やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇へ

鬼火へ

[やぶちゃん注:大正
141925)年3月発行の雑誌『明星』に芥川龍之介名義で掲載。底本は岩波版旧全集を用いた。なお、私の電子テクストの、

片山廣子集 《昭和6(1931)年9月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》全へ

片山廣子歌集「野に住みて」 全 附やぶちゃん注

片山廣子歌集「野に住みて」抄――やぶちゃん琴線抄79首――へ

以上の「日中」歌群を中心とした、軽井沢での片山廣子の吟などを参照されたい――いや、それ以外にも、廣子の芥川の死後の歌にも、いつか、ふと芥川の影がさしている――芥川龍之介の旋頭歌と片山廣子の和歌――それはこの二人の、遂に逢はざりし人の面影、永遠の恋愛者の相聞歌であると私は思う――]

 

越びと 旋頭歌二十五首   芥川龍之介

 

   一

 

あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、

み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ

 

むらぎものわがこころ知る人の戀しも。

み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。

 

現(うつ)し身を歎けるふみの稀になりつつ、

み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。

 

   二

 

うち日さす都を出でていく夜ねにけむ。

この山の硫黄の湯にもなれそめにけり。

 

みづからの體温守(も)るははかなかりけり、

靜かなる朝の小床(をどこ)に目をつむりつつ。

 

何しかも寂しからむと庭をあゆみつ、

ひつそりと羊齒(しだ)の卷葉(まきば)にさす朝日はや。

 

ゑましげに君と語らふ君がまな子(ご)を

ことわりにあらそひかねてわが目守(まも)りをり。

 

寂しさのきはまりけめやこころ搖(ゆ)らがず、

この宿の石菖(せきしやう)の鉢に水やりにけり。

 

朝曇りすずしき店(みせ)に來よや君が子、

玉くしげ箱根細工をわが買ふらくに。

 

池のべに立てる楓(かへで)ぞいのちかなしき。

幹に手をさやるすなはち秀(ほ)をふるひけり。

 

腹立たし身と語れる醫者の笑顏(ゑがほ)は。

馬じもの嘶(いば)ひわらへる醫者の齒ぐきは。

 

うつけたるこころをもちて街(まち)ながめをり。

日ざかりの馬糞(ばふん)にひかる蝶のしづけさ。

 

うしろより立ち來る人を身に感じつつ、

電燈の暗き二階をつつしみくだる。

 

たまきはるわが現(うつ)し身ぞおのづからなる。

赤らひく肌(はだへ)をわれの思(も)はずと言はめや。

 

君をあとに君がまな子(ご)は出でて行きぬ。

たはやすく少女(をとめ)ごころとわれは見がたし。

 

言(こと)にいふにたへめやこころ下(した)に息づき、

君が瞳(め)をまともに見たり、鳶いろの瞳(め)を。

 

   三

 

秋づける夜を赤赤(あかあか)と天(あま)づたふ星、

東京にわが見る星のまうら寂しも。

 

わがあたま少し鈍(にぶ)りぬとひとり言(ごと)いひ、

薄じめる蚊遣線香(かやりせんこ)に火をつけており。

 

ひたぶるに昔くやしも、わがまかずして、

垂乳根(たらちね)の母となりけむ、昔くやしも。

 

たそがるる土手の下(した)べをか行きかく行き、

寂しさにわが摘みむしる曼珠沙華(まんじゆしやげ)はや。

 

曇り夜のたどきも知らず歩みてや來(こ)し。

火ともれる自動電話に人こもる見ゆ。

 

寢も足らぬ朝日に見つついく日(ひ)經にけむ。

風きほふ狹庭(さには)のもみぢKみけらずや。

 

小夜(さよ)ふくる炬燵の上に顋(あご)をのせつつ、

つくづくと大書棚(おほしよだな)見るわれを思へよ。

 

今日(けふ)もまたこころ落ちゐず黄昏(たそが)るるらむ。

向うなる大き冬樹(ふゆき)は梢(うら)ゆらぎをり。

 

門(かど)のべの笹吹きすぐる夕風の音(おと)、

み雪ふる越路(こしぢ)のひともあはれとは聞け。