掲示板の常連さんにチョン・ウォルソンさんの特集番組[海峡を越えた歌姫]の視聴を勧められ、この掲示板を紹介されましたので、ちょっとやってきました。
上記の番組は、7月10日の最初の放送では前半が見る事が出来なくて、後半部分のみ視聴できました。視聴した中では下記の点が印象に残っていました。
(1)「高麗山河わが愛」の紹介と、チョン・ウォルソンさんがその作詞者を訪ねる場面。
(2)チョン・ウォルソンさんが韓国公演で日本の歌を3曲紹介した中の1曲「夜明けの歌」(いずみたく作詞)が日本の大衆歌曲とみなされ演奏を認められず(当時は日本文化解禁前夜の時期)、已む無くメロディーだけ独唱せざるを得なかった事。
(3)その韓国の日本文化輸入禁止政策についても、植民地時代の朝鮮半島では民族歌曲・民族舞踊が禁止され、日本の歌曲・軍歌を強要されたのが背景にある事、例えば「鉄道唱歌」のメロディーで「学徒歌」という啓蒙歌が作られ、朝鮮各地で歌われていた事。
見る事が出来なかった前半については、残念ながら再放送でも見過ごしてしまいました(泣)。前半部分は北朝鮮との関わりの部分だったのですね。もし宜しければ、どういう内容だったのか、どなたか教えていただけませんでしょうか?
これをご縁に、私の拙サイト・掲示板の方も、宜しくお願いします。
・アフガン・イラク・北朝鮮と日本
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/
NHKにしてはいい番組だ 投稿者:マサキ 投稿日: 8月 1日(日)19時50分33秒
読売新聞で木村栄文氏が連載しているコラムで<海峡を越えた歌姫>の再放送を知り深夜なので録画して拝見した。NHKにもまだこのような番組作りの姿勢が残っていたと安心に近いものを感じた。私は昔からNHKの番組ドキュメンタリーを見ている愛好者である。かつてのNHK特集には地味だが意欲的で良質な番組が多かった。それが人々の心に残る番組となった。たとえ少数の視聴者でもその番組によって人生や生き方を左右される番組があったと断言する。しかし最近はNHKの番組は民放の亜流のような大衆に迎合する番組、もしくはテーマばかりが先行する思考停止の番組があまりにも多すぎる。NHKがアーカイブスを放送しているのはかつての栄光に対する自己弁護にしか見えない。もちろんそれはテレビ産業のみではなく小生が属している新聞業界や出版業界、音楽業界など日本の言論産業の大部分に当てはまる。
そのような昨今で昨晩の番組のソプラノ歌手には堪能した。日本の音楽大学で受験の資格がないと拒否され、北朝鮮では収容所からたった1人生還した兄と再会し、韓国では転向歌手とのレッテルを貼られ、歌の歴史を追跡する旅に出る。彼女は万感の思いを込めて一つ一つの歌を歌っている。このような歌手はいまの日本に他にいるだろうか。私が知る限りクラシックにも演歌にもいない。木村氏も湿っぽくない大作と評価しているが最近希に見る見応えのある番組であったことは事実である。このような歌手を発掘して90分という長時間で放送することを決定したNHKおよびチーフカメラマンには脱帽する。
NHKがアジアや韓国の番組を題材に放送を行うのはいいことである。しかしヨン様をもてはやす日本人の姿は韓国の人々からどう見られているかと考えたことがあるのだろうか。あくまでも国内の視聴者に対する視聴率ばかりに目をとられるとさらに大事な国営放送としての価値を失うのではないか。英国BBCもこうなのだろうか。深夜ではあるがこのような番組を放送している真摯な姿勢は評価できる。この作品の続編を熱望する。
小学校の時に 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 8月 1日(日)13時02分52秒
今から思えば宮島義勇という方が監督をした「千里馬」という映画を見に行った記憶があります。内容はまったく記憶に残っていませんが、朝鮮民主主義人民共和国は躍進しているという内容だったのだろうと思います。家の近所に在日朝鮮人は多かったのですが、帰国事業により渡った人のことは具体的には知りません。
http://home.catv.ne.jp/dd/amyama/eiga/date/kenkyuu1.html
(無題) 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 1日(日)10時20分46秒
>「保守陣営」の主観はひとまずおいて、保守が韓国パクチョンヒなどの「開発独裁」を支援して、韓国の経済成長を早めた、という「事実」はどう受け止めるべきでしょう。
同じように、戦前の植民地支配が後の離陸=経済成長スタートの基礎を与えたという「事実」を語ることもできましょう。事実、日韓条約締結交渉の折に日本政府の代表がその種の発言をして物議をかもしたこと(高杉発言事件)、同条約反対デモで機動隊の警棒をしたたかに頭に受け止めた激痛と合わせ、記憶に鮮明でございます。
分断国家の片方だけに肩入れして南北の対立激化に加担したことは、経済成長を早めたでしょうか、それとも遅らせたでしょうか。軍事緊張が緩和しておれば、もっと円滑な経済建設を歩めたとも考えられましょう、南北とも。むろん北の悲惨な現状の最大の責任が北の独裁政権自身にあるのもまた「事実」と思いますけど(拉致事件など、戦前戦後を通じて「日本の責任」などではまったくございませんし)。
>大韓民国内でも、パクの評価は高いと聞くのですが。
そういう声もあるようですね。ロシアでも「共産党時代のほうがよかった」との声があるとか。文脈は少しちがうかもわかりませんが。
ま、あまりここで政治談議をする意思はございませんが、番組でウォルソンさんが「早く南北統一してほしいけど、実際にしたら相当な混乱になる、ドイツの比ではないだろう」との懸念を語っていたのが印象に残りました。
話はずれますが、 投稿者:臨夏 投稿日: 8月 1日(日)05時49分7秒
番組見られへんかったもので(>_<)
>「反省」が足りないのは、“革新勢力”ばかりではございませんね。長いこと韓国軍事独裁を支え(支えるフリして利権と利潤を追求し)た“保守勢力”も同罪でございましょう。いえ、行政権力の座にあった分だけより罪は重いかも。
わたしも左翼社会主義者のはしくれ、そう思いたいところなんですが、(^^;、
「保守陣営」の主観はひとまずおいて、保守が韓国パクチョンヒなどの「開発独裁」を支援して、韓国の経済成長を早めた、という「事実」はどう受け止めるべきでしょう。
大韓民国内でも、パクの評価は高いと聞くのですが。
(昔、北朝鮮シンパの在日朝鮮人に、朴正煕をほめたら、「なんで独裁者をほめるの」と言われ、ハッとしたことも思い出しました。この辺、世代や立場によって、全然バックボーンも変わってくるでしょうね。)
いらっしゃいませ>占部テル子さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 8月 1日(日)00時05分55秒
>かって北朝鮮は楽園だと言って帰国運動に熱を上げた当時の”革新”勢力”(社会党・共産党・いわゆる進歩的文化人)はこの番組を見てもっともっと反省して欲しいと思います。
かつて朝鮮総連におられた金賛汀さんの『朝鮮総連』(新潮新書)はお読みでしょうか。立場・観点はちがいますが、鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書)と併せて、わたしたちの認識を点検する素材になるのではないかと存じます。
「反省」が足りないのは、“革新勢力”ばかりではございませんね。長いこと韓国軍事独裁を支え(支えるフリして利権と利潤を追求し)た“保守勢力”も同罪でございましょう。いえ、行政権力の座にあった分だけより罪は重いかも。
日本人の思考方法という点では、いずれも未だ決着はついていないままかと存じます。
またよろしくどうぞ(^^)。
# それにしても常連は沈黙?
ETV特集「海峡を越えた歌姫」を見ました 投稿者:占部テル子 投稿日: 7月31日(土)11時39分6秒
7/30深夜放送を見ました。日頃韓国人や中国人の反日感情に多少苦々しく思って居たのですが、この放送を見てこの問題の本質が分かるような気がしました。
主人公のご苦労もさることながら、かって北朝鮮は楽園だと言って帰国運動に熱を上げた当時の”革新”勢力”(社会党・共産党・いわゆる進歩的文化人)はこの番組を見てもっともっと反省して欲しいと思います。月仙さんの歌もよかったです。総合テレビでまた聞きたいですね。
終わりました。 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月31日(土)02時48分1秒
前回も視たのに、そのビデオだって撮ってあるのに、だけど、やっぱり視ました。
放映だって生じゃない、録画なのに、でもやっぱり、放映時間に視ました。
歌っているウォルソンさん、語っているウォルソンさんとひとつの時間を共有するには、そうするほかないような、そんな思いで、夜更かしして視てしまいました。
わたし、夜更かしすると翌日ずっと目が痛むのですね。若い頃から酷使してきたせいなのだけど、明日もきっと目が痛んで、目やにもいっぱい出て、目薬注してもこすってもだめだと思うけれど、それでもやっぱり、この時間に起きていて視てよかったと思います。
初めて視た方、二度目の方、いろいろな感想をお持ちのことと思います。どうぞその感じたこと、思ったことを、お書き込みくださいますよう。そして、語り合っていただきますよう。それを通じて、わたしたちの「海峡」、超えるべき「海峡」を、ご一緒に見つめ合うことができればと思います。
よろしくお願いいたします。
追:野次馬の視線さま、ありがとうございます。
今、見終わりました。 投稿者:野次馬の視線 投稿日: 7月31日(土)02時34分2秒
いずれ感想など記します。
スタンバイ 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月30日(金)23時04分23秒
再放送を前にいくつか。お名前表記略します失礼をお許しくださいませ。
>「延辺」です(^^;
延安は、毛が穴居しとったとこでおます。
延辺は、加藤清正も遠征したところ、東北、まんしゅうでつ。
>あ、それに、「自治区」やのうて「自治州」です。
あらまっ! わたしとしたことが....(^^;
朝の忙しい時間にそそくさと書いたもので……なんて言い訳にもなりゃしない(泣)。
ごめんなさい。m(..)m
>あはははは、行きますか(笑)一緒に氷川ビールで羊肉串でもつつきましょう(笑)もしくは柳京飯店に行っても楽しそうですね(笑)
お話、「北方ツングース」の領域へと広がっていきそうですね。
故・江上波夫先生が馬に乗って顔を出しそうな予感も(笑)。
# でも、うらやましい会話(--)←嫉妬のまなざし
いいわ、あたしゃ屋台のコップ酒で冷奴でもつつきましょっと。
>ここんところ多方面で暗躍したせいか、私のパソコン、メール爆弾を喰らっちゃってようやく今日復旧させました。しかし不特定多数へのコンタクトって怖いですね。
そんなご事情とは知らず、「鉄砲玉」なんて言ってごめんなさい。
実はわたしのところ、こないだそれで死にまして(^^; 今や高度自衛武装体制。
>後援会としては、あくまでも総合テレビでの再放送を狙っているので、番組放映後の局への反響に期待しています。
再々放送、実現するとよろしいですね。わたしも期待。
でも、だからってNHKへのリクエスト・メール爆弾はいけませんよ(笑)。
# “やられたらやり返す”のは断然いいけど(^^)。
>詩は思想であり、メロディはオルガナイザー、そして歌唱者はアジティターではないでしょうか?
「歌」についてはそうも言えそうに思えますけど、でも、そうするとリズムは?
それに、「思想」はすべてに貫かれていてこそ思想ではないのかしら。
でないと、〔信号→アンプ→スピーカー〕といった機能主義に陥りかねぬ危惧も。
# ド演歌派としては、「思想」より「こころ」とか言いたいところですけど。
さて、それでは身を清めて再放送を待ちましょう。
いえ、暑いからシャワーで汗を流すだけですけど(笑)。
かの国の詩人達 投稿者:望月 投稿日: 7月30日(金)21時00分46秒
みなさまコンニチハ。もうすぐ始まりますね。
引用ですが・・
「36年間にわたった、わが韓民族に対する、あなた達日本民族の、史上類例を見ない狡猾残忍な帝国主義的侵略、抑圧と収奪は、わが民族全体を人間以下の牛馬の境地に追い込み、ついに地上から追放されたものの地位に陥れたのでありますが、あなた達日本民族はそのような非道な方法をもってわが民族を非人間化することによって、実はわが民族だけでなく、あなた達日本民族自身をも同時に非人間化したのであります。
私達が人間らしく生存し、あなた達が人間らしく生存しうる唯一の活路は、私達が現在進めている民主・民族・民生運動と、これに対するあなた達のより広範な、より強化された共同闘争だけであります。」金芝河・日本民衆への提案より
金芝河は詩人でありました。
朴軍事政権の圧政に対して、厳しくおのれの言葉と身をさらすことによって、詩表現を一般的な人間の内面を描く抽象から激しく決別させました。
闘い抵抗する人間の内面を掘り下げることによって、詩表現に生きた生命力を与えました。彼はそれを「言語的暴力」として民衆の武器すえたのです。
だから「五賊」は権力者から徹底的に弾圧されました。
詩は思想であり、メロディはオルガナイザー、そして歌唱者はアジティターではないでしょうか?
鬼薔薇ねぇさん 投稿者:鉄砲玉ふむふむ 投稿日: 7月30日(金)19時47分38秒
いや〜、参りました。
ここんところ多方面で暗躍したせいか、私のパソコン、メール爆弾を喰らっちゃってようやく今日復旧させました。しかし不特定多数へのコンタクトって怖いですね。
いよいよ再放送、今夜ですね。
後援会としては、あくまでも総合テレビでの再放送を狙っているので、番組放映後の局への反響に期待しています。
みなさん、ヨロシク。
あ、蘇丹・加里耶夫さま> 投稿者:臨夏 投稿日: 7月30日(金)19時07分15秒
送っていただけたらありがたいのですが、こっちにはビデオを見る装備がないんです(^^;
機械のことはよう知れへんのですが、VCDとかDVDにできるもんならば、それは実費払いますし、送っていただきたいです。
よんぎる>
わはは、BCびーる、なつかしいでつなあ!(^^)
その氷川、という漢字はほとんど記憶にないです〜。
瓶に書いてました?
リュギョンホテルて、平壌で作りかけで上まで水いけへんやつですよね?うはは。
「北レス」てなんでおます、北朝鮮レストラン?
京都創成大学、、いうのも、そんなんあったかなあ???(笑
>臨夏さま 投稿者:蘇丹・加里耶夫@外 投稿日: 7月30日(金)16時56分56秒
>NHKに問い合わせた結果、番組、こっちではもう再放送せんようで、甚だ残念です。
弟にビデオで撮ってもらおうかな。
私も録画する予定なので、もしよかったらダビングしてそちらに送りましょうか?
>わたし、中国の延辺朝鮮族自治州には縁があって、
そこにユンのお墓か石碑があるはずで、韓国人たちは、大挙見にいってました。
私も墓所には行ってないのですが、龍井にある彼の出身校である大成中学とそこにある尹東柱の詩碑は見てきました。ずいぶん前の話ですけどね(笑)墓所も南の人が出費して立派なものがあるらしいです。
>また、延辺朝鮮族自治州のヨンギル市には行きたい思ております。
蘇丹・加里耶夫さま、ごいっしょに如何でしょう(笑
あはははは、行きますか(笑)一緒に氷川ビールで羊肉串でもつつきましょう(笑)もしくは柳京飯店に行っても楽しそうですね(笑)
↓日本で先生をしている南の人の延辺訪問記
http://www2.kyoto-sosei.ac.jp/j-022/t-015.html
↓延吉柳京飯店って?
http://homepage3.nifty.com/dprk/yanji-ryg.htm
わ、もう今日ですか〜 投稿者:臨夏 投稿日: 7月30日(金)14時04分27秒
なぜ「あかん」か>
最近連絡とってない友人なんですが、ちょっと探してみます。
延安〜>
「延辺」です(^^;
延安は、毛が穴居しとったとこでおます。
延辺は、加藤清正も遠征したところ、東北、まんしゅうでつ。
あ、それに、「自治区」やのうて「自治州」です。
細かいようですが、行政上、かなりの差がありますので。
再放送いよいよ今夜 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月30日(金)09時20分11秒
でございます。ご用意よろしいでしょうか?>ALL
# それにしても鉄砲玉ふむふむさんは今何処に?(苦笑)
おはようございます>臨夏さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月30日(金)09時19分25秒
>ユンドンチュについても書いてはるかたいてはりましたね(^^)
望月さん、続いてセクトNo.7さんが、それぞれ遺作をご紹介くださいました。
豊かな感性をもった青年詩人を、獄につなぎ死に追いやったのは日本帝国主義。そのケジメは今なおついていないと存じます。墓所は延安朝鮮族自治区なのですか。
それから、金賛汀さんのどこがなぜ「あかん」のか、そのお知り合いのご意見たしかめてみていただけません?
わたししばらくこの方の著作を追ってみたく思っておりますので。
大阪がらみですと、朝鮮出身の女子工員さんが多かった戦前の岸和田紡績の争議のことも書いておみえだそうですね。『朝鮮人女工のうた』――本はもう絶版のようですが。帝国主義の下で民族は階級関係において姿を現すことが思われます。このあたりは、読書室か仰山党板ででも。
今夜の再放送、そちらでご覧になれぬのなら、ぜひぜひ録画を頼まれますよう!
「フォーク武闘派」?>セクトさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月30日(金)09時18分22秒
ものすごい形容矛盾みたい。
人の頭をギターでボコンとやるシーン、『ローマの休日』でみましたけど(苦笑)。
>フォークルのCDがでたことは、前に書いています。
「アジアのイマジン 投稿日: 7月26日(月)10時29分4秒」でしたね。失礼いたしました。m(..)m
でもその「イムジン河」、韓国民主化のエネルギーに押し上げられ逆流してきたものでしょ? 決して「自力更正・自力復活」ではなかったわけよね。そこですでに「日本人」は壊れているのではないでしょうか。それでもなお「日本人にとっての」とは?
よろこびは汚辱のかたちで 悪寒をおぼえ吐きだす澱のように
希望はよれよれの雲 足げにされてはみだした綿のように
けれどわたしのメモワール わたしのたたかい
それは十年の歳月をたえてやってきた
わたしの同志にわたしの憎悪をはげますように
――吉本隆明「死の国の世代へ」
十年ならぬ50年をフラッシュバックする西村書の本体部分につきましては、鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書)などとも併せ、あらためましてどこかで。
「前夜祭」の盛り立て、ありがとうございました。m(..)m
在日朝鮮人問題は、 投稿者:臨夏 投稿日: 7月30日(金)06時23分47秒
わたしの出発点みたいなかんじです。
そんなに詳しいわけでもないんですが(^^;
金賛汀は、岩波新書の『異邦人は君が代丸に乗って』に、感動しましたが、友人の朝鮮問題活動家(左翼じゃない(苦笑))は、「こいつあかんで」みたいに言うてはりました。
わたしにはようわかりません。
猪飼野(いかいの)、という土地をご存知ですか?
ことえりには登録されていませんでした(笑
自分で辞書入れたれ。
在日朝鮮人の原点みたいな土地なんですが、「釜ヶ崎」と同じく、行政に抹殺された地名です。
いまは焼き肉で有名な、生野区鶴橋近辺の、コリアタウン近辺の、土地です。
いつか、鬼薔薇さんをご案内して、お好み焼きか焼き肉か食べたいですね〜。
過去ログ飛ばし読みしたんで、失礼なんですが、ユンドンチュについても書いてはるかたいてはりましたね(^^)
わたし、中国の延辺朝鮮族自治州には縁があって、そこにユンのお墓か石碑があるはずで、韓国人たちは、大挙見にいってました。
それに、わたしら日本人が加われんかった(単に、交流が薄く、知らんかったんですが)こととか、朝日交流上、残念でした。
また、延辺朝鮮族自治州のヨンギル市には行きたい思ております。
蘇丹・加里耶夫さま、ごいっしょに如何でしょう(笑
NHKに問い合わせた結果、番組、こっちではもう再放送せんようで、甚だ残念です。
弟にビデオで撮ってもらおうかな。
そっか、私は二つもってるんだ 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月29日(木)23時10分58秒
>姉さん
フォークルの紹介ありがとうございます。フォークルのCDがでたことは、前に書いています。そのなかに「イムジン河」も入ってます。そして解散コンサートのNHKの録画には朝鮮語版「イムジン河」も入っています。
>フォーク派と赤色ド演歌派の党派対立、ここに「止揚」のきっかけを見出せるなら、この板にいくつか姿を現した「海峡」の少なくともひとつは超える展望を確保できるのかもわかりません。
ウーン、フォーク派の鍋山さんもカラオケは「石狩挽歌」とか、私は反動「宇宙戦艦ヤマト」(大笑い)です。止揚する歌はやっぱ新井英一の「オールドファッション・ラヴソング」の唄ではないかと愚考します。
>>ただし、私達日本人のイムジン河はフォークルのイムジン河であると思うだけです。
>これまた誤植。“私達*フォーク派*の”と訂正をお勧めいたします。
フォーク派が「日本人」を占有しようなど、「非難轟々」だけではすまぬかもわかりませんよ。赤色ド演歌派には武闘派・暴力路線も多うございますので(鬼笑)。
んにゃ、新井英一さん、チョン・ウォルソンさんほかetcの在日の方や韓国・朝鮮の方が歌うならいろんな詩があってもわかりますけれど、日本人にとっての「イムジン河」の歌詞はフォークルのイムジン河だと思います。ここで引っ込んじゃ、フォーク武闘派の名がすたる!(wa)
逆流!「イムジン河」(^^) 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月29日(木)21時02分26秒
>で、「イムジン江」がらみのお話、とりあえず一段落でしょうか?>ALL
などと申した舌の根、いえ叩いた指先も乾かぬうちにお話蒸し返しでございます(笑)。
フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が出し直されているではありませんか!
《68年に発売日と同時に発売禁止となった名曲がリマスターで蘇った。2001年紅白でのキム・ヨンジャの熱唱も記憶に新しい今、発禁の真相も諸説あるこの楽曲がオリジナルの形で聴けるのは話題。》
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/music/B000060N3V/reviews/ref=ed_er_dp_1_1/249-8225700-7160302
上の情報にアクセスする契機となった文献資料をご紹介いたしましょう。
《秦はレコード会社URLを作り(69年1月)、「イムジン河」を第一回目の発売リストに加えた。――中略――69年月、URCレコード第一回配布で「イムジン河/リムジンガン」が発売された。――大幅中略――/URCレコードはイムジン河の作者を不明としたが、朝鮮総連はこの曲の作曲者と作詞者を明記するよう要求した。――中略――/その曲が2000年6月、金大中・韓国大統領の北朝鮮訪問をきっかけに、韓国で再評価された。韓国の人気シンガー、キム・ヨンジャがCDを発売し、2001年末のNHK紅白歌合戦で歌った。――中略――/その「イムジン河」復活をきっかけにフォークルが再結成し、彼らの「イムジン河」のCDが改めて発売された。また、……大手レコード会社、エイベックスがURLの復刻版を発売している。URLのもつ音楽性が高いためであろう。》
(西村秀樹『大阪で闘った朝鮮戦争:吹田枚方事件の青春群像』p.31〜34)。
大阪の国鉄吹田駅を舞台とする「吹田事件」とは、東京・皇居前広場の「メーデー事件」、名古屋の「大須事件」と並んで三大騒擾事件と呼ばれた民衆の実力闘争、朝鮮戦争に対する大規模な反戦闘争で、在日朝鮮人左翼が前面に出て闘ったことでも知られております。赤色ド演歌派の「在日」認識には欠かせぬこの事件から半世紀もたって、事件当時に生を享けた実力派ジャーナリストがまとめた最新のルポルタージュがこの本。経営不振が伝えられて久しい岩波書店から先月に出たばかりのところでございます。フォーク派と赤色ド演歌派の党派対立、ここに「止揚」のきっかけを見出せるなら、この板にいくつか姿を現した「海峡」の少なくともひとつは超える展望を確保できるのかもわかりません。
もちろん“前を向くようなバカ”たる赤色ド演歌派といたしましては、35年も前の録音のリカット盤に抱くべきノスタルジアなどかけらもこれなく、今やホームドラマのお婆さん役に落ち着いたお竜さんの顔の皺をながめつつ、“♪時よ時節よ、変わろとままよ”と口づさみながらキリリと歩むのみでございます(笑)。
「鳳仙花」ふたたび・2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月28日(水)23時51分46秒
この歌は日本でも多くの人が歌っているとのこと、歌詞もいろいろでしょう。手許にあるCD『加藤登紀子 ベスト&ベスト』(ポリドール DCT-774)では次のとおりです。
赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
灼けつく夏の日 暑さも知らずに
かわいい娘は 爪先染めたよ
赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
やがて夏去り 秋風吹けば
ほうせん花種蒔け 遠くへはじけよ
赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
やがて夏去り 秋風吹けば
かわいい娘は 爪先染めたよ
「つまさき」でなくて「つめさき」と歌われる「爪先染めた」というところ、先のふたつの訳詩のいずれにも見えませんが、では創作かといえばそうでもないようで、「昔から韓国では夏になれば乙女たちが集まって庭の鳳仙花の花びらで爪を染める可憐な風習があり、それにまつわる説話がたくさん残っている」(『韓国 歌の旅』p.10)とのこと。上の歌詞はこうした事情を咀嚼して書かれたものなのでしょう。この日本語の作詞者の名は明記されておりませんが。
加藤登紀子さんの歌詞と節回しなら、わたしでもなんとかついて歌えるのですが....。
+
実はこの歌には、言葉と歌詞のほかにもうひとつ、拍子の問題があるのですね。CD『夜明けのうた イムジン江』のライナーノートにはこうございます。
《「鳳仙花」は今でも多くの歌手によって歌われているが、ほとんどが歌いや
すい八分の六拍子に編曲されている。このCDでは原曲そのものの八分の九
拍子で歌っている。》
そう言われて『韓国 歌の旅』の楽譜をみると、やはり八分の六拍子でした。加藤登紀子さんの歌も、拍子をとりながら聴いてみれば同じみたい。チョン・ウォルソンさん歌う「鳳仙花」は、そういう意味で原曲の復元という意義をももっているのでしょう。
けれども、加藤登紀子さんのと聴き比べてみたときに感じる圧倒的なちがい、「夜明けのうた」で岸洋子さんのとのあのちがいとも共通する何か、ポピュラーとクラシックとの発声法や歌唱法の違いを考えてもなお説明のつかぬ、純音楽的なもの以上の何かが、聴く者の神経にビリビリと迫ってくるのですね。歌い上げていって最後にズバっと断ち切るような終わり方、その残す余韻の深さ、凄まじいものを感じます。これは「絶唱」といえばいいのか、むしろ音曲に仮託された「叫び」ではないのでしょうか。
《この歌姫は、荒れ果てた広野へ向かう。とすれば、その踏みしめる足元から、「むごさ」や「焦げつき」に耐えた幾つもの歌の芽が伸びてくるのであろう。》(唐十郎)と言われるその足取りの問題でしょうか。ここには一切のセンチメンタリズムを退けた、壮絶というべき精神の緊張がビンと張っており、なまなかな精神でよく対応できるものとはとても思えません。
# でも、お登紀さんのあの透明な叙情性もやはり捨てがたく....。
「鳳仙花」ふたたび・1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月28日(水)23時49分59秒
この歌の背景や歴史については、先に安準模『韓国 歌の旅』(白帝社刊)という本から要点をご紹介したところですが、では歌そのものはどうなのでしょう。
CD『夜明けのうた イムジン江』でチョン・ウォルソンさんはもちろん原語で歌っているのですが、ライナーノートには日本語で書かれております。
間垣の陰の赤い鳳仙花よ
佇むお前の姿が悲しい
長い夏の日美しく花咲く頃
可愛い乙女たち その姿 愛でたよ
いつしか夏が去り 秋風そよ吹く
美しい花びらをむごくも侵せしに
花落ち老い果てた お前の姿いたわしい
北風寒い雪冷たく お前の姿なくなれど
平和への夢見る その魂ここにあり
のどかな春風に もう一度よみがえれよ
これでメロディーに合わせて歌ってみようとしたのですが、とてもとても(^^;
「歌詞の翻訳には、メロディーに合わせて訳す方法もありますが、本書では歌詞の意味を最優先に考え訳しました」(訳者あとがき)という『韓国 歌の旅』では、次のとおりでございます。
垣根の下に立つ鳳仙花よ
お前の姿がもの悲しい
長い長い夏の日に 美しく咲く頃
かわいい娘たちは お前とよろこんで遊んだ
いつのまにか夏が過ぎ 秋風が肌寒く吹き
美しい花を ひどくいためつけるので
散って枯れた お前の姿がもの悲しい
北風寒雪 冷たい風に お前の姿は消えうせたが
平和な夢をみる お前の魂はここにあるので
のどかな春風に よみがえることを願う
韓国語まるでわかりませんけど、これからして上のライナーノートの日本語版歌詞も、原詩に忠実なものと想像できます。
なお、『韓国 歌の旅』の紹介書評に出会いましたのでご紹介しておきます。
http://www.ksyc.jp/mukuge/202/yamane-b.htm
「むくげ通信」というサイト。むくげは韓国を代表する花だそうですね。
# 実はわたし、この本の著者を女性とばかり思い込んでおりまして、この書評で「彼」とあるのをみて、あっ!と思いました。ダメな読者(^^;
/続
>たいして歳が変わらないお二人さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月28日(水)23時41分19秒
ま、わたしよりかはお若いのでしょうから、醜い争いはやめて(苦笑)。
>【チョン・ウォルソンさんをめぐる掲示板】なのに、思い出話みたいな投稿をして反
省しております。(汗)
“みたい”どころかモロ「思い出話」でしょうに。それも正確には“フォーク派全共闘世代の”ね。はい、世代も党派性もちがっていて、わたし安心しております(笑)。もっとも、古さにかけてはわたしのほうが上手かもね。って、威張ることでもないけれど(苦笑)。
>新井英一は、ソングライターというよりは(大変失礼!汗)、歌い手で、長い間クラ
ブなどで弾き語りなどを続けてきたので、うまくはないけど(大汗)その声には説得
力がある。
これは、今度ぜひ聴いてみましょう。
# 「カスバの女」を唄っては、緑川アコが最高でした。
>こりゃ、在日の人から非難轟々!民族の詩人を辱めたと言われるかも?
お気をつけあそばせ。
>ただし、私達日本人のイムジン河はフォークルのイムジン河であると思うだけです。
これまた誤植。“私達*フォーク派*の”と訂正をお勧めいたします。
フォーク派が「日本人」を占有しようなど、「非難轟々」だけではすまぬかもわかりませんよ。赤色ド演歌派には武闘派・暴力路線も多うございますので(鬼笑)。
♪男衣装に飾っていても、挿した簪、緋牡丹ゆれる
で、「イムジン江」がらみのお話、とりあえず一段落でしょうか?>ALL
よろしければウォルソンさんの他のお歌のことなども。
この板では紳士的に 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月28日(水)23時38分2秒
>鍋山のとっつぁま
ウーンと歳は結構と言いませんが離れていますよ。
ただ、私が首を突っ込んだのが若すぎたのでしょう。
それはともかく
>著作権」なんて難しいことではなく、原作者を確かめて、一言断ってから発売すれ
ばよかったのよ。簡単に調べられたことなんだから。
今だからそれは言えるの。あの当時は著作権のことなんて誰も考えていない時代です。ホントに今日もウッデイ・ガスリーの曲聴いてたんだけれど、結構日本語フォークに歌われてんだから。だいたい著作権なんてブルジョワ価値観だったんと違う?とっつぁんの頃は
おまけに道路交通法を破るのは常識だったくせにさ。こっちは官憲の方が人数多かった時代なんだから。
>『竹田の子守唄』も、部落を歌ったものとして「放送禁止歌=自主規制歌」に入ってたよね。
そうです。でもリーダーの人は責任としてこの曲は唄っていくみたいなこといってました。
>急進主義フォークの頂点・岡林信康が行方不明になり、吉田拓郎が出てきたところ
で、「フォークも終わった」と認識していました。岡林信者としては・
終わってません!友部、友川などがいるじゃないですか。そして彼らはまだ唄っています。
思い出話もごちゃごちゃも31日の前夜祭と思えば、枯木も花の賑わいじゃないけれど寂しいよりはましです。
とっちゃんが気に入らないのなら、敬愛をこめて「とっつぁま」でいかでしょう?ルパンも銭形さんをこう呼んで愛情を込めてましたから。(WA)
RE3:《臨津江》歌詞について>鬼薔薇さま 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 7月28日(水)22時58分45秒
>CDのライナーノートには、次のようにございます。
《ウォルソンは原詩で「わが故郷、南の地」となっているくだりを、1983年のデビュー以来歌い馴染んだ「わが故郷、母なる懐」と歌っている。》
引用、わざわざありがとうございました。「懐=プム」でしたか。最初聞いたこき、該当部分が「コモ」に聞こえてしまって、“お母さん、おばさん”じゃ変だなあ、と思っていたのです(冷汗)。いやいや、私の聞き取りのレベルなんてその程度ですよ(笑)。
ウォルソンさんの歌声を聞きながら思い出したのですが、私はもしかすると以前にウォルソンさんが歌われていた場所に同席していたことがあるかもしれません。10年以上前になりますが、在日同胞のさして大きくもない催しにウォルソンさんが呼ばれて数曲歌っていたのではないだろうか、と。曲は確か『アリラン』と『鳳仙花』ではなかったかな?ただ、私は友人が歌っていた『ノドル江辺』とかほかの方が歌っていた『涙に濡れた豆満江』とかのほうが印象に残っていて、はっきりと憶えていないのが残念です。。。おまけにその会は途中から誰も彼もが歌いだしてノレパン(カラオケ)のようになってましたしね(笑)。←この辺はウリキョレのいつものパターン?(笑)
>再放送をご覧になってのご感想をまたぜひ。
はい!そのあとまた登場します。
たいして歳が変わらないのに、「とっちゃん」言うな(笑) 投稿者:鍋山 投稿日: 7月28日(水)22時02分29秒
鬼姉さん
【チョン・ウォルソンさんをめぐる掲示板】なのに、思い出話みたいな投稿をして反
省しております。(汗)
数年前にもNHKで、ウォルソンさんのドキュメンタリーを見たような気がします。
この【ETV特集・毎週土曜日・22時〜23時30分・教育テレビ】は、なかなか優
れものです。
「これまでの放送内容」や「ドキュメントの切り口」を見ると、60年代後半〜70年代
に青春を生きた・今50代後半のプロデューサーが関わっているなと勝手に思ってま
す。
「これまでの放送内容」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
私のお勧め〜 他にも興味深いものが・・・
5月15日(土)
【「フォーク」であること〜60年代フォーク歌手たちは今〜】
高田渡と高石ともや
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/0515.html
2月21日(土)
【獏さんを知ってますか?】
山之口獏
tp://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2004/0221.html
11月15日(土)
【耕さない田んぼが環境を変える】
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
【懲りずに・・・】
たいして若くもないセクトくん
「イムジン河〜松山猛」
「著作権」なんて難しいことではなく、原作者を確かめて、一言断ってから発売すれ
ばよかったのよ。簡単に調べられたことなんだから。
『竹田の子守唄』も、「ルーツを求めて」大分県竹田に取材に行った記者がいたけれ
ども、歌っていた『赤い鳥』のメンバーに素直に聞けばすぐにわかったのにね。
彼らも、歌う前に「いつ作られたものか、作者はわかりませんが、京都の宇治竹田の
被差別部落で歌い継がれてきたものです。」と曲紹介していた。
『竹田の子守唄』も、部落を歌ったものとして「放送禁止歌=自主規制歌」に入って
たよね。
急進主義フォークの頂点・岡林信康が行方不明になり、吉田拓郎が出てきたところ
で、「フォークも終わった」と認識していました。岡林信者としては・・・
鬼姉さん
カラオケでは、「石狩挽歌」、「カスバの女」(作曲は在日)なんぞを歌ってます。(汗)
日本で一番の歌は、『ヨイトマケの唄』だと思ってます。
新井英一は、ソングライターというよりは(大変失礼!汗)、歌い手で、長い間クラ
ブなどで弾き語りなどを続けてきたので、うまくはないけど(大汗)その声には説得
力がある。そんな彼が、何十年も歌いつづけてきた曲を集めたアルバム。
「オールドファッション・ラヴソング」
http://www.e-arai.com/cd_old.html
1. 遠くへ行きたい 2. 黒の舟唄 3. かもめ 4. 流浪の旅 5. ゴンドラの唄
6. 石狩挽歌 7. ヨイトマケの唄 8. 硝子のジョニー 9. ともしび 10. イ
ムジン江 11. 明日は明日の風が吹く 12. 港が見える丘 13. 人を恋うる歌 14.
青空(MY BLUE HEAVEN)
誤植だらけだった 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月28日(水)21時28分2秒
みなさま、すみません。
尹 東 柱の詩の引用に誤植が4箇所ほど見つけました。一応直したつもりですが、まだあるかも?こりゃ、在日の人から非難轟々!民族の詩人を辱めたと言われるかも?
イムジン河ですが、在日の方々がいろんな詩で歌うのは、それぞれの在日のあり方を問う意味では当たり前であります。どれが正解と言うもんじゃないと思いますし、それぞれのイムジン河があって良いと思います。
ただし、私達日本人のイムジン河はフォークルのイムジン河であると思うだけです。
RE:《臨津江》歌詞について>鬼薔薇さま 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 7月28日(水)09時10分14秒
おはようございます。
>韓国語・朝鮮語もおできになるとはさすが、と思います。わたし日本語しかできなくて。せっかくウォルソンさんのCDを聴いてもそれが哀しい(^^;
いえいえ、私もできるというほどのものではありません。これも辞書引き引きでしたから(笑)。ところでそのウォルソンさんの『イムジン江』ですが、HPからたどって聞けるのを聞くと三段目のところ、原曲では「わが故郷、南の地」と歌っているところを「私の母なる故郷へ」と歌ってらっしゃるようです(音でも“オモニ ……”と聞き取れます)。多分ウォルソンさんは南北の分断ということだけでなく、本国と在外同胞という分断にも思いをはせて歌っていらっしゃるのではないでしょうか。
唄、うた、歌 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月28日(水)08時51分46秒
唄は聞いた人がどれだけ感情移入できるかが勝負なのですが、詩として美しいほうがいのです。
>誰(だれ)が祖国を二つに分けてしまったの
>誰(だれ)が祖国を分けてしまったの
>この部分を、新井英一は、次のように歌っている
>ふるさとの人たちは 達者でいるだろか
>イムジン河水清く とうとうと流る
やっぱり前者の方が詩としての美しさを感じます。新井英一さんは土の香りが強すぎます。と、言ってもやはりイムジン河を唄うことに彼なりのこだわりと、この唄のもつインパクトが在るんだと思います。
>姉さん
北原ミレイさん在日だったんですか?デビュー曲j「ざんげの値打ちもない」は衝撃的な唄でした。少年時代の多感な頃(今笑っただろう!鍋山のとっちゃん)には、耳をふさぎたくなるような感じがしました。でも、良い曲だったと思います。
>望月さん
尹 東 柱の紹介、ありがとうございます。「序詞」いつ聞いてもいいですね。唯一の詩集「空と風と星と詩」でしたか?そのなかの<序詞>の別訳です。
逝く日まで空を見上げ
一点も恥じないことを、
葉裏に起る風にも
私は苦しんでいた。
星を歌う心で
すべての去り逝くものを 慈しまねば
そして 私に示された道を 歩んでゆこう
今夜も星が 風に吹かれている
少し雰囲気が違う訳に感じません?
そして、私ががもっとも唸った詩
窓のそとに夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、
詩人とは悲しい天命だと知りながらも
一行 詩を書いてみようか、
汗の匂いと愛の匂いとがほんのり含まれた
送ってくださった学費封筒をうけとり
大学ノートを脇にはさみ
年おいた教授の講義を聴きにゆく。
考えてみれば 幼いときの友達を
ひとり、ふたり、すべてなくしてしましまい
私はなにを望み
私は ただ、 ひとり沈んでいるのか?
人生は生きづらいのに
詩がこれほどたやすく書けるのは
恥ずかしいことだ
六畳部屋は他人の国
窓の外に夜の雨がささやくのに、
灯火を明るくして暗がりをすこし追いやり、
時代のように 来る朝を待つ最後の私、
私は私に小さな手をさしだし
涙と慰めでにぎる最初の握手。
尹 東 柱 「たやすく書けた詩」
二日酔いのガンガンする頭で打っているので、誤植があったらごめんなさい。
PS、姉さん
>でも、その「時代」とそのなかでの「歩み」に刻み込まれているものを注視したく思えば、作者はそのイニシアル・ポイントとしてやはり大事な存在ではないかと。
でも、イムジン河はメロディはともかく、詩は訳詩ではなく完全な作詞の部類に入りますのでご指摘は当たんないかと?この唄が支持されたのは詩の持つメッセージだったと思います。
でも、メロディが民族楽器で演奏されたときは、感動もんではありました。ホント「美」というもんを感じましたよ。
ある番組感想 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)22時17分13秒
再放送の金曜日が日一日と近づいておりますが、たまたま出会いました感想文、ご紹介してみます。
===========================================================================
荒木国臣 [ETV特集「海峡を越えた歌姫・在日コリアン声楽家の20年」]
http://www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/eiga.htm
筆者は名古屋におられる経済学の先生。いかにも「進歩的知識人」を絵に描いたような調子で、赤色ド演歌派といたしましては違和感抑えがたいものがございますけど(苦笑)。
たとえば文末の「ヨンさま」現象への言及。
わたしそんなに否定的にはみておりません。だって素敵でしょ、あのドラマ(^^)。
Re:尹 東 柱 >望月 さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)21時37分22秒
この作者のお名前には、ちょうど読み始めた本で出遭ったところでございます。
「朝鮮独立の思いを友人と語ったということで、同志社大学の学生だった尹東柱〔ユン・ドンジュ〕は1943年7月、友人とともに検挙され投獄されている。彼は戦後、韓国で朝鮮植民地支配下の最後の暗黒期に燦然と輝いた民族詩人と高い評価を受けるが、当時は無名の学生で、福岡刑務所に服役中、不可解な獄中死を遂げた。彼の民族の宝というべき多くの未発表原稿は特高に押収され、その作品群の多くは未だに行方不明である」(金賛汀『在日、激動の百年』p.80)。
貴重な詩のご紹介、ありがとうございました。m(..)m
北原ミレイ>セクトさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)21時36分23秒
やはり在日の、すぐれた歌い手さんでしたね。
「石狩挽歌」もよい曲でしたけど、ご出身が暑い名古屋だそうですから、地理感覚として北海道は本来ではないような。
わたしらド演歌派といたしましては、何を措いても衝撃の「ざんげの値打ちもない」、そして個人的には「捨てるものがあるうちはいい」。くずおれそうになるぎりぎりのところを意地で支え、研ぎ澄ましたナイフを切ない想いに包みこんだような歌声が暗く張り詰めて、もうこの2曲だけで十分に思ってしまいます。
今も現役で歌っておられるかと思いますが。
いらっしゃいませ(^^)>Jさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)21時35分47秒
>インターネットで「海峡を越えた歌姫」に関する情報を調べておりまして、偶然こちらの掲示板を知りました。
「偶然」というのがよろしいですね。一文字のハンドルも素敵(^^)。
「なんて情のこもった歌い方をなさるのだろう」
ほんとにね。
ウォルソンさんをよくご存知とのこと、お近くで感じ取られたものをぜひお書き込みくださいませ。
ここ、世界的オペラ歌手の衣装の裾に、なぜかフォーク派とド演歌派とがまといつくような風景になってしまっておりまして(^^;、本格派の方に少し雰囲気を変えていただけたら嬉しく存じます。
よろしくどうぞ。m(..)m
Re:《臨津江》歌詞について>蘇丹・加里耶夫さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)21時26分16秒
サイトのご紹介ありがとうございました。
>《臨津江》は『イムジン河』になることによって原曲とは別の意味を持ったともいえるのではないでしょうか。『イムジン河』の歌詞の数あるバージョンはそれをよくあらわしているように思うのですが。
歌がたどった足取り、それを決めた運命、そこに歌い継いだ人々の想いが幾重にも塗り重ねられているのでしょうね。
韓国語・朝鮮語もおできになるとはさすが、と思います。わたし日本語しかできなくて。せっかくウォルソンさんのCDを聴いてもそれが哀しい(^^;
Hi,フォーク派!>鍋山さま、セクトさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)21時25分41秒
はしだのりひこ、「イムジン河」でそんなに知られていたとは。
わたしなど「帰ってきたヨッパライ」か「風」くらいしか記憶になくて(^^;
>「イ か リ か」という問題。朝鮮語を勉強している友人によれば、北と南の微妙な発音の違いで、「李」という苗字も北では「リ」、南では「イ」なのでその違いではないかということです。
李さんというお名前、韓国式には「イ」とお読みするようですけど、英語表記では「lee」と書かれている方もおられました。それほど絶対的なちがいではない、それがあちらの音感なのかなと、勝手に想像いたします。
>唄とか詩とかは作られたときから製作者の手を離れて時代のなかを一人で歩きだすのですから、いまさら作者のことを言ってもしょうもない話でしょう。
でも、その「時代」とそのなかでの「歩み」に刻み込まれているものを注視したく思えば、作者はそのイニシアル・ポイントとしてやはり大事な存在ではないかと。
尹 東 柱 投稿者:望月 投稿日: 7月27日(火)19時58分12秒
みなさまコンニチハ。
歌謡もいいですが、詩もいいですよ。
よく知っていると思いますが、尹東柱の詩を紹介させてください。
>序詞
死ぬ日まで空を仰ぎ
一転の恥なきことを
葉あいにそよぐ風にさえ
私は心を痛めた
星をうたうこころで
すべて死にいくものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩み行かねば
今夜も星が風にさらされる
>道
失くしてしまったのです
何を何処で失くしたのかもわからず
両手でポケットをまさぐりながら
道へと進んでいきます
石と石と石とが果てしなく連なり
道は石垣に沿ってつずきます
石垣は鉄門を硬く閉じ
道の上に長い影を落とし
道は朝から夕べへ
夕べから朝へと通じました
石垣をさぐり涙して
仰げば空は恥ずかしいまでに青いのです
草一つないこの道を歩むのは
石垣の向こうにわたしが生きながらえているからで
私が生きているのは、ただ、失くしたものを探すためなのです。
(尹東柱)
1917年韓国・間島に生まれる。
延世大から同志社大に留学、治安維持法にて検挙
1945年福岡刑務所にて獄死。
羨ましいぞう! 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月27日(火)14時58分18秒
鍋山のとっちゃん
西口ゲリラをやってたんですか?フォークルを2回も聞けたんですか?
羨ましいです。ホントです。どんなにゲリラやりたくても田舎の×学生じゃ、どんなにあがいても「無理」でした。とっちゃんは、いい時代に生きてたんですね。
松山さんに著作権云々の責任を問うのは、かなり酷じゃないのかな?この曲が初めて演奏されたのは1966年、当時18歳だったといいます。そしてレコード発売当時でも22才位ですから、著作権なんて言ってもわからんでしょう。ましてや、2番と3番にいたっては、完全に作詞ですもん。
おまけに、当時のフォーク界では著作権なんていうブルジョワ的な権利は、ほとんど無視しまくっていて後で多々問題が起りました。高石友也、高田渡、加川良なんかもなんか有ったような?
リなのかイなのかは北と南の発音の違いらしいことは、誰かからか聞いたことがあります。ただし、私達がイムジン河と言うときはフォークルのイムジン河をさすでしょうから、加藤和彦さんが書いてましたが「イムジン河」はイムジン河であって、リムジンガンではないのです。
それと、原詩の歌詞の曲を誰が歌いたいと思うのでしょうか?少なくても、おいらは嫌です。
唄とか詩とかは作られたときから製作者の手を離れて時代のなかを一人で歩きだすのですから、いまさら作者のことを言ってもしょうもない話でしょう。
また、松山猛さんの『少年Mのイムジン河』(木楽社952円)を読んで見ることをお勧めします。
>鬼薔薇の姉さん
演歌もまるでダメじゃないんですが、どうもとっつきにくくて
北原ミレイ「石狩挽歌」だけは泣けてきます。
しかし、羨ましいぞう!
はじめまして。 投稿者:J 投稿日: 7月27日(火)05時18分22秒
インターネットで「海峡を越えた歌姫」に関する情報を調べておりまして、偶然こちらの掲示板を知りました。
田月仙さんの事は以前から存じ上げておりました。
リサイタルに足を運んだ事もあります。
特にコリア歌曲が好きで、拝聴する度に
「なんて情のこもった歌い方をなさるのだろう」
とただただ感動したものでした。
そんな折に番組を拝見させて頂きました。
民族、国籍、祖国分断、ご家族との別れ、統一への願い・・・
1つ1つの歌に託すその想いの源を垣間見させて頂いた気がします。
コリア歌曲を歌わせたら田さん以上の存在はいない、今ではそう確信している次第です。
田さんの今後一層のご活躍を願ってやみません。
乱文失礼致しました。
また寄らせて頂きます。
《臨津江》歌詞について 投稿者:蘇丹・加里耶夫 投稿日: 7月27日(火)03時35分57秒
皆さん、はじめまして。
《臨津江》について次のサイトでも考察されています。
『朝鮮文化に関するホームページ』の『朝鮮音楽についてのページ』
http://www1.odn.ne.jp/~cab34730/korea-ongaku.html
北の《臨津江》はここで聞けます。『朝鮮音楽』から
http://www.big.or.jp/~jrldr/korea/r02.html
ここでは歌詞も載っていますが、これを見る限り上記のサイトに出ている歌声運動版の歌詞がもっとも原曲の歌詞の内容に近いです。特に2番(対岸では芦原に水鳥が悲しく鳴き/痩せた田では草根を掘り出すのだが/協同農場の穂の海は波の上で踊りを踊る/臨津江の流れを教えることはできないか)は典型的な社会主義賛歌の内容だと思います。ですから《臨津江》は『イムジン河』になることによって原曲とは別の意味を持ったともいえるのではないでしょうか。『イムジン河』の歌詞の数あるバージョンはそれをよくあらわしているように思うのですが。ちなみに1番の粗訳は(臨津江の清い水は流れ流れて下ってゆく/鳥の群れは自由に往ったり来たり飛べるが/わが故郷南の地は行きたくても行けない/臨津江の流れよ恨みを乗せて流れるのか)です。
では。
(追:歌詞からすると朝鮮戦争時ないしはそれ以前に北に逃れた南の出身者が川を見ながら故郷を想うという歌だと思います。分断=離散家族の苦しみという意味で1番の歌詞はそのままでも南の人の情感に訴えるのではないでしょうか。)
〔資料情報〕「イムジン河」関連 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月27日(火)01時51分10秒
相次ぐご発言、フォークやニュー・ロックを「白人音楽市民主義」と蔑視(笑)していたド演歌派といたしましては、35年を経てかつての異文化の諸側面を教わるようで、新鮮なものも感じます。さりとておのが党派性を今さら換えるわけにもまいりませんが(笑)。
といったことはともかく同曲につきまして、先の「白夜通信」サイトに、チョン・ウォルソンさん関連も含めてより立ち入った論評がございました。何度も無断全文転載では筆者のご苦労に対して申し訳ないので、その所在だけ情報提供させていただきます。
「朝鮮半島の38度線に沿って流れる 悲劇のイムジン江よ」
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/syakai-01.html
ご参考となれば幸いに存じます>ご関心の各位
『イムジン河』について 1. 投稿者:鍋山 投稿日: 7月27日(火)00時30分31秒
健全なフォーク少年であった私の「左翼デビュー」が、『新宿西口フォークゲリラ』でした(汗)
あとから聞いたら、べ平連のデモなどに参加していた級友が、「そんなにフォークが好きなら、新宿の地下街でやってるから」誘ってくれたのね。
フォークゲリラは、全共闘が出るようになって、数百人を超えるようになって、何故か覚えていないが、行かなくなりました。
逆に、級友達と、べ平連から、やがて、○核派〜イン○ーと変遷するわけですが・・・(大汗)
そんなことは、ともかく『イムジン河』〜
当時のフォークルのステージで、二回聴いています。
「私たちの隣の国は、二つに分けられ、親子、兄弟、家族が引き裂かれています・・・」と曲紹介をして、歌っていました。
鬼薔薇さん紹介の記事について、いくつか〜
★『イムジン河』か、「リムジンガン」か
河は朝鮮語で、「ガン」ですから問題ないのですが、「イ か リ か」という問題。
朝鮮語を勉強している友人によれば、北と南の微妙な発音の違いで、「李」という苗字も北では「リ」、南では「イ」なのでその違いではないかということです。
作詞・作曲者は北の人なので、それに忠実なら『リムジン河(ガン)』が正当といえるようです。60年代末から歌い継がれてきた「日本の」歌としては『イムジン河』が、私には、しっくりきますが。
★『発売中止』について
まず、『作者不詳』で出そうとした松山猛に、怠慢というか責任がある。
朝鮮学校や総連に問い合わせれば、一発で作者はわかるのだから。
記事にあるように、作詞者の朴世永(パク・セヨン)は『国歌』の作者であり、高宗漢(コ・ジョンハン)も最も有名な作曲者なのだから。
当然、総連から意義があがる、逆に韓国・民団からも非公式に圧力がかかる。
そして、「政治問題にかかわりたくない」東芝が早々と発売中止にしたのが真相の全てだろうと思います。いろいろ、細かいことを言う人がいるが、かえって真相がぼやけてくると思います。
総連サイドとすれば、『正式な歌詞・曲、作詞者・作曲者の明記』によって、遅れて発売という手もあったが、当時の北朝鮮・総連はまだ自信があって、別に日本人に歌ってもらわなくてもという感じではなかったかと。
そのころ、日本人学校と朝鮮学校の交流のなかで、日本側から「日本政府、自治体から援助をもらったほうがいいのではないか?」と聞くと、「大丈夫です。共和国から使い切れないほどの援助がありますから」という答えがあった時代でした。
★『悲しくてやりきれない』
フォークルは、「イムジン河」発売中止をうけて、二枚目シングルとして『悲しくてやりきれない』を出します。
作詞は、サトウハチロー、作曲したフォークルメンバー加藤和彦は、「イムジン河の楽譜を、後ろからなぞっただけ」と言ってましたが、楽譜のよくわからない私には確かめようがない。(汗)
★新井英一は、
「俺の親戚は、北にも南にもいる。この二番の歌詞では、俺には歌えない。『誰が分けた』なんて言えるか〜、北か、南か、日本か〜」と
誰(だれ)が祖国を二つに分けてしまったの
誰(だれ)が祖国を分けてしまったの
この部分を、新井英一は、次のように歌っている
ふるさとの人たちは 達者でいるだろか
イムジン河水清く とうとうと流る
『イムジン河』について 2. 投稿者:鍋山 投稿日: 7月27日(火)00時29分36秒
二次会掲示板 2002年より
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「鍋田さんを偲ぶ会」報告 投稿者:埼玉川口 投稿日:12月29日(日)10時52分31秒
12月22日、「鍋田治郎さんを偲ぶ会」が30数人の参加で行われた。鍋田さん
は11月3日、肺炎のため急逝された。享年73歳。
鍋田さんの、50年を超える闘いの実績からすれば、少ない人数ではあった。
[20歳代]
1950年代の「レッドパージ反対ストライキ」、共産党入党、共産党のスターリ
ン主義に抗して民青県委員会を主導する闘い。共産党から「トロツキスト」(革共同
第二次分裂ごろ)として除名。
「偲ぶ会」にかけつけた樋口篤三さん。「50年党員は1万人から2万人はいただ
ろう。共産党に残っているのは100人位。除名されて運動を続けているのは関東で
20人位。兄弟のようにかけがえのない鍋田さんの死は無念だ」と声を詰まらせた。
[30代]
60年代後半、埼玉べ平連の結成と、一千人の動員力を誇った埼玉県反戦青年委員会の闘い。
[40代] 1970年代
反公害住民運動、障害者解放運動、戸村参院選、三里塚闘争、狭山闘争
[50代] 1980年代
日韓連帯闘争「金大中救出ハンガーストライキ」。労働情報川口分局長として日産
ディーゼルをはじめとする労働運動指導。指紋押捺拒否闘争。
[60代] 1990年代
分散する運動状況に、還暦を期して発行された「N通信」で「平和があぶない!自
然があぶない!」と警鐘を鳴らし続けた。
「偲ぶ会」には、人数は少なかったが、多彩な人たちが集まった。環境保護運動、
障害者解放運動を続けている人。川口の二人の市議会議員。大合理化攻撃と闘ってい
るNTT労働者。組合は分裂してしまったが両方から郵便労働者がかけつけた。不況
下で大変厳しい状況にある中小民間労働運動を続けている全国一般の仲間、彼には、
当日もひっきりなしに組合や労働相談の電話かかっていた。在日韓国人、朝鮮人。指
紋押捺拒否闘争を共に闘ったプロのパンフルート奏者の「追悼演奏」もあった。そし
て今は、現実の運動には携わってはいない人たち。
鍋田さんは、じつに数多くの運動団体の代表、世話人を引き受けられた。我々は、
あっちこっちに鍋田さんを引っ張りまわした。ご家族は、そんな鍋田さんを温かく見
守っておられた。「偲ぶ会」での、みんなのざっくばらんなエピソード、話を、ご家
族は大いに笑いながら喜んでおられた。ご家族は「みなさんの本音の話に感謝いたし
ます。みなさんのような温かいお友達に囲まれて主人は幸せだったと思います。」と
挨拶された。
最後に、鍋田さんの知り合いも含む「北朝鮮帰還者」、北の民衆、拉致被害者、韓
国民主化運動の人々へ思いをはせながら「イムジン河」をみんなで歌って会を閉じた。
その後の、二次会、三次会では旧交を温めあうとともに「なんかまた、みんなでや
りたいね」という声がどの党派、グループ、現役でない人からもあがっていた。
鍋田さんのこんな声が聞こえてきそうです。「なにを、ごちゃごちゃ言っているん
だ。カッコつけるんじゃない。レッドパージ後の状況の寒さはこんなもんじゃない
ぞ。べ平連の結成の時だってたった30人じゃないか。」
1・18「イラク攻撃反対集会」には、「N通信・読者会」の旗を掲げた、中年・
老人部隊が登場しそうです。
「N通信」bP9.1999.1.9より 以下引用
いま 反戦のざわめき を!
新ガイドライン安保関連法案の成立、改憲をも視野に入れた自自連立の動き、権力
の側は急ピッチで、侵略戦争加担の準備を進めている。
いま、出来るところから、出来ることから、反戦の意志を、しっかり持った行動を
起こしていこう!
ざわめきを寄せ合って どよめきに高める日のために!
----------------------------------------------------------------------------
アジアのイマジン 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月26日(月)10時29分4秒
イムジン河の無断引用ありがとうございました。私の知らないこともあったりで「完全保存版」にとっておきます。
この唄の作られた経緯は、作者の松山猛さんの「出会い」の偶然性にあるのですが、その唄が30年に喃々とするなかで、放送禁止歌という十字架を背負いながら生き続けてきました。そして、在日のなかに、韓国民衆のなかに根っこを生やしてしまったんですね。
私がこの唄を始めて聞いたのは70年代初頭のラジオでした。(放送禁止といっても、一種の自主規制でしたからかける局もありました。)そして、90年代だったと思いますが、NHKのBS放送「フォークソング大全集」に はしだのりひこさんが出てイムジン河を歌ったとき最後に「ワン・コリア」と叫んだことがあります。この唄を復権させるのに30年という時間が必要だったんでしょう。でも、いまだにイムジン河は朝鮮半島を流れており、そして日本でも流れているのが「分断」という現実なんでしょう。
フォークルは昨年にはしださんの替わりに、アルフィーの坂崎君が加わって再結成されました。結構ニュースになったけれど、皆さんご存知ですか?CDを一枚リリースして解散コンサートをやって、「あっ」というまに解散しました。
イムジン河もこのCDに入っているんですが、NHKで放送した映像にはこの唄の朝鮮語バージョンも入っています。これはビデオにとってあります。(^o^)丿
(朝鮮語わかんないのが、たまにきずですが?)
取りとめのないカキコですみません。30数年前の放送禁止の事件がなければ、今のこの唄はなかったのかもしれません。単なるフォークソングのひとつであったかもしれません。
けれど今この唄はアジアのイマジンとして、未来への架橋として唄われているんだと思えるのです。
続き>臨夏さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)21時30分16秒
今朝はオンラインで書いたのであれだけになってしまいました。ちょっと補足。
>チョン・ウォルソンさまご当人も来てはったんですね!
はい(^^)。世界的なオペラ歌手の方がよもやと思っておりましたところお運びくださいました。簡潔なメッセージも率直なお人柄を偲ばせるものと拝読いたしました。
でも、次のくだりには内心ちょっとドッキリ。
>番組を通して日本と朝鮮半島、そして在日コリアンについて少しでも思いを寄せてくださればこの上ない喜びです。
「在日コリアン」について、わたしいったいどれほどの認識を持っているのかと思ったのですね。「韓国・朝鮮問題」とか「日韓・日朝関係」とかについては、少しは本など読んだりしましたし、40年前の「日韓条約」反対デモでおまわりさんにゴチンとぶたれたりもいたしましたが、では「在日コリアン」については? 中学時代の同級生にひとりいて仲悪くはなかったけれど、まだ子供の遊び仲間でしたし、ときどきキムチを売りにみえるご近所(たぶん)のおばあさんとは、お茶をお出しして言葉を交わすことはあっても、政治だ社会だといった話題にはなりません。
とりあえず勉強と、少し前に出た本を読み始めたところでございます。
金賛汀『在日、激動の百年』(朝日選書)
この“激動の百年”、序文では「日本人とは違った立場にいた人々から見た日本の百年でもある」と書かれており、「在日コリアン」について知るとは「日本」を知ることにほかならぬことを痛く感じさせられます。
歌・音楽が主題のこの場で理屈を語る心算はございませんが、ヨンさまフィーバーとは別な方向へ、この「国」の内側へ、視線を向けねばと思います。自分の姿を見るのって、けっこうきついことでしょうけど、わたしたちが味わわずにきたきつさを身に受けてきた人々のことを知らなければ、この「国」を知ったことにはならない、ウォルソンさんが寄せられたメッセージは、それを求めているのだと思うのですね。そこに、わたしたちの「海峡」があるのでしょう。それへ視線を閉ざしたならわたしたち、人としての誇りなどかけらもない「倭奴(ウェノム)」でしかありえません(^^;
# 鬼は人か、などと問われると困りますけど(苦笑)。
おいでなさいませ>臨夏さま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)10時46分45秒
あなたも「海峡の人」でしたね(^^)。
次回再放、最後機会、絶対必見、不可見逃。
ぜひ在日日本人の誰かにビデオ録画を頼まれますよう。
こんばんは、来るの遅なりました 投稿者:臨夏 投稿日: 7月25日(日)03時20分40秒
リムジン江、名前は耳にしたことがあります。
ぜひ聞きたいです。
チョン・ウォルソンさまご当人も来てはったんですね!
鬼薔薇さんは、ええ場を作ってくれはりました。
ただ、わたしは外国におるので、NHK12チャンネルが放映されるかどうか、ちょっと調べてみます。
(
こちらでは、NHK2だけが、12なんかも交え、放送されてるみたいです)
朝鮮系の歌といえば、アリランも、おぼつかなく、「カンド・パルチザン・エ・ノレ」なんかも知らんのですが、是非ともおぼえたい思ております。
北朝鮮のでは、ポチョンボ電子楽団のテープを、何本か持っていたのですが、あれはあれで、不思議な味がありますね。
放送きけなんでも、ここは覗いております。
〔資料〕「イムジン河」はどうして発売中止になったのか・4 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)00時36分57秒
「イムジン河」が北朝鮮で作られたのは1957年で、年月を経るなかで当時の政治的文脈を離れて、望郷や平和への願いをこめて歌われるようになった。在日韓国人の新井英一(56)は朝鮮総連が正統とする李錦玉の訳を基にしながらも、北からの視点を表す部分を中立的に書き換えて歌う。日本名でデビューした韓国人の父親と日本人の母親を持つ朴保(46)=パク・ポーは、今の韓国名にしてから「いい曲」として歌うようになった。奄美大島出身のRIKKI(26)は、「ふるさと」を奄美の海に頭の中で置き換えて歌っている。かつて「イムジン河」を歌ったアマチュア時代のフォークルメンバーの平沼義男(54)が作詞、ソロで歌ってきた高石ともや(59)が作曲の、この曲へのアンサーソング(無題)を作り、分断の現実を映していた歌詞を「同じ空に陽(ひ)は昇り、同じ空に陽は沈む」と南北の一体感を表すようにした。約40年前に「イムジン河」を発掘した松山猛は昨年秋、新人の在日韓国人歌手チャンス(27)を起用したレコードをプロデュースし、この曲にもう一度向き合おうとした。
さて、もう一度問わなくてはならない。「イムジン河」はいま、日本のどこを流れているのか、と。「イムジン河」は国境をつくりだして、自分たちの不自由さを増殖していく人間の愚かさを見詰めているにちがいないが、同時に「イムジン河」を歌にして、理不尽な国境に屈することのない人間の可能性をもじっと見上げている筈である。空飛ぶ鳥のように我々人間は地上から自由に飛び立つことのできない存在であるが、人間は歌を歌って飛び立つこともできるし、一行の詩を虹のように大空へかけていくことのできる翼も持っている。絵だって描けるし、フラミンゴのように軽やかにかつ重厚に舞うことだってできる。そこには国境など一挙に超えてしまう情熱が迸っている。「水清くとうとうと流る」るのは我々の尽きせぬ思いであって、「イムジン河」はいまも人間の涙で溢れ返っているのであろう。
【註】「イムジン河」他朝鮮歌曲14曲がヴァイオリン独奏で収められたCDが6月
7日発売予定。ヴァイオリン独奏はジョン・チャヌと記され、オーケストラ伴
奏となっている。(キング KICC321)
2001年5月1日 記
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■無断転載のご無礼、平にお詫びいたします。m(..)m>執筆者の方
※なお、上記「白夜通信」は現在有料サイトとなっております。
購読契約をなさる方がおられたら、無断転載者としてありがたく存じます。
〔資料〕「イムジン河」はどうして発売中止になったのか・3 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)00時35分49秒
レコード発売中止から20年経過した88年8月、はしだは京都朝鮮第二初中級学校の祖国解放記念イベントに出演して、歌い終ってステージを降りかけると、一人の男に「イムジン河」を歌うように声を掛けられ、男の熱意に根負けして歌うことになった。そのときの情景が記事には、次のように綴られている。
《 「イムジン河水清く、とうとうと流る…」
夜の校庭。はしだが歌い出すと、あちこちに人の輪ができた。男も女も人目
をはばからず泣いていた。はしだは驚き、たじろいだ。
「ふるさとをいつまでも忘れはしない…」
松山猛(54)がつくった三番の最後で、はしだも胸がいっぱいになった。こぶしを突き上げ、口々に「オモニ(お母さん)!」「アボジ(お父さん)!」と絶叫する人々の姿があった。
「それを見て、初めて『イムジン河』の存在理由の根底に触れたような気がしたんです。この歌の持っている意味がこれほど強く僕の心を揺さぶったことはなかった。分断は親子を、愛し合う者同士を引き裂く出来事だったんだ。ぼくはコリアンの人々の言葉を代弁しながら、この歌を永遠に歌い続けていかなあかんと思った」》
在日朝鮮人の指揮者の金洪才(46)と在日韓国人のバイオリニストの丁讃宇(50)は、1985年に大阪で開催された祖国統一を願う「ハンギョレ(一つの民族)・コンサート」に共演して、アンコールに金の提案で「イムジン河」を演奏することを決めていたが、政治的アピールの場になる危惧を感じた韓国政府は、当時ソウルのKBS交響楽団でコンサートマスターを務めていた丁の出国をストップしたため、コンサートは丁がいないままで行われた。昨年4月、本拠地を日本に戻していた丁は、南北首脳会談のニュースに接して金と連絡を取り、東京の三鷹市芸術文化センターで15年振りの共演を実現させた。アンコールは金の編曲によるオーケストラ版、丁の編曲によるバイオリン独奏版で、「イムジン河」が続けて演奏された。
通信161号でも触れたが、在日朝鮮人のソプラノ歌手の田月仙(42)=チョン・ウォルソンも83年の初リサイタル以来、機会あるごとにこの歌を取り上げ、93年に韓国籍を取得して韓国でも活動を開始してからは、97年に数都市でリサイタルを開いた時、初めてプログラムに入れた。その後も韓国の代表的な歌手が勢ぞろいする音楽会などで披露し、韓国で出したCDにも入れた。反応は上々で楽譜が欲しい、CDが欲しいとよく言われるという。韓国の歌手たちのレパートリーに入るのも時間の問題で、韓国声楽界のある老大家が「私が最後のリサイタルをするときには、ぜひこの曲を歌いたい」と田の歌に魅かれて、ひそかに打ち明けたといわれる。
/続
〔資料〕「イムジン河」はどうして発売中止になったのか・2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)00時34分50秒
イムジン河水清くとうとうと流る
水鳥自由に群がり飛びかうよ
我(わ)が祖国南の地思いは遙(はる)か
イムジン河水清くとうとうと流る
北の大地から南の空へ
飛び行く鳥よ自由の使者よ
誰(だれ)が祖国を二つに分けてしまったの
誰(だれ)が祖国を分けてしまったの
イムジン河空遠く虹(にじ)よかかっておくれ
河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも忘れはしない
イムジン河水清くとうとうと流る
(作曲・高宗漢、作詞・朴世永、日本語詞・松山猛)
「イムジン河」の曲の詳しい由来について関係者は誰も知らないまま、朝鮮民謡程度の認識で前宣伝が進んでいた。発売まで一週間もなかった頃、朝鮮総連から会いたいと言ってきて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国歌にあたる「愛国歌」を書いた作詞者の朴世永(パク・セヨン)と、作曲者の高宗漢(コ・ジョンハン)を明記するように要求し、原詞と離れた日本語の歌詞も認めないと主張した。松山氏創作の二番、三番が物議をかもすことになったのだ。北朝鮮が国際的な著作権条約に加盟していないために、東芝音工は発売に問題はないと考え、シングル盤13万枚はプレス済みだった。発売二日前の記者会見も予定通り開かれたものの、総連が抗議していた事実が一部マスコミに伝わっていたので、「一切存じません」で乗り切ることはできず、会見は大混乱のうちに打ち切られた。
会見の翌日、同社は「イムジン河」の発売中止を発表し、新聞は歌詞の内容が原作と違うことに関するモラル的責任を取ったと報じた。しかし当時のフォークルのディレクターは、最大の問題は国名の表記にあり、総連がこの曲を『朝鮮民主主義人民共和国』の曲と明記してほしいと要求していたことを明らかにした。その当時は政府もマスコミも『北朝鮮』を使っており、総連の主張する『朝鮮民主主義人民共和国』は使っていなかったので、一企業がそれを使って「イムジン河」を発売して、分断された朝鮮半島と日本との複雑な国際関係に巻き込まれてしまうことを心配したのである。各新聞がその名称の表記を採用したのは、4年後の72年の札幌五輪直前だった。発売中止によって伝説が生み出され、メンバーの北山修(54)は著書『戦争を知らない子供たち』の中で、「レコードは発売中止になり、″イムジン河″は永遠にわれわれのものとなった」と記した。フォークルはその後も、ライブでこの曲を歌い続けた。
「イムジン河」の発売中止に憤慨した大阪労音の宣伝責任者は、知人から紹介された学生グループ、ザ・フォーシュリークを起用して、朝鮮総連と交渉し、指定の歌詞で歌うことを条件に録音の許可を得た。タイトルは「リムジン江」で発売中止の年の秋に発売されたが、その直後に韓国系の民団からのクレームなどを恐れてか、民放連から放送自主規制の「要注意歌謡曲」に指定されたために抗議した。もちろん聞き入れられなかったが、それでも13万枚以上売れ、民団からのクレームもなかった。フォークルは68年秋に解散し、メンバーだったはしだのりひこ(56)と杉田二郎(54)らと結成したシューベルツに「イムジン河」は引き継がれ、学生運動の盛んな当時は節目の時に必ず歌っていた。一年半でシューベルツも解散し、はしだはクライマックスを経てソロになった。
/続
〔資料〕「イムジン河」はどうして発売中止になったのか・1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)00時33分46秒
臨津江(イムジンガン)は朝鮮半島の北と南をへだてる38度線上を流れる川。分断によって自由に行き来のできない人々の悲しみを川の流れに託している。行進曲のような歌が多い北朝鮮では非常に珍しいメロディの美しい歌。日本ではフォーク・クルセダーズが歌ったことで知られているが、曲名は『イムジン江』がより正確。
――CD『夜明けのうた イムジン江』曲解説
表題にありますこの曲の「発売中止」とは、戦前・戦中ではなくこの現代日本で起こった事件。その事情が下記サイト「白夜通信」に詳説されておりました。重たい問題が突き出されていると思い、ご紹介させていただきます。長文のため4分割となります。
=================================================
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/ongaku-01.html
石坂洋次郎の『青い山脈』(昭和22・1947年)は戦後すぐに朝日新聞に連載されて人気を呼び、二年後には映画化されて主題歌も大ヒットした。小説が単行本として刊行されると、それもベストセラーになって一大ブームを惹き起こした。地方の高等女学校を舞台に、男女交際、女権拡張など戦後の解放された青春と、新しい風俗が描かれており、昭和24年に製作された映画(今井正監督、池部良・杉葉子・木暮美千代主演)の主題歌は、「古い上着よさようなら」のあっけらかんとした感性で覆われているのが印象的であった。戦前の「古い上着」を脱ぎ捨てて嫌なことはすっかり忘れ、戦後は新しい上着を着て出発しようということであったのだ。なんともお気軽で軽薄そのものであるが、当時はそれが戦後の新しい風潮として持てはやされたのである。
もちろん、「古い上着よさようなら」で済まされる筈がなかった。戦後の日本人は「古い上着」を脱ぎ捨てずに、その上に新しい上着を羽織って歩き出したのだ。だからなにか事ある度に、新しい上着の下から「古い上着」が覗けていた。戦争に負けていきなり戦後が始まったからといって、戦後にふさわしい歩きかたをしてみせようとしても無理なのは当然であった。ナチのホロコーストにしても、89年11月の<ベルリンの壁>の崩壊にしても、同様のことがいえる。ホロコーストがかたちを変えて続行している例を戦後のあちこちに見出せるし、また十年以上経過しても旧東独国民と旧西独国民との間に築かれている心のなかの<ベルリンの壁>は、一向に崩壊していないことが度々報道されている。戦後がやってきたからといって、ナチの政権が壊滅したからといって、<ベルリンの壁>が崩壊したからといって、人間の心のなかに生きつづけている戦前やナチの感情や<ベルリンの壁>は、そんなに即座に拭い去られるものではないのである。
ところで、朝鮮半島の38度線に沿って流れる「イムジン河」は、いま日本のどこを流れているのだろう。神戸新聞に01年4月13日から4月18日に渡って、「イムジン河」が連載で取り上げられている。1960年代後半にザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)が北朝鮮の歌曲「リムジン江」を「イムジン河」のタイトルで歌い、政治的な理由で発売中止や放送禁止になったいきさつが次のように記されている。
デビュー曲「帰って来たヨッパライ」で人気者になったフォークルは1968年2月、アマチュア時代から歌っていた「イムジン河」を第二弾として東芝音工(現在の東芝EMI)から発売する予定だったが、その曲をアマチュア時代のフォークルに教えたのがエッセイストの松山猛(54)だった。彼は約40年前の中学生の頃、在日コリアンの生徒と日本人の生徒の争いが絶えなかった京都で、喧嘩よりサッカーの試合のほうがいいと思って京都朝鮮中高級学校に申し込みに行った時に、偶然生徒の合唱する「リムジン江」を耳にして、「きれいな曲だなあ」という印象を抱いた。吹奏楽部でトランペットを吹いていた彼は個人練習の場所である九条大橋で、サックスを抱えた同じ年頃の在日朝鮮人の少年と知り合い、例の曲のメロディーと一番の歌詞の大意を教えてもらって、高校生の頃は時々、ギターでつま弾いたりしていた。その後、アマチュア時代のフォークルと仲間になって彼らに曲を教え、原詞を基に書いた一番だけでは短すぎるので、二番と三番を創作した。
/続
Re:角かくして!>なおじょんさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月25日(日)00時32分31秒
えっと、ツノは頭の一部でございまして、取り外しはききにくく(^^;
ま、何か方法を考えましょうね。ウォルソンさんの「夜明けのうた」にならって(^^)。
角かくして! 投稿者:なおじょん 投稿日: 7月24日(土)00時28分42秒
そうですそうです!これです!
是非、角隠して来てください♪もしくは角をその時だけ取り外して・・・(*^v^*)
私が許します(^0^)/
私は若いのかしら・・・多分鬼薔薇さんよりは、ですよ。
「夜明けのうた」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月24日(土)00時03分42秒
かつて日本歌謡曲華やかなりし60年代末、岸洋子さんが歌ってヒットした曲ですね。続いて他の人も歌って、男性歌手だと「わたしの〜」というところを「ボクの〜」に換えたりしておりました。
岸洋子さんというとシャンソン歌手のイメージが強く、何も歌謡曲に手を染めなくとも、と思いながら聴いていたのですけど、チョン・ウォルソンさんはぜひともこの曲を韓国で、と熱い思いをたずさえて渡韓したのですね。ところが現地へ行ったら、予定した曲の中でこれだけ許可されなかった――日本の大衆歌謡だという理由で。韓国では日本の大衆文化の流入を厳しく制限していたのに引っかかったのでした。ところがめげないチョンさんは、その制約をかいくぐる策を現地で編み出して歌ってしまいました。どんな策? さ、それは番組を視てのお楽しみ(^^)。
60年前後の岸洋子さんの日本語シャンソンはほんとうに素晴らしかった! 苦学生の身とて実演を聴きに行くお金などなく、喫茶店にかかるレコードで聴くだけでしたけど。おぼつかぬ記憶では2枚組のLPだったように思います。同じレコードがステレオ版とモノラル版と両方出ていた時代、行きつけの小さな喫茶店の装置はまだモノラルでした。お化粧の匂いぷんぷんの派手派手な越路吹雪さんに較べていかにも地味な歌声は、悲しみを心にしまって生きるしっかり者のお姉さんという感じ、ほの暗い哀愁をたたえて貧乏学生の鬱勃たる心にしっとりと染み透りました。
それに較べてあの「夜明けのうた」、どうにも明るく、いえ、明るくあろうという気持ちが前にせり出していて、その頃すっかりド演歌派だったわたしには、青江三奈や森進一の裏町ネオン路線のほうがよほどぴたりときたものでございます。いったいに日本の歌謡曲は朝に弱く(笑)、「朝」を歌ったものは皆無といっていいほど。それを突き破ったたぶん最初が西田佐知子の「アカシアの雨」ではなかったかしら。夜明けに死んでいる自分を朝の光の中で見下ろすという歌詞は、60年安保の後の「挫折の季節」にひどく強烈でした。60年代末にすっと飛び出してきたピンキラの「恋の季節」、“♪夜明けのコーヒー、二人で飲もうと〜”の「夜明け」も、若いエロティシズムを漂わせて悪いものではございませんでした。けれども「夜明けのうた」には、そうした強烈さもエロティシズムもなくただひたむきに健康、お母さんの歌みたいな印象だったのですね(実は岸洋子さんご本人はその前にひどく健康を害されていたとか、後で知るのですけど)。
今日、チョンさんのCD『夜明けのうた、イムジン江』(VICC-60128)が見つかったのでさっそく買い求め、「夜明けのうた」を聴きました。これはもう、しっかり者のお姉さんや健康お母さんのしっとりした歌ではありません。ほとばしるような絶唱です。沸騰してあふれるお湯のような熱の奔流がスピーカーから流れ出してまいります。
いったいこのふたつの「夜明けのうた」の落差は何なのでしょう。少なくともそこに、世紀の交替点に立つオペラ歌手チョン・ウォルソンさんが感じ取り、是が非でも韓国で歌いたいと強く念じたものがあるはず。金曜夜の再放送では、そこをしかと聴き取りたく思います。
韓国ではようやく日本の大衆歌謡に対する規制の大幅な緩和が決まったとか。海賊版CDの波に押し切られたのでも、日本の音楽資本の要請に屈したわけでもないでしょう。この規制とその緩和をめぐる問題は、また別のテーマになろうかと存じます。
自己レス>リサイタル 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月24日(土)00時02分4秒
わざわざ探しに行かなくとも、「公式サイト」に大きく出ておりました(^^)ゞ
ご指摘受ける前にあわてて。
リサイタルって 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月23日(金)19時23分9秒
これかしら?>なおじょんさま
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田月仙 二十周年記念リサイタル(追加公演)
日時:2004年10月2日(土) 18:00開演
場所:四谷区民ホール(新宿御苑駅より徒歩5分)
曲目:ふたりの海、花の涙、正調アリラン、恨五百年、故郷の春、イム
ジン江、高麗山河わが愛、ビゼー作曲オペラ「カルメン」より ほか
チケット:指定席6000円 自由席5000円
申し込み:電話03-5338-4701 FAX03-5338-4702 E-mailmail@wolson.com
HP http://www.wolson.com
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あちこち検索していたらぶつかりました。韓国語学習雑誌のサイトのようですけど。
http://home.alc.co.jp/db/owa/news_html_body?news_sn=720&news_form_genre=009
いらっしゃいませ>なおじょんさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月23日(金)00時44分0秒
ウォルソンさんを「お姉さん」とおっしゃるところからしますと、かなりお若くていらっしゃるのですね。わたしなどの書くことといえば昔話めいたことばかり多く、ぜひお若い視線でのご発言をお待ちしております(^^)。
>ウォルソンさんって生で見るともっと良いですよ!
今度リサイタルするそうなので是非是非見に来て欲しいです。
魅力的なお誘い、かなうことならぜひ、と思います。
でもわたしツノが生えておりまして、人様の前に出るには大きな帽子か角隠しが必要。でもそうすると後ろの席から「被り物を取れ」って叱られそう。一番後ろの席にしなくては(^^;
では、またよろしくどうぞ。
はじめまして>チョン・ウォルソンさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月23日(金)00時42分40秒
番組の感動抑えがたく勝手に開きましたこの掲示板、ふむふむさんがお知らせしたとうかがっておりましたが、ご本人様がお運びくださるとは望外のこと。ご多忙のところわざわざありがとうございました。m(..)m
先に放映のETV特集はとても好評とのこと、再放送おめでとうございます。特に「高麗山河 わが愛」の作者の方との出会い、深い感動をもって拝見いたしました。わたし渡米経験もないのですけれど、アメリカってやはり大変な国のようですね。
それに較べてここは場末の酒場みたいに手狭な場所とて、特におもてなしもかないませんが、再放送のあかつきにはいろいろな方からご感想・ご意見など寄せていただけるかと心待ちにしております。
お時間あれば、どうぞまた覗きにいらしてくださいませ。m(..)m
ウォルソンさん 投稿者:なおじょん 投稿日: 7月22日(木)22時21分58秒
はじめまして。ウォルソンさんから聞いて書き込みしてみました。
あの番組見て、いつもお姉さんのように慕ってたウォルソンさんの知らない一面見れて、なんか良かったです(*^v^*)
ウォルソンさんって生で見るともっと良いですよ!
今度リサイタルするそうなので是非是非見に来て欲しいです。
チョン・ウォルソンです 投稿者:チョンウォルソン 投稿日: 7月22日(木)19時30分56秒
鬼薔薇さん
はじめましてチョン・ウォルソンです。知人からこのホームページをご紹介頂きました。開設ありがとうございます。感激です。
「海峡を越えた歌姫」はお陰様で7月30日に再放送が決まりました。前回ご覧になられていない方はぜひご覧くださいね。番組を通して日本と朝鮮半島、そして在日コリアンについて少しでも思いを寄せてくださればこの上ない喜びです。
チョン・ウォルソン
http://www.wolson.com
「鳳仙花」 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月22日(木)00時47分53秒
唐さんの推薦文に触れられているこの歌、加藤登紀子さんも歌った美しい悲歌ですね。
安準模『韓国 歌の旅』(前田真彦訳、白帝社刊)には、この歌が秘める持続力を説いて次のように書かれております。
=======
歌曲「鳳仙花」は、韓国最初の芸術歌曲として洪蘭坡(ホン・ナンパ)〔1898〜1943〕が1920年に作曲した。……バイオリン独奏曲として作曲された「哀愁」が歌曲「鳳仙花」に生まれ変わったのは1926年夏、作曲者の友達であった金亨俊(キム・ヒョンジュン)〔1887〜1950〕がメロディーに歌詞をつけてからである。/……彼は民族の運命を秋に散る鳳仙花になぞらえて、四四調の格調高い詩で表現した。
――中略――
しかし「鳳仙花」が民族の歌と呼ばれるようになったのは、この歌が生まれて20年もたった1941年だった。日本の武蔵野音楽大学を卒業したソプラノ歌手金天愛(キム・チョネ)〔1919〜1995〕が東京日比谷公会堂で開かれた新人音楽会に出演し、アンコール曲として「鳳仙花」を歌い、その音楽界に来ていた同胞と留学生を感激させた。
――中略――
しかし、「鳳仙花」の歌詞が不穏当だという理由でレコード販売が禁止され、歌唱禁止令が出された。
1曲の歌が断絶せずに歌い継がれるということは、その歌に生命力があるからである。時代を超越して80年余り韓国で歌われ続けてきた「鳳仙花」は、現行の韓国の中学校の音楽教科書と、朝鮮総連系朝鮮高等学校の音楽教科書に掲載されている。/「鳳仙花」は、南北ともに愛され広く歌われている数曲しかない国宝級の歌である。
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唐さんはこう書かれております。
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つづいて「鳳仙花」の中にも気になるものが現れた。それは、夏の日に見た乙女たちのような花びらの、変わりゆく姿を述べたものだ。
「美しい花びらをむごくも侵せしに
花落ち老い果てた お前の姿いたわしい」
これは、フランソワ・ヴイヨンの「去年(こぞ)の雪、今、何処(いずこ)」の復活でもある。
そうしてみると、田月仙の歌う悲歌(エレジー)の源は秋風に吹き飛び、忘却されていくようなものではない。
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歌の持続力・それが秘める生命力の源泉とは、そして、それを無理にも断ち切ろうとする圧力に抗する力とは、何なのでしょうか。チョン・ウォルソンの歌に確かとそれを聴き取る「耳」を持ちたいものと思います。
なお、上記『韓国 歌の旅』という本、「アリラン」から「釜山港」まで29曲が楽譜・解説つきで収録され、内10曲のオリジナル録音CD付き。原著者の「まえがき」、訳者の「あとがき」ともに短文ながら含蓄深く、これからもいくつか内容をご紹介してまいりたく思っております。他にも類書いくつかある様子、お持ちの方はどうぞご紹介くださいませ。
さっそくにどうも(^^)>ふむふむさま、セクトさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月20日(火)22時54分48秒
>ふむふむさま
“ご見識と愛の深さ”に期待しておりましたところ、すばらしいオルグ能力まで投入して下さるとは望外のこと。だけどこの手狭な場所に大勢さんいらしたらどうしましょ。でもま、あふれたら場末の一杯飲み屋のつもりで、外にゴザでも敷いて談笑していただけばよろしいですよね。必要とあらば、また第二、第三の「海峡」がオープンされることでしょう。「二つ、三つ、より多くの!」(ちぇ)
さはさりながらこの狭さ、有名人方にはちょっと気恥かしいものもございますが、別にファンクラブを作ろうというのでなし、ご本人であろうと有名大学教授であろうとスター・ボクサーやそのお連れ合いであろうと、「差別なし・規制なし」のこの場で特別のおもてなしをする理由もその条件もございません。どなたでもそれぞれの責任で平等かつマジメにおしゃべりしていただくだけ。わたし余計な気遣いは一切いたしませんので、はい。愛想がないって? 鬼の愛想笑いなぞ不気味なだけでしょうに(苦笑)。
そのうちイ・ソンエのお話でもお聞かせくださいませね。
>セクトさま
「西口ゲリラ」だって田舎ではなく都市の現象ではございませんでした? ま、東京の喧騒と活力の担い手の大方は地方出身者=田舎者だったといえばそれまでですけど(笑)。
オペラやクラシックは敷居が高いというとき対極にあるのは民衆音楽ですけど、それはまたフォーク・ロックといった白人系とジャズ・歌謡曲という非白人系とに別れますよね。わたしは後者の流れのド演歌派。昔、夜の新宿で、「ホステス・ウェイトレス反戦」つくって「歌謡曲ゲリラ」やろうかとかおしゃべりしていたひとりでございます。そう、ヒッキーのママが“黒のベルベットに純白のギター”でインテリを騙していた頃のこと。「歌謡曲ゲリラ」戦略構想は、夜更けのカウンターのお酒に流れてしまいましたけど(苦笑)。
クラシック系と民衆音楽、後者の中の白人系と非白人系、そうした分断もまた「海峡」問題かもわかりませんね。「一民族一国家」イデオロギーというのは、そうした無数の海峡=分断=亀裂から押し出された幻想なのだとしたら? そしてチョン・ウォルソンの歌声は、そうした分断を超えるのか? そのへんは、耳を澄まして聴きながらゆっくり(^^)。
ところでその鉄也の唄、残念ながらわたし存じません。さりとてお三味線も爪弾けぬ無粋な鬼薔薇でございます(^^;
お邪魔します 投稿者:セクトNo7 投稿日: 7月20日(火)13時06分21秒
鬼薔薇の姉さん、お無沙汰しております。
三次会でこっちのHPの紹介を見て、飛んできました。
そうです、このテレビは見ました。ただし酒を充分飲んでたもので、記憶がうろ覚えです。(^.^)
作られたときは「パット」しなかった唄が、ほんの偶然で韓国・朝鮮全土に広がった唄になった。それと在日のウォルソンさんの人生?をからめての番組だったような?
今度ビデオにとっておきます。
これと似た様な番組が以前に放映されました。(テレビ朝日だったと思いますが)「21世紀への証言」という題名だったような気がします。新井英一さん、ウォルソンさん、長州力さんなどの在日の姿を記録した番組でした。ビデオにとって何回も見たんです。特に新井英一さんの唄の迫力に負けて、コンサート聞きに行ったことあります。えらい出費でしたが。(^^ゞ
ウォルソンさんのオペラはどうも田舎者には敷居が高いような気がして、腰が引ける面が有ります。どっちかというと西口ゲリラの流れを汲む方の影響が強いので、(^^ゞ
先日、たまたまNHKを見ていたら武田鉄也が「腰まで泥まみれ」を唄ってました。「良いのかよ?」思った反面、不思議とノレナイ唄い方だと感じました。この曲が私の高校時代の18番?でした。もっとも作られてから数年過ぎていましたが。姉さんはこの唄知ってます?
遅れてしまいまして・・・ 投稿者:ふむふむ 投稿日: 7月20日(火)09時17分50秒
鬼薔薇さん、掲示板まで開設してくださいまして有難うございます。
今、ウォルソンさん本人にも板を開設して頂いた事、連絡を取りました。
「海峡を越えた・・・」には、一橋大學教授の加藤哲郎さんやJフライ級の前チャンプ・徳山さんの奥さん(インスさん)などからもご好意を頂いたので、これから各方面にこの板のことを宣伝しに行ってきます。
劇作家唐十郎さんの推薦文 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月19日(月)20時02分27秒
チョン・ウォルソン公式サイトより転載
http://www.iaw.co.jp/wolson/japanese/default.htm
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田月仙の歩むところ
唐 十郎(からじゅうろう)
この神経質な廃都の中で、田月仙ほどの巨(おお)きな女性とめくるめく歌声をわたしは知らない。
初めて舞台の彼女を観たのは、お茶の水にある小さな会館であったが、舞台を一歩すすんだとたんに、張り詰めたヴァリアー(膜)を抜けるように、切るように、そのアウラが現前化してくると思った。
1997年の<薔薇物語>のパンフレットには、両手をひろげた田月仙の写真が載っており、その止まった物腰は、果てしなく伸びやかであるが、それが、舞台で動き出すと、辺りを巻き込み、観客の目を釘づけにして、とてつもなくスケールの大きな世界へ引きずりこんだ。
その歌声は、都市の細いビル裏にも潜りこむが、海にも向かい、対岸の異国を巡って散った花、暗雲、今も迷う人々の声とも重なっていく。そして、いつか、わたしは、歌っている彼女の足並、その足元に目が吸いつけられていた。
その立ち姿は美しい。が、そのリュウとした立ち方よりも、彼女の思いが、何を踏みしめ、震えながら何に声をかけているのかが、その魅力を解く鍵であるように思えた。
この歌い手は、歌いつづけるべき<座標軸>を探って歩んでいる。
この度歌われている歌詞カードを読みながら、「朝つゆ」の終章を見ると、歩みのアンソロジーとなっている二行が目にとびこんできた。
「さあ 行こう あの荒れはてた広野へ
悲しみをすべて捨て 私は行く」
その前の一行は、真昼の燃える暑さが、自分にとっての試練でもあるという。
とつぜん、わたしは、ボードレールの詩を思い出した。それは、学生時代に読んで忘れられない一つの詩であったが、「ジャンヌ・マリー」という。
「ジャンヌ・マリーの手は黒い
夏が 焦がした
黒い手だ」
<文学と悪>の中に引用されていたこのミステイフイケートな一本の黒い手が、なんの実効性を持つのか分からなかったが、田月仙の歌うその声の中に現れるとなると、なんとも嬉しい<デ・ジャヴ>(即視の夢)を感じるではないか。
つづいて「鳳仙花」の中にも気になるものが現れた。それは、夏の日に見た乙女たちのような花びらの、変わりゆく姿を述べたものだ。
「美しい花びらをむごくも侵せしに
花落ち老い果てた お前の姿いたわしい」
これは、フランソワ・ヴイヨンの「去年(こぞ)の雪、今、何処(いずこ)」の復活でもある。
そうしてみると、田月仙の歌う悲歌(エレジー)の源は秋風に吹き飛び、忘却されていくようなものではない。
なにもないものの所へ、誰が行くものか。この歌姫は、荒れ果てた広野へ向かう。とすれば、その踏みしめる足元から、「むごさ」や「焦げつき」に耐えた幾つもの歌の芽が伸びてくるのであろう。
聴衆よ、
田月仙の腕に抱かれ、その歌声に悶死しなさい。
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60年代前衛劇団「紅テント」でアナーキーな精神を迸らせた唐さん、「新宿見るなら今見ておきゃれ。今に新宿原になる」との名台詞で、花園神社境内にテントを張っての興行でした。本文冒頭の「この神経質な廃都」とは、「原」と化した今の東京に向けた言葉でしょうか。
開設前史・3 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月19日(月)19時03分31秒
【大坂仰山党】掲示板より
http://8243.teacup.com/tamo2/bbs
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選挙後+ 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月12日(月)02時41分44秒
〔選挙関連・略〕
実は昨夜もテレビに引き付けられておりました。「社会批評社フォーラム」で紹介のあった下記のドキュメント、一人ひとりの心を引き裂く朝鮮半島の分断が「日本」に突き刺さっている様を突きつけられたような刺激を味わいました。
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NHK教育 ETV特集 [海峡を越えた歌姫]−在日コリアン声楽家の二十年−
2004年 7月10日(土) 夜10:00〜11:30 (明後日の夜です)
内容は在日二世の声楽家・チョンウォルソン(田月仙)さんの半生を今年行われた20周年記念リサイタルの歌とともにたどり東アジアの現代史にせまる 90分のドキュメンタリー番組です。
チョン・ウォルソンさんのサイトは、 http://www.wolson.com
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性格の強そうな女性ですが、戦時中に日本へ送られたお父さんの話、戦後の「帰還」で別れ別れになった兄弟のこと、貴重な写真やフィルムと合わせて印象的でした。
再放送されることと思います。ご関心の向きはぜひ。
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再放送 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月17日(土)01時57分5秒
先日ちょっと感想を書きました番組の再放送が決まりました。
NHK教育 ETV特集
海峡を越えた歌姫 在日コリアン声楽家の二十年
再放送=2004年 7月30日(土) 深夜1:00〜2:30(7月31日午前1時〜)
ご関心の向きにお報せいたします。
「愛国者」近衛さんにはゼッタイお薦め。「国」とは何か、考えましょう(^^)。
http://www.iaw.co.jp/wolson/japanese/default.htm
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☆おはようございます☆ 投稿者:近衛師団長 投稿日: 7月17日(土)07時51分31秒
鬼薔薇様 休日総員起こしにて 5時起床^^;
ご紹介の番組 見てみたいと思います。
まだ番組を見てはおりませんが、同じ優秀な民族でありながら
方や先進国の一角を占め、わが国の経済的ライバル
もう一方は、誘拐・覚醒剤・偽札が主たる国家ビジネス
住民の生活はいうに及ばず・・・・
政治体制なんて、そこそこ幸せな暮らしを営む人々には無関心な事でも
家族が餓死する環境下では切実な問題ですね
開設前史・2 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月19日(月)19時02分4秒
【社会批評社フォーラム】掲示板より(続)
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再度、鬼薔薇 様へ 投稿者:ふむふむ 投稿日: 7月17日(土)16時16分22秒
>わたしド演歌派ですので、オペラや正調クラシック音楽よりド演歌が風になって海峡を渡るのがいいなぁ(笑)。30年ほど前、李成愛(イ・ソンエ)という歌手がいたの、ご存知ですか?
私も本来はクラシック派ではナイんです。ネッ、小西さん(笑)
李成愛も知ってますヨ。ソンエもヨンジャもウンスクもナマで見た事があります。
朝鮮民族系は日本人よりエモーションが強いみたいですね、ハルミちゃんも含めて。
広報活動も有難うございました。
彼女そのうち、小西出版にも関連が出来るかもしれませんので、引き続き宜しくお願い致します。
それから、社会批評社からも『傷痍軍人金成寿の戦争』や『北朝鮮 その世襲的個人崇拝思想』などの朝鮮問題モノが出ていますので、みなさんヨ・ロ・シ・ク
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Re:再度>ふむふむさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月17日(土)21時52分59秒
>李成愛も知ってますヨ。ソンエもヨンジャもウンスクもナマで見た事があります。
そうとうに入れ込んでいらっしゃるのね。いえ、愛の深さと申すべきでしょうか(^^)。
[海峡を越えた歌姫]、いろいろ反響を呼ぶはずですので、再放送を機に、感想や意見を交換する場を開いてはと考えております。左も右も一切差別なしの規制なし、ただし期間限定で。場所だけならわたし独りで用意できますが、内容を深め広げるには、ふむふむさんのご見識と愛の深さがぜひとも必要と存じます。
ご賛同・ご協力の嬉しいご返事、お待ちしております(^^)v。
開設前史・1 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月19日(月)19時00分44秒
【社会批評社フォーラム】掲示板より
http://6015.teacup.com/shakai/bbs
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番組宣伝で失礼 投稿者:ふむふむ 投稿日: 7月 8日(木)10時43分30秒
朝鮮半島問題や「在日」問題に関心をおもちの皆様へ
NHK教育 ETV特集 [海峡を越えた歌姫]−在日コリアン声楽家の二十年−
2004年 7月10日(土) 夜10:00〜11:30 (明後日の夜です)
内容は在日二世の声楽家・チョンウォルソン(田月仙)さんの半生を今年行われた20周年記念リサイタルの歌とともにたどり東アジアの現代史にせまる 90分のドキュメンタリー番組です。
チョン・ウォルソンさんのサイトは、 http://www.wolson.com
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再放送 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月17日(土)01時47分9秒
先日ふむふむさんからご紹介のあった番組、再放送が決まったようですね。
http://www.iaw.co.jp/wolson/japanese/default.htm
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鬼薔薇さん、ありがとうございました 投稿者:ふむふむ 投稿日: 7月17日(土)11時13分57秒
「チョン・ウォルソン-海峡を超えた歌姫」に関心をもって頂いて。ご視聴いただけましたか〜?
NHKへ反響を寄せていただいた方に対しては、局側から再放映の連絡がされたみたいですね。
7月31日午前(夜中)1:00〜の再訪映が決まったそうで、今、総合テレビでの再放映も局内で検討中みたいです。
彼女の音楽活動、この間拉致問題や教科書問題などで逆風続きだったんです。
今後も「在日」問題の後押しの意味も兼ねて、宜しくお願い致します。
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ごていねいにどうも(^^)>ふむふむさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月17日(土)12時03分18秒
わたしはご案内をみて、先日のETV特集で視ました。録画もバッチリ(^^)。
感想を「大坂仰山党」板にちょっと書かせていただいております。今度の再放送決定は知人から連絡があり、それも上記板にご案内いたしました。「愛国」派の方も視てくださるそうで、ご感想楽しみにしております(^^)。
http://8243.teacup.com/tamo2/bbs
>彼女の音楽活動、この間拉致問題や教科書問題などで逆風続きだったんです。
そうでしょうね。この番組がそれを吹き飛ばす風になれば、と念じております。
でも、わたしド演歌派ですので、オペラや正調クラシック音楽よりド演歌が風になって海峡を渡るのがいいなぁ(笑)。30年ほど前、李成愛(イ・ソンエ)という歌手がいたの、ご存知ですか?
開設のごあいさつ 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 7月19日(月)18時58分17秒
下記ドキュメンタリー番組を素材に感想・意見を交換する場として臨時開設いたします。期間は、番組再放送から議論一段落まで“無期限の期間限定”(笑)とさせていただきます。
NHK教育 ETV特集 [海峡を越えた歌姫]−在日コリアン声楽家の二十年−
●初回=2004年 7月10日(土) 夜10:00〜11:30
●再放送=2004年 7月30日(土) 深夜1:00〜2:30(7月31日午前1時〜)
在日歌手チョン・ウォルさんの海境を超え歴史を貫く音楽活動を凝縮したこの番組は、日本と韓国・朝鮮関係、朝鮮半島の分断の歴史的意味を、水底から響くように問いかけていると存じます。「戦後世界」とは何だったか、いったいこの「日本」とはいかなる国か、さらには、人間にとって「国」とはそもそも何なのか、そんなことも。
この番組のこと、わたし「社会批評社フォーラム」でのふむふむさんのご案内で知りました。なかったなら見過ごしていたにちがいなく、ふむふむさんには心よりお礼申し上げます。m(..)m
この場ではより広く多くの声が響き合えばと思いますので、皆さまご存知よりの各方面ににご紹介いただけたら嬉しく存じます。また、相互理解を深めるために、参考文献や関連サイトの情報をお寄せいただければありがたく、よろしくお願い申し上げます。m(..)m
チョン・ウォルソンさんの公式サイトは、 http://www.wolson.com
ただし、当掲示板および管理人はチョンさんご自身とも関係組織とも一切関わりないこと、老婆心ながらお断りしておきます。
運営関連のことども:
テーマに関わるかぎり、政治的・思想的立場や発言内容や表現を理由にした発言削除、あるいは発言者への退場勧告その他管理統制に属することは一切いたしません。他の方の発言に関わる管理人への苦情や規制要請にはお相手いたしません。いわゆる「差別発言」や「出て行け!」発言、誹謗中傷から罵倒・シカトまで発言/非発言は、対抗言論を含めすべて「自己責任」でお願いいたします。自由闊達で広がりある交歓の場となりますよう、発言者各位のご見識とご発言の品位に期待しております。なお、ログ・アーカイブの用意がございませんので、お入用の向きはそれぞれお手許でご保存いただきますよう。
では、再放送まであと10日間ほどですが、先の放映でご覧の方はご感想・ご意見・ご案内、未見の方は期待・予断・憶測・思い込みなどなど、あるいはチョンさんのサイトをご覧になっての感想とか、どうぞご自由にお書き込みくださいませ。ご参考までに、きっかけをいただいたふむふむさんのご投稿以下関係のご発言、管理者責任で勝手に再掲させていただきます。