一部本文に異同があり、やや訓読も異なる。]
寄題左金吾源大夫江亭(左金吾源大夫が江亭に寄せ題す)
湘山暮樵得幺
士嶺衝天東海瀾。 靜中勝景畫中看。
一由旬雪梅花鶻。 載泊前灣晩照殘。
湘山の暮樵得幺
士嶺天を衝く東海の瀾
靜中の勝景畫中に看る
一由旬の雪梅花の鶻
載て前灣に泊て晩照殘る
武陵興德
華構臨江天宇低。 北帆南楫日斜西。
髩端雪白漁竿客。 萬頃玻瓈可釣齊。
武陵の興德
華構江に臨て天宇低る
北帆南楫日斜めに西す
髩端雪白し漁竿の客
萬頃の玻瓈齊を釣るべし
相陽中榮
華館相收主亦賢。 江亭玆試武城絃。
東溟浸戸波黏地。 西嶺當窻雪界天。
珠履三千門下客。 玉樓十二洞中仙。
憑誰説與蘇夫子。 赤壁休誇前後篇。
相陽中榮
華館收を相て主も亦賢し
江亭玆に試む武城の絃
東溟戸を浸して波地に黏ず
西嶺窻に當て雪天を界ふ
珠履三千門下の客
玉樓十二洞中の仙
誰に憑きてか説與せん蘇夫子
赤壁誇るを休めよ前後の篇
[やぶちゃん注:「界ふ」は送り仮名から「となりあふ」(隣り合わせる)と訓じているか。]
河陽東勸
士嶺之東湘水北。 一亭新架有高城。
閭閻撲地育民庶。 經籍滿床羅俊英。
鷗渚鷺汀春晝靜。 竹籬茅舍暮光晴。
丹靑難畫戰圖外。 帷幄運籌張氏情。
河陽東勸
士嶺の東湘水の北
一亭新に架して高城有り
閭閻地を撲て民庶を育し
經籍床に滿て俊英を羅す
鷗渚鷺汀春晝靜なり
竹籬茅舍暮光晴る
丹靑畫き難し戰圖の外
帷幄籌を運す張氏が情
[やぶちゃん注:前掲分同様に、この詩の部分の一九九六年筑摩書房刊の市古夏生・鈴木健一校注「江戸名所図会」を底本とするテクストを示す。漢字は本テクストによる正字としたが、本文と区別するために底本通り、ルビは平仮名とし、底本通りの現代仮名遣としたが、拗音化を施した。
左金吾源大夫が江亭に寄せ題す
士嶺天を
靜中の勝景畫中の
一
[やぶちゃん字注:「江戸名所図会」では「湘山暮樵得幺」の「幺」は一画目の右下に折れる部分がない字体であるが、表記出来ないので、本底本のママとした。]
武陵〔武蔵国〕興德
北帆
相陽〔相模国〕中榮
華館
西嶺窻に當たつて雪は天に界す
珠履三千門下の客
玉樓十二洞中の
誰に
[やぶちゃん注:「窻」は「江戸名所図会」では「窓」。]
河陽〔河内国〕東勸
士嶺の東
一亭
丹靑畫き難し
一部の詩句に明白な異同があり、やや訓読も異なる。]
左金吾源大夫江亭記
關左形勝之雄、以武爲冠、武者大國也、其山木奇傑、而兼要嶮者、江戸其武之冠乎、距相府連※1可百里焉、緑蕪白沙並海以北、王簪之山、羅帶之水、跋渉忘勌、而不覺日之將晩也、翠壁丹崖、屹然以高峙、珍卉佳木、蔚然而中秀、廼左金吾公源大夫之所築新城也、攀以躋焉、俯以臨焉、四面斗絶、直下百丈、東南佳山水、歴々以在杖履之下、南顧則品川之流、溶々漾漾以染碧、人家鱗差乎北南、而白墖紅樓、鶴立翬飛、以翼然乎其中、東武之一都會有揚一益二之亞稱也、東望則平川縹緲兮長堤緩廻、水石瑰偉兮佳氣欝芬、謂之淺艸濵、白花大士遊化之場、巨殿寶坊、輪奐以掩映乎數十里瀛、補洛妙境、神人所幻云、其後則滄洲茫乎、百川與海會、呉楚東南坼、乾坤日夜浮、即此乎、其前則谷岩出汲、而原野莾蒼、天塹之幾多仞、一夫當關則百萬不可以近、世乃知此地面勢、實一方金湯之最、而無所與二也、昔周室中微、有諸侯患、仲山甫城于東方、國人安以集也、宣王大興焉、公柵於斯、外扼敵之喉襟、内據武府之腹背、東民賴之、公之功可謂與仲山甫顏行者、城上置閒燕之室、扁曰靜勝、靜勝蓋兵家之機密乎、當其西簷、而有富士峰之雪、天削芙蓉以玉立三萬餘丈、其窻曰含雪也、凭南檻、則積水涵天、沙觜含吐洪潮、以出縮于曉夕、羣山隔岸雲、鬟梳洗濃翠、而隱見于陰晴、自然無軸之畫也、鳧渚鷗汀、漁家民屋、枕藉以雜處、沙戸水扉、人朴地淸、旅船之所泊也、靑龍赤雀、舳艫相銜、蘭棹桂槳、舸經舫緯如織、而欵乃之聲無斷也、江情湖思寔樂矣哉、締小亭曰泊船也、摘字於浣花詩史、其人襟宇瀟洒、措意於騒雅之域、弗語而可以知而已、於是湘中僧、即以詩鳴其道者、或慕嚮公之逸韻、或歆羨其山水之美、以寄詩言志、金薤琳琅、其音玲瓏而成章、余亦寓錚々於餘響魚目入珠、燕石濫璞、非志也、公之求之嚴也、重以紙尾書而見命、余朴而野者、文何之有邪、然督責弗遏、※2避無地辭、磨鈍鐫朽以聊且概記其景象之曼乙而云爾焉、文明丙申、秋之杪也、湘山暮樵得幺。
[やぶちゃん注:「※1」=「巾」+「莫」。「※2」=「享」+「單」。以下、「左金吾源大夫江亭記」について、影印の訓点に従って訓読したものを示す。
左金吾源大夫江亭記
關左形勝の雄、武を以〔て〕冠と爲し、武は大國なり。其の山木奇傑にして、要嶮を兼する者は、江戸其れ武の冠か。相府に距てて連※1百里なるべし。緑蕪白沙海に並〔び〕て以て北す、王簪の山、羅帶の水、跋渉勌〔む〕ことを忘〔れ〕て、日の將に晩〔れ〕んとするを覺へざるなり。翠壁丹崖、屹然として以〔て〕高く峙ち、珍卉佳木、蔚然として中に秀づるは。廼ち左金吾公源大夫の築く所の新城なり。攀〔ぢ〕て以て躋り、俯して以〔て〕臨む。四面斗絶、直下百丈、東南の佳山水、歴々として以て杖履の下に在り。南に顧るときは則〔ち〕品川の流〔れ〕、溶々漾々として以て碧を染む。人家北南の鱗差す。而して白墖紅樓、鶴のごとく立ち、翬のごとくに飛ぶ。以て其の中に翼然たり。東武の一都を會〔にして〕揚一益二の亞稱有〔る〕なり。東に望むときは則〔ち〕平川縹緲として長堤緩く廻る。水石瑰偉として佳氣欝芬、之を淺艸濵と謂ふ。白花大士遊化の場なり。巨殿寶坊、輪奐として以〔て〕數十里の瀛を掩映す。補洛の妙境、神人の所幻と云ふ。其の後ろは則〔ち〕滄洲茫乎して、百川海と會す。呉楚東南に坼〔け〕、乾坤日夜浮ぶと云〔ふ〕は、即ち此れか。其の前は則〔ち〕谷岩出沒して、原野莾蒼たり。天塹の幾多仞して、一夫關に當るときは則〔ち〕百萬以て近〔づ〕くべからず。世乃ち知〔る〕此の地面勢、實に一方金湯の最にして、二〔つ〕に與る所無きなり。昔し周室中ごろ微にして、諸侯の患有り。仲山甫、東方に城く。國人安んじて以て集る。宣王大〔い〕に興る。公、斯に柵して、外に敵の喉襟を
「※1」=「巾」+「莫」。「※2」=「享」+「單」。「勌〔む〕」は「うむ」(倦む)、「峙ち」は「そばだち」、「廼ち」は「すなはち」、「躋り」は「のぼり」(登り)、「翬」は「きじ」(雉)、「城く」は「きづく」(築く)、「遏まず」は「やまず」(止まず)と読む。「連※1」は「れんばく」と読み、直線距離で、といった謂いか。「蔚然として」は「うつぜんとして」と読み、「鬱然」と同義で草木の生い茂るさまを言う。「鱗差」は魚の鱗のように多く差し向かい合っていることを言うのであろう。「白墖」について、後掲するように「江戸名所図会」では「未詳」としているが、これは「はくたう」と読み、「墖」は「塔」と同義、原義は白い仏塔の意味で、寺院の多層塔のことを指している。後の「紅樓」は一般には妓楼を意味するから、僧俗混在する江戸の景を言うと思われる。「揚一益二」は、本来は、中国で揚州は天下第一の都会であり益州(現在の成都)がそれに次ぐ、という意味である。宋代になって水運が盛んとなった結果、交通の要衝が繁栄したことを言う語で、江戸をそれらに擬えたものであろう。「瑰偉」は「くわいゐ」と読み、「魁偉」と同義で、体格や規模が並外れて逞しく大きいさまを言う。「掩映」は「えんえい」と読み、対比の妙によって相互に引き立たせ、際立たせ合うことを言う。「呉楚東南に坼〔け〕、乾坤日夜浮ぶ」は杜甫の有名な五言律詩「登岳陽楼」の一節である。以下に掲げておく。
登岳陽樓 岳陽樓に登る
昔聞洞庭水 昔聞く 洞庭の水
今上岳陽樓 今上る 岳陽樓
呉楚東南坼 呉楚 東南に坼け
乾坤日夜浮 乾坤 日夜に浮ぶ
親朋一字無 親朋 一字無く
老病有孤舟 老病 孤舟有り
戎馬關山北 戎馬 關山の北
憑軒涕泗流 軒に憑りて 涕泗流る
「仲山甫」(生没年未詳)は周王朝宣王に仕えた名臣で、王朝の中興に大いに功があった。しかし、実際には専横な宣王の下で本質的には不遇であったとも言える。例えば、異民族西戎との戦争中には、南方の諸侯国の兵力が極度に殺がれたため、王自ら戸口調査を実行して強引に男子を徴用しようとしたのを諫めたが容れられず、また、魯の公子二人が入朝した際に、宣王が弟の戯をいたく気に入り、軽率にも魯国の太子に立てさせようとした折りも諫めたが、やはり聞き入れられていない。結果的に宣王は周の滅亡を加速させた。彼は優れた忠臣を持った暴君の愚王に過ぎなかったと言ってよい。「閒燕の室」とはプライベート・ルームの意であろう。「鳧渚」は「ふしよ」と読み、鴨のいる水際のこと。「欵乃」は「あいたい・あいだい」と読み、舟歌の意。「浣花詩史」は杜甫の詩総体を指す語。杜甫の詩を総称して「詩史」と呼称し、また杜甫所縁の杜甫草堂は渓谷の名から浣花草堂とも言い、その中心建物を詩史堂という。「歆羨」は「きんせん」と読み、羨むこと。「金薤琳琅」は「きんかいりんらう」と読み、金で出来た箱に収められた美しい玉のことを言う。ここでは詩品の格調高雅なるを言う。「※2避」はよく分からないが、どうも申し出を固く回避する、といった謂いのように思われる。識者の御教授を乞う。
以下、前掲分同様に、この「左金吾源大夫江亭記」の一九九六年筑摩書房刊の市古夏生・鈴木健一校注「江戸名所図会」を底本とするテクストを示す。漢字は本テクストによる正字としたが、本文と区別するために底本通り、ルビは平仮名とし、底本通りの現代仮名遣としたが、拗音化を施した。
左金吾源大夫江亭記
關左形勝の雄、武をもつて
昔、周室中微し、諸侯の
城上に
小亭を
湘山暮樵得幺
「※1」=「巾」+「莫」。「※2」=「享」+「單」。「江戸名所図会」では「概」が「※3」=(上)「既」+(下)「木」の字形で載る。「江戸名所図会」では「湘山暮樵得幺」の「幺」は一画目の右下に折れる部分がない字体であるが、表記出来ないので、本底本のママとした。一部本文に重要な異同があり(文意も変化している)、訓読もかなり異なっている。対比して読まれることをお薦めする。]
已 上
[やぶちゃん注:これは「新編鎌倉志卷之二 荏柄天神 神寶」の「江亭記」引用の終了を意味している。]
紅梅殿
老松殿 共に本社の左右にあり。
○大樂寺