平塚宿、大磯宿、小田原宿


1999年4月3日       藤沢〜小田原    約33q    55,000歩


  小田急電鉄新宿駅


    【平塚】
      相模国大住郡。江戸から15里、京へ109里。今日は、午前10時前には既に
     歩き始めていました。歩くには、今日のような一寸花冷えのする日が良いみ
     たいです。藤沢駅は、JR東海道線、小田急電鉄江ノ島線、江ノ島電鉄のター
     ミナル駅。駅前を北に進み、国道1号線の手前の県道を左折。間違っても西へ
     進めば京都です。茅ヶ崎辺りになると東海道の松が少し眼についてくる。東海道
     上りで左側に富士山が見えるのは、この辺りと吉原。鳥井戸橋を渡った左側に
     「南湖の左富士之碑」。此の先、相模川に架る馬入橋を渡れば平塚宿。
       平塚の七夕、有名なイベントで昔見物に来たことがあります。春日神社の脇
     にある塚に気が付くはずが無い。今回も後で知ったこと、桓武天皇の曾孫の
     平真砂子
(たいらのまさご) が857年東国へ向かう途中没し、埋葬された地だそうです。
     


    【大磯】         
       相模国淘綾
(ゆるぎ)郡。江戸から16里、京へ109里。平塚から27丁、 1里は
      36丁、約3.9q。まー、近いんです。平塚を出ですぐ花水橋を渡る、ほぼ正面
      に形の良い山が見える。桜が咲いていて綺麗な山でした。帰宅後調べると高
      麗山という名前でした。ここは、こうらいと読むそうです。高句麗が滅亡の際、
      高句麗の人々が日本に移り住んだ所だそうです。埼玉県飯能のすこし先に
      高麗
(こま)と言うところがあり高句麗の王、若光を祀った高麗神社や帰化した
      人たちの菩提寺聖天院があります。大磯の駅近くに新島襄終焉の地碑、生
      誕の地は群馬県安中宿にあります。此の先は、旧東海道の松並木では御
      油、舞阪などと並ぶくらいみごとな松並木が続きます。鴫立庵
(しぎたつあん)道路
      左側に沢が流れている。昔はきっと、風光明媚な所だったのでしょう。湘南と
      いう高級感のある地名は、ここが発祥の地です。中国の洞庭湖に注ぐ湘川
      の南岸の景色が非常に良かったそうです。そして、この鴫立沢が海岸の松林
      を抜ける景色があたかも湘川の南側の景色とよく似ていた。それで、湘南と
      なったそうです。
        午後2時半を回りました。先は長いので少し急ごう。日本三大俳諧道場の
      一つの鴫立庵ですっかりくつろいでしまった。旧島崎藤村邸、旧吉田茂邸(非公開)、
      旧伊藤博文公邸(滄浪閣)等ゆっくり見学することをお勧めします。私等夫婦は、
      一瞥して通過。


     午後3時35分、小田原だー、と喜んだ地図を見ない妻。
    【小田原】
       相模国足柄下郡。江戸から20里、京へ105里。上の写真の地点から酒匂川ま
      で急いで歩いて約1時間半。小田原市の行政区分が一寸入り組んでいるだけで
      す。途中、目の前に太平洋が見えたとき「あ、海・・・」感激しました。酒匂川、当時
      は、徒歩渡し
(かちわたし)つまり徒歩で渡ったそうです。10月から2月までは橋が架っ
      た。橋を渡れば、もう小田原の市街地。しんしく、「新宿」街道には時折見かける地
      名。とうしんちょう「唐人町」がゆらいとか。このような石碑を見ながら街中を進む。
      外郎と言えば名古屋を代表する銘菓の名前、と思っていましたが本家、元祖は小
      田原でした。透頂香外郎
(とうちんこうういろう)と言う仁丹のような丸薬。ここで作られた
      自家接待用の菓子も、ういろう、と言ったそうです。
        午後5時30分、観桜会の灯の入り始めた小田原城に到着して、本日の予定
      終了。今日は、小田急ロマンスカーに乗り、車内で缶ビール。美味かった。


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