句集 鬼火 藪野唯至 

                    LE FEU FOLLET    

 句集 鬼火

              心朽窩主人藪野唯至(copyright 一九七五―二〇一二 Yabtyan)


   一九七五年   十八歳

   尾崎放哉墓參 八月
 枯れ草似合つた墓一つある
     *同年「層雲」誌友欄掲載句



 島離れる船の汽笛にゐる
     *同年「層雲」誌友欄掲載句



   一九八七年   三十歳

   肝炎病中吟(十一句 七月)
 戀猫の曼陀羅に似る瞳あり



 戀猫の不思議に動く背に觸れてゐる



 戀猫の觸手の如く尻尾有り



 加蝕せる曼陀羅を見よ戀猫の眼



 戀猫や濡れたる齒牙の白さかな



 なまめいて觸手纖毛戀猫の尾



 戀猫の蠢く銀波背に觸れてをり



 戀猫もしかとをしたり竹の宿



 握りをる戀猫の尾のぬくみかな


 我が病西獨にゐて聞く少年のあり


 永遠に凍つ心を埋めてタイガ行く



   一九八九年   三十二歳

 氷雨截つ遠き野犬の眼かな



   一九九七年   四十歳

 蟻群れて蟬少年の夏終はる
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 5 俳句・深層のコスモロジー」林桂選特選句


 蟻群れて蟬水銀の海に浮く


 蟻群れて蟬ソラリゼーションの夏
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 5 俳句・深層のコスモロジー」岸本尚毅選佳作句


 死蟬に手向くる視線水銀柱


 蟻たかる蟬にさし入る少年の視線水銀柱の如

   *

 別れ言ふ秋の少女の眼の蒼き

   *

 菜の花や花序を覺えしこともあり

   *

   剽竊
   〈靑空に指で字をかく秋の暮    小林一茶〉
 秋天に書きこぼしたる字を探す

    *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 6 パロディーの世紀」加古宗也選佳作句


   〈秋の暮大魚の骨を海が引く    西東三鬼〉
 曳き殘す水母の骨に夏暮るる


   〈夢靑し蝶肋間にひそみゐき    喜多靑子〉
 夢白し蝶肋間に蛹化せり
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 6 パロディーの世紀」齋藤愼爾選特選句


   〈太陽に襁褓かかげて我が家とす  篠原鳳作〉
 太陽に襁褓翩飜建國記
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 6 パロディーの世紀」齋藤愼爾選佳作句


   〈人間をやめるとすれば冬の鵙   加藤楸邨〉
 人間をやめるとすれば冬の蠅
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 6 パロディーの世紀」齋藤愼爾選/林桂選佳作句

   *

 白布に血を拭ふ時マチェック忌
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 7 時代と新表現」松本恭子選佳作句


 百日紅瞠むる我のテラトロジ


 デジャヴあり炎天に笑む吐露番兒トルファンじ

 駱駝嘗める熱砂スティグマ月牙泉
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 7 時代と新表現」阿部完市選佳作句


 鰯雲ノスタルギアなき我が祖國
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 7 時代と新表現」上田日差子選佳作句

   *

   アウシュヴィッツ連禱
 アウシュヴィッツ錆びし鐵路の陽炎はず


 アウシュヴィッツ蚯蚓食みたる骨の土
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 8 旅のトポロジー」阿部完市選選外佳作句

 ひこばえのアウシュヴッツに土白き


 春ならずアウシュヴィッツに土を嗅ぐ
     *雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 8 旅のトポロジー」上田日差子選佳作句


 口閉ぢよアウシュヴィッツへ陽墜つ春



   一九九八年   四十一歳

 冬枯れの木立の果ての空を見る


 冬枯れの木立の如く狂ひたし



   一九九九年   四十二歳

   博物學Ⅰ

 春潮に肝吐き盡くす海鼠哉


 橙色に透ける筋膜保夜の夢


 温かきその蕾しも薔薇の夜



   二〇〇〇年   四十三歳

   解剖學Ⅰ
    フィレンツェ大學附屬ラ・スペコラ博物館解剖学蠟人形管見(二句)
 祕やかに淫すムラージュ陽に溶けし


 剖り分けし頭蓋貫く夏陽かな

   *

 女醫の指の撫でゆく我の胃のフィルム

   *

 羊頭の舌出して賣らるメジナかな



   二〇〇一年   四十四歳

 春寒し口に少女の香を含む


   或る少女の詩に寄せて
    黑い海の彼方には何が見えるのか
    あなたの瞳、あなたの孤獨、あなたの罪
    激しい白波は何を運んでくるのか
    わたしの幸福、わたしの笑顏、わたしの孤獨
    黑い海の彼方にむかって
    少女は歩み續ける
 海渉る女見てゐる老人の少年の眼


 奇岩奇石吾が心象を投射せり



   二〇〇三年   四十六歳

   沖繩 一月 (三句)
 枝珊瑚ちゅらの海邊に収骨す


 ガマ出でて仰ぐ靑天米軍機


 血と膿とガマの鉛の闇を聞け



   二〇〇五年   四十八歳

   橈骨遠位端骨折(七月)
 右腕を碎きて放つ鬼火かな


   Z旗ハ日露戰爭日本海海戰時「皇國ノ興廢コノ一戰ニアリ各員一層奮勵努力セヨ」ノ意トシテ最モ有名ナリ
   我右腕骨折術式人差指第一關節及ビ橈骨ヘノヰリザノフ創外固定器ト橈骨骨頭ヘノ斜形ピンニングナリ
   掌カラレントゲン寫眞ヲ見ントスレバ其ハ「Z」の寫像ヲ爲スナリ
 レントゲン腕ニZ旗翩飜ス


 我心座滅粉碎炭素棒


 海臭き金屬の腕一つ持つ


 右腕に金串刺して鬼となれり


 死臭とは斯くあるか病む腕を嗅ぐ


 靑臭き腕や半死の蟬時雨


 靑天に金屬の腕突き上ぐる


   「アイガー」ハ騎士、「ユングフラウ」ハ處女、其ガ間合ノピーク、「モンヒ」ハ僧ノ意ナリト聞キテ(八月)
 氷連や處女と騎士とを僧が裂く
     (注:「氷連」ハ「氷戀」ニ、「僧が裂く」ハ「氷河裂く」ニ掛クルモ、如何ニモ御粗末ナリカシ。)


 騎士嶽アイガーに避雷の馬手を突き刺せり


   再手術チタンプレートヲ五本ノボルトニテ打込永遠ニハズサザルトナム
 陽に病みてチタンの板を廂とす


 チタン板かざして死出の旅仕度


   既ニシテ完治セザルト決シ右手指共ノ拘縮モ甚シ
 失へり桃握りたる手の記憶


   教ヘ子ノ大陸ヘ行クヲ送ル
 友遠く我腕鬼を抱きにけり


 腕はさてもの折れもせで秋閑か

   *

   性懲りも無き再剽竊

 靑空に指で「死」を書く秋の暮

   *

   永野広務に――草の根の運動の途次マラリアに倒れし友、彼の名を冠したる木のインドに植ゑられしを聞きて
 木もれ日や見上ぐる子らの齒全き白
   (注:同長歌へ



   二〇〇六年   四十九歳


 木蓮を我が送り火とせし夜かな

   *

   洞爺湖 三月二句
 蝦夷富士を湖底に吊るす洞爺かな


 圓空の後ろかげ見ゆ洞爺の

   *

   異常心理學Ⅰ
 手鏡に守宮張りつく化粧哉


 木漏れ日や井守の赤き腹を割く


 分骨や美しき伯母の肋含む


 涼しさや人豚のあるアトリウム


 口挾む櫛美しき飛頭盤


 にぢりよる櫻少年きのこ雲


 宵暑き病んだ夜鷹の饐えし股

   *

   紀州那智――補陀落舟の前にて 八月
 媼一人空乳母車牽く補陀落寺



   二〇〇七年   五十歳

   井上英作に――靜岡空港建設反對を訴へ二月六日未明靜岡縣廰前に燒身自決せる
   畏兄の葬儀の日金時山山巓にて(三句)
 捨身しゃしんして濁世を怒る業火かな


 火我捨身ひがしゃしん靜岡空港エア・ターミナル呪詛永し


 春の山君を二度燒く火を送る

   *

   人間五十年下天のうちを比ぶれば――二月十五日 滿五十歳の日に
 冬日冴えゆめまぼろしの後は何



   二〇〇八年   五十一歳

  戯句
 直立す猿蓑着けて後影

   *

 捨猫や紫陽花腐たす聲の夜

   *

 蜩や聽かざるに我が夏の在る



   二〇〇九年   五十二歳

  アルツハイマーの義母を名古屋櫻山名市大附屬病院に見舞ひて
 くちづけをして櫻のやまをくだりけり

   *

  櫻滿開狂歌一首
 わが口に櫻の小枝さえださし入れて先の世にさへ花見をぞせむ



   二〇一〇年   五十三歳

  ノイズ・キャンセリング 夏
 蟬時雨耳鳴りのも森の内


  ノイズ・キャンセリング 秋
 蟲すだく耳の内なる蝸牛管かたつむり


 炎帝や地煞ちさつと堕して曼珠沙華



   二〇一一年   五十四歳

  我が俳諧の唯一の女弟子へ
 蜘蛛の糸も凍ごるるはちすの夜寒かな


  母聖子テレジア連禱
――三月十九日筋萎縮性側索硬化症により逝去

 不在非在 忸怩鬱勃 再臨界
    巡禮路加ルカの鈴の音ぞする

 たらちねの母の乳首を喰ひ破り
    無縁佛となりにけり

 たらちねの母の自死せる花下はなもと
    裸體少年蟬時雨

 たらちねのははそはのはのそよそよと
    かひなきねなくもだしをるのみ

 垂乳根の母父子なる無慘ごふ

 垂乳根の母と驅けたるあの路邊みちのべ
    我が葬送の鐘の音ぞする

 タラチネル ベル カテドラル アポカリプス

 垂乳根の母が吊りたる靑首の
    血を啜りつつ我は生き繼ぎ

 垂ら血ねやたれも解らぬ母のしやう

  
ほたるぶくろ
 ほたるぶくろといへばこそ
   ほたるとらんと裂きたれど
  ほたるあらねば恨みぬる
     火垂る時こそ思ひぬれ
    かの少年の日の思ひ出の
      頰垂る涙のいや絶えざらん

  
感懷
 薔薇の散りしく道の邊を
 母微笑みて去り行けり
 薔薇の散りたる道の端に
 童子はひとり竦みて立てる
    ばらのちりしくみちのへを
    ははほほゑみてさりゆけり
    ばらのちりたるみちのはに
    どうじはひとりすくみてたてる

  
母の新盆に
 迎へ火や茄子の肌への汗の跡

  
送り火
 火烟りを煽ぐは母の手のかたち

 花幻はなまぼろし秋櫻コスモス混沌カオス母逝けり

 少年の去りゆけり夏骨の街

 砂濱に裸身の母の立つ夢を見る