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T.設立の背景 |
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原子力平和利用に関するわが国の政策は、原子力白書や原子力長期計画に示されているように「資源のないわが国の安定的なエネルギー源としての原子力発電」、及び「理・工・医・農など、基礎科学の進展や医療の診断・治療および産業基盤技術を高める技術としての放射線利用」の二つが基本方針です。 その一方の柱である放射線利用技術は、我が国では企業における実用化が先行しました。昭和31年、科学技術庁、日本原子力研究所など国の機関の発足と並行して、(社)日本原子力産業会議と(財)日本放射線高分子研究協会(放高協)が発足。さらに33年、理研・京大・東工大・東大などに続いて、実用化研究開発のための放射線照射施設を備えた放高協の研究所が東京と大阪で相次いで発足。翌34年には地方自治体の先頭を切って、東京都立アイソトープ総合研究所と大阪府立放射線中央研究所が設立されました。この時期、大学をはじめ通産省管轄の各地工業技術試験所にも次々と放射線施設が導入され、一時は「放射線を当てれば何でも良くなる!」と”魔法の杖”のようにもてはやされる、行き過ぎたブームも起きましたが、やがてそれも収まって着実な研究結果が取捨選択され、今では膨大な“役に立つ成果”が蓄積されています。 現在では基礎科学領域での利用や、よく知られている医療診断・ガン治療などにとどまらず、日常生活で使われている気の付かないような身近な日用品、例えば高温で変形しないプラスチック容器、自動車のエンジン周りやテレビ内部の耐熱電線、蛍光灯のグローランプや火災報知器、さらにラジアルタイヤの成形、医療器具等の滅菌など、数え切れない程さまざまな商品に放射線・放射能が利用され、今もその利用範囲は広がりつつあります。人間は放射線が持っている特徴と大きな能力を活用し、巧みにその利用を推進してきました。今や放射線利用は国民の生活に欠くことのできない技術として、日本経済の発展を支えてきた科学技術の一翼を担って今日に至っています。 |
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U.協会設立までの経緯 |
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昭和30年代から始まった放射線利用への意識の高まりを受け、各地でこれに応えた研究施設が設置されました。関西地区では、昭和34年に発足した大阪府立放射線中央研究所(現・大阪府立大学産官学連携機構先端科学イノベーションセンター)の大型放射線研究施設が企業にも開放されるに至って、広く全国的に利用されるようになりました。これに伴って、より効果的な利用の推進とその運営の円滑化が必要となり、昭和59年に産学の連携を図る目的で大阪ニュークリアサイエンス協会が発足、63年4月に非営利目的の社団法人として大阪府に認可されました。 (別添資料参照) |
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V.設立の趣旨 |
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放射線利用によって産業基盤技術の向上を図ることを目的としています。学術研究機関による放射線施設の利用は盛んですが、企業による最近の利用は多くありません。産業界では既にさまざまな材料の改質、医療器具や食品包装材の滅菌など多様な分野での放射線利用が定着していますが、まだまだ多くの可能性が残されています。協会では放射線の有用性を紹介や技術相談などにも応じ、大学の放射線分野との産学連携も含めて、放射線施設の効率的な利用を図って産業基盤技術の高水準化を目指します。また会員企業に対しては、大阪府立大学の放射線施設利用の便宜を図ると共に、共同研究・委託研究の仲介や推進あるいはアドバイスをするなどの支援を積極的に行っています。 |
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{別添資料} ◎.設立に至る経緯およびその後の変遷
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