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栗氏千蟲譜 巻十(全)   栗本丹洲

                       注記 copyright 2007 Yabtyan

[やぶちゃん注:本ページは、「栗氏千蟲譜」の内の海洋生物を翻刻する私的なプロジェクトの一環である。本作の解題は、「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」を参照されたい。底本は恒和出版昭和五十七(1982)年刊の江戸科学古典叢書41「千蟲譜」所収の影印本を用い、活字に起した。原本との比較の便宜を考え、原本の改行を踏襲している。一部の変体の片仮名については正字片仮名にすることとした。特異な字体については注記した。但し、筆法の書き癖と思われるものは、一々注していない。また、俗字(現行の新字に等しいもの。例:「余」(餘)、「縄」(繩)、「児」(兒)など)も多く用いられ、歴史的仮名遣いの誤りも多い。明らかな誤字・濁音脱落についてのみ、後に〔 〕で正字を補い、判読不能の字は□で示した(但し、「蟹」の字は冒頭の「水引蟹」から「蝲蛄」まで、「解」が「鮮」となっているのは、うるさくなるので注をせず、すべて「蟹」に直した。「金錢蟹」以降は正字となっている)。活字の大きさであるが、柱の生物名は一般に大きく、説明の記載はやや小さくなり、それ以外に本文中で微妙にやや小さな字を用いている箇所があるが、記載内容に関わらない限り、原則として無視し、注記もしていない。なお、今回の判読に際しては、国立国会図書館の所蔵する服部雪斎写本版も参照にした(国立国会図書館電子展示「描かれた動物・植物 江戸博物学の歩みの電子版を用いた)。
 附図の生物種の同定に際しては、下に記す国立国会図書館貴重書画像データベースの底本原色画像を使用した。
 なお、2タイプ・テクストとした。即ち、字配りを意識した翻刻(■翻刻)と、適宜句読点を施して読みやすく改訂したもの(■やぶちゃん読解改訂版 字注の一部を省略)を示した。
 底本の原本は国立国会図書館蔵 250cm×180cm。この原本は国立国会図書館貴重書画像データベースで原色の「千蟲譜」全巻を読むことができる(先の検索ページで新字体で「千虫譜」を入れればよい)。文字を読まずとも、この博物画を見るだけでも心洗われる。是非、ご覧あれ。
 判読不能の字及び誤読している字、及び種の同定の誤りを発見された方は、是非ご教授願いたい。なお、今まで学名の綴りのフォントを Script MT Bold で統一してきたが、読みにくいと言う指摘を受けたので、今回は翻刻の方の注の学名にのみ当該フォントを用い、読解改訂版の方は通常の Century のままとした。]

 

■翻刻

栗氏千蟲譜 巻十

《改ページ》

水引蟹  異品ナリ

 頭上兩鬚高ク起ル其尖リ

 即眼アリ然レハ鬚ニ非ス眼茎

 ノ長ク出ルモノナリ

[やぶちゃん注:ミズヒキガニ Eplumula phalangium の脚をすべて上方に挙げた状態の腹面図。次のページに跨って左右に脚を広げた同種の正面図。]

《改ページ》

猩々蟹

  越前魚名浦産

此物網ヨリ上ル時ハ脚ハサミヲ疂テ不動

其状図ノ如シ濱沙上ニアレハ左右ニ脚ヲ伸シテ

走ル長踦ニ似タリ走ルコト遅鈍ナリ

[やぶちゃん注:同記載の後に、脚を畳んだミズヒキガニ Eplumula phalangium の正面図があるが、殆ど脚が見えず、やや誇張が過ぎるように思われる。一見、別種の記載のように見えるが、この脚を畳んだ図を見る限り、同種である。「長踦」(ちょうき)は、アシダカグモ Heteropoda venatoria (及び同属の総称)のこと。なお、現在の和名異名でショウジョウガニはアサヒガニ Ranina ranina が一般的であり、さらに地域によってはショウジンガニ Plagusia dentipes を訛って呼ぶこともあるようであるが、本図は全くこれらとは異なる。]

《改ページ》

螃蟹  一名毛蟹  和名ヅガニ  モクズガニ 共 モクソウガニ 共云

 出寧波府志又臺湾府志云毛蟹生溪澗中螫生秋後其肥美

 此物山川深流ノ處ニ生ス秋八九月末流ニ下ル蕎麦花サク頃大雨アリ

 テ水漲流ルゝ時多ク下ルノ候トス微毒アリ病人必食ヘカラズ金瘡ニテ筋ノ

 断タルヲ接續スルニ此黄膏ヲ用ユ此蟹甲ヲ破リ黄膏ヲ取土器ニ入陰

  干シ細末トナシ乳汁ニ和シ疵ノ側ニ傳ヘシ又疵ヲ洗フ毎ニ傳ルコソヨシ

 トス貝原翁試タル方ニテ大和本草モ説ヲ出セリ津蟹トカキテアリ

 東都戸田川中川利根川ニ皆アリ又上水ノ長流水中ノ樋筧ノ内ニアル

  事ヲ聞ケリ伯州散ニハ此蟹ヲ用ユヘキナリ

[やぶちゃん注:次のページにかけて、モクズガニ Eriocheir japonica 一個体の背面全図。「微毒」とは、現在明らかになっている寄生虫による症状を指すものであろう。即ち、モクズガニに特異的に寄生するベルツハイキュウチュウ Paragonimus pulmonalis (Baelz, 1880) による肺結核様症状である。ちなみに、この寄生虫については長く(現在も)ウェステルマンハイキュウチュウ(肺臓ジストマ)Paragonimus westermanii の3倍体種とされてきた(現在もそう記述するものが多い)が、「小林博士のモクズガニ生態図鑑」の以下のページ 等の記述に基づき、ここではベルツ肺吸虫の名称を採用する。「伯州散」は日本古来の民間薬で、化膿性皮膚疾患に効があり、反鼻(はんぴ:マムシの皮と内臓を除去した乾燥品)、鹿角(ろくかく)、津蟹(しんかい)を別々に黒焼きし、等量に配合したものという。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:次のページにかけて、モクズガニ Eriocheir japonica 一個体の腹面全図。]

《改ページ》

藻屑ガニ

 相州小田原海中ニ産スコレヨリ

 大ナルモノアリ惣身毛アリ土泥ナ

 ド付テ至テムサキ形ナリ漁人モク

 ゾウガニト云大ナルモノハ津蟹ト

 同ジ

[やぶちゃん注:モクゾウガニという名称はモクズガニの関東周辺での異名であるようである。説明の下に背面一図が載るが、この甲羅はモクズガニの特性を示しているとは言い難い。]

《改ページ》

虱蟹 マメガニ

 是沙狗ノ小者

[やぶちゃん注:説明の下に大小のマメガニ二個体の図。以下は、その下の説明。この同定には幾つかの可能性を考えなければならない。まずはスナガニ科 Ocypodidae のコメツキガニ Scopimera globosa やミナミコメツキガニ科 Mictyridae のミナミコメツキガニ Mictyris brevidactylus が考えられるが、「沙狗」が広くスナガニ科 Ocypodidae を指す呼称であることを考えると、コメツキガニ属 Scopimera sp. やチゴガニ属 Ilyoplax sp.、ツノメチゴガニ属 Tmethypocoelis sp. も射程に入れる必要があろうか。更に、次に続く叙述からはカクレガニ科 Pinnotheroidea も考慮しなくてはならない。図が小さく、これ以上の同定が私には出来ない。]

 

蛤中小蟹潔白透徹□蛤倶食□脆淡美又奇品也

[やぶちゃん注:この説明の左にやはり大小のマメガニ二個体の図。この叙述からならば カギツメピンノ Pinnotheres pholadis 等を同定の候補としてよいであろう。]

 

溪蟹

澤蟹辰五月十三日写

凾関温泉アル處澤アル處

ニアリ此蟹好テ□菜ヲ啖フ

因テ此蟹多キ處ニテワサビ

ヲ不作ト云此蟹火上ニテ焙

食ヘハ味美ナリ又湯ニ作テ

酒媒トス

[やぶちゃん注:下に、サワガニ Geothelphusa dehaani ニ個体の図。]

《改ページ》

小蟹胎於蛤腹中者俗呼カニムグリト云土州宿

毛産蛤中各孕小蟹方言サキツト云又薩州久

見崎海中所産ノ蛤十中ニ六ハ腹中ニ小蟹アリ蟹

ト共ニ煮食ハ味極テ美ナリ遠境ノ人甚コレヲ珍重

ス其所産之海濱僅ニ方二町許之處ナリ其他ハ

尋常ノモノニシテ蟹アル事ナシ文化己巳ノ臈薩州榮

翁老矦本國ヨリ東國ニ輸致セシム同僚桂月池國

端ニ贈ラル其中一個ヲ分テ予ニ分恵ス剖開テコレヲ

ミルニ肉ハ痩セタリト雖モ存活セル事新ニ今海中ヨリ拾

取得タルモノト同シ煮味テ珍賞スルニ餘味感ス

ベシ三四百里程ノ日數ヲ經テ來レルモノニ此小蟹モ

亦活在ス一奇事ナリ後年遺忘セン事ヲ怖ル因テ

コゝニアリノマゝニ其事ヲ識シ同好君子ニ示スノミ

 昌□按嶺南雑記云剣蚌腹有小蟹任

 昉述異記謂之筋即是也

 

此蛤東都ノ海中ニ産〔ス〕ル

モノト異ナリ形丸ミアリテ質

堅ク厚シ斑紋モ亦如此

[やぶちゃん注:ハマグリ Meretrix lusoria の左右の貝の図。中央右上に描かれた右殻は内側、その左下に描かれた左殻は外側。私は蝶番からの殼の曲線から、これを真正の Meretrix lusoria と同定してよいように感じるが、如何か。以上の三行はその右殻下に記載されている。これより、丹洲が言う「東都」のハマグリはチョウセンハマグリMeretrix lamarckiiである可能性が高いと思われる。]

《改ページ》

此小蟹圖ノ如ナル大サナリ背甲

白キ三星アリ肚下紋所ノ葵文

アリムキミノヒラ/\シタル處ヲタス

キト云ハカマトモ云其タスキノ薄キ

皮ト肉トノ間ニ此小サキ蟹出入ス

口ヲ開ク時殻外ヘモ出テ遊フニヤ

全体入ヘキ餘地ナキ處ナリ

[やぶちゃん注:下にピンノ Pinnotheres sp. の背面、加えて不詳の二枚貝(外套膜及び斧足、水管が大きくはみ出している)に半ば姿を隠した図が示されている。ピンノ類は種類が多く、特定の貝に特異的に寄生しているため、この貝の形状の不確かさでは、種の同定が困難である。背の文様から言えば、ハマグリやアサリに寄生するオオシロピンノPinnotheres sinensisか、チョウセンハマグリに寄生するマルピンノPinnotheres cyclinusかと思われる。ちなみに生態からいうと貝に常時寄生しているのは♀だけである。]

《改ページ》

アブラ蟹

 海濵ノ生スカタチ千石蟹ニ

 似テ甲薄黒ハサミムラサキ色

 ナリ脚薄黄紫ノ斑紋アリ

 毛モアリ

[やぶちゃん注:下に背面のアブラガニ一個体。現在、アブラガニというとタラバガニ属のParalithodes platypusを指すが、これは本文とも図とも全く一致しない。鋏脚の紫色という叙述や「海濱」という条件を考えると、ハマガニParalithodes platypusが候補として挙がるが、図のような銭型紋はない。]

《改ページ》

カサミ  ウミカニ

 正字通曰長尺餘両螯至強曰蝤蛑

 又螯不毛後跪薄濶如櫂曰撥櫂

[やぶちゃん注:ガザミPortunus trituberculatusの背面一個体。前ページに右四脚がはみ出している。]

《改ページ》

マンヂウ蟹  九州ノ産ナリ関東ニ絶テナキモノナリ

 手脚ハサミ折カゞメテ乾タルモノハ甲上ヨリハミヘズ平クシテマンヂウノ如シ

 因テ名クト云

[やぶちゃん注:スベスベマンジュウガニAtergatis floridusの腹面前方からの図が上に、下に脚を全て背甲下部に入れ込んだ前面図がある。ちなみに、本種は麻痺性貝毒であるゴニオトキシンやサキシトキシン、ネオサキシトキシン、加えてフグ毒のテトロドトキシンを持つ個体が知られており、注意を有する。]

《改ページ》

唐人ガニ 佐州方言

 

蟹譜曰蠞匡長而鋭者

謂之蠞

 

セミガニ

 江ノ島海中ニアリ佐州ニテ唐人蟹ト云

 甲堅ク光アリ千人捏ノ一種ノモノナリ

[やぶちゃん注:中央やや上に右側面からの図、左やや中央下に腹面の図、最下部に背面の図がある。これらはずべて同一個体の筆写と判断される。本種は、トゲナシビワガニLyreidus stenops と同定する。理由は、三図のどれを見ても、甲の側縁部分が滑らかで、ビワガニLyreidus tridentatusの特徴である左右の一棘が全く見られないからである。]

《改ページ》

蘆蟹 猩々蟹 ヘンケイガニ

 臺湾府志沙馬蟹色赤走甚疾

 者即是

  按本綱蟹集鮮〔解〕虫※1※2アカガニ

  亦此モノゝ類乎

 正字通云両螯赤不可食云芦虎

[やぶちゃん字注:※1=「蟚」の「虫」を(へん)の位置にしたもの。]

[やぶちゃん字注:※2=「虫」(へん)+「骨」。]

[やぶちゃん注:上部にベンケイガニSearmops intermedium背面一個体の図。]

 

メクラガニノ図取 目出タガニ トモイフ

  甲戌三月十六日活物ヲ得テ寫ス

[やぶちゃん注:メクラガニTyphrocarcinus villosusと思われる(識別できる画像を見出し得なかった)前方からの位置個体の図。]

《改ページ》

タクマエビ  相州小田原方言 シッパタキ  其活者ヲ濵ニ上ル時ハ其尾ニテ沙石ヲハタキ飛事數尺ナリ因テ

       此名得ルト云  西国方言  ウチワエビ

[やぶちゃん注:ウチワエビIbacuc ciliatus背面一個体の図。本図の個体は、頭胸甲の後半部の縁に10を越える棘が確認され、棘が7本のオオバウチワエビ Ibacus novemdentatusと区別されるからである。]

《改ページ》

蟹甲 蛮産

 晴川蟹録引北戸録曰十二點儋州出紅蟹大小殻上作十二點

 深臙脂色亦如鯉之三十六鱗耳其殻與虎蟳堪作※子格物

 總論紫蟹殻似蝤蛑足亦有發棹子但殻上有烟〔臙〕脂斑點不

 比蝤蛑之純青色耳云々

[やぶちゃん字注:※=「疂」の(わかんむり)の下を「正」に代える。]

[やぶちゃん注:鮮やかな赤色円紋のある背甲の前部からの図(尾部が見えていないと思われる)。]

《改ページ》

蛮産作酒杯而

為珎奇

[やぶちゃん注:鮮やかな赤色円紋のある背甲の内側の図(前頁にもかかっている)、及び背部全面(尾部も見えている)の図。この二つは前頁の固体異なる大型個体の背甲の二様のようにも見受けられる。全て三図ともアカモンガニCarpilius maculatusの背甲と見てよいであろう。食用とされるが、個体によって毒化(シガテラ毒)したものがあるので要注意である。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:底本ではこのページは白紙である。]

《改ページ》

銀ガニ 正字通云薄殻而小青白者

    曰螠篠島ノ濵ニアリ

[やぶちゃん注:銀ガニの一個体背面。記載が少なく図も特定するには簡略に過ぎるものであるが、印象としてはチゴガニ Ilyoplax pusillaまたはハラグクレチゴガニ Ilyoplax deschampsiを候補としてよいか。]

 

招潮

 正字通云売〔殻〕色青白潮欲來出

 穴擧迎之曰― ―[やぶちゃん字注:このダッシュ状の記号は他の部分には見られない特異な用法である。]

  尾州ノ和多ノ海邉ニ多シ方言

  テンホカニト云

[やぶちゃん注:下部に「招潮」かと思われる一個体の図。]

 

望潮

 田打カニ左螯大ナルモアリ

 汐干孔ヨリ出テ手ヲ挙

 テマ子ク形ヲナス故ニ又潮

 マ子キト云

[やぶちゃん注:下部に「望潮」かと思われる一個体の図。全く前者「招潮」の個体と同じである。鋏の大きさはどちらも同じに描かれており稚拙であるが、両記載からシオマネキUca sp. と同定してよい。なお、シオマネキ属の♂の大きい鋏脚は必ずしも左右どちらかに決まっているわけではない。]

 

千人捏 閩書南志引宋志云千人擘状

    如小蟹人力劈之不開ト云是也

 本名ハ蚌江

 本綱蟹集鮮〔解〕ニ出
[やぶちゃん字注:以上2行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]

   マメガニ

   コブシガニ 筑紫方言

[やぶちゃん注:コブシガニPhilyra sp. の背面図。]

 

藻ガニ

[やぶちゃん注:イシガニCharybdis japonica 背面図。この後の他の部分でよく引用されている石蟹であるのにも関わらず記載が全くなく、「石蟹」であることの指名もないのは不審である。栗本はもしかすると、他の種を石蟹と称している可能性がある。]

《改ページ》

蝲蛄

奥州南部津輕ノ谷川ニ多シ近來

蝦夷ニ多シ喜テ[やぶちゃん字注:「(このん)で」と読ませていると思われる。]却行ス故ニサリカニト云

[やぶちゃん字注:以上は2行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]

 

大ナルモノ右ノ図ノ如シ蝦夷地ヨリ活スルモノ

己巳ノ冬月将來スルモノヲ見タリ冬蟄ノ時ハ遠方モチ來テ

モサノミ痛マズ春ニ至レハ多ハ殞[やぶちゃん字注:読み「しぬ」=死ぬ。]モノナリ蝦夷方言シヤリカニト云冬月蟄スルモノ肚中ニ白石一對アルモノナリ

ナキモアリ是ヲクリカンキリ〔ト云フ〕也

[やぶちゃん注:ザリガニ(アメリカザリガニと区別するためにヤマトザリガニまたはニホンザリガニと呼称されることもある)Cambaroides japonicusの上に小さな個体、下に大きな個体。なおザリガニと呼称するものの、彼らはエビ(十脚目)の仲間である。最後の「クリカンキリ」とは、ザリガニが脱皮前に外骨格の炭酸カルシウムを回収して生成した胃石を指す。脱皮後にその胃石を溶かして、新しい外骨格に吸収させて補成分とする。これは、かつて眼病や肺病に効く民間療法薬として使用されていた。]

《改ページ》

金錢蟹 セニガニ 小紋蟹トモ云フ雜肴ノ中ニ偶交リ上ル後脚平ニシテ杓子ノ如シカザメ〔カサミ〕ノ脚ニ似タリ

甲ノ左右ニ尖刺アリ乾貯テ経年ナルモノハ甲黄白ニシテ赭色ノ豹文ナシテ美ナリ此類ニモ数種アリ

[やぶちゃん字注:冒頭注に記したように、この「金錢蟹」より「蟹」の字は正字となっている。]

[やぶちゃん注:キンセンガニMatuta sp. の背面(上方)、腹面(下方)の、恐ろしく汚い図二点。]

《改ページ》

鬼面蟹

タケブンガニ

ヘイケガニ

[やぶちゃん字注:以上は2行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]

長州豊前ニテキヨツ子ガニ

蟹譜曰背殻如鬼状

者眉目口鼻分布

明白常宝玩之

九州海中ニアリ西国ヨリ

関東ニハ絶テナシ螯左右大

小アリ匾長ナル四脚

ツキテアリ蟹類

多シト雖トモ此モノ甚

異状ナリ乾枯ノモノ遠ニ

寄セ方物トシテ

珍玩スルモノナリ

臺湾府志所謂

鬼蟹状如傀儡者

即此物ナリ

 

尾州ニモ此蟹出ル事アリオゾ

サガニ又オサダ蟹トモ云フ

コレ長田ノ庄司ノ亡灵[やぶちゃん字注:灵=霊。]化

スル由ヲ云フ平

家ガニトハ

唱ヘズ長州文字ヶ関

海濵ニノミアリト人々

思ヘリ左ニ非ス中国

ヨリ西海ニハマゝアルモノナリ

[やぶちゃん注:ヘイケガニNobilum japonicum japonicumの背面図(上方)と腹面図(下方)。]

《改ページ》

長門國阿弥陀寺の什物として有所の平家蟹の讚鹿

園〔苑〕院大相國義満御作のよしその真翰のうつしたる

を見れは

嗚呼悲哉三界流轉の修羅の業跋提河のなかれに落

せられて苦海の波に沈みかゝる蟹の姿と化生せしか

憐無しく過し元暦のいにしへをいまの事よと

あやまたれもろき涙袖にあまるつらし人間盛衰

を案するにたたこれかんたんの一時ねふりにもあら

す平家僅に二十余年の奢りも盛者必衰の夢の

内に來りて終に東夷の武威にくたかれ壽永の

秋の一葉に棹さして西海の波濤にさまよひ

浮沈の流れに身を寄しはいとあはれなりける有さまな

り頃しも元暦二年の春の頃かや官軍所々の

軍に打負てつくしをさして落塩の天子はし

め月卿雲客一蓬の漏露小波となり帆を漂泊の

浪にまかせて豊前國柳ヶ浦に著せたまひてしは

しは君宸襟をやすめたまひしかは官軍一先安堵の

おもひをなせり斯りし處に三月廿二日とかや思はさる

に範賴義經兵舩數千にて押寄せ幡旗を春風

にひるかへし矢を射る事雨のことし櫓械〔櫂〕のうたは

天をふるはし鯢波の声海底を驚かすされは兵は

凶器武は逆德とそいへとも王土に身をよせし武士とも

なさけなくも先帝の御座舩天子の龍顏をもははからす

七重八重に打ちかこむ官軍今を限りと防戰すといへとも

天運微にしてたちまち打負け女院いけとられ給ひ

しかは今は是まてと二位の禅尼進み出安德天皇八才

の若君を胸にいたき奉り右の手に寶劔を拔もち

海底にとひ入□へは諸卿百官千司平氏の公達一族一ッ

流れに身を沈め水の泡立時の間に消へて姿もなき跡は

寄來る浪も名殘なり夫々の百官此蟹と化生する

事いかなれば馴ぬ海路の戰に七手八脚手たて盡瞋

恚強情の恨み消やらす弘誓の舩にほたされ随

縁眞如の浪起りて八苦の海にしつみ煩悩の波深に

漂ひて百率〔卒〕の魂魄天源にかへることあたはす終に

水底に流轉してよる所なきまゝ虫と化して此蟹とな

れるものか今是か姿を見しよりも昔の哀れに袖

ぬれて

    過きし世の哀れに沈む君か名を

     とゝめ置きぬる門司(もし)の關守

    よるへなき身は今蟹と生れきて

     浪のあはれにしつむはかなき〔さ〕

[やぶちゃん注:この阿弥陀寺は廃仏毀釈によって、現在、赤間神宮となっている。宝物に本資料があるかどうかは不明。また、本文とほぼ同内容を載せる「鈴木主水榮枯録」(編集人不詳・明治19年金松堂刊)の「穂積左衛門尉平家蟹の讚を奉つる事」によれば、これは足利義満ではなく、足利義政が家臣の穂積左衛門尉長利に命じて作らせた文であり、最後の二つの歌も、最初が長利の歌で、後が長利のこの讃に「感賞の餘り自ら御筆を染めさせられてその奥へ」記した義政の歌として、誤伝を糾すとしている。しかし、現在でも、前者の歌は足利義満の作と一般に伝承されているようである。]

《改ページ》

草蝦 蝦夷地方ノ産

此モノ西蝦夷地

ソーヤタヒシツンベニテ

捕ル

[やぶちゃん注:一般にクサエビという和名は、現在、ブラックタイガーと呼ばれているウシエビPenaeus monodon の在来個体を示すものであった。しかし、ここでは北海道産とあることから、これとは違う。形状から見て、ボタンエビPandalus nipponesisを疑うが、色が余りにも異なる。体色から言うとホッカイエビ(=ホッカイシマエビ=シマエビ)Pandalus latirostrisが近い。]

 

拉姑一名哈馬

清高士奇

東巡日録

[やぶちゃん字注:以上は2行は、底本ではポイント落ちで前行の下に割注二行で入る。]

サリガニ

 シサリガニノ

 略語ナリ

[やぶちゃん字注:以上は2行は、底本では前の割注と同じポイントで割注二行のげに左下にはみ出る形で記されている。]

一名蝲蛄盛京通志

 

石蟹ト螃蟹不同形且小其

黄附久不合疽瘡螃蟹横行

石蟹退行此亦一異生渓澗中

 東医宝鑑

[やぶちゃん注:既出のザリガニCambaroides japonicusの尾部を下に曲げた個体背部が右に、左に尾部を伸ばした個体の図。]

《改ページ》

土蟀 福州府志

 和名ゴカイ 又海ミミズ 潮ノサス処ト

 河水(まみず[やぶちゃん注:ママ。])トノ境ニ

 生ス泥沙ヲ堀〔掘〕取形扁ニシテ兩辺細々足アリ牙アリ

 人ノ手ヲ咬ム漁人沙糖水ニテ一個ヲ丸呑ニシテ

 淋病ヲ治スト云黒燒ニシテ用テ久シキ淋痛

 瘥ガタキモノニ用テ神効アリト云八九月ノ際

 此物沙中ヨリ出テ浮流ルコトアリ網ニテスク

 ヒ取冬月ヨリ春ニ至ル迄ノ魚ヲ釣餌トス

 其外年中此物ヲ用ユ老イタル者ハ形大ニシテ四五

 寸ニ及フ廷〔延〕レハ長ク縮レハ太ク短シ蛭ノ如シ小毒

                        アリト云

[やぶちゃん注:下部に絡まった形の十数個体のゴカイの図。現在、単一種としてのゴカイという概念は修正されたため、ヤマトカワゴカイ Hediste diadroma またはヒメヤマトカワゴカイ H. atoka またはアリアケカワゴカイ H.japonicaのいづれかということになる。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:下部右に前ページからのゴカイの図が出っ張る。]

《改ページ》

海〔偕〕老同穴又海ヘチマハ長州矦領分長州清末(キヨスヘ)海中所産ニシテ[やぶちゃん注:「海ヘチマ」は右側書でここへの挿入指示がある。]

其地ノ方言ナリ蝲蛄(サリカニ)ノ異品ニシテ雌雄一所ニ居テ

巣ノ上下ニ竅アリテ出入ス故ニ此称アリ此巣ノ質

ハ海綿ノ如ク蛮名[やぶちゃん注:この「蛮名」は割注で右から左に記載。]スポンギウスト云モノニ似タリ苧麻

絲ニテ織成スモノゝ如シ手ザハリ軟ニシテ俗ニ云メリヤス

ノ如シコゝニ図スル細カキ圏点ノ処ハ盡ク小円竅ナリ

上端ニ絮アリ細毛絨銀色ヲナス試ニ火中ニ投入スルニ

焼焦スルコトナシ質大浣布ニ似タリ是又人ノ識サルモ

ノナリ一体形絲瓜絮ノ如シ故ニ海ヘチマト呼ブ此海

ヘチマハ薬品會ニ出ルコトアリテ偶見ルモノナレドモ此

蝲蛄ノ造レル巣ナルコトヲ知ラス今茲ニ親ク目撃

シテ始テコゝニ一識ヲ博フス此モノ文政壬午秋参政

堀田矦惠贈セラルゝモノナリ 栗丹洲誌

[やぶちゃん注:下部にカイロウドウケツの一個体が以下三ページ分に亙って描かれている。本ページのカイロウドウケツの下の左にカイロウドウケツの中に片利共生するエビの「ヲモテ」と記した小さな(カイロウドウケツと同寸と思われる)背面図が描かれている。これはカイロウドウケツ海綿動物門 Porifera六放海綿綱 Hexactinellidaリッサキノサ目 Lyssacinosidaカイロウドウケツ科 Euplectellidaeカイロウドウケツ属 Euplectella属ヤマトカイロウドウケツEuplectella imperialisまたはマーシャルカイロウドウケツEuplectella marshalliであり、片利共生しているエビはヒメドウケツエビ Spongicola japonicaである。]

《改ページ》

海中産ザリガニノ造成セル巣ナリ或云海中ニ

此物生シテ後ニヱビ雌雄來テ寄居シテ我室トス

此ヱビヲ寄生蝦(ヤドリヱビ)云フ空殼ノ螺中ニ宿ヲ假借

スル寄居虫ハ其意同シト云ヘリ此巣ハ此雌雄〔ノ〕カニ〔ノ〕

作レルモノト云ヘドモ顧フニ此小蟹巧ニアラサルベシ

友人芝陽ニ見セ評価セシムルニ蝲蛄異品ト云ヘリ

[やぶちゃん注:本ページのカイロウドウケツの下の右にヒメドウケツエビの「ウラ」と記した小さな(前ページと同寸)腹面図が描かれている。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:カイロウドウケツの下部の毛の束(仮根状の部分)が右下部に描かれている。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:底本ではこのページは白紙である。]

《改ページ》

紫稍花  寛政六甲寅夏月 江刕鸊※湖産[やぶちゃん字注:※=「帝」+「鳥」。]

 中心ハ芦莖ナリ紫稍ノ花ハ綱目弔ノ條下ニ

 出近江湖水ノ邉方言カニクソ芦竹枝上ニ着

 ク状蒲槌ノ如シ灰色ナリ陳自明婦人良方云

 紫稍花生湖澤中乃魚蝦生卵子〔于〕竹木之上

 状如糖※1去木用之トアリ

[やぶちゃん字注:※1=(さんずい)+「昔」+(のぶん)。但し、『和漢三才図会』の同じ陳自明『婦人良方』の引用を見るに、中央に入っている「昔」は「日」ではなく「目」である(更に言うと『和漢三才図会』では「糖」ではなく「餹」とある)。ところが、本書の字も、『和漢三才図会』の字も、『廣漢和大辞典』に所載しない。「澈」《水が澄み清い、の意》や「*」《*=(さんずい)+「敢」:味が薄い、の意。》等の誤字とも考えられないことはないが、どなたかお分かりの方は御教授願いたい。この熟語の読みは、平凡社東洋文庫版島田他訳『和漢三才図会』によって(みづあめ)であることが分かる。]

[やぶちゃん注:下部に紫稍花の全体図(蘆付き)と、右下に同寸の断面図一つ。本文の記載に関わらず、その形状と図から本種がカイメンの一種であることは容易に知れた。而して平凡者東洋文庫版訳『和漢三才図会』の「紫稍花」の条にある、訳者注に基づき、本種を淡水産のヨワカイメンEunapius fragilisと同定しておく。]

《改ページ》

章魚 タコ[やぶちゃん字注:底本では「章」の最終画は、中央の「日」を完全に貫いて、「立」の下についている。以下同じ。]

 タコノ陸地ヲ行クモノ

 前ニ脚ヲ伸テ后身ヲ

 進マシム恰モシヤクトリ虫

 ニ似タリト云

[やぶちゃん注:やや戯画的な一個体の図(前ページの「紫稍花」の蘆の下部が右下に突き出ている)。タコ目(八腕目) Octopodaマダコ亜目(無触毛亜目) Incirrinaまでは狭めてよいであろう。]

《改ページ》

肥前天草産

 金章魚 漢名塗蟢

華夷蟲魚考寧波府志及典籍

便覧ニ望湖〔潮〕一名塗蟢ト云モノ是也状

イヒダコニ似テ小サク腹小サク空虚ニシテ飯ナ

シ足細長クシテ蜘蛛ニ似タリ小ナルモノ寸

許丹後但馬越前加賀ニ多クトルモノ也

 拙按ルニクモダコト云モノ章魚ノ初生ナ

ルヘシ又一種別極テ小ナルモノカ未詳

 四國海濱ニモアリ乾テ四方ニ寄贈ル

 食テ味美ナリ

[やぶちゃん注:下部に金章魚三個体の図(右上の一個体は胴部を上にしている。左上は口器を上にしている。最下部の一個体は不分明であるが、腕足の吸盤が左上と同様に比較的くっきり見えており、口器を上にしているか、もしくは多くの腕足を振り上げている状態かと思われる)。
 本種の同定に関しては、明石淡路フェリー株式会社のサイト内の『明石海峡タコだより』vol.6『蜘蛛(くも)ダコって?』に以下のように考察がなされており、大いに参考となる。
 『マダコ、イイダコ、テナガダコの三種類が明石で獲れる主なタコ類』であるが、『時折「クモダコ」という呼び名も耳にする』ことがある。しかし、そう呼称しても『別の種類が目に付くわけでもない』、とする。そこでこのページの作成者は丹洲同様に、按ずるに『どうやら、胴に黒い筋が入り、金色の丸印を模様とするイイダコがそれらしい。真冬に胴の中ぎっしりと飯粒のような卵を持っていないものをクモダコと呼び分けたのではないだろうか。』と推測し、『本格的に寒くな』れば「飯持ち」になることを述べ、『釣り上げられたイイダコを見ると、袋状の胴体に黒い線が入って、クモの胴のようにも見える。細い足の動きも、どこか昆虫の動きに似て、昔の人はイイダコと別の種類と思ったのだろう。』とさらにフィールド体験からの補強をもしている。
 これはまさに丹洲の考察と美事に一致していると言ってよい。勿論、他の種の幼年個体としても見ておくべきではあるが(特に地方名の場合)、ここでは私は清々しくイイダコOctopus ocellatusと同定する。]

 

職方外記〔紀〕云一種介属之魚僅尺

許有殼六足々有皮如欲他徙則

竪半殼當舟張足皮當帆乘

而行名曰舡魚

龍威秘書巻九譯史紀餘曰舡

《改ページ》

魚六足行殼有皮僅長尺許如

欲他徙則竪半殼當舟張足皮

當帆乘風而去

[やぶちゃん注:腕足の間の膜を帆として掲げている「舡魚」の図。これは次のページの冒頭に示されているように、欧文の図譜からの転写である。原本はG. Eberhard RumpfD'Amboinsche rariteitkamer”で、1705年にアムステルダムで刊行された蘭語版の「アンボイナ珍品集成」である。当時日本では、「ラリテート」と呼ばれた(次ページ冒頭の『落立茅篤』は「ラリテート」に漢字を当てたものである。]

《改ページ》

舡魚  蛮名 ヒツセナーテ〔チ〕リス 右ノ図蛮書落立茅〔弟〕篤中ニアリ直ニ抄出ス

 

 本邦俗ニ章魚船ト呼一名貝章魚ト云此介殼ヲ人〔介〕品ニ入ル紀州ニテ葵介ト云小ナル

 ヲ乙姫介ト云諸州ノ海中ヨリ産ス大ナルハ六七寸小ナル者二三寸純白ニシテ形鸚鵡螺ノ如ク薄脆玲瓏恰硝子ヲ以テ製造スルモノニ似タリ文理アリテ※瓏ヲナス畧秋海棠[やぶちゃん字注:※=(がんだれ)の中に「毛」。]

葉ノ紋脉ニ彷彿愛玩スルニ耐タリ中ニ一章魚ノ小ナルモノコレニ寄居ス六手ヲ殼肩ニ出

シ両足ヲ殻後ニツキハリテ櫂竿ノ象ヲナス海面ヲ游行スルコト自在ナリ真ニ奇物ナリ此

章魚ハ外來ノモノニ非ス此介ノ肉ナリ徑月大ナルニ随テ此介モ又大ニナルモノ也章魚ノ船ニ

乘タルニ似タルニ因テ此名アリ徃年津輕海濱ニ此物一日數百群ヲナスコトアリテ寄來ル

人多クコレヲトル然レドモ怪テ食フモノナシ試ニ煮テ犬ニ與テ喰ハシムルニ皆煩悶苦痛ノ体ナリ因テ有毒ノモノト知漁人偶得ルコトアレハ則章魚棄テ殼ノミヲ採リテ以テ珎

玩トシテ四方ニ寄ス然レドモ其殼モロク碎ケ易ク久シク用ユルニタヘス

[やぶちゃん注:本種はタコ目(八腕目) ctopoda マダコ亜目(無触毛亜目) ncirrina アオイガイ科 rgonauta アオイガイ(カイダコ)Argonauta argoである。擬殻を形成するのは♀のみである。
 『ヒツセナーテ〔チ〕リス』の『ナーテ〔チ〕リス』は“nautilus”=「ノーチラス」でオウムガイを指す。一般にアオイガイは“paper nautilus=「紙のオウムガイ」と海外で呼称されるのであるが、オランダ語と思われる『ヒツセ』の綴りや意味には辿り着けなかった。
 なお、本記載の内、海上を腕足の間の膜(厳密にはこの膜は第Ⅰ腕が変形したもの)を張って帆走するというのは、全くの誤りである。これはアリストテレスの『動物誌』第9巻の記載から始まった誤りであって、ルネッサンス期1553年刊のブロンの『水族誌』には、この『丹氏千蟲譜』の絵と、驚くほど極似した、腕の膜を美しい帆として海上を行く(!)アオイガイの絵が載る。更に、この誤伝が19世紀まで信じられたことを考える時、丹洲が転写した『ラリテート』の図版のルーツも、このブロンにまで遡ると考えてよいのではなかろうか。なお、このアオイガイの図版についての考察には、1999年紀伊国屋書店刊の西村三郎「分明の中の博物学(上)」で得た知見を参照にした。]

 

[やぶちゃん最終注:以上で「栗氏千蟲譜」第十巻の本文は終了している。この後に、後記、跋文、所蔵者曲直瀨愛の識があるが、海洋生物とは無縁なので、全て省略する。]

 

 

*      *      *

■やぶちゃん読解改訂版

栗氏千蟲譜 巻十

《改ページ》

水引蟹  異品ナリ。

 頭上兩鬚高ク起ル。其尖リ、即チ眼アリ。然レバ鬚ニ非ズ。眼茎ノ長ク出ルモノナリ。

[やぶちゃん注:ミズヒキガニ Eplumula phalangium の脚をすべて上方に挙げた状態の腹面図。次のページに跨って左右に脚を広げた同種の正面図。]

《改ページ》

猩々蟹

 越前魚名浦産。

此物、網ヨリ上ル時ハ、脚・ハサミヲ疂ミテ、不動。其状、図ノ如シ。濱沙上ニアレバ、左右ニ脚ヲ伸シテ走ル、長踦ニ似タリ。走ルコト遅鈍ナリ。

[やぶちゃん注:同記載の後に、脚を畳んだミズヒキガニ Eplumula phalangium の正面図があるが、殆ど脚が見えず、やや誇張が過ぎるように思われる。一見、別種の記載のように見えるが、この脚を畳んだ図を見る限り、同種である。「長踦」(ちょうき)は、アシダカグモ Heteropoda venatoria (及び同属の総称)のこと。なお、現在の和名異名でショウジョウガニはアサヒガニ Ranina ranina が一般的であり、さらに地域によってはショウジンガニ Plagusia dentipes を訛って呼ぶこともあるようであるが、本図は全くこれらとは異なる。]

《改ページ》

螃蟹  一名毛蟹。和名ヅガニ。モクズガニ共、モクソウガニ共云フ。

 出「寧波府志」又「臺湾府志」云、『毛蟹、生溪澗中。螫生秋、後其肥美』此物、山川深流ノ處ニ生ズ。秋八九月末、流ニ下ル。蕎麦花サク頃、大雨アリテ水漲リ流ルゝ時、多ク下ルノ候トス。微毒アリ。病人必ズ食フベカラズ。金瘡ニテ筋ノ断タルヲ接續スルニ、此黄膏ヲ用ユ。此蟹甲ヲ破リ、黄膏ヲ取、土器ニ入、陰干シ、細末トナシ、乳汁ニ和シ、疵ノ側ニ傳ヘシ又疵ヲ洗フ毎ニ傳ルコソヨシトス。貝原翁、試タル方ニテ、「大和本草」モ説ヲ出セリ。津蟹トカキテアリ。東都、戸田川・中川・利根川ニ皆アリ。又上水ノ長流水中ノ樋筧ノ内ニアル事ヲ聞ケリ。伯州散ニハ、此蟹ヲ用ユベキナリ。

[やぶちゃん注:次のページにかけて、モクズガニ Eriocheir japonica 一個体の背面全図。「微毒」とは、現在明らかになっている寄生虫による症状を指すものであろう。即ち、モクズガニに特異的に寄生するベルツ肺吸虫 Paragonimus pulmonalis (Baelz, 1880) による肺結核様症状である。ちなみに、この寄生虫については長く(現在も)ウェステルマンハイキュウチュウ(肺臓ジストマ)Paragonimus westermanii の3倍体種とされてきた(現在もそう記述するものが多い)が、「小林博士のモクズガニ生態図鑑」の以下のページ 等の記述に基づき、ここではベルツハイキュウチュウを採用する。「伯州散」は日本古来の民間薬で、化膿性皮膚疾患に効があり、反鼻(はんぴ:マムシの皮と内臓を除去した乾燥品)、鹿角(ろくかく)、津蟹(しんかい)を別々に黒焼きし、等量に配合したものという。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:次のページにかけて、モクズガニ Eriocheir japonica 一個体の腹面全図。]

《改ページ》

藻屑ガニ

 相州小田原海中ニ産ス。コレヨリ大ナルモノアリ。惣身毛アリ。土泥ナド付テ至テ、ムサキ形ナリ。漁人、モクゾウガニト云フ。大ナルモノハ津蟹ト同ジ。

[やぶちゃん注:モクゾウガニという名称はモクズガニの関東周辺での異名であるようである。説明の下に背面一図が載るが、この甲羅はモクズガニの特性を示しているとは言い難い。]

《改ページ》

虱蟹 マメガニ。

 是、沙狗ノ小者。

[やぶちゃん注:説明の下に大小のマメガニ二個体の図。以下は、その下の説明。この同定には幾つかの可能性を考えなければならない。まずはスナガニ科 Ocypodidae のコメツキガニ Scopimera globosa やミナミコメツキガニ科 Mictyridae のミナミコメツキガニ Mictyris brevidactylus が考えられるが、「沙狗」が広くスナガニ科 Ocypodidae を指す呼称であることを考えると、コメツキガニ属 Scopimera sp. やチゴガニ属 Ilyoplax sp.、ツノメチゴガニ属 Tmethypocoelis sp.も射程に入れる必要があろうか。更に、次に続く叙述からはカクレガニ科 Pinnotheroidea も考慮しなくてはならない。図が小さく、これ以上の同定が私には出来ない。]

 

蛤中小蟹。潔白透徹□蛤倶食□脆淡美。又奇品也。

[やぶちゃん注:この説明の左にやはり大小のマメガニ二個体の図。この叙述からならば カギツメピンノ Pinnotheres pholadis 等を同定の候補としてよいであろう。]

 

溪蟹

澤蟹。辰五月十三日写。凾関・温泉アル處、澤アル處ニアリ。此蟹好テ□菜ヲ啖フ。因テ此蟹多キ處ニテ、ワサビヲ不作ト云フ。此蟹、火上ニテ焙食ヘバ、味美ナリ。又湯ニ作テ、酒媒トス。

[やぶちゃん注:下に、サワガニ Geothelphusa dehaani ニ個体の図。]

《改ページ》

小蟹胎於蛤腹中者、俗呼カニムグリト云フ。土州宿毛産蛤中、各孕小蟹。方言サキツト云フ。又薩州久見崎海中所産ノ蛤、十中ニ六ハ腹中ニ小蟹アリ。蟹ト共ニ煮食バ味極テ美ナリ。遠境ノ人甚ダコレヲ珍重ス。其所産之海濱、僅ニ方二町許之處ナリ。其他ハ尋常ノモノニシテ、蟹アル事ナシ。文化己巳ノ臈、薩州榮翁老矦、本國ヨリ東國ニ輸致セシム。同僚、桂月池國端ニ贈ラル。其中一個ヲ分テ、予ニ分恵ス。剖開シテ、コレヲミルニ、肉ハ痩セタリト雖モ、存活セル事、新ニ今、海中ヨリ拾取得タルモノト同ジ。煮味テ珍賞スルニ、餘味感ズベシ。三・四百里程ノ日數ヲ經テ來レルモノニ、此小蟹モ亦活在ス。一奇事ナリ。後年遺忘セン事ヲ怖ル。因テコゝニアリノマゝニ其事ヲ識シ、同好君子ニ示スノミ。

 昌□按「嶺南雑記」云、『剣蚌腹有小蟹。任昉「述異記」謂之、筋、即是也。』

 

此蛤、東都ノ海中ニ産〔ス〕ルモノト異ナリ。形、丸ミアリテ、質、堅ク厚シ。斑紋モ亦如此。

[やぶちゃん注:ハマグリ Meretrix lusoria の左右の貝の図。中央右上に描かれた右殻は内側、その左下に描かれた左殻は外側。私は蝶番からの殼の曲線から、これを真正の Meretrix lusoria と同定してよいように感じるが、如何か。以上の三行はその右殻下に記載されている。これより、丹洲が言う「東都」のハマグリはチョウセンハマグリMeretrix lamarckiiである可能性が高いと思われる。]

《改ページ》

此小蟹、圖ノ如ナル大サナリ。背甲、白キ三星アリ。肚下紋所ノ葵文アリ。ムキミノ、ヒラ/\シタル處ヲ、『タスキ』ト云ヒ、『ハカマ』トモ云フ。其『タスキ』ノ薄キ皮ト肉トノ間ニ、此小サキ蟹、出入ス。口ヲ開ク時、殻外ヘモ出テ遊ブニヤ。全体入ベキ餘地ナキ處ナリ。

[やぶちゃん注:下にピンノ Pinnotheres sp. の背面、加えて不詳の二枚貝(外套膜及び斧足、水管が大きくはみ出している)に半ば姿を隠した図が示されている。ピンノ類は種類が多く、特定の貝に特異的に寄生しているため、この貝の形状の不確かさでは、種の同定が困難である。背の文様から言えば、ハマグリやアサリに寄生するオオシロピンノPinnotheres sinensisか、チョウセンハマグリに寄生するマルピンノPinnotheres cyclinusかと思われる。ちなみに生態からいうと貝に常時寄生しているのは♀だけである。]

《改ページ》

アブラ蟹

 海濵ノ生ズ。カタチ、千石蟹ニ似テ、甲、薄黒。ハサミ、ムラサキ色ナリ。脚、薄黄紫ノ斑紋アリ。毛モアリ。

[やぶちゃん注:下に背面のアブラガニ一個体。現在、アブラガニというとタラバガニ属のParalithodes platypusを指すが、これは本文とも図とも全く一致しない。鋏脚の紫色という叙述や「海濱」という条件を考えると、ハマガニParalithodes platypusが候補として挙がるが、図のような銭型紋はない。]

《改ページ》

ガサミ  ウミカニ。

 「正字通」曰、『長、尺餘。両螯、至強。曰蝤蛑。又、螯不毛、後跪、薄濶、如櫂。曰撥櫂。』。

[やぶちゃん注:ガザミPortunus trituberculatusの背面一個体。前ページに右四脚がはみ出している。]

《改ページ》

マンヂウ蟹  九州ノ産ナリ。関東ニ絶テナキモノナリ。

 手脚ハサミ、折カゞメテ乾タルモノハ、甲上ヨリハ、ミヘズ。平タクシテ、マンヂウノ如シ。因テ名クト云フ。

[やぶちゃん注:スベスベマンジュウガニAtergatis floridusの腹面前方からの図が上に、下に脚を全て背甲下部に入れ込んだ前面図がある。ちなみに、本種は麻痺性貝毒であるゴニオトキシンやサキシトキシン、ネオサキシトキシン、加えてフグ毒のテトロドトキシンを持つ個体が知られており、注意を有する。]

《改ページ》

唐人ガニ 佐州方言。

 

「蟹譜」曰、『蠞。匡長而鋭者、謂之蠞。』

 

セミガニ

 江ノ島海中ニアリ。佐州ニテ、唐人蟹ト云フ。甲堅ク、光アリ。千人捏ノ一種ノモノナリ。

[やぶちゃん注:中央やや上に右側面からの図、左やや中央下に腹面の図、最下部に背面の図がある。これらはずべて同一個体の筆写と判断される。本種は、トゲナシビワガニLyreidus stenops と同定する。理由は、三図のどれを見ても、甲の側縁部分が滑らかで、ビワガニLyreidus tridentatusの特徴である左右の一棘が全く見られないからである。]

《改ページ》

蘆蟹 猩々蟹。ベンケイガニ。

 「臺湾府志」、『沙馬。蟹。色赤、走甚疾。者即是。』按、「本綱」蟹集鮮〔解〕虫※1※2アカガニ、亦此モノゝ類乎。

 「正字通」云、『両螯、赤。不可食。云芦虎。』

[やぶちゃん字注:※1=「蟚」の「虫」を(へん)の位置にしたもの。]

[やぶちゃん字注:※2=「虫」(へん)+「骨」。]

[やぶちゃん注:上部にベンケイガニSearmops intermedium背面一個体の図。]

 

メクラガニノ図取ル。目出タガニ、トモイフ。

  甲戌三月十六日、活物ヲ得テ、寫ス。

[やぶちゃん注:メクラガニTyphrocarcinus villosusと思われる(識別できる画像を見出し得なかった)前方からの位置個体の図。]

《改ページ》

タクマエビ  相州小田原方言、シッパタキ。其活者ヲ濵ニ上ル時ハ、其尾ニテ沙石ヲハタキ、飛ブ事、數尺ナリ。因テ此名得ルト云フ。西国方言、ウチワエビ。

[やぶちゃん注:ウチワエビIbacuc ciliatus背面一個体の図。本図の個体は、頭胸甲の後半部の縁に10を越える棘が確認され、棘が7本のオオバウチワエビ Ibacus novemdentatusと区別されるからである。]

《改ページ》

蟹甲 蛮産。

 「晴川蟹録」引「北戸録」曰、『十二點。儋州出。紅蟹。大小殻上、作十二點、深臙脂色。亦如鯉之三十六鱗耳。其殻、與虎蟳堪作※子「格物總論」。紫蟹、殻似蝤蛑。足亦有發棹子。但、殻上有烟〔臙〕脂斑點。不比蝤蛑之純青色耳云々。』

[やぶちゃん字注:※=「疂」の(わかんむり)の下を「正」に代える。]

[やぶちゃん注:鮮やかな赤色円紋のある背甲の前部からの図(尾部が見えていないと思われる)。]

《改ページ》

蛮産。作酒杯、而為珎奇。

[やぶちゃん注:鮮やかな赤色円紋のある背甲の内側の図(前頁にもかかっている)、及び背部全面(尾部も見えている)の図。この二つは前頁の固体異なる大型個体の背甲の二様のようにも見受けられる。全て三図ともアカモンガニCarpilius maculatusの背甲と見てよいであろう。食用とされるが、個体によって毒化(シガテラ毒)したものがあるので要注意である。]

《改ページ》

[やぶちゃん注:底本ではこのページは白紙である。]

《改ページ》

銀ガニ 「正字通」云、『薄殻而小青白者。』。曰、螠篠島ノ濵ニアリ。

[やぶちゃん注:銀ガニの一個体背面。記載が少なく図も特定するには簡略に過ぎるものであるが、印象としてはチゴガニ Ilyoplax pusillaまたはハラグクレチゴガニ Ilyoplax deschampsiを候補としてよいか。]

 

招潮

 「正字通」云、『売〔殻〕色、青白。潮欲來、出穴、擧迎之曰― ―。』

 [やぶちゃん注:このダッシュ状の記号は他の部分には見られない特異な用法である。]

  尾州ノ和多ノ海邉ニ多シ。方言、テンホカニト云フ。

[やぶちゃん注:下部に「招潮」かと思われる一個体の図。]

 

望潮

 田打カニ。左螯、大ナルモアリ。汐干ルニ孔ヨリ出テ、手ヲ挙テマネク形ヲナス故ニ、又潮マネキト云フ。

[やぶちゃん注:下部に「望潮」かと思われる一個体の図。全く前者「招潮」の個体と同じである。鋏の大きさはどちらも同じに描かれており稚拙であるが、両記載からシオマネキUca sp. と同定してよい。なお、シオマネキ属の♂の大きい鋏脚は必ずしも左右どちらかに決まっているわけではない。]

 

千人捏 「閩書南志」引「宋志」云、『千人擘。状如小蟹。人力劈之、不開。』ト云フ、是也。

 本名ハ蚌江。「本綱」蟹集鮮〔解〕ニ出ヅ。

   マメガニ

   コブシガニ 筑紫方言。

[やぶちゃん注:コブシガニPhilyra sp. の背面図。]

 

藻ガニ

[やぶちゃん注:イシガニCharybdis japonica 背面図。この後の他の部分でよく引用されている石蟹であるのにも関わらず記載が全くなく、「石蟹」であることの指名もないのは不審である。栗本はもしかすると、他の種を石蟹と称している可能性がある。]

《改ページ》

蝲蛄

奥州南部津輕ノ谷川ニ多シ。近來、蝦夷ニ多シ。喜(このん)デ却行ス。故ニ、ザリガニト云フ。

 

大ナルモノ、右ノ図ノ如シ。蝦夷地ヨリ、活スルモノ、己巳ノ冬月将來スルモノヲ見タリ。冬蟄ノ時ハ遠方モチ來テモ、サノミ痛マズ。春ニ至レハ多クハ殞(しぬ)モノナリ。蝦夷方言、ジヤリガニト云フ。冬月蟄スルモノ、肚中ニ白石一對アルモノナリ。ナキモアリ。是ヲ「クリカンキリ」〔ト云フ〕也。

[やぶちゃん注:ザリガニ(アメリカザリガニと区別するためにヤマトザリガニまたはニホンザリガニと呼称されることもある)Cambaroides japonicusの上に小さな個体、下に大きな個体。なおザリガニと呼称するものの、彼らはエビ(十脚目)の仲間である。最後の「クリカンキリ」とは、ザリガニが脱皮前に外骨格の炭酸カルシウムを回収して生成した胃石を指す。脱皮後にその胃石を溶かして、新しい外骨格に吸収させて補成分とする。これは、かつて眼病や肺病に効く民間療法薬として使用されていた。]

《改ページ》

金錢蟹 ゼニガニ 小紋蟹トモ云フ。雜肴ノ中ニ偶々交リ上ル。後脚、平ニシテ杓子ノ如シ。ガザメ〔ガザミ〕ノ脚ニ似タリ。甲ノ左右ニ尖刺アリ。乾シ貯ヘテ経年ナルモノハ、甲、黄白ニシテ、赭色ノ豹文ナシテ美ナリ。此類ニモ数種アリ。

[やぶちゃん注:キンセンガニMatuta sp. の背面(上方)、腹面(下方)の、恐ろしく汚い図二点。]

《改ページ》

鬼面蟹 タケブンガニ。ヘイケガニ。長州豊前ニテ、キヨツネガニ。「蟹譜」曰、『背殻、如鬼状者。眉目口鼻分布明白。常宝玩之。』九州海中ニアリ。西国ヨリ関東ニハ絶テナシ。螯、左右大小アリ。匾長ナル四脚ツキテアリ。蟹類多シト雖ドモ、此モノ甚異状ナリ。乾枯ノモノ、遠クニ寄セ方物トシテ、珍玩スルモノナリ。「臺湾府志」所謂『鬼蟹状如傀儡者』即チ、此物ナリ。尾州ニモ此蟹出ル事アリ。オゾサガニ、又、オサダ蟹トモ云フ。コレ長田ノ庄司ノ亡灵[やぶちゃん字注:灵=霊。]化スル由ヲ云フ。平家ガニトハ唱ヘズ。長州文字ヶ関海濵ニノミアリト人々思ヘリ。左ニ非ズ。中国ヨリ西海ニハ、マゝアルモノナリ。

[やぶちゃん注:ヘイケガニNobilum japonicum japonicumの背面図(上方)と腹面図(下方)。]

《改ページ》

長門國阿弥陀寺の什物として有所の「平家蟹の讚」、鹿園〔苑〕院大相國義満御作のよし。その真翰のうつしたるを見れば、

『嗚呼(ああ)、悲哉(かなしひかな)。三界(さんがい)流轉の修羅の業(ごふ)、跋提河(ばつていが)のながれに落せられて、苦海(くがい)の波に沈み、かゝる蟹の姿と化生(けしやう)せしか。憐無(むな)しく過し、元暦のいにしへを、いまの事よとあやまたれ、もろき涙、袖にあまる、つらし。人間盛衰を案ずるに、ただ、これかんたんの一時、ねぶりにもあらず。平家、僅に二十余年の奢りも、盛者必衰の夢の内に來りて、終に東夷の武威にくだかれ、壽永の秋の一葉に棹さして、西海の波濤にさまよひ、浮沈の流れに身を寄(よせ)しは、いとあはれなりける有さまなり。頃しも元暦二年の春の頃かや、官軍所々(しよしよ)の軍(いくさ)に打負て、つくしをさして落塩(おちしほ)の、天子はじめ、月卿雲客一蓬(げつけいうんかくいつはう)の漏露小波となり、帆を漂泊の浪にまかせて、豊前國柳ヶ浦に著(つか)せたまひて、しばしは君(きみ)宸襟(しんきん)をやすめたまひしかば、官軍一先(ひとまづ)安堵のおもひをなせり。斯(かか)りし處に三月廿二日とかや、思はざるに範賴・義經、兵舩(ひやうせん)數千にて押寄せ、幡旗を春風にひるがへし、矢を射る事、雨のごとし。櫓械〔櫂〕のうたは天をふるはし、鯢波(げいは)の声海底を驚かす。されば、兵は凶器、武は逆德とぞいへども、王土に身をよせし武士ども、なさけなくも先帝の御座舩天子の龍顏をもはばからず、七重八重に打ちかこむ。官軍、今を限りと防戰すといへども、天運微にして、たちまち打負け、女院いけどられ給ひしかば、今は是までと、二位の禅尼、進み出、安德天皇八才の若君を胸にいだき奉り、右の手に寶劔を拔もち、海底にとび入、□へは諸卿百官千司平氏の公達一族、一ッ流れに身を沈め、水の泡立時の間に消へて姿もなき。跡は、寄來る浪も名殘なり。夫々の百官、此蟹と化生する事、いかなれば馴ぬ海路の戰に七手八脚手だて盡(つくし)、瞋恚強情(しんいがうせい)の恨み消やらず、弘誓(ぐせい)の舩にほだされ、随縁眞如の浪起りて、八苦の海にしづみ、煩悩の波深に漂ひて、百率〔卒〕の魂魄、天源にかへることあたはず、終に水底に流轉して、よる所なきまゝ、虫と化して、此蟹となれるものか。今、是が姿を見しよりも、昔の哀れに袖ぬれて、

    過ぎし世の哀れに沈む君が名を

     とゞめ置きぬる門司(もじ)の關守

    よるべなき身は今蟹と生れきて

     浪のあはれにしづむはかなき〔さ〕

[やぶちゃん注:この阿弥陀寺は廃仏毀釈によって、現在、赤間神宮となっている。宝物に本資料があるかどうかは不明。また、本文とほぼ同内容を載せる「鈴木主水榮枯録」(編集人不詳・明治19年金松堂刊)の「穂積左衛門尉平家蟹の讚を奉つる事」によれば、これは足利義満ではなく、足利義政が家臣の穂積左衛門尉長利に命じて作らせた文であり、最後の二つの歌も、最初が長利の歌で、後が長利のこの讃に「感賞の餘り自ら御筆を染めさせられてその奥へ」記した義政の歌として、誤伝を糾すとしている。しかし、現在でも、前者の歌は足利義満の作と一般に伝承されているようである。]

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草蝦 蝦夷地方ノ産。此モノ、西蝦夷地「ソーヤタヒシツンベ」ニテ、捕ル。

[やぶちゃん注:一般にクサエビという和名は、現在、ブラックタイガーと呼ばれているウシエビPenaeus monodon の在来個体を示すものであった。しかし、ここでは北海道産とあることから、これとは違う。形状から見て、ボタンエビPandalus nipponesisを疑うが、色が余りにも異なる。体色から言うとホッカイエビ(=ホッカイシマエビ=シマエビ)Pandalus latirostrisが近い。]

 

拉姑。一名哈馬。清、高士奇「東巡日録」。ザリガニ。シサリガニノ略語ナリ。

一名蝲蛄「盛京通志」。

 

石蟹ト螃蟹、不同形、且小。其黄附久不合疽瘡。螃蟹、横行。石蟹、退行。此亦一異生渓澗中。「東医宝鑑」

[やぶちゃん注:既出のザリガニCambaroides japonicusの尾部を下に曲げた個体背部が右に、左に尾部を伸ばした個体の図。]

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土蟀 「福州府志」

 和名ゴカイ。又、海ミミズ。潮ノサス処ト河水(まみず[やぶちゃん注:ママ。])トノ境ニ生ズ。泥沙ヲ堀〔掘〕取、形扁ニシテ、兩辺細々足アリ。牙アリ、人ノ手ヲ咬ム。漁人、沙糖水ニテ、一個ヲ丸呑ニシテ淋病ヲ治スト云フ。黒燒ニシテ用テ、久シキ淋痛瘥(いえ)ガタキモノニ用テ、神効アリト云フ。八・九月ノ際、此物、沙中ヨリ出テ、浮流ルコトアリ。網ニテスクヒ取、冬月ヨリ春ニ至ル迄ノ魚ヲ釣(つる)餌トス。其外、年中、此物ヲ用ユ。老イタル者ハ、形大ニシテ、四五寸ニ及ブ。廷〔延〕(のぶ)レバ長ク、縮(ちぢむ)レバ太ク短シ。蛭ノ如シ。小毒アリト云フ。

[やぶちゃん注:下部に絡まった形の十数個体のゴカイの図。現在、単一種としてのゴカイという概念は修正されたため、ヤマトカワゴカイ Hediste diadroma またはヒメヤマトカワゴカイ H. atoka またはアリアケカワゴカイ H.japonicaのいづれかということになる。]

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[やぶちゃん注:下部右に前ページからのゴカイの図が出っ張る。]

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海〔偕〕老同穴、又海ヘチマハ、長州矦領分、長州清末(キヨスヘ)海中所産ニシテ、其地ノ方言ナリ。蝲蛄(ザリガニ)ノ異品ニシテ、雌雄一所ニ居テ、巣ノ上下ニ竅アリテ、出入ス。故ニ此称アリ。此巣ノ質ハ海綿ノ如ク、蛮名『スポンギウス』ト云モノニ似タリ。苧麻絲(からむし)ニテ織成スモノゝ如シ。手ザハリ、軟ニシテ、俗ニ云フ、メリヤスノ如シ。コゝニ図スル細カキ圏点ノ処ハ、盡ク小円竅ナリ。上端ニ絮アリ。細毛絨、銀色ヲナス。試ニ火中ニ投入ズルニ、焼焦スルコトナシ。質、大浣布ニ似タリ。是又、人ノ識ラザルモノナリ。一体形、絲瓜絮ノ如シ。故ニ海ヘチマト呼ブ。此海ヘチマハ、薬品會ニ出ルコトアリテ、偶々見ルモノナレドモ、此蝲蛄ノ造レル巣ナルコトヲ知ラズ。今茲ニ親ク目撃シテ、始テコゝニ一識ヲ博フス。此モノ文政壬午秋、参政堀田矦惠贈セラルゝモノナリ。栗丹洲、誌ス。

[やぶちゃん注:下部にカイロウドウケツの一個体が以下三ページ分に亙って描かれている。本ページのカイロウドウケツの下の左にカイロウドウケツの中に片利共生するエビの「ヲモテ」と記した小さな(カイロウドウケツと同寸と思われる)背面図が描かれている。これはカイロウドウケツ海綿動物門 Porifera六放海綿綱 Hexactinellidaリッサキノサ目 Lyssacinosidaカイロウドウケツ科 Euplectellidaeカイロウドウケツ属 Euplectella属ヤマトカイロウドウケツEuplectella imperialisまたはマーシャルカイロウドウケツEuplectella marshalliであり、片利共生しているエビはヒメドウケツエビ Spongicola japonicaである。]

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海中産ザリガニノ造成セル巣ナリ。或ハ云フ、海中ニ此物生ジテ後ニ、ヱビ雌雄來テ寄居シテ我室トス。此ヱビヲ寄生蝦(ヤドリヱビ)云フ。空殼ノ螺中ニ宿ヲ假借スル寄居虫(がうな)ハ、其意同ジト云ヘリ。此巣ハ此雌雄〔ノ〕カニ〔ノ〕作レルモノト云ヘドモ、顧フニ、此小蟹巧ニアラサルベシ。友人芝陽ニ見セ、評価セシムルニ、蝲蛄異品ト云ヘリ。

[やぶちゃん注:本ページのカイロウドウケツの下の右にヒメドウケツエビの「ウラ」と記した小さな(前ページと同寸)腹面図が描かれている。]

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[やぶちゃん注:カイロウドウケツの下部の毛の束(仮根状の部分)が右下部に描かれている。]

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[やぶちゃん注:底本ではこのページは白紙である。]

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紫稍花  寛政六甲寅夏月、江刕鸊※湖産。[やぶちゃん字注:※=「帝」+「鳥」。]

 中心ハ芦莖ナリ。紫稍ノ花ハ「綱目」弔ノ條下ニ出。近江湖水ノ邉方言、カニクソ。芦竹枝上ニ着ク。状、蒲槌ノ如シ。灰色ナリ。陳自明「婦人良方」云、『紫稍花。生湖澤中。乃魚蝦生卵子〔于〕竹木之上。状、如糖※1。去木用之。』トアリ。

[やぶちゃん字注:※1=(さんずい)+「昔」+(のぶん)。但し、『和漢三才図会』の同じ陳自明『婦人良方』の引用を見るに、中央に入っている「昔」は「日」ではなく「目」である(更に言うと『和漢三才図会』では「糖」ではなく「餹」とある)。ところが、本書の字も、『和漢三才図会』の字も、『廣漢和大辞典』に所載しない。「澈」《水が澄み清い、の意》や「*」《*=(さんずい)+「敢」:味が薄い、の意。》等の誤字とも考えられないことはないが、どなたかお分かりの方は御教授願いたい。この熟語の読みは、平凡社東洋文庫版島田他訳『和漢三才図会』によって(みづあめ)であることが分かる。]

[やぶちゃん注:下部に紫稍花の全体図(蘆付き)と、右下に同寸の断面図一つ。本文の記載に関わらず、その形状と図から本種がカイメンの一種であることは容易に知れた。而して平凡者東洋文庫版訳『和漢三才図会』の「紫稍花」の条にある、訳者注に基づき、本種を淡水産のヨワカイメンEunapius fragilisと同定しておく。]

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章魚 タコ。[やぶちゃん字注:底本では「章」の最終画は、中央の「日」を完全に貫いて、「立」の下についている。以下同じ。]

 タコノ陸地ヲ行クモノ、前ニ脚ヲ伸テ、后身ヲ進マシム。恰モ、シヤクトリ虫 ニ似タリト云フ。

[やぶちゃん注:やや戯画的な一個体の図(前ページの「紫稍花」の蘆の下部が右下に突き出ている)。タコ目(八腕目) Octopodaマダコ亜目(無触毛亜目) Incirrinaまでは狭めてよいであろう。]

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肥前天草産。

 金章魚。漢名塗蟢。

「華夷蟲魚考」「寧波府志」及「典籍便覧」ニ、『望湖〔潮〕。一名塗蟢。』ト云フモノ、是也。状、イヒダコニ似テ小サク、腹小サク、空虚ニシテ、飯ナシ。足細長クシテ、蜘蛛ニ似タリ。小ナルモノ、寸許。丹後・但馬・越前・加賀ニ多クトルモノ也。

 拙按ルニ、クモダコト云フモノ、章魚ノ初生ナルべシ。又、一種別極テ小ナルモノカ。未詳。四國海濱ニモアリ。乾テ四方ニ寄贈ル。食テ味美ナリ。

[やぶちゃん注:下部に金章魚三個体の図(右上の一個体は胴部を上にしている。左上は口器を上にしている。最下部の一個体は不分明であるが、腕足の吸盤が左上と同様に比較的くっきり見えており、口器を上にしているか、もしくは多くの腕足を振り上げている状態かと思われる)。
 本種の同定に関しては、明石淡路フェリー株式会社のサイト内の『明石海峡タコだより』vol.6『蜘蛛(くも)ダコって?』に以下のように考察がなされており、大いに参考となる。
 『マダコ、イイダコ、テナガダコの三種類が明石で獲れる主なタコ類』であるが、『時折「クモダコ」という呼び名も耳にする』ことがある。しかし、そう呼称しても『別の種類が目に付くわけでもない』、とする。そこでこのページの作成者は丹洲同様に、按ずるに『どうやら、胴に黒い筋が入り、金色の丸印を模様とするイイダコがそれらしい。真冬に胴の中ぎっしりと飯粒のような卵を持っていないものをクモダコと呼び分けたのではないだろうか。』と推測し、『本格的に寒くな』れば「飯持ち」になることを述べ、『釣り上げられたイイダコを見ると、袋状の胴体に黒い線が入って、クモの胴のようにも見える。細い足の動きも、どこか昆虫の動きに似て、昔の人はイイダコと別の種類と思ったのだろう。』とさらにフィールド体験からの補強をもしている。
 これはまさに丹洲の考察と美事に一致していると言ってよい。勿論、他の種の幼年個体としても見ておくべきではあるが(特に地方名の場合)、ここでは私は清々しくイイダコOctopus ocellatusと同定する。]

 

「職方外記〔紀〕」云、『一種介属。之魚僅尺許有殼。六足々有。皮如欲他徙、則竪半殼、當舟張足皮、當帆乘風而行。名曰舡魚。』「龍威秘書」巻九「譯史紀餘」曰『舡

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魚。六足行、殼有皮僅長尺許。如欲他徙、則竪半殼、當舟張足皮、當帆乘風而去。』

[やぶちゃん注:腕足の間の膜を帆として掲げている「舡魚」の図。これは次のページの冒頭に示されているように、欧文の図譜からの転写である。原本はG. Eberhard RumpfD'Amboinsche rariteitkamer”で、1705年にアムステルダムで刊行された蘭語版の「アンボイナ珍品集成」である。当時日本では、「ラリテート」と呼ばれた(次ページ冒頭の『落立茅篤』は「ラリテート」に漢字を当てたものである。]

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舡魚  蛮名。ヒツセナーテ〔チ〕リス。右ノ図。蛮書「落立茅〔弟〕篤」中ニアリ。直ニ抄出ス。

 

 本邦、俗ニ章魚船ト呼ブ。一名貝章魚ト云フ。此介殼ヲ人〔介〕品ニ入ル。紀州ニテ葵介ト云フ。小ナルヲ乙姫介ト云フ。諸州ノ海中ヨリ産ス。大ナルハ、六七寸、小ナル者、二三寸。純白ニシテ、形、鸚鵡螺ノ如ク、薄脆玲瓏、恰モ硝子ヲ以テ製造スルモノニ似タリ。文理アリテ※瓏ヲナス[やぶちゃん字注:※=(がんだれ)の中に「毛」。]。畧秋海棠葉ノ紋脉ニ彷彿、愛玩スルニ耐タリ。中ニ、一章魚ノ小ナルモノ、コレニ寄居ス。六手ヲ殼肩ニ出シ、両足ヲ殻後ニツキハリテ、櫂竿ノ象ヲナス。海面ヲ游行スルコト、自在ナリ。真ニ奇物ナリ。此章魚ハ、外來ノモノニ非ズ、此介ノ肉ナリ。徑月、大ナルニ随テ、此介モ又大ニナルモノ也。章魚ノ、船ニ乘タルニ似タルニ因テ此名アリ。徃年、津輕海濱ニ、此物、一日數百群ヲナスコトアリテ、寄來ル。人、多クコレヲトル。然レドモ、怪テ食フモノナシ。試ニ煮テ犬ニ與テ喰ハシムルニ、皆、煩悶苦痛ノ体ナリ。因テ有毒ノモノト知ル。漁人、偶々得ルコトアレバ、則チ章魚棄テ、殼ノミヲ採リテ、以テ珎玩トシテ四方ニ寄ス。然レドモ、其殼モロク碎ケ易ク、久シク用ユルニタヘズ。

[やぶちゃん注:本種はタコ目(八腕目) ctopoda マダコ亜目(無触毛亜目) ncirrina アオイガイ科 rgonauta アオイガイ(カイダコ)Argonauta argoである。擬殻を形成するのは♀のみである。
 『ヒツセナーテ〔チ〕リス』の『ナーテ〔チ〕リス』は“nautilus”=「ノーチラス」でオウムガイを指す。一般にアオイガイは“paper nautilus=「紙のオウムガイ」と海外で呼称されるのであるが、オランダ語と思われる『ヒツセ』の綴りや意味には辿り着けなかった。
 なお、本記載の内、海上を腕足の間の膜(厳密にはこの膜は第Ⅰ腕が変形したもの)を張って帆走するというのは、全くの誤りである。これはアリストテレスの『動物誌』第9巻の記載から始まった誤りであって、ルネッサンス期1553年刊のブロンの『水族誌』には、この『丹氏千蟲譜』の絵と、驚くほど極似した、腕の膜を美しい帆として海上を行く(!)アオイガイの絵が載る。更に、この誤伝が19世紀まで信じられたことを考える時、丹洲が転写した『ラリテート』の図版のルーツも、このブロンにまで遡ると考えてよいのではなかろうか。なお、このアオイガイの図版についての考察には、1999年紀伊国屋書店刊の西村三郎「分明の中の博物学(上)」で得た知見を参照にした。]

[やぶちゃん最終注:以上で「栗氏千蟲譜」第十巻の本文は終了している。この後に、後記、跋文、所蔵者曲直瀨愛の識があるが、海洋生物とは無縁なので、全て省略する。]