鬼火 LE FEU FOLLET



私の以上の諸命題は、
私を理解する君が其処を通り、其処の上に立ち、其処を乗り越えて行く時、
最後にそれが常識を逸脱していると認めることによって、解明の役割を果たす。
(君は、言ってみれば、
 梯子を登り切った後には、その梯子を投げ捨てなくてはならない。)
君はこれらの命題を乗り越えなければならない。
その時君は世界を正しく見ている。

語ることができないものについて、我々は沈黙せねばならない。

Ludwing Wittgenstein「論理哲学論考」終章(6.54及び7)





















Maria et Alain





















Maria





















nouveau Alice





















母と僕とチャッピー







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画像的偏愛
 
ART SHOT  あの頃フリードリヒがいた
ART SHOT  扉に羽音――瀧口修造
ART SHOT  夜の森の夜――藪野豊昭
ART SHOT  郵便局窓口のシュールレアリスト――志賀丈二
ART SHOT  超浮世絵百鬼夜行――志賀丈二
ART SHOT  地平に屹立する藁 又は 思惟を脱したる弥勒――志賀丈二
ART SHOT  密室の鳥影 又は 鳥類絶滅種 学名 Siganturellus Jyojipus Yabuno ――志賀丈二
ART SHOT  藪野豊昭への護符凧――志賀丈二
ART SHOT  シュールレアリスト志賀丈二&或るイディオ・サパンの少年のコラボレーション
 
Alice 長女アリス

 
偏執狂的獨語
 
藪野唯至句集 鬼火 縦書版

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やぶちゃんの創作:こゝろ佚文 縦書版

  = 同横書版
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尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體縦書版
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尾崎放哉「入庵雜記」全(「大空」初版版

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能 道成寺
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末法燈明記(白文・訓読・現代語訳
無門關 全 淵藪野狐禪師訳注版
母 聖子テレジア歌集

同 縦書版

選歌集 たらちね抄

同選歌集 縦書版
祖 父 遺 稿

「落葉籠」藪野種雄遺稿集
父のアトリエ

画集 夢判断 その一
       
落葉籠
――昭和22(1947)年群馬県多野郡神流川流域縄文遺跡調査行ドキュメント――日本考古学の「種蒔く人」酒詰仲男先生の思い出に
藪野豊昭
 

土岐仲男(酒詰仲男)詩集「人」
       


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   Alain Leroy       過去の Alain Leroy へ
5/16 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」で「鎌倉攬勝考卷之一」を本格始動。
『少なくとも両足は穢さねばだめだ。しかし、手を穢してはいけない。私は決して手は穢さななかった。両足だけだ』

5/13 藪野直史の完全なる野人化を期し、更新履歴は “Alain Leroy” の2012/3/31以前の一部を除き削除し、それ以前の更新履歴は“過去のAlain Leroy” へ移行。
『つまり、あなたは本当に、あの世を信じている、というわけだ』

5/12 ブログ記事4000記念として、本日作業を始動した「鎌倉攬勝考卷之一」の「鎌倉總説」をブログで公開。
『たった一枚の札を投げ捨てること――それは死と同じだ。浪費家の幻想――それは守銭奴のそれに等しい』

5/11 ブログで根岸鎭衞「耳嚢 卷之四」の全注釈現代語訳を始動。かつてはここに各話公開を毎回表示していたが、ブログ・カテゴリ「耳嚢」があるので、向後は省略する。
『男と女は互いが互いに醜くしがみついている――人間――この何と言う畜生さ加減!』

5/10 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に藪野直史野人化記念として『宇野浩二「芥川龍之介」下巻附やぶちゃん注』及び同縦書版を公開。
『友の僕への行為――それが死に赴こうとする私を後押しするものでないのなら――それらは総て空しい愚行に過ぎぬ』

5/1 本トップ・ページの尾崎放哉「入庵雜記」全(横書版)に「大空」初版本の背・箱・表紙画像を配す。
『私は無限に弱い――そして同時に強靭だ――そう感じている――丸腰にしてフルメタル・ジャケット――あらゆる事象の核に居る隠遁者――無益にして必須の存在――私は本能の声だけを聴いているのだ』

4/22 本トップ・ページに尾崎放哉「入庵雜記」全(「大空」初版版 附やぶちゃん注)及び同縦書版を公開。
『ある敵の前で糞をしている夢を見た――夢判断のキーを用いたら、さて? どんな解釈だい?』

4/21 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「新編鎌倉志」に「新編鎌倉志總目録(やぶちゃん電子版) 」及び同縦書版を配す。検索の用に供するとともに、これを以って一年三ヶ月余を費やした「新編鎌倉志」本文のテクスト化プロジェクトを完遂。夜、識者の御指摘を受けて、フイオナ・マクラオド・松村みね子訳「海豹」の底本編集者のミスによる脱落部分補正版をリニューアル公開。
『酒や麻薬と言うのはやはり、人生なのです。煩わしいものですよ、人生と同じでね』

4/17 既にあった『芥川龍之介「枯野抄」やぶちゃんの授業ノート』のブラウザ上の不具合(行間詰まり)を補正し、横書版を追加。
『私が最初に性的不能に陥ったのは処女が相手だった――処女と性交不能――私は貞節な女であればあるほど、そのあの時の、インポテンツに陥った処女とのことに怯えた――しかもその女が夫や愛人との間で性行為を行うことで「穢されたのだ」と考えただけで胸糞が悪くなった――そうして――そうして私は完璧な穢れ故に心休まる娼婦を買って、そこに逃げ帰ったのだった』

4/15 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に藪野直史野人化記念として『宇野浩二「芥川龍之介」上巻附やぶちゃん注』及び同縦書版を公開。
『僕の関心――絵、パリの街並そして公園、書物、国際情勢、女の肉体、原初の宗教――』

4/9 「心朽窩 新館」にブログ360000アクセス及び藪野直史野人再生記念として『ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部』(ウィリアム・バトラー・イェイツ挿絵 附やぶちゃん注)を公開。これを以ってシングの「アラン島」は完結した。――これが、すべての始まりである――
『僕の人生というもの――そのものが無駄な時間に過ぎない――』

3/31 早期退職して完全なる「野人」となる――御挨拶はこちら――歸去來兮 田園將蕪胡不歸――
『だけどもうすぐ出立(たびだち)だ――旅に出る――出発が送れてるんだ――気がつかなかったかい?――』

2/26 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」で最終巻「新編鎌倉志卷之八」テクスト化を終了、これを以て「新編鎌倉志」本文全巻のテクスト化を完遂した。またブログで完成したしづ子の全句からのオリジナル選句鑑賞「鈴木しづ子句抄――雑誌発表句・未発表句を中心にしたやぶちゃん琴線句集」として、やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇同縦書版とともに公開。
『しかし、我々は賭けたのです。そして私は負けた。――私は死を要求します』

2/22 ブログ・カテゴリ「鈴木しづ子」でのしづ子の全句からのオリジナル選句鑑賞を終了
『多くの女を手に入れ、望むなら総てを我がものに出来たはずの僕――但し、少しでも障害が見えたり、何より無駄に時間がかかると分かった時にはさっさと諦めた。だから実際に手を出した女は僅かしかいない――愛した女について言うなら、僕は愛したとたんに被害妄想の虜となった――恋のその始めっから、実は、僕は愛されてなんかいないんだ――この女に欺されてるんだ――この女にとっちゃ僕なんか取るに足らない気紛れの腰掛け程度のものでしかないんだ――と考えていた。嫉妬だってそんな被害妄想の産物だったのかも知れない』

2/18 ブログ350000アクセス記念として「心朽窩 新館」に「みんなの怪談集――私の最後の教え子の手になる都市伝説――」を公開。
『「レ・ミゼラブル」再読――何と言う脳天気と健康さ! 何とあの頃のフランスは、撓み傾ぎ壊れそうでいながら、どっこい丈夫だったことだろう! そして無邪気に己れの心に耳傾ける小説家こそが、同時に比類なき歴史家なのだ。この叙事詩がゾラの総てを生んだのだ。横倒しにされて果敢に抗う馬のような――都市に蝕まれた民衆の叙事詩だ』

1/7 ブログ340000アクセス記念として「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に下島勲「芥川龍之介氏のこと」及び片岡鉄兵「作家としての芥川氏」を公開。
『友達は「僕」を探してなんかいなかった、ただ「僕」を待っていただけなんだ』

2012/1/1 “Here's looking at you, kid!” ――君の瞳に乾杯!――あなたにとっても私にとっても――真実の時間を取り戻そう――
       ブログ・カテゴリ『ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」』を創始、ブログにて原文附テクスト化を始動。
『今じゃオカルティズムなんぞ糞食らえだ、何のエクスタシーも感じない。あれも所詮、デジャ・ヴュさ――』

2011/12/20 「心朽窩 新館」の『横光利一「蠅」の映像化に関わる覚書/シナリオ』の冒頭に、同作の「四」のシークエンスの、今年の私の教え子の手になる秀抜なる作品『横光利一「蠅」の「四」の生徒によるオリジナル・ピクトリアル・スケッチ』をリンク、公開。これは教師としての私の形見である。
『僕は何時だって夢と非現実を求めるんだ――二本しか脚がない椅子でバランスをとって座るのが――好きなんだ』

2011/11/17 ブログ330000アクセス記念として「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に芥川龍之介「素描三題 附草稿(「仙人」)」を公開。
『最も強い存在は、自ずから本質を濾過しながら、自ずから超えようとするものである』

2011/10/19 ブログ・カテゴリ「鈴木しづ子」を創始、しづ子の全句からのオリジナル選句鑑賞を開始。「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」で「新編鎌倉志卷之五」に着手。
『サルトルの「出口なし」――佳品? いや。それほどでもないか――こいつは、あらゆる本物の別名、シュールレアリスム(超現実主義)なんかではない――所詮、こいつはスーレアリスム(卑俗現実主義)である』

2011/10/9 祖父藪野種雄選になる「啄木歌集」ブログに公開。
『作家はいつも言葉に騙されている。人が騙されることが一つだけあるとすれば、それは、彼等の職業に於いてなのだ』

2011/10/6 ブログ320000アクセス記念として能「道成寺」の台本形式オリジナル・テクスト及び同縦書版を本トップ・ページに公開。
『男と女は互いが互いに醜くしがみついている――人間――この何と言う畜生さ加減!』

2011/9/4 ブログ公開を終えた祖父藪野種雄の遺稿集である「落葉籠」(全)を本トップ・ページに「祖父遺稿」を創始して公開。また、同じくブログ連載を終えた山本幡男遺稿抄――やぶちゃん編――」(全)「心朽窩新館」増田晃森川義信の前に公開。
『私は「私たち」ではなく、「私」と言明しなくてはならない』

2011/8/22 ブログ310000アクセス記念として芥川龍之介「凶」縦書版と合わせて正字正仮名総ルビで「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『「カラマーゾフの兄弟」はもう三度か四度目だ。今回はその形而上学的な性質に少しばかりがっかりした。ゾシマ長老――ちょっと聖品収納室と信者の臭いがきつ過ぎる。――イワンの異端審問官の話――これは短か過ぎる』

2011/8/21 ブログ・カテゴリ「山本幡男」を創始。
『人生をやり直せるとしたら――哲学と宗教史だ――文学は天才にしか楽しむことは出来ないからね』

2011/8/6 ブログに8月1日~4日に旅した隠岐諸島の紀行「隠岐日記1 島後島」「隠岐日記2 西ノ島 中ノ島」「隠岐日記3 中ノ島 知夫里島」「隠岐日記4付録 ♪知夫里島のアメフラシの食べ方♪」を連続掲載。夜、同じくブログに「ハッピー・アクアリウム」への私的なオマージュ「ひとりだけの水族館 第1水槽 FLEURS DU MAL」「ひとりだけの水族館 第2水槽 瓔珞子之禁裏」「ひとりだけの水族館 第3水槽 エピクロスの園」「ひとりだけの水族館 第4水槽 金城哲夫沖繩水族館」「ひとりだけの水族館 第5水槽 死なない蛸」「ひとりだけの水族館 最終水槽 ひとりだけの部屋」の「ひとりだけの水族館」全6話を連続掲載。
『夜でない夜、星のない夜、神々のいない夜、一度も陽を廻らさずに、陽を夢にさえ見たこともない、そもそも太陽を生成したこともない夜、不動にして沈黙の、無垢の夜、一度として夜であったこともなく、未来永劫、夜でない夜、私はそこに戻りたいのだ。アーメン』

2011/7/24 「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」 《縦書版》縦書完全版として公開、合わせて横書版改訂
『一枚岩の「多数派」なんてありはしない! 四十年の「多数派」はあっという間に消え去ったじゃないか。あなた方も、遠からずそうなるんだ――』

2011/6/27 ブログ300000アクセス記念とHP開設6周年記念として「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「鎌倉攬勝考卷之十一附録」金沢八景の由来となった東皐心越の漢詩パートに私の書き下しと注を附して公開ブログにも掲載。
『自由と孤独と怠惰そして憂鬱――それが僕の全財産だった』

2011/6/21 ブログに「龍之介よ、スマトラのわすれな草の花、見つけたよ」を記載。龍之介の漢詩に潜む彼の遺愛の異花――
『必要なことしか言わないリディアが、僕は好きだった。尤も――必要ということはつまらないことなんだと僕には分かっていたが』

2011/5/26 ブログ290000アクセス記念と僕の富田木歩論「イコンとしての杖」『俳句界』掲載記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇富田木歩随筆「初秋日記」及び同縦書版を公開。
『私は君たちを憎まない――しかし――弾丸の尽きるまで君たちと戦おう』

2011/5/20 ブログにアフォリズム「母」記載。
『それは彼方ではない、手前にある。私は私の核に触れたいのだ』

2011/5/7 ブログに「芥川龍之介と李賀の第三種接近遭遇を遂に発見した」を記載。――我々は遂に芥川龍之介の直筆のラインに李賀を見出した――
『最早、私の心は人間そのものの彼方へと向かっているんだ――しかしそこにこそ「人間的なもの」の最期の秘密の隠れ家の入り口が開いている――神々よ、主よ!』

2011/4/29 僕の富田木歩論「イコンとしての杖」『俳句界』掲載記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇『富田木歩愛妹まき子哀傷小品二篇「おけら焚きつゝ」「臨終まで」 附 同哀傷句群』及び同縦書版を公開。――母に奉ぐ――
『ニルヴァーナというのも――いや、その体系は他のどの宗教よりも精巧に組み立てられており、それ故に魅力的なものではあるが――それもやっぱりユートピアの夢に過ぎぬのではないか?』

2011/4/25 本日発売の文學の森刊『俳句界』五月号に僕(ペンネーム藪野唯至名義)の富田木歩論「イコンとしての杖」が掲載(文學の森社からの依頼原稿)。――母に奉ぐ――
『私は石橋を叩いて渡るような知識人にはなりたくなかった』

2011/4/9 ブログ280000アクセスの記念に――「縄文の母子像」――遠い昔の記憶の中の母と僕の写真をブログに飾った。――母の形見として――
『私は現象を食い飽きた――今、私は本質だけを希求している――いや、本質の彼方にある語りえぬものを求めている』

2011/4/8 ブログに『筋萎縮性側索硬化症の母に「これで終わりです」という医師の直接告知は妥当であったと言えるか?』を掲載。――インフォームド・コンセントの在り方への警鐘として――
『仏教徒にとって「解脱」とは人間としての「個の生」を絶滅することではない――現世の、この連綿と続いている無限の「永遠の生の連鎖」を完全に断ち切ることなのだ――彼等は「永遠の生」を、それが「個の生」なるものが、永遠に延びた飴のように繋がったものに過ぎない、という理由で絶滅しようとするのである』

2011/3/31 心朽窩新館の「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」(并びに同縦書版)を三校、注を更に補足、初版本(底本)画像を挿入。現在、ネット上で最も信頼するに足る「わがひとに與ふる哀歌」初版底本電子テクストであるという自負はある。母の逝った逝く三月に相応しい……「來るときのやうに去るだらう」……――母聖子テレジアに奉ぐ――
「ERIC DOLPHY-The Uppsala Concert Vol.2 の Interview with Eric Dolphy の邦訳」をブログに公開。――僕の盟友ジョン・O・ブラフマンと僕エリック・直史・ルカの共同訳――
『楽天的で在るということは、俗物、そして偽善と、全く一つのものなのだ』

2011/3/29 心朽窩新館の「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」を再々度校訂し直し、ルビ化と注を全面改稿の上、縦書版をも公開。――母聖子テレジアに奉ぐ――
『女達のこの不在、女達のこの沈黙、それは決定的だ。友達にまた逢うことはできない。奴等が同じことを繰り返すのを聞きながら、奴等の前で僕もまた同じことを繰り返すなんて、とても出来ない相談だ』

2011/3/26 『二〇一〇年八月岩波書店刊「芥川竜之介句集」に採句されたる五十六句』を「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」に追加。本仕儀を以って名実ともに僕の「やぶちゃん版芥川龍之介句集」は如何なる現行の諸本よりも最多の芥川龍之介全句集となった。――これを一週間前に亡くなった愛する母聖子テレジアに奉ぐ――
『僕は人を愛さなかった。愛したとしてもいつも遠くからでしかなかった』

2011/3/19 私の愛する母聖子テレジアは今朝、天国に召されました――直史ルカ記
『今、私は何処までやって来てしまったのだろう?』

2011/3/13 「心朽窩 新館」にイワン・ツルゲーネフ「猟人日記」の中山省三郎訳「生神様」縦書版を公開。――母に奉ぐ――
『人はいつだって災厄を予言出来るのだ。所詮何時かは「予言」は現実になるように出来ている。何故なら、歴史は災厄に過ぎないから』

2011/3/10 ブログ3000記事記載の記念に――れんげ畑の母と僕――母と僕のために――「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」に岩波文庫加藤郁乎編「芥川龍之介句集」で原本書簡に当たって訂正された書簡俳句の二句のてにをはを訂正、年次も変更されているので位置も変更。片山廣子歌集「翡翠」縦書版及び『片山廣子歌集「翡翠」抄――やぶちゃん琴線抄五十九首――』縦書版及び「片山廣子集《昭和六(一九三一)年九月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》 全」縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。――廣子と龍之介の愛に――
『乳房――それは最早、僕の感性に於ける哲学的な主命題だ』

2011/3/9 「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」の縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。――廣子と龍之介の愛に――
『奴等は何も真剣なものなどあり得ないことを知っていながら、思想だの文学だのを話している。それこそ最下劣だ』

2011/3/6 「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計六通七種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の縦書版及び「芥川龍之介関連昭和二(一九二七)年八月七日付片山廣子書簡(山川柳子宛)」の縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。――廣子と龍之介の愛に――
『私の孤独と死の属性たる荘厳さ――愛してやまぬ孤独――それはとっくに知っている死の味だ――枝にあるうちに舌で味わい――そして手中にストンと墜ちる果実のように――』

2011/2/19 ブログ270000アクセス突破記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇の「芥川龍之介句集 全5巻」総ての縦書版を一挙公開。
『世界は不完全ではない――善も悪もない――ただ神がいる――次に世界――それからまた新しい神……被創造物は馬鹿げていて、余りの不条理さに吃驚りさ――神と創造――こいつを一つ、楽しもうじゃないか』

2011/1/8 ブログに推理:芥川龍之介の死出の旅路の浴衣の背中の紋様は、これではないか?」を掲載。
『女達のこの不在、女達のこの沈黙、それは決定的だ。友達に又逢うことはできない。奴等が同じことを繰り返すのを聞きながら、奴等の前で僕も同じことを繰り返すなんて、とても出来ない相談だ』

2011/1/1 迎春 本年もブログ「鬼火~日々の迷走」とともに御愛顧の程相願い奉りまする――
書初めとして拙作『Homo animalis sapiens から Homo animus sapiens へ――太田豊太郎という進化 或いは 茨冠せる巫女エリス――「舞姫」小攷』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。――これが今年『最初』の覚悟のテクストである――
『政治向きの話では、僕はよく予言者ぶったものだ――それは如何にも楽だったから――天文学者だって、頭から井戸に飛び込むぐらいの芸当は出来るもんさ』

2010/12/20 「心朽窩 新館」の『立ち尽くす少年――諸星大二郎「感情のある風景」小論』2005年度版から本日授業で配布した2010年度版にリニューアルした。「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」を再校、誤植を訂正、注その他を大幅に補足した。
『私も亡霊――だから死ぬのさ』

2010/12/19 「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開(本文は恣意的を正字変換版)。――これが今年『最後』の覚悟のテクストである――
『たった一度だけ抱きしめた女のことを、僕は今もはっきりと思い出す。もっと僕のそばに釘付けにしておきたかった女たちを惨めったらしく想ったりもするさ――だがね、あられもない格好で鍵のかかった部屋に二人でいる時以外、僕は彼女たちを見るのが恐かった』

2010/12/18 ブログに片山廣子の短歌「動物、その他」五首を掲載。――廣子と龍之介の愛に――
『僕は思想の中でしか闘うことの情熱を感じない。個々の人を嫌いになることは、まずもってないし、稀にあっても長続きはしない。僕には血縁者や仲間もいない。だから、どんな奴だろうと知ってる顔を見るのは快よいもんさ。まずは、共感――そして、理解――そうして、好奇心……そう、随分、後になってから、気づくんだよ、何だこいつは、下心も見え透いた如何にも愚劣な奴じゃないか、っていう悔いにね……いや、そういう風に気づくように自分を仕向けるのさ』

2010/12/16 ブログ260000アクセス記念として芥川龍之介「河童」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開、その『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』」も同じく「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『私は若い頃よりずっと情熱的だ――そして若い頃よりずっとその情熱から自由である』

2010/11/23 正字正仮名版森鷗外「舞姫」及び完全オリジナル『森鷗外「舞姫」やぶちゃん現代語擬訳全篇』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。「耳嚢 巻之三」に最終話「吉兆前證の事」を収載、以上を以って根岸鎭衞「耳嚢 卷之三」の全注釈現代語訳を完了した。
『私が最初に性的不能に陥ったのは処女が相手だった――処女と性交不能――私は貞節な女であればあるほど、そのあの時の、インポテンツに陥った処女とのことに怯えた――しかもその女が夫や愛人との間で性行為を行うことで「穢されたのだ」と考えただけで胸糞が悪くなった――そうして――そうして私は完璧な穢れ故に心休まる娼婦を買って、そこに逃げ帰ったのだった』

2010/11/7 芥川龍之介「河童」(やぶちゃんによる芥川龍之介真原稿恣意的推定版)(又は やぶちゃん恣意的副題――どうかPrototype“Kappa”と讀んで下さい――)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。これは知られた晩年の名作「河童」とは同名異作の未完作であるから注意されたい。更に、これは僕の考えた現在、何処にも存在しないオリジナルな原稿推定版である点にも注意されたい。
『僕らは敏感だけれど、実は彼らの心を捉えたいなんて思っちゃいない。これさ。「僕は君らみんなの心を捉えたいと感じているんだ。」と彼らに印象付ける必要がある。「君らの心を摑んだら僕は君を決して手放さないよ。」という印象をだ』

2010/10/31 芥川龍之介「VITA SEXUALIS」及び芥川龍之介「VITA SODMITICUS」(やぶちゃん仮題)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に、それに添える形で芥川龍之介「VITA SEXUALIS」やぶちゃん語注及び芥川龍之介「VITA SODMITICUS」やぶちゃん注(何れも別頁立てオリジナル注)を公開。「耳嚢 巻之三」に「一向宗信者の事」を収載。
『裏切り――それは自分自身に対して。――何故かって? 人は自分自身しか裏切らないからさ――』

2010/10/17 ブログ250000アクセス突破記念として「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」を、「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『同じでいるためなんだ。僕は何時だって同なじだった』

2010/10/16 芥川龍之介「江南游記」の「二十八 南京(中)」に出る「高跳動(カオチヤオトン)」の正体を解明「耳嚢 巻之三」に「賴母敷き家來の事」を収載。
『おまえの……指の間から……逃げてゆく。……存在しない――』

2010/10/3 本トップ・ページに『父のアトリエ』を増築、父の書いた中でも出色の読物「落葉籠――昭和22(1947)年群馬県多野郡神流川流域縄文遺跡調査行ドキュメント――日本考古学の「種蒔く人」酒詰仲男先生の思い出に」をPDFファイルにて公開。欺されたと思って読んでみて戴きたい。文句なしに面白い。 「耳嚢 巻之三」に「大坂殿守廻祿番頭格言の事」を収載。
『祭りは――終わった』

2010/9/4 ブログに「……小学校4年生の夏休みの自由研究……今から出そう……」を記載。44年前の城ヶ島土産の貝標本をご覧あれ。「耳嚢 巻之三」に「上野淸水の觀音額の事」を収載。
『破壊とは、命に対する裏返しの信頼なのだ』

2010/8/29 ブログに芥川龍之介が永遠に最愛の「越し人」片山廣子に逢った――その最後の日を同定する試みを掲載。「耳嚢 巻之三」に「神明淳直を基とし給ふ事」を収載。
『僕はたった一人、本当に独りぼっちなんだ。食事をしたら出て行こう』

2010/8/25 やぶちゃん版新版 冨田木歩句集やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に公開。「耳嚢 巻之三」に「天作其理を極し事」を収載。
『その時、彼女は目をつぶって、吸い込まれていったのだ――何処に? いや、それは彼女自身の中にか?』

2010/8/20 ブログに僕の拘り「僕が芥川龍之介の岩波版旧全集に拘る理由」を記載。「耳嚢 巻之三」に「強盜德にかたざる事」を収載。
『僕は独房に追い詰められた。嫌悪と軽蔑という道徳の、当然の帰着というものさ』

2010/8/16 ブログ240000アクセス記念テクストとして完全オリジナル編集によるオリジナル注を附した「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」を公開。本作は恐らく史上初の本格的な編年体芥川龍之介歌集である。「シリエトク日記 番外篇 知床の滝 或いは 亡き友人の母へのオード」をブログに掲載。シリエトクの滝を御堪能あれ。夜、「耳嚢 巻之三」に「高利を借すもの殘忍なる事」を収載。
『弟よ、心の底から、そうして存在の底から、君にキスをする――(8.10,1944)』

2010/8/15 旅した知床のブログ随想「シリエトク日記」全16回を終了。「耳嚢 巻之三」に「名によつて威嚴ありし事」を収載。
『僕はつきあった女の体を思い出すことに飽きたことがない。そいつらの乳房のかたちはいつでもはっきりと思い出せる。全くもってそれしか目に入らなかったから』

2010/8/11 連載「心」(百十)――ありがたう! これで總ては終る。――君への至上命令は唯一つ――「明治の精神」ヲ解キ明カセ!――今日は「心」連載完遂記念として多彩なテクストを公開する。「心」完全連載終了を受けて、知人が寿ぎの絵「Handcuffs」を贈って呉れた。さればこそ、満を持して朝日新聞連載 夏目漱石『心 先生の遺書(五十五)~ (百十)――(単行本「こゝろ」「上 先生と私」相当パート) 附♡やぶちゃんの摑みを正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。この「やぶちゃんの摑み」は僕のライフ・ワークであり、今後も増殖してゆくが、現在只今、ネット上に存在する夏目漱石「こゝろ」の注釈としては最上の部類に属するものを提供出来たと自負するものである。次に、 『やぶちゃん版鈴木しづ子句集(旧「鈴木しづ子句集」改訂増補版) 抄出217句』を公開した。これはリニューアルではなく、厳密に校訂した新版である。旧の杜撰なバージョンを保存されている方は、必ず破棄し、こちらをダウンロードされたい。更に、芥川龍之介「彼」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。最後に「耳嚢 巻之三」に「不計の幸にて身を立し事」を収載。
『美は是が非でも滅ぼされねばならぬ』

2010/8/10 連載「心」(百九)、明日「心」は遂に閉じられる――記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです――
『人をつかまえておきたい。手放したくない。釘付けにしておきたいんだ。だけど、皆逃げてしまう』

2010/8/9 連載「心」(百八)、残すところ僅か2回――高校2年生の、これから「こゝろ」の感想文を書かんとする諸君――靜を――その母たる奥さんを大いに語られんことを!――それこそが先生や学生同様の神経症の袋小路に陥った「こゝろ」論争という精神の痙攣状態にカンフル剤を打ち込むことになる――
『君は僕の友達か? だったらこのままの僕を愛してくれるはずじゃないか?』

2010/8/8 連載「心」(百七)、残すところ僅か3回となった――先生が自死を決意するのは――最早「たつた一人で」はなくなったから――だから――もう「淋(さむ)しく」はない――から――。ブログにて先週旅した知床の随想「シリエトク日記」を開始。
『僕は不器用だと自分が感じた時、おどけて見せようと努めた。アルルカンみたいなことしかうまく出来ないなんて、愚劣過ぎて堪えられないね』

2010/8/7 連載「心」(百六)、順調に進行中――妻を抱こうとする――と――白い靜の肌の向う側に――Kの姿が屹立する――バンクォーの亡霊を見るマクベスのように先生はKの亡霊を見るのだ――こんな先生が靜とコイツス出来るはずが――ない――
『息吹と生気と、詩と祈りと――そのただ中に生きながら――騒がず死に備える。もう演説も、批評も、説得も「なし」だ。ピュアな情熱としての思索……だめだ――遅過ぎる――恐らくは手遅れ――』

2010/8/6 連載「心」(百五)、順調に進行中――「其新らしい墓と、新らしい私の妻と、それから地面の下に埋められたKの新らしい白骨とを思ひ比べて、運命の冷罵を感ぜずにはゐられなかつた」先生になってみよ。そうすれば先生の真の地獄が分かるはずだ――
『総ては静かに整然と私の内部から発せられる――希望なき明晰という輝きが――』

2010/8/5 連載「心」(百四)、順調に進行中――「若い美くしい人に恐ろしいものを見せると、折角の美くしさが、其爲に破壞されて仕舞ひさうで私は怖かつた」が――その「若い美くしい」君に敢えて私は「私」と云ふ「恐ろしいものを見せ」てゐるのです、この遺書で――
『私は赴くべき場所を示しながら、いつもよりは気品のある裸体をしている』

2010/8/4 連載「心」(百三)、順調に進行中――間違つちやゐません、私のそれからの人生と云ふものは永久に暗い夜が續ゐたも同じでした――
『人生は僕たちを辱めることがなんてうまいんだろう』

2010/8/3 連載「心」(百二)、順調にカタストロフを経て進行中――Kが自死する……設問:「もつと早く死ぬべきだのに何故今迄生きてゐたのだらうといふ意味の文句」はどのようなものであったか? 簡潔に答えよ――これが君への私の最終口頭試問です――
『原初の人類にとって、そうして子供にとって、物は鼓動を打っている』

2010/8/2 連載「心」(百一)、順調にカタストロフへ向けて進行中――「御目出たう御座います――結婚は何時ですか――何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません」――私は時々思ふのです、この臺詞を言ひ度いが爲だけにKの役を演つてみたいとね――
『要するに、あなたには、女がいる。でも、僕には、何も、ない。何も、手に入れることができないということが、どんなことか、あなたには、分からない』

2010/8/1 連載「心」(百)、順調にカタストロフへ向けて進行中――いびつな円の出現――僕はこれを『第三象限上のデスティニィ曲線』(運命曲線)と呼称する――
『僕は何時だって何も見ないで歩いていたんだ』

2010/7/24 84年遠忌河童忌記念として芥川龍之介「白」□旧全集版及び■作品集『三つの寶』版を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。「耳嚢 巻之三」に「神尾若狹守經濟手法の事」「水野和泉守經濟奇談の事」及び「丹波國高卒都婆村の事」の三篇を収載。連載「心」(九十二)、順調に進行中
『あちらこちらで人々は恐怖と共犯関係ににある悪臭を放っている。僕は立派に、これみよがしに死ぬ必要がある。それでこそ復讐と言える』

2010/7/19 連載「心」(八十七)、順調に進行中、本日、遂にあの雨上がりの富坂下のシーンとなった。今回、参謀本部陸軍部測量局五千分一東京図測量原図「東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍」によって、あの場面の最後で、先生は富坂を下っていたのではなく富坂下から柳町交差点へと『上っていた』という僕の発見した新事実を、是非、お確かめあれ!
『僕は如何にも滑稽なことに、自分が忌み嫌い、嫌悪し、だからこそまるで知っちゃいないはずのこの世のことだけを小説にしてきたんだ』

2010/7/11「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に、「耳嚢 巻之三」の頁を創設、これより全10巻1000話全翻刻全訳注プロジェクト第3期を開始する。まずは第一話「聊の事より奇怪を談じそめる事」を収載した。「連載「心」(七十九)、順調に進行中、本日分では「先生=フランケンシュタイン」仮説を御披露した。
『僕はそれこそ陳腐なものに対する稀に見る偶像崇拝者なのだ』

2010/7/5 ブログ開設5周年テクストとして「尾形亀之助就職時の仙台市役所提出に係るブッ飛ビの履歴書三通」をブログ及び「心朽窩 新館」に公開。連載「心」(七十二)、順調に進行中、本日、遂にKが登場。
『歪んだ社会では事件が多い――なればこそ私は楽しむ、熱くなれる。人生の虚しさなんて、そこでは一度たりとも感じたことは、ない』

2010/6/26 HP開設5周年記念テクストとして「尾形龜之助歌集」を「心朽窩 新館」に公開。連載「心」(六十四)、順調に進行中、遂に先生が下宿に引き移った。
『自殺とは僕にとって、数多の美徳を持った孤独に於いて成就する行為であるが故に、極めて魅力的である』

2010/6/16 ブログ230000アクセス記念として「雑誌『月曜』第一卷第一號 編輯後記 尾形龜之助」を「心朽窩 新館」に公開。連載「心」(五十五)、順調に進行、遂に「こゝろ」「下 先生と遺書」相当パートに入った
『僕には自分の内部にも外部にも、何一つ障害になるものがない。何故なら、僕は、現象を食い飽きてしまって本質に餓えており、そうしてその本質の彼岸の語りえぬものをこそ求めているからだ』

2010/6/15 朝日新聞連載 夏目漱石『心 先生の遺書(三十七)~(五十四)――(単行本「こゝろ」「中 兩親と私」相当パート) 附♡やぶちゃんの摑みを正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開、連載「心」(五十四)、順調に進行、遂に明日、「こゝろ」「下 先生と遺書」相当パートに入る
『僕は一個の人間だ。自分の命をちゃんと操縦していることを証明しよう』

2010/6/5 ブログに「藪の中」最後のやぶちゃんの摑みを掲載。連載「心」(四十四)、順調に進行中
『僕は辛抱強いたちだ。今までただ待ち続ける人生だった。一生、ただ何かが起こるのを待った……何が起こるかも知らずに……』

2010/5/29 朝日新聞連載 夏目漱石『心 先生の遺書(一)~(三十六)――(単行本「こゝろ」「上 先生と私」相当パート) 附♡やぶちゃんの摑みを正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開、連載「心」(三十七)、順調に進行、「こゝろ」「兩親と私」相当パートに入る。更に「心」連載終了直後に書かれた芥川龍之介の「青年と死と」を正字正仮名で、同じく「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開(「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」のページのエンコードをUnicode (UTF-8) に変更したので、表示されない場合はエンコード変更をされたし)。「耳嚢 巻之二」に「鼬の呪の事」及び「一休和尚道歌の事」を収載。
『生は動だ。静寂には、生命の源泉など、これっぽちもありはしない』

2010/4/24 ブログ「夕顔へ――極私的通信」に「こゝろ」について、今までに公言したことのない見解を記したのでこちらにもリンクを張る。「こゝろ」は、「靜」を除く総て――先生・K・奥さん・学生の「私」そして筆者夏目漱石――が大きなPTSD(心的外傷後ストレス障害)を受けているために他者と乖離しているという見解である。御関心ある向きはお読みあれ。「耳嚢 巻之二」に「強勇の者御仕置を遁れし事」を収載。連載「心」(五)、順調に進行中
『友達は「僕」を待ち過ぎて、そうして遂には「僕」を忘れてしまうのさ』

2010/4/22 ブログ220000アクセス記念として「芥川龍之介関連昭和2(1927)年8月7日付片山廣子書簡(山川柳子宛)」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。「耳嚢 巻之二」に「明君其情惡を咎給ふ事」を収載。連載「心」(三)、順調に進行中
『貴方は美人で、優しくて、恋が好き――だのに、僕ら二人は、何も、することがない……』

2010/4/20 ブログ・カテゴリ「こゝろ」『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月20日(月曜日)掲載の夏目漱石作「心」「先生の遺書」第一回を掲載、念願であった大正3年と同月同日の「心」ブログ連載(附「やぶちゃんの摑み」)を開始。計画通りに行けば8月11日に全篇を終了する。長いプロジェクトとなる。
『太陽は……手で触れられる』

2010/3/20 片山廣子のアイルランド伝説集訳から「カッパのクー」――これは芥川龍之介の「河童」への密やかなオードである――を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。また、「耳嚢 巻之二」に「神道不思議の事」を収載。
『たった一つ悔やまれること――それは僕が、「僕は実はこうなんだ!」と告白し、即座に開き直る、ということをしないで、自分で自分の性格に判決を下してしまったことだ――』

2010/3/10 Seki氏という未知の方から御教授を戴き、芥川龍之介「骨董羹」の「聊齋志異」の項に現れる「崑崙外史」の僕の注及び『芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん(copyright 2009 Yabtyan)』の注及び現代語訳を全面補正した(改訂した注に関わる部分のみをブログ『芥川龍之介「骨董羹」の「聊齋志異」に現れたる諸注『不詳』とせる「崑崙外史」は蒲松齡友人張篤慶なり!』にも置いた)。これは旧来の筑摩全集類聚版の脚注も、最新の岩波新芥川龍之介全集の注も伴に『不詳。』としているものである。芥川龍之介が言った「崑崙外史」に関わるこの部分を、僕等の多くが、訳も分からず読んでいた、僕のように誤魔化して分かった積りでいた、という事実がはっきりした。必読せずんばあらず。Seki氏に心から感謝の意を表します。更に、南方熊楠「武辺手段の事」の「韃靼帝の子カッサン」の注を補正した。夕刻、「耳嚢 巻之二」に「孝子そのしるしを顯す事」及びその二である「又」を併載。
(アランの鞄の中に入っているぼろぼろになった告白録下書の一枚に記された言葉)『「切符のない旅行者」』

2010/3/2 ブログ210000アクセス記念として「和漢三才圖會」の「巻第四十 寓類 恠類」を完成、公開した。また、「耳嚢 巻之二」に「戲藝侮るべからざる事」を収載し、ブログ・カテゴリ芸術・文学」から新たに「Art」を分離した。
『血とインク――一滴、また一滴――落ちてゆくその音が聞こえる場所――僕が最初に果物ナイフで試したのは――6つか7つの時だった』

2010/2/7 上海在住の未知の方 F 様の御教授により、芥川龍之介「上海游記」の「二十 徐家匯」の「十字聖架萬世瞻依」の注を追加補正し、許可を得て、その方の撮影された現在の徐光啓記念館の写真5葉を掲載させて頂いた。昼、「耳嚢 巻之二」に「堀部彌兵衞養子の事」を、「和漢三才圖會」の「巻第四十 寓類 恠類」に「魃」を収載。
『「無宿のマリー」の顔――それは旧知の沈んだ太陽だった』

2010/1/18 浅川マキ悼ブログ「浅川マキへ」)。
(シャンゼリゼ・ガブルエル通りの角で老売春婦「無宿のマリー」がアランに掛ける別れの台詞)『ボードレールに逢ったら、よろしく言っといて、ね』

2009/12/24 ブログ200000アクセス記念として「芥川龍之介遺書全6通 他 関連資料1通 ≪2008年に新たに見出されたる遺書原本やぶちゃん翻刻版 附やぶちゃん注≫」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
(ラ・バルビネ医師の「人生はいいものだよ」という台詞に対して)『何にいいって言うんです!』

2009/12/18 僕の片山廣子論『片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『人生の歩みは僕には緩慢過ぎる。もっとスピードを速めよう、まっしぐらに。』

2009/11/28 ブログに片山廣子の実質的な辞世の歌に関わる記載を三件続けて記載(ブログ・カテゴリ「片山廣子」)。「耳嚢」に「小刀銘の事」を収載。
『まず夜を終わらせねばならない。夜とは、端から端まで歩かなければならない道なのだ』

2009/11/22 ブログに片山廣子 しろき猫 或いは 「――廣子さん、狐になって、彼のところへお行きなさい――を掲載。 「耳嚢」に「犬に位を給はりし事」を収載。
『アントワーヌ・ヴァトーの絵を見つつ、僕は悟った――そうなんだ! それが、総てであり、そうしてまた、それは無だった、ということを――』

2009/10/29 ブログ190000アクセス記念としてИван Сергеевич Тургенев“Лес и степь”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「森と曠野」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。また、「耳嚢」に「金精神の事」及び「陽物を祭り富を得る事」を収載。
『しかし、僕が腹の中を打ち明けたら、君はもっとつらくなるだけだろう』

2009/9/20 芥川龍之介「湖南の扇」に注を附し、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。ブログに無知も甚だしいエッセイ池内紀「作家の生きかた」への義憤が芥川龍之介の真理を導くというパラドクスを掲載。
『扉と窓を開けても何にも、ない。鏡は僕にのみ開かれている』

2009/9/17 尾形亀之助 詩集 「色ガラスの街」 〈初版本バーチャル復刻版〉を「心朽窩 新館」に公開。これは、20099/6で示した通りの現状にあって、現在、望み得る最良の『色ガラスの街』テクストであるという自負はある。
『僕は存在への愛着が希薄だ。だから存在も僕にそれ以上の愛着を示すはずがない。尤も最近は少しばかり涙もろくなったが、ね』

2009/9/6 ブログに思潮社増補改訂版「尾形亀之助全集」及びそれを元にした尾形亀之助の詩集『色ガラスの街』についての18件に及ぶ疑義を連載した。ブログ・カテゴリ尾形亀之助でお読み戴きたい。これは全集の当該『色ガラスの街』詩集部分の再校訂が望まれる程の、重大な疑義である。
『僕は愛されたい。僕も人を愛していると思えるまで愛されたいんだ』

2009/9/2 ブログ180000アクセス記念として「尾形亀之助拾遺 附やぶちゃん注」を「心朽窩 新館」に公開。
『僕は心の中に自分しか感じたことはありません』

2009/8/30 夏の終わりに。芥川龍之介『支那游記』オリジナル参考資料として、「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『自殺者は「無」を信じていると思い込んでいる、そうして自らを「無」に差し出そうとする――だが、待て、この「無」という否定の言葉、それに近似値を示す言葉、その極限値としての言葉、それらのもとにあって、「何か」が自殺せんとする彼のために潜んでいるのだ』

2009/8/11 芥川龍之介『支那游記』オリジナル参考資料として、「芥川龍之介中国旅行関連(『支那游記』関連)手帳(計2冊)」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『哲学や芸術、そうして政治とか道徳とか――全ての体系と称するものは、とんでもなく馬鹿げた幻想に過ぎない』

2009/8/9 ブログ記載2000記念として芥川龍之介「北京日記抄」やぶちゃん注釈附き完全版を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。これを以てHPにやぶちゃん注釈附き芥川龍之介中国紀行文集『支那游記』の全篇を公開したこととなる。
『僕はここに残る――でも同時に出かけるのさ』

2009/7/24 83年遠忌河童忌記念として芥川龍之介「江南游記」やぶちゃん注釈附き完全版を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。続いて、ブログ・カテゴリ『芥川龍之介「長江游記」』を創始、まずは冒頭に芥川龍之介「長江游記 前置き」を公開。
『作品? そんなものは糞食らえだ! ただのアリバイだ!』

2009/7/8 ブログに『プルートゥ又は「史上最大のロボット」とは誰か?』を記載し、今までの「プルートゥ」関連記事を纏めるためにブログ・カテゴリプルートゥを創始。同じく、ブログに芥川龍之介「江南游記 十 西湖(五)」を公開。
『ピストルは頑丈だ。鋼鉄で出来ている。それは物体だ。遂にその物体にぶつかるのだ』

2009/7/6 ブログ170000アクセス記念として、芥川龍之介「雜信一束」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。また、ブログに芥川龍之介「江南游記 八 西湖(三)」を公開。
『僕はその場を支配しているらしいマナーみたいなものにはまるで合わせられないんだが、かといってそこで我を通してグラスを粉々に叩き割るなんていうポーズをして見せられるわけでもないんだ』

2009/6/2 ブログに芥川龍之介「上海游記 十 戲臺(下)」を公開。更に昨日の「上海游記 九 戲臺(上)」本文注の内容と今回のものについて、ブログに緑牡丹は白牡丹なり!――芥川龍之介「上海游記」の芸名の誤りを掲載。
『人間の呪文で、神は死に、そして再生する。逆に、その神は人間に、永遠の再生なるもの、又は死後の生なんてものを約束するわけだ』

2009/6/1 ブログに芥川龍之介「上海游記 九 戲臺(上)」を公開。本注に記した如く、文中の京劇俳優「緑牡丹」は別人の「白牡丹」であることが判明した。向後、「上海游記」のテクストの該当部分は総て初出通り、「白牡丹」に訂正されるべきである。
『僕は怠惰で浅薄で不注意な男だ。小説家になれる程、「自分」自身に、「自分」の世界に、「自分」の亡霊どもにとり憑かれちゃいないよ』

2009/5/24 友人トーマス・ジョーンズへのオードたる芥川龍之介の「彼 第二」を、強力な注を附して正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。また、ブログに芥川龍之介「上海游記 三 第一瞥(中)」を公開。
『何故、仏教徒は因果応報という無常の連続を通して、ある「生」から別なある「生」へと責任を負ったまま引き回されなくてはならないのか? 何故、その「永遠の生」の重みが、その重み故に崩壊してしまわないのだろう?』

2009/5/16 片山廣子歌集「野に住みて」 全 附やぶちゃん注 を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『シャンゼリゼを歩くときも、僕は100の女の記憶に浸ったままだ――100の影――100のそそり立った脈打つ柱列――100匹の蛍――思えば僕は僕の全財産を教会の寄付受に入れちまったんだ』

2009/5/6 片山廣子集《昭和6(1931)年9月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》 全 』を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『君は奇跡だ。その手で僕というレプラにお触わり!』

2009/4/29 ブログ160000アクセス記念として、『片山廣子第一歌集 「翡翠」 全 』を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。ブログに「無門關 二十三 不思善惡」及び「無門關 四十七 兜率三關」の二篇を公開。
『僕は、真剣になったことなんて、たったの一度だってない』

2009/3/14 幻の芥川龍之介の評論「シング紹介」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。更に岩波新全集最終巻第二十四巻縦覧により、新発見句5句を含む連句等を、柱「2008年12月刊行の岩波版新全集第二十四巻〔第二次版〕に現れたる俳句(書簡を除く)」で「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」に追加。その他にも注を追加した。また、同書補遺の書簡から新発見句3句他を追加し、これをもって新全集縦覧による改訂を全て終了した。現在只今、僕のこの「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」は、如何なる著作、如何なるウェブ・ページよりも最多の芥川龍之介の俳句を公開しているという自負がある。
『ソランジュは僕を求めてはいない。ソランジュは僕を愛してはいない。ソランジュは、今、ドロティに代わって答えた。これですっかり終わったのだ』

2009/3/1 ブログに「プルートゥ」論覚書として『さりながら「プルートゥ」のボラーとはあの「巨人」なり 又は エプシロンの魂(フォトン)は死にかけた僕のパソコンの夢を見る』を記載。
『初め、僕は酒を浴びながら女や金を待ってたんだ。しかし突然、僕は自分が待つことで毎日を過ごしてきたんだと気づいた。しかし、その時には、僕はもう死ぬほど麻薬を打ちまってた、という訳さ』

2009/2/15 僕の52歳の朝尾形亀之助作品集『短編集』(未公刊作品集推定復元版 全22篇)・附やぶちゃん注を「心朽窩 新館」に公開。
『金?――金ならあるさ、ポケットいっぱい』

2009/2/11 ブログ150000アクセス記念として、ジョン・M・シング著松村みね子訳「聖者の泉」(三幕)を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。また、芥川龍之介「動物園」を削除部分補完・注追加をして大幅に改訂。
『「君の貧しさを人生のせいにするな」――それが僕を肩で押しやって、虚無の彼方へ、地獄へ突き落とすことだなんて、君は思ってやしないだろうね?』

2009/1/31 芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん翻案を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『僕は訳知り顔の老人――未だに青春を忘れず、そうして、その青春を半生まの理想郷に変えてしまった老人――』

2009/1/27 ブログに「尾形亀之助の不明の詩11篇について」及び「尾形亀之助「羽子板」「毒薬」について」を記載。
『僕は何を期待していたというのか? 凝っと女を見つめることで、彼女のことが、いや、僕自身のことが、何かふと腑に落ちてくるとでも思っているのか?』

2009/1/1 迎春 今年もブログ「鬼火~日々の迷走」ともどもよろしく御鞭撻の程。今年の僕のテクスト自己拘束はこちらを。エロアの控え帳」ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 附やぶちゃん注を「心朽窩 新館」に公開。
『病が意志それ自体の内にあるのに、どうしてその意志について語ることができようか 』

2008/12/23 パソコン奇蹟の復活記念として「尾形龜之助拾遺詩集 附やぶちゃん注」を「心朽窩 新館」に公開。
『若い時から僕は、死ぬのは50を過ぎてからではだめだ、と肝に銘じてきた』

2008/11/29 ブログ140000アクセス記念として、Иван Сергеевич Тургенев“Стихотворение в прозе”ツルゲーネフ作中山省三郎訳「散文詩」(全83篇)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。
『僕は人を騙そうとする……出来ない……そうだ、いいかい? 騙されちゃ、いけないんだ。僕は独りぼっち、誰も相手がいない、そいつをひどく悔やんでいるさ。だが、僕は僕に相応しいものだけは確かに持っているんだ。ただ、それは手にとることも、触れることも出来ない……要はそれは心の問題だからだ』

2008/10/4 ブログ130000アクセス記念として、Иван Сергеевич Тургенев“Касьян с Красивой мечи”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「クラシーワヤ・カーチャのカシヤン」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。また、寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「龍鬚菜」(シラモ/コナハダ)及び「櫻苔」(サクラノリ/マツノリ)を追加。
『人類は疲れ切った眼を痛めつけられる太陽への信仰をいつか嫌悪するようになり、そいつに戦いを挑むために影に跪くようになった』

2008/8/21 ブログに「氷國絶佳瀧篇 其壱 Seljalandsfoss セリャランスフォス怒濤の9連写」(8/19)に始まり、本日の「氷國絶佳大切 地篇 其貳 Geysir ゲイシール」に終る11篇のアイスランド紀行(2008/8/9~8/18)を連続掲載
『デカダンな人間にとって目前のディナーはスカトロジーの対象でしかない』

2008/8/7 ブログ120000アクセス記念として、江川書房昭和7(1932)年刊行の堀辰雄「聖家族」限定版の〈限定初版本バーチャル復刻版〉を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『僕は植物と星についてまるで無知だった――知っている事と言ったら数人の人々の顔だけ――おまけに今はそいつらからさえ遠く離れたここで死にかけている様さ』

2008/7/5 ブログ開設3周年及びHP開設3周年(失念していた6/26)を記念して、僕の愛読書から、プエル・エテルヌスたちの面影、Иван Сергеевич Тургенев“Бежин луг” ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「ビェージンの草原」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開。
『キリスト教の地平から遂に脱出できなかったドストエフスキイが、小説の中でキリスト教徒の「外部」に想像したもの――それは、信じてもいない神を逆説的に憎み、挑発し、その唯一の隠れ家である死にとうの神を追い込んでおき、それでいてやはりキリスト教徒であるような輩――その程度のもんじゃないか』

2008/3/30 ブログ・アクセス100000突破記念としての「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン」の完全版を「心朽窩 新館」に公開。また、寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部」に「蝤蛑」(ガザミ/タカアシガニ)を追加。
『いつまでも可愛い女という彼女にしっくりする狭量なタイプに閉じこもったまま、愛することさえ知らない女でいて欲しい』

2008/1/13 松村みね子「五月と六月」についての補注『松村みね子「五月と六月」から読み取れるある事実』及び松村みね子「芥川さんの囘想(わたくしのルカ傳)」についての補注『松村みね子「芥川さんの囘想(わたくしのルカ傳)」イニシャル同定及び聊かの注記』をブログに記載。寺島良安「和漢三才圖會 巻第四十九 魚類 江海有鱗魚」に「鰣」(ヒラ)を追加。夜、みね子と龍之介のために芥川龍之介「越びと 旋頭歌二十五首」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『僕はナイフの切っ先を手探りすると、上着とシャツの間をはだけ、心臓の脇にそいつを当てがった。その時さ、僕が心臓ってものを発見したのは。以前、ズボンのボタンを外して、その引き出した己の肉体の一部を、これが性器なんだ、って見つめた時だって、これほどに切迫した感情は胸を走らなかったな』

2008/1/2 昨日と今日でブログに2007/12/23~30のタスマニアの旅の紀行『タスマニア紀行1《タスマニアで聴く1》「森の声」』を初めとして連続全8篇を記す。最下部に「ブログ・アルバム」をリンク。
『一本の木、一本の石、それは恋人の肉体より暗示的だ』

2007/10/20 ブログ記載1000を記念して、増田晃詩集「白鳥」全篇を「心朽窩 新館」に公開した。
『将来、イギリスかドイツが公然と支配するヨーロッパ連合、それに国家という存在は飲み込まれてゆく――そしてこの超国家連邦にあっては、腐敗した官僚主義的社会主義と権力による治安維持絶対主義が、完璧に遂行されるに違いない(4.29,1940)』

2007/7/10 ブログにノース2号論ノート 教え子の疑問に答える」を記す。
『僕は神話として以外、偉人というものを信じないことにしている』

2007/6/23 ブログにノース2号論ノート2 作品構造分析(完全版)」を記す。
『僕はもう終わったんです。とっくに小指を動かすことも出来ない』

2007/6/19 教え子の写真作品をブログに公開(著作権者承認済)。『山田麻李安「羅漢」』、是非ご覧あれ! また、2年前にある別な教え子と約束していた浦沢直樹×手塚治虫「プルートゥ」の中の「Act.4-6 ノース2号の巻」についての論考のメモ「ノース2号はダンカンの夢に共感できるか?――ノース2号試論のための初期化注釈」「ノース2号論ノート1 ダンカンの疾患及び特別出演ブラックジャックについての注釈」をブログに記す。
『世界は不完全であり、邪悪だ。僕はそれを批難する。僕は世界を弾劾し、世界を滅ぼす』

2007/5/5 ブログに『芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察 最終章』を掲載。芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」については僕の中ではこれで決着を得た
『友達も女と同じだ。僕が出てゆくのを黙って見ている』

2007/3/17 節に殉じた我が兄井上英作の実録小説「フィリピーナ・ラプソディー」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『僕は生まれて初めての聖体拝受に失望した。そして、初めて神へに祈った時にも、初めて女と寝た時にも、そうして戦場で初めて突撃した時にも――これがこの中では一番ましだったがね――、15分後にはすっかり失望してたし、初めて、やっと何か価値ある著作をものせたと思った時にも、初めて「世界一」と皆が呼ぶ「絶景」を見た時にも、15分だった――いや、待て、それは誇張に過ぎる――十二歳の時、弟が病気をした、その時の祈り、そしてシャルルッロワの突撃、最初に愛した女とのあの瞬間(最初に寝たこととこれは当然別ものだ)、何冊かの読書、パルテノン神殿――そうだな、結論から言えば、僕の人生の総ては、確かな充実した記憶に充満している――だから、永遠は瞬間の中にこそ宿る、と信じてるのさ』

2007/3/16 教え子の美術秀作をブログに公開(著作権者承認済)。『相野谷由起「ゆきねえが来た!」』「本間珠実 ゆき兎」。是非、御覧あれ!
『僕は画家になりたかったんだ――祖父さんが建築積算士だったからだろうか――画家っていうのは、裸婦を眺め、心ゆくまで裸婦を眺めて軽蔑し、老後を過せるからさ』

2007/2/26 ブログに金城哲夫忌を記す。
『僕はあるがままのものが好きだ。それは激しいもので、それ故に僕の心は引き裂かれるのだ。これは永遠なんだ』

2007/2/6 ブログに今日自身の節に殉じた我が兄への追悼「僕の兄は静岡空港建設反対に殉じた」「井上英作兄へスメルジャコフの末裔よりを総身の現実世界への怒りと共に記す
『自殺とは全ての行為と同じく一つの信条である。仲間達への信頼、仲間達というその存在、自我と他の幾多の自我との関係、そうした実在性への信頼なのだ』

2007/2/1 ブログに芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察及び『芥川龍之介「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」のロケ地同定その他についての一考察』を記す。
『僕は誰にも好かれているし、同時に、誰にも好かれていない』

2006/9/22 宮澤賢治忌。古い記事であるが「Blog鬼火~日々の迷走」の宮澤トシについての忌々しき誤謬は是非、多くの方に読んで頂きたい。賢治の妹トシの為に。芥川龍之介の「海のほとり」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開。
『欺瞞から欺瞞への跳躍――それで人は人生経験なるものを積む』

2006/9/7 HP中に秘密結社『藪薇獸辭團を創始。
『僕の周りに火を放って、神秘的な空き地を充分に広げよう――』

2006/6/16 「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」に純然たる新発見句6句を含む、15句を追加。ブログに芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」に関わる論考「月光の女」を記す。
『社会は女のためにしか存在していない。女たちの営みが際限なく社会という織物を織り成す。女は社会の職工であり、王妃であり、怠けることのない門番である。 女たちさえいなかったら、その罠にはまってる男どもは、皆、とっくに天国に行っちまってる』

2006/4/18 ブログ「亡き友へ」に「木蔭で――永野広務に」を記す。
『歩こう、預言者』

2006/4/15 芥川龍之介「或阿呆の一生」の注記に追加。ブログに芥川龍之介の出生の秘密を記す。
『18でも30でも女は皆優しいが、僕から逃げ出すか僕を逃げさせる』

2006/2/12 僕の梶井基次郎「檸檬」の授業が受けられなかった教え子たちへ、オリジナル授業ノートを「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」からリンクさせた。ブログに僕の譲れないポリシー「注記とは何か」を記載。
『苦しみは感じません。僕は永遠の苦しみの中にいるのです』

2005/7/25 「句集 鬼火」に「右腕を砕きて放つ鬼火かな」他2句を追加。
『僕は不器用だ。手が動かない。……本当に人を愛していれば全てを与えてくれるはずだ。僕は人を愛せない。愛せるはずがない。触れられない。捉えることができないんだ。心の問題なんだ!』
(注:これは、今の僕には切実な台詞となった。文字通りの、現実となったと言おう――Blog鬼火~日々の迷走2005/07/21以降へ訪れられたし……)。

2005/6/26開設――墳墓なき我が玄室に ようこそ。僕はやぶちゃん Aлaин Лэрoй Йaбунoвич Лука Taдaский――俗名 藪野直史――引用とテクスト、自作の小説・俳句・怪談・芸術評論・古典研究等、腐臭馥郁たる堆積――
僕のプロフィル及びメール・アドレスはこちら――
『あなたに申し上げよう。酔って墓の上に眠っても、何も面白くない。眠るのなら墓の中に寝るべきだ――』

☆上記の日々の更新情報の末尾の台詞は、僕の言葉ではない。作家 Drieu La Rochelle (ドリュウ・ラ・ロシェル)の “JOURNAL” の日記本文のドリュウの言葉及び彼の名作 Drieu La Rochelle/Louis Malle "LE FEU FOLLET" (邦訳題「消えゆく炎」=映画邦題「鬼火」)の Alain の原作本文の台詞・心内語及び映画の台詞よりランダムに、僕が自由に変形した訳や敷衍創作したものを引用記載している。――そのセリフは時々消えるが、また鬼火のように蘇ってくる――

★本HPの電子テクストは、他のサイトにもある同一のものは公開しないというコンセプトを死守する。即ち、僕の無益な自己満足のための二番煎じは作らないということである。本来、正字正仮名遣で書かれたものは該当底本を入手出来ればそれに従うことを原則としている。又、万一、一見、テクスト本文と同じものがWeb上にあるように見えても、それらは、既にあるものとは、違った校訂を施したものであったり、別底本のものであったり、更には僕のオリジナルな注釈や考証等を施してあるはずである。

――私の不可視の玄室に初めて来られた方へ――
――まずは上のインデックスの――
――心朽窩新館及び旧館――
――HAL9000の眼――
    
――から入窟あれ――
……決して御期待を裏切らぬという自信は、ある……


★本HP及びblogの文章及び画像は、僕の創作及び叙述、又は高等学校授業用に作成した授業案・補助プリントからの転載であり、電子テクスト翻刻本文・引用文及び引用注記のある画像を除く一切は、僕の著作権に帰するものである。電子テクスト翻刻本文のコピー・加工及び僕の文章の引用に際しては、必ず本サイトのテクストを使用した旨明記されるか、または本サイトからの引用であることを分かるようにリンク等を施されるようにお願いする(下記の「心朽窩主人」の印影を張られるのも一興かと存ずる)。




リンクは如何なる個別ページも総て自由にどうぞ。ただその際にHP名「鬼火」・ブログ名「鬼火~日々の迷走」・HN「やぶちゃん」等を表示して戴ければ嬉しい限り。

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