無門関 全 淵藪野狐禅師訳注版
(訓読訳注 copyright
2009 Yabtyan)
[淵藪野狐禪師注:「無門關」は宋代の僧無門慧開(1183~1260)が編んだ公案集であるが、その商量(公案の分析と考察)がぶっ飛んでいることで有名である。それを私、淵藪(えんそう)野狐(やこ)が野狐禪訳しようというのだから、触れるな危険、危険がアブナイというもんだ。特に無門慧開の商量部分の訳の殆んどは、絶対零度、素手で触れるとビタっとくっつき、肌ごとベロリと剥けるので、必ずや事前に柔(やわ)な優しい魂には是非とも防寒具を用意されたい。
本訳は2009年3月24日より私のブログで逐次行ってきたが、その一括掲載版である(本頁公開に際して、訳注にあってはブラッシュ・アップした部分がある。これが淵藪野狐禪師訳になる最新の決定版である)。
なお、原文は1994年岩波文庫に西村恵信訳注「無門関」の正字表記のものを用いた。但し、底本では商量(「無門曰、……」)及び「頌」(じゅ)が有意に字下げを行っているが、ブラウザの不具合を考え、独断で本則・商量・頌の頭の一字下げも排除して、原則、綺麗に左で揃えた。ちなみに底本の親本は、応永12(1405)年の刊本を祖本とする宝暦2(1752)年重彫になる流布本である。
訓読には正字体・歴史的仮名遣を用いた。難読語と判断したものには歴史的仮名遣で読みを示した(原文の底本の西村版の訓読及びルビは新字体・現代仮名遣)。また、一部の熟語の訓読みが分かりにくい場合に限って、漢字間に「-」の熟語であることを示すハイフンを附した。但し、必ずしも一般的な禅家で通用している癖読みや訓読法(例えば原文の底本の西村氏の訓読)に束縛されず(伝統的な読みを軽んずるが故にも野狐禅訳である)、無知ながら、私、淵藪野狐の乏しい漢文の知見の範囲内で(それは高校生にとって達意と思われる程度のものであろうとはした)訓読を行ってある。それは「漢文」なるものが中国語を無理矢理読んでいるとんでもないもの(私は常に漢文の『句法』なるものに一種の嫌悪さえ感じ続けている)であり、従って自律的に訓読すること(その実、手前勝手に訓読することも当然含まれるからして野狐禅訳である)自身が禅的なる、基、野狐禅的なる読み方であると私は都合よく信じているからである。個人的には、本邦に於ける仏教用語の一部に、当該漢字の中国音でさえないような、符牒めいた仲間内の読みをするものがあるのには、逆に俗臭芬々たる異口泥臭味さえ感じるのである(勿論、そうしたものの一部は私の訓の中でも用いてはいるけれども)。
細かな注は、私、淵藪野狐の能力を遙かに超えるので、なるべく訳の中で意味が通るように努めたが、どうしても必要と判断した語句(高校生にとって難解と思われる程度の語句や、マニアックな訳語)や、該当則や訳に対してのある種の思い入れがあった場合には、当該語句の直後に(:)を附して短い語注を示したり、[淵藪野狐禪師注:]として末尾に注した。学術的な語句の意味については、当該の詳細な西村氏の注等を読まれることをお薦めする。
勿論、私、淵藪野狐の訳には、西村氏の訳や注も一部参考にさせて戴いてはいるが(検索をかけると、ネット上には「無門関」の和訳英訳などが数多く散見されるが、無門が後記で『不從佗覓』と言うのを守って、それらは敢えて全く参考にしなかったこと――実際に西村訳以外は殆んど全くと言ってよいほど読んでいないこと――を誓っておく)、あくまでオリジナルである。お手軽に誰かの訳をいじったマガイものではない。相似形があったとしてもそれは偶然である(翻案を含む私のアブナさでは相似形さえ出来にくい)。従って、私はこの猥褻なる本翻訳に著作権を主張するものである。繰り返すが、この淵藪野狐の訳は、自在勝手場外乱闘何でもありのオリジナル野狐禪訳である――これは確かに私(わたくし)の、超々アブナイとんでもナイ、穢ないお下劣噴飯モノ、唾棄破棄慙愧陰摩羅鬼(おんもらき)、真面目なあなたに確実に、腹を立たせてみしゃんしょう! 糞も硬くなる程に、真面目にこいつを読みたけりゃ、ここから先にゃ、オフ・リミット!――てな感じだ。西村恵信氏他、ネット上には専門家や好事家の「無門関」の正統的学術的創造的名訳群がある。『真面目に本書を学ばんとする方』は、ここまでにして、請う、そちらで学ばれんことを。
なお、前後に、私、淵藪野狐の不潔汚穢秩序壊乱の「序」と天罰覿面賭博露見の「跋」を附してある。
* * *
最後に。この電子テクストを以下のお二人に捧げたい。
一人めである。
私の訳、特に商量のそれを「抱腹絶倒!」と好意的に面白がって戴き、終始、エールを送ってくださることを惜しまなかったマイミクの karakara_ko
姐(あねえ)に本作を捧げる。
「最後の難関四篇の独立峰に何とか登頂出来たのは、ひとえに姐(ねえ)さんの励ましのお蔭です。ありがとう、からからこ姐(あねえ)!」
二人めである。
晩年の岡潔先生の講義を受けられ、多変数関数論や岡先生の禅問答のような興味深いお話を三年間、沢山楽しく聞かせて下さった、尊敬する先輩数学教師 T. Sugiyama 先生に本作を捧げる。退職直前であられた今年の三月末、不遜にも、最初に訳した本篇の「達磨安心」を印刷して無理矢理差し上げてしまった。
「先生がお教え下さった慧可になぞらえるわけではありませんが、右腕の致命的骨折後、どこか投げやりだったこの私の三年間に、少しでも慰藉が感じられた瞬間があったとすれば、それ偏えに先生のお蔭であります。数学は須らく哲学であり禅であるべきです――その難解な面白さが人を生かすのであろう、ということを教えて戴きました。ありがたく存知ます、杉山先生! 最後に――あなたに数学を教わっていたら――確実に僕は理系に進み、今頃は水族館でホヤを飼育していたと確信するのです――」
* * *
二〇〇九年五月五日端午吉日荽擥山疆生光背寺飯臺看淵藪野狐禪師書于鎌倉心朽窩]
無門關 無門慧開
無門關 全 危險即危險譯註淵藪野狐禪師
釋淵藪野狐禪師瀉痢便序
淵藪野狐禪師云、入無門、作麼生、外耶裏耶。
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
「無門關」 全 危險即ち危-險(あぶなし)譯註 淵藪野狐禪師
釋 淵藪(えんそう)野狐(やこ)禪師 瀉痢便序(しやりべんじよ)
淵藪の野狐禪師云く、
「無門に入る、作麼生(そもさん)、外か裏(うち)か。」
と。
*
淵藪野狐禪師訳:
「無門關」 全 淵藪野狐禪師による危険がアブナイ訳注
訳注者淵藪野狐禪師の下痢便序(=下痢便所)
淵藪の野狐禪師、日々の事ながら飲み過ぎで腹が下り、尻(けつ)の穴を押さえながら便所に走り込むと、中から呻(うな)るように、叫ぶ。
「門の無い門に入(い)るうッ!――その入った先は、外か……ウッ……中(うち)かあッ?……」
――ビイーッ!……
* * *
無門關
(習庵序)
説道無門、盡大地人得入。説道有門、無阿師分。第一強添幾箇注脚、大似笠上頂笠。硬要習翁贊揚。又是乾竹絞汁。著得這些哮本。不消習翁一擲一擲。莫教一滴落江湖。千里烏騅追不得。
紹定改元七月晦、習庵陳塤寫
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
(習庵が序)
道は無門と説けば、盡(じん)大地の人、得入せん。道は有門と説けば、阿師(あし)の分(ぶん)、無けん。第一、強いて幾箇の注脚を添ふるは、大いに笠上(りふじやう)に笠を頂くに似たり。硬く習翁が贊揚せんことを要す。又、是れ、乾竹に汁を絞るなり。這些(しやさ)の哮本(かうほん)を著得(ぢやくとく)す。習翁が一擲、一擲するを消(も)ちひず。一滴をして江湖に落さしむること莫かれ。千里の烏騅(うすゐ)も追ふを得ず。
紹定(ぜうてい)改元七月晦(みそか) 習庵陳塤(ちんけん)寫す
*
淵藪野狐禪師訳:
習庵陳塤(ちんけん)による序文
仏門に入る門は『ない』という謂いをすれば、このあらゆる大地の在りと在る全ての人々は、既にその門に残らず入っている、ということになる。逆に、入るべき門は『ある』という謂いをすれば、門に入(い)っているはずの僧も、悉く門を入(い)っていないということになり、尊(たっと)い禅師も形無しだ。何より、無門慧開という生臭坊主如きが、得体の知れない公案に、無理をして幾つもの注釈・商量を附けるということからしてが、被った笠の上に笠を被るようなものじゃ。それに加えて、笠の上の笠の笠、この有名無能の習庵陳塤糞進士に、讃仰した序文を書けとやかましくもほざきおる。その事自体が、無理の無理、すっかり乾いたかりかりの竹を絞って、汁を出そうとするようなもんじゃ。さても、こげなそれなりの冊子の本が出来上がって手にしてみた――いや、この俺だって投げ捨てる――いやいや、投げ捨てるほどの価値もねえ――いやいやいやいや、何より、穢れ汚れたこの一滴の序文さえ、この澄み渡った美しい世間の水面に落としてはならぬ!……もしもこれが公になれば、この世の道理は悉く壊滅へと向かうのである――その瞬時刹那の崩壊には、一瀉千里の項羽の愛した、あの駿馬の誉れ高い烏騅でさえ、追いつくことはできまいよ――。
紹定改元の年(:西暦1228年。)七月三十日 習庵陳塤 寫す
[淵藪野狐禪師注:西村注によると、この「陳塤」なる人物は、号は習庵、『陳は姓、塤は名、字は和仲。宋の寧宗年間(一二〇八―一二二四)の進士。累官して太常博士・枢密院編集官・国司司業に至る。』とある。「国司司業」は現在の国立大学教授に相当する。寧宗は次の「表文」で讃えられる南宋の今上皇帝の先代第4代皇帝である。但し、次の理宗、本名・趙昀(ちょういん)は、北宋の太祖趙匡胤(きょういん)の長子趙徳昭8代の孫の子であって、寧宗の子ではない。]
* * *
(表文)
紹定二年正月初五日、恭遇天基聖節。臣僧慧開、預於元年十二月初五日、印行拈提佛祖機縁四十八則、祝延今上皇帝聖躬萬歳萬歳萬萬歳。皇帝陛下、恭願、聖明齊日月、叡算等乾坤、八方歌有道之君、四海樂無爲之化。
慈懿皇后功德報因佑慈禪寺前住持 傳法臣僧 慧開 謹言
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
(表文(ひやうもん))
紹定(ぜうてい)二年正月初(しよ)五日、恭しく天基聖節に遇ふ。臣僧、慧開、預(あらかじ)め元年十二月初五日に於いて、佛祖機縁四十八則を印行・拈提し、今上皇帝聖躬(せいきゆう)の萬歳萬歳萬萬歳を祝延す。皇帝陛下、恭しく願はくは、聖明(せいめい)、日月(じつげつ)に齊(ひと)しく、叡算(えいさん)、乾坤に等しく、八方、有道(いうだう)の君を歌ひ、四海、無爲の化(け)を樂しまんことを。
慈懿(じい)皇后 功德報因 佑慈(いうず)禪寺前住持 傳法臣僧慧開 謹んで言(まう)す
*
淵藪野狐禪師訳:
表文
紹定(じょうてい)二年(:西暦1229年。)一月五日、恐れ多くも本日、皇帝陛下の神聖なる御誕生の日をお迎え致しましたことを慶賀申し上げ奉りまする。臣たる僧、私め、慧開、このよき日に合わせ、予(あらかじ)め、昨年十二月の同じ五日、仏祖師弟の機縁に関わる縁起の話譚を四十八則、愚案を呈して整え、印刷・刊行に及び、以って今上皇帝陛下の御聖体の御安寧をお祈り申し上げ、その御命が万年、十万年、百万年の先までお続きになりますよう、御言祝ぎ申し上げ奉りまする。皇帝陛下におかれましては、どうかその汲めども尽きぬ神聖なる知性が、日月(じつげつ)の如く、永遠に明晰であられんことを。また、その御寿命が、悠久の天地の如く、永遠に持続されんことを。そうして、全ての衆生が、正しき仏法の道に在られる皇帝陛下を讃えて歌い、この世界中が、皇帝陛下の教化(きょうげ)によって自然のうちに至福に至らんことを、心より祈念申し上げ奉りまする。
慈懿皇后の功德と報恩のために建立されし佑慈(ゆうず)禪寺の前(さき)の住持たる 伝法の臣僧 無門慧開 謹んで申し上げ奉る
[淵藪野狐禪師注:「表文」とは君王及び役所へ奉る文書を言う。本篇の編著者である南宋の禅僧無門慧開(1183~1260)は、臨済宗柳岐(ようぎ)派に属し、最終的には杭州にあった護国仁王寺の住職となった(淳祐6(1246)年)。当時の今上皇帝は理宗(在位1224~1264)で、慧開は彼から仏眼禅師の号を賜っている。最後にある「慈懿皇后」は理宗の生母のこと。西村注によると、この寺の名「佑慈寺」というのは理宗が母親の追善供養のために建てた因縁を名としたもの、とある。]
* * *
禪宗無門關
佛語心爲宗、無門爲法門。既是無門、且作麼生透。豈不見道、從門入者不是家珍、從縁得者始終成壞。恁麼説話、大似無風起浪好肉抉瘡。何況滯言句覓解會。 掉棒打月、隔靴爬痒、有甚交渉。慧開、紹定戊子夏、首衆于東嘉龍翔。因納子請益、遂將古人公案作敲門瓦子、隨機引導學者。竟爾抄録、不覺成集。初不以前後敍列、共成四十八則。通曰無門關。若是箇漢、不顧危亡單刀直入。八臂那※、擱他不住。縦使西天四七、東土二三、只得望風乞命。設或躊躇、也似隔窓看馬騎、貶得眼來、早已蹉過。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]
頌曰
大道無門
千差有路
透得此關
乾坤獨歩
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
禪宗 無門關
佛語心(ぶつごしん)、宗と爲し、無門、法門と爲す。
既に是れ、無門ならば、且らく作麼生(そもさん)か透(とほ)らん。
豈に道(い)はれざらんや、『門より入る者は、是れ家珍ならず、縁より得る者は、始終成壞(じやうゑ)す。』と。
恁麼(いんも)の説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡(きず)を抉るに似たり。何ぞ況んや、言句(ごんく)に滯りて解會(げゑ)を覓(もと)むるをや。 棒を掉(ふる)ひて月を打ち、靴を隔てて痒(やう)を爬(か)く、甚(なん)の交渉か有らん。
慧開、紹定(ぜうてい)戊子(つちのえね)の夏(げ)、東嘉(とうか)の龍翔(りゆうしやう)に首衆たり。納子(のつす)の請益に因みて、遂に古人の公案を將(も)つて、門を敲く瓦子(がす)と作(な)し、機に隨ひて、學者を引導す。爾(ここ)に抄録を竟(を)はるに、覺へず、集を成す。初めより前後を以って敍列せず、共(あは)せて四十八則と成る。通じて「無門關」と曰ふ。
若し是れ、箇(こ)の漢ならば、危亡を顧みず、單刀直入せん。八臂(はつぴん)の那※(なた)、他(かれ)を攔(さへ)ぎれども、住(とど)まらず。縦-使(たと)ひ、西天の四七、東土の二三も、只だ風を望みて命を乞ふを得るのみ。設(も)し或ひは躊躇せば、也(ま)た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼(まなこ)を貶得(さつとく)し來らば、早くも已に蹉過(さか)せん。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]
頌(じゆ)して曰く、
大道 無門
千差(せんさ) 路有り
此の關を透得(とうとく)せば
乾坤に獨歩せん
*
淵藪野狐禪師訳:
禅宗「無門関」――禅僧無門慧開自序
仏の説くその心、それのみを肝要とし、入る門はない、ということを禅宗は法門とする。
ではまさに、既に入る門がないことを法門とするならば、どのようにしてその門を通過すればよいか?
ある法語にも『門から入って来るような者は、家の宝となるような人では毛頭なく、ろくな奴じゃあない。ある機縁から生じた現象には、必ず始めと終わりが在り、容易に創成完成したり、反対にあっけなく消滅崩壊したりもするものだ。』と言うじゃないか。
ここに記した以下の説話にしてからが、全く風がないのにあたら物騒ぎな波を立てたり、美しい肌(はだえ)を抉って醜く消えない瘡(きず)をつけるような厄介なものなんである。ましてや、その言葉尻に乗っかって、何かを会得したいなんぞと期待するのはもってのほかじゃ! 棒を振り回して月を打ち落とそうとしてみたり、靴の上から痒いところを掻いてみたところで、何で真理(まこと)と交渉を持つことが出来ようか、いや、出来ぬ。
拙者無門慧開は、紹定(じょうてい)戊子(つちのえね)の夏安居(げあんご)を温州(:現・浙江省。)永嘉郡にある名刹江心山龍翔寺(りゅうしょうじ)で過したが、拙僧はまた、そこでの修行者達の束ね役でもあった。修行僧達は、一度教えを請うた後も、不分明な点について再び教えを請うてくることが多く、そこで思い余って古人の公案を示して、無門を敲く瓦(かわらけ)となし、それぞれの学生の禅機の段階に応じた教導をした。その際の公案と教導の幾つかを抄録し終えたところが、思いがけないことに、相応の分量とは成った。当初より、順序を考えて書き記した訳ではないが、都合、四十八則と成った。これを称して「無門關」と言う。
もしも本気で禅と組み合おうと覚悟した好漢であったなら、必ずや不惜身命、単刀直入にこの無門に飛び込むはずである。その時は、喧嘩っ早くて怪力の、八本腕の那※(なた)太子と雖も、ザッと進み入らんとする彼を遮ろうとしても、押し留めることは出来ない。たとえ釈尊から達磨大師に至る西来二十八人の伝灯祖師と雖も、本邦の達磨大師から六祖慧能に至る六人の禅の祖師と雖も、その彼の暴風のようなまっしぐらの覚悟にかかっては、ただひたすら命乞いをするばかり。しかし! もし、万が一、この無門に入ることを少しでも躊躇したならば、それはまた、窓越しに白楽が跨った駿馬が過ぎ去るのを見ようとするのと同じで、おろかに瞬いたその瞬間にも、早くも真理(まこと)はお前の前を擦れ違って遠く去ってしまっているであろう。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]
次いで囃して言う。
大きな道には 門はない
無数の道がぴったり並び どこもかしこも道だらけ
ここに在る 無門の関所を抜けられりゃ
乾坤一擲 天上天下 唯我独尊 独立独歩
[淵藪野狐禪師注:
・「門を敲く瓦子」は、敲いて門を入れば不要となる「かわらけ」に過ぎないという意を込める。
・「商量」以下、訳で用いたこれは、いろいろ考えて推し量ることを言う。
・「頌」(じゅ)やはり以下、原文で繰り返されるこれは、仏教用語で、古代サンスクリット語(梵語)の“gāthā”の漢訳語。偈(げ)と同じで、仏法の徳やその教理を賛美する詩のことを指す。
・「那※(なた)」[「※」=「口」+(「托」-「扌」)]は道教の神仙の一人。“nalakuubara”ナラクーバラで、本来はインドの神話の神。後に仏教の主護神として中国に伝えられ、更に道教に取り入れられて那※三太子等とも呼ばれる。中国に於ける毘沙門天信仰が高まると、毘沙門天は唐代初期の武将李靖と同一視され、道教でも托塔李天王の名で崇められる様になった。それに伴い、その第三太子という設定で那※太子も道教に取り入れられた。現在は「西遊記」「封神演義」などの登場人物として人口に膾炙する。分りやすい「西遊記」の出自では托塔天王の第三太子(「封神演義」では陳塘関の、後に托塔天王となる李靖将軍の第三太子)。生後三日で海中の水晶宮で蛟龍の背筋を抜く凄まじい臂力の持ち主であったが、その非道ゆえに父が彼に殺意を抱いたため、自ら身体を切り刻み、その肉を父に、骨を母に返したとする。後、その魂はその行為に感じた仏性により再生し、父とも釈迦如来の慈悲により和解したという設定で、例の天界で大暴れする孫悟空の討伐に出陣するが敗れる。後半の三蔵法師取経の旅にあっては、悟空の仲間・取経の守護神に一変、何度か見舞われる危機を救う好漢として登場する。]
* * *
無門關
參學比丘 彌衍 宗紹編
一 趙州狗子
趙州和尚、因僧問、狗子還有佛性也無。州云、無。
無門曰、參禪須透祖師關、妙悟要窮心路絶。祖關不透心路不絶、盡是依草附木精靈。且道、如何是祖師關。只者一箇無字、乃宗門一關也。遂目之曰禪宗無門關。透得過者、非但親見趙州、便可與歴代祖師把手共行、眉毛厮結同一眼見、同一耳聞。豈不慶快。莫有要透關底麼。將三百六十骨節、八萬四千毫竅、通身起箇疑團參箇無字。晝夜提撕、莫作虚無會、莫作有無會。如呑了箇熱鐵丸相似、吐又吐不出。蕩盡從 前惡知惡覚、久久純熟自然内外打成—片、如啞子得夢、只許自知。驀然打發、驚天動地。如奪得關將軍大刀入手、逢佛殺佛、逢祖殺祖、於生死岸頭得大自在、向六道四生中遊戲三昧。且作麼生提撕。盡平生氣力擧箇無字、若不間斷、好似法燭一點便著。
頌曰
狗子佛性
全提正令
纔渉有無
喪身失命
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
無門關
參學の比丘 彌衍(みえん) 宗紹 編
一 趙州の狗子(くす)
趙州和尚、因(ちな)みに僧、問ふ。
「狗子に、還りて、佛性有りや無しや。」
と。
州云く、
「無。」
と。
無門曰く、
「參禪は須らく祖師の關を透るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖關透らず、心路絶せずんば、盡く是れ、依草附木(えさうふぼく)の精靈(せいれい)ならん。且らく道(い)はん、如何が是れ、祖師の關。只だ者(こ)の一箇の『無』の字、乃ち宗門の一關なり。遂に之を目(なづ)けて『禪宗無門關』と曰ふ。透得過(たうとくか)する者は、但だ親しく趙州に見(まみ)ゆるのみならず、便ち歴代の祖師と手を把(と)りて共に行き、眉毛(びまう)厮(たが)ひに結びて、同一眼に見、同一耳(に)に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。透關を要する底(てい)有ること莫しや。三百六十の骨節、八萬四千の毫竅(がうけう)を將(も)つて、通身に箇の疑團(ぎだん)を起こして、箇の無の字に參ぜよ。晝夜に提撕(ていぜい)して、虚無(きよむ)の會(ゑ)を作(な)すこと莫かれ。有無の會を作すこと莫なれ。箇の熱鐵丸を呑了するがごとくに相似て、吐けども又た吐き出ださず、從前の惡知惡覺を蕩盡して、久久に純熟して、自然(じねん)に内外打成(ないげだじやう)して一片ならば、啞子(あし)の夢を得るがごとく、只だ自知することを許す。驀然(まくねん)として打發(だはつ)せば、天を驚かし、地を動ぜん。關將軍の大刀を奪ひ得て手に入るるがごとく、佛(ぶつ)に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、生死岸頭(しやうじがんたう)に於いて大自在を得、六道四生(ろくだうししやう)の中に向かひて遊戲三昧(ゆげさんまい)ならん。且らく作麼生(そもさん)か提撕せん。平生(へいぜい)の氣力を盡くして、箇の『無』の字を擧(こ)せよ。若し間斷(けんだん)せずんば、好(はなは)だ法燭(はふしよく)の一點すれば、便ち著(つ)くるに似る。」
と。
頌(じゆ)して曰く、
狗子の佛性
全て正令(しやうれい)として提(あ)ぐ
纔(わづ)かに有無に渉れば
喪身失命せん
*
淵藪野狐禪師訳:
無門關
無門慧開禅師の下(もと)に参禅修行する僧 彌衍及び宗紹 編
一 趙州和尚の「犬ころ」
趙州和尚が、機縁の中で、ある僧に問われた。
「犬ころ如きに、仏性、有るや!? 無しや!?」
――実は、この僧、嘗てこの公案に対して趙州和尚が既に、「有(ある)」という答えを得ていることを、ある人の伝手(つて)でもって事前に知っていた。――だから、その「有(ある)」という答えを既に知っている点に於いて、その公案を提示した自分は、趙州和尚よりもこの瞬間の禅機に於いて明らかな優位に立っており、その和尚が、「有(ある)」という答えや、それに類した誤魔化しでも口にしようものなら、この超然と構えている和尚を、逆にねじ込んでやろうぐらいな気持ちでいたのである――ところが――
趙州和尚は、暫くして、おもむろに応えた――
「無。」
無門、商量して言う。
「参禅しようと思うなら、嫌でも昔の年寄りの、ゴタク並べた意地悪な、ブービー・トラップいっぱいの、関所を抜けて、行かなきゃならぬ。言葉で言えない妙(たえ)なる悟り、そいつに辿り着きたけりゃ、心の底の底の底、そこまでごっそりテッテ的、総てそっくり空(から)にしな! 老人ホームも行くの厭(いや)、心底絶滅収容所、そこもとっても入れない、なんてゼイタク言ってるうちは、おめえ、どこぞの草木に憑いた、松本零士のフェアリーと、ちっとも変わらぬ、ホリエモン、基い、タワケモン!
さて、それじゃ、ちょっくら一発オッ始(ぱじ)めるか、カタリ爺いの関門たあ、どんなもんかということを!
チョロイぜ! ただホレ、この『無』の字、コイツが儂らの宗門の、後生大事の一(いち)の関。そんでもってダ、終(しま)いにゃ、コイツを名づけて禪宗の、『無門の関(セキ)』と申しやす!
ここんとこ、T-1000みたいに、スゥーイっとね、スルーできたら、二百年、遙か昔の趙州ゾンビ――草履を頭に載せたまま、マイケルみたよなムーン・ウォーク、やっちゃう趙(ジョウ)に逢えちゃうし、校長室の歴代の、先生の眼が動き出し、貞子(さだこ)よろしく額縁の、外に出てきて、おめえと一緒、お手手つないで行(い)きませう、いやいや、手と手じゃ手ぬるいゼ、一緒に眉毛(まゆげ)も結んじゃエ! そしたらだって、一緒にサ、同(おんな)じ一つの眼で見てサ、同(おんな)じ耳で聴けるべサ! なんてったて、痛快じゃん!
こんなに楽しい関門だモン、どうして通らぬ法がある? さっきの心、だけじゃなく、全身三百六十の、骨・関節もバラしてサ、全身八万四千を、数える毛穴全開し、総身(そうみ)を一己の『疑いの、塊り』のみに成し上げて、一個の『無』の字に参禅せ! 昼夜(ちゅうや)の区別捨て去って、お前の真実(まこと)の魂(たましい)の、ファルスをニョキっと、おっ立てろ! 虚無だの有無だのセコイこと、一切合財、思慮するな! あのドラゴンだって言ってるゼ、『考えるな! 感じるんだ!』――
さてもさて、そいつを喩えてみるならば、真っ赤に燃える砲丸を、ゴクンと呑んだ、ようなもの、呑み下そうにも呑み下せず、吐き出そうにも吐き出せぬ――そうするうちに昔から、おめえがずっと持っていた、『知覚』ちゅう名の元凶が、口からずいっとおいどの穴、そこまで綺麗に焼き尽くされ、消毒完了、マムシ酒、時間をかければ、熟成し、自然(おのず)と、己(おのれ)と世界とが、渾然一体、あい成って、お前だ俺だの差も消えて、一つのものとなった日にゃ、それはあたかも喋れぬ人が、夢を見ているようなもの、その醸(かみな)した古酒(クース)もて、その雰囲気をしみじみと、知って確かに味わえる!
次いでさらに、いっさんに、そこんところを バラリ! ズン! 未練無用と斬り捨てて、天幕縦に切り裂けば、きっとそこには生れるゼ、バッキンバッキン! バッキバキ! 驚天動地の精力が! そん時きゃ猛将関羽さま、あの将軍の引っさげた、大刀奪って取ったるを、思うがままにブンブンと、振り回すのと同じこと! 仏に逢うたら仏を殺し、師匠に逢うたら師匠を殺せ! さすればおめえがさっきまで、とり憑かれていた生と死の、現に此岸(しがん)に立ちながら、すべてがOK! 大自在! 六道四生(ろくどうししょう)にありながら、桃源遊興、三昧境!
さてもおめえは、どうやって、この『無』の一字を弱腰に、どういう風に引っさげる!? 凡庸杜撰なその無能、無能ながらのその力、使い尽くしてこの『無』の字、がっぷり四つに組んでみよ! もしも不断にその努力、惜しまず巧まず続けたら、ちっちゃな灯(ともしび)、ちょと寄せて、豪華な法灯、ボボン! ボン!」
次いで囃して言う。
犬の仏性 『有る無し』が
校長仏陀の命令一過 不条理なのに必履修
うっかりそいつを『有る無し』の 話と思い込んだれば
懲戒停学原級留置 在籍したまま あの世行き
[淵藪野狐禪師注:超短篇の本篇の主人公、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778~897)は、恐らくその登場回数に於いて『無門關』中、群を抜いているものと思われる。これが初則となっていること、それは勿論、無門が師月林師観(げつりんしかん 1143~1217)に参じた際に、最初に与えられた公案が、この「趙州狗子」であったことを直接の理由としているのではあろう。岩波文庫版の西村恵信氏の解説によれば、慧開はこの公案に苦しみ、『六年経っても全く見当もつかない有り様であった。そこでいよい勇気を奮い起こし、居眠りをしているようでは我が根性は腐るばかりと、眠気を催すと廊下を歩き、露柱に頭を叩きつけた』とある、いわくつきの公案なのである。しかし、そういう慧開の思い入れを知らなくても、本『無門關』では彼は、以下、「七 趙州洗鉢」「十一 州勘庵主」「十四 南泉斬猫」「十九 平常是道」「三十一 趙州勘婆」「三十七 庭前栢樹」と、多出し、且つ殆んどの話にあって、彼は彼ならではの個性を以って、話の展開に極めて重要な役割を果たしているのである。無門慧開は間違いなく、この趙州従諗が好きだったのだと私は思うのである。因みに、私も好きである。
・「彌衍 宗紹」西村注によると、二人とも伝不詳。架空の人物で無門慧開の偽名とも言われる。
・「仏性」は、「仏心」「覚性(かくしょう)」とも言い、衆生(この世のすべての生きとし生けるもの)が生得のものとして持っている仏となることの出来る性質を言う。「大般涅槃経」には「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とはっきり説かれている。従って、禅宗も含まれる大乗仏教にあっては、この質問への教理的正答、『答え』は(『応え』ではない)、「有」である。
・「テッテ的」とは、「徹底的」とするより強い、というニュアンスで私は用いている(「三 倶胝竪指」の「頌」の訳でもそのように使用した)。ご存知でない方のために言っておくと、これはつげ義春が自身の見た夢を漫画にした「ねじ式」の中で、メメクラゲ(本当は××クラゲの誤植なのだが)に嚙まれた主人公が、架空の村の中で必死に医者を探すシーンのモノローグとして現れる。即ち、彼のその時ののっぴきならない気持ちを示すには「徹底的」という漢字ではなく、「この場合、テッテ的が正しい文法だ」という風に、極めて印象的に用いられているのである。私の中の辞書には「徹底的」と「テッテ的」、二種類の見出しで別個に載っているのである。
・「依草附木の精靈」について、西村注では本義を『人の死後、中有(ちゅうう)の状態で浮遊する霊魂が、次の生縁(しょうえん)を求めて草木に憑(よ)りつくことこと』しているので、厳密には訳のような西洋の妖精とは異なるものである。「中有」とは、中陰とも言い、人が死んで次の生を受けるまでの期間を言う。七日間を一期として、第七期までの四十九日。後に地獄の裁判の十王信仰がこれに対応した。
・「T-1000」は、「ターミネーター2」に登場する、未来世界からやってきた液体金属で出来たアンドロイドの名称。鉄格子をも難なく『透過』する。
・「草履を頭に載せたまま」は、「十四 南泉斬猫」を参照。
・「佛に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し」は、「臨済録」示衆に現れる、私の大好きな一節である。原文は以下の通り(「臨済録」は原典を持たないので、複数の中文サイトを確認して整文した)。
道流、爾欲得如法見解、但莫受人惑。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。
淵藪野狐禪師書き下し文:
道流、爾、如法の見解を得んと欲さば、但だ人の惑はしを受くること莫かれ。裏(うち)に向かひ外に向かひ、逢著せば便ち殺せ。佛に逢ふては佛を殺し、祖に逢ふては祖を殺し、羅漢に逢ふては羅漢を殺し、父母に逢ふては父母を殺し、親眷(しんけん)に逢ふては親眷を殺して、始めて解脱を得。物と拘らず、透脱して自在なり。
淵藪野狐禪師訳:
お前たち、真実(まこと)の『見方』というものを得ようと思うのなら、まずは何より人に惑わされてはならぬ。己(おのれ)の内に向っても己の外に向っても、逢うたものは、皆、殺せ。仏に逢うたら仏を殺し、祖師に逢うたら祖師を殺し、羅漢に逢うたら羅漢を殺し、父母に逢うたら父母を殺し、親族縁者に逢うたら親族縁者を殺して、始めて解脱することが出来る。その時、お前たちは、何ものにも束縛されることのない、完全なる透過、完全なる解脱、完全なる活殺自在の境地に在るのだ。
実を言うと、私はいつもこの中間部のところに、一句を付け加えたくなる衝動をいつも抑えきれない。即ち、「逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、逢己殺己」と。と言うより、私はついこの間まで、「逢己殺己」と入っているものと誤認して、生徒たちに話していた――己(おのれ)に逢うたら己を殺せ――須らく、衝動殺人を望む者や無差別殺人を企まんとする者は、何よりここから始めるがよい。
・「六道四生」の「六道」は煩悩を持った衆生が輪廻転生を繰り返すところの世界を言う。天上道(天道とも)・人間(じんかん)道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つ。前の三つを三善道(私は「修羅道」を善とするところにこの思想の巧妙な生き残り戦略を感ずる)、後の三つを三悪道と呼称する。間違えてはいけないのは、我々の居る人間道の上の天上道は極楽浄土とは違うことである。ここは言わば天人(てんにん)や仏教以前の伝来により取り込まれた下級神、仙人など居住する世界である。勿論、彼らは人間に比べれば遙かに優れた存在で、寿命が異常に長く、肉体的なものはもとより精神的な苦痛も殆んど感じない。空中を飛翔したり、数々の呪法を駆使することも出来るわけだが、煩悩から完全に解き放たれているわけではなく、やはり死を免れずに死を迎え、再び六道を輪廻するのである。因みに彼らが死を迎える際には独特の変化が現れるとする。それは衣裳垢膩(えふくこうあい:衣服が垢で油染みてくること)・身体臭穢(しんたいしゅうあい:体が薄汚れて悪臭を放つようになること)・脇下汗出(えきかかんりゅう:脇の下から汗が流れ出ること)・不楽本座(ふらくほんざ:自分の居所に凝っとしていられなくなること)・頭上華萎(ずしょうかい:頭上にかざしている花が萎むこと)の五つで、これを天人五衰と言う。即ち、六道はその総体が煩悩の世界なのであり、そこから解脱し、悟達して初めて、極楽浄土に往生出来るのである。「四生」の方は、この六道に於ける胎生・卵生・湿生・化生の四種の出生の仕方を言う。「湿生」とは湿った気から生ずると考えられた生物で、魚・蛇・両生類などを含む。「化生」は「その他の生まれ方」みたいないい加減なもので、その空間に忽然と生ずるものとする。目に見えない卵から発生するものや、生態の不明であった生物、天上界の神仙や地獄の亡者の類を十把一絡げにして都合よく説明するためのものである。]
* * *
二 百丈野狐
百丈和尚、凡參次、有一老人常隨衆聽法。衆人退、老人亦退。忽一日不退。師遂問、面前立者復是何人。老人云、諾。某甲非人也。於過去迦葉佛時曾住此山。因學人問、大修行底人還落因果也無。某甲對云、不落因果。五百生墮野狐身。今請、和尚代一轉語貴脱野狐。遂問、大修行底人、還落因果也無。師云、不昧因果。老人於言下大悟。作禮云、某甲、已脱野狐身住在山後。敢告和尚。乞、依亡僧事例。師、令維那白槌告衆、食後送亡僧。大衆言議、一衆皆安、涅槃堂又無人病。何故如是。食後只見師領衆至山後嵒下、以杖挑出一死野狐、乃依火葬。師、至晩上堂、擧前因縁。黄蘗便問、古人錯祗對一轉語、墮五百生野狐身、轉轉不錯合作箇甚麼。師云、近前來與伊道。黄蘗遂近前、與師一掌。師拍手笑云、將謂、胡鬚赤。 更有赤鬚胡。
無門曰、不落因果、爲甚墮野狐。不昧因果、爲甚脱野狐。若向者裏著得一隻眼、便知得前百丈贏得風流五百生。
頌曰
不落不昧
兩采一賽
不昧不落
千錯萬錯
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二 百丈野狐
百丈和尚、凡そ參(さん)の次(ついで)、一老人有りて、常に衆に隨ひて法を聽く。衆人退けば、老人、亦、退く。忽ち一日退かず。
師、遂に問ふ、
「面前に立つ者、復た是れ何人(なんぴと)ぞ。」
と。老人云く、
「諾(だく)。某-甲(それがし)は人に非ざるなり。過去の迦葉佛の時に於いて、曾て此山に住む。因みに學人問ふ、
『大修行の底(てい)の人、還りて因果に落ちるや無(いな)や。』
と。某-甲、對へて云く、
「因果に落ちず。」
と。五百生(しやう)、野狐の身に墮す。今、請ふ、和尚、一轉語を代りて、貴(ひと)へに野狐を脱せしめんことを。」
と。
遂に問ふ、
「大修行の底の人、還りて因果に落ちるや無や。」
と。
師云く、
「因果に昧(くら)まされず。」
と。
老人言下に於いて大悟す。作禮(されい)して云く、
「某甲、已に野狐の身を脱し、山後に住在す。敢へて和尚に告ぐ。乞ふ、亡僧の事例に依られんことを。」
と。
師、維那(いなう)をして白槌(びやくつい)せしめ、衆に告げしめて、
「食後(じきご)、亡僧を送らん。」
と。大衆言議(ごんぎ)すらく、
「一衆、皆、安し、涅槃堂に又、人、病む無し。何故に是くのごとくなる。」
と。
食後、只だ師、衆を領(りやう)して山後の嵒下(がんか)に至りて、杖を以て一(いつ)の死せる野狐を挑(か)き出だし、乃ち火葬に依らしむるを見る。
師、晩に至りて上堂し、前(さき)の因縁を擧(こ)す。黄蘗(わうばく)便ち問ふ、
「古人、錯(あやま)りて一轉語を祇對(しつい)し、五百生の野狐の身に墮す。轉轉、錯らざらば、合(まさ)に箇(こ)の甚麼(なに)にか作(な)るべき。」
と。
師云く、
「近う前へ、伊(かれ)が與(ため)に道(い)はん。」
と。
黄蘗、遂に近前(きんぜん)して、師に一掌を與ふ。
師、手を拍(う)ちて笑ひて云く、
「將に謂へり、胡鬚赤(こしゆしやく)。更に赤鬚胡(しやくしゆこ)有り。」
と。
無門曰く、
「因果に落ちず、甚(なん)と爲(し)てか野狐に墮す。因果に昧まさず、甚と爲てか野狐を脱す。若し者裏(しやり)に向ひて一隻眼(げん)を著得(じやくとく)せば、便ち、前百丈の、風流五百生を贏(か)ち得たることを知り得ん。」
と。
頌して曰く、
不落(ふらく) 不昧(ふまい)
兩采(りやうさい) 一賽(いつさい)
不昧 不落
千錯(せんしやく) 萬錯(ばんしやく)
*
淵藪野狐禪師訳:
二 百丈和尚と野狐
百丈懐海(えかい)和尚さまの説法がある時には、いつも、一人の老人が会衆の背後で聴聞をしていました。説法が終わり、会衆が道場を出て行くと、その老人も、また、道場を出て行きます。
ところが、ある日のこと、いつものようにすべての会衆が出て行ってしまったのに、その老人だけは、一向に出て行こうとしません。広い道場にたった一人、ただ黙ってぽつんと座っているのでした。
百丈さまは、そこで、お訊ねになりました。
「我が面前に居る、さてもお前は誰か。」
老人が答えます。
「はい……既にお察しの通り……私めは人間では御座りませぬ……遠いと~おい……釈迦もこの世におられぬ昔……いや、その釈尊の前身であられた過去世六仏の、あの迦葉仏(かしょうぶつ)さまの御時に……この山に住んでおりました、僧にて御座います……さてもある時、機縁の中で、弟子の一人が私に訊ねたので御座います……
『仏道修行を極め尽くした人であっても、因果応報・輪廻転生の道に落ちるということがありましょうか?』
……私は答えました……
『因果の道に落ちることは、ない。』
と……
……それ以来……私めは……五百年の永きに亙って……野狐(やこ)の身に墮ちてしまったので御座います……どうか、今……お願いで御座いまする……和尚さま……どうか、私めに代わって……転迷悔悟の一句をお挙げになって……切に、切にお願い致しまする……この哀れな……野狐の身から……どうか、私めをお救い下されい……」
――そう言って老人は、正しく向き直ると鮮やかに和尚さまに訊ねました。
「仏道修行を極め尽くした人であっても、因果応報・輪廻転生の道に落ちるということがありましょうか?」
和尚さまは、即座に、鮮やかに澄んだ声で、ゆっくりと静かに応えました。
「因果の道に犯されることは、ない。」
――その発語の瞬間、老人は最早、すっかり悟り切っていたのでした。
老人は和尚さまにうやうやしく礼拝すると、
「……私めは、すでに野狐の身を脱し、その脱け殻のみが、この裏山に在りまする……敢えて、百丈和尚、あなたに、告げましょうぞ……どうか、その私めの死を、人並みの僧の葬送の礼をもって送られんことを――」
と、言うが早いか、老人の姿は、和尚さまの前からふっと消えてしまっていたのでした――。
その日の昼前、和尚さまは、一山を取り仕切る役僧に白槌(びゃくつい)を高らかに打たせて、一山の衆僧をことごとく呼び集め、次のように告げました。
「斎(とき:午前中の昼食。禅家では午後は食事を摂らない。)の後(のち)、亡なった僧を送ろう。」
と。
聴いた会衆は、内心、不思議に思って、寺のあちこちで、ひそひそこそこそ、語り合うたのでした。
「誰もみんな、元気じゃて……。涅槃堂(:病気の僧を収容する病室。延寿堂。)で病いに臥せってる者も、一人もおらんし……。どうしてあんなことをおっしゃったんじゃろうのう……。」
と。
斎を終えると、和尚さまは、衆僧を引き連れて、裏山にあった岩穴へと赴き、お持ちになっていた杖で、その穴から一匹の死んだ野狐(のぎつね)の骸(むくろ)を引き出されると、ただちに丁重に荼毘に附されたので御座いました。――
――さて、その日の晩方のことで御座います。和尚さまは、厳かな僧衣に身をお包みになられ、法堂(はっとう)に上られると、今朝の因縁の一切をお示しになられました。
それを聴いていた、未だ若き弟子の一人であった黄蘗(おうばく)さまが、即座に、和尚さまに訊ねました。
「その老人は、遠い昔、ただ、その弟子に示すに、その転迷悔悟の一句を、たかだかちょっと誤った――そうですね、誤ったのですね――誤ったばかりに、五百年の永きに亙って野狐(やこ)の身に墮ちてしまった。――では、却ってまさしく、その一句を、誤らなかったとしたら――正しい答えをしていたとしたら――さても一体、その人は何に『成って』いたのでしょうか?」
と。
それを聴いた和尚さまは、徐ろに
「近う前へ。あの老人のために、お前に言うてやろう。」
と黄蘗を招きました。
――黄蘗は、素直に和尚さまの傍に進み寄ります――と――そのとたん、なんと! いきなり、黄蘗は、和尚さまの横っ面を、その拳(こぶし)でもって、がんと、一撃にしてしまったので御座います――
殴られた和尚様はといえば――ところが、大きく手を打ち鳴らされると、大笑いなさって、
「昔から、達磨大師の鬚は赤い、とは聴いておったが、その通りじゃった! ここにも赤鬚の達磨大師が居られるわ! ワハハハハ!」
と如何にも嬉しげにおっしゃったので御座いました――。
無門、商量して言う。
「『因果に落ちず』と言うたなら、どうして野狐(やこ)に墮ちるのか? ところが却って言うことに、『因果に昧まされず』なら、どうして野狐からエクソダス? もしもこの、事態に向かって、チャクラもて、ずいっと底まで見通さば、そこではっきり分かるじゃろ、あの老人が百丈の、山の中にぞ住み果てて、その五百年の一時が、風流無尽の中なるを。」
次いで囃して言う。
『落ちない』――『犯されない』――
骸子(さいころ)振ったら『目』が二つ!
『犯されない』――『落ちない』――
悉皆(しっかい)錯誤!
[淵藪野狐禪師注:私はこの則が殊の外に好きである。それは恐らく、「無門関」の中にあって、最も文学的な面白さを湛えているからであろう(それは恐らく異例であり、文学性は実は禅が最も警戒する部分であるように私は思えるのだが)。多くの人々は、最後の黄蘗の意想外の行動に度肝を抜かれ、また魅力を覚えるのであろうが、私はこの百丈と老狐の対話の中の「山」に惹かれるのである。百丈という名は馬祖道一(ばそどういつ)から法灯を嗣いだ彼が、師の没後、現在の江西省洪州にある百丈山に住し、そこで全く新しい禅院を建立したことによるのであるが、当たり前のことながら、百丈山和尚の居る裏山は百丈山であり、五百年の齢を生きた風流の野狐はその百丈山に『在った』のである。次いでに言えば、黄蘗の問いは、ある意味で、真実の答えを求めんとする、かつての老人に最初の問いを発した弟子の僧と完全に同じい。――これ以上は、奇体な私の幻像域に入ることになるので、これ以上は言うまい。しかし、これだけは、言っておこう。私の名は淵藪野狐禅師、この則の野狐は私の祖先――同じ魂を持つ者だけが、その魂を真に理解出来る――
・「白槌」とは、説法や問答の開始を告げるために、木槌を鳴らすこと。「白」=「申」の意。
・「エクソダス」は“exodus”。名詞。①(大多数の多量の成員が)出てゆくこと、退去。(移民団等の有意な数の集団的)出国、移住。②“Eexodus”旧約聖書出エジプト記。③“the Eexodus”イスラエルの民のエジプト脱出。語源はギリシャ語の“xodos”で、“ex-”(外へ)+“hods”(道)がラテン語化したものである。
・「チャクラ」は“cakra”で、本来は、サンスクリット語で「車輪・円」を意味し、人体の7つの精神的中枢を言う。ヨーガではその中の眉間にあるものを“Ajna cakra”アージュニャー・チャクラと称し、俗に第三の眼等と呼ぶ。仏教ではそれは頭頂にあるとも言うようである。]
* * *
三 倶胝竪指
倶胝和尚、凡有詰問、唯擧一指。後有童子。因外人問、和尚説何法要。童子亦竪指頭。胝聞遂以刃斷其指。童子、負痛號哭而去。胝復召之。童子廻首。胝却竪起指。童子忽然領悟。
胝將順世、謂衆曰、吾得天龍一指頭禪、一生受用不盡。言訖示滅。
無門曰、倶胝并童子悟處、不在指頭上。若向者裏見得、天龍同倶胝并童子與自己一串穿却。
頌曰
倶胝鈍置老天龍
利刃單提勘小童
巨靈擡手無多子
分破華山千万重
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
三 倶胝(ぐてい)、指を竪(た)つ
倶胝和尚、凡そ詰問有らば、唯一指を擧ぐ。
後、童子有り。因みに外人(がいにん)問ふ、
「和尚、何の法要をか説く。」
と。
童子も亦、指頭を竪つ。
胝、聞きて、遂に刃(やいば)を以て其の指を斷つ。童子、痛みを負(お)ひ、號哭して去る。胝、復た之を召す。 童子、首(かうべ)を廻らす。 胝、却りて指を竪起(じゆき)す。童子、忽然(こつねん)と領悟す。
胝、將に順世(じゆんせ)せんとするに、衆に謂ひて曰く、
「吾、天龍一指頭の禪を得るも、一生、受用して盡きざる。」
と。言ひ訖(をは)りて、滅を示す。
無門曰く、
「倶胝并びに童子の悟處(ごしよ)、指頭上に在らず。若し者裏(しやり)に向ひて見得せば、天龍、同じく倶胝、并びに童子、自己と一串(いつせん)に穿却(せんきやく)せん。」
と。
頌して曰く、
倶胝 鈍置す老天龍
利刃 單提して小童を勘す
巨靈 手を擡(もた)ぐるに多子無し
分破す 華山の千万重(ばんちやう)
*
淵藪野狐禪師訳:
三 倶胝、指を立てる
倶胝和尚は、何かを問われた時、だいたいは、ただ人差し指を一本突き立てるのみであった。
ある時、和尚に仕えている童子が、機縁の中で、寺にやってきた客に問われた。
「お前の和尚は、お前にどうやって仏法を説いているんじゃ?」
そこで、童子も和尚同様、人差し指をピンと突き立てた。
倶胝は、それを聞きつけると、童子を呼び寄せるや、即座に刃(やいば)を抜くとその人差し指をスッパリと切り落としてしまった。童子は、その余りの痛さにを泣き喚いて逃げ去ろうとした。その時、倶胝は、再び童子に声をかけた。―― 呼ばれた童子が、振り返る。―― 倶胝は、また人差し指をツン! と突き立てる。――その瞬間、童子は、忽ちの内に悟ったのであった。
さて、倶胝は、遷化せんとするその間際、寂滅を拝まんと集まってきた大衆に向かって説かれた。
「我は師天龍和尚から一指頭の禅を得たのだったが、やれやれ、一生かかっても、その有り難く授かったイッポン指を使い切ることは遂に出来なんだわい。」
そう言い終わるや、美事に示寂されたのであった。
無門、商量して言う。
「倶胝と童子、二人の悟り、イッポン指の『上』には無いぞ! もしも二人のこの話、この理(ことわり)をスッパリと、刃(やいば)如く切り去って、それでズイッと先まで見れりゃ、➳天龍➳倶胝➳この童子➳、三兄弟と諸共に、➳お前➳も一緒にグッサリだ! 言わば団子の四兄弟(しきょうだい)! まとめて全部一串じゃ!」
次いで囃して歌う。
愚劣卑劣な倶胝さま 老いぼれ特養天龍を テッテ的に虚仮(こけ)して
切れ味するどい小刀で がんぜない子を脅かす
ナウシカの 庵野もビックリ! 巨霊神
峨々たる華山も 真っ二つ!
* * *
四 胡子無髭
或庵曰、西天胡子、因甚無髭。
無門曰、參須實參、悟須實悟。者箇胡子、直須親見一回始得。説親見、早成兩箇。
頌曰
癡人面前
不可説夢
胡子無髭
惺惺添※
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「懜」-「夕」+(同位置に)「目」。]
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
四 胡子(こす)、髭(ひげ)無し
或庵(わくあん)曰く、
「西天(せいてん)の胡子、甚(なん)に因りてか髭無き。」
と。
無門曰く、
「參は須らく實參なるべし、悟は須らく實悟なるべし。者箇(しやこ)の胡子、直(ぢき)に須らく親しく見ること一回にして始めて得べし。親しく見ると説くも、早(つと)に兩箇と成る。」
と。
頌して曰く、
癡人が面前にては
夢を説くべからず
胡子の髭無き
惺惺(せいせい)に ※(もう)を添ふ
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「懜」-「夕」+(同位置に)「目」。]
*
淵藪野狐禪師訳:
四 達磨大師にゃ髭がない
或庵禅師が言う。
「西天から到来された達磨大師、どうして彼には髭がない?」
無門、商量して言う。
「『参禅するということ』は、真実(まこと)の『参禅する』でなくてはならず、『悟るということ』、真実(まこと)の『悟る』でなくてはならぬ。このような、鬚なきゃ恥の西戎(せいじゅう)の、野郎についての話なら、一目親しく対面(たいめ)して、初めてはっきり分かること――『一目親しく対面す』と、謂うたとたんに、はや、お主、達磨と分かれて二人となって、『参』もなければ、『悟』も遠し。」
次いで囃して言う。
馬鹿な野郎の目の前で
夢を説いてはいけないね
――都市伝説(アーバン・レジェンド)――『達磨大師にゃ髭がない』――
それを聴いているうちに 悟ったはずのこの頭 何だかすっかりぼんやりし 眠たくなってきたわいな
[淵藪野狐禪師注:当時のインド人男性にとって口髭頰髭は男性性の象徴であり、ないということ自体が考えられないことである。]
* * *
五 香嚴上樹
香嚴和尚云、如人上樹、口啣樹枝、手不攀枝、脚不踏樹。樹下有人問西來意、不對即違他所問、若對又喪身失命。正恁麼時、作麼生對。
無門曰、縱有懸河之辨、惣用不著。説得一大藏教、亦用不著。若向者裏對得著、活却從前死路頭、死却從前活路頭。其或未然、直待當來問彌勒。
頌曰
香嚴眞杜撰
惡毒無盡限
唖却納僧口
通身迸鬼眼
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
五 香嚴(きやうげん)、樹に上る
香嚴和尚云ふ。
「如し、人、樹に上らんに、口に樹の枝を啣(ふく)むのみにて、手に枝をしては攀(よ)ぢず、脚は樹を踏まずとす。樹下に人有りて、西來の意を問はんに、對へずんば、即ち他(かれ)が所問に違(そむ)く、若し對へなば、又、喪身失命(しつみやう)せん。正に恁麼(いんも)時、作麼生(そもさん)か對へん。」
無門曰く、
「縱ひ懸河の辨有るも、惣(そう)に用不著(ゆふぢやく)。一大藏教を説き得るも、亦、用不著。若し者裏(しやり)に向ひて對得著(たいとくぢやく)せば、從前の死路頭(しろとう)を活却し、從前の活路頭を死却せん。其れ或ひは未だ然らずんば、直ちに當來を待ちて彌勒に問へ。」
と。
頌して曰く、
香嚴 眞(まこと)に杜撰
惡毒 無盡限(むじんげん)
納僧(なつそう)が口を唖却(あきやく)して
通身 鬼眼を迸(ほと)ばしらしむ
*
淵藪野狐禪師訳:
五 香嚴和尚の「樹に上る」の公案
香厳和尚が言う。
「人が高い樹に上ったとしよう。――彼は口に樹の枝を銜え、両手では枝を持たず、脚も樹からを離して頂点に攀じ登った。さて、その時、樹下に人が在って、『達磨は何故(なぜ)西に向ったか?』と禅の本義を問い掛けたとしたら、――お前は、どうする? 我等にとって大切な真意を尋ねているのあればこそ、答えぬとすれば、もう、その人の誠心の問いに対して何の立場もなくなってしまう。――されど、もし答えるとすれば、真っ逆様に九天を堕ち、地に叩きつけられてぺしゃんこ、あの世行きは必定じゃ。――さあ! 正にそういう時、お前は、どう応えるか!」
無門、商量して言う。
「たとえ瀑布の水の如、立て板磨り減る能弁も、ここじゃ全く役立たず。経・律・論の三蔵を、お釈迦様から損料し、説いてみたとて、おたんちん。――もしも絶体絶命の、こげな窮地にどっしりと、美事太刀打ち出来たなら、永き地獄の路頭に迷う、亡者も奇瑞の蘇生劇、活てるつもりの半可通、アッという間にお陀仏じゃ。――活殺自在のこの理(ことわり)、そいつは出来んとゴネるなら、五十六億七千万、年を重ねた将来に、弥勒菩薩の到来を、待って訊ぬる他はなし!」
次いで囃して歌う。
香嚴 狂言 まことに杜撰
悪性 毒性 超猛毒
禅者の口を塞ぎ置き
おのれは 悪趣味 猟奇 地獄三昧
腐臭 骸(むくろ)の 目ん玉 抉り
眼光 炯炯(けいけい) 致死量 放射
* * *
六 世尊拈花
世尊、昔、在靈山會上拈花示衆。是時、衆皆默然。惟迦葉尊者破顔微笑。世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、教外別傳、付囑摩訶迦葉。
無門曰、黄面瞿曇、傍若無人。壓良爲賤、懸羊頭賣狗肉。將謂、多少奇特。只如當時大衆都笑、正法眼藏、作麼生傳。設使迦葉不笑、正法眼藏又作麼生傳。若道正法眼藏有傳授、黄面老子、誑謼閭閻。若道無傳授、爲甚麼獨許迦葉。
頌曰
拈起花來
尾巴已露
迦葉破顔
人天罔措
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
六 世尊拈花(ねんげ)
世尊、昔、靈山(りやうぜん)の會上(ゑじやう)に在りて、花を拈じて衆に示す。是の時、衆、皆、默然たり。
惟だ迦葉尊者のみ、破顔微笑(みしやう)す。
世尊云く、
「吾に、正法眼藏(しやうぱふげんざう)、涅槃妙心、實相無相、微妙法門有り、不立文字、教外別傳、摩訶迦葉(まかかせふ)に付囑(ふしよく)す。」
と。
無門曰く、
「黄面(わうめん)の瞿曇(ぐどん)、傍若無人。良を壓して賤と爲し、羊頭を懸げて狗肉を賣る。將に謂はんとす、多少の奇特、と。只だ、當時の大衆、都てが笑ふごとくんば、正法眼藏、作麼生(そもさん)か傳へん。設(も)し迦葉をして笑はざらしめば、正法眼藏、又、作麼生(そもさん)か傳へん。若し正法眼藏に傳授有りと道(い)はば、黄面の老子、閭閻(りよえん)を誑謼(かうこ)す。若し傳授なしと道(い)はば、甚麼(なん)と爲(し)てか獨り迦葉を許す。」
と。
頌して曰く、
花を拈起して
尾巴(びは)已に露はる
迦葉破顔
人天措(お)く罔(な)し
*
淵藪野狐禪師訳:
六 世尊、蓮を捻(ひね)る
世尊が、昔、霊鷲山(りょうしゅうざん)での説法の際、そこにあった一本の蓮の花を手にとると、黙ったまま、その茎をそっと捻って面前に示した。この時、会衆は皆、理由(わけ)が分からず、ただ默っているばかりであった。
しかし、ただ迦葉尊者だけが、相好を崩して、にっこりと微笑んだ。
それを見た世尊は、即座に言った。
「私には、深く秘められた不可思議不可得の真理(まこと)に透徹する眼、瞬時に迷いの火を吹き消す不可思議不可説の悟りの心、その実体実相が無体無相であるところの真実在、摩訶不思議の微妙玄妙なるまことの仏の道へと入る門が、確かに在(あ)るのだが――その不立文字、教外別傳のすべてを、この摩訶迦葉に委ねることとしよう。」
無門、商量して言う。
「金色(きんじき)、ゴータマ、傍若無人。良民捕囚し、奴隷と成し、羊頭懸げて、狗肉を売る――そのありがたい悪どさを、褒めて言うなら、ご自身の、『あ、お釈迦様でも~、あ、御存知あるめえ~!』ほどの奇特殊勝じゃ!――
閑話休題。
だか、もし、世尊が拈花した際、当時の霊鷲山上の会衆全員が、一斉に破顔微笑(みしょう)したとしたら――世尊は、一体、その『正法眼藏』を、どのように伝えたというのであろうか?
逆に、もし、世尊が拈花した際、そこにいたあの、摩訶迦葉を破顔微笑させることが出来なかったとしたら――世尊は、一体、その『正法眼藏』を、どのように伝えたというのであろうか?
いや、そもそも、その『正法眼藏』が、伝授可能なものであるとするならば、金色のゴーダマは衆生を誑(たぶら)かしたことになる。
いや、また逆に、その『正法眼藏』が伝授不可能なものであるとするならば、どうして迦葉だけに伝授することを許す、などということが出来るのであろうか?」
次いで囃して言う。
flower クニャット ヒネッタラ
hipノアナマデ マルダシネ!
カショウニイサン smile good!
nobody テダシハ サ・セ・ナ・イ・ワ!
[淵藪野狐禪師注:「頌」の起句の末にある「來」の字は、文末にあって語勢を強める助字=置字と判断して読まなかった。]
* * *
七 趙州洗鉢
趙州、因僧問、其甲乍入叢林。乞師指示。州云、喫粥了也未。僧云、喫粥了也。州云、洗鉢盂去。其僧有省。
無門曰、趙州開口見膽、露出心肝。者僧聽事不眞、喚鐘作甕。
頌曰
只爲分明極
翻令所得遲
早知燈是火
飯熟已多時
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
七 趙州の洗鉢(せんぱつ)
趙州、因みに僧、問ふ、
「其甲(それがし)、乍入(さにふ)叢林。師に指示を乞ふ。」
と。
州云く、
「喫粥(きつしゆく)し了るや、未だしや。」
と。
僧云ふ、
「喫粥し了んぬ。」
と。
州云く、
「鉢盂(はつう)を洗ひ去れ。」
と。
其の僧、省(せい)有り。
無門曰く、
「趙州開口して膽(きも)を見(あらは)し、心肝を露出す。者(こ)の僧、事を聽きて眞ならずんば、鐘を喚(よ)びて甕と作(な)さん。」
と。
頌して曰く、
只だ分明に極まれるが爲に
翻りて所得をして遲からしむ
早(つと)に燈(ともしび)の 是れ火なるを知らば
飯(はん)熟(じゆく)すること 已に多時なりしに
*
淵藪野狐禪師訳:
七 趙州和尚の「鉢、洗っとけ」
趙州和尚が、ある時、機縁の中で、僧に問われた。
「私めは本道場新入りの修行僧に御座います。どうか、お師匠さま、有り難い御教示を一言お願い致します。」
と。
すると趙州は言った。
「朝粥は済んだか?」
僧は答えて言った。
「はい。朝粥を頂きまして御座います。」
趙州は言った。
「使ったその鉢を綺麗に洗っておきなさい。」
その僧は、その瞬間、一遍に悟ってしまった。
無門、商量して言う。
「あったら趙州、軽口叩き、強力(ごうりき)吃驚(びっく)り勧進帳――肝・心・腸も丸出しだ。だのに新米、この小僧、その『丸出し』の『在(あ)ること』を、そのまま前に出された故に、そこに響いた『真実(まこと)』が聴けず、麗しき音(ね)の真実(まこと)の鐘(かね)を、呼んで瓦の甕(かめ)となす。」
次いで囃して言う。
あんまりはっきりしたことじゃから
かえって悟るにゃ時がいる
もっと早くに「燈(ともしび)」が 「燃えてる火」だと分かってりゃ
飯(めし)はとっくに 炊けてたはずじゃ
[淵藪野狐禪師注:言わずもがなであるが、若い読者のために。淵藪野狐禪師訳の『強力吃驚り勧進帳』は、僕が最も好きな黒澤作品「虎の尾を踏む男達」(1945)が元ネタである。あのエノケン演じた強力は、黒澤の創作、美事に魅力的なキャラクターである。]
* * *
八 奚仲造車
月庵和尚問僧、奚仲造車一百輻。拈却兩頭、去却輻、明甚麼邊事。
無門曰、若也直下明得、眼、似流星、機、如掣電。
頌曰
機輪轉處
達者猶迷
四維上下
南北東西
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
八 奚仲(けいちう)、車を造る
月庵(げつたん)和尚、僧、問ふ、
「奚仲、車を造ること、一百輻(ぷく)。両頭を拈却(ねんきやく)し、輻(ふく)を去却(こきやく)す、と。甚-麼-辺(なへん)の事を明らむや。」
と。
無門曰く、「若し也(ま)た、直下(ぢきげ)に明らめ得ば、眼(まなこ)、流星に似、機は、掣電(せいでん)のごとし。」
と。
頌して曰く、
機輪(きりん)轉ずる處
達者も猶ほ迷ふがごとし
四維(しゐ)上下
南北東西
*
淵藪野狐禪師訳:
八 奚仲(けいちゅう)、車を造る
月庵(げったん)和尚は、ある時、機縁の中で、僧に問われた。
「古え、奚仲は人として初めて車を造り、その造った数は百両に及んだと聞いてます。ところが、それらの車が完成するそばから、彼は速やかに、どの車からも両輪を外し、車軸も完全に取り去ってしまったと言います。このことは一体、ごと何なる真実(まこと)を明らかにしているのでしょうか。」
無門、商量して言う。
「もしもまた、この不条理な問いかけに、ずばりとはっきり言えたなら、お前の眼(まなこ)は、流れ星! その切先(きっさき)は、稲光り!」
次いで囃して言う。
機先の輪転 流星! 雷(らい)!
達人とても追いつけぬ
E=mc²
∞→0
[淵藪野狐禪師注:西村注によれば、この話は「五灯会元」月庵伝に見られる。そこでは、
上堂、奚仲車を造ること一百輻。両頭を拈却し軸を除却す。拄杖を以て一円相を打して曰く、且(しば)らく錯って定盤星(じょうばんせい)を認むる莫れ。卓一卓して下座す。
とある、とする。この月庵の言に現れる「定盤星」とは、三十六・四十六則等にも現れるように、天秤の棹の起点にある星の印を言う。これは完全な均衡を示す、即ち秤という物の軽重を計るべきものでありながら、その軽重に関わりのない中点、無意味な点である。その意味のない目盛りに眼を「認むる」=釘付けとなるというのは、錯誤して無用のものへと執着することを比喩して言うのである。
・「奚仲」は、周の国であった薛(せつ)の始祖。黄帝の子孫とされ、夏(か)の聖王禹(う)の車正(天子の乗物に関わる長官)に命ぜられ、人類として初めて馬に引かせる車を創造したとされる。「呂氏春秋」君守篇に『奚仲作車、蒼頡作書、后稷作稼、皋陶作刑、昆吾作陶、夏鯀作城。』(奚仲は車を作り、蒼頡(そうきつ)は書を作り、后稷(こうしょく)は稼(か:穀物の栽培。)を作り、皋陶(こうよう)は刑を作り、昆吾(こんご)は陶(:陶器。冶金の始祖とも。)を作り、夏鯀(かこん:夏の国の鯀の意。)は城を作る。)、「墨子」巻九の非儒下篇三十九にも『古者羿作弓、杼作甲、奚仲作車、巧垂作舟。」(古(いにし)へは、羿(げい)は弓を作り、杼(ちょ)は甲を作り、奚仲は車を作り、巧垂は舟を作る。』等とあるが、本文の「両頭を拈却し、輻を去却」したという話は、不学にして知らない。公案としての創作かと思われる。識者の御教授を乞う。
・「四維」とは天地の四つの隅を言う。それぞれ乾(いぬい:北西)・坤(ひつじさる:南西)・巽(たつみ:南東)・艮(うしとら:北東)の四方。それに以下の上・下と東・西・南・北の六つを加えて、「十方(じっぽう)」と呼び、これらを世界の総体とする。]
* * *
九 大通智勝
興陽讓和尚、因僧問、大通智勝佛、十劫坐道場、佛法不現前、不得成佛道時如何。讓曰、其問甚諦當。僧云、既是坐道場、爲甚麼不得成佛道。讓曰、爲伊不成佛。
無門曰、只許老胡知、不許老胡會。凡夫若知、既是聖人。聖人若會、既是凡夫。
頌曰
了身何似了心休
了得心兮身不愁
若也身心倶了了
神仙何必更封候
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
九 大通智勝(だいつうちしやう)
興陽(こうやう)の讓(じやう)和尚、因みに僧、問ふ、
「大通智勝佛、十劫(ごふ)、道場に坐すも、佛法現前せず、成佛道(じやうぶつだう)を得ざるの時、如何。」
と。
讓曰く、
「其の問ひ、甚(はなは)だ諦當(たいたう)なり。」
と。
僧曰く、
「既に是れ、道場に坐し、甚麼(なん)と爲(し)てか成佛道を得ざる。」
と。
讓曰く、
「伊(かれ)が不成佛(ふぢやうぶつ)なるが爲なり。」
と。
無門曰く、
「只だ老胡の知を許して、老胡の會(ゑ)を許さず。凡夫、若し知らば、既ち是れ、聖人。聖人、若し會せば、既ち是れ、凡夫。」
と。
頌して曰く、
身を了ずるは心を了じて休するに何-似(いづれ)ぞ
心を了得すれば身は愁へず
若(も)し身心倶(とも)に了了ならば
神仙何ぞ必ずしも更に候に封(ほう)ぜん
*
淵藪野狐禪師訳:
九 大通智勝仏
興陽清譲(せいじょう)和尚は、ある時、機縁の中で、ある僧に問われた。
「大通智勝仏は、十劫の永きに亙って、遠い彼方の道場にあって座禅を続けておられるにも拘わらず、未だに大通智勝仏御自身には、真実(まこと)の仏法は現れず、また真実(まこと)の仏道を成し得ておられないというのは、一体、どういうことなのですか?」
清譲和尚が応えて言う。
「その問い、正鵠を得ておる。」
そこで更にその僧が問う。
「そもそも、道場に座禅し乍ら、何故に、成仏しないのか!?」
清譲和尚が応えて言う。
「彼は『仏にならない仏』だからだ。」
無門、商量して言う。
「釈迦や達磨の老毛唐、きゃつらが持ってる悟りのための、たかだか『智慧』と言うならば、そんなところとしておこう。されどきゃつらの悟ったあとの、その明悟の中で『得たもの』は、オフ・リミットの門外不出。凡夫にとっちゃ『智慧』あれば、それでそのまま聖人さ。ところがどっこい聖人は、真実一路で『得たもの』で、美事、『凡夫に成仏』出来る。」
と。
次いで囃して言う。
身体(からだ)と心と どっちが大事?
心分かれば 身も軽(かろ)し
もしも あなたの身も心も すっかりハッピーだったなら
――“Body and Saul”――
♪私の恋に 背を向けないで 私と向き合って 身も心も あなたに捧げる♪
神・仙人が この世の爵位 なんどを受けて 一体何の価値があろ 「仏」が「成仏」 するわきゃねえよ!
[淵藪野狐禪師注:
・「大通智勝佛」とは、三千塵点劫という想像絶した遙かな過去世に於いて出家し、八千劫の間、法華経を説いた仏とされる。この仏は更に16人の仏を生み、阿弥陀や釈迦は、その中の一人であるとする。
・「劫」前注にも本文にも現れるとは、インド哲学や仏教で、極めて長い宇宙的時間単位を言う。サンスクリット語の“kalpa”カルパの音写漢訳「劫波(劫簸)」が元。仏教では特に定量が決められているわけではないが、同じルーツであるヒンドゥー教では1劫=43億2000万年としている。一説には1劫は天女が100年に一度来臨し、その羽衣で7k㎥の石を一度だけ擦り、その石が完全に摩滅し尽す時間よりもまだ余りある時間とし(これを磐石劫(ばんじゃくこう)とも呼ぶ)、或いは、同じく7k㎥の箱に芥子の種子を詰め込み、百年に一度、その中の一粒だけを取り出して行き、そのすべてを取り出し尽す時間よりもまだ余りある時間を言う、ともする(これを芥子劫(けしこう)と呼称する)。
・「“Body and Saul”」はジャズのスタンダード・ナンバー。印象的なラヴ・ソングながら、転調が二回ある難曲である。私が中学三年の時、ジャズに目覚めた大好きな Coalman Hawkins の、(ts)による超有名な名演がお薦めである。]
* * *
十 清税弧貧
曹山和尚、因僧問云、清税弧貧。乞、師賑濟。山云、税闍梨。税、應諾。山曰、青原白家酒、三盞喫了、猶道未沾唇。
無門曰、清税輸機、是何心行。曹山具眼、深辨來機。然雖如是、且道、那裏是税闍梨、喫酒處。
頌曰
貧似范丹
氣如項羽
活計雖無
敢與鬪富
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十 清税(せいぜい)孤貧
曹山(さうざん)和尚、因みに僧、問ふて云く、
「清税孤貧、乞う、師、賑濟(しんさい)したまへ。」
と。
山云く、
「税闍梨(ぜいじやり)。」
と。
税、應諾す。
山曰く、
「青原白家(せいげんはつか)の酒、三盞(さんさん)喫し了りて、猶ほ道(い)ふや、未だ唇を沾(うるほ)さず、と。」
と。
無門曰く、
「清税の輸機、是れ、何の心行(しんぎやう)ぞ。曹山の具眼、深く來機を辨ず。是くのごとく然ると雖も、且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、税闍梨の酒を喫する處。」
と。
頌して曰く、
貧は范丹(はんたん)に似
氣は項羽のごとし
活計(かつけい)無しと雖も
敢えて與(とも)に富を鬪はしむ
*
淵藪野狐禪師訳:
十 天涯孤独の貧者清税
曹山和尚は、ある時、機縁の中で、清税という僧に乞われた。
「私、清税、天涯孤独の貧者、どうか、師よ、私にお恵みを。」
と。
すると曹山和尚が、
「税闍梨!」
と呼ぶ。
清税が、
「はい。」
と応える。
曹山和尚は、言った。
「青原の白家の美(う)ま酒を、たっぷり飲みおってからに! よく言いおるわ! 水一滴も飲まず、喉がカラカラだ、なんぞと!」
無門、商量して言う。
「名前は清税、借りてきた、猫のようにぞ、ちんまりしてる、だけど、何だか怪しき振る舞い、腹に一モツ、ありそうじゃ。されど曹山、一枚上手、その眼力で、このありさまをドバッと見抜いて、ゴクゴクと、清税自身を呑み下す――さてもまた、このようであったとしても、さあ! 言うて見よ! 極道税闍梨、一体、何処で、青原白家の美ま酒飲んだ?」
次いで囃して言う。
范丹みたいに貧乏なのに
「気」は世を蔽う項羽と同じ
生きる手だてがまるでない と口では言って おきながら
ほんとはやりたい 金くらべ
[淵藪野狐禪師注:
・「清税」という人物は不詳であるが、通常の「僧」という一般名詞で出さず、敢えて名前を用いたことにこそ、本則のヒントがありそうな気がする。「税」には「解く」「捨てる」「放つ」の意がある。
・「青原白家」の「青原」は、銘酒の産地名と思われるが、不詳。本話の主人公である曹山本寂(そうざんほんじゃく 840~901)は、曹洞宗の宗祖である洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の法を嗣いだ人物で、洞山の元を辞して後、現在の江西省中部撫州にある曹山に住して宗風を挙揚(こよう)したことからの号である。そこから推すと、現在の江西省吉安市に青原区という場所があり、そこが一つの候補地にはなるか。「白家」は、西村注によれば、『古注では百軒の家、また白氏の家ともいう』とある。中国の酒というと、私は一番にコウリャンを主原料とした高級酒としての白酒(パイチュウ)を思い浮かべ、ここでも「白」に引かれて、それをイメージしてしまうのだが、無縁であろうか。識者の御教授を乞う。
・「范丹」伝説的な貧窮の学者・政治家。「范冉」(はんぜん)とするのが一般的。後漢の人で、頑固で短気、清節にして泰然自若、あまりに貧乏であったために甑(こしき)に塵が生じていたという「范冉生塵」の故事で知られる。]
* * *
十一 州勘庵主
趙州、到一庵主處問、有麼有麼。主、竪起拳頭。州云、水淺不是泊舡處。便行。又到一庵主處云、有麼有麼。主亦竪起拳頭。州云、能縱能奪、能殺能活。便作禮。
無門曰、一般竪起拳頭、爲甚麼肯一箇、不肯一箇。且道、※訛在甚處。若向者裏下得一轉語、便見趙州舌頭無骨、扶起放倒、得大自在。雖然如是爭奈、趙州却被二庵主勘破。若道二庵主有優劣、未具參學眼。若道無優劣、亦未具參 學眼。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「言」+「肴」。]
頌曰
眼流星
機掣電
殺人刀
活人劍
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十一 州、庵主(あんじゆ)を勘す
趙州(でうしう)、一庵主の處に到りて問ふ、
「有りや、有りや。」
と。
主、拳頭を竪起(じゆき)す。
州云く、
「水淺くして是れ舡(ふね)を泊する處にあらず。」
と。
便ち行く。
又、一庵主の處に到りて云く、
「有りや、有りや。」
と。
主、拳頭を竪起(じゆき)す。
州云く、
「能縱能奪(のうじゆうのうだつ)、能殺能活(のうさつのうかつ)。」
と。
便ち禮を作(な)す。
無門曰く、
「一般に拳頭を竪起(じゆき)するに、甚麼(なん)と爲(し)てか一箇を肯ひ、一箇を肯はざる。且らく道(い)へ、※訛(かうか)、甚(いづ)れの處にか在る。若し者裏(しやり)に向かひて一轉語を下し得ば、便ち趙州の舌頭に骨無きを見て、扶起し放倒すること、大自在なることを得ん。(か)是く然ると雖へども、爭-奈(いかん)せん、趙州、却りて二庵主に勘破せらるることを。若し二庵主に優劣有りと道はば、未だ參學の眼(まなこ)を具せず。若し優劣無しと道ふも、亦、未だ參學の眼を具せず。」
と。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「言」+「肴」。]
頌に曰く、
眼(まなこ) 流星
機 掣電(せいでん)
殺人刀(せつにんたう)
活人劍(かつにんけん)
*
淵藪野狐禪師訳:
十一 趙州和尚、二庵主(あんじゅ)を校勘(こうかん)する
趙州(じょうしゅう)和尚が、とある庵主の元を訪れて、訊ねた。
「お前! 確かに、ここに『在(い)る』か!? 確かに、ここに『在(あ)る』!か?」
その庵主は、鮮やかに握り拳を突き立てた(:自己の至っている禅境を示すポーズ。)。
すると趙州は、
「――何とまあ、ひどい浅瀬じゃ、こんなところに舟泊りは出来ぬわい。」
と一人ごつと、ずんずん先へ行ってしまった。
趙州、暫く行く。
すると、また別なひとりの庵主の元に辿りついて、即座に訊ねた。
「お前! 確かに、ここに『在(い)る』か!? 確かに、ここに『在(あ)る』か!?」
その庵主も、先の庵主と全く同様、鮮やかに握り拳を突き立てた。
すると趙州は、
「――解き放つことも、奪い去ることも、殺すも、生かすも、自由自在じゃ!」
と讃するや、この庵主に低頭した。
無門、商量して言う。
「どっちの庵主も、ゲンコツ挙げた――だのに如何(どう)して応えが違う? 如何してあっちがバッチリで、如何してこっちはボロクソか?――己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――この詭弁、この逆説、何処に一体、『キモ』は『在る』!?――もしもコイツの鼻面に、ガツン! と一発、ゴッツいゲンコ、間髪入れずに喰らわせられりゃ、舌先三寸中身無き、『騙りの趙(ジョウ)』の面(つら)引ん剥き、骨抜き、タマ抜き、牛蒡抜き。――それを見抜けたその日にやぁ、ヨロぼう弱きを支えもし、エバる輩はブッとばす、あんたは大した自由人(クール・ガイ)。――ところがよ、話の本(もと)に戻って見れば、何のことはありゃせんゼ! 智謀術数齢(よわい)を重ね、奸智に長けた『騙りの趙(ジョウ)』が、ここじゃ、二人の庵(いおり)の主(ぬし)に、ケツの穴まで見抜かれたぁ!――さてももし、お前が二人の庵の主(しゅ)に、「優劣あり」とのたもうならば、お前の振った骸子(さいころ)の、目に禅の機は、ゼンゼンない!――さてももし、お前が二人の庵の主に、「優劣なし」とのたもうとても、お前の振った骸子の、目に禅の機は、ゼンゼンない!」
次いで囃して歌う。
眼(まなこ)に 光る マークは流星
自慢の機(ジェット)で 敵を撃つ
怪獣 退治の 専門家
来たぞ 我らの ウルトラマン!
[淵藪野狐禪師注:言っておくが、私はおちゃらけて等、全くいない。淵藪野狐禪師は淵藪野狐禪師なりの覚悟を持った真剣さで、この訳を真面目に何時間もかけて呻吟した。今回の「頌」も、勿論、当初はスマートに原文をそのままにして格好良く訳すつもりであった。しかし、まず、この趙州の公案を最初に読んだ14年前を私は思い出したのである。14年前のその時、僕が真っ先に髣髴としたのは、ジャズ・ファンなら知る人ぞ知るブッ飛んだ珍名盤“Monk's Music”であった。お経のアドリブの小節を勘違いした和尚の「喝!(コルトレーン!)」の叫び声――ひたすらオロオロしてアセりまくる他のサイドメンを尻目に、冷静にテナーのコブシを正確に吹き「挙げる」高弟の、あの一瞬である――僧(モンク=セロニアス・モンク)と機(トレーン=ジョン・コルトレーン)――。そうして、もう一つ、この公案の答えを導くものは間違いなく、ジャズのアドリブの真髄たる、「呼びかけと応答」(コール・アンド・レスポンス)に他ならない、という直覚に近い印象であった。趙州和尚の「有りや、有りや」の言い方でも、その拳の挙げ方でも、その庵主の実際の禅境でも、趙州の答えでも、ない――これはそれらすべての「呼びかけと応答」(コール・アンド・レスポンス)の一体の『在り方』、その『機』なのではないかという直感である。何はともあれ、私は愚かな僕のその愚かな早合点に、聊かのエクスタシーを覚えたことは確かであり、それは14年を経た今も全く変わらないということである(それは「未だ參學の眼を具せず」ということでもあろう)。それを思い出したら、「頌」はすっかり分かりやすいウルトラマンの響きになっていたのである。スペシウム光線も八つ裂き光輪も文字通り「殺人刀」であった(歌詞自体の「怪獣退治の専門家」は勿論、歌詞の上では一義的には科学特捜隊のことを言うのであってこの解釈は牽強付会とも謗られよう。いや、であるからこそただの引用ではないのである)。その「殺人刀」を持つウルトラマンが人類の真の平和のためにM78星雲から遙々やってきた、弥勒のように、我らを真に生かすためにやってきた。それは「活人劍」であったではないか!(成田亨のウルトラマン原型造形には明らかに仏教的なアルカイック・スマイルが示唆されている)従って私にとってのこの訳は、かくして極めて自然である。だから私はいっこうに誤訳とも不敬とも思ってはいない――趙州和尚には、きっと指の一本どころか二三本をスッパリ切られるであろうが、私はそれでよい――いや、切られてこそのあの童子である。]
* * *
十二 巖喚主人
瑞巖彦和尚、毎日自喚主人公、復自應諾。乃云、惺惺着。喏。他時異日、莫受人瞞。喏喏。
無門曰、瑞巖老子、自買自賣、弄出許多神頭鬼面。何故。※。一箇喚底、一箇應底。一箇惺惺底、一箇不受人瞞底。認着依前還不是。若也傚他、惣是野狐見解。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。物を指差す形容。また、仏書にあって語調を整える助辞。]
頌曰
學道之人不識眞
只爲從前認識神
無量劫來生死本
癡人喚作本來人
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十二 巖(がん)、主人を喚ぶ
瑞巖彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、復た自ら應諾す。乃ち云く、
「『惺惺着(せいせいぢやく)。』
『喏(だく)。』
『他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ。』
『喏喏(だくだく)。』」
と。
無門曰く、「瑞巖老子、自ら買ひ自ら賣りて、許多(そこばく)の神頭(しんづ)鬼面を弄出す。何故ぞ。※(にい)。一箇の喚ぶ底(てい)、一箇の應ずる底。一箇の惺惺たる底、一箇の人の瞞を受けざる底。認着(にんじやく)せば、依前として還りて是(ぜ)ならず。若し他(かれ)に傚(なら)はば、惣(すべ)て是れ、野狐の見解(けんげ)ならん。」
と。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]
頌して曰く、
學道の人眞を識らざるは
只だ從前より識神(しきしん)を認(と)むるが爲なり
無量劫來(ごふらい)生死の本(もと)
癡人喚んで本來人と作(な)す
*
淵藪野狐禪師訳:
十二 瑞巖彦(ずいがんげん)和尚、自分を「主人公」と呼ぶ
瑞巖彦和尚は、毎日、自分自身に対して「主人公!」と声をかけ、そうしてまた、自分自身でそれに「はい」と返事をする。例えば、こんな風に――
瑞巖彦和尚「おい! 主人公! 心静かに醒めておれ!」
瑞巖彦和尚「はい。」
瑞巖彦和尚「おい! 主人公! どんな時でも人に騙されちゃあ、いかんぞ!」
瑞巖彦和尚「はい、はい。」
瑞巖彦和尚「おい! 主人公! 返事は一度でよい!」
瑞巖彦和尚「はい、はい。」
無門、商量して言う。
「瑞巖老爺(ラオイエ)、千両役者、人身売買、一人芝居、無数の変臉(へんめん)、鬼神の宴(うたげ)、マスカレードじゃあるめえに。爺さん、何が言いたいの?――おい! 主人公! どうだ? 一己の『呼ぶ存在』、一己の『応える存在』――一己の『醒めている存在』、一己の『絶対に他者に騙されることがない存在』――おい! 主人公! このいずれかの『存在』を、ただ識(し)るのでは、まるで駄目! それならいっそと、彦(げん)の真似、大根役者がしてみても、徹頭徹尾の野狐の禅!」
次いで囃して言う。
修行行う者にして 少しも真実(まこと)を知らぬのは
お前の意識そのものに 誑(たぶら)かされているんだよ
♂ ♀ * † ∞ ―― あらゆる業(ごう)の積み重ね(=罪重ね)
その存在を馬鹿どもは 愚かに本来 「人」と呼ぶ
[淵藪野狐禪師注:実は、私は、この則、「無門関」の中で、唯一、好きでない。敢えて分析すると、この瑞巖の「主人公!」という呼びかけの言葉が、もの凄く厭なのだとまず思う。また、それに答える瑞巖の「喏」「喏喏」の文字が如何にも気持ちが悪いからだとも思う。そうしてこの一人芝居が如何にも死臭芬々たるものだからである、とも思う――ということは――多分、ここに「私」が「いる」のだろう――この則こそが私の「無門關」なのかも知れない――
・「♂ ♀ * † ∞」は私の世代から上にしか分からないであろう。これは、1962年にTBS系列で放送され、大ヒットを記録した外科医を主人公にした医療ドラマ「ベン・ケーシー(Ben Casey)」(アメリカABC:1961~1966)のオープニング、医師が「♂ ♀ * † ∞」を黒板にチョークで記しながら、日本語吹き替えで「男 女 誕生 死亡 そして無限」と語るシーンからとった。]
* * *
十三 徳山托鉢
徳山、一日托鉢下堂。見雪峰問者老漢鐘未鳴鼓未響、托鉢向甚處去、山便回方丈。峰擧似巖頭。 頭云、大小徳山未會末後句。山聞令侍者喚巖頭來、問曰、汝不肯老僧那。巖頭密啓其意。山乃休去。明日陞座、果與尋常不同。巖頭至僧堂前、拊掌大笑云、且喜得老漢會末後句。他後天下人、不奈伊何。
無門曰、若是未後句、巖頭徳山倶未夢見在。撿點將來、好似一棚傀儡。
頌曰
識得最初句
便會末後句
末後與最初
不是者一句
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十三 徳山の托鉢(たくはつ)
徳山、一日托鉢して堂に下る。雪峰(せつぽう)に、
「者(こ)の老漢、鐘も未だ鳴らず、鼓も未だ響かざるに、托鉢して甚(いづれ)の處に向かひてか去る。」
と問はれて、山、便ち方丈に囘(かへ)る。
峰、巖頭に擧似(こじ)す。
頭云く、
「大小の徳山、未だ末後(まつご)の句を會(ゑ)せず。」
と。
山、聞いて、侍者(じしや)をして巖頭を喚び來らしめ、問ふて曰く、
「汝、老僧を肯(うけが)はざるか。」
と。
巖頭、密(ひそか)に其の意を啓(もら)す。
山、乃ち休し去る。
明日(みやうにち)、陞座(しんぞ)、果して尋常(よのつね)と同じからず。
巖頭、僧堂の前に至り、掌(たなごころ)を拊(ふ)し、大笑して云く、
「且らく喜び得たり、老漢、末後の句を會せしことを。他後(ただ)、天下の人、伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず。」
と。
無門曰く、
「若し是れ、末後の句ならば、巖頭、徳山、倶(とも)に未だ夢にも見ざる在り。點撿(てんけん)し將(も)ち來たれば、好(はなは)だ一棚(いつぱう)の傀儡(かいらい)に似たり。」
と。
頌して曰く、
最初の句を識得すれば
便ち末後の句を會す
末後と最初と
是れ 者(こ)の一句にあらず
*
淵藪野狐禪師訳:
十三 徳山和尚の托鉢
ある日の午前のことである。
徳山和尚は、とんでもない時間に、ご自身の鉢を擁して食堂(じきどう)へとやって来られた。食堂で、斎(とき)の準備のために机を拭いていた飯台看(はんだいかん)の雪峰が、
「御老師、斎を告げる鐘の音(ね)も太鼓の音(おと)も、未だに鳴らず、未だに響いておりませんに、鉢を携えて、一体、何処(どこ)へ向かうおつもりか?」
と問うた。徳山和尚は、それを聴くや、ぷいっと、ご自身の庵室(あんじつ)へと帰ってしまわれた。
その後姿を如何にも面白そうに眺めていた雪峰は、ぷっと吹き出すと、奥の厨(くりや)へと行き、そこに居た看頭(かんとう)の巖頭に、今の一部始終を話して聞かせた。
それを聴いた巖頭は、おもむろに言った。
「徳山和尚ともあろうお人が、未だに肝心要めの末後の一句には会(かい)しておられぬな。」
雪峰はそれを聴くと、――内心、普段からその聡明さ故に、彼に対して劣等感ばかり抱いてきた雪峰は――この、自分よりも更に和尚を蔑(さげす)んだような言葉を吐いた兄弟弟子を――常日頃、快からず思っていた兄弟弟子の――このことを、一つ、和尚に告げ口してやろうと企んだ。
そこで小用に出るふりをして、途中から駆け足になって、徳山和尚の庵室へと飛び込むと、そこに控えていた和尚の侍者に巖頭の言葉そのままに耳打ちした。
徳山和尚は、侍者からそれを聞くや、さもあらんか、鋭い目を侍者に向けると、
「直ちにここに巖頭を喚べ!」
と何時にない、とんでもない大声で一喝した。
侍者は恐れ戦き、泡を食って駆け出してゆく。ほくそ笑んでぷらぷら歩いている雪峰も目に入らぬように、韋駄天の如く走って走って、厨に飛び込むと、
「徳山和尚さまのお呼びじゃ!」
と真っ青な顔で、声を震わせながら巖頭に伝えた。ところが、
「そうか。そうくるとは思っておったが、少しばかり早いな――」
と落ち着き払ってつぶやいた巖頭は、食堂を出ると、和尚の庵室へとまこと、ゆっくりと歩いて行く。路端の木蔭では、隠れて、こっそりとそれを雪峰が眺めていた。
『……ざまあみろ……今度の「徳山の棒」、こいつは半端ねえぞ!……』
と思いつつ、笑みを洩らした。
巖頭が和尚に対峙してみると、果たして目をつぶった和尚の両手には、すでに極太の樫で出来た拄杖(ちゅうじょう)がしっかと握られていた。
徳山和尚は、静かに、しかし、きっぱりと言う。
「お前、儂を、なめてるな!?」
巖頭は、間髪を入れず、一挙に和尚の右手にすり寄ると、
「……………。」
と、何やらん、こっそりと耳打ちした。
すると、徳山和尚は、ぱーんと拄杖を前へ抛り出すと、莞爾として笑い、すっかり安心なさったのであった――。
翌日、いつも通り、法堂(はっとう)で徳山和尚の説法がなされたのだが、果して、その日の説法に限っては、何やらん、尋常のものではなく、会衆は一人残らず、慄っとしながらも、心の底から深い感銘受けて法堂を後にしたのであった――法堂を最後に出た巖頭は、堂の前まで来ると、空を見上げ、両手をぱぱんと打ち鳴らしながら、永い間、大笑いをした後(あと)、数十里の彼方に響き渡るような澄んだ大声で、叫んだ。
「なんと嬉しいことか! 老師は末後の一句を握られた! 本日只今以後、天下の者、誰一人として、この一己の徳山宣鑑(せんかん)を、どうすることも出来はせぬ!」
――それから直ぐのことであった、徳山和尚がその法灯を、巖頭全豁(ぜんかつ)に譲ったのは――
無門、商量して言う。
「ちょっと待て! もしもこいつが本当に、最後の最期のぎりぎりの、真実(まこと)に末後の句だとすりゃ、巖頭、徳山、一蓮托生、揺り籠の中、双子の子、一緒に仲良く夢見てるだけ。幽霊の正体見たり枯れ尾花! 世の中は箱に入れたり傀儡師(かいらいし)!」
次いで囃して言う。
最初の一句が啓(ひら)ければ
最期の一句に出逢えます
末期の言葉と最初の産声
そんなもん 最初の一句でも最後の一句でも「無(ない)」!
[淵藪野狐禪師注:本篇の訳は映像的にリアルに見えるように意識的な小説仕立てにして翻案してある。人物の設定や動き、心理描写などの一切は私の創作なのでご注意あれ。以下の注は、主に、その淵藪野狐禪師訳のオリジナルな部分へのものである。特に悪役に徹してもらった雪峰義存禅師には三頓食らって背骨が折れそうになるやも知れぬ。雪峰禅師に深く謝す。そしてこのような仕儀を訳で行った理由は、本則が私にとって難題だからである。恐らく、この「応え」には、まだこれから数年はかかりそうだ。その時には、違った訳でまた、お目にかかろう。
・「雪峰」は雪峰義存(せっぽうぎぞん 822~908)。唐末から五代の禅僧。実際には巖頭全豁と一緒に徳山宣鑑の法を嗣いでいる。巖頭とは兄弟弟子で、実際には仲が良かったとされる。雪峰の方が年上であったが、明悟した早さやこの雪峰自身を鰲山(ごうざん)で大悟させた点から見ても、巖頭の方が上であるので、訳ではそのような役職に設定した。実際の雪峰義存はその後、出身地であった福建に戻り、雪峰山に住して、四十有年余の間、教導と説法に励んだ。その結果、多くの政治的有力者の帰依を受けることとなり、結果的に各地に広がる五代最大の仏教教団を形成することとなった。雪峰寺には常時1,500人からの修行僧が住み、首座であった玄沙師備(げんしゃしび:「無門關」の後序に登場している。)を始めとして、本「無門關」の第十五則・第二十一則に登場する雲門文偃(ぶんえん)・長慶慧稜(えりょう)・鼓山神晏(くざんしんあん)・保福従展(ほふくじゅうてん)等の禅語や公案で知られる第一級の優れた禅師を輩出している(この注は、主に、ウィキの「雪峰義存」を参照にさせて頂いている)。
・「巖頭」は巖頭全豁(828~887)。以下、その凄絶な最期について記す。彼はその後、徳山の元を辞して、洞庭湖畔の臥竜山(別名を巖頭と言う)を拠点に宗風をふるったが、887年に中原(ちゅうげん)に盗賊が起こり、庶民はおろか、会衆もみな恐れて逃げ出してしまった。ところが巖頭禅師だけは、ただ一人『平然と端坐していた。四月八日、盗賊たちがやってきて大いに責めたてたが、彼は何も贈り物を出さなかったので、ついに刀で』首を切られて殺されてしまった。しかし、その際にも巖頭禅師は『神色自若として、一声大きく叫んで終わった。その声は数十里先まで聞こえた』と伝えられる。(この注は、主に、福井県小浜市の臨済宗南禅寺派瑞雲院のHP中の、「景徳伝灯録巻十六 鄂(がく)州巖頭全豁禅師」を参考にして書かれたとする「岩頭全豁禅師の話」を参照にさせて頂いている)。
・「擧似」という原文の語は、西村注によれば、禅家では『過去の問答や商量の内容を他人に提示すること』を言う特別な意味を持っている。とすれば、雪峰は、一見、呆けた徳山が食事の時間の前に食堂へ来たことや、それに対して自身が言った言葉を含め――確信犯的に――その総体を公案として認識していたのであり、極めて真面目な意味で、この場面に機縁し、その出来事を真面目に巖頭に語ったのだと言える。実際の雪峰義存の事蹟から見れば、それが真実であるし、雪峰が良友巖頭を売るというシチュエーションも実際には考えにくい気もする。しかし、それでは面白くない。少なくとも私は全然面白いと思わぬ。そこで訳では、一見、冒頭の徳山をもうろく爺いのボケとして描き、雪峰を話柄の傀儡役、トリック・スターとして不良の弟子に仕立てさせてもらったのである。
・「ご自身の鉢」禅者は本来、托鉢用の鉢を以って普通の食事の食器とする。
・「斎」仏教では、本来、僧は午前中にしか食事をしない。朝は「粥」(しゅく)、午前中に済ませる早い昼食を「斎」と呼ぶ。勿論、ここでの「斎」という設定は私の勝手なものである。これは「粥」なのかも知れない。
・「飯台看」禅寺の給仕係。私の勝手な設定である。
・「看頭」禅寺で食事の際の礼法を指導する者を言い、飯台看の長である。私の勝手な設定である。
・「世の中は箱に入れたり傀儡師」は芥川龍之介の俳句。大正八(1919)年、27歳の時の作。「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句(明治四十三年~大正十一年迄)」の「四七四 一月四日 南部修太郎宛」書簡からの引用句を参照。因みに西村氏はここを『二人ともお粗末なからくり人形じゃないか』と訳しておられる。]
* * *
十四 南泉斬猫
南泉和尚因東西堂爭猫兒。泉乃提起云、大衆道得即救、道不得即斬却也。衆無對。泉遂斬之。晩趙州外歸。泉擧似州。州乃脱履安頭上而出。泉云、子若在即救得猫兒。
無門曰、且道、趙州頂草鞋意作麼生。若向者裏下得一轉語、便見南泉令不虚行。其或未然險。
頌曰
趙州若在
倒行此令
奪却刀子
南泉乞命
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十四 南泉、猫を斬る
南泉和尚、因みに、東西の堂、猫兒(みやうじ)を爭ふ。
泉、乃ち提起して云く、
「大衆、道(い)ひ得ば、即ち救はん、道ひ得ずんば、即ち斬却(ざんきやく)せん。」
と。
衆、對(たい)無し。
泉、遂に之を斬る。
晩、趙州(でうしふ)、外より歸る。泉、州に擧似(こじ)す。州、乃ち履(り)を脱ぎて頭上に安じて而して出づ。
泉云く、
「子(なんぢ)、若し在らましかば、即ち猫兒を救ひ得んに。」
と。
無門曰く、
「且らく道(い)へ、趙州が草鞋(ざうり)を頂く意、作麼生(そもさん)。若し者裏(しやり)に向ひて一轉語を下し得ば、便ち、南泉の令、虚しき行ひにあらざるを見ん。或いは其れ、未だ然らずんば、險(あやふ)し。」
と。
頌して曰く、
趙州若し在らば
倒(さかしま)に此の令を行はん
刀子(たうす)を奪却して
南泉 命を乞ふ
*
淵藪野狐禪師訳:
十四 南泉和尚、猫を斬る
南泉和尚が、ある時、機縁の中で、自身の道場の東と西の禅堂の者達が、一匹の猫の子を巡って争いをしているところに出くわした。
南泉和尚は、その中に割り込むと、直ちにその子猫を摑み挙げ、
「貴様ら! うまく何とか言い得たなら、救うてやる! 言い得ることが出来んとすれば、有無を言わさず、斬り捨つる!」
と言い放った。
その場に居た僧たちは、その剣幕に恐れをなして、誰一人として応えることが出来なかった。
すると南泉和尚は、即座に懐から小刀(さすが)を抜くや、その子猫をばっさり斬り殺してしまった――
さて、その日の晩のことである。
――昼間、外出していたためにその場に居なかった弟子の趙州が、道場へと帰って来た。
南泉和尚は、趙州を呼び出すと、昼間の子猫の出来事を話して趙州に示された。
すると趙州は、話を聞くやいなや、履いていた草履をさっと脱ぐと、自分の頭の上に両足を載せ、さっさと南泉の部屋を出て行ってしまったのだった――
――それを見た南泉和尚は、如何にも淋しそうに独り呟いた。
「……お前が、あの場に居たなら……美事にあの子猫を救ってやることが出来たものを――」
無門、商量して言う。
「さあ! 答えよ! 趙州が草鞋(ぞうり)を頭の上に頂いた意味は! 何か! もしこのような様態の総てに向かって、美事に転迷悔悟の一言をずばりと言い放つことが出来たとすれば、その時は、子猫を斬った一見惨(むご)たらしい南泉の行為も、決して非道なことではなかったということが分かるはずだ――だが――もし、お前にそれが出来ぬとなれば――お前さん、よ――今、この瞬間――命の危険が、アブナいゼ!――」
次いで囃して言う。
不良少年趙州が もしもその場に居たとせば
極道和尚の公案に 真逆の勝負を仕掛けたり
ばらりと振り上ぐその小刀 咄嗟に素早く奪い去り
南泉先生 顔面蒼白 趙州膝下に命乞い
[淵藪野狐禪師注:私がしばしば使う「危険が、アブナイ」といったフレーズ、若い方にはもう分からないようだ。これは松田優作主演の村川透監督の「処刑遊戯」のエンディングの印象的な台詞である。]
* * *
十五 洞山三頓
雲門、因洞山參次、門問曰、近離甚處。山云、査渡。門曰、夏在甚處。山云、湖南報慈。門曰、幾時離彼。山云、八月二十五。門曰、放汝三頓棒。山至明日却上問訊。昨日蒙和尚放三頓棒。不知過在甚麼處。門曰、飯袋子、江西湖南便恁麼去。山於此大悟。
無門曰、雲門、當時便與本分草料、使洞山別有生機一路、家門不致寂寥。一夜在是非海裏著到、直待天明再來、又與他注破。洞山直下悟去、未是性燥。且問諸人、洞山三頓棒、合喫不合喫。若道合喫、草木叢林皆合喫棒。若道不合喫、雲門又成誑語。向者裏明得、方與洞山出一口氣。
頌曰
獅子教兒迷子訣
擬前跳躑早翻身
無端再敍當頭著
前箭猶輕後箭深
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十五 洞山の三頓(さんとん)
雲門、因みに洞山の參ずる次(つい)で、門、問ふて曰く、
「近離、甚(いづ)れの處ぞ。」
と。山云く、
「査渡(さと)。」
と。門曰く、
「夏(げ)、甚れの處にか在る。」
と。山云く、
「湖南の報慈(はうず)。」
と。門曰く、
「幾時(いつ)か彼(かしこ)を離る。」
と。山云く、
「八月二十五。」
と。
門曰く、
「汝に三頓の棒を放(ゆる)す。」
と。
山、明日に至りて却りて上り、問訊す。
「昨日、和尚、三頓の棒を放すことを蒙る。知らず、過(とが)、甚麼(いずれ)の處にか在る。」
と。
門曰く、
「飯袋子(はんたいす)、江西湖南(こうぜいこなん)、便ち恁麼(いんも)にし去るか。」
と。
山、此に於いて大悟す。
無門曰く、
「雲門、當時(そのかみ)、便ち本分の草料を與へて、洞山をして別に生機(さんき)の一路ありて、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏(かいり)に在りて著倒(じやくたう)し、直(ぢき)に天明を待ちて再來するや、又た、他(かれ)の與(ため)に注破す。洞山、直下(ぢきげ)に悟り去るも、未だ是れ、性(しやう)、燥(さう)ならず。且らく諸人に問ふ、洞山三頓の棒、喫すべきか、喫すべからざるべきか。若し、喫すべしと道(い)はば、草木叢林、皆な、棒を喫すべし。若し、喫すべからずと道はば、雲門、又た、誑語(かうご)を成すなり。者裏(しやり)に向かひて明らめ得ば、方(まさ)に洞山の與(とも)に一口(いつく)の氣を出さん。」
と。
頌して曰く、
獅子 兒を教ふ 迷子(めいし)の訣(けつ)
前(すす)まんと擬して 跳躑(てうちやく)して早(つと)に翻身(ほんしん)す
端(はし)無く再び敍(の)ぶ 當頭著(たうとうぢやく)
前箭(ぜんせん)は猶ほ輕きがごとくして 後箭(こうせん)は深し
*
淵藪野狐禪師訳:
十五 洞山和尚の六十棒
雲門和尚は、機縁の中で、後の洞山守初が行者(あんじゃ)として初めて参禅しに来た際、開口一番、
「何処から来た。」
とぶしつけに訊く。洞山は答える。
「査渡から。」
雲門は続けざまに訊く。
「この夏安居(げあんご)は、何処に居た。」
洞山は答える。
「湖南の報慈(ほうず)で。」
雲門は畳み掛けて訊く。
「何時(いつ)そこを出た。」
洞山は答える。
「八月二十五。」
すると、雲門は吐き捨てて言った。
「貴様、三頓六十棒の値打ちもネエ、奴だ。」
洞山は、その後(あと)、ずっと座禅を組んで考えてみたが、和尚の最後の言葉の意味が分からず、翌日、夜が明けるとすぐに雲門和尚の室(へや)に上(のぼ)り、訊ねた。
「昨日(さくじつ)、和尚さまは、私めを、六十棒を加える値打ちもない輩である、と断ぜられた。しかし、どう考えてみても、分かりませぬ、その咎(とが)は、一体、何処(いずこ)に在るのか?」
と。
雲門、一喝して言う。
「この大飯喰(おおめしぐ)らいの、飯袋(めしぶくろ)の、糞袋(くそぶくろ)が! 江西だ、湖南だと、貴様は一体、何処(どこ)をうろうろしておった!!」
洞山は、その瞬間、そこで、大悟した。
無門、商量して言う。
「そん時その場の、馬飼い雲門、洞山馬(どさんこ)守初に極上の、飼い葉与えて洞山を、サラブレッドに、俄かに仕立て、子種断つのをER。昼夜兼行、七転八倒、疾風怒濤の一夜明け、東天紅のその朝(あした)、直ちに膝下に寄り来れば、また駄馬撫でて、優しく調教。確かに洞山、悟ったと言えぬわけではあるまいが、まだまだ鋭利な才とは言えぬ。
――それでは、次の問を諸君に示そう!
『洞山は三頓六十棒を喰らった方がよかったのか? それとも、喰らわずに済んでよかったのか?』
――もしも、喰らうべきだと言うならば、その時は、ありとあらゆる修行者は、皆、三頓六十棒を喰らわねばならない。
――もしも、喰らう必要も義務もないと言うならば、その時は、雲門文偃(ぶんえん)という大騙(おおかた)りが、またとんでもない流言蜚語を吐いたということになる。
――さあて、この、どんよりとしたありさまを、ぱっと明るく晴らせたならば、洞山父さん、あなたのために、文偃煤煙一吹きで、飛ばして心も、青い空!」
次いで囃して言う。
獅子は子を 谷に堕(お)として教導す
その子また 堕ちると見せて絶壁に とんぼを打つて 身を翻(かえ)す
はしなくも 今 第二問 バスンと正鵠!
一の矢 するりと皮を剥ぎ 二の矢で ブっすり心の臓
[淵藪野狐禪師注:
・「三頓」一頓は警策・拄杖(しゅじょう)で二十回叩かれることを言う。「査渡」及び「報慈」の地名は不詳。識者の御教授を乞う。
・「江西湖南」はそのまま訳したが、西村注によれば『略して江湖とも。江西には馬祖(ばそ)、江南には石頭(せきとう)というごとく、唐代の中国で禅の盛んであった地方。転じて天下の意。』とあり、そのようなスケールでの謂いと、確かにとるべきところである。但し、西村氏も該当箇所は『江西だの湖南だのと』と訳しておられる。
・「草木叢林」は大小の禅林、すべての禅寺、すべての禅者の意。]
* * *
十六 鐘聲七條
雲門曰、世界恁麼廣闊。因甚向鐘聲裏披七條。
無門曰、大凡參禪學道、切忌、隨聲遂色。縱使聞聲悟道、見色明心也是尋常。殊不知、納僧家、騎聲蓋色、頭頭上明、著著上妙。然雖如是。 且道、聲來耳畔、耳往聲邊。直饒響寂雙忘、到此如何話會。若將耳聽應難會、眼處聞聲方始親。
頌曰
會則事同一家
不會萬別千差
不會事同一家
會則萬別千差
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十六 鐘聲七条
雲門曰く、
「世界、恁麼(いんも)に廣闊たり。甚(なん)に因りてか、鐘聲裏(しやうせいり)に向かひて、七條を披(き)る。」
と。
無門曰く、
「大-凡(おほよ)そ參禪學道、切に忌(ゐ)む、聲に隨ひ、色を逐ふことを。縱-使(たと)ひ聞聲悟道(もんしやうごだう)、見色明心(けんしきみやうしん)なるも也(ま)た是れ、尋常なり。殊に知らず、納僧家(なうさうけ)、聲に騎(の)り、色を蓋ひ、頭頭上(づづじやう)に明らかに、著著上(じやくじやくじやう)に妙なることを。是くのごとく然ると雖も、且らく道(い)へ、聲、耳畔(にはん)に來たるか、耳、聲邊に往くか。直-饒(たと)ひ響と寂と、雙(なら)び忘(ばう)ぜんとも、此に到りて如何んが話會(わゑ)せん。若し耳を將(も)つて聽かば、應(まさ)に會(ゑ)すこと難かるべし。眼處(げんしよ)に聲を聞きて、方(まさ)に始めて親し。」
と。
頌して曰く、
會(ゑ)せば則ち 事(じ) 同一家(だういつけ)
會せざらば 事 萬別千差(ばんべつせんしや)
會せざらば 事 同一家
會せば則ち 事 萬別千差
*
淵藪野狐禪師訳:
十六 雲門和尚の「鐘が鳴ったら、おめかしかい?」
雲門和尚が言う。
「世界は、こんなにも果てしなく、こんなにも気持ちよく広々としているではないか! だのに、どうして、お前たちは、起床の鐘が鳴ったと言うては、めかし込むんじゃ?」
無門、商量して言う。
「……だいだいやね、参禅修学しょちゅう奴はやね、いっとう気いつけなあかんのはやね、周りの音やらやね、眼に見える形や色やらやね、そういったものにやね、引きずられんことやね……
……だいたいやね、昔の人はやね、『聞声悟道』やら『見色明心』やらやね、一見やね、ありがたい感じでやね、ごっついこと言うとんみたいやけどね、まあまやね、そないなこつはやね、実はやね、誰にでもやね、普通にあることやね……
……だいたいやね、禅の坊主さえやね、分かっとらんのとちゃうやろかね……
……だいたいやね、外から入ってくる声にやね、がっつり馬乗りしてやね、形あるもんにはやね、女抱くようにしてやね、がばっと両手でかかえてやらにゃあかんのやね……
……だいたいやね、そうしてやね、一つ一つをやね、しっかりとやね、受け取るわけやね……
……だいたいやね、そうしてやね、一手一手がやね、どんなに大事かちゅうことをやね、分かるわけやね……
……だいたいやね、こないやと言うてもやね
――どこぞの、けたくそ悪い、教授まがいの茶番は、終わりじゃ!
さあ、以下の問いに答えてみよ!
『音が耳に対してやってくるのか? 耳が音に対して行くのか? 耳か!? 音か!?』
――たとえ阿鼻叫喚の大音声(だいおんじょう)と絶対零度の静寂の、両極を超越した時空間に存在する者であったとしても、この微妙な様態に対し、如何なる説明を啓示し得るであろうか?
――もしも、ここで『耳で音を聞く』というのであれば、とても『ここ』を解明することは出来ない。
――ここは、まさに『眼で音を聞く』という命題にして初めて、『音』と一体になれるのである。」
次いで囃して言う。
『分かった』と思ってしまえば 皆 のっぺり
『分からん』と思ってしまえば 皆 バラバラ
ほんとうに『分からん』時くれば すべては美事 ただ一つ
ほんとうに『分かった』時くれば すべては美事 千の風!
[淵藪野狐禪師注:
・「七條」は僧侶の三衣(さんえ/さんね)一つ、普段着である鬱多羅僧(うったらそう)の別名。三衣とは、僧が着る袈裟の三種類を言い、正装たる僧伽梨(そうぎゃり)=大衣=九条、普段着に相当する鬱多羅僧=上衣=七条、作業服に相当する安陀会(あんだえ)=中衣=五条の三種。ここで言う条とは、一般に連想されるような襞ではなく、小さな布を縦に繋いだものを横に何本か繋いだものを示す語で、御覧の通り、多い方がより正式・高位を示す。
・「聞聲悟道、見色明心」について、西村注は『竹を撃つ石の音を聞いて悟った香厳智閑(きょうげんちかん)(?―八九八)や。満開の桃の花を一見して悟った霊雲志勤(れいいいうんしごん)(生没年未詳)などを指す。』という文字通り、打って響いた素晴らしい注を附しておられる。私はこういう注がよい注であると思う。
・「頌」の訓読について言えば、西村氏は
会(え)するときんば、事(じ)、同一家(どういつけ)。
会せざるときは、事、万別千差(ばんべつせんしゃ)。
会せざるときも、事、同一家。
会するときんば、事、万別千差。
と訓読されている。これが禅家での本則の標準的な読みなのであろうが、どうも私にはしっくりこない。そもそも、西村氏はこの「頌」に対して、『前の二句は迷いの立場(悟れば一切平等であるが、悟らないと一切が統一を失う)、あとの二句は悟りの立場(悟らなくてさえ一妻平等なのだから、悟れば一切がそれぞれに光を放つ)。』という注を附しておられる。ここで、承句と起句が構造上、二元論的に切れている以上、起句で累加を感じさせてしまう日本語の係助詞「も」を持ってくるのは訓読として相応しいとは思われない(私には「も」という日本語の姑息な助詞をわざと意地悪く用いて訓読し、誤読するようにしむけているようにしか思われないのである)。恐らくこれは『会せざる』という軽いものを挙げて、結句の『会するとき』の重さに対応させているのであろうが、如何にも嫌味である。中国語として、私の訓読に大きな誤りありとせば、是非とも御教授を願いたい。]
* * *
十七 國師三喚
國師三喚侍者。侍者三應。國師云、將謂吾辜負汝、元來却是汝辜負吾。
無門曰、國師三喚、舌頭墮地。侍者三應、和光吐出。國師年老心孤、按牛頭喫草。侍者未肯承當。美食不中飽人※、且道、那裏是他辜負處。國淨才子貴、家富小兒嬌。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。「餐」と同字。]
頌曰
鉄枷無孔要人擔
累及兒孫不等閑
欲得撐門并拄戸
更須赤脚上刀山
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十七 國師(こくし)、三たび喚(よ)ぶ
國師、三たび、侍者を喚ぶ。侍者、三たび應ず。國師曰く、
「將に謂(おも)えり、吾れ汝に辜負(こぶ)すと。元來却りて、是れ、汝、吾れに辜負す。」
と。
無門曰く、
「國師三喚、舌頭(ぜつたう)地に墮つ。侍者三應(さんおう)、光に和して吐出す。國師年老い、心、孤にして、牛頭(ごづ)を按(あん)じて草を喫せしむ。侍者、未だ肯(あへ)て承當(じようたう)せず。美食も飽人(はうじん)の※(さん)に中(あた)らず。且らく道(い)へ、那裏(なり)か是れ、他(かれ)が辜負の處ぞ。國淨くして、才子貴(たふと)く、家富んで小兒嬌る。」
と。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=「氵」+「食」。「餐」と同字。]
頌して曰く、
鐵枷(てつか)無孔(むく) 人の擔(にな)はんことを要す
累(わざはひ) 兒孫に及びて等閑ならず
門を撐(ささ)へ并びに戸を拄(ささ)へんと欲-得(ほつ)せば
更に須らく赤脚にして刀山(たうざん)に上(のぼ)るべし
*
淵藪野狐禪師訳:
十七 慧忠国師、三度、弟子を喚ぶ
ある日、南陽の慧忠国師は、三度、親しく用いている弟子の名を呼んだ。弟子は、
「はい。」
「はい。」
「はい。」
と、呼ばれるつど、三度とも確かに応えた。しかし、二度とも、師はそのまま何も命ずることなく黙っていた。三度目の呼びかけと応答の後、暫くの沈黙の末に、師は言った。
「ずっと今まで、儂(わし)は、儂がお前の志しを台無しにしているために、お前が悟れぬのじゃろうとばかり思い込んでおった――じゃが、今、やっと分ったわ――何のことはない、お前が儂の志しを無にしてきたからに、お前が悟れぬのじゃということが、の。」
無門、商量して言う。
「国師無双は名ばかりで、三度も弟子に、呼びかけて、語るに堕ちたぁ、このことよ。三度応えたお弟子の方が、和光同塵、両腕でガバと懐(ふところ)押し開き、その腸(はらわた)までも、ガバリとベロリ! 国師国立特養ホーム、すっかり淋しくなっちゃって、牛の頭を撫ぜ撫ぜし、手ずから草を差し上げる。だのにボンクラ、鈍い弟子、訳も分らず、ただ、おろおろ。どんなに豪華な食事でも、お腹(なか)がくちくなってれば、そんな奴には意味がない。さても、ここでズバリ、言え! さても一体、この話、何処(どこ)でお弟子は、先生の『お志しを無にしてる』? こんな諺、知ってるか?――国が半端な平和に在れば、小賢しい奴、お高くとまり、ちょいとお金が溜まった家じゃ、我儘勝手なガキが出る――と。どっかの国と、こりゃ、同じ。」
次いで囃して言う。
人は皆 見えもしないし取れもしない 窮極にして極上の お仕置き道具の首枷(くびかせ)を しっかと嵌めていることを 肚に命じておくがよい
そのことを知らねば 禍(わざわ)いは 半端じゃないよ 迷惑至極 遙かに遠く子々孫々 この世の果てまでご同伴
それでも国旗だ国家だの 人類皆(みな)兄弟だのとほざきおる 「地球に優しく」真綿で締める それですっかり満足してりゃ
そんときゃあの世で 単独登攀 それも裸足で 針の山
[淵藪野狐禪師注:「和光同塵」は本来は、「老子」四章「和其光、同其塵」を故事とする語で、高貴な光を和らげて、俗界の塵埃に交わるという意味で、自己の才能を包み隠し、俗世間に交わることを言う。これが仏教用語となると、仏や菩薩が本来の無量の威光を減衰させて、一切の衆生を救うために、わざわざ塵埃に満ち溢れた現世に垂迹し、顕現することを言う。]
* * *
十八 洞山三斤
洞山和尚、因僧問、如何是佛。山云、麻三斤。
無門曰、洞山老人、參得些蚌蛤禪、纔開兩片露出肝腸。然雖如是、且道、向甚處見洞山。
頌曰
突出麻三斤
言親意更親
來説是非者
便是是非人
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十八 洞山の三斤(さんぎん)
洞山和尚、因みに僧、問ふ、
「如何か、是れ、佛。」
と。
山云ふ、
「麻(ま)三斤。」
と。
無門曰く、
「洞山老人、些(いささ)か蚌蛤(ばうかふ)禪に參得し、纔(わづ)かに兩片を開き、肝腸露はに出だす。是くの如ごと然ると雖も、且(しばら)く道(い)へ、『甚(いか)なる處に向ひてか洞山を見ん。』。」
と。
頌して曰く、
突出す 麻三斤
言 親にして 意 更に親なり
來つて是非を説く者
便ち是れ 是非の人
*
淵藪野狐禪師訳:
十八 洞山和尚の「麻三斤(まさんぎん)」
洞山和尚は、ある時、機縁の中で、ある僧から問われた。
「仏とは如何なるものですか。」
洞山、言う。
「僧衣一着麻(あさ)三斤。」
無門、商量して言う。
「ヨイヨイ洞山老いぼれた。野狐禅飽いたと思うたら、ドブガイ禅をチト齧る。チビっと口を開(あ)くだけで、生の肝胆(かんたん)デロリ丸出し。さればこそ、こげな始末とあいなった、あ、あいなった、あん? あいなったと雖も、さればこそ! 己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――一体、この中の、何処で、お前は洞山の、露わなキモを、真っ向、見据えたか!――さあ! さ! さぁ、言うみよ!」
次いで囃して歌う。
ぶっとんでるゼ! 「麻(ま)三斤(さんぎん)」!
誰でも分かる! 「麻三斤」! 心にやさしい! 「麻三斤」!
鵜の目鷹の目 寄って来ちゃ ああだこうだと云う奴は
悟りの「さ」の字も舐められぬ 呼んで嘲(ちょう)して『是非の人』!
* * *
十九 平常是道
南泉、因趙州問、如何是道。泉云、平常心是道。州云、還可趣向否。泉云、擬向即乖。州云、不擬爭知是道。泉云、道不屬知、不屬不知。知是妄覺、不知是無記。若眞達不擬之道、猶如太虚廓然洞豁。豈可強是非也。州於言下頓悟。
無門曰、南泉被趙州發問、直得瓦解氷消、分疎不下。趙州縱饒悟去、更參三十年始得。
頌曰
春有百花秋有月
夏有涼風冬有雪
若無閑事挂心頭
更是人間好時節
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
十九 平常(びやうじやう)、是れ、道(だう)
南泉、因みに趙州(じやうしふ)、問ふ、
「如何なるか、是れ、道。」
と。
泉曰く、
「平常心、是れ、道。」
と。
州云く、
「還りて趣向すべきや。」
と。
泉曰く、
「向はんと擬すれば、即ち乖(そむ)く。」
と。
州云く、
「擬せずんば、爭(いか)でか是れ、道なることを知らん。」
と。
泉曰く、
「道は知にも屬せず、不知にも屬せず。知は是れ、妄覺、不知は是れ、無記。若し眞に不疑の道に達せば、猶ほ太虚の廓然(かくねん)として洞豁(たうかつ)なるがごとし。豈に強いて是非すべけんや。」
と。
州、言下(ごんか)に頓吾(とんご)す。
無門曰く、
「南泉、趙州に發問せられて、直(ぢき)に得たり、瓦解氷消(がげひやうせう)、分疎不下(ぶんそふげ)なることを。趙州、縱-饒(たと)ひ悟り去るも、更に參ずること、三十年にして始めて得ん。」
と。
頌して曰く、
春に百花有り 秋に月有り
夏に涼風有り 冬に雪有り
若し閑事(かんじ)の心頭に挂(か)くる無くんば
便ち是れ 人間の好時節
*
淵藪野狐禪師訳:
十九 平常心、これぞ道
南泉和尚は、ある時、機縁の中で、弟子であった後の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)に問われた。
「『道』とは?!」
南泉、言う。
「平常心、これぞ『道』。」
趙州、重ねて問う。
「やはりそのために努力すべきや?!」
と。
南泉、言う。
「『道』を求めんとして努力せんとせば、道から乖(はな)る。」
趙州、また重ねて問う。
「何もせずんば、何故(なにゆえ)に、その『道』なるを知らん?!」
――すると、南泉和尚は、黙ったまま、従諗を促して、法堂(はっとう)の外に出た。そうして、両手で如何にも気持ちよさそうに伸びをして、おもむろに言った。
「よく聞くがいい、従諗(じゅうしん)よ……『道』とは『知』に属するものではなく、『不知』に属するものでもない――『知る』とか『知らない』とかいう次元を、既に已に完全に超越したものなのじゃ――言い換えれば、『知』という『様』そのものが『妄想・錯覚』以外の何ものでもなく、『不知』という『様』そのものが『無意味な白紙の「無」』以外の何ものでもないのということじゃ。……従諗よ、考えてもみよ、如何なるものにも『そのようにしようとする』意識が全く働かなくなる『不擬』の道――そこに達して、のびのびと生きることが出来たら、……ほれ、従諗よ、見上げて見い、このからりと晴れ渡った今日の美しい深く澄んだ青い空を……そうなんじゃ、『それ』はきっと、『このようなもの』に違いない……それだのに、どうしてお前は、肩肘張っては何だかんだと、もの謂いをするかのぅ……」
――という、南泉のその言葉が終わらぬうちに、趙州はすっかり悟っていたのであった。
無門、商量して言う。
「【暗號電信飜譯文】南泉正規軍ハ本日未明趙州ゲリラニ急襲サレ虜囚トナリテ想像ヲ絶スル拷問ヲ受ク/我軍将兵ハ徹底的ニ瓦解シ去リ漸次皆殲滅サル/我モ無數ノ「ト」連送ヲマサシク受信セリ/本作戰ノ失敗ニ附キテハ南泉將軍最早申シ開キスベキ事能ハザルベシト推察ス/然レド完全ナル勝利ヲ收メ得タルト思ヒシナラン敵趙州ゲリラ部隊ト雖ヘドモ本戰線ニ於ケル戰鬪ハ爾後三十有餘年ノ繼續ヲバ必須トセンコト必定ナラント我最期ニ認メ得タリ/トトトトトトトトトトトトトトト」
次いで囃して言う。
春ニ百花ノ美シキ 秋ニ月夜ノ麗シキ
夏ニ涼シキ風ノ吹キ 冬ニ雪見ノ好マシキ
コノ世ノツマラヌアラユル事ニ スッキリアッサリ サヨナラスレバ
コノオゾマシキ人ノ世モ 年ガ年中 シャングリ・ラ!
[淵藪野狐禪師注:
・「不疑」は訳では「不擬」とした。これは原文底本の西村注で、本公案を収録する別本「祖堂集」では『「不擬」となっていて、より意味が通じる』とあるのを受けた。この注は、「擬」には、~しようと欲する・~しようとする、の意があることを指すのであろう。
・『「ト」連送』とは、文末にある通り、特攻する際、「我突撃ス」の暗号電文として、特攻機から連打される「ト」を連打した電信を言う。それが途切れた時が、特攻の瞬間であった。ちなみに私の父は少年航空兵として特攻隊を志願していた。待っているうちに、敗戦が来たのであった。即ち、彼がその志し通りに生きたとすれば、私はこの世に存在しないというわけである。この辺りのことについては、以下の私のブログ「僕が教師を辞めたい理由」を御笑覧下されば幸いである。
・「シャングリ・ラ」Shangri-Laは、イギリスの作家James Hiltonジェームズ・ヒルトン(1900~1954)が1933年に出版した小説「失われた地平線」に出てくるユートピアの名。小説中の設定ではヒマラヤ山脈近辺に位置し、実際にはチベットのシャンバラをモデルとしている。]
* * *
二十 大力量人
松源和尚云、大力量人、因甚擡脚不起。又云、開口不在舌頭上。
無門曰、松源可謂、傾腸倒腹。只是欠人承當。縱饒直下承當、正好來無門處喫痛棒。何故。※。要識眞金、火裏看。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。物を指差す形容。また、仏書にあって語調を整える助辞。]
頌曰
擡脚踏翻香水海
低頭俯視四禪天
一箇渾身無處著
請、續一句
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十 大力量の人
松源和尚云く、
「大力量の人、甚(なん)に因りてか脚を擡(もた)げて起きざる。」
と。
又、云ふ、
「口を開くこと、舌頭上に在らざる。」
と。
無門曰く、
「松源、謂(い)ひつべし、腸を傾け、腹を倒す、と。只だ是れ、人の承當(じようたう)するを欠くのみ。縱-饒(たと)ひ直下(ぢきげ)に承當すとも、正に好し、無門が處に來りて痛棒を喫せんに。何が故ぞ。※(にい)。眞金を識らんと要(ほつ)せば、火裏にして、看よ。」
と。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]
頌して曰く、
脚を擡(もた)げて踏翻す 香水海(かうずいかい)
頭を低(た)れて俯視す 四禪天
一箇の渾身 著くるに處無し
請ふ、一句を續(つ)げ。
*
淵藪野狐禪師訳:
二十 大力量の人
松源和尚は言う。
「一瞬にして悟りを開き得る力量の者が、どうして何時までも座禅から立ち上がらぬ!」
又、こうも言った。
「一瞬にして悟りを開き得る力量の者が、どうして口を開くに、舌を用いて話さぬのか!」
無門、商量して言う。
「松源和尚め、何とまあ、腹を横たえざっくりと、開いた上に腸(はらわた)まで、べろりとすっかり掻き出しやがった、と言う感じじゃが――こいつは単に、奴(きゃつ)の言葉を受け止める、大力量が居ないだけ――いやたとえ、受け止める者がおったとて、それでも無門がもとへ来るがよい! びしっと一発、痛棒せんに!――何故? だ、とぉ!? 純金か紛(まが)いものかを知りたけりゃ、あっさり火中に投げ入れて、見る以外には、法はねえんじゃ!」
と。
次いで囃して言う。
脚上げてぽんと蹴飛ばせ 香水海(こうずいかい)
見下ろしてねめつけてやれ 四禅天
この世に受けたこの体(からだ) 何処にも置き場がありんせん
…………………………………
【無門慧開が読者であるあなたの耳元で囁く】「結句は、お前に――任せたゼ!」――
[淵藪野狐禪師注:
・「香水海」は古代インド及び仏教的世界観の中のある海の名。「阿含経」等によれば、虚空無限の中に風輪が浮かび、その上層に金輪がある。その金輪の中心に須弥山(しゅみせん)と言われる高い山が聳え立ち、これを海と山が交互に八周して囲んでいる。七周する海は香水海と呼ばれ、八周目の最後の海を鹹海(かんかい)と呼び、この海の外側を鉄囲山(てっちせん)という山脈が更に廻っている。この鹹海には東西南北の四方に四つの大陸があって、それを四大洲という。そのうち、南にある大陸を閻浮提(えんぶだい)と呼び、そこが我々人間が住む世界であるとする。ちなみに、これら総てを合わせて九山八海(くせんはっかい)と呼ぶ。
・「四禅天」は、欲界に於いて禅を修することで生まれかわるとされる、色界の四天のこと。初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天の総称。淫欲・食欲は消し去られるが、色=物質への執着は残存する世界であるとする。]
* * *
二十一 雲門屎橛
雲門、因僧問、如何是佛。
門云、乾屎橛。
無門曰、雲門可謂、家貧難辨素食、事忙不及草書。
動便將屎橛來、撐門挂戸。
佛法興衰可見。
頌曰
閃電光
撃石化
貶得眼
巳蹉過
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十一 雲門の屎橛(しけつ)
雲門、因みに僧、問ふ。
「如何ぞ是れ佛(ほとけ)。」
門云ふ。
「乾屎橛(かんしけつ)。」
無門曰く、
「雲門謂ひつべう、家、貧にして、素食(そじき)さへ辨じ難く、事(じ)、忙にして、草書するに及ばず。動(やや)もすれば便ち、屎橛將(も)ち來つて、門を撐(ささ)へ、戸を挂(ささ)ふ。佛法の興衰、見るべし。」
と。
頌に曰く、
閃電光
撃石化
眼を貶得(さふとく)せば
巳に蹉過(さか)たり
*
淵藪野狐禪師訳:
二十一 雲門和尚のカチ糞
雲門文偃(ぶんえん)は、ある時、機縁の中で、ある僧から問われた。
「仏とは如何なるものですか。」
雲門、言う。
「乾いたカチ糞の棒。」
無門、商量して言う。
「雲門文偃ちゅう奴は、家は貧しく、菜飯(なめし)さえ、味わうことも出来なんだ。年がら年中、他事多忙、小洒落た消息(たより)の一筆も、ものす暇さえあらなんだ。ともすりゃ、じきにカチ糞の、長~い奴を持って来ちゃ、門や戸ぼそへつっ支(か)い棒。『仏法ノ興廃此ノ「一線」ニ有リ!』 見るべし! 打つべし! 堅糞(けんぷん)の一警策!」
次いで囃して歌う。
ピカッ! と 一閃 稲光り
ガキッ! と 一撃 火打石
瞬きなんぞ した日にゃ
気づいた時には 大誤算
* * *
二十二 迦葉刹竿
迦葉、因阿難問云、世尊傳金襴袈裟外、別傳何物。葉喚云、阿難。難、應諾。葉云、倒却門前刹竿著。
無門曰、若向者裏下得一轉語親切、便見靈山一會儼然未散。其或未然、毘婆尸佛、早留心、直至而今不得妙。
頌曰
問處何如答處親
幾人於此眼生筋
兄呼弟應揚家醜
不屬陰陽別是春
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十二 迦葉(かせふ)の刹竿(せつかん)
迦葉、因みに阿難、問ふて云く、
「世尊、金襴の袈裟を傳ふるの外、別に何物をか傳ふや。」
と。
葉、喚びて云く、
「阿難。」
難、應諾す。
葉、云ふ。
「門前の刹竿、倒却著(たうきやくぢやく)せよ。」
無門曰く、
「若し者裏(しやり)に向ひて一轉語を下し得て親切ならば、便ち、靈山一會、儼然(げんぜん)として未だ散せざるを見ん。其れ、或ひは未だ然らずんば、毘婆尸佛(びばしぶつ)、早く心を留むるも、直(た)だ、而-今(いま)に至るまで妙を得ず。」
と。
頌に曰く、
問處(もんしよ)は答處(たつしよ)に親しきに何如
幾人か此に於いて眼に筋を生ず
兄(けい)呼べば弟(てい)應じて家醜を揚ぐ
陰陽に屬せず別に是れ春
*
淵藪野狐禪師訳:
二十二 迦葉の旗竿(はたざお)
迦葉は、ある時、機縁の中で、阿難に問われた。
「御釈迦様は金襴の袈裟以外、他に何をあなた様にお伝え下すったのですか?」
すると迦葉は、
「阿難。」
と、お声をかけられた。阿難は、すかさず、
「はい。」
と答えた。
迦葉尊者は言う。
「門前にある説法の旗竿、あれはもう、降ろしておくれ。」
無門、商量して言う。
「もしも二人のこの話、この理(ことわり)に、ざっくりと、迷悟一転言い得て妙の、一句ものして美事ならば、一期一会の霊鷲(りょうしゅう)山、かの有り難き釈迦説法、その肉声も朗々と、未だお開きの気配なし。――されどそれ、片言双句の一言(ひとこと)も、吐くに及ばず候へば、釈迦に先立つ過去七仏、その第一の毘婆尸仏、その遙か昔の大昔、とっくのとうに心定め、ずうーっと修行をなされしが、ただただ只今に至るまで、一度もピンとくることなし、という体たらく。」
次いで囃して歌う。
――問題と解答。この二つには、本来的に二分法は使えない。されば、それはどのようなものか?――
――無数の挑戦者が、この地点で眼球を筋肉に変性させて苦悩した事実ばかりが存在する――
……因みに、ここで先達迦葉が「阿難。」と呼びかけたこと、それに弟子阿難が「はい。」と応答したこと、これらは確かに禅家にとって美事に醜陋な恥そのものであることは記憶せねばならない……
――されば言おう――他愛ない物化に過ぎぬ陰と陽――その相対認識から脱却したところに――この世界とは全く別個の『永遠に春である世界』が――確かに存在する、と――
[やぶちゃん注:「過去七仏」とは、釈迦以前に存在した7人の仏陀(修行の果てに悟道に達した人)をいう。我々の一般的な歴史認識は釈迦を仏教の始点とするために奇異な感覚が生じるが、仏法は普遍の真理として当然それ以前から、否、時空を超えて永劫に『在る』わけであり、この過去仏が居なければ、逆に論理的でないとも言えよう。最も古い過去世の仏はここに示された「毘婆尸仏」で、以下順に尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・倶留孫仏(くるそんぶつ)・倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)、そして釈迦仏である。]
* * *
二十三 不思善惡
六祖、因明上座、趁至大庾嶺。祖見明至、即擲衣鉢於石上云、此衣表信。 可力爭耶、任君將去。明遂擧之如山不動、踟蹰悚慄。 明白、我來 求法、非爲衣也。願行者開示。祖云、不思善、不思惡、正與麼時、那箇是明上座本來面目。明當下大悟、遍體汗流。泣涙作禮、問曰、上來密語密意外、還更有意旨否。祖曰、我今爲汝説者、即非密也。汝若返照自己面目、密却在汝邊。明云、某甲雖在黄梅隨衆、實未省自己面目。今蒙指授入處、如人飲水冷暖自知。今行者即是某甲師也。祖云、汝若如是則吾與汝同師黄梅。善自護持。
無問曰、六祖可謂、是事出急家老婆心切。譬如新茘支剥了殻去了核、送在你口裏、只要你嚥一嚥。
頌曰
描不成兮畫不就
贊不及兮休生受
本來面目没處藏
世界壞時渠不朽
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十三 善惡を思はず
六祖、因みに明(みやう)上座、趁(お)ふて、大庾嶺(だいゆれい)に至る。
祖、明の至るを見て、即ち衣鉢を石上に擲(な)げて云く、
「此の衣(え)は信を表す。力をもちて爭ふべけんや、君が將(も)ち去るに任す。」
と。
明、遂に之れを擧ぐるに、山のごとくに動ぜず、踟蹰(ちちう)悚慄(しやうりつ)す。
明曰く、
「我は來たりて法を求む、衣の爲にするに非ず。願はくは行者(あんじや)、開示したまへ。」
と。
祖云く、
「不思善、不思惡、正與麼(しやうよも)の時、那箇(なこ)か是れ、明上座が本來の面目。」
と。
明、當下(たうげ)に大悟、遍體、汗、流る。泣涙(きふるい)作禮(されい)し、問ふて曰く、
「上來(じやうらい)の密語密意の外、還りて更に意旨(いし)有りや。」
と。
祖曰く、
「我れ今、汝が爲に説く者は、即ち密に非ず。汝、若し自己の面目を返照(はんせう)せば、密は却りて汝が邊(へん)に在らん。」
と。
明云く、
「某-甲(それがし)、黄梅(わうばい)に在りて衆に隨ふと雖も、實に未だ自己の面目を省(せい)せず。今、入處(につしよ)を指授(しじゆ)することを蒙(かうむ)りて、人の水を飮みて冷暖自知するがごとし。今、行者は、即ち是れ、某甲の師なり。」
と。
祖云く、
「汝、若し是くのごとくならば、則ち吾と汝と同じく黄梅を師とせん。善く自(おのづ)から護持せよ。」
と。
無門曰く、
「六祖、謂ひつべし、是の事は急家(きふけ)より出でて老婆心切なり、と。譬へば、新しき茘支(れいし)の殼を剥ぎ了(をは)り、核を去り了りて、你(なんぢ)が口裏(くり)に送在して、只だ你(なんぢ)が嚥一嚥(えんいちえん)せんことを要するがごとし。」
と。
頌して曰く、
描(ゑが)けども成らず 畫(ゑが)けども就(な)らず
贊するも及ばず 生受(さんじゆ)することを休(や)めよ
本來の面目 藏(かく)すに處(ところ)沒(な)し
世界の壞時(えじ) 渠(かれ) 朽ちず
*
淵藪野狐禪師訳:
二十三 善惡を思わない
六祖慧能が、慧能自身が五祖弘忍から嗣(つ)いだ法灯をそのままに、蒙山恵明(けいみょう)に嗣いだ時の話である。
慧能は、ある日、ぷいと自分がそれまでいた寺を出てしまった。
当時、未だその同じ寺で上座を勤めていた恵明は、機縁の中で、慧能の後を追いかけて行き、遂に大庾嶺(だいゆれい)の山中で追いついたのであった。
慧能は、恵明の姿が見えるや、即座にその袈裟を脱ぎ、鉢(はつ)もろともに、傍にあった岩の上にぽんと投げて、
「この袈裟は、拙僧が五祖弘忍さまから真実(まこと)の伝法を受けた証しとして、受け嗣いだもの――臂力権力を以って、争い奪い去る如きものでは、ない――あなたが、勝手に持ってゆかれるがよろしいかろう。」
と言って、穏やかな表情で恵明に対した。
恵明は、形ばかりの礼を示して、慧能の膝下に跪いていたが、その言葉を聞くや、かっと見開いた鋭い眼を上げると、慧能を凝っと見据えた。そうして、即座に躍り上がるや、慧能を見つめたまま、すぐ脇の石の上の衣鉢(いはつ)に手を伸ばして、荒々しくそれを取り挙げようした。
――動かない!?
恵明は恐懼(きょうく)して、黙ったまま、思わず衣鉢をきっと見つめるや、今度は両手でそれをぐいと摑むと、渾身の力を込めて持ち上げようとした。
――動かぬ!
薄くぼろぼろになった袈裟と粗末な鉢と――それが、如何にしても、山の如く微動だにせぬのであった。
恵明は、諦めて手を離すと、再び、慧能の前に土下座し、余りの恥かしさから、とまどい、また、恐れ戦(おのの)き、へどもどしながらも弁解して言った。
「……私めが、ここまで行者(ぎょうじゃ)を追いかけて参りましたのは、その『法』そのものを求めんがため……袈裟のためにしたことでは、御座らぬ……どうか、行者! 私めのために、悟りの真実(まこと)を開示して下されい!……」
すると慧能は、優しい声で問いかけた。
「遠く遙かに善悪の彼岸へ至り得た、まさにその時、何がこれ、明上座、そなたの本来の姿であるか?」
――その言葉を聴いた刹那、恵明は正に大悟していた。
恵明の体じゅうから汗が噴き出したかと思うと、瀧のように下り、涙はとめどなく流れ落ちた――暫らくして、身を正した恵明は、慧能にうやうやしく礼拝すると、謹んで誠意を込めて訊ねた。
「只今、頂戴し、確かに私めのものとし得た密かな呪言、聖なる秘蹟以外に、もっと別の『何か深き秘儀』は御座いませぬか?」
慧能は、ゆっくりと首を横に振りながら、穏やかに答えた。
「拙僧が今、あなたのために示し得たものは、総てが、秘儀でも、何でもない。あなたが、自分自身の本来の姿を正しく振り返って見たならば、きっとその『秘儀なるもの』は、かえって、あなたのの中にこそ、あるであろう。」
恵明は、莞爾として笑うと、
「拙者は、黄梅(おうばい)山にあって、かの五祖弘忍さまの下(もと)、多くの会衆とともにその教えに従い、修行に励んで参りました――しかし、実のところ、一度として、己(おのれ)の本来の姿を『知る』ということは、出来ませなんだ――ところが今、あなたさまから『ここぞ!』というお示しを頂戴し――丁度、人が生れて初めて水を飮んでみて、初めてその『冷たい!』ということ、また、『暖かい!』ということを、自(おの)ずから知ることが出来た――それと全く同じで御座いました――今、行者さま! あなたはまさしく、拙者の師で御座いまする。」
と言って、地に頭をすりつけた。
すると慧能は、ゆっくりとしゃがんむと、その両手で、土に汚れた恵明の両手をとり、諭すように言った。
「あなたが、もし言われた通りであられるなら、則ち私とあなたと――この二人は、共に黄梅の五祖弘忍さまを師としようとする者――どうか心からその法灯を堅くお守りあられよ。」
――恵明には、その慧能の声が、あたかも大庾嶺の峨々たる峰々に木霊しながら、遠く遙かな彼岸から聞こえてくる鐘の音(ね)のようにも思われたのであった――
無門、商量して言う。
「ヒップな六祖、言うならば、『やっちまたぜ! 老婆心! 有難迷惑! 至極千万! 小ずるい恵明に法灯を、渡してどないするんじゃい!』。喩えて言えば、新しい、茘支(ライチ)の殼を、剥(む)き剥きし、核(たね)までしっかり取り去って――『坊ちゃん、お口を、はい、ア~ン! 後は、自分でゴックン、ヨ♡』――」
次いで囃して言う。
描(か)いても描いても成りませぬ 彩(いろど)ってみても落ち着きませぬ
当然 画讃も書けませぬ だから礼には及びませぬ
生れたマンマのスッポンポン
壊劫(えこう)にあっても朽ちませぬ
[淵藪野狐禪師注:
・「大庾嶺」は、現在の江西省贛州(かんしゅう)市大余県と広東省韶関(しょうかん)市南雄市区梅嶺にまたがる山。
・「壊劫」は、仏教で言う四劫(しこう)の第三期。四劫とは仏教での一つの世界の成立から存在の消失後までの時間を四期に分けたもので、その世界の成立とそこに生きる一切衆生(生きとし生ける総ての生物)が生成出現する第一期を成劫(じょうごう)、その世界の存続と人間が種を保存して生存している第二期を住劫、世界が崩壊へと向かい完全に潰滅するまでの第三期を壊劫、その後の空無の最終期を空劫(くうこう)と呼ぶ。この四劫全部の時間を合わせたものを一大劫(いちたいこう)と呼ぶ。
・「渠」について西村注は『第三人称の代名詞。「伊」(かれ)に同じ。禅者が真実の事故を指していう語。』とある。]
* * *
二十四 離却語言
風穴和尚、因僧問、語默渉離微、如何通不犯。穴云、長憶江南三月裏、鷓鴣啼處百花香。
無門曰、風穴機如掣電得路便行。爭奈坐前人舌頭不斷。若向者裏見得親切、自有出身之路。且離却語言三昧、道將一句來。
頌曰
不露風骨句
未語先分付
進歩口喃喃
知君大罔措
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十四 離却語言(りきやくごげん)
風穴和尚、因みに僧、問ふ、
「語默離微に渉るに、如何にせば通じて不犯なる。」
と。
穴云く、
「長(とこしな)へに憶ふ 江南三月の裏(うち)
鷓鴣(しやこ)啼く處 百花香んばし」
と。
無門曰く、
「風穴、機、掣電(せいでん)のごとく、路(みち)を得て、便ち行く。爭-奈(いかん)せん、前人の舌頭を坐して不斷なることを。若し者裏(しやり)に向かひて見得して親切ならば、自(お)づから出身の路、有らん。且らく語言三昧を離却して、一句を道(い)ひ、將(も)ち來たれ。」
と。
頌して曰く、
風骨の句を露さず
未だ語らざるに先ず分付(ぶんぷ)す
歩を進めて口喃喃(くちなんなん)
知んぬ君が大いに措(を)くこと罔(な)きを
*
淵藪野狐禪師訳:
二十四 言葉を離れた言語(げんご)
風穴延沼(ふううけつえんしょう)和尚が、ある時、機縁の中で、ある衒学的な僧に、
「僧肇(そうじょう)はその著『宝蔵論』の離微体浄品第二で『其れ入れるときは離、其れ出づるときは微』『謂ひつべし、本浄の体(てい)、離微なりと。入るに拠るが故に離と名づけ、用(ゆう)に約するが故に微と名づく。混じて一と為す』とありますが、これは、全一なる絶対的実存の本質であるところのものが『離』であり、その『離』が無限に働くところの多様な現象の様態なるものが『微』である、ということを述べております。さて、本来の清浄な真実(まこと)というものの存在は、この『離』と『微』とが渾然と一体になったものであるわけですが、しかし乍ら、ここに於いて、本来の清浄な真実について、『語ること』を以ってすれば、それは『微』に陥ることとなり、また、逆に、それを避けるために『沈黙すること』を以ってすれば、今度は『離』に陥ってしまうこととなります。では一体、どのようにしたら、そのような過ちを犯すことなくいられるのでしょうか?」
と問われた。
すると、風穴和尚は、如何にも大仰に深呼吸すると、おもむろに詩を嘯かれた。
「何時の日も 懐かしく思い出すのは
江南の春……春三月ともなると
鷓鴣の『シン ブゥ デェ イェ グー グー! 行不得也哥哥(シン ブゥ デェ イェ グー グー)! シン ブゥ デェ イェ グー グー!(行かないで、兄さん!)』という鳴き声がし 百花咲き乱れ えも言われぬ芳しい香がただよう……」
無門、商量して言う。
「雷神風穴(ふうけつ)、その働き、ピカッ! と一閃、行先へ、ズズン! と風穴(かざあな)、刳(く)り開けた。されど残念! 不二の風穴(ふうけつ)! 先人の『詩の一句』をも吹っ切ることで、真実(まこと)を示し得なかったとは!――さても、もし、この壺(こ)の穴の中にある、桃花咲き添う江南の、景色の天へとすんなりと、入(はい)れたならば、おのずから、見えもしようよ、出離するべき、お前の行くべき、その道が。さあさ、言葉を離れた処(とこ)で、そこのところを一言(ひとこと)に、一句ものして、持っといで。」
次いで囃して言う。
……詩情なんか 示さない――
……僕は歌う前から とっくに君に 僕のこの魂を 分けてあげていたんだよ――
……だのに君たちは 不潔な蠅となり下がり 僕の心に群がって
……わんわんと 唸りたてている――
……ああっ! 心がただ一筋に打ち込める
……そんな時代は 再び来ないものか……
[淵藪野狐禪師注:西村注によれば、本則は『杜甫の詩を借りて語黙を越えた世界を示す。『無門關』の『西柏抄』に「長えに憶うは黙、鷓鴣啼くは語」という。『人天眼目』巻一の臨済四料揀の項に「如何なるか人境倶不奪。穴云く、常に憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く処百花香し」と見える。』とあるのだが、この『杜甫の詩』なるものが、私には見つからない。私が馬鹿なのか、インターネットがおかしいのか。検索をかけても詩聖杜甫の詩のはずなのに、全然、引っ掛かってこない。いろいろな「無門關」のサイトも調べてみたが、杜甫の詩とするばかりで、よく見ると、どの注にも詩題が示されていない。「長憶江南三月裏 鷓鴣啼處百花香」この幻の詩は、一体、何処(いずこ)? ご存知の方、御教授を乞う。もじっているのであろうが、かなり絞った単語の検索でも、相似形の詩は見つからないのだが……。如何にも気持ちが悪い。だから、私も「頌」の訳には、僕の好きな『先人』ランボーの『詩の一節』を『借りて』復讐してみた。不親切な多くの注釈者のように、敢えて私も、その詩の題は言わぬことにしておこう(しかし、余りに著名な詩だからすぐ分かっちゃうかな。でもこのエッチ大好きだった人の訳は訳じゃなくて翻案だよな、原詩と比べると全く別の詩だぜ)。なお、僧の台詞のくだくだしい訳は、この「離微」に附された詳細な西村注を参照にして、ぶくぶくに膨らましてメタボリックにデッチ上げたものである。原文は御覧の通り、この僧の台詞は、実際には簡潔明瞭で、衒学的というのも当らないかもしれない。とりあえず、この僧に対しては、ここで謝罪をしておく。
・「僧肇」(374~414)は東晋の僧。鳩摩羅什(くまらじゅう:(344~413)僧・仏典翻訳家。中央アジア出身、父はインド人。長安で訳経に従事し、その訳業は「法華経」「阿弥陀経」など35部300巻に及ぶ)の門下にあって、彼の仏典漢訳を助け、弟子中、理解第一と讃えられた。「宝蔵論」は彼の代表的著作である。
・「鷓鴣」はキジ目キジ科コモンシャコFrancolinus pintadeanusを指す。正式中文名は中華鷓鴣であるがが、単に鷓鴣“zhègū”(チョークー)と呼ばれる事が多い。別名、越雉(えっち)、懐南など。中国南部・東南アジア・インドに分布し、灌木林・低地に棲むが、食用家禽として飼育もされている。地上を走行するのは得意だが、飛行は苦手である(以上はウィキの「コモンシャコ」を参照した)。
・「シン ブゥ デェ イェ グー グー! 行不得也哥哥(シン ブゥ デェ イェ グー グー)! シン ブゥ デェ イェ グー グー!(行かないで、兄さん!)」は中国音で“xíng bù dé yě gē gē ”。中国人はこの鷓鴣の鳴き声に、このような人語を聴き、如何にもの哀しいものを感じるという(ということは、この鷓鴣の鳴き声に限っては、中国人は日本人と同じように左脳で聴いているのかも知れない!)。「鳥類在唐詩中的文學運用」という中文ページに鷓鴣について『代表思郷愁緒:鷓鴣為南方特有的鳥類,故離郷背井的南人最怕聽到』とある。ただ、そのような雰囲気をこの詩自体が、この鷓鴣の鳴き声で出そうとしているかどうかは、定かではない。]
* * *
二十五 三座説法
仰山和尚、夢見往彌勒所、安第三座。有一尊者、白槌云、今日當第三座説法。山乃起白槌云、摩訶衍法離四句、絶百非。諦聽、諦聽。
無門曰、且道、是説法不説法。開口即失、閉口又喪。不開不閉、十万八千。
頌曰
白日晴天
夢中説夢
捏怪捏怪
誑謼一衆
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十五 三座の説法
仰山(ぎやうさん)和尚、夢に彌勒の所に往きて、第三座に安ぜらるるを見る。
一尊者有り、白槌(びやくつい)して云く、
「今日、第三座の説法に當る。」
と。
山乃ち起ち、白槌して云く、
「摩訶衍(まかえん)の法、四句(しく)を離れ、百非を絶す。諦聽(たいちやう)、諦聽。」
と。
無門曰く、
「且らく道(い)へ、是れ説法するか、説法せざるか。口を開けば、即ち失し、口を閉ずれば、又、喪す。開かざる、閉じざる、十万八千。」
と。
頌して曰く、
白日晴天
夢中に夢を説く
捏怪(ねつかい)捏怪
一衆を誑謼(かうこ)す
*
淵藪野狐禪師訳:
二十五 第三座の説法
仰山慧寂(ぎょうざんえじゃく)和尚は、ある日、兜率天で説法修行をしている弥勒菩薩の元に行き、その会堂の空いていた第三座に座らせられた夢を見た。
暫くすると、一人の高僧が会堂に進み出て、説法の始まりを知らせる清浄な槌を打ち鳴らして言った。
「東西東西(とざいとーざい)――本日の説法ぅ――相勤めまするぅ太夫ぅ――第三座の説法ぅ――」
すると仰山はすくっと立ち上がり、その同じ白槌を執って、鮮やかに打ち鳴らすと、次のように言った。
「東西東西――大乗の仏法ぅ――相対を離れぇ――全ての非の彼方にありぃ――心して聴かれぃ――審らかにも聴かれよぉ――」
無門、商量して言う。
「さあ! 言うてみよ! 仰山慧寂、説法するか? 説法せぬか? 口を開(ひら)くと大間違い! 黙ったままじゃ、分からねえ! そうかと言うて――口開(あ)けないで、口閉じない――それじゃ、尊い仏の教え、十万八千、虚空の彼方、飛び消え去って悟達なし!」
と。
次いで囃して歌う。
幻日のハレーション 慄っとするほど青い空
夢 見つつ 夢 語る
奇怪怪怪 鬼気怪怪
会衆 ぎょうさん 騙されよった
[淵藪野狐禪師注:
・「四句」は「四句分別」のことを指す。これは、ある一つの基準(若しくは二つの基準)に基づき、この世界の存在の在り方を四種の句=命題に分類することを言う。例えば、善(若しくは善と悪)の基準を例にとれば、
第一命題=善なり =非善に非ず =善
第二命題=非善なり =善に非ず =悪
第三命題=善にして亦非善なり =善にして悪なり =善而悪
第四命題=善にも非ず非善にもあらず=善にも非ず悪にも非ず=非善非悪
の四種を引き出すこと。基本的には相対性に縛られた論理と言える。西村恵信氏の注では、ここから100句に至る計算が示されているが、馬鹿な私にはこれはよく分からん。
・「百非」は徹底的に否定し尽くすことを言う。古代インドのウパニシャド哲学では、全非定に徹することで相対認識を超えた絶対認識に到達できると考えたが、仏教ではそれを受けて龍樹が、有無の相対性を、弁証法のように止揚(アウフヘーベン)するように非定に非定を重ねた論法で「空(くう)」の真意を説いたとする(以上の二つの注は、1988年平凡社刊の岩本裕著「日本佛教語大辞典」のそれぞれの記載を参照にした)。
・「摩訶衍」本来は8世紀の中国の禅僧摩訶衍(マハヤーナ)を指し、チベットに無念・無想・無作意の悟入を説いた禅を伝えた人物として知られるが、西村恵信氏の注によれば、これは大いなる乗物、という意味で「大乗」と意訳する、とある。]
* * *
二十六 二僧卷簾
清涼大法眼、因僧齋前上參。 眼以手指簾。時有二僧、同去卷簾。眼曰、一得一失。
無門曰、且道、是誰得誰失。若向者裏著得一隻眼、便知清涼國師敗闕處。然雖如是、切忌向得失裏商量。
頌曰
卷起明明徹太空
太空猶未合吾宗
爭似從空都放下
綿綿密密不通風
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十六 二僧、簾(すだれ)を卷く
清涼大法眼(しやうりやうだいはふげん)、因みに、齋前に、僧、上參す。 眼(げん)、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去つて簾を卷く。
眼曰く、
「一得、一失。」
と。
無門曰く、
「且らく道(い)へ、是れ、誰(たれ)か得(とく)、誰か失。若し者裏(しやり)に向ひて一隻眼(いつせきげん)を著(つ)け得ば、便ち清涼國師敗闕(はいけつ)の處を知らん。是くのごとく然ると雖ども、切に忌(い)む、得失裏(とくしつり)に向ひて商量せんことを。」
と。
頌して曰く、
卷起(けんき)すれば 明明として太空に徹す
太空すら 猶ほ未だ吾が宗(しゆう)に合はざるがごとし
爭(いかい)でか似る 空より都(すべ)て放下して
綿綿密密 風を通さざらんには
*
淵藪野狐禪師訳:
二十六 二人の僧が簾を巻き上げる
清涼院大法眼の話である。
ある時、機縁の中で、弟子の僧らが斎(とき:午前中に済ます昼食。仏家にあっては本来、午後は食事を摂らない。)の前の参禅にやってきた。大法眼は、黙ってその手で簾を指さした。その時、二人の僧が、揃って座を立ち、同じようにそれぞれ簾を卷き上げた。すると大法眼は言った。
「一人はよい。一人はまるで駄目じゃ。」
と。
無門、商量して言う。
「さあ、言え! 『誰』がよくて、『誰』が駄目か! もしもかような事態に向いて、さてもたった一つの眼(まなこ)もて、真理(まこと)を見抜いて美事ならば、お前にゃ瞬時に分かるじゃろ! このおぞましき、はったりの、極地に居ます清涼院、大法眼の文益の、大智蔵だか大導だか、騙り国師の糞坊主、その徹頭徹尾の完敗が!――いや――このようであるにしたとて、お前らは、重々避けねばならぬのじゃ! 何を? じゃと?――『よい』とか『駄目』とか分かったような、認識・分析・統合・止揚……ええぃ、儂(わし)のこの、くだくだしいも程にせいちゅう、こげな商量の如きもんじゃが!」
と。
次いで囃して歌う。
巻き上げて 見上げりゃ 遙かな 青い空
その天空の 更なる彼方に 禅の空
青い空など 見放して 誠の空(くう)にあれぞかし
風も通らぬ部屋こそが 我等がいます空(くう)の空(そら)
[淵藪野狐禪師注:この無門の「頌」はGeorge Whitingの“My Blue Heaven