【鞠子】
駿河国安倍郡。江戸から45里、京へ80里。前回、静岡鉄道の柚木駅から
春日駅を通過して音羽駅方向へ進むのが旧東海道。しかし、国道1号線を進
みJR静岡駅前に出ました。今日も国道1号線を進みました。午前9時40分ころ
駅前から出発。安倍川は駿河大橋で渡りましたが、旧東海道は安倍川橋付近
を通っていた。駿府城付近の旧東海道は、岡崎ほどではないが数回曲がって
いる。やはり、徳川家康隠居の城ということで防御の為か。徳川将軍15代のな
かで、在位期間の一番短いのは最後の将軍徳川慶喜となんとなく分るが、では
2番目はと言うと、なんと徳川家康でした。慶喜が1866年12月から1867年10月、
家康は1603年2月から1605年4月で約2年と短いものでした。家康は、11年間慶
喜は、30年に渡り静岡に暮らした。
さて、安倍川を渡り丸子宿へと進んだが、あの有名なとろろ汁の丁子屋は発
見出来ませんでした。駿河大橋を渡ったならば、地蔵堂で国道1号線を左に入
らなければいけなかった。失敗。まあー、店は午前11時開店だから味わうことは
出来なかった。今度、機会があったら味わってみよう。

広重 丸子の茶屋 午前11時00分
【岡部宿】
駿河国志田郡。江戸から48里、京へ77里。鞠子から国道1号線を進み、途中
旧道、国道と山裾を歩くと宇津ノ谷峠の道の駅へ出た。峠には、新宇津ノ谷トン
ネルと平成7年完成のトンネルがあり、道の駅の左の山に入る道が古代のルート
蔦の細道、右に登ると江戸時代の官道。右へ進みトンネルを通過し岡部の町へ
下りてきました。宇津ノ谷峠は、河竹黙阿弥作「蔦紅葉宇都谷峠」(つたもみじうつのやとうげ)
で文弥殺しの舞台。許六の句に「十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風」。この十
団子とは、串に刺したものではなく、熟練した女性が柄杓を使って水の中に入れた
団子を掬い、必ず毎回10個を掬いだす技を披露し名物になったのが十団子だそうで
す。既に、明治にはこの名物は消えている。現代では、慶竜寺で8月23,24日の地蔵
盆に売られるのみだそうです。岡部の町並みは、古い宿場町らしく落ち着いている。
ふと、銀行の看板が目に飛び込んできた。静岡県内では、比較的数多い銀行だろ
う。「スルガ銀行」、空腹を耐えかねていた私の目に「スガル銀行」と読めてしまった。
漢字で表記されていれば問題は無いのでしょうが。空腹による幻覚だけではないと
おもいます。
【藤枝】
駿河国益頭郡(ましず)。江戸から50里、京へ75里。そろそろ、藤枝宿に指しかかる
道路のラーメン店で遅い昼食。いきなり、冷たい水二杯おかわり。今日も旧東海道
は、国道1号線の右へ左へと進んでいますが我々は、気が向けばと言うより気が
付けば旧道を進んでいました。島田までは、岡部の町で見られた生き残りの松も
無く黙々と島田を目指しました。

岡部宿 金谷一里塚 金谷駅裏の旧東海道
12:20 17:20 17:30
【島田】
駿河国志田郡。江戸から52里、京へ73里。藤枝から国道1号線を進み途中
島田の市街地に入るべく左に進まねばならない。しかし、遮二無二金谷を目指
す二人は見所の多い市街地を避け大井川橋目指し国道1号線を進みました。
島田市立博物館、復元された川越し関係の川会所、札場、仲間の宿、番宿等
今度機会があったら見学したいものだ。
【大井川】
越すに越されぬ大井川、駿河と遠江の国境である。新幹線で渡る大井川は、
大河と言えば大河かもしれぬが、現在は上流のダムのため水量がかなり減って
いるとのこと。そもそも、これほどの大河に渡し船を認めなかったのは、箱根の関
所同様、外様大名に対する警戒の為であったが、幕藩体制が確立し安定してから
は、幕府は船による渡渉を認め勧奨していた。1668年江戸の商人が、上流から木
材、薪炭積み出しため高瀬船を金谷、島田間の運行を幕府に願い出たが両宿場
から江戸の道中奉行まで反対の陳情書が出されている。神君家康公以来の定めで
ある、徒歩渡渉でなければ、川越し人足、宿場の経済が成り立たなくなる危機感が
反対させた。江戸中期で両宿で600〜700人、後期で1,200〜1,300人の人足がいた。
また、川留により宿場はうるおうことになる。川留めの回数ですが、年平均50回くら
いだったそうです。
川渡しの方法は、肩車と輦台。川札の値段は、水量で股下までが48文、常水だと
52文、腰辺りで68文、乳までで78文、腕脇まで増水すると94文これ以上が川留めで
ある。肩車で常水(76cm)を越すと、補助人足がつくため川札はもう1枚必要になる。
一番高い、輦台は人足16人、先頭を行く水切り人足4人、輦台分32枚合計52枚の川
札が必要になる。参勤交代で、10万石程度の大名が支払う料金は、30〜40両程度
であった。明治3年に明治政府からの通達により、従来の渡渉方法が禁止され、9年
に仮橋16年本橋が完成した。現在の金谷町南に広がる原茶園は、川越し人足の失
業対策のため開墾されたものである。(岩波新書、今野信雄著「江戸の旅」から)
【金谷】
遠江国榛原郡(はいばら)。江戸から53里、京へ72里。大井川橋を島田側から見ると
うーむ、長い。歩くと20分近くかかりました。水が水力発電用のダムに、吸い尽くさ
れたとは言え街道一の難所であったことが納得できました。橋を渡り、大井川鉄道
の新金谷駅から市街地を通りJR金谷駅まで宿場の中心を通過した。金谷の一里塚
の脇のガードをくぐったところに、長光寺「道のべの木槿(むくげ)は馬に喰われけり は
せを」のざらし紀行の句碑。さて、午後5時30分を過ぎても明るい。一寸、広大な牧
の原の茶畑を見たくなり、30分くらい整備された石畳の旧道を登りました。次回も、同
じ道をまた登る訳ですが家内は、坂道が嫌いです。短いが、結構きつい坂道です。ま
た、JR金谷駅まで戻り東海道線で静岡まで戻り新幹線で帰宅。今回の夕食は、静岡
の駅ビルにあるビァレストランで生ビールを飲み、くつろいでしまった。失敗。東京駅
に着いたのは、午後11時を過ぎていた。我が家にたどり着いたときは、日付が変わ
っていた。高校生の娘曰く
「夜遊びは、不良の始まりだよ!」

17:50 牧の原付近