【坂下】
伊勢国鈴鹿郡。江戸から107里、京へ18里。朝、7時前の新幹線で名古屋まで
行き関西本線に乗り換え、亀山駅で各駅に乗り換え関駅に着いたのは、午前10
時頃でした。今日は、日曜日です。「のぞみ」が前日でも取れました。名古屋から
は、奈良行き「急行かすが」で1時間ほどで亀山です。次の駅が関です。
前回、関宿の三分の一ほど見学しましたが今回は少し時間をかけて見学しようと
思います。
関宿は、古代三関のひとつ「伊勢鈴鹿の関」がありました。古代とは、天智天皇の
御世のことで三関とは、越前の愛発(あらち)の関、関ヶ原の不破の関です。しかし、
関宿の「関」は地名であり鈴鹿の関を指していたのではないようです。鈴鹿の関自
体は、現在の関宿付近にあったと思われます。
見学スポットは、全長1.8qにわたり古い町並みが200軒あまり残っています。個
人の好き嫌いはあると思いますが、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され
ています。ここから、約6qで坂下宿です。関宿を出で市ノ瀬川沿いに山道を登って
行くと右手に小山が見えてくる。たぶん、あまりの美しさに描くことが出きず筆を捨て
たと言う筆捨山だろう。沓掛の集落に入り「鈴鹿馬子歌会館」を過ぎ山道を歩き、東
海自然歩道を歩き片山神社までたどり着きました。途中、坂下宿跡の石柱は見落
としました。コースアウトしたのか、空腹のためか。
8:45名古屋駅 関宿、10:25 峠まで、あと一息。12:45
【土山】
近江国甲賀郡。江戸から110里、京へ15里。鈴鹿峠の下に片山神社
があります。石段を登りつめた奥に神殿があるのでしょう。石段脇には、
「鈴鹿流薙刀術発生之地」の碑がある。ここから、登ること15分くらいで
鈴鹿峠です。峠には、田村神社旧跡の碑、200mほど左に入ったところ
に天然記念物「鏡岩」。昔盗賊が、峠を登る人をこの鏡岩に映して襲っ
たと言う。峠の先には、休憩所があります。巨大な常夜灯が建っていま
す。270年前四国金毘羅神社の講が建てたものです。ここで、一寸遅い
昼食にしました。(12:50ころ)
峠を降り山中村を過ぎ坂上田村麻呂を祭った田村神社まで来れば
土山宿は、目と鼻の先です。此処で少し休憩をとりました。道の駅「あい
の土山」で土産などを買い求めました。この道の駅の裏の道路が旧東
海道です。実は、私たちは間違えました。1号線をしばらく歩いて、気が
付き左に折れました。道の駅に入る前までは確認していたのに、すっ
かりお茶など飲んで寛いでしまったのが失敗のもと。

13:45山中村 14:25田村神社 15:20土山宿本陣
【鈴鹿馬子歌】
坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る
馬がものいうた鈴鹿の坂で、おさん女郎なら乗しょうというた
手綱片手の浮雲暮らし、馬の鼻唄通り雨
与作思えば照る日も曇る、関の小万の涙雨
関の小万が亀山通い、月に雪駄が二十五足
関の小万が米かす音は、一里聞こえて二里ひびく
馬はいんだにお主は見えぬ、関の小万がとめたやら
昔恋しい鈴鹿を越えりゃ、関の小万の声がする
【水口】
近江国甲賀郡。江戸から113里、京へ12里。さて少し急がないと今日の目的地、水口
石橋に着かない。しばらく進むと、頓宮と言う地名がある。斎王のための頓宮があった
ところ。垂水頓宮跡の碑と説明板が立っている。
頓宮とは、斎王が宿泊する為の宿泊施設です。頓宮は5ヵ所あり、確認されているの
は土山宿(垂水)のものだけだそうです。他に、瀬田、甲賀、鈴鹿、一志がある。京都の
野々宮から伊勢の斎宮まで着任する際にに使用された。
斎王とは、伊勢の大神の妻として供される天皇の未婚の皇女である。後世の生贄、
人身御供の発想の原点か。
黄昏迫る茶畑や畑の間の道を進み、水口に着いた時はすっかり暮れていた。とり
あえず近江鉄道水口石橋駅を目指しました。踏み切りを渡り、左に回り込むと駅前
広場です。駅に着いて気が付いたのですが、踏み切り手前に駅前広場に通じる小さ
な地下道がありました。駅は、無人でした。

16:00垂水頓宮御殿跡 17:00水口宿入り口手前
街道をゆくの記念碑は、昭和
47年この地から始まった「街道をゆく」を記念して
作られたそうです。
近江鉄道の水口石橋駅から貴生川、貴生川から草津線で草津まで行き東海道
線に乗り換え京都、京都から新幹線で帰宅しました。京都駅では、一寸高めの
駅弁を買いました。土産は、生八橋、麩饅頭。自宅に着いたのは、日付の変わる
少し前でした。
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