奥州道中は、日光道中と宇都宮宿まで同一の経路をたどります。東照宮が
完成してからは、宇都宮から白河までが奥州道中と呼ばれるようになった。
江戸から奥州、白河を日光道中を経て陸奥国まで27次48里(約190q)で結ぶ。
日本橋から宇都宮まで
4回、98q、宇都宮から白河まで4回、76q、計8
回、174qを3ヵ月かけて歩いた記録です。
2002年5月26日(日)晴、夕立
宇都宮〜喜連川 9:10〜15:20
37,000歩 約22q
(江戸から)
200,000歩 約120q
18,白沢宿 19,氏家宿 20,喜連川宿
2002年6月8日(土)晴
喜連川〜大田原 10:50〜15:35
28,000歩 約17q
(江戸から) 228,000歩
約137q
21,佐久山宿 22,大田原宿
2002年6月16日(日)曇
大田原〜白坂(皮籠交差点) 左折して、15分でJR白坂駅
9:45〜18:20
50,000歩 約30q
(江戸から) 278,000歩
約167q
23,鍋掛宿 24,堀越宿 25,芦野宿
26,白坂宿
2002年6月23日(日)曇一時雨
白坂(皮籠交差点)〜白河宿
11:05〜13:10
12,000歩 約7q
(江戸から) 290,000歩
約174q
27,白河宿」
日光道中と奥州道中の追分から、JR宇都宮駅前の幸橋に至る交差点までは
前回計った歩数、距離を加算しました。(2000歩ちょっとです。)
白沢宿は、久々の宿場町の面影を残す落ち着いた町並みでした。喜連川からの東野バス
は、本数が少ないので注意が必要です。氏家までは、20分くらいでした。
駅に着いた頃、日が差しているのだが大粒の激しい雨が降りました。o( ^_^ )oらっきー♪
午前11時30分ころ、右手が白沢宿、左は鬼怒川の土手
です。土手を暫らく歩き、阿久津大橋を渡る。
喜連川宿を出る付近で道は、右に曲がりすぐ左に曲がる
コの字になります。距離は短いですが、喜連川宿で一番奥州
道中が残っている気がしました。
左の写真は、箒川を渡り親園の手前です。午後1時45分頃
です。小さな小川です、イトヨと言う魚が棲んでそうな気がしま
せんか。
田んぼの、おたくしまじゃくしも蛙になりそうです
16日は、朝から曇りです。歩くには良い天気です。しかし、午後から日が差し、気が付けば
十分日焼けしていました。
今回は、芦野宿から黒田原駅に抜けて終了の予定でした。芦野宿に着いたのが、午後2時半
頃でした。那須歴史探訪館を見学したところで、あと3里歩こう、と決めました。
白坂宿皮籠交差点から、白坂駅までは1k強あります。白坂駅が見えてきた時、左の踏み切り
警報機が鳴り出しました。走りました、無人駅です、誇線橋を渡りホームに降りた時下り仙台行き
列車のドア‐が閉まりかけていましたが開けてくれました。隣の新白河から新幹線で帰宅しました。
上り、下りも列車は少ないので気を付けないといけません。
次回は、白河宿です。

11:52鍋掛一里塚 17:30境の明神(栃木側) 18:41新白河駅(5分停車)
23日は、朝から肌寒い一日でした。20年前の今日、東北新幹線が大宮駅から開業しました。
東北新幹線は、200系のイベント列車が走ったらしい。東北線下りも、時折小雨の降る中、至る所
で三脚を立てた多くのカメラマンを見ました。きっと、珍しい列車が走ったんでしょう。
前回駆け抜けた白坂駅、今回落ち着いて見渡せば、トイレがない。しかし、30分も歩けばコン
ビニがあります。白坂駅近くには、金売吉次の墓が有ります。いったん、294号線に出てから案内
板に従い左折。(駅から近道も有ると思いますが)
源義経を鞍馬山から平泉に連れていった吉次三兄弟が、この地で砂金目当ての群盗に殺され
た。後に、此処を通った義経が墓を建てたと言われる。
奥州道中は、小峰城の城下町白河宿で幕府道中奉行管轄は終わり。宿場内は、枡形、そして
右左折を何回か繰り返し阿武隈川を渡り、戊辰戦役碑の追分で終わり。右が仙台松前道、左会津
街道。今は、どちらもすぐ4号線に出ます。
奥州道中完踏 ( ^o^ )ヤッター♪♯

10:47白坂駅 13:10戊辰戦役碑の追分 15:23白河駅
奥州道中は終わりましたが、街道は仙台松前道として三厩の竜飛岬まで続きます。
新白河からの新幹線は、座れましたが、かなり混みました。五街道制覇の乾杯は、都内に
着いてから居酒屋で上げました。 ![]()
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