板鼻宿、安中宿、松井田宿


  2000.8.15          高崎〜松井田       約20q       33,000歩 


    【板鼻】
       上野国碓氷郡。江戸から29里15町、京へ106里9町。高崎には、午前11時頃に
     着きました。
        高崎は、本陣がありませんが倉賀野から高崎の街に入ると、宿場内で前橋道、
     三国街道とに分かれ交通の要衝であったと思われます。

        本町3丁目の交差点を左折が中山道、反対の東に進めば前橋道、また左折し
     た中山道を北高崎駅に向けて北に進むのが三国街道。

        烏川畔の常磐町の交差点を右折。君が代橋の橋詰に到着、橋はインターチェンジ
     の様相を呈しており歩行者は戸惑います。

        橋を渡ったならば、すぐ右406号線に入りふじかわ橋の手前のY字路を左が正解。
     我々は、右に渡れなかったので18号を直進。正解の道も、ちょっと先で18号に合流し
     ます。信越線の踏切を渡れば板鼻宿。(18号は、安中駅方向と板鼻方向に分かれま
     す。板鼻方向へ)


    
    1111:20 本町3丁目           11:30常磐町         11:40君が代橋東詰


    【安中】
       上野国碓氷郡。江戸から30里9町、京へ105里15町。板鼻宿に入ると、右手に公民
     館が有ります。木島本陣跡で公民館の建物の後ろに、皇女和宮が泊まられた書院が
     残されている。

        和宮は、1861年10月20日に京都を出発して江戸に着いたのが11月15日、16歳で
     した。板鼻宿に泊まられた折り、初めての月のしるしがあり、その不浄を埋めた所が
     建物裏手に有り石祠が月の宮と呼ばれている。 (11月10日泊)

        板鼻宿から安中宿へは、安中駅前に出ることなく駅の先で18号を横切り宿に入る
     のが正解。しかし、トイレや小休止のために安中駅前に出ても、たいした間違いではない
     と思います。ジロー (;¬_¬)


  13:20 木島本陣跡

    案内板の記載
     旧 本陣書院 
       (皇女和宮  泊所)
  この建物は、板鼻宿本陣に附属した書院であった。
  書院建築年代は、寛永説と寛政説がある。
  幕末に皇女和宮が十四代将軍家茂へ輿入
  のため、京都から江戸への下向途次、
  文久元年(1861年)11月10日に 
                     この書院で過ごされた。
                      本陣敷地が公民館用地となり書院はここへ
                       曳移転され、外装等に補強の手を加
                        えたが、昔日の面影が偲ばれるう
                       施工はひかえめとした。
                            安中市教育委員会    (まま)


    【松井田】
       上野国碓氷郡。江戸から 32里25町、京へ102里35町。安中駅前から18号線を進み、
      下ノ尻を左折。程なく本陣跡の安中郵便局が左に。古い建物も、少し残っているが普通
      の市街地と言った感じでした。新島譲の旧宅の案内板が何箇所か有りました。
        安中の杉並木を過ぎたあたりから、妙義山が迫ってきます。左は、「すずめのお宿」の
      磯部温泉。旧道は、松井田の入口で18号と一緒になります。数百メートルで、右18号、左
      33号に分かれます。33号が中山道です、下町交差点を過ぎた右側に脇本陣跡。中町に
      金井本陣跡、いずれも、よく分からない。そして、小田原の「ういろう」の分家である外郎
      陳道斎の店舗跡もある。

        松井田駅は、仲町の交差点を左折して、右に曲がり碓氷川を渡る。道なりに坂道を登
      っても良いが、左の階段を登ると近道。


  
 14:40安中宿伝馬町              17:07   妙義山              17:30 松井田宿

    かっての信越線も、こちら側は高崎と横川間だけとなってしまい、寂しい感じがしました。
  正午には、君が代橋を渡り1里塚付近でした。黙祷。


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