品川宿


1999.3.6     日本橋〜大田区蒲田       約15q  25,000歩


             はじめに

      或る日、新聞のコラムで5年がかりで五街道を踏破した方の記事
     を読みました。正直言って、暇な御仁としか思いませんでした。暇と
     金が無ければ出来ないことだと納得していました。実際、新聞に掲
       載された方の職業は旅行会社社長でした。還暦前の社長が東海道
       五十三次、日本橋から京都三条大橋まで19日間(8ヶ月間)で88万
       歩で踏破したものです。
         我等中年不良夫婦は、山歩きの経験もあり、歩くの大好き夫婦
       です。歩きには、自信が高慢の服を着ているようなものでした。
         19回もかからない。歩く前から、この高慢さ!まさに、不良夫婦!
       20回かかりました。ただ、歩数で5万歩余り少なかった。
         足が長い、、、、、訳ではなく道に迷った回数が多かった!東海道
       は、旧道を探すのが一苦労です。簡単なのは、国道一号線です。

                 少しずつ更新していきたいと思います。         


     
        日本橋                  高輪泉岳寺
               
                 東海道鮫洲付近


    【日本橋
       出発、昼過ぎの旅立ちでした。今日は、大森のアサヒビールの工場あたりまで
     歩き、直営のビアホールで一杯飲むのが目的でした。昔の人は、七つ立ち(午前
     4時頃)、そして一日平均40qくらい歩いたそうです。
       国道15五号線を閉店した東急百貨店を左に見て、すぐ銀座一丁目。銀座発祥
     の地碑。1612年銀貨鋳造役所「銀座」が設置されたところ。銀座から新橋、新橋で
     JRのガードをくぐり、しばらく進むと右に芝増上寺、東京タワー、芝四丁目左側三菱
     自動車前に西郷隆盛、勝海舟会見碑。三田三丁目に、左側だけ残った高輪大木戸
     跡。高輪二丁目のゆるい坂を登れば、あの赤穂義士の高輪泉岳寺。一寸、ペースが
     速すぎる。夕方にビアホールで喉を潤す目的を忘れてはいけない。赤穂義士の墓
     参りをしていこう。墓所は、整備され歩きやすくなっていました。義士館も建て替える
     ようです。


    【品川】
       武蔵国荏原郡。江戸から2里、京へ123里。八山橋で国道15号線と分れて京浜
     急行の線路と並行している北品川本通店街を進む。かって、品川駅東側には広大な
     敷地の新幹線基地がありました。ドクターイエローと呼ばれ車体が黄色く塗られた、新
     幹線軌道の総合点検車両もここで見かけることができました。
       今は、新幹線品川駅開業に向け地域再開発中です。品川宿に残る多くの神社仏閣
     を過ぎると、鮫洲、泪橋。そして、泪の別れをした鈴ヶ森刑場跡。泪橋は、通称で浜川橋
     が正式名。刑場付近に泪橋はつきものか。国道15号線との合流地点にある刑場跡に
     は、磔用木柱を立てた角石、火あぶり用の鉄柱を立てた丸石、首洗い井戸等が残って
     いる。今日は、ここで終わりの予定でしたが、まだ日が高い。明るいうちにビアホールに
     入ることを潔しとしない家内のために、蒲田まで歩くことにしました。磐井神社、梅屋敷、
     蒲田南交差点を右折、JR蒲田駅から一駅戻って大森駅、そしてビアホール。
                                        美味かった!

     次回からは、国道15号線を中心に歩こうと家内が決めました。箱根駅伝の見すぎだと
     思います。                                       


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