やぶちゃんの電子テクスト:心朽窩旧館へ

鬼火へ

 

和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類  寺島良安 ≪作業中

 

書き下し及び注記  copyright 2009  Yabtyan

最終作業 2009年11月23日 12:45

 

[やぶちゃん注:本ページは私の「和漢三才圖會」水族部電子化プロジェクト完結を経て、第二段階としての「和漢三才圖會」電子化プロジェクトとして始動するものである。

 「和漢三才圖會」は江戸中期、大坂の医師寺島(てらじま)良安によって、明の王圻(おうき)の撰になる「三才圖會」に倣って編せられた百科事典である。全105巻81冊、約30年の歳月をかけて正徳2(1712年)頃(自序が「正徳二年」と記すことからの推測)完成、大坂杏林堂から出版された。

 勿論、私が生きているうちには全てを電子テクスト化し訓読注釈することは不可能であろうと思われる。私は私の興味の対象部分をなるべくコアで電子化したいと考えている。

 底本・凡例・電子化に際しての方針等々については、最初に電子化に着手した「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 寺島良安」の冒頭注の凡例を参照されたい。

 冒頭に示した目録は原典では「卷第三十九」の巻頭に「卷之三十九」に「鼠類」と合わせて掲載されているものであるが、「卷四十」のパートのみを抜き出して示した。

なお、明治17(1884)年~明治21(1888)年大阪中近堂版では画師が明らかに異なる。水族ではいただけなかったが、この巻の猿はそちらの方が明らかに美的には達者である(但し、多くの図がリアルなニホンザル風のステロタイプ化してしまっている嫌いはあるのだが)。そこで国立国会図書館の近代デジタルライブラリーからPDFファイルで落とした画像を印刷し、それをOCRを用いて取り込み、私の補正を加えて(画像の汚損が激しいため)本文訓読部分の前に配した(なお、以上の私の作業については文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の複製と見做され、著作権は認められないと判断するものである)。五書肆連名記版図版と比較して御覧になるのも一興であろう。但し、この大阪中近堂版と五書肆連名記版の図版は構図や対象生物のポーズが全く同じで、恐らく五書肆連名記版を元に別な画師が新たに書き直したものと思われる。

 本頁は2009年9月26日に始動したばかりで、未だ極僅かであることをお断りしておく。]

 

■和漢三才圖會 鼠部 目録 ○一

[やぶちゃん注:この頁は2/3が鼠類の目録で柱には「鼠部」としかない。]

 

和漢三才圖會卷第三十九之四十目録

[やぶちゃん注:「卷第三十九」「鼠類」目録は省略。以下は左頁中央から。目録の項目の読みはママ(該当項のルビ以外に下に書かれたものを一字空けで示した。なお本文との表記の異同も認められるが、注記はしていない)。なお、原文では横に3列の罫があり、縦に以下の順番に書かれている。実在する(と思われる)生物の項目名の後には私の同定した和名等を[ ]で表示した(未作業部分は未記入)。]

 

 卷之四十

  寓類 恠類

[やぶちゃん注:「寓類」(ぐうるい)とは木に住み、また、穴居生活をするものを指し、所謂、サルの類(たぐい)を言う。「類」(かいるい)の「恠」は「怪」の俗字。言わずもがな怪しい化け物の類を言う。]

 

獼猴(さる) ましら           [サル]

 

玃(やまこ)

 

※1(また) むくげざる         [キンシコウ]

[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「戎」。]

 

猨(ゑんこう) 獨(おおゑんこう)    [テナガザル]

 

果然(をながさる) 蒙頌(こをながさる) [オナガザル]

 

※2※3(こししろのさる)        [シロテナガザル]

[やぶちゃん字注:※2=「犭」+「斬」。※3=「鼪」-「生」+「胡」。]

 

猩猩(しやう/\)            [オランウータンをモデルとした架空動物]

 

野女(やまうば)

 

狒狒(ひゝ)               []

 

《改ページ》

■和漢三才圖會 寓類 恠類 目録 ○二

 

山都(みこしにうだう)

 

山※5(さんくはい)

[やぶちゃん字注:※5=「犭」+「軍」。]

 

木客(もつかく)

 

山※4(やまわろ)

[やぶちゃん字注:※4=「犭」+(「燥」-「火」)。]

 

山精(かたあしのやまおに) 山丈(やまをとこ) 山姑(まなうば)

 

魃(ひでりがみ)

 

魍魎(もうりやう)

 

彭侯(こだま)

 

水虎(すいこ)

 

川太郎(かはたらう)

 

[やぶちゃん注:以下、「獸之用」目録は省略。]

 

 

■和漢三才圖會 恠類 卷ノ四十 ○十

 

和漢三才圖會卷第四十

      攝陽 城醫法橋寺島良安尚順

 

   寓類 恠類

 

[やぶちゃん注:「攝陽」は摂津(現在の大阪府北西・南西部及び兵庫県東部を含む)の南。良安は大坂高津(こうづ)の出身である。尚順は彼の字(あざな)。「法橋」(ほっきょう)は元々は僧位で、法印・法眼・法橋の順で第三位の称号を指すが、中世以後には僧侶に準じ、医師・絵師・連歌師などに与えられた。良安の事跡は生没年も含め、不明な点が多いが、大坂城の御城入医師として法橋に叙せられたことは分かっている。]

さる

ましら

獼猴

ミイ ヘウ

 

沐猴 爲猴

胡孫 王孫

爲留 狙【音疽】

摩斯咜【梵書】

【和名佐流

 又云末之良】

[やぶちゃん字注:以上六行は前四行の下に入る。]

 

本綱獼猴状似人眼如愁胡而頰陷有嗛【和名保保】嗛者藏食

處也腹無脾以行消食尻無毛而尾短手足如人亦能竪

行聲※1※1如款孕五月而生子生子多浴于澗其性躁動

害物畜之者使坐杙上鞭掊旬月乃馴也性好拭靣〔=面〕如沐

故名沐又厩中畜母猴能辟馬病故名馬留猴候也見人

設食伏機則憑高四望善于候者也【按杙上之杙字當作机乎】

[やぶちゃん字注:※1=「口」+「鬲」。]

《改ページ》

小而尾短者猴也 似猴而多髯者豦也 似猴而大者

玃也 大而尾長赤目者禺也 小而尾長仰鼻者狖也

似狖而大者果然也 似狖而小者蒙頌也 似狖而善

躍越者※2※3也 似猴而長臂者猨也 似猨而金尾者

※4也 似猨而大能食猨猴者獨也

[やぶちゃん字注:※2=「犭」+「斬」。※3=「鼪」-「生」+「胡」。※4=「犭」+「戎」。]

大明一統志云瓜哇國山中多猴不畏人呼以霄霄聲即

出或投以果實則其大猴二先至土人謂之猴王候〔→猴〕夫人

食畢群猴食其餘

      拾玉 山深みかつ/\ぬるゝ袂かな峯の檜原の猿のひとこゑ   慈鎭

         朝またきならの枯葉のそよ/\と外山を出てゝましら鳴也 顯仲

△按和名抄猨獼猴以爲一物其訛傳用猿字爲總名矣

 【猨猿同字】畜之者【紀州岸甚兵衛猿引之始云云】令擕扇及鞭爲舞曲容毎

 食菓豆乃必剥去皮吃之多貯嗛中而時徐食之性與

 犬相嫉又忌觸穢見血則愁惡見念珠此喜生惡死之

 意因爲嘉儀之物弄之相傳猴者山王之神使也

さる

ましら

獼猴

ミイ ヘウ

 

沐猴 爲猴

胡孫 王孫

爲留 狙【音、疽。】

摩斯咜(ました)【梵書。】

【和名、佐流、又は末之良〔(ましら)〕と云ふ。】

 

「本綱」に、『獼猴は状〔(かた)〕ち、人に似、眼、愁胡のごとくして、頰陷〔(くぼ)みて〕、【和名、保保。】有り。嗛〔(ほほ)〕とは食を藏す處なり。腹、脾無く、行(あり)くを以て食を消す。尻、毛無く、尾、短し。手足、人のごとく、亦能く竪(た)つて行く。聲、※1※1(きやつ/\)款(たゝ)くがごとし。孕みて五月にして子を生む。生れたる子、多く澗〔(たに)〕に浴す。其の性、躁動、物を害す。之を畜〔(か)〕ふ者、杙〔(くひ)〕の上に坐せしめ、鞭にて掊(う)つ。旬月にして乃ち馴(な)るゝなり。性、好んで面〔(かを)〕を拭ふ、沐(あら)ふがごとし。故に沐と名づく。又、厩の中に母猴〔(ははざる)〕を畜(か)へば、能く馬の病を辟〔(さ)〕く。故に馬留と名づく。猴は、候なり。人、食を設〔くる〕ことを見〔ば〕、機を伏し、則ち高きに憑〔(つ)き〕て、四望し、候に善き者なり。按ずるに『杙の上』の『杙』の字は當に「机」に作るべきか。

[やぶちゃん字注:※1=「口」+「鬲」。]

小にして尾短き者はなり。 猴に似て髯多き者は豦〔(きよ)〕なり。 猴に似て大いなる者は玃〔(かく)〕なり。 大にして尾長く赤目なる者は禺〔(ぐ)〕なり。 小にして尾長く仰鼻の者は狖〔(いう)〕なり。 狖に似て大なる者は果然なり。 狖に似て小さき者は蒙頌〔(もうしやう)〕なり。 狖に似て善く躍り越ゆる者は※2※3〔(さんこ)〕なり。 猴に似て長臂なる者は猨〔(ゑん)〕なり。 猨に似て金尾の者は※4〔(じゆう)〕なり。 猨に似て大きく能く猨猴を食ふ者はなり。

[やぶちゃん字注:※2=「犭」+「斬」。※3=「鼪」-「生」+「胡」。※4=「犭」+「戎」。]

「大明一統志」に云く、「瓜哇國(ジヤワこく)山中に猴多く人を畏れず、呼ぶに霄霄の聲を以てすれば、即ち出づ。或は投ずるに果實を以てすれば、則ち其の大猴二つ、先づ至る。土人、之を猴王・猴夫人と謂ふ。食ひ畢はれば、群猴、其の餘りを食ふ。」と。』と。

     「拾玉」 山深みかつ/\ぬるゝ袂かな峯の檜原の猿のひとこゑ     慈鎭

          朝まだきならの枯葉のそよ/\と外山を出でゝましら鳴くなり 顯仲

△按ずるに、「和名抄」に猨と獼猴と以て一物と爲す。其れ訛〔(あやま)〕り傳へて猿の字を用ひて總名と爲す【猨と猿は同字。】。之を畜ふ者【紀州の岸の甚兵衛、猿引の始めと云云。】扇及び鞭を擕(たづさ)へて、舞曲の容(かたち)を爲さしむ。毎〔(つね)〕に菓豆を食ふに乃ち必ず皮を剥き去り、之を吃〔(くらひ)〕て、多く嗛の中に貯へ時(ときどき)徐〔(□□)〕ろと〔→(おもむ)ろに〕之を食ふ。性、犬と相嫉(ねた)む。又、觸穢を忌み、血を見れば則ち愁ふ。念珠を見るを惡〔(にく)〕む。此れ、生を喜びて死を惡むの意、因りて嘉儀の物と爲して之を弄す。相傳ふ、猴は山王の神使なり、と。

 

[やぶちゃん注:獼猴は、音「ビコウ」、「廣漢和辭典」には、「さる。おおざる。沐猴(モツコウ)。母猴。」とある(最後の「母猴」は一見すると、雌雄無関係のサルの別名の如く読めるのであるが、実際には母ザル(成人した雌ザル)の謂いであることが分かった。以下の「馬留」の注を参照されたい)。脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱霊長目直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科 Cercopithecidae オナガザル亜科 Cercopithecinaeのマカク属 Macaca。マカク属 Macaca には本邦固有種のニホンザル Macaca fuscata を含む。我々がサルと言ったときのイメージに最も近いものがこのオナガザル科 Cercopithecidae  のサル類で、アジア南部及びアフリカに分布しているため、旧世界ザルとも呼ばれる。後ろの「禺」の注も参照のこと。

 「本綱」「本草綱目」。明の李時珍の薬物書。52巻。1596年頃の刊行。巻頭の巻一及び二は序例(総論)、巻三及び四は百病主治として各病症に合わせた薬を示し、巻五以降が薬物各論で、それぞれの起源に基づいた分類がなされている。収録薬種1892種、図版1109枚、処方11096種にのぼる。以下、多出するので略す。

 「愁胡のごとく」愁いを含んだ胡人のような面立ち。「胡人」とは中国の北方異民族を指す語で、特に中央アジアを源とし、唐代にシルク・ロード周辺域で盛んに活動したペルシャ系民族であるソグド人等をイメージしているか。

 「嗛」この字は音「ケン」で、サルやリス・ネズミ等の獣類が、頬の内側の袋状の部分に食物を一時貯めておくこと、若しくはその袋を指す漢字である。頬袋(ほおぶくろ)のこと。京都大学霊長類研究所の毛利俊雄氏によれば、サル類が頬袋を持つようになったのは、1,2001,300万年前のアフリカでのことという(毛利俊雄「形態学から見たサル」)。

 「腹、脾無く、行くを以て食を消す」ここで言う「脾」とは現代医学でいう脾臓とは異なり、漢方で考えられた飲食物の消化吸収及び新陳代謝を掌ると考えられた、一種の胃腸を含んだエネルギ一代謝をコントロールする想定臓器システムである。それがないから、消化するためにひたすら歩き回って動き回り食物を消化する、と言っているのである。これは以下の、「躁動、物を害す」(極めて五月蠅く動き回り、何かと物を破壊する)といった性質を理由づけているように思われて面白い。

 「※1※1(きやつ/\)」[※1=「口」+「鬲」。]音「カク・キャク」。辞書上は、これは鳥(雉や鶏)の鳴き声を指す(因みに現代中国語では「しゃっくり」の意である)。

 「款(たゝ)く」本字には、案内を求めて門を叩くの意がある。

 「杙」音「ヨク・イキ」で、本来は柘榴の一種を指すが、所謂、牛馬を繋ぐ杭の意も併せ持つ。

 「馬留」ここを読むと真っ先に思い浮かぶのは孫悟空が天界で大暴れをして、宥めるために仕方無しに与えた官職、厩の番人弼馬温(ひっばおん)である(因みにこの悟空はこの官職が大嫌いで、後の「西遊記」でも悟空を馬鹿にする時、相手がこの名を呼ぶ)。荒俣宏氏は「世界大博物図鑑5 哺乳類」の「サル(マカク)」の項で「本草綱目」からの引用として『中国ではサルを馬小屋で飼うと、ウマが病気にかからないといわれた。サルの経血が染みこんだ小屋の敷き草を馬が餌として口にすると体が丈夫になるのだという』と記し、『この習俗は遠くインドに端を発したものらしい。』(読点変更)とする。これは「本草綱目」第51巻の「獼猴」の項の「皮」の小項目で、

(愼微曰治馬疫氣(時珍曰)馬經言馬厩畜母猴辟馬瘟疫逐月有天癸流草上馬食之永无疾病

と述べている部分からの引用である(原文は国会図書館画像から起した)。書き下せば、

【愼微曰く、】馬の疫氣を治す。【時珍曰く、】「馬經」に言ふ、『馬-厩(うまや)に母猴を畜へば馬の瘟疫(をんえき)を辟(さ)く。月を逐ふて天癸(てんき)有りて草上に流れ、馬、之を食へば、永く疾病无(=無)し。』

この「天癸」とは、女性のメンスの血のことである。さすれば、この文脈で「母猴」は、文字通り「母ザル」の謂いで用いられていることが分かる。なお、厩と猿の関係は本邦にも伝来し、厩猿(うまやざる)信仰なるものとして存在した。厩神(うまやがみ)として猿の頭蓋骨や手骨をご神体として祀る習慣である。京都大学霊長類研究所の中村民彦氏の「東北地方の厩猿信仰」をお読みあれ。

 「猴は、候なり。人、食を設くることを見ば、機を伏し、則ち高きに憑きて、四望し、候に善き者なり。」ここは読解がやや難しい。私なりに全訳すると、

「猴」という字は、「候」に由来する。猴は人間が食事の準備を始めるのを見ると、機会を窺って、即座に高い木の上などに登って、食事のセッティングされている場所を中心に注意深く四方を偵察し、人気の無くなる或いは人が油断をする機会を覗(うかが)う=窺う=伺う=候うことに聡き者である。

という意味である。

 「按ずるに『杙の上』の『杙』の字は當に「机」に作るべきか。」これは良安が猿を調教するのに、小さく狭い杭の上というのはおかしい、これは誤字で広い「机の上」であろう、と割注しているのであるが、恐らく良安は猿回しの現場や調教を親しく見たことがなかったのであろう。これは杙=杭で正しい。な但し、「机」には他にツバキ目マタタビ科マタタビ属 Actinidia arguta の意があり、この和名は、ニホンザルがこの果実(コクワ)を好むことからの「猿梨」の謂いであろうが、良安は猿を調教するのに、餌となる「机(さるなし」の木の上に繋いで飼う、という意で用いた可能性もあるか。

 「猴」音「コウ・グ」。猿。ましら。猿猴。獼猴。沐猴。「説文解字」では中の「(にんべん)はない。前注通り、「侯」の部分は「候」に通じ、気配を覗って騒ぎ立てるの義(以下は主に「廣漢和辭典」の記載を用いた)。

 「豦」音「キョ・ゴ」。サルの一種。迅頭。「爾雅」の「釈獣」の注に、

今建平山中有豦、大如狗、似獼猴、黄黑色、多髯鬣、好奮迅其頭、能擧石擿人。玃類也。

とある。書き下せば、

今、建平山中に豦有り、大いさ狗(いぬ)のごとく、獼猴に似て、黄黑色、髯鬣(ぜんれふ)多く、好んで其の頭を奮迅し、能く石を擧げて人に擿(なげう)つ。玃の類なり。

で、「髯鬣」とはヒゲとタテガミのことである。これ、はっきりと何かの種に同定出来そうな気もするのだが……。

 「玃」音「キャク・クワク(カク)」。大猿。「貜」や「蠼」も同じ。大きな母ザルの意味もあるようである。字義は「矍」がきょろきょろ見回す、飛び跳ねるの意の他に、人を摑み捕らえるの意があるのは重要である。後掲する「玃」の項を参照。

 「禺」音「グ」。尾長猿。広く尾の長い猿を言う。直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科のオナガザル亜科 Cercopithecinae 及び コロブス亜科 Colobinae に属するオナガザル類。現行のオナガザル亜科 Cercopithecinaeに属する著名種には、中近東周辺に棲息するヒヒ属マントヒヒ Papio hamadryas・本邦固有種であるマカク属ニホンザルMacaca fuscata・中央アフリカに棲息するマンドリルMandrillus sphinx 等がいる。通常は長い尾を特徴とするが、退化している種もある。多くは母系社会で、ヒトと同様に32本の歯を持つ。下顎に首まで広がる大きな頬袋を持っており、捕獲物は一旦頬袋に入れておいて、安全な場所を確保後、徐ろに出して摂餌する習性がある。『手足共に親指が他の指と対向することができる。これはものをつかむほか、毛づくろいなどの社会的行動にも役立っている』。(本注は主にウィキオナガザルを参照した)。

 「狖」音「イウ(ユウ)・ユ」。オナガザル。また、特に、黒い猿。更に「廣漢和辭典」は「くもざる」ともするのであるが、現行の直鼻猿亜目真猿下目広鼻小目クモザル科 Atelidae が中南米にのみ棲息していることを考えると、適切な表記とは言えない。この「くもざる」というのは単に手足が非常に長い黒色・暗色系の猿を形容したものであろう。因みに、東洋文庫版はこれに「のざる」の訓読注を付すが、「のざる」とは人を馬鹿にしてないかい?

 「果然」おながざる。尾長猿は広く尾の長い猿を言うが、種としてオナガザル類は直鼻猿亜高等猿下狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科のオナガザル亜科 Cercopithecinae 及び コロブス亜科 Colobinae に属するオナガザル類となる。後掲する「果然」の項を参照。

 「蒙頌」南方熊楠の「十二支考」の「猴に関する伝説」の初めの方に「本草綱目」を引いて次のように述べる。面白い記事なので引用する(1984年刊筑摩版選集を用いた)。後掲する「蒙頌」の項を参照。

モンキーは仏語のモンヌ、伊語のモンナなどに小という意を表わすキーを添えたものだそうな。さてモンヌもモンナもアラブ名マイムンに出づという。ソクラテスの顔はサチルス(羊頭鬼)に酷似したと伝うるが、孔子もそれと互角な不男だったらしく、『荀子』に〈仲尼の状(かたち)、面(かお)は倛(き)を蒙(かむ)るがごとし〉、倛は悪魔払いに蒙る仮面というのが古来の解釈だが、旧知の一英人が、『本草綱目』に蒙頌一名蒙貴は尾長猿の小さくて紫黒色のもの、交趾(こうし)で畜うて鼠を捕えしむるに猫に勝(まさ)るとあるを見て蒙倛は蒙貴で英語のモンキーだ。孔子の面が猴のようだったのじゃと吹き澄ましいたが、十六世紀に初めて出たモンキーなる英語を西暦紀元前二五五年蘭陵の令となったという荀子が知るはずなし、得てしてこんな法螺が大流行の世と警告し置く。

この文中の「交趾」は現在のベトナム北部ソンコイ川流域地域を指す。本草綱目該当箇所には「黑身白腰」といった記載も見られ、これも同定可能な一種と思われる。識者の御教授を乞う。

 「※2※3」[※2=「犭」+「斬」。※3=「鼪」-「生」+「胡」。]東洋文庫版は「ざんこ」と振るが、「廣漢和辭典」の表記を採る。腰から上は黒く、腰の周囲に白毛があり、前肢には最も長い白毛がある。「蟖」(音「シ」)と同字。おや? この叙述は前注の本草綱目「蒙頌」後半部と同じではないか? 後掲する「※2※3」の項を参照。

 「長臂」臂(ひじ)が長いこと。

 「猨」音「ヱン(エン)・ヲン(オン)」。「廣漢和辭典」によると、①さる。(ア)てながざる。(イ)おおざる。②=猿、とする。狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属 Hylobates の類。後掲する「猨」の項を参照。

 「※4」[※4=「犭」+「戎」。]音「ジュウ・ニュ」。「廣漢和辭典」によると、むくげざる。猿の一種。毛はやわらかくて長く、皮は敷き物に用い、「猱」と同字、とあるが、現在、ムクゲザルなる種はいない。これは「金尾」から直鼻猿亜目オナガザル科コロブス亜科シシバナザル属キンシコウ hinopithecus roxellana と考えてよいであろう。後掲する「※4」の項《未作業》を参照。

 「獨」「廣漢和辭典」には、さるくいざる。猿の一種。猿に似て大きく、猿を捕らえて食う。常に独居し、叫び声も一声であることから独と名付ける、とある。サル類の共食いについては、現在、オナガザル亜科マカク属の本邦固有種 Macaca fuscata ニホンザル・同属の Macaca fascicularis カニクイザル・オナガザル科コロブス亜科 ColobinaeSemnopithecus 属 Semnopithecus entellus ハヌマンラングール・真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科チンパンジー亜科チンパンジー Pan troglodytes 及びヒト科ヒト Homo sapiens 等の異常行動として報告されている。後掲する「獨」の項をも参照。

 『「大明一統志」』明代の勅撰地理書。1461年成立。京師・南京・中都・興都の4門に分け、その地誌を記す。

 「瓜哇國」ジャワは現在、大スンダ列島に所属するインドネシアの島であるが、かつては王国であった。

 「霄霄」不詳。東洋文庫版は「宵宵」とし(「霄」は実際に「宵」の意で用いることはある)、「けしかける声」と割注するが、根拠不明。識者の御教授を乞う。

 『「拾玉」』「拾玉集」(しゅうぎょくしゅう)のこと。鎌倉初期の天台座主にして歌人であった名僧慈円(久寿2(1155)年~嘉禄元(1225)年)の家集。六代集の一。

 「山深みかつ/\ぬるゝ袂かな峯の檜原の猿のひとこゑ」

やぶちゃん勝手自在訳:

 山が深いのであっという間にしっぽりと濡れてしまう我が袂――それは独居の寂しさの涙故でもある――はっと気づくと峰々の檜林の断腸の猿の一声が追い討ちをかける……

 「慈鎭」慈円の諡(おく)り名。

 「朝まだきならの枯葉のそよ/\と外山を出でゝましら鳴くなり」

やぶちゃん勝手自在訳:

 早朝、楢の枯葉がそよそよと風に吹かれている中、里山から降りて来て、猿が寂しげに鳴くのが聞えることだ……

本歌は永久(1116 年成立の歌集「永久百首」(「堀河次郎百首」とも)にも所収する。

 「顯仲」源顕仲(みなもとのあきなか 康平元(1058)年又は康平7(1064)年~保延4(1138)年)右大臣顕房の子で、白河院皇后賢子の弟。

 「和名抄」は、正しくは「倭(和とも表記)名類聚鈔(抄とも表記)」で、平安時代中期に源順(したごう)によって編せられた辞書。

 「猨と獼猴と以て一物と爲す。其れ訛〔(あやま)〕り傳へて猿の字を用ひて總名と爲す【猨と猿は同字。】」荒俣宏氏は「世界大博物図鑑5 哺乳類」の「テナガザル」の項で、日本のサル(マカク属)を猿と書くのは誤りであるとし、『マカク属のサルは中国では猴(こう)といい、テナガザルとはちがって、猿回しなどによって広く知られ、ありふれた存在である。つまり中国では、同じサルでも猿は高尚なもの、猴は通俗的なものというようにイメージの面でも対照的に区別される』と書く。ここの注に如何にも相応しい。

 「紀州の岸の甚兵衛、猿引の始めと云云」狙引甚兵衛(さるひきじんべえ)のこと。江戸前期、紀伊海士(あま)郡から出た猿引(猿回し)の棟梁。和歌山藩主の浅野幸長が命じて藩内の猿回しを配下とし、毎年和歌御神事の際には、供奉の列に加わったとされる(「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」の「狙引甚兵衛」の項を参照した)。「岸」とは単に海岸地方海士郡の地方名を意味するのか、若しくは後に彼らに与えられた苗字(岸甚兵衛)であったか。しかし、藩主じきじきに、失礼ながら猿引集団の組織と特権を与えたのは何故であろう? 「和歌山県立博物館」HP内の、歌山市和歌浦周辺で行われている徳川家康を祭る紀州東照宮の祭礼、和歌祭についての「コラム」記載の、主査学芸員前田正明氏の「3. 東照宮祭礼と猿引」の中に、絵図の分析をする中で『寛文5年(1665)頃には、後方の雑賀踊のすぐ後に、貴志の甚兵衛がいます。この貴志の甚兵衛は、城下近郊に住む専業化した猿引集団ですが、いつごろから和歌祭に参加するようになったかは不明です。』という叙述が現れる。これによって、「岸の甚兵衛」が、この頃には「喜志」という姓として認識されていたことが分かる。ここまでで私はお手上げになる。しかし一方、「岸甚兵衛」でネット検索をかけると、一人の近隣の人物がヒットするのである。それは高知県宿毛市の「宿毛市史」のHP内の、「中世編-戦国古城」の、天正3年、同市にあって落城した「来城」の城主の名である。勿論、この人物自体がよく分からないし、従ってこの和歌山の同姓同名と同一人物である証拠も皆無ではある。だが、同じページを見てみると、同じ年に落城した押ノ川城 (玄蕃城)城主であった押川玄藩なり人物が、後に伊勢の藤堂家へ仕えた、ともある。さすれば来城城主岸甚兵衛なる人物が、和歌山藩に流れていき、その末裔が同じ姓名を名乗って、このような職能集団となったとしても、強ち、おかしなことではないように思われるのである。これはとんでもない私の妄想であろうか? 識者の御教授を乞うものである。

 「菓豆」木の実や豆。

 「吃て」本字には、食べる、飲む、吸うの意がある。本文では一般的な「くらふ」で読んでおいたが、訓読は「のみて」「すひて」でもよいと思う。個人的には頬袋ならば「すひて」と読みたい気もする。

 「猴は山王の神使なり」の「山王」は山王権現のことで、正式には滋賀県大津市坂本にある日吉大社の祭神。猿を神の使者とすることで知られる。信仰の起源は山岳信仰であると推定されるが、後に豊穣神である山の神を祭るようになった。山に住み山の主とも考えられた猿が、この山の神の御使(みつか)いとして習合したものであろう。「日吉」「猿」で秀吉が深く尊崇したことでも知られる。]

 

 

***

やまこ    玃父  ※1玃[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「叚」。]

【音却】

      【和名夜麻古】

キヤ

 

本綱玃老猴也似猴而大色蒼黑能人行善攫持人物又

善顧盼純牡無牝善攝人婦女爲偶生子

[やぶちゃん注:「盼」は底本では、「耳」に「兮」を合わせたような文字であるが、意味から「盼」に補正した。]

※2 神異經云西方有獸名※2大如驢状如猴善縁木純

[やぶちゃん字注:※2=「豸」+「周」。]

 牝無牡群居要路執男子合之而孕此亦玃類而牝牡

 相反者

△按飛騨美濃深山中有物如猴而大黑色長毛能立行

 亦善爲人言豫察人意不敢爲害山人呼名黑坊互不

 怖如有人欲殺人則黑坊先知其意疾遁去故不能捕

 之蓋此玃之屬乎不知純牝純牡之是非耳

《改ページ》

やまこ    玃父  ※1玃(かくわく)[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「叚」。]

【音、却〔(きやく)〕。】

      【和名、夜麻古。】

キヤ

 

「本綱」に、『玃は老猴なり。猴に似て大きく、色、蒼黑。能く人行〔(じんかう)〕して、善く人・物を攫持〔(かくじ)〕し、又、善く顧盼〔(こへん/こはん)〕す。純牡〔(ぼ)〕にして牝無し。善く人の婦女を攝し、偶を爲して子を生む。』と。

※2〔(しう)〕は、「神異經」に云く、『西方、獸有り。※2と名づく。大いさ、驢のごとく、状ち、猴のごとし。善く木に縁〔(よ)〕る。純牝〔(ひん)〕にして牡無し。要路に群居し、男子を執り、之と合して孕む。此れも亦、玃の類にして牝牡相反する者なり。』と。

[やぶちゃん字注:※2=「豸」+「周」。]

△按ずるに、飛騨美濃の深山の中に物有り、猴のごとくして大きく黑色・長毛。能く立ち行き、亦、善く人言を爲す。豫め人の意を察す。敢へて害を爲さず。山人、呼んで黑(くろん)坊と名づく。互ひに怖ず。如〔(も)〕し、人有りて、人〔=黑坊〕を殺さんと欲すれば、則ち、黑坊、先づ其の意を知りて、疾く遁れ去る故、之れを捕ふること能はず。蓋し此れ、玃の屬か。純牝純牡の是非を知らざるのみ

 

[やぶちゃん注:外形は猿の老成したもののようであるが、性別の偏りなど、実在する類人猿には同定出来ない幻獣である。「キヤ」と中国音を振るが、これは拼音では“jué”(チィュエ)で程遠い音である。なお、日本語の漢字としては「玃」には「キャク・カク」の他に慣用音としての「クヮク(カク)」がある。

 「攫持」つかみ持ち取る。文脈上は人をさらうの意であるが、「攫」の「人をさらう」という意味は国訓であるから採らない。

 「顧盼」振り返り見る。

 「善く人の婦女を攝し、偶を爲して子を生む」は、「しばしば人間の婦女子を誘拐し、交合をなして子を孕ませる、の意。愛読する諸星大二郎の「西遊擁猿伝」では、この玃らしきものに略奪された女が、後に産んだ子を村に預けて去ってゆく。その子が主人公孫悟空という設定であった。

 「※2」[※2=「豸」+「周」。]不詳。「廣漢和辭典」に所収せず。

 『「神異經」』前漢の東方朔(前154~前93)が記し、後に張華(232300)が整理したとされる古代神話伝説集。但し、実際には晉代以降の偽作と考えられている。

 「豫め人の意を察す」ここから、この幻獣は別名「覚(さとり)」とも呼ばれるのである。

 「純牝純牡の是非を知らざるのみ」は、雄のみの哺乳類、雌のみの類人猿なるものが生物学的に存在するかどうかの是非は、分からん(分からんが、私はそういう哺乳類・猿人の類いの存在は疑わしいと思う)という、お馴染み、プラグマティスト良安先生の慎重な一言である。]

 

 

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■和漢三才圖會 恠類 卷ノ四十 ○十一

また     猱【音悩】

むくげざる

【音戎】

        【和名萬太】

ジヨン

[やぶちゃん字注:※=「犭」+「戎」。]

 

本綱※生西戎及山南川峽深山中状大小類猨毛柔長

如絨可以籍可以緝其尾長作金色俗名金線絨輕捷善

縁木甚愛其尾人以藥矢射之中毒即自齧其尾也以其

皮作鞍褥

また     猱【音、悩。】

むくげざる

【音、戎〔(じゆう)〕。】

        【和名、萬太。】

ジヨン

[やぶちゃん字注:※=「犭」+「戎」。]

 

「本綱」に、『※は、西戎及び山南の川峽の深山の中に生す。状ち、大小、に類し、毛柔らかにして長く、絨〔(じゆう)〕のごとく、以て籍(し)〔=敷〕くべし、以て緝(つむ)〔=紡〕ぐべし。其の尾、長く、金色を作す。俗に金線絨と名づく。輕捷〔:身軽。〕にして善く木に縁(よ)り、甚だ其の尾を愛す。人、藥矢を以て之を射る。毒に中〔(あた)〕る時は、即ち自ら其の尾を齧(か)むなり。其の皮を以て鞍褥(くらしき)に作る。』と。

 

[やぶちゃん注:「※」[※=「犭」+「戎」。]は音「ジュウ・ニュ」。「廣漢和辭典」によると、むくげざる。猿の一種で毛はやわらかくて長く、皮は敷き物に用い、「猱」と同字、とあるが、現在、ムクゲザルなる種はいない。これは尾が金色であることや、その他の描写から、直鼻猿亜目オナガザル科コロブス亜科シシバナザル属キンシコウ(金絲猴)hinopithecus roxellana と考えてよいと思われる。以下、ウィキの「キンシコウ」から引用する。『中国西部、チベット』の山間部の森林地帯に生息し、『ゴールデンモンキー、チベットコハナテングザルとも呼ばれる。最も寒冷な地に生息するサルとしても知られ、チベットの標高3000メートルの地に生息し、摂氏-5度という冬の気温に耐えられる』種であるが、現在では『国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは「絶滅の危険が増大している種」とされ、「絶滅危惧II類」に分類されている。また中華人民共和国では国家一級重点保護野生動物に指定されて』もいる。『オスの体長70cm程度、尾長70cm程度、メスはオスの半分程度の大きさである。オレンジ色の長い体毛をもつ。青白い顔にはつぶれたような形の特徴的な鼻をもつ』。『1頭のオスと数頭のメスからなる群れを形成する。これをユニットと呼び、数ユニットが集まって、さらに大きな群れをつくることもある』。『妊娠期間は約200日。通常、1子を産む』。食性は果実・種子・木の葉等であるが、『雪深い冬の間は、ヤナギ、クルミなどの木の皮が食糧となる。ウシなどと同様、胃の中に植物繊維を分解する微生物がおり、そうしたエサでも栄養に変えられることが、冬の高山でも生きていける理由だといわれる。また、この微生物が繊維を分解する際、発酵熱といわれる熱を発する。この熱を利用することで氷点下の寒冷地でも体温維持しているという』。『キンシコウの種小名 roxellana はトルコ皇帝の宮廷にいた娼婦ロクセラーヌにちなんで名づけられた。ロクセラーヌは金髪でつぶれた鼻をもち、キンシコウに良く似た顔をしていたとされる』。また、一般に「西遊記」の孫悟空のモデルとも比定されているが、これには批判が多く、ウィキの「孫悟空」によれば、『この説はキンシコウを研究する日本モンキーセンター世界サル類動物園長の小寺重孝が、NHKの動物の生態を紹介するテレビ番組『ウォッチング』で、「美猴王」を名乗った孫悟空のモデルにふさわしい美しいサルであり、もしかしたらこれがモデルなのかもしれないと紹介したところそれが一人歩きしたものである。『アサヒグラフ』1985329日号にて、小寺重孝本人も勘違いと認めているが世間に広まったためひっこみがつかなくなっているという談話が掲載されている。西遊記そのものを研究している中国文学研究者は、作中描写から判断するとマカク属のアカゲザルである可能性が高いとする説を提唱しており、例えばニホンザルと異なり水泳を好むアカゲザルの生態などが巧みに西遊記の中に描写されていることなどを指摘している』。中国文学者中野美代子氏などはキンシコウを「にせ悟空」と呼び、アカゲザル説を支持している。話ついでに孫悟空のモデル論を続けて引用しておくと、『これとはまた別に、インドの有名な叙事詩ラーマーヤナの猿の神として登場するハヌマーンも黄金の肌と真紅の顔面そして長い尾っぽを持つ姿として描かれているところから、ハヌマーンが孫悟空のモデルとする説も唱えられている。ハヌマーンもまた実在のサル、ハヌマンラングールをモデルにしていると言われ、インドのヒンドゥー教寺院ではハヌマンラングールがハヌマーン神の使いとして手厚く扱われ、参詣者から餌などを与えられて闊歩している。ハヌマーンもまた孫悟空と同様に、超常的な神通力を使用し、空を飛んだり、体の大きさを変えたりした。また、場面によって猿軍団を率いる、山を持ち上げるなどの行為を行ったとされる。ラーマーヤナの物語中でヴィシュヌの化身とされるラーマを助けて様々な局面で活躍する猿神の姿は、西遊記において猿妖である孫悟空が三蔵法師を護衛して活躍する姿と相似ている部分も多々見受けられ、西遊記の物語形成過程にラーマーヤナが少なからず影響を与えたことも考えられる。』。ハヌマンラングールはオナガザル科コロブス亜科Semnopithecus Semnopithecus entellusのを指す。また、横浜ズーラシアでの期間限定公開時のプレートによれば、『キンシコウが西洋に初めて紹介されたのは 1870年頃で当時、フランスの宣教師だったダビッド神父が中国から持ち帰った毛皮がきっかけで』、『それまで、紀元前2世紀頃に作られた中国の壷に描かれたキンシコウによく似たサルは想像上の動物だとされてい』たものが、この毛皮の存在によって『実在の動物であることが判明した』ものである。古来、『中国でも限られた高山にしかいなかったキンシコウの』毛皮は、極めて『高貴なものとして珍重され、位の高い物だけが衣装モチーフを施したり、毛皮でできた装飾品を使用することが』許されたという。BOBO氏のブログ“A moment of...”にあるズーラシアで撮影された「さよならキンシコウ」の写真、必見。なおキンシコウは現在、中華人民共和国野生生物保護法によって絶滅危惧動物として国家一級重点保護野生動物に指定されている。

 「猨」音「ヱン(エン)・ヲン(オン)」。「廣漢和辭典」によると、①さる。(ア)てながざる。(イ)おおざる。②=猿、とする。狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属 Hylobates の類。後掲する「猨」の項《未作業》を参照。。

 「絨」地の厚い毛織物。

 「西戎」古代中国に於いて「東夷西戎南蛮北狄(てき)」の一つ。西方の遊牧異民族を呼ぶ蔑称(必ずしも領土外の異民族に限らず、当該方位の辺境部の少数民族等をも指した)。

 「山南」はチベット名の「ロカ」を漢訳した地域名。現在は中華人民共和国省級民族区域である西蔵自治区を構成する七つの地区(サクル)の一つとして残っている。以下、現在の山南地区について、旅行会社「夢の旅」の以下のページから引用すると、同『自治区の中央部に位置し、チベットの伝統的な地理区分では、この地区の北部に隣接するラサ市を構成する諸ゾン(県)とともにウー地方を構成し、その住人を「ウーパ(dbus pa)」と称する』。『面積8万平方キロ、人口は約29万人。青蔵高原東南部、ヤルンツァンポ河中下流に位置し、西はシガツェ地区、北はラサ市、東北はニャンティ地区と接し、南はインド、ブータンと国境を接する。本地区のツォナ・ゾン(錯那県)、ルンツェ・ゾン(隆子県)の南部は、ニャンティ地区のメトク・ゾン(墨脱県)、ザユル・ゾン(察隅圏)とともにインドとの国境紛争地域となっており、名目上これらの諸ゾンの南部とされる領域で、インドが実効支配するマクマホン・ライン以南の部分に対し、インド政府はアルナーチャル・プラデーシュ州を設けている』。海抜凡そ3,700メートルの高高度山岳地帯である、と記す。]

 

 

***



ゑんこう

【音圓】

ユヱン

 

猿【同字】

【俗用猿猴二

字称之】

[やぶちゃん字注:以上三行は、前に三行の下に入る。]

 

本綱猨産川廣深山中似猴而長大其臂甚長能引氣故

《改ページ》

多壽其臂骨作笛甚清亮其色有青白玄黄緋數種其性

靜而仁慈好食果實其居多在林木能越數丈着地即泄

瀉死惟附子汁飲之可免其行多群其鳴善啼一鳴三聲

凄切入人肝脾

有金絲者黄色玉靣〔=面〕者黑色及身靣倶黑者或云黄是牡

黑是牝牝能嘯牡不能也又云猨初生毛黑而雄老則變

黄潰去勢嚢轉雄爲雌與黑者交而孕數百歳黄又變白

也此説與列子貐變化爲猨莊子獱狙以猨爲雌之言相

合必不妄也

三才圖會云常庭山多白猿状如獼猴而差大臂脚長捷

善攀援樹木其聲哀蓋此猨之老變者矣

△按猨【即猿字】本朝未有之自中華來有畜之耳俗云猨爲

 獵人被疵其疵愈爲贅名平佐羅婆左羅蓋妄也【詳于鮓荅之下】

 

【音瀆】

本綱獨似猨而大猿性群獨性特猿鳴三獨鳴

一而止能食猨猴【或云獨乃黄腰獸也見于虎類】

[やぶちゃん字注:以上二行は、「獨【音瀆】」の下に入る。]

ゑんこう

【音、圓。】

ユヱン

 

猿【同字。】

【俗に猿猴の二字を用ひて之を称す。】

 

「本綱」に、『猨は、川廣〔(せんくわう)〕の深山の中に産す。猴に似て長大、其の臂、甚だ長くして、能く氣を引く故、多壽なり。其の臂の骨〔にて〕笛を作る〔に〕、甚だ清亮。其の色、青・白・玄・黄・緋の數種有り。其の性、靜にして仁慈なり。好みて果實を食ふ。其の居ること、多く林木に在り。能く數丈を越えて地に着く。即ち泄瀉して死す。惟だ附子〔(ぶし)〕の汁、之を飲めば免かるべし。其の行くこと、多く群がる。其の鳴くこと、善く啼き、一鳴三聲、凄切にして、人の肝脾に入る

金絲の者や、黄色にして玉面の者や、黑色、及び身面倶に黑き者有り。或は云く、黄なるは是れ牡にして、黑は是れ牝なり。牝は能く嘯(うそむ)き、牡は能くせず。又、云く、猨、初めて生るる時は[やぶちゃん字注:「時」は訓点にある。]、毛、黑にして雄なり。老いて則ち黄に變じて勢嚢(へのこ)を潰(つぶ)し去(さ)り、雄を轉じて雌と爲す。黑き者と交(つる)みて孕む。數百歳にして、黄、又、白に變ず。此の説、「列子」に『貐〔(ゆ)〕、變化して猨と爲〔る〕。』〔とあ〕り、「莊子」に『獱狙〔(ひんそ)〕、猨を以て雌と爲(す)る。』と云ふの言、相合ふ。必ずしも妄ならず。』と。

「三才圖會」に云ふ、『常庭山に白猿多し。状ち、獼猴〔(びこう)〕のごとくにして、差〔(やや)〕大きく、臂・脚、長く、捷にして善く樹木を攀〔(よ)ぢ〕援〔(ひ)〕く。其の聲、哀(かな)し。蓋し此れ、猨の老變なる者か。』と。

△按ずるに、猨【即ち猿の字。】は、本朝に未だ之有らず。中華より來り之を畜〔(かふ)〕こと有のみ。俗に云ふ、猨は、獵人の爲めに疵を被ふり〔→むり〕、其の疵、愈ち贅(こぶ)と爲り、平佐羅婆左羅〔(へいさらばさら)〕と名づくと云ふは[やぶちゃん字注:「云」は訓点にある。]、蓋し妄なり鮓荅〔(へいさらばさら)〕の下に詳し。】。

 

【音、瀆。】

「本綱」に、『獨は猨に似て大なり。猿の性は群れる、獨の性は特(ひとり)なり。猿は鳴くこと三たび、獨は鳴くこと一たびにして止む。能く猨猴を食ふ或は云ふ、獨は乃ち黄腰獸なり。虎の類に見とむ。】。』と。

 

[やぶちゃん注:「猨」は現代中国語では“yuán”で、「類人猿」の意である。以下まずは、ウィキの「類人猿」の記載を参照に、類人猿の定義をしておきたい。英語では“ape”で、『ヒトに似た形態を持つ大型と中型の霊長類を指す通称名。ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的生活を営んでいる。類人猿は生物学的な分類名称ではないが、便利なので霊長類学などで使われている。一般的には、人類以外のヒト上科に属する種を指すが、分岐分類学を受け入れている生物学者が類人猿(エイプ)と言った場合、ヒトを含める場合がある。ヒトを含める場合、類人猿はヒト上科(ホミノイド)に相当する』。その広義の類人猿含まれる現生動物は“lesser ape”(小型類人猿)と“great ape”(大型類人猿)に大別され、小型類人猿にはサル目真猿亜狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属Hylobatesとフクロテナガザル属Symphalangusを含むテナガザル科Hylobatidae、大型類人猿にはヒト上科オランウータン(ショウジョウ)科ヒト科オランウータン属 Pongo・ヒト科チンパンジー亜科ゴリラ属 Gorilla・チンパンジー亜科チンパンジー属 Pan(コンゴ民主共和国固有種であるチンパンジー属 ボノボPan paniscusを含む)、そしてヒト科ヒト属ヒトHomo sapiens sapiensが含まれることになる。この大型類人猿の内、ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・ヒトはアフリカ類人猿、オランウータンはアジア類人猿とと呼称される。アジア類人猿の現生種はオランウータン一属のみだが、絶滅種のヒト上科ヒト科チンパンジー亜科†ギガントピテクス属 Gigantopithecusなども含まれる。『以前の分類では、オランウータン科にはオランウータン属・ゴリラ属・チンパンジー属を含めた。しかし、DNAの進化分析を考慮した新しい分類では、オランウータン科はオランウータンのみとなり、ゴリラ属・チンパンジー属はヒト科に分類される。さらに、オランウータンもヒト科に含める学者もあり、この学説の場合にはオランウータン科は消滅する』とある。以上見てきたように我々は、『ヒトという「自らの所属する種を除いたヒトの類縁種をこのように呼ぶ」という』恣意的で非科学的な区別をここに持ち込んでいるに過ぎず、『類人猿とそれ以外を区別する明確な生物学的根拠は無い』。『生物学的には』この“ape”にはヒトも含めるのが妥当であり、「類人猿」という日本語呼称自体が不適切である、とウィキの記載者は明解な論を展開されており、私には至って共感出来る記載である。私なら少し色気を出してヒトの後ろに、イエティ・野人・サスカッチ・ビッグフット・ヒバゴン等も含む、とやりたい。ウィキ記載者氏はムッとするかも知れないが、寺島氏は肯んじてくれるはずである。

閑話休題。さて本記載の「猨」であるが、形状・生態・分布域からサル目真猿亜狭鼻下目ヒト上科テナガザル科テナガザル属Hylobatesに同定してよかろう。現生種は以下の9種である。

Hylobates agilis アジルテナガザル

Hylobates concolor クロテテナガザル

Hylobates hoolock フーロックテナガザル

Hylobates klossii クロステナガザル

Hylobates lar シロテテナガザル

Hylobates moloch ワウワウテナガザル

Hylobates muelleri ミュラーテナガザル

Hylobates pileatus ボウシテナガザル

Hylobates syndactylus フクロテナガザル

インドシナ半島・マレー半島及びスマトラ島とボルネオ島を分布域とし、熱帯雨林の樹上に棲息する。体長は4590㎝。長い腕を用いて“Brachiation 「ブラキエーション」(枝渡り)で移動する。『11妻で、子供を含めた4頭程度の群れを形成している。テナガザルは歌を歌うことで知られている。主にカップルのオスとメスが交互に叫びあいながら、複雑なフレーズを取り混ぜたデュエットを行うのである。種によっても異なるが、歌は2時間程度続けられることもある。この歌は家族間の絆を深めたり、他の群れに対してなわばりを主張したりすることに役立っていると考えられる。この歌い方は、種によってそれぞれ特色があるため、歌を聞き分けることにより、種の判別が可能である』(以上、テナガザルについては、主にウィキの「テナガザル科」を参照した)。テナガザル属は現在、中華人民共和国野生生物保護法によって絶滅危惧動物として国家一級重点保護野生動物に指定されている。

最後に博物誌として、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 5 哺乳類」の「テナガザル」の記載を引用する。『古代中国では、王侯貴族のペットとしてテナガザルに特別な関心が払われた。宋の「埤雅」(ひが)に引用されている「管子」(かんし)形埶(けいせい)篇(前7世紀斉の管仲の作といわれる)によると、テナガザルはたとえ絶壁の下を流れる水でも、崖の上の木の枝から何匹もが鎖のように長い腕を連ねてたやすく飲むことができるという。だが、習性上、テナガザルは一匹で枝からぶらさがり手を水にひたして口に含むことはあるが、集団でこのようなことはしない。しかし「管子」の伝えた話は後世繰り返し用いられ、5世紀宋の詩人謝霊運(しゃれいうん)も「遊名山記」で『猿猱(えんどう)は下りて飲まんとするに百臂(ひゃくひ)を相聯(あいつら)ぬ』と書いている(中野美代子「孫悟空の誕生」)。』『本来猿の字をあてられるべきテナガザルは日本には生息しないため、中国から渡来したときには珍獣として扱われたらしい。「蒹葭堂雑録」は、文化6年(1809)大阪道頓堀で催されたテナガザルの見世物興行を記録し、『実に稀代の観物なり』としている。また『黄なるは是雄にして黒きは是雌なりと、按ずるに当時の猨は面手足とも黒かりし故、正しく雌なりしならん』と観察の細かいところをみせている』とある(引用に際して記号の一部を変更した)。「蒹葭堂雑録」の当該記事を見ると、良安と同様に「本草綱目」を長々と引用して上記のように末尾に述べている。その訓読の癖を見ると、私はこれは「本草綱目」からの引用ではなく、実は「和漢三才図会」のこの項からの孫引きじゃないか? と秘かに思うのである。なお、荒俣氏は、同書末の博物学関係人名で、この「蒹葭堂雑録」を木村蒹葭堂の遺稿集としているが、正確ではない。これは稀代の文人にしてコレクターであった初代木村蒹葭堂孔恭(きむらけんかどうこうきょう)の見聞雑記遺稿に、二代目木村蒹葭堂石居(せききょ)が享和年間以降の自身の見聞雑記を補塡したものである。――何故そんなつまらないことをくだくだしく書くのかって? だって、超有名な初代の木村蒹葭堂は元文元(1736)年の生まれで、享和21802)年に没してるんだもん。文化6(1809)年のテナガザルは、孫悟空がトンボを打ったって、見られないんだよ。

 「猿猴」辞書を引くと、①猿類の総称。古くは特に手長猿を指して呼ぶ語。②河童の異名。③文楽の隠語で、人形の手を言う語(という意味であろう。確かにあのナックルの形態は確かにヒトよりサルに近い。辞書にはただ「人形浄瑠璃で手のこと」としか、どの辞書も書いていない。まさか人形遣いの人間の手ではあるまいな。細かいことだが辞書としてはちゃんと「人形の」と入れてもらいたいもんだ)。④月経の隠語。小学館「大辞泉」にはここに「柳多留」七七から「猿猴へ手を出し亭主ひっかかれ」という川柳を引く。面白いね。さて、②であるが、これはウィキのズバリ「猿猴には、広島県及び中国・四国地方に伝承する未確認生物で、河童の一種とある。以下、同所からの引用。『一般的にいう河童と異なる点は、姿が毛むくじゃらで猿に似ているところ。金属を嫌う性質があり、海又は川に住み、泳いでいる人間を襲い、肛門から手を入れて生き胆を抜き取るとされている。女性に化ける事ができる、という伝承もある』といい、「土佐近世妖怪資料」の記載によれば『3歳ほどの子供のようで、手足は長く爪があり、体はナマズのようにぬめっている』とある。『文久3年(1863年)に土佐国(現・高知県)で生け捕りになったとされる猿猴は、顔は赤く、足は人に似ていたという。手は伸縮自在』で、『ある男が川辺に馬を繋いでいたところ、猿猴が馬の脚を引いて悪戯をするので、懲らしめようと猿猴の腕を捻り上げたが、捻っても捻ってもきりがなく、一晩中捻り続ける羽目になったという』。『また河童に類する四国の妖怪にシバテンがいるが、このシバテンが旧暦6月6日の祇園の日になると川に入って猿猴になるといい、この日には好物のキュウリを川に流す』習慣があり、『山口県萩市大島や阿武郡では河童に類するタキワロという妖怪がおり、これが山に3年、川に3年住んで猿猴になるという』伝承があるとし、広島市南区を流れる猿猴川の名はこの妖怪に由来すると記されている。この記載の内、伸縮自在にして捻っても捻っても捻りきることが出来ないというのは、テナガザルの中国での伝承「通臂猴」と完全に一致する。

 「川廣」四川及び広州地方の総称。

 「能く氣を引く故、多壽なり」しょっちゅう深呼吸に似た呼吸法を行うから、長命である、という意味。長い手からの類感的連想と道家の導引法の類似からであろう。

 「清亮」清らかで明るい。清くほがらか。澄んで美しい。人の性質や音声に対して用いる。

 「仁慈」思いやりがあって情が深いこと。

 「即ち泄瀉して死す」下痢をするとあっけなく死んでしまう。

 「附子」キンポウゲ目ンポウゲ科トリカブト属 Aconitumの塊根を乾したもの。古くから漢方薬及び毒物名として登場する。その場合、一般には生薬名では「ぶし」と呼び、毒物として言う場合は「ぶす」と呼称することが多いので、ここでは「ぶし」と読んでおいた。別名、烏頭(うず)。主な有毒成分はアルカロイドの一種であるAconitineアコニチンで、嘔吐・痙攣・呼吸困難・心臓発作を主症状とする。適量を用いれば強心剤となる。

 

 「一鳴三聲、凄切にして、人の肝脾に入る」「凄切」は身に沁みて淋しいこと。古来、猿声は悲哀断腸の思いを引き起こすアイテムである。著名なところでは、李白の次の詩であろう。

 

 早發白帝城     早(つと)に白帝城を發す

朝辭白帝彩雲間   朝に辭す 白帝彩雲の間

千里江陵一日還   千里の江陵 一日(いちじつ)にして還る

兩岸猿聲啼不住   兩岸の猿聲 啼いて住(や)まざるに

輕舟已過萬重山   輕舟 已に過ぐ萬重(ばんちやう)の山

 

一般に我々はこの詩に老成した作者をイメージする。実際に、承句の江陵(湖北省白帝城から約300㎞下流)へ引き返すという意味から、これは乾元二(759)年59歳の作とするのが現在一般的である。当時、作者が幕僚として仕えていた永王が粛宗に対する謀叛の疑いをかけられて追討・敗死、同時に李白も捕縛されて現在の貴州省北部にあった夜郎へ流罪となった。ところが配流の途上、この白帝城付近で赦免状が下され、急遽、戻ることとなった晴れやかな気持ちを歌ったものとするのが現在の定説である。しかし乍ら、私は高校時代、これを初めて読んだ時の注には李白二十五歳(開元元(726)年)とあったのを記憶している。即ち私はこの詩を、青雲の志を胸に故郷四川省を出て揚子江を下った際の、三峡最上流瞿唐峡を通過した折りのノスタルジアとして読んだのである。配された白帝城は、前漢末の英雄公孫述や覇者劉備玄徳の居城としても知られていた。何より、杜甫をして天馬空を翔ぶが如き奔放さを持っているはずの李白にしては、「白帝」―「彩雲」、「千里」―「一日」、「輕舟」―「萬重」の対語表現の配置は、如何にも技巧に過ぎる気はしないか? いや、これは才気煥発の若さ故とは読めないか? 確かに「千里」以下の三句での三峡の水勢と軽舟のスピード感は、罰を許された軽快なうきうきした感情を美事に表現しているとも言えようが、ならば何故、断腸の「兩岸猿聲」をわざわざ耳に残したのか? それは旧主永王へのせめてものオードともとれるか? 確かに出郷なのに江陵に「還る」というのは変ではあるな――いや――でも、やっぱり私にはノスタルジアだ。そんな思いで訳したい。

 

○やぶちゃん現代語訳

東雲(しののめ)だ 白帝城に照り映える鮮やかな雲に送られて 出てゆこう――

……千里も離れた江陵なのに たった一日で辿りついちまうという……

両岸に屹立する断崖 そこに腸(はらわた)を截ち斬るような猿の声

 それが今も鳴き止むことなく耳に残っているというのに――

一艘の小船は 峨々たる山脈をあっという間に通り過ぎちまった――

 

最後に。サルからヒトに進化させよう。猿声悲哀を人事と合わせてアウフヘーベンした芭蕉を挙げておこう。「野ざらし紀行」である。

 

富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の、哀げに泣く有り。此の川の早瀨にかけて浮世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命まつ間と、捨て置きけむ、小萩がもとの秋の風、こよひや散るらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげて通るに、

 猿を聞く人捨子に秋の風いかに

 いかにぞや、汝父に惡(にく)まれたるか、母に疎まれたるか。父は汝を惡むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。唯これ天にして、汝が性の拙なきを泣け。

 

○やぶちゃんの発句解釈

 猿声を聴きそれに悲しむ風雅のお人! この眼前――腹から搾り出さんばかりに泣く捨て子――その顔に吹き付けて、その泣き声をも吹き飛ばす無情にして冷たい秋の風――さても、あの猿の鳴き声とこの捨て子の泣き声と――御仁はいずれを哀しと言われるか……

 

 「玉面」は顔が白く美しいことを言うか。丸い顔の意ではあるまいが、しかし、丸くは見えるな。

 「黑色」というのは恐らく「黑色にして玉面の者」の意であろう。そうしないと以下の「身面倶に黑き者」とダブってしまうからである。

 「嘯き」唸る。吠える。鳴く。

 「勢嚢(へのこ)」精嚢でここでは睾丸のこと。陰茎をも指す。「和名類聚抄」に『陰核、篇乃古。』とある。

 『「列子」』戦国時代の列御寇(生没年不詳:B.C.400年前後とされる)及びその弟子が著したとされる道家思想の書。別名「冲虚至徳真経」(ちゅうきょしとくしんきょう)。事実ならば老子の後を継ぎ、荘子に先行する道家の思想家ということになるが、列子の実在は疑われており、本著は晋代の偽作とも言われる。

 「貐、變化して猨と爲る。」これは良安の転記ミスか「本草綱目」の誤記で、原文は「貐」ではなく、更に頭の「老」の字が脱落している(「老」の脱落は「本草綱目」自身のもの)。「列子」の「天瑞第一」四にあるそれは、『老羭之爲猨也』(老羭(ろうゆ)の猨と爲り)である。「老羭」は「年老いた黒い雌羊」のことで、「列子」のこの部分は、斉物論、を説くために、化生する生物を羅列するところである。所謂、物化(下らない区別)にあっては、婆の黒羊がヒトガタの猿になったとしても(老羭というのはサバトの主催者みたようで妙に黒魔術臭いのが面白い)なんら驚きではないのである。

 『「莊子」』戦国時代の荘周及びその弟子が著した道家思想の書。別名「南華真経」。古来、本邦では人名を「そうし」、書名を「そうじ」と読み慣わす。

 「獱狙、猨を以て雌と爲る。」これは訓読が変則的だ。「荘子」の「斉物論」九には『猨猵狙以爲雌』(猨は猵狙を以て雌と爲す)とある。「猵」は「獱」と同字でカワウソの類を指すのであるが、「猵狙」を中文サイトを調べて見ても、神話伝説中の野獣にして猿猴に似る、と記すだけで、引用はこの「荘子」のこの部分である。岩波書店1971年刊の金谷治訳注「荘子」では「猵狙」に「いぬざる」というルビが振られている。これは実在するオナガザル亜科ヒヒ属のマントヒヒPapio hamadryasを現わす和語であるが、分布域から考えてあり得ないと思われる。

 『「三才圖會」』は明代の王圻(おうき)の著になる図解百科事典。万暦351607)年の序をもつ。王圻の子王思義の続集と合本すると106巻に及ぶ。天・地・人の三才(世界・宇宙に存在する万物)を、天文・地理・人物・時令・宮室・器用・身体・衣服・人事・儀制・珍宝・文史・鳥獣・草木の14門に分類して図版を添えて解説する。

 「常庭山」秦漢時代に成立したとされる幻想地誌書「山海経」の「南山経」に記される山。堂庭山とも(これはどちらかが誤字であろう)。白猿が多く棲息するとは「山海経」の記載。架空の山である。

 「獼猴」オナガザル亜科 Cercopithecinaeのマカク属 Macaca。前掲項「獼猴」参照。

 「捷にして」動きが敏捷で。すばしっこく。

 「平佐羅婆左羅〔(へいさらばさら)〕」以下の「鮓荅の下に詳し。」の注を参照。

 「妄なり」誤りである。出鱈目である。

 

 「鮓荅の下に詳し。」以下、「和漢三才圖會」の「卷三十七 畜類」にある「鮓荅」の項のみを画像も含めて電子テクスト化する。

☆☆☆[やぶちゃん注:「卷三十七 畜類 鮓荅」テクスト化開始。]

 

へいさらばさら

へいたらばさら 【二名共蠻語

鮓荅      也】

ツオ タ

 

本綱鮓荅生走獸及牛馬諸畜肝膽之間有肉嚢裹之多

至升許大者如雞子小者如栗如榛其状白色似石非石

似骨非骨打破層疊可以祈雨輟耕録所載鮓荅即此物

也曰蒙古人禱雨惟以淨水一盆浸石子數枚淘漉玩弄

密持咒語良久輙雨石子名鮓荅乃走獸腹中所産獨牛

馬者最妙蓋牛黄狗寶之類也鮓荅【甘鹹平】治驚癇毒瘡

△按自阿蘭陀來有平佐羅婆佐留其形如鳥卵長寸許

 淺褐色潤澤似石非石重可五六錢目研磨之有層層

《改ページ》

 理如卷成者主治痘疹危症解諸毒俗傳云猨爲獵人

 被傷其疵痕成贅肉塊也蓋此惑説也乃爲鮓荅也明

 矣

へいさらばさら

へいたらばさる 【二名共に蠻語なり。】

鮓荅

ツオ タ

 

「本綱」に、『鮓荅は走獸及び牛馬諸畜の肝膽の間に生ず。肉嚢有りて之を裹〔(つつ)〕む。多きは升許りに至る。大なる者は雞子〔(けいし)〕のごとく、小なる者は栗のごとく、榛(はしばみ)のごとし。其の状、白色、石に似て石に非ず。骨に似て骨に非ず。打ち破れば層疊す。以て雨を祈るべし。「輟耕録」に載する所の「鮓荅」は、即ち此の物なり。曰く、蒙古(むくり)の人、雨を禱〔(おの)〕るに惟だ淨水一盆を以て石子數枚を浸し、淘漉〔(すすぎこ)〕し、玩弄し、密かに咒語〔(じゆご)〕持〔(じ)〕すれば、良〔(やや)〕久しくして輙〔(すなは)〕ち雨ふる。石子を鮓荅と名づく。乃ち走獸の腹中に産する所〔のものなり〕。獨り牛馬の者、最も妙なり。蓋し牛黄狗寶の類なり。鮓荅【甘・鹹にして、平。】は驚癇毒瘡を治す。』と。

△按ずるに、阿蘭陀より來たる平佐羅婆佐留〔(へいさらばさら)〕有り。其の形、鳥の卵(こ)のごとく、長さ寸許り淺き褐(くろ)色、潤澤。石に似て石に非ず。重さ五六錢目可(ばか)り。之れを研磨すれば、層層たる理(すぢ)有りて卷き成す者のごとし。主に痘疹の危症を治し、諸毒を解す、と。俗傳に云く、猨、獵人の爲に傷せられ、其の疵-痕(きづ)、贅(こぶ)と成りて〔→たる〕肉-塊(かたまり)なりと。蓋し此れ惑説なり。乃ち鮓荅なること、明らけし。

 

[「鮓荅」やぶちゃん注:これは各種の記載を総合すると、良安の記すように日本語ではなく、ポルトガル語の“pedra”(石)+“bezoar”(結石)の転であるとする。また、古い時代から一種の解毒剤として用いられており、ペルシア語で“pādzahr”、“pad (expelling) + zahr (poison) ”(毒を駆逐する)を語源とする、という記載も見られる。本文にある通り、牛馬類から出る赤黒色を呈した塊状の結石で、古くは解毒剤として用いたとある。別名、馬の玉。鮓答(さとう)とも書いた。やはり良安もこの「鮓荅」の直前にある「狗宝」で述べているが、牛のそれを牛黄・牛の玉、鹿のそれを鹿玉(ろくぎょく/しかのたま)、犬では狗宝(こうほう/いぬのたま)、馬では馬墨(ばぼく)・馬の玉、その他、犀の通天(たま)などと各種獣類の胎内結石を称し、漢方では薬用とする。

それにしても、この「ヘイサラバサラ」「ヘイタラバサル」という発音は「ケサランパサラン」と何だか雰囲気が似ている。私はふわふわ系UMAのイメージしかなかったから偶然かと思ったら、どっこい、これを同一物とする説があった。Nihedon& Mogu という共編と思われるケサランパサラン研究サイト「けさらんぱさらん」「ケサパサ情報館」の『「家畜動物の腸内結石」説』に詳しい。体内異物を説明して、腸結石(糞便内の小石・釘・針金・釦等の異物に無機物が沈着して出来たもので馬の大腸、特に結腸内に見られる)や毛球(牛・羊・山羊等の反芻類が嚥下した被毛あるいは植物繊維より成るもので、第一胃及び第二胃に、稀に豚や犬の胃腸に見られることもある。表面に被毛の見えるものを粗毛球、表面が無機塩類で蔽われ硬く滑かで外部から毛髪の見えないものを平滑毛球という)を挙げ、『この説によると、「動物タイプ」はこのうち粗毛球を指し、「鉱物タイプ」は平滑毛球や腸内結石を指す事になる』とし、『「馬ん玉」や「へいさらぱさら」はまさしく「ケサランパサラン鉱物タイプ」の別名であり、「ケサランパサラン動物タイプ」の別名として「きつねの落とし物」がある』、即ち、きつねが糞と一緒に排泄した粗毛球を言ったものであろう、と考察されている。また、そうした「鉱物タイプ」の「ケサランパサラン」を、まさに本記載同様、雨乞いに用いたケースについて、以下のように記されている。長い引用になるが、本項に対して極めて示唆に富んだ内容であるため、ここに引かさせて戴く(大部分は編者へ寄せられた情報の引用という形で記載されている。漢字や記号・句読点・読み・改行等の一部を補正・省略させてもらった)。

『角川「大字源」で「鮓」という字を調べたところ、別の面白い情報が得られました。

鮓荅 さとう/ヘイサラバサラ

牛馬などの腹中から出た結石。古代,蒙古人が祈雨のために用いた。[本草(綱目)・鮓荅][輟耕録・禱雨]

日本の雨乞いの方法の一つに、牛馬の首を水の神様に供える、或いは水神が棲む滝壷などにそれらを放り込む、という方法があります。これは、不浄なものを嫌う水の神を怒らせることによって、水神=龍が暴れて雨が降るという信仰から来ているようです。以下は(この説を教えてくれた方の)私見ですが、「へいさらばさら」は、その不浄な牛馬の尻から出てくるものですから、神様が怒るのも当然という理屈で用いられたのではないでしょうか。ただし、これは日本における解釈であり、馬と共に暮らす遊牧民族であるモンゴル人が、同じ考えでそれを行ったかどうかは不明です。ちなみに輟耕録は14 世紀の明の書ですから、古代とあるのはその頃の話です。[やぶちゃん注:原文はここで改行。]※その後、この情報をいただいた方から、「輟耕録」は序文が1366年、モンゴル王朝であった元が12601368年で、文献自体の内容も、元時代の社会・文化に関する随筆集ですから「明の書」の部分は、「元王朝末期の書」とでもして下さい。」という旨のメールをいただきました。[やぶちゃん注:原文はここで改行。]さらに、「その後の調査で、輟耕録に記載されている雨乞いの方法(盥に水を入れ呪を唱えながら水中で 石を転がす)が『ケサランパサラン日記』[やぶちゃん注:西君枝と言う方が草風社から1980 年に刊行した著作。未見。]のそれと酷似しており、また、このように水の中で転がして原形をとどめていられるのは硬い球形の馬玉タイプであることや、モンゴル語で雨を意味する“jada”という語に漢字を当てたものが「鮓荅」であると考えられることなどから、「へいさらばさら」の雨乞いのルーツは、中国の薬物書である「本草綱目」によって伝えられたモンゴル人の祈雨方法にあり、それに用いられたのは白い球状の鮓荅であると考えた方がよいようです。ついでに言えば「毛球」については、反芻をする動物(ウシやシカなど)に特に多いようですが、毛づくろいの際に飲み込んだ毛でできるため、犬以外のペット小動物、例えばウサギ、猫などでもメジャーな病気のようです。ペットに多いのは、野生の場合、毛が溜らないようにするための草を動物が知っていて、これを時々食べることによって防いでいるためで、ペット用に売られている「猫草」も、毛球症予防に効果があるようです。」と追加説明もいただきました。』[やぶちゃん注:原文ではここで改行、情報提供者への謝辞が入る。]『また、水神=龍から、龍の持つ玉のイメージが想起されることから、雨乞いに用いられたへいさらばさらは、主に白い球状のタイプだったのではないかと推測されます。』[やぶちゃん注:この最後の部分は、情報提供者の追伸と思われる。]

・「肉嚢」肉状の軟質に包まれていることを指す。胆嚢結石とすれば、これは胆嚢自体を指すとも考えられるが、実は馬や鹿等の大型草食類には胆嚢が存在しない種も多い。その場合は胆管結石と理解出来るが、ある種の潰瘍や体内生成された異物及び体外からの侵入物の場合、内臓の損傷リスクから、防御のための抗原抗体反応の一種として、それを何等かの組織によって覆ってしまう現象は必ずしも異例ではないものとも思われる。

・「雞子」鶏卵。

・「榛」ブナ目カバノキ科ハシバミCorylus heterophylla var. thunbergiiの実。ドングリ様の大きな実のようなものを想定すればよいか。へーゼルナッツはこのハシバミの同属異種である。

・「層疊」同心円上の層状結晶を言うか。

・『「輟耕録」』明代初期の学者陶宗儀(13291410)撰になる随筆集。先行する元代の歴史・法制から書画骨董・民間風俗といった極めて広範な内容を持ち、人肉食の事実記載等、正史では見られない興味深い稗史として見逃せない作品である。

・「蒙古(むくり)」蒙古(もうこ)はモンゴルの中国語による音写で、古く鎌倉時代に「もうこ」のほかに「むくり」「むこ」などと呼称した、その名残りである(因みに、鬼や恐ろしいものの喩えとして泣く子を黙らせるのに使われる「むくりこくり」とは「蒙古高句麗」で蒙古来襲の前後に「蒙古(むくり)高句麗(こくり)の鬼が来る」と言ったことに由来する)。遊牧民であるから、牛馬の結石は見慣れたものであったと思われる。

・「淘漉し、玩弄し」水で何度も洗い濯いでは、水の中で転がし、という意。

・「咒語」まじないの呪文。

・「持すれば」呪文を用いて唱えれば。

・「牛黄」牛の胆嚢や胆管に生ずる胆石で、日本薬局方でも認められている生薬で、解熱・鎮痙・強心効果を持つ。牛1000頭に1頭の割でしか見つからないため、金の同重量の価格の凡そ5倍で取引されている非常に高価な漢方薬である。良安は同じ「卷三十七 畜類」で「牛黄」の項を設けており、そこでは「本草綱目」を引く。時珍はそこで牛黄の効能・採取法・形状・属性・真贋鑑定法を語り、そもそも牛黄は牛の病気であると正しい知見を示している。また牛黄には生黄・角中黄・心黄・肝黄の4種があり、牛黄を持った病態の牛の口に水を張った盆を当てがい、牛を嚇して吐き出せた生黄が最上品であると記す。最後に良安の記載があるが、そこで彼は世間で「牛宝」と呼ぶ外側に毛の生えた玉石様ものであるが、これは「狗寶」(次注参照)と同様、「鮓荅」の類で、牛の病変である牛黄と同類のものであるが、牛黄とは全くの別種である、と述べて贋物として注意を喚起している。この記載から、良安は「牛黄」を「鮓荅」と区別・別格とし、「牛黄」のみを真正の生薬と考えていることがはっきりと分かる。

・「狗寶」良安は「卷三十七 畜類」の「鮓荅」の直前で「狗寶」の項を設け、そこでも「本草綱目」引用しているが、この「本草綱目」の記載が、とんでもなく雑駁散漫な内容で、我々にその「狗寶」なるものの実体や属性・効能を少しも明らかにしてくれない。その引用末尾の『程氏遺書』の引用に至っては、「狗寶」から完全に脱線してしまい、荒唐無稽な石化説話の開陳になってしまっている。良安の附言は、全くない。「本草綱目」の引用のみで附言がない項目は他にもいくらもあるのだが、私にはどうもこの項、しっくりこない。

・「驚癇」漢方で言う癲癇症状のこと。

・「毒瘡」瘡毒と同じか。ならば梅毒のことである。もっと広範な重症の糜爛性皮膚炎を言うのかも知れない。

・「潤澤」ある程度の水気を帯び、光沢があることを言う。

・「五六錢目」「錢」は重量単位。一両の10分の1。時珍の明代では一両が37.3gであるから、18.6522.38g。20g前後。

・「痘疹」天然痘。

・「俗傳に云く、猨、獵人の爲に傷せられ、其の疵-痕、贅と成りたる肉塊なりと。蓋し此れ惑説なり。乃ち鮓荅なること、明らけし。」ここの部分、東洋文庫版では、

『世間一般では猿の身体にある鮓荅をさして、これは猿が猟人のために傷つけられ、その傷の痕(あと)が贅肉(こぶ)となったものであるという。しかしこれは間違いで、鮓荅であることは明らかであろう。』

と訳しているが、これはおかしな訳と言わざるを得ない。ここは、

『俗説に言うには、「猿が猟師に傷つけられ、その傷の痕が瘤となった、その肉の塊が鮓荅である」とする。しかし、これはとんでもない妄説である。以上、見てきたように、鮓荅というものは猿と人とのものなのではなく、牛馬に生ずるところの結石であること、最早、明白である。』

と言っているのである。

☆☆☆[やぶちゃん注:「卷三十七 畜類 鮓荅」テクスト化終了。]

「獨」「廣漢和辭典」には、さるくいざる。猿の一種。猿に似て大きく、猿を捕らえて食う。常に独居し、叫び声も一声であることから独と名付ける、とある

 「能く猨猴を食ふ」サル類の共食いについては、現在、マカク属 Macaca には本邦固有種のニホンザル Macaca fuscataニホンザル・マカク属Macaca fascicularisカニクイザル・オナガザル科コロブス亜科Semnopithecus Semnopithecus entellus ハヌマンラングール・真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科チンパンジー亜科チンパンジー Pan troglodytes チンパンジー及びヒト科ヒト Homo sapiens 等の異常行動として報告されている。次注参照。

 「或は云ふ、獨は乃ち黄腰獸なり。虎の類に見とむ。」とは、「ある説によれば、独は黄腰獣という名の獣である。その学説の分類ではこの独を虎の仲間と見做している。」の意。トラなら「能く猨猴を食ふ」は納得。]

 

 

***

をながざる

果然

コウ ジヱン

 

猓※1

禺【音遇】

狖【音又或

  作※2※3】

蜼【音壘或

  作※4】

仙猴

[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「然」。※2=「豸」+「穴」。※3=「鼬」-「由」+「穴」。※4=「犭」+「畾」。以上六行は、前三行下に入る。]

 

本綱果然大于猨白靣〔=面〕黑頰多髯其體不過二尺而尾長

于身其末有岐鼻孔向天雨則挂木上以尾岐塞鼻孔其

名自呼其毛長柔細滑白質黑文如蒼鴨脇邊班〔→斑〕毛之状

集之爲裘褥甚温暖也喜群行老者前少者后食相讓居

相愛生相聚死相趣若人捕其一則擧群啼而相赴雖殺

之不去謂之果然以來之可必也仁讓孝慈獸也古者畫

蜼爲宗彛亦取其孝讓而有智也○蜼似猿而字從虫※4

似羊而從鹿鯪鯉似獺而從魚古作字當別有取義也

[やぶちゃん字注:※5=「鹿」(上)+「霝(下)」。]

 

蒙頌

 

一名蒙貴本綱此乃蜼之小者也紫

黑色出交趾畜以捕鼠勝于猫狸

[やぶちゃん字注:以上二行は、「蒙頌」の下に入る。]

 

をながざる

果然

コウ ジヱン

 

猓※1〔(くわぜん)〕[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「然」。]

禺〔(ぐ)〕【音、遇。】

【音、。或は※2・※3に作る。】[やぶちゃん字注※2=「豸」+「穴」。※3=「鼬」-「由」+「穴」。]

音、壘。或は※4に作る。】[やぶちゃん字注:※4=「犭」+「畾」。]

仙猴

 

「本綱」に、『果然は、猨より大なり。白き面、黑き頰、髯多く、其の體、二尺に過ぎずして、尾、身より長くして、其の末、岐有り。鼻の孔、天に向かふ。雨ふる時[やぶちゃん字注:「時」は送り仮名にある。]、則と木の上に挂〔(か)〕け、尾の岐を以て鼻の孔を塞ぐ。其の名〔を〕自ら呼ぶ。其の毛、長く柔かにして細く滑(なめら)かにして、白き質、黑き文蒼鴨のごとし。脇の邊、斑(まだら)毛の状ち、之を集めて裘〔(かはごろも)〕褥〔(しとね)〕と爲〔すに〕甚だ温暖なり。喜びて群行す。老いたる者は前(さき)、少〔(わか)〕き者は后(のち)、食、相讓り、居、相愛し、生、相聚〔(あつ)〕まり、死、相趣く。若〔(も)〕し、人、其の一(いつ)を捕ふれば、則ち擧-群(みなみな)群がり啼きて相赴く。之を殺すと雖も去らず。之を果然と謂ふは、以て之に來たること、必とすべければなり。仁讓孝慈の獸なり。古(いにし)へ、蜼〔(ゐ)〕を畫き、宗彛(そうい)と爲〔(す)〕るも亦、其の孝讓にして智有るを取るなり。』と。 ○蜼は猿に似て、字、虫に從ふ。※5、羊に似て、鹿に從ふ。鯪鯉〔(りやうり)〕に似て、魚に從ふ。古へ、字を作る〔に〕當に別に義を取ること有るべし。

[やぶちゃん字注:※5=「鹿」(上)+「霝(下)」。]

 

蒙頌〔(もうしやう)〕

 

一名、蒙貴。「本綱」に、『此れ乃ち蜼の小者なり。紫黑色。交趾(かうち)に出づ。畜(か)ひて以て鼠を捕らしむ。猫・狸に勝れり。』と。

 

[やぶちゃん注:尾長猿は広く尾の長い猿を言うが、種としてオナガザル類は直鼻猿亜高等猿下狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科のオナガザル亜科 Cercopithecinae 及び コロブス亜科 Colobinae に属するオナガザル類となる。現行のオナガザル亜科 Cercopithecinaeに属する著名種には、中近東周辺に棲息するヒヒ属マントヒヒ Papio hamadryas・本邦固有種であるマカク属ニホンザルMacaca fuscata・中央アフリカに棲息するマンドリルMandrillus sphinx等がいる。通常は長い尾を特徴とするが、退化している種もある。多くは母系社会で、ヒトと同様に32本の歯を持つ。下顎に首まで広がる大きな頬袋を持っており、捕獲物は一旦頬袋に入れておいて、安全な場所を確保後、徐ろに出して摂餌する習性がある。『手足共に親指が他の指と対向することができる。これはものをつかむほか、毛づくろいなどの社会的行動にも役立っている』。現代中国語では「猴科」と言う(本注は主にウィキの「オナガザル科」を参照した)。オナガザル類で中国に分布するものとして最も知られるものはニホンザルと近縁な中国南部に棲息するオナガザル亜科マカク属のベニガオザルMacaca arctoidesであるが、色と尻尾の形状が合わない。以下、ウィキの「ベニガオザル」から引用すると、体長5070㎝、尾長0.36.9cm、体重5.110.2㎏で、『全身は暗褐色の体毛で覆われる。顔には体毛が無く、赤い皮膚が露出し黒い斑点が入る。老齢個体では斑点が増加し顔が黒一色になることもある。尻にも体毛が無く、暗赤色の皮膚が露出』し、『幼獣は全身が白や淡黄色の体毛で覆われ』ている。山地の森林に棲息、2030頭からなる群れを形成する、とあって、幾つかの点で本件叙述と類似する部分もある。同定はオナガザルの一種と言うに留めておく。

 「猓※1」[※1=「犭」+「然」。]猓然。おながざる。

 「禺【音、遇】」の「禺」は音「グ」で、「遇」の音「グウ」は慣用音であり、実は「遇」は本来、音は「グ」である。現代中国音ではどちらも“”(ユイ)である。

 「狖」の音は「ユ・イウ(ユウ)」、現代中国音で“yòu”。猿。黒い色の猿。おながざる。

 「又」の音は「ウ・イウ(ユウ)」、現代中国音で“yòu”で「狖」と音通。

 「※2・※3」[※2=「豸」+「穴」。※3=「鼬」-「由」+「穴」。]「廣漢和辭典」では前者「※2」は①いたちの類。②おながざる。=狖、とする(音は「イウ(ユウ)・ユ」)が、「※3」の方は鼠の一種とあるのみである(音は「ジョウ・ニュ」)。

 「蜼」音は「ヰ(イ)・ユイ」で、現代中国音では“wèi”。おながざる。

 「音、壘」とするが、「壘」の音は「ルイ」で、現代中国音では“lěi”で異なる。反切の上が落ちたもののように感じられる。

 「※4」[※4=「犭」+「畾」。]「廣漢和辭典」に所収せず、音・意味共に不詳。

 「仙猴」「西遊記」の第一回の漢詩に、主人公を呼んで『天産の仙猴』と言う表現が現れる。

 「木の上に挂け」の「挂」は「掛かる・引っ掛かる」の意。後肢の指をナックして木の枝を摑んでいる様を言うのであろう。

 「其の名を自ら呼ぶ」というのは、啼く際には、その「果然」という自分自身の名を自ら呼ぶ、の意であろう。彼等の鳴き声が「果然」現代中国音ならば“guŏ rán”(クゥオ ラン)と、聴こえるのであろう。

 「白き質、黑き文」とは、毛は、下地が白色で、そこに黒い斑点がある、という意味である。肌が、ではない。あくまで、毛が、が主語である。

 「蒼鴨」はカモ目カモ科マガモ Anas platyrhynchos の♂。狩猟家の間ではその緑色の頭部に因み、アオクビ(青首)と呼ぶ。

 「裘」皮衣。獣類の毛皮で作った衣服。

 「褥」座用・就寝用の敷物。

 「食、相讓り、居、相愛し、生、相聚まり、死、相趣く。」は「共に物を食う際には、互いに食物を譲り合い、共に住む時は、互いに愛し合い、生きている折は、互いに集まり群れを成し、死に臨んでは、互いに潔く死へと赴く。」という、驚異的な博愛主義的性情を言う。

 「之を果然と謂ふは、以て之に來たること、必とすべければなり。仁讓孝慈の獸なり。」は「この猿を『果然』という名付ける所以は、以上述べたように、一匹が来たり捕獲したりすれば、必ずや、その他の同族の猿が一匹残らずそこへやってくる故である。仁愛にして恭謙、孝行にして慈愛に満ち満ちた獣なのである。」の意である。

 「宗彛」「宗彛」とは祖霊を祭る宗廟に必ず備え置く、酒を入れるための祭器。外側に虎と猿が図案化されて彫りこまれる。虎は勇を、猿は智をシンボルする。

 「○……」以下は、良安の附言。通例のように「△」で改行しなかったのは、その内容が「果然」の固有な記載から離れた字義論となっているからか。

 「蜼は猿に似て、字、虫に從ふ。」は「蜼(果然)は猿に似ているのに、その字は「むしへん」に拠る。」の意。

 「※5」[※5=「鹿」(上)+「霝(下)」。]東洋文庫では「そ」とルビを振るが、誤り。音は「レイ・リヤウ(リョウ)」で、ウシ目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科 Caprinae カモシカ類若しくはウシ目ウシ亜目ウシ科 Bovidae に属するレイヨウ(羚羊=Antelope:アンテロープ)類を指す。

 「鯪鯉」脊椎動物亜門哺乳綱センザンコウ目センザンコウ科Manidae センザンコウ属Manis。私の電子テクスト「和漢三才圖會 龍蛇部 四十五」の「鯪鯉」の項を参照されたい。そこではミミセンザンコウ Manis pentadactyla を同定候補に挙げた。

 「獺」ネコ(食肉)目イタチ科カワウソ亜科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra whiteleyi1978年以降、生体死体の目撃例はなく、最早、絶滅種と考えられる。

 「字を作るに當に別に義を取ること有るべし。」は、「昔、ある対象を示す一つの漢字を創生するに際しては、きっと現在の我々とは異なった別な部分に着目してその字義を構成したのであろう。」という意である。

「蒙頌」「獼猴」の項で記載したが、ここが正式な項目なので、以下を再掲する。南方熊楠の「十二支考」の「猴に関する伝説」の初めの方に「本草綱目」を引いて次のように述べる。面白い記事なので引用する(1984年刊筑摩版選集を用いた)。

モンキーは仏語のモンヌ、伊語のモンナなどに小という意を表わすキーを添えたものだそうな。さてモンヌもモンナもアラブ名マイムンに出づという。ソクラテスの顔はサチルス(羊頭鬼)に酷似したと伝うるが、孔子もそれと互角な不男だったらしく、『荀子』に〈仲尼の状(かたち)、面(かお)は倛(き)を蒙(かむ)るがごとし〉、倛は悪魔払いに蒙る仮面というのが古来の解釈だが、旧知の一英人が、『本草綱目』に蒙頌一名蒙貴は尾長猿の小さくて紫黒色のもの、交趾(こうし)で畜うて鼠を捕えしむるに猫に勝(まさ)るとあるを見て蒙倛は蒙貴で英語のモンキーだ。孔子の面が猴のようだったのじゃと吹き澄ましいたが、十六世紀に初めて出たモンキーなる英語を西暦紀元前二五五年蘭陵の令となったという荀子が知るはずなし、得てしてこんな法螺が大流行の世と警告し置く。

「本草綱目」の該当箇所には「黑身白腰」といった記載も見られ、これも同定可能な一種と思われる。識者の御教授を乞う。

 「交趾」読みは「こうし」「こうち」を両用する。交趾郡。前漢から唐にかけて置かれた古い郡名。現在のベトナム北部ソンコイ川流域地方にあったが、後にここが中国から独立した後も、この地域をこう呼称した。]

 

 

***

ざんこ   ※1※2

※3猢

ツヱン フウ

[やぶちゃん字注:※1=「鼬」-「由」+「斬」。※2=「鼬」-「由」+「胡」。※3=「犭」+「斬」。]

 

※3猢此乃猨蜼之屬黑身白腰如帶手有長白毛似握版

之状甚捷在樹上騰躍如飛鳥也

 

ざんこ   ※1※2

※3猢

ツヱン フウ

[やぶちゃん字注:※1=「鼬」-「由」+「斬」。※2=「鼬」-「由」+「胡」。※3=「犭」+「斬」。]

 

※3猢は、此れ乃ち・蜼の屬。黑き身、白き腰、帶のごとし。手に長白毛有り、握版の状に似る。甚だ捷(はや)く、樹の上に在〔りて〕騰躍(とうやく)して飛鳥のごとし。

 

[やぶちゃん注:「廣漢和辭典」の「※3」[※3=「犭」+「斬」。]の字の項に「※3猢」とあり、猿の一種とあるのみ。同書の各種引用も本記載以上の新知見を示していない。独特の毛色を示しているのであるが、同定記載を見ない。私は、添えられた画像とその記述との一致性からヒト上科テナガザル科テナガザル属シロテテナガザルHylobates larを同定候補とする。以下、ウィキの「シロテナガザル」を参照に検証すると、分布域は中国南西部・インドネシア(スマトラ島北西部)・カンボジア・タイ・ベトナム・マレーシア(マレー半島)・ミャンマー東部でクリアー出来る。特徴的な体毛についても、『本種の体毛は、部位により黒に近い暗褐色から淡褐色まで多岐に渡る。これは亜種や地域には関係なく個体変異の範疇である。黒い顔の周りを白色の毛が輪のように覆っている。四肢の先端部も白色であることが和名の由来』であるとあり、本記載のような腰部の帯状白毛があってもおかしくない。また、「手に長白毛有り」ありは、黒色の身体の四肢の先端の白毛は当然目立って、「長く」見える。叙述として一致する。更に『体色、体サイズに性差はほとんど見られない。他のテナガザルと同様、長い腕を持ち、尾はない』とあり、その生態は、『昼行性、樹上性で、熱帯雨林に生息している。地上に降りることは滅多になく、長い腕を使い樹から樹へ腕わたり(ブラキエーション)をする。鈎型の手で振り子のようにはずみをつけ、勢いよく枝から枝へ移動する。一夫一婦のつがいを形成し、このペア関係は生涯持続する。家族集団は固定した縄張りを持ち、ほえ声で威嚇することで他のテナガザルを自分達の縄張りに寄せ付けない』とする。本項も尾の記載がなく、樹上生活者としての「鈎型の手」=「握版の状」、活発な「ブラキエーション」=「騰躍」、「地上に降りることは滅多にな」い=「樹の上に在り」等、綺麗な一致点を見る(但し、勿論、これはテナガザル類一般的特徴でもあるが、そもそも本件では「此れ乃ち猨・蜼の屬」(下記注参照)とテナガザルの仲間であることを表明しているのである)。以下、シロテテナガザル5亜種を示しておく。

マレーシアシロテテナガザル Hylobates lar lar

カーペンターシロテテナガザル Hylobates lar carpenteri

セントラルシロテテナガザル Hylobates lar entelloides

スマトラシロテテナガザル Hylobates lar vestitus

ユンナンシロテテナガザル Hylobates lar yunnanensis

 「猨」前掲「猨」の項を参照。テナガザルの仲間。

 「蜼」前掲「果然」の注を参照。テナガザルの仲間。

 「握版の状」板を握ったような形。総ての指の第一関節だけを曲げている状態を指して言っているのであろう。但し、これは類人猿には一般的に見られる特徴であり、時珍は「本草綱目」で前掲した「蒙頌」の解説でも全く同じ語を用いている。

「騰躍」躍り上がる。跳ね上がる。]

 

 

***

しやうしやう

猩猩

スイン スイン

 

※1※1

【和名 象掌】

△按謂黄毛不謂赤

髮然今專爲紅髮

又有名猩猩緋毛

織類彼血染罽僞

稱之者乎

[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「生」。以上、七行は前三行下に入る。]

 

本綱猩猩出哀牢夷及交趾封溪縣山谷中畧似人状如

猨猴類人靣〔=面〕人足黄毛長髮頭顏端正聲如兒啼亦如犬

吠成群伏行能言而知來性好飲酒雖能言當若鸚※2之

《改ページ》

屬亦不必盡俚人以酒及草履置道側猩猩見即呼人祖

先姓名罵之而去頃復相與嘗酒著履因而被擒檻而養

之將烹則推其肥者泣而遣之西胡取其血染毛罽不黯

刺血必※3而問其數至一斗乃已其肉【甘鹹温】食之辟穀【不飢】

[やぶちゃん字注:※2=「毋」+「鳥」であるが、この「毋」は「母」の字の書き癖と考えられる。※3=(上)「竹」+(下)「垂」。]

 

しやうじやう

猩猩

スイン スイン

 

※1※1

和名は象掌〔(しやうじやう)〕。】

△按ずるに黄なる毛と謂ひて赤髮と謂はざる〔に〕、然〔れども〕今、專ら紅髮と爲す。又、猩猩緋と名のる毛織有り、彼の血染の罽〔(まうせん)〕に類〔すと〕僞りて之を稱する者か。

[やぶちゃん字注:※1=「犭」+「生」。以上、七行は前三行下に入る。]

 

「本綱」に、『猩猩は、哀牢夷〔(あいらうい)〕及び交趾(かうし)封溪〔(ほうけい)〕縣の山谷の中に出づ。畧ぼ人に似、状、猨猴の類のごとし。人面、人の足、黄なる毛、長き髮、頭・顏、-正(きら/\)として、聲、兒の啼くがごとく、亦、犬の吠(ほ)ゆるがごとし。群れを成して伏くして行く。能く言ひて來を知り性、好みて酒を飲む能く言ふと雖も、當に鸚※2の屬のごとく〔は〕、亦、必ず〔しも〕盡さざるべし。 俚人、酒及び草履〔(ざうり)〕を以て道の側に置き、猩猩、見て即ち人の祖先の姓名を呼んで、之を罵(のゝし)りて去る。頃(しばら)くして復た相與に酒を嘗〔(な)〕めて履(くつ)を著(は)く。因りて擒-檻(とらま)へらる。而して之を養ひ將に烹〔(に)〕んとす〔れば〕、則ち其の肥える者を推し、泣きて之を遣〔(や)〕る。西の胡(えびす)、其の血を取りて毛罽(〔まう〕せん)を染む。黯(くろ)まず血を刺すに、必ず※3(むちう)つて其の數を問ふ。一斗に至れば、乃ち已む。其の肉【甘・鹹、温。】之を食へば穀を辟〔(さ)け〕て飢えず

[やぶちゃん字注:※2=「毋」+「鳥」であるが、この「毋」は「母」の字の書き癖と考えられる。※3=(上)「竹」+(下)「垂」。掉尾の「飢えず」は割注であるが、明らかに「辟て」と「て」の送り仮名を振っているため、本文扱いで訓読した。]

 

[やぶちゃん注:この「猩猩」は現在、真猿亜目狭鼻下目ヒト上科オランウータン(ショウジョウ)科Pongidae(→ヒト科とも)オランウータン属 Pongoを指す中国語として用いられており、中国語科名としても用いられている(中文のウィキの「猩猩」等ではヒト科猩猩亜科猩猩属とする)。但し、本記載を見て頂けば分かる通り、その属性には甚だ疑義を覚える点が少なくない。オランウータンの棲息域はスマトラ島(インドネシア)と南部を除くボルネオ島(インドネシア・ブルネイ・マレーシア三国による領有島)の熱帯雨林の中に限定されており、本記載の「猩猩」は、幾分かはオランウータンをモデルとしていると思われる節はありながらも、架空の類人猿ととるべきものである。但し、良安が想定しているのはずばり、オランウータンPongoであると考えてよい(後注参照)。因みに、オラン・ウータンはマレー語で“orang”(人)+“hutan”(森の)、「森の人」を意味する。ウィキの「オランウータン」からオランウータン現生種2種亜種3種を掲げておく。

Pongo abelii スマトラオランウータン

Pongo pygmaeus ボルネオオランウータン

Pongo pygmaeus pygmaeus*

*(サラワクからボルネオ島西部に分布)

Pongo pygmaeus wurmbii **

**(ボルネオ島西部からボルネオ島中部に分布)

Pongo pygmaeus morio ***

***(ボルネオ島東部からサバに分布)

本注記載終了後、ネット上に「猩々――それはオランウータンではなかった――」というページを見出した。民俗学的に極めて興味深い記載が満載でお薦めである。

 「※1※1」「大漢和辭典」に『獣の名。しょうじょう。=猩。』とある。

 「和名は象掌」このような和名は聞いたことがない(ネットでも検索懸からず、荒俣宏「世界代博物図鑑 5 哺乳類」の「ショウジョウ」の項にも掲載されていない)が、如何にも面白い。音もそのままで、オランウータンのあの長い象の鼻のように器用な腕(橈骨と尺骨が異様に長く、後肢の約2倍ある)と、広い象の足のような掌をも髣髴とさせる絶妙のネーミングである。死語となっているのが惜しい気さえする。

 「△按ずるに黄なる毛と謂ひて赤髮と謂はざるに、然れども今、專ら紅髮と爲す。又、猩猩緋と名のる毛織有り、彼の血染の罽(まうせん)に類すと僞りて之を稱する者か。」やや分かりにくいので、全文を現代語訳する。

△考えるに、以下の「本草綱目」本文で時珍は、猩猩の体毛を『黄色の毛』と解説していて、赤い毛髪とは言っていないが、しかし現在、我々は猩猩という動物の体毛は、専ら赤毛であると認識している。不審である。更にまた、「猩猩緋」と名打った毛織物もあるのであるが、これは、この猩猩の黄色い毛を猩猩自身の血で染めるという加工を施した毛氈の種類である、と偽称し、これ――赤い猩猩の毛若しくは何か別種の赤い動物の毛――を売っているのであろうか。

といった意味であろうか(やや捩れた文章なので私の訳には誤りがあるかも知れない)。但し、荒俣宏「世界代博物図鑑 5 哺乳類」の「ショウジョウ」の項には実際に猩猩の血液が赤色染料に用いられていた事実が記されている(但し、荒俣氏のこの記載は猩猩がオランウータンとは全く別の「怪物」=架空の動物であることを解説するパートに現れる点に注意しなくてはならない)。『中国では猩猩の血は動物のうちもっとも鮮やかな赤をもつといわれ、目のさめるようなその赤色を指して、猩紅、猩色、猩猩緋などとよびなす。熱病の一種猩紅熱も、発熱時に顔が赤くなることにちなんで命名されたもの。古来日本や中国では猩猩の血を毛織物の染色料に用いた。その緋色はながく鮮度を保ち続けるため逸品とされたという。』とある(句読点を通常のものに変更した)。なお、大項目の下の記載に、「△」を伴って良安がこのように細かい私見を述べるというのは、水族の部をテクスト化して来た私の経験に照らすと、「和漢三才図会」の記載の中では、かなり異例のことである。本文最後「不飢」の割注のような異例の記入方法も解せない。これはもしかすると、かなり本巻を書き進めてしまってから(若しくはずっと以前に完成させていた本巻を)、たまたま再度点検して見て、掉尾の脱落に気づき、同時にその後の「猩猩」絡みの知見の中で、ここに言うような疑義を良安が新たに感じてしまっており、それをどうしても本文に書きたくなったのだが、そうすると最早、本巻の、この後の部分全体を書き直さざるを得ない、そこで、不本意ながら変則的な方法で本項ページに更に加筆した、といったものなのではないだろうか? この文章が杏林堂版にはないことが東洋文庫版注に示されている。

 「哀牢夷」これは秦・漢の時代から雲南省北部の哀牢山脈の西側と無量山脈の谷間一帯に居住していた、非漢民族であるイ族・タイ族・ぺー族・リス族・回族・ワ族・ミャオ族・アチャン族など主要8族を中心に総数千に及ばんとする少数民族総体の呼称であった。地域的には雲南省北西部、ミャンマーと中国の辺境山岳地帯を含む一帯を指すものと思われる。

 「交趾封溪縣」「交趾」は現在のベトナムで、その北、現在の中華人民共和国との国境地帯を中国が領有していた時、沿海部に望海県、その内陸部に封渓県を置いた。現在のラオス北部も含むとすれば、前述の雲南省の南部に接し、猩猩の棲息域は中国西部のミャンマー・ラオス・ベトナム北西部国境域と同定される。

 「猨猴」「猨」に同じ。テナガザル。前掲「猨」の項参照。

 「端-正(きら/\)として」猩猩のモデルの可能性があるオランウータンの顔は、確かに一見忘れ難く、老成した哲学者の風貌を思わせる。また強いオスの顔の左右両脇に生ずる肉の襞Flange(フランジ)」は細かな凹凸を持っており、それは「きらきらとして」見える、と言える。勿論、これは良安の訓であって、時珍は、くっきりと整っている、という意味で用いているのだが、それも言いようとしては、決してオランウータンに相応しくない形容とは言えない。

 「能く言ひて來を知り」よく人語を操り、そこに意味深長な未来の予言を示す、という謂い。但し、この記載は時珍が伝聞したものと思われ、直後にそれに対して疑義を呈している。

 「性、好みて酒を飲む」猩猩が一般に朱紅色、赤ら顔に描かれる(その血の効能からであろう)ことからの連想であろう。

 「能く言ふと雖も、當に鸚※2の屬のごとくは、亦、必ずしも盡さざるべし。」ここが先の「能く言ひて來を知り」への疑義部分で、「『よく人語を語る』などと言い伝えられているが、それは鸚鵡の類が美事に人語を語るように、明瞭な言語を発する、という訳では、まさかあるまい。」という意味である。これは恐らく次の箇所に現れる「人の祖先の姓名」を「罵」るかのように聞こえる啼き声を発するに過ぎず、「よく人語を語る」のでは毛頭ない、という伝承に対する時珍のクレームなのだと思われる。

 「俚人、酒及び草履を以て道の側に置き、猩猩、見て即ち人の祖先の姓名を呼んで、之を罵りて去る。頃くして復た相與に酒を嘗めて履を著く。因りて擒-檻へらる。而して之を養ひ將に烹んとすれば、則ち其の肥える者を推し、泣きて之を遣る。」以下に現代語訳する。

現地人が罠として酒と草履を道端に仕掛けると、猩猩はそれを見つけると、不思議な能力によって、それを仕掛けた人の祖先の姓名を言い当て、それを大声で叫ぶと、何もせずに去ってしまう。しかし、暫くするとそこに再び沢山の同類を伴って戻って来、酒を飲んだり、草履を履いてみたりして気を緩める。その隙を突けば、猩猩は容易に捕獲出来る。そしてこの複数の猩猩を飼育し、煮て食うのであるが――煮て食おうと飼育小屋に入ると、彼等はそれを察知し、何と、仲間内で一番肥えたものを飼い主の方に、泣きながら差し出す。

このエンディングはなかなか強烈である。なお、ここでは猩猩を食っているのであるが、荒俣宏「世界代博物図鑑 5 哺乳類」の「ショウジョウ」の項によれば、『中国では古代から猩猩の肉』と称するもの『を珍味として食卓に供』したという記載があり、『これを食べれば滋養強壮』によく、『走るのも速くなると』言い伝えられている。また、「呂氏春秋」に「肉の美なるもの」として『猩猩の唇をあげている』とある。

 「西の胡」「胡」は通常は中国北方の異民族を指すが、ここでは広く異民族の意で用いた。西戎(せいじゅう)。

 「黯まず」染色後に黒ずむことがなく、鮮紅色を保ち続ける、という意。

 「血を刺すに、必ず※3(むちう)つて其の數を問ふ。一斗に至れば、乃ち已む」。これは飼育している猩猩を殺すことなく、染色用染料としての「血液を採取するには、必ず鞭打ってどれだけの分量の血液を採取してよいかを、当の猩猩に訊ねることが肝要である。そして――猩猩自身がそれ以上の分量を言ったとしても――血抜きを始めて、それが一斗(:明代の度量衡で約10ℓ。)に及んだ時には、直ちに採取を中止しないと、その猩猩は失血死する。」という意味であろう。

 「穀を辟けて飢えず」穀物を食べなくても、飢えることがない、の意。ここの記載方法への疑義は冒頭注参照。内容は間違っていないが、原典とは表現が大きく異なっている(「本草綱目」国会図書館蔵本当該ページ画像参照)。良安は原典を大幅に切り詰め、裏技の割注を最後に押し込み、掟破りの本文から割注に続けて訓読するという異例の読み方をしている。]

 

 

***