蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿


2000.5.11 板橋〜上尾   約24q  40,000歩


    【板橋】 
      武蔵野国豊嶋郡。江戸から2里18丁、京へ133里6丁。
    【蕨】
      武蔵野国足立郡。江戸から4里28丁、京へ130里32丁。
      前回、板橋宿を環状七号線の道路に交差する所で終了したので今回は、また
    環七からスタート。環七を、東に進むと国立西が丘サッカー場が有ります。このサ
    ッカー場の敷地も隣接する敷地も、そして赤羽台団地までの広大な敷地はかつて
    工兵隊、被服廠、兵器廠等の施設が林立するところでした。鉄道の敷設は、明治
    18年に赤羽駅が開業。赤羽駅の開業は、これらの施設で働く人のためでした。
      さて、環七の立体交差の下をくぐると清水町、蓮沼町で国道17号線に出ます。
    志村には、一里塚が道の両側に残っています。日本橋から三番目です。此の先
    志村坂上の交番を斜め左に入り清水坂を下る。坂を下り、左折した所が右富士
    の名所。昔、中山道で右側に富士山が見えたのはここだけ。また、すぐ右折する
    と17号線に出て向かいには地名の元となった薬師の清水が湧く総泉寺がある。こ
    こからは、17号線で戸田橋を渡りました。戸田橋の下流100mの地点が戸田の渡し
    跡。戸田橋を渡ってから17号線に並行する一本東側を進みました。そして、再び17
    号線に出る手前に川口信金があり五差路を左へ曲がる。17号線を進み、中央6丁
    目付近で右に入れば蕨宿。「比駅、民居六、七町あり。賑わし」。しかし、今は昔の
    面影は無い。明治の鉄道開業の折、鉄道に反対し町の中心から離れた所を鉄道
    が通り、現在も町の中心はそちらに移ってしまった。宿場の中心には、本陣跡に記
    念館があり資料館になっており無料でした。


   
          午前10時30分                 左17号線、右旧中仙道、お昼頃


    【浦和】
      武蔵国足立郡。江戸から6里6丁、京へ129里18丁。蕨宿を出て再び17号線を歩
    道橋で渡り旧中山道に入る。歩道橋から見えたファミレスで昼食。浦和宿までは、1
    里14丁の距離で1時間ちょっとで着くことが出来ました。通称「やき米坂」を過ぎれば
    調
(つき)神社。此の先は、浦和駅前の繁華街です。浦和宿に入ると喧騒に紛れて、本
    陣跡の碑を見落としてしまった。そうこうしているうちに、東北本線を跨線橋で渡り線
    路の東側を並行して進みました。新しい欅並木を過ぎれば大宮宿。かつて、この辺
    りの左手一帯は、広大な敷地を持つ大宮貨物駅でした。現在は、埼玉新都心駅が開
    業し埼玉アリーナや高層ビル群が林立している。浦和、大宮、与野等の市町村が合
    併し新しい県庁所在地の中心となる予定だそうです。
    【大宮】
      武蔵国足立郡。江戸から8里6丁、京へ127里18丁。埼玉新都心駅前は、現在開
    発中。この辺りから大宮宿、「武蔵国一宮」の碑があり鳥居が建っている。大宮の
    地名になった大宮氷川神社への参道の入口。かつては、この参道が中山道した。
    全く宿場町の面影が無いのは、浦和宿と同じ。東北線のガードをくぐれば立場の土
    手町村。
    【上尾】
      武蔵国足立郡。江戸から10里6丁、京へ125里18丁。旧中山道は、しばらく高崎線
    と並行して進みます。午後5時過ぎに上尾駅前に着きました。ここは、東京のベットタ
    ウン、もうだいぶ昔のことですがJRが国鉄と呼ばれスト権ストがあたりまえになり電
    車が何日か止まったことがよくありました。その折、来ない電車、乱れたダイヤに業をにゃ
    した通勤客に駅舎が焼討ちされました。その駅舎も橋上駅舎に生まれ変わっていまし
    た。高崎線上尾駅から東京の入口赤羽駅まで約30分、帰りの電車の中では缶ビール
    が飲みにくかった。電車もクロスシートは少なく、ロングシートの車両が多くなり山手線
   
 の中でビールを飲んでいるようなものでした。
   

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