環境地図づくりの魅力について


(1)感性を磨き、環境とかかわっていく

「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソンが晩年、子どもとの関わり方について「センス・オブ・ワンダー」を著しました。
『もし、八月の朝、海辺に渡ってきたイソシギを見た子どもが鳥の渡りについて少しでも不思議に思って何か質問してきたとしたらその子が単にイソシギとチドリの区別ができるということより私にとってどれほどうれしいかわかりません。子どもたちに生まれつきそなわっている「センス・オブ・パワー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」をいつも新鮮に保ち続けるためにはよろこび、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が少なくとも一人、そばにいる必要があります。
 いろいろな生き物の名前をしっかりと心に刻み込むということにかけては、友だち同志で森へ探検に出かけ発見の喜びに胸をときめかせることほどいい方法はない、と私は確信しています。たとえ、たった一つの星の名前すら知らなくとも子どもたちと一緒に宇宙の果てしない広さの中に心を解き放ち、ただよわせるといった体験を共有することはできます。そして、子どもと一緒に宇宙の美しさに酔いながら今見ているものが持つ意味に思いをめぐらし、驚嘆することもできるのです。』
 人と人との関係は、人と鏡との関係のようなものです。そして、子どもに対する大人、大人に対する子どもとの関係も同様に鏡との関係のようなものです。
 子どもたちを取り巻く環境が子どもたちに影響を与えています。環境には自然や社会環境だけでなく価値観やライフスタイルも含まれます。資源に限りがあることがわかり、モノが必ずしも人を幸せにしたり豊かにしないことがわかった現在、どんな未来を念頭に置きながらライフスタイルを変えていったらいいのかが問われています。
便利な生活は、一方では自然や人間社会を深く知る機会を奪う魔性を秘めています。浄水場がどこか知らなくても水は飲めるし、自分の出したゴミがどこへ行くのか知らなくても暮らしは成り立ちます。「人と自然の関係」「人と人との関係」を希薄にしてしまう便利さは、自らが自然や社会に働きかける体験の中で育まれるはずだった感性の発達をも停滞させてしまいました。土はおろか川床までコンクリートで覆われ、道路もほとんど舗装されて、土のにおいはどこにもない。虫は減り、魚もなく、鳥も飛ばない、そんな命のない空間で暮らし成長した人間が、どうして自然環境が人間にとって重要だと、腹の底から実感として、次の世代に伝えることができるのでしょうか。
 もし自分とのつながりを見いだせるような、あるいは他者の立場になって考えることのできるような「感性」が育てば、地域の環境も地球の環境も、もっともっとよくなっていくのではないでしょうか。
 環境というのは、私たちの生きている場(私たちの身のまわりにあるもの)のことで、人がかかわりをもって初めて環境として意識されます。環境学習は、子どもたちに五感を持って環境とのかかわりをもたせ、環境の中の諸要素相互のつながりを考え、さらに見方や視野を広げていくというものです。


(2)地図をつくると環境がみえる


 アメリカの地図学者ロビンソンとペチュニクは、地図の本質という本の中で「地図」を「環境を図によって表現したもの」と定義しています。彼らは、「map」という言葉が「map out」つまり「計画を立てる」「自分の将来を構想する」といった意味でも使われることに注目しています。つまり、地図をつくるということは、環境がよく見えてくることにつながるのです。
 このように環境を空間的にとらえることは、地図をつくる作業(身近な地域の調査をするのに、その地域の地図をつくるとしたら、どのような情報を収集すればよいか、収集した情報をどう表現したらよいか、そこから何が読みとれるかを考えてみる)によって達成されます。
 かつて子どもたちは、必ずしも広くないが、その使いこなせる自由な広がりの中でのびのびと生活していました。これが「空間としての子どもの世界」であり、この中でさまざまな遊びを含む空間的な行動「場所の体験」を知らず知らずのうちに積み重ねてきたのです。その原風景によって彩られ、体験されたなつかしい環境こそ、子どもたちにとっての世界像の基礎をなすものです。それが、情報をうけとるアンテナなり、知の核となるわけです。豊かな躍動する世界像を持つ人ほど、国際感覚は鋭く、世界的な諸問題に対しても広く深い思索が可能になります。世界像は成長とともに次第に充実しているとはいえ、自然のままに放置していては豊かなものに育ちにくいものです。発達段階に応じた学習が大切です。



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